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『 不完全なるチェックメイト 』(天文十六年、夏)

 先の投稿から一か月以上の間が開いてしまいました。誠に申し訳なしです(平身低頭)。

 大河で義輝公が頓死する前に投稿するつもりだったのですが……無念。

 でも自業自得だったり……(苦笑)。

 誤字を訂正致しました。(2020.09.24)

 “甲”には到底敵わぬと自覚させられた“乙”が自暴自棄になって大暴れして御破算、となりそうだった和平交渉。決裂して大喜びするのは“甲”こと六郎の野郎だ。……誰が手前ェなんぞ、喜ばせてなどなるものか。

 畿内の安定、言い換えれば天下静謐を成し遂げる為には、管領職と一緒に細川京兆家を宇宙の彼方にまでぶっ飛ばさなきゃならないのだ。トンチキ管領の六郎の野郎に力ある限り俺に平穏は訪れないのだから。

 だけど俺一人、いや、現状の足利将軍家には六郎の野郎をぶっ飛ばすだけの力がない。ならば、他所の力を借りれば良いだけだ。史実通りに推移すれば三好長慶が六郎の野郎に謀反し、確実にそれを成し遂げてくれるだろう。

 長慶の謀反、所謂“江口の戦い”勃発まで後二年。それまでに出来ることは思いつく限りの手立てを講じておかなければ。

 手立ての一つにして要であるのが何を隠そう、雑賀衆と根来衆の扱いであった。

 辛うじて覚えている史実では、長慶に抗する為に六郎の野郎はあろうことか根来衆に共闘を持ちかけたのだ。それまでの雑賀衆と根来衆は局外中立の立場だったのだけど、それ以降は徐々に表舞台に顔を出す。畿内での幾多の合戦で功名を立て出すのである。

 勿論、鉄砲という最新式の殺傷術で以て。

 豊臣秀吉の紀州攻めで屈服するまでの約半世紀、雑賀衆と根来衆は戦国時代最強の武装集団として大活躍するのだ。

 然れど今はまだ無名に近い存在である。俺が介入した結果、史実よりも多少は早く鉄砲による武装化が為され出してはいるけれど、まだまだ中央では秘めたポテンシャルが知られていない。

 いや、知られちゃったか……俺のお節介の所為で。


 つい先日、総持寺と茨木長隆の野郎との間で起きた諍い。戦力を人数だけで見れば二千ほどの兵を動員出来る茨木の野郎の方に軍配が上がるが、火力で比較すれば雑賀衆と根来衆の精鋭が加わった総持寺の圧勝だった。

 侍大将や足軽頭が悉く狙い撃ちされ、茨木の野郎の軍勢は開戦間もなくで烏合の衆と化したそうな。茨木の野郎自身も重傷を負ったと聞く。

 河内国を根城とする六郎の野郎の側近中の側近で、長慶にとっては宿縁のライバルたる三好政長は、六郎の野郎の下で肩を並べる同僚が発した救援要請を受け、大軍を催して攻め上がろうとするも根来寺参戦の報を聞くなり北上を止めたとか。

 河内国を留守にすれば、根来寺の応援を得た二郎の野郎の軍勢が和泉国から襲来する可能性が大だからね。

 総持寺も降りかかる火の粉を払っただけで、茨木の野郎が籠る茨木城攻めまでは行おうとしなかったので、目下のところ戦線は膠着状態となっている。

 舐められたら殺すが信条の室町武士。相手が己と同じ武士が相手ならば敗戦に承服しなくとも納得は出来るだろう。しかし茨木の野郎をボッコボコにボコったのは九割九分が僧兵で構成された軍勢だ。

 普通ならば“武士の面目が!”どうたらこうたらと激高するのだろうが、今回はそうはならなかった。功名を何より大事にするのも武士なら、名より実を優先するのも武士だからである。

 つまるところ、細川京兆家の正統を巡る内ゲバが膠着しているのは、六郎の野郎の配下は冷静な判断が出来る奴が幹部クラスに揃っている御蔭ってこと。いい換えれば、部下が優秀だからトンデモ野郎でも管領を名乗っていられるのだ。

 無能なら無能なりに部下も無能であって欲しいのだけどな。そうすりゃ、俺はこんなに苦労せずに済むのだけど。


 いや……史実だと、どっちもどっちか。


 六郎の野郎を中央政界から追い出して公儀の後ろ盾となった長慶は、さぞや吃驚したことだろう。支えるべき足利義輝が、トンチキ管領に負けず劣らずのヘッポコ将軍様だったのだから。

 現状認識が出来ない薄らバカなのに将軍権力の使い道だけは知っているという無駄に有能なボケナス野郎、それが足利義輝に対しての俺の評価だ。人物評価が近似値なのは恐らく、織田信雄だろう。

 織田家中の誰もが“三介殿のなさることよ”と呆れ果て嘲りの対象であった信長の次男坊。戦国時代を無事に生き延びられたのは、芸能が趣味という文系人間だったからかも。

 そうでなければ、弟の信孝のように自害を強いられていたかもしれないし、大坂の陣で華々しく命を散らしていただろうなぁ。

 残念なことに、足利義輝は残念なタイプの体育会系人間であった。同じ芸事でも能ではなく武芸に邁進する人物だった。故に殺されたのだ。死の間際、己の無能を自覚出来たのだろうか。出来たとすれば笑って死ねただろう。出来なかったとすれば、さぞや無念だったに違いない。

 俺はどちらも御免だ。人生の半ばで殺されるなど願い下げである。修羅の世界に身を置きながら幼い孫に看取られて老衰死したマフィアのドンのように、安楽死が第一希望なのだから。ゴッドファーザー万歳!

 おっといけない、思考が逸れてしまった。

 さて、根来寺領内に住する傭兵達についてのアレコレをば。


 根来衆の顔役たる津田監物や雑賀衆の棟梁たる鈴木佐大夫らと今この時に面識を得られたのは、誠に僥倖であった。

 助五郎の助力で以て堺にて鉄砲の研究開発に勤しんでいたのだから当然の帰結であるかもしれないが、今上帝の勅命を賜らなければ俺が堺にまで足を延ばすことはなかったやもしれぬ。

 であれば、“君の名は?”と問いかける暇もないほどに擦れ違っていたかもしれない。全く世の不可思議には感謝するしかないよね、しないけどさ。

 雑賀衆と根来衆の親玉達と近しくなれたのを千載一遇のチャンスと捉えた俺は、彼らを雇うことにした。ただ雇うだけではない。彼らの背後にいる根来寺をも巻き込むことにしたのだ。

 代価は“東山流”になるだろうなぁ、と思いつつも、出来れば別の利で釣りたいものだと考える。“東山流”を安売りして価値を下げたくないからね。俺が持つ数少ない手札である、大事にしなければ。

 然様な訳で、根来寺には所領の切取勝手を取引材料にする。与える予定の地は畿内ではなく、西国筋でもなければ四国でもない。東国だ。

 詳細にいえば房総半島の南、安房里見氏の本拠地である安房国なり。

 安房里見氏といえば北条氏にとっての難敵である。

 史実において、扇谷と山内の両上杉氏を駆逐し、数多の中小領主を屈服させて関東の覇王となった北条氏がどうやっても滅ぼせなかったのが、安房里見氏なのだ。

 その理由は、と考えれば答えは現地に行けば判る。或いは地形図を眺めれば一目瞭然だろう。安房里見氏の領する安房国と、近年になり浸食に成功した上総国のほとんどが山岳もしくは丘陵地帯なのだ。平野部は全体の一割にも満たないだろう。

 関東で名を轟かせた偉大なる伊勢新九郎盛時が存命であれば、その手足となって活躍した勇将達が現役であれば、もしかしたら攻略出来たのかもしれない。何故ならば、北条氏の勃興は房総半島に良く似た地形の伊豆半島獲得がスタートなのだから。

 しかし根拠地を伊豆半島から小田原に移した今の北条氏の主戦場は関東平野である。万に及ぶ大軍で行う合戦は得意でも、少数によるゲリラ戦の如き山間部での戦いは不得手となっているに違いない。

 だからこそ安房里見氏は戦国時代を凌ぎ切れたのだ。でも確か、江戸時代初期の政争で改易されちゃったのだったっけか。ざまぁ見やがれ八犬伝め、源氏の氏神様にして武都鎌倉の一之宮である鶴岡八幡宮を焼いた報いだぜ!

 畿内の安定に関して長慶を当主とする阿波三好氏に大いなる期待をかけている。切っ掛けは前世の爺さんの遺言ではあるが、歴史の流れを知る者としても、洛中にて天下を司る者としても、取るべき現実的手段は長慶一択しかない。

 同じように、俺が期待しているのは後北条氏である。

 傳馬制がなく主要街道が未開通区間だらけで、連絡手段も移動方法も不便極まりない現況では、畿内から瀬戸内海一帯ならば目配りが出来ても、東日本までは手が届かない。

 ならば誰かに委託すれば良いではないか。徳川幕府ほど強固に統一された中央政権は望めなくとも、緩やかな連邦国家ならば可能だろう。統一のシンボルとして天皇陛下が日ノ本に君臨し、武家統一の象徴として足利将軍家が存在する。

 俺がこの時代で出来る最大限は、そんなところだろう。今はそれで精一杯。それ以上は高望みってヤツだろう。

 北条氏には東日本を安定させる為に是非とも頑張って欲しい。痛切にそう願う。俺が信頼する政所執事の伊勢伊勢守の血族で、俺の後援会である近衛家から先代が後妻を迎えた後北条氏。これに期待をかけずして何としよう。

 だけれども、北条氏の関東制覇の障害物となるのが、安房里見氏なのである。平野部での戦いに慣れ過ぎた後北条氏に安房里見氏打倒を期待するのは、米軍にベトコン一掃を期待するようなもの。

 正規軍が無理ならば、最新兵器を意のままに操る非正規戦専門部隊を援軍として投入すれば良いのではないか?

 然様な結論に達したのは、相模国から態々上洛してくれた商人達と歓談している最中のことであった。ふとした思いつきであったが悪くないのではと口にしてみたら、小田原の商人達の目の色が鋭くなる。

 北条氏の成長は小田原商人達の商業圏の拡大に直結するのだから当然だろうな。同席する武蔵国川越宿の商人達の唇の両端も、鋭角に吊り上がったのもまた然りだ。

 俺の記憶が正しいならば、千葉県が醤油の一大生産地となったのは和歌山県からの技術流出、もしくは移植であったとか。陸路なら数百キロでも海路なら黒潮に乗ってあっという間であるそうな。

 とはいっても安全な移動を期するならば、幾つかの港を経由するのが望ましい。伊勢湾には北畠の御曹司に一声かければ大丈夫だろう。それくらいの信頼関係は築けている筈だ。後は東海地方にも寄港する場所を確保しておきたいな。

 すると小田原商人達が駿河国の商人達に掛け合うと請け負ってくれた。序でに支度金の用立ても。彼らの言を要約すれば、先行投資の四文字である。

「将軍家のお役に立てるとは望外の喜びにて」

 宮前屋が胸を叩けば、座に連なる紙屋や京紺屋達も大きく首を縦に振る。

 やれ有難や……企画倒れに為らぬように、俺も気合を入れて根来寺と交渉しなければ!


 鈴木佐大夫や津田監物に計画を開陳したところ、我らの一存ではと申すので、ならば然るべき人物を紹介しろと求めれば、二日と経たずに堺の宿舎まで罷り越したのが専誉と玄宥を名乗る者達であった。

“御師様方より確りと吟味し拙らの語らいにて断ずべし、との御言葉を賜りまして候”と異口同音に喋る二人の青年僧は、双子かと目を疑うほどに姿勢から所作まで瓜二つである。

 明確な相違は声質が、専誉がやや高音で、玄宥がやや低音ってことくらいか。

 まるでハーモニーを奏でるように言葉を紡ぐ二人は、俺が改めて口頭で提示した条件を聞くや“一刻の猶予を”と手を合わせやがった。存分に吟味されたし、と嫌味にならぬように気をつけて申し渡して会所を後にする。

 居室で軽く昼寝して、細川与一郎に起こされると同時に御髪(おぐし)が乱れておりまするなどと小言をいわれながら身嗜みを整えたらば、ほぼ刻限だった。

 会所に戻れば専誉と玄宥は徐に平伏し“御願いの儀、是あり”とハモる。


「御願いの儀とは、下総国成田郷に(ましま)す神護新勝寺の再興に御助力を賜りたく」

天慶(てんぎょう)の御代に朱雀院様より寺号を拝領致し東国鎮護の御霊場となるも、今は荒廃甚だしきと聞き及びまして候」


“何卒御寛恕を以て御高配を賜りたく”と再びハモり頭を下げる二人に、俺は腕を組んで束の間呻吟するポーズを取った。こちらの懐が痛む提案ではないし、北条氏にとっても箔づけになるだろうし。

 あれ、そういえば……成田山って平将門の調伏祈祷をした御寺じゃなかったっけか?

 平氏打倒の象徴的寺院を平氏の末裔である北条氏に頼んでも大丈夫かな……とも思うけれど、所詮は何百年も昔の話。気にしても仕方ないか。良し、気にするのは止めよう!

「良かろう。北条相模守へはくれぐれも良しなに、と丁寧な文を発給しよう。寺領については改めて談合すべし、とその方らの師に申し伝えるべし」

「御言葉誠に忝く」

「然れどその前に根来寺の山門内外の僧俗宗徒誰しもが、畿内の害悪と成り果てた細川京兆家を王法仏法に仇為す輩と認定されたし。それが全ての大前提なり。期限は誓詞を交わした日より二年と致す」

「委細承知なれば、速やかに」



 専誉と玄宥の二人が発した書状は、真義真言宗を動かすのに十分な価値があったのだろう。根来寺は図体がデカ過ぎる組織にしては動きが素早かった。流石は行動派であった興教大師覚鑁上人を開祖とする根来寺であることだよ。

 そんな訳であれよあれよという間に、俺と根来寺との間に秘密同盟が成立してしまいましたとさ、めでたしめでたし。

 マジでホントにめでたいのだ。

 ライバル面だけは一人前の二郎の野郎の利は、まさかまさかの援軍をゲット。これで後背を気にせず正面から六郎の野郎と対峙出来て万々歳。謀議の蚊帳の外に置かれながらの濡れ手で粟やら、瓢箪からコマってヤツだよなぁ。

 ムカつくけど負けてもらっちゃ困るのだし、トンチキ管領相手に精々頑張ってガチンコ勝負して、出来る限り勢力を磨り潰しておくれ。

 根来寺の利は、長年の懸念であった成田山新勝寺復興の目途が立った。高野山の主権争いをする競合相手、金剛峯寺に対して大いなるアドバンテージとなる。トンチキ管領との戦いは応援程度に止めおいていいからさ。

 そして俺の利は、両細川の争いを休戦状態にすることで、奉じた勅命(クエスト)の達成だ。御褒美は朝廷からの信頼である。更に根来寺の武力を手駒にすること。両手に余るデカ過ぎのオマケかもしれないが、非力な将軍様としては最高の御土産だぜ、ベイベー。

 以上が共犯関係者間による内々の事情なのだけど、実は雑賀衆と根来衆の東国派遣は俺だけにしか判らない裏事情を含んでいたりする。

 長慶と阿波三好氏を守る一手でもあるのだ。


 江口の戦いを契機として天下人の道を歩み出す、三好長慶。その覇道を支えたのは松永久秀ら有能な家臣団のみならず、何れも知や勇に優れた弟達である。

 俺個人の感想は、毛利兄弟や島津兄弟と肩を並べるくらいに優れた兄弟なのだけど……何故だか後世では不当な程に評価の低い三好兄弟。

 その次男は、豊前守之相。後に之虎と改名するも出家号の実休として後年知られている男。兄長慶の代理として本国の阿波国統治に尽力し、戦場においては常勝の将であった。

 三男は淡路国最大の水軍を率いる安宅氏を相続した、神太郎冬康。後に仁将とも称えられる人物なり。

 四男は讃岐国の国人衆の旗頭である十河氏の養子となった、又四郎一存。一騎当千の(つわもの)を体現したような猛将だ。

 五男は淡路国水軍の一つである野口氏の家督を継いだばかりの、万五郎冬長。事績がほとんど残っていないので後世では存在すら疑われていたりするが、実在しているので安堵した。

 そんな五人兄弟には、阿波国が生んだ亡き名将の三好元長の血が色濃く流れているが、長兄たる長慶の次に名将のDNAを一際強く受け継いでいるのが、次男である。

 もしかしたら長慶よりも重要な人物だったのかもしれない、と俺は思っていたりする……ホント、マジの話で。

 五男が早くに四国での合戦で命を散らすも兄弟の団結は揺るぎもせず、阿波三好氏の前途は洋々であったのだ。まだ四人いるからね。

 ところが三好政権が誕生し長慶が事実上の天下人となって凡そ十年後に、武名高く“鬼十河”と敵対者の誰もが恐れた四男が頓死する。それでもまだ、三好政権は盤石といえた。まだ三人残っているのだもの。

 然れど、四男の後釜として和泉国支配を任された次男が戦場で討ち取られたことで、天下人たる長慶の足元はどうしようもないくらいに揺らいでしまう。長慶の代理という存在はそれだけ替え難いものだったのだ。

 その後、後継者である嫡男の義興が早世したのを契機に心神耗弱に陥った長慶は、意に従わなくなった三男を誅殺した二か月後に病死する。享年は確か……四十三歳だったかな。前世の俺の年齢とほぼ一緒だった。

 こうして三好兄弟は誰もいなくなり、阿波三好氏の天下は十五年と保てずに崩壊する。それでも確か、織田政権よりは長持ちしたのだ。実権の及ぶ範囲は、織田政権の実効支配地域の半分以下だったけれどね。

 薄れかけた記憶を掘り起こすのは存外に草臥れる作業ではあるけれど、定期的にしておかないと生き残り戦略に齟齬を来たすからなぁ。かといって、書付を残せばプライバシー皆無の現状では難しいし。

 先々の史実が誰かの目に、例えば与一郎などに見られでもしたら危険極まりなしだもの。これからも頭の体操として続けるしかないよね、史実から完全に逸脱するまでは、さ。

 それはさておき、ここで“たられば”をいってみよう。

 もしも、だ。次男の実休が早死にしなければ、三好政権は長慶亡き後も存続したのではなかろうか、と思うのだ。

 何故ならば、実休は生まれながらにして長慶の代理を全う出来た人物だからである。茶人としても高名で、洛中洛外の特権者とも幅広く交友していた政治の人でもあったからで。単なる代理指揮官ではない人物だった。

 義興亡き後に阿波三好氏の後継者となった義継を、十全に補佐したであろうと思う。然すれば人望を集め過ぎた四男の冬康も、長慶に逆心を疑われることなく殺されずに済んだであろう。

 であれば、長慶の忠臣であり続けた松永久秀も勝手働きをすることなかっただろうし、三好三人衆と称された重臣達も欲望のままに暴れ回ることもなかったであろうし、己の権力基盤に自信が持てなかった義継も軽挙妄動することもなかっただろう、と思うのだ。

 義継の軽挙妄動とは即ち“永禄の変”。俺こと足利義輝暗殺事件である。

 バタフライ効果か玉突き衝突なのかは知らないけれど、一つの切っ掛けが及ぼす波及の結果、“永禄の変”が勃発してしまうのだ。

 その一つの切っ掛けとは、根来衆の放った銃弾だったりするのだよなぁ。これがまた。


 六郎の野郎と手切れした長慶が同盟を組んだのは、二郎の野郎である。より正確に申さば、二郎の野郎を神輿として担ぐ元管領の尾州畠山氏の重臣筆頭の、遊佐河内守長教だ。

 同盟の証として、長慶は義興をもうけた妻と離縁して、遊佐河内守の娘と再婚する。因みに先妻は、丹波国の実力者にして細川京兆家の内衆である波多野秀忠の娘であった。

 余談になるが、波多野氏は秀忠の孫の代、秀治の時に明智光秀の軍門に下るも信長の命で処刑されて宗家の歴史は幕を閉じる。ドラマでは秀治処刑を恨んだ波多野氏が人質であった光秀の母を殺し、そのことを恨みとした光秀が本能寺の変へと突き進んでいくとか何とか。

 おっといけない、記憶を掘り起こし過ぎちまったぜ。

 長慶と遊佐河内守は実に仲が良かったようだ。幾度も共闘しているのがその証左。だがそれも、尾州畠山氏家中の内紛で遊佐河内守が暗殺されてしまうまで。

 遊佐河内守亡き後、尾州畠山氏の実権を握った安見左近宗房は気の向くままに敵味方をコロコロ変えてから、主君の畠山尾張守高政を焚きつけて長慶と対立する道を選ぶ。根来衆を味方につけて。

 時は永禄……二年か三年かだった筈だが……に起きた“久米田の戦い”において、畠山尾張守の軍勢に実休を総大将とする長慶の軍勢は散々に打ち破られる。文字を変換すれば、根来衆の鉄砲隊により実休のいた本陣が撃ち破られたのだ。

 根来衆が景気よくばら撒いた銃弾が、長慶の代理人を蜂の巣にすると同時に、思い描いていた未来を粉々にしてしまったのである。

 ダラスでオズワルドが放った銃弾が、ケネディ大統領の脳みそと共にアメリカの希望を打ち砕いてしまったように。

 まぁ然様な訳で。

 根来衆には二年後に開戦する予定の“江口の戦い”以降も、畿内近辺でウロウロしていてもらっては非常に困るのだ。根来衆を無事に追い払えたとしても、雑賀衆が残っていれば同じことをしかねないし。

 雑賀衆といったら本願寺門徒が多い国人である。本願寺門徒とは一向一揆とイコールではないけれど、非常に親和性の高い間柄である。それは信長の本願寺攻めの際に証明されている。

 更に事実を重ねれば、長慶とその兄弟の父親を攻め殺したのは六郎の野郎に唆された一向一揆の大群だ。正規の武士で構成された大軍ではなく、刀槍のみならず鋤鍬鎌を手にしたウォーキングするデッドではない大群だ。

 万が一を想定すれば、根来衆も雑賀衆も出来れば根来寺が内包する僧兵達も、早々に畿内近辺から退散していて欲しいのである。長慶の為にも、それ以上に俺の為にも、ね。

 約束した通り活躍の場を提供してあげるからさ、ドンパチは房総半島で好きなだけやっておくれよ、頼んだよ、お願いだよ。今世での俺の寿命を縮めるようなことは絶対にしないでくれ!



 茨木の野郎が総持寺相手に喧嘩を吹っかけて惨敗してから早一ヶ月以上が経つ。今年もまたまた大して暑くもなかった冷夏も終わりの今日この頃。

 久々に宴席から解放された俺は、宿舎としていた海会寺(かいえじ)の居室で荷造りをしていた。締め切った障子戸の向こうでは、木枯らしみたいにヒヤッとする秋風が吹き出しているじゃないか。

 気づけば俺の今年の夏は、両細川家の阿呆共の無駄な意地の張り合いに費やされてしまったぜ。何て有益で無益な日々であったことか。

 有益だったのは、生存戦略が強固になった件。

 堺の会合衆だけじゃなく遥か東国の有力商人達とも誼を結べたことと、根来寺と秘密同盟を結べたこと。

 御蔭で和平交渉は決裂せずに無事に成立し、将来の禍根を一掃出来たのだ。一石二鳥どころか虻も蜂も乱獲したような気分だぜ、全く。

 そんなウルトラC的ラッキーを得られた反面、無益だったのは両細川の争いにどっぷりと漬かり切ったことだ。喧嘩をするなら他所でやれよ、ホントに。俺の目も手も届かぬどこか、例えば沈没寸前のタイタニック号の甲板みたいな所とかさ。

 そもそも論でいえば、六郎の野郎がトンチキ管領でなければ、しなくても良い苦労なのだよ、どれもこれも。

 そう思うと、嬉しさよりも腹立ちの方が倍加するぜ、こん畜生めが!

「大樹、手が止まっておりまする。早う片付けねば、明朝の出立がずれ込みまするぞ」

 へいへい、了解だよ、そうガミガミいいなさんな、与一郎。一色七郎も皮肉たっぷりの眼差しを止めろよ、可愛げが欠片もないぞ。石成主税助もヘラヘラしていないで、長持の追加を助五郎にたかって来やがれ。

 ああ、それにしても長かった。

 根来寺の参戦表明で膠着した畿内の争い。思わぬ援軍を得たとはいえ未だ劣勢であるのに変わりはなしの、二郎の野郎の陣営。晴元打倒の旗印を掲げてから約十年、戦い続けの日々に厭戦気分がない訳ではないようだ。

 予想外の出来事に戦略を余儀なくされた六郎の野郎の陣営も、優勢は維持してはいても横綱相撲を取れるほどの余力はないらしい。後援する丹波国の国人達も実入りの少ない手伝い(いくさ)に不満が多いと聞く。

 結局、双方の思惑としては停戦やむなし、であった。然れど、諸手を挙げての歓迎ではない。相手よりも面目の立つ理由を求めて会談は紛糾し捲り、危うく手切れとなりかけたこともしばしば。

 その度に両細川を恫喝したのは俺の意を酌んだ会合衆達だった。

 最終的に決め手となったのは、朝廷が発した使者達の言動である。


「御上は“治罰の綸旨”もとの御意向にて。朝敵と御成りあそばされたきはどちら様でござりましょうや?」

 武家伝奏の勧修寺尹豊卿が御公家さんらしくないものいいをすれば、その傍近くに坐する正四位下蔵人頭の広橋国光卿も若さに似合わぬ鋭い眼差しで場を睥睨なされた。

「王法を乱す輩にはそれなりの報いを、と洛中のみならず摂津国にても頻りに囁かれておりましたなぁ」

「宗派を問わず寺社の覚えも宜しからずのようにて」

 正四位下左近衛中将で丹波介を兼任なされている飛鳥井雅春卿が首を左右にされれば、従五位上内蔵頭の山科言継卿がわざとらしく溜息をつかれる。

 高位の公家達の宣告に、両細川も渋々ながら矛を治めざるを得なくなったのは当然だろうなぁ。朝敵認定されれば、支持母体であるそれぞれの国人達が離反する可能性が大だ。洛中を身近に感じる者ほど、朝廷の権威を意識していた。

 そして寺社の覚え宜しからず、となれば胸中に沸き起こるのは何がしかの宗徒による一揆への恐怖感だろう。特に、六郎の野郎はその恐ろしさが身に染みているに違いない。

 六郎の野郎側の新規交渉役、香西与四郎元成は一も二もなく二つ返事で了承の旨を口にした。一度は交渉を放棄した高畠甚九郎長直も以前の居丈高さは微塵も見せずに只管に頭を下げてやがる。

 二郎の野郎側も安見図書と鷹山主殿の二人に任せてはおけなくなったのか、遊佐河内守が直々に交渉の場へと顔を見せていた。尤も平伏中ではどんな表情をしているかは判らないけれど。

 しかしそれにしても、近衛家の力って凄いなぁ。流石は五摂家の筆頭だ。根回しをしておいて正解だった。“入念な段取りをしますから最後は朝廷の御意向にて”と書いた書状を稙家伯父さんは、十全に活用してくれたようだ。

 朝廷の御威光と各界からの有形無形様々な圧力の御蔭でミッションは完了。改めて将軍家の威光が如何に地に堕ちているのかを実感させられたよ。応仁の大乱よりこの方、八代義政以降の歴代将軍らの賜物だけどな、畜生め。

 公儀に仕える幕臣達も流石に理解しただろう。今の将軍家は、名ばかりで実のない張子の虎だってことに。今回を契機にして無駄なプライドを捨て去ってくれると良いがなぁ。

 不戦を約した誓詞が交わされ、俺がそれに添え書きを認めたことで和平交渉は無事に妥結、これにて一件落着だ。後は荷物を纏めて帰るだけ。

 ああ、それにしても苦労した。

 前世でも血気盛んな武装勢力同士の間を取り持ち、例え仮初めであっても和平協定を結ばせるなんて大それたことはしていなかったからなぁ。

 いやまぁ、そんな経験のある前世なんて御免被る……神経性胃炎拗らせて死んでしまうわ、そんな人生!

 全くもう、何でこんな時代にしてしまったのかなぁ。もっと昔ならシンプルライフだったかもしれないのに。

 そう後悔しながら、ってそもそも後悔するのが可笑しいのだけどと注釈をつけながら、丸に二両引きの紋が白抜きで角に配された藍染めの風呂敷で包んだ物体と目を合わせる。

 遮光器土偶。昭和以降の世界では膾炙されている、かの有名な宇宙人っぽい土人形だ。十三湊とも交易している北条氏の御用商人からの献上品である。他にも矢鱈とデフォルメされた物やスタイリッシュな物まで。

 記憶を掘り下げれば教科書や図鑑で紹介されていた物が、何故か俺の目の前に幾つもある。土偶だけではない。はにゃーとか言い出しそうな埴輪も沢山。種々雑多な土器もゴロゴロとしていた。

 包んで仕舞い包んで仕舞いしても、嫌になるくらいだ。これ全てが会合衆を含めた商人達からの献上品である。献上品は古代の遺物だけではない。与一郎と七郎がせっせと長持へと収めている数十枚の能面もだ。

 大樹公は大層お好きだと聞き及びまして、などと俺の元へ“東山流”を学びに来る度に置いて行ったのである。……何周遅れの情報だよ。まぁ嫌いじゃないけどさ、どっちかといえば好きだよ。だけど限度があるだろうが?

 長持何個分になるか判らぬ献上品は洛中に戻り次第、慈照寺へと収蔵する予定である。……後世の学者が銀閣寺を調査したらさぞや吃驚するだろうなぁ。国立博物館も仰天するような文物がごちゃまぜで置いてあるのだもの。

 ふとそれを想像してしまい、俺は脇腹が引き攣りそうになった。片腹痛いとはこのことだ。あ、やべェ、転げ回りたくなってきた。

「大樹」

 遮光器土偶を抱き締めてヒクヒクしていたら、与一郎の冷ややかな声が俺の背を強かに叩く。おっと、いけない。慌てて威儀を整えたら、七郎がこちらを窺うような目をしていやがる。

「……先だって託されました右衛門大夫殿の件でございまするが」

 うえもんだゆう? 誰だっけ?

「朝倉弾正左衛門尉様は如何申されておりましたでしょうか?」

 …………ああ、アイツか。うん、忘れてないよ、覚えていたともさ。だから睨むな与一郎、不安そうな顔をするなよ七郎。

「然様よな。弾正左衛門尉よりの書状には、越前国に関わりなきように御扱い戴きたく、とのことであった。くそじじ……宗滴からは、存分に御成敗下され、であったな。

 生国へ帰すことは為らずであるが、腹を切らせる訳にもいかぬ。さてどうしたものか……いっそ、西国にでも放免するか。

 おお、そういえば。大御所様からの書状に、大内から使者が洛中に滞在しておるそうな。何でも、配下とした毛利の新しき当主が備中守を所望しているとか。

 鄙の国人にしては高望みの極みやもしれぬが、惜しむ程のものでもなし。

 然れば大内の使者につけて西国を検分してきてもらうとしようか。遣明の船のこともあるし、余の耳目となってくれればと思うが」

「良き思案かと」

「然れば疾く」

 一瞬の隙を突き、七郎が小走りに立ち去って行く。うっかりと目を離してしまい、お片付けの貴重な戦力を失ってしまった与一郎はがっくりと肩を落とす。……早く主税助が帰って来ないかな。何だか空気が非常に気まずいのだけど、と思っていたら障子戸がスパンと開けられた。

「お待たせ致しました。本日の中食(ちゅうじき)は、山科卿から頂戴致しました素麺にございまする。山科卿の御領地、播磨国は下揖保荘で作りし物と河内国は津田村にて作りし物の食べ比べにて候。

 副菜は会合衆よりの献上、摂津国は玉造の地にて採れましたる越瓜(しろうり)を炊いた餡かけにございまする」

 立て板に水の如く口上を一息で述べた彦部又四郎が、最高に良い顔で立っているのを見て、与一郎の姿勢がクニャッと緩む。ナイスタイミングだな、又四郎。荷物整理の手伝いは免除してやろう、有難く思えよ。

 抱き締めたままだった遮光器土偶をそっと床に置き、意気揚々と先頭を歩く又四郎の後ろをついて食堂へと進む。

 一切合切を長持に詰め込んだら懸案事項も一つを除いて解決だ。安堵の吐息を吐こうとしたが、漏れたのは深い溜息であった。残り一つの懸案事項が胸に大きなシコリとなっているのだから当たり前だよな。

 俺の生存戦略の帰路となる“江口の合戦”。その切っ掛けは約一年後に起きる予定の、池田城主の切腹なのだ。

 長慶が必死で諌止するも六郎の野郎は聞かず、寵臣である三好政長の讒言にだけ耳を貸してしまい、“この裏切り者!”などと罵って切腹を強いるのである。

 トンチキ野郎のとち狂った所業は摂津国人衆の反発を招き、長慶の離反を呼ぶ。たった一人の切腹が畿内の勢力図を一変させてしまうのだが、そのたった一人とは元近習で現任は奉公衆見習いである池田弥太郎の父、筑後守信正なのだ。

 もしも何らかの手段を講じて信正の命を救ったらば、長慶の離反は起こらないかもしれない。ということは“江口の合戦”は勃発せずに、六郎の野郎が天下にのさばる世が続くことを意味する。

 “江口の合戦”が起きるのを前提に準備して来た俺の生存戦略は、根底から崩壊するってことだ。

 ああ、困ったなぁ、マジで。

 弥太郎が近習になってからずっと考えるのを先送りにして来たけれど、そろそろ結論を出さねばならぬ。助けて別の機会を待つにしても、助けず史実の到来に備えるにしても、これからの約一年が勝負となる。


 見殺しにすべきか、戦略を練り直すべきか、それが問題だ。

 実はハーメ〇ンで投稿されている『ブラックラグーン』の二次創作に嵌り、私でも書けないかと書き始めたり。まぁ挫折したのですが……(苦笑)。『悪徳の都に浸かる』は滅茶苦茶面白いです。

 『3月のライオン』の二次創作『小学生に逆行した桐山くん』も最高で。原作が大好きなので、有り得たかもしれぬあり得ぬ未来に胸が熱くなるのでして……。

 まぁ考えれば、歴史物はifであろうとなかろうと、史実の二次創作かと。

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― 新着の感想 ―
[一言] この時代の関東はど田舎な上に上杉禅秀の乱から延々と続く争乱でめちゃくちゃ荒れていますからね。 特に上野・武蔵・下総あたりは主戦場でしたし。 まあ応仁の乱や天文法華の乱で寺院が大量に焼かれ…
[一言] 何と言う玉突き事故w て言うか、皮算用にならぬ様に祈っておいた方が良いですかね? 或いはこちらを立てれば別の所が・・・って事になりませんかね(^^; 色々複雑・・・。 2次・・・MMO・…
[一言] 拝読させていただきました。 なるほど、突然の根来寺、そういう背景が……。 将軍様、何とかミッションコンプリートとなったようで何よりです。 しかし、遮光器土偶に埴輪……後世の学者さんたち、銀…
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