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『 リトルショップ・オブ・セラーズ 』(天文十二年、春)

 今回は微調整のみで。大きな変更はサブタイトルだけかと。

 『御上たちの街』→『リトルショップ・オブ・セラーズ』

 今世での一生を、たった三十年で終らせる三好三人衆の内の二人の登場に、俺の時間は完全に凍りつく。


 歴史の流れを捻じ曲げようとすれば歴史は必ず強引な手段で修復を図る、って誰の言葉だったっけ?

 死ぬべき運命の人間が死ぬべき時に死ななかったら、死神がやって来るというのは映画の中だけじゃなかったのか?

 俺が前世で現代とおさらばしたのは飛行機事故を予知して回避したからじゃないぞ!

 ……って何言ってんだ俺?

 ちょっと待てちょっと待て、ちょっと待ってくれ!

 俺がこっちに来てから史実に反したのは牛乳を飲んで昭和歌謡を歌ったくらいだぞ!?

 たったそれだけで殺されなきゃいけないのか!?


「若子様、如何なされましたか?」


 ああ、そうだ、此処には三淵がいるじゃないか!

 三淵は俺が殺された後も生き延びて、義昭に仕えて永禄の終わりに死ぬ予定の人間だ。今は天文十二年、俺は八歳になったばかり。大丈夫、寿命はまだ尽きちゃいない!


「……三好の者がいる事に驚いただけだ」


 どうにか言葉を搾り出した俺を見た政勝は、これはしたりと芝居がかった風情で額をピシャリと叩く。


「我らが不甲斐ないばかりに氏綱をはじめ高国の残党共の蠢動を許し、面目次第もございませぬ。

 されど御安心あれ、何れは彼奴らの首を残らず刎ねて御前に並べてみましょうほどに」

「おお、何と心強い御言葉!

 世に聞こえた越後守様の御嫡子殿の申しよう、若子様も心安らかとなられましょう!」

「必ずや必ずや!」


 三淵と政勝の遣り取りがあまりにも田舎芝居染みているのが何とも片腹痛く、御蔭でバクバクしていた鼓動が漸く収まったぜ。

 有難う、と御礼を言うのは変だけど、政勝にサンキューだ。

 三淵には、まぁ、何だ、あんまり当てに出来ないような?

 取り敢えずは、殺される前に心不全で死なずに済んで助かった、のだろうなぁ。


 そんなこんながあった後、俺達は颯爽と街へ繰り出した。

 応仁の乱で荒廃し、紆余曲折の結果として上京と下京とに分割されてしまった洛中。

 昭和・平成の京都とは、余りにも規模と形が異なるのを知った時は正直、吃驚した。思わずマジか、と叫んでしまう程に。

 上京と下京に分割された二つの地区は所謂“惣構え”で囲われており、其々が又内部を幾つもの区画に区切ってある。

 辻には必ず“釘貫”と言う名の結構頑丈な木戸が設けられていた。

 これが大陸やヨーロッパみたいに石が建材の文化圏であれば、戦場となり破壊されれば中々には復興が行われないだろうから彼方此方に綻びが散見するのだろうけど、日本は昔から木材建築が主流の文化だ。

 焼かれようが壊されようが、直ぐに復興がなされる。

 しかも復興の度毎に防備は徐々に整えられた。

 惣構えと釘貫はその証明であり、追加防備である木柵と竹矢来と逆茂木と土塁などもそうである。

 釘貫には抜かりなく門番が立ちはだかり、人の出入りを厳しく監視していた。

 正しくザ・要塞都市なのだなぁ。

 そんな洛中ではあるがガチガチに防備を固めるだけでは、普段の生活に差し障りが発生する。

 例え戦時下であろうとも人は利便性を求めるのが当然だからな。

 高度な安全性は便利の最大の敵となるのは、今も昔も未来も変わらない。

 利便性という日常と戦時下の危機という非日常に妥協点が設けられる、それが室町小路という道であった。

 真っ二つに別れてしまった日ノ本の首都を繋ぐ唯一の道は、今日も賑やかなり。

 上京から下京へ、下京から上京へと人が移動するにはこの道を使うしかないのだから、他の道よりも人口密度が過密になるのは至極御尤も。

 行き交う人々を相手に物を売る店がズラリと並び、一人でも多くの客をと目論む大きな呼び込み声と、少しでも安く買い物をしようと企む客達との激しい遣り取りで、耳が痛くなってきた。

 何だか黒門市場か錦市場を思い出すなぁ。

 これほど賑やかな市は、今の日本で一番人口が多い都市の一番の商業地区である此処だけだろう。

 後は堺くらいだろうか?

 とはいえ堺には行った事がないから、あくまでも想像でしかないけれど。

 少なくともそれなりに住民がいた坂本の町では、三日に一度の三斎市や八日に一度の八日市などしか開かれていなかったし、他の町でもそんな感じだろう。

 六角氏の御膝元では楽市が開催されているらしいが、これほどの人いきれではないに相違なし。

 如何に埃っぽくて掘っ立て小屋だらけでも日ノ本の首都なのだもの、まぁ当然と言えば当然か。

 そんな賑わいの場を二十人ばかりの武家集団がウロウロしているのだから、人々の視線の厳しい事厳しい事。……そりゃまぁ、睨まれて当然か。

 露払い兼案内役は、気を利かせた伊勢が付けてくれた伊勢の息子の兵庫頭貞良と、御存知の石成主税助。

 ちんたらと歩く俺を半円形に取り巻くのは東山少年隊こと近習達に、チームリーダーの進士。

 俺の後ろには当然の如く三淵がいる。

 三淵の半歩後ろに今を時めく三好氏の御曹司がいて、後続グループは全てその郎党達だ。

 三好氏一族は、ポンコツ管領である晴元の配下で最も大きく且つ重要な軍団なのだが一つの集団ではなく、二つに分かれていた。

 大雑把に説明すれば、晴元がエコ贔屓している三好政長を頭に戴く集団と、晴元がこれっぽちも重用していない三好長慶を首領とする集団とに。

 双方の集団としての戦力比は五分五分ではなく、四対六以上三対七未満だろうか?

 勿論、過半数の方が三好長慶だ。

 三好長慶率いる軍勢は、戦場での戦いだけに限定すれば九割を占めるかもしれないほどに強いのだけど、政略の面では三好政長の方に軍配が上がる。

 政略もしくは政治力で勝る集団に属する政長の郎党達は、畿内を領する“天下様”気分のポンコツ管領政権の一員だという自負があり過ぎるのだろう、矢鱈と得意満面な顔をしながら肩で風切っていやがった。

 何様だと訊ねたら、俺様だ!と即答しそうな態度なのが何だかムカツクけれど。

 厳しい視線を向けられている理由の大半はその横柄な態度にあるのじゃないか、と思うのは俺の考え過ぎだろうか?


 本来、洛中における武家の評価など水木しげる大先生の代表作並み。

 つまり、下の下の下(ゲ・ゲ・ゲ)、だ。

 清盛の祖父や親父が悪戦苦闘していた平安時代の終わりから此の方、その評価は全く変わっちゃいない。

 桓武天皇がこの地を都に定めて以来ここの主は常に天子であり、その側近である貴族達であり、住人である民衆達だ。

 武家が偉そうにしているのは弓槍刀で武装をし徒党を組んでいるからで、恐れられてはいても敬われてなどいやしない。

 まぁ様々な許認可権を裁定する政所の者達には、お愛想笑いの一つでもするかもしれないけれど。

 国人領主にしろ、大名にしろ、管領にしろ、それらの上に君臨する征夷大将軍にしろ、武力で以って徴税権・警察権を行使しているに過ぎない。

 ……武力しか誇れるものがない支配階級を崇拝せよ、って言われてもねェ?


 抑々、武家の身分は平安時代の終わりまで“人”ではなかった。

 当時の“人”とは、天皇と皇族と殿上人と呼ばれる公家階級とそれに順ずる身分の者だけを指し、武家は畜生程度の存在でしかなかったのだ。

 そんな価値観を覆したのが、平清盛。

 武家の身分から位人臣を極めた事で、世に武家の時代の到来を知らしめた。

 武家の時代が一過性で無い事を証明したのが、源頼朝と足利尊氏。

 尊氏の孫である三代義満は勘合貿易を推進し、武家の時代を富の時代へと移行させる。

 だが三代義満が日ノ本にもたらした富は、武家だけでは受け止めきれず社会の隅々にも溢れ出した。

 溢れかえった富を享受した社会は、新たな階級の勃興を促す。商人の誕生だ。

 平安時代は武器を手にした武家を独立させ、室町時代は富を手にした民衆の自立を促した。

 それまで公式には“読み人知らず”といった扱いでしかなかった位を持たぬ民の名が、公式に記録されだすのが今の室町時代。

 無位無官でありながら最初に公文書に名が記録された人物は、応仁の乱で活躍した骨皮道賢だった、と以前読んだ何かの本に書いてあったっけ。

 商人の嚆矢になるのは金売吉次になるのかもしれないが、彼の名が記されているのは『平家物語』や『源平盛衰記』などの物語であって、公式記録ではない。

 あくまでも“いたかもしれない”非実在に近しい人物だ。

 彼の荷を狙った伝説の大泥棒の熊坂長範も、『平家物語』を題材とした幸若舞の登場人物だし。

 室町時代が熟し切り腐臭を放ち出した頃に、社会の隅っこから史上最大の下剋上を果たす豊臣秀吉が登場し、清盛のように新たな世界の魁となる。

 直ぐに、生まれながらの武士である徳川家康に圧し戻されるけど。

 だが家康が完成させた新たな秩序も社会の変革を抑える事が出来ず、商人達がドンドンと力を蓄え続け、家康の作りし秩序が旧態同然となった瞬間に幕末となる。

 倒幕の主戦力となったのは、社会の大多数である民衆だった。

 ミニエーやゲベールといった新式銃を与えられた民衆達は官軍の兵となり、武家に取って代る。

 倒幕勢力に武器を融通する道筋をつけたのは、ありとあらゆる価値観を富へと変換する商人達だ。

 なーんて、な。

 先々の他人の幕府を心配するよりも前に、足利将軍家の心配をしないとな!


 外部抗争をしながら内ゲバするという、賞賛のしようがない離れ業で始まった室町幕府を会社に例えたら、創業家が自己保有する株券を褒美だと重役達に延々とばら撒き続けたようなもの。

 社長、会長として奉られていても創業家に実権などありやしない。

 籤引きで選ばれ就任した六代目社長は無理からに実権を取り戻した途端、あっさり解雇(ころ)されちゃうし。

 社長会長がトンチキならば、重役達は揃いも揃ってポンコツばかりってのが笑えない話だねェ。

 会社の業績を伸ばす事など毛ほども考えず、如何に会社の資産をちょろまかせるかばかり考えていやがる。

 少しでも多く掠めようと派閥争いに明け暮れる始末。上が上なら下は下。子は親を見て育つもの、子を見れば親が良く判るとはよく言ったものだ。

 まぁそりゃあ、そんな会社は潰れて当然。どちらかと言えば十五代も続いたものだと感心するやら呆れるやら。

 馬鹿ではなかろうかとも思うのだけど、或いは二百年以上も食い潰されなかった日本の底力を、天晴れと褒め称えるべきなのかもしれないなぁ。



「世子様、如何なされましたか?」


 貴公子然とした風雅さを漂わせる政勝に問われて、俺は立ち止まっていた事に気がついた。俺が立ち止まれば一行も当然ながら停止する。

 武家の集団が原因で、花の都の目抜き通りはちょっとした渋滞を起こしていた。

 何してんねん、邪魔な奴らや、ほんま迷惑や、といった呟きが周囲から聞こえて来れば、郎党達が文句あるのかと剣呑な雰囲気を撒き散らし始める。

 おいおい、こんな処で刃傷沙汰などするなよ。

 通行人の中には何処かの家に仕える武士も混ざっているし、そもそもここにいる民衆の皆さん方は誰かの配下に属しているのだぞ。

 当たり前だが、民衆とは全員が何処かの住人である。

 住人は何処かに住んでいるが住処があるのは誰かの領地である。その誰かは武家かも知れぬし公家かも知れぬし寺社かも知れぬ。

 武家の領地の住人ならば面目を潰されたと、文字通りおっとり刀で駆けつけて来るだろう。公家は物騒な事はしないかもしれないが、物騒な輩に依頼を出すだろう多分。寺社が出て来たらもっと最悪だ。

 下手すりゃ起きるぞ、一揆が。

 只でさえ、洛中洛外の信者達は一揆の味に慣れ親しんでいるのだから。

 三好長慶の父、元長を殺す為にポンコツ管領の要請で俄かに勃発した本願寺門徒の大攻勢。歴史用語で言うところの、享禄・天文の乱。

 たった十年ほど前の大騒動を忘れたとは言わさねェぞ、この野郎。この世に転生する前の事だから、俺は知らないけどな。

 どれだけの人が殺されたと思うのだ?

 また都の半分以上を灰燼に帰すつもりか?

 俺が渋面を作ってチラリと見れば、政勝が心得たりとばかりに頷いて郎党共を落ち着かせた。

 ああ、やれやれ。

 小火が直ぐに大火となり、失火した者諸共に全てを焼き尽くすのが室町時代の実に悪い処だ。

 俺は平和な時代から来た平和主義者だからな、根切りの命令など出させるなよ、本当に。

 ムカついた、って理由だけで切腹だの鋸引きの刑に処するだの言いたくはないのだから、さ。

 火の点いた蓑着せてフィーバーしたくはないだろう? 


 くさくさした気分で周囲を見回せば、商いを行う者達が品物を片付ける手を止めて安堵したような表情をしていた。

 騒がせてわりーね、わりーね、ワリーネ・ディートリッヒ。

 それにしてもこの時代の商売は、実に簡易で簡素なものだなぁ。

 日ノ本で断トツぶっちぎりの繁華街であるにも関わらず、笊を台座にしたり、茣蓙を敷いて品物を並べた程度の見世ばかり。

 そう、“店”ではなく“見世”なのだ。

 四方に柱を立てて(むしろ)を屋根と壁にした作りの小屋……のような見世もあるけれど、何処をどう見ても現代の屋台村どころかフリーマーケット状態。

 時代劇で描かれる大店など当然ながら何処にも存在しない。

 それもまた、当然である。

 現在の日本は戦時下、絶賛内戦中なのだもの。

 偶々、今の洛中が平穏なだけで決して平和じゃないのだ。

 いつ何時、ここが戦場になるのやも知れないのだ、去年のように一昨年のように一昨々年のように。

 そんな場所で暢気に開店営業など出来よう筈がない。

 危険を察知したら茣蓙や筵で商品包み、笊を担いでスタコラサッサと逃げ出さないとね。

 大事な商品はこんな所に並べたりせず、全て安全な場所……例えば頑丈な土倉の中とか。

 まぁそれでも力尽くで横領されるし、一揆勢に略奪されたりするのだけれど、そこはまぁ時代のチャーミングポイントだと理解すれば……って納得出来るかい!

 因みに一揆と土一揆は、似て非なるもの。

“土”とは即ち“農民”の事で、彼らが借金を棒引きしろと徳政令を要求するのが目的で起こすものだ。

 一揆とは言い換えれば、民衆による連帯組織による抗議運動なのだ。

 手に手にゲバ棒と火炎瓶を持った六〇年安保闘争が、牧歌的なパレードに見えるくらいの、実に恐ろしいものだけどね。

 首謀者が国人レベルだと国人一揆、規模が拡大すれば国一揆、一向宗の坊主が扇動すると一向一揆となる。スポ根が好きな奴らが起こしたら、梶原一揆とか……。



 そんなどうでもいい事を考えていた俺の視線が、ある見世に釘付けとなる。

 三軒並びの掘っ立て小屋の真ん中の見世の店頭に並べられた、それらの商品に。

 学生時代の教科書で知り、博物館の展示品でしか見た事のないそれらに俺の足はフラフラと引きつけられる。

 顔はおぼこいのに引き締まった体躯の三淵弥四郎と、年の割にはひょろりとした進士美作守の間を擦り抜けると、出迎えたのは思春期真っ盛りのニキビ面。


「毎度いらせられませ」


 都言葉とは発音が違う、俺が慣れ親しんでいた関西弁とも僅かに異なる言い方も無視して、俺はその見世の前で蹲踞の姿勢を取った。


「和子様、袴が汚れまするぞ」


 五月蠅いぞ三淵。袴など洗えばいいだろうが、俺が洗う訳じゃないけどさ!


「御気に召されましたか、若殿はん?」

「ああ、うむ」

「そいつぁ宜しゅうおました、これらの品はワテが目利きして選んだ一品ばかりやさかいに……」

「待ちなはれ、若殿さん。そんなんよりも、ウチの方がもっと若殿さんに相応しい品揃えをしてますよってに。この錦の袱紗など如何でしょうか?」

「左様です。是非そいつらの見世よりもウチの見世を見て下さいませ。この(こうがい)など如何でしょう?」

「邪魔すんなや、四郎左衛門。小一郎も口閉じぃや。若殿はんはワテの品を御認め下さったんや、ワテのお客さんなんや」

「世子様、斯様な泥造りの奇妙奇天烈な器など御身には相応しゅうないと存じますが」

「若子様、某も左様に思いまする」

「お武家様方、左様な物言いは何ぼ何でも殺生だっせ」

「いやいや助五郎、お武家様方の仰る通りと違うか?」

「助五郎、ええ加減見世仕舞いしたらどないや」

「勝負はまだついてへん! 堺者の意地を見ときさらせ!」

「ここは都や、余所者が勝負出来る所やないで?」

「あれあれ、小一郎はん。あんさんの出自は美濃やおまへんでしたか?

四郎左衛門はんも信濃者の子やし。助五郎はんが余所者なら、あんさんらも余所者やと違いますか?」

「与兵衛は商人やのぅて土倉の見習いや、商人の戦に口出ししなや」

「せや」

「その私に立会人を依頼しなはったんは、あんさんらですがな。口を出させてもらわな裁定が出来しまへんし」

「若子様、些か騒がしゅうなって参りました故に、先へと進みませぬか?」

「世子様、某が面白き場所へと案内仕ろうほどに」

「右衛門大夫殿、面白き場所とは如何なる場所でござろうか? まさかとは存ずるが……」

「世子様の御身分ならば多少の白粉臭さにも、早うから慣れておかねば」

「それはなりませぬぞ」

「されば、博多より上り来たった練貫(=白酒)などは如何でござろう?」

「ううむ……」

「お武家様方、お待ちあれ。何卒ワテの商いの妨げはせんといて下さいませ」

「往生際が悪いぞ、助五郎。日の出と共に見世を開いておきながら何一つとして売れぬのは、お主の商いが拙いせいであろうが?」

「せや、この勝負はワシの勝ちで決まりであろう、のう与兵衛?」

「何を言うやら、勝負はこの四郎左衛門の勝ちに決まってますがな」

「五月蝿い五月蝿い、勝負はまだまだこれからや!」


「五月蝿いのはお前ら全員だッ!! グーパンを食らいたいのかッ!!」


 堪忍袋の緒が切れた俺が怒鳴りつけると、全員が瞬時に目を丸くして口を噤んだ。

 袴の裾を払い立ち上がり睨み上げれば、上物の酒に目が眩みかけた三淵も己の意地汚さに思いが至ったのか、ばつの悪い顔をしていやがる。

 全くどいつもこいつも!


「若殿様」

「何だ?」


 恐縮頻りの大人共を尻目に、恐れる事なく口を開いたのは与兵衛と呼ばれていた少年であった。


「ぐうぱん、とは何でございましょうか?」

「ノーコメント!!」


 俺の即答が都の大空に響き渡る。

 すると背後から俺の膝腰を砕く一言が発せられた。


「すんません若殿はん。お能の面は仕入れてませんねん、堪忍だっせ」


 おっと危ない危ない、また余計な事を口走ってしまった。

 盛大な咳払いでズッコケ諸共全てを有耶無耶にした俺は、ワーワーと言い合いをしていた商人達を改めて見遣れば、何と全員が十代のようである。


「その方ら、さっき勝負がどうこうと言っていたが、余にはさっぱり意味が判らぬ。仔細を申せ」


 すると一番年上と見える四郎左衛門とか呼ばれていた青年が、おずおずと口を開いた。

 彼らは其々、別の場所で店舗を構える家の跡取り息子達なのだそうな。

 助五郎とやらが情勢不穏な堺を離れて上京し大徳寺にて禅を学んでいた処、偶々同い年の小一郎と知り合い、些細な事で言い争いになったとの事。

 武士の子供同士ならば仕合でもして決着をつけるのだろうが、生憎彼らは商人だ。

 商人の優劣は儲けられるかどうかなのだからと商いで勝負をつける事にしたのだが、話を聞きつけた小一郎の知己である四郎左衛門も面白そうだと首を突っ込んで事態を拡大させ、誰が売り上げ優秀となるかを三人で争う事に。

 小一郎と四郎左衛門の共通の知り合いであり、土倉を営む実家で修行中の与兵衛に立会人を押し付け、更に対決の場まで手配させたのだと。

与兵衛は彼らの中で最年少なので断り切れなかったそうだ。

 はぁ……何とも平和で暢気な合戦だ事。

 まぁ当事者は、意地やら誇りやら面子などがかかっているのかもしれないけれど。

 少なくとも切った張ったのチャンチャンバラバラよりは、よほどマシだな。

 細川氏も少しは見習ったらどうだ?

 ポンコツ管領の晴元も対戦相手を気取るガラクタ野郎の氏綱も、修羅場で大立ち回りしたいのなら何処か遠くでやってくれないか?

隠岐の島か鬼界ヶ島を舞台に海鳥だけを観客にしてのタイマン勝負とか、さ。

 愚痴はさておき。

 今は商人達の勝負の行方だ。いや、それも実際どうでも良い。

 大事なのは、この見世に並べられた品物だ。


「それで、幾らなのだ?」

「ホンマに買うてくれはるんですか!?」

「売り物を客が買うのは当然だろうが」

「ほな、これでどうですやろう?」


 助五郎は、俺に片手を目一杯広げフフンと笑う。小癪な若造だな、当世の俺より年上だけど。

 現将軍の跡取りとして公金で養われている俺様を舐めるなよ。

 しかもな、労働基準法も労働基準監督署もないから、既に働いているのだぞ。

 稼ぎ方は自分で言うのも何だけど詐欺っぽい感じが否めないが、まぁそれはそれだ。

 支給される小遣い程度じゃ買えない物、鉄砲とか鉄砲とかを買いたいが為に僅か数え八歳の身ながら、せっせせっせとだ。

 どうだ、聞くは半笑い、語るは世知辛ぇ物語だろうが、ドチクショー!

 ……冷静に考えれば、鉄砲の購入代金を稼ぐ為に働く八歳児ってシチュエーションは、現代の内戦中の途上国でもあり得る話だよなぁ。

 古今東西、人の営みって度し難いものだなぁ、つるかめつるかめ。


「いいだろう、後でこの見世の商品を全て東山の慈照寺まで届けろ。全て言い値で買ってやる」

「へ?」

「若子様、宜しいのですか?」

「構わぬ……ついでだ」


 俺は両隣の見世を交互に指差した。


「その方らの品も全て買おう。

 助五郎とは違い、小一郎と四郎左衛門の見世に並べた品は己の技量を高めんとして工夫を凝らしたのだろうが……先物買いには丁度良いわ」


 点目になった三人から目を移した俺が与兵衛を見れば、満面の笑みと合掌が待っていた。


「おおきにさんです、若殿さん」


 ニヤリとしながら俺は再び三人へと向き直る。


「勝負は引き分けのようだな? それともこれからが始まりかな?」


 堺の天王寺屋の助五郎こと後の津田宗及との長い付き合いが、こうして始まる。

 後世“京の三長者”と称される、金座の後藤の跡取りである小一郎光乗と、茶屋を屋号とする前の中島家嫡子の四郎左衛門明延と、後々に角倉了以の義父となる吉田与兵衛栄可とも。

 だがこの時は全員が揃いも揃って若造に小僧だったのだから、俺からすれば年の近い遊び仲間が出来た程度の事だった。

 慈照寺の元となる東山殿を建てた八代義政も大工や庭師達と親しく交わったらしいから、俺にも町の者の知己が出来たとて何ら問題無かろう。

 三淵はクドクドと苦言を呈するやもしれないが、惟高妙安禅師の力も借りれば簡単に説き伏せられるだろうし。

 お釈迦様曰く“四姓(ししょう)平等”なり、云々。

 だってさ、平民しかいなかった現代日本で平民として育った俺には武家社会の付き合い、人間関係ってどうにもこうにも堅苦し過ぎるのだよ。

 何故かと言えば、全員が俺よりも身分が下の者達だからだ。俺の親世代よりも年上の三淵ですら、小児である俺にですます調で(へりくだ)るのだもの。

 身分社会、階級社会が当たり前の室町時代、気安い交友関係を構築するのは中々大変なのだ。

 然りながら、相手は海千山千の商人達。

 舐められたら尻の毛まで毟り取られて骨の髄までしゃぶられて、カラッカラにされてから屑拾いに売り飛ばされる羽目になるだろう。

 まぁ尻の毛を毟り出した時点で、武家棟梁の面子を全面的に押し出し片っ端から家ごとぶっ潰した上で軒並み斬り殺すけどな。お互い様お互い様。

 ……って、いかんなぁ。俺も室町の空気に毒されて来たのかも?

 つるかめつるかめ、自重自重。


「ぐうぱん、とは何であるのかお教え下さいませんか?」

「どうしても能のお面が御入用なら直ぐにでも用意させて貰いますけど、小面(こおもて)平太(へいだ)と中将やったら何れが宜しいですやろか? それとも蝉丸やら泥眼(でいがん)ですやろか?」

「何言ってんのや、助五郎。若殿さんなら万眉(まんび)に決まっとるやないか」

「いやいや、小一郎。深井やもしれんぞ」

「ワシは喝食(かっしき)かと思うが」

「三淵殿、獅子口や般若などは考えられませぬか?」

(それがし)が思いまするに、小尉(こじょう)ではないかと」

「「「「「それだ(や)」」」」」


 違うわッ!!

 与一郎も的外れな推理を得意気な顔でしてるんじゃねぇ!


 此方の複雑な思いを忖度しようともしないでヤイヤイと楽しげに語らい合う者共を背に、俺は買い求めたばかりの品物に手を伸ばす。

 ほぼ完品の、火焔土器。

 何処から出土してどのような来歴を辿ったのかは知らないけれど、きっと俺みたいに有為転変があったのだろう。

 そう思うと見世の棚に並べられた他の土器類全てが、何だかとても愛おしい。

 何はともあれ、お宝ゲットやねん!

 余談ながら。

 ウチの檀家さんに元大名家(五代綱吉公の時に旗本から昇格)がおられるのですが、過去帳に「豫州刺史」「總州別駕」と書いてあり最初は「?」でしたが、後に「伊予守」「上総介」の事だと判りました(苦笑)。

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