『 坊主・アタック! 』(天文十六年、春)
珍しく早く書き上げられたので、即投稿。
自転車操業は続くよ、どこまでも(苦笑)。
不備を是正致し、ほんの少し加筆致しました。(2019.12.11)
「死にとうないからだ」
そういい放ったら、全員が間抜けな面になった。
鳩が豆鉄砲食らった顔ってのは本当にあるのだなぁ。北条宗哲と太原崇孚だけではなく、まさか惟高妙安禅師や伊勢伊勢守までが“はぁ?”って顔になるとは思わなかったけれどさ。
自己弁護的な言い訳になるが、一応は思案したのだ。熟考したのだ。
……したのだけれど “死にたくないから”以外の言い回しは思いつけなかったのである。だから嘘偽りなしの本音を吐露するしかなかったのだ。
半日くらい猶予があればもっと素晴らしい回答が浮かんだかもしれないねぇ。でもきっとそれだと、実に胡散臭い文言となっていただろう。所謂“軍師”的な戦国大名の最高顧問である海千山千の化け物達には即座に見破られるような。
ならば、もう破れかぶれ。当たって砕けろの精神で本音をぶちまけたのだが、やはりダメだな。当たって砕けたら後が続かないもの。仕方がないので口を噤むことにした。雄弁の銀より沈黙の金の方がお得だからね。
すると突然、化け物二人の態度や雰囲気が変化した。まるで雑誌広告のビフォーアフターみたいに。これはきっと、侮りと蔑みだろうな。口元に浮かべたのは控え目ながら、冷笑以上嘲笑未満に違いない。
空気を読めなきゃ生きられない平成サバイバルを生きていた現代人を舐めるなよ。ふん、幾らでも大風でいるがいいさ。こちとら天下御免の子供将軍、古今無双のチキン野郎なのだからな、こん畜生め!
「余を……見下げ果てた不甲斐なき輩だと思ったろう?」
いえ然様な、などと儀礼的に否定する宗哲と崇孚。嘘つけ、この野郎。俺でさえ不甲斐ないと思うのだ、二人が思わぬ筈ないだろうが。この時代に来てから益々顔色を読む技能が向上した、ビビりの慧眼を舐めるなよ。
「然らば、もう少し判りやすく述べるとしよう。それを聞いてもその方らが余を侮るならば致し方なし。下らぬ輩を将軍に戴いたと諦めるのだな。
さて、余の真意であるが……余は定めし、きっと殺されるからである」
また全員がポカンとした表情となる。その有様が面白過ぎたので再び口を閉ざしていたら、最初に立ち直った禅師に問いかけられた。
「……何者が大樹公を弑逆致すと申されまするのか?」
「それは決まっておりましょう。細川京兆家の者、もしくは細川京兆家に与する者でございますよ」
“まさか”と宗哲がいえば“然様なことは”と崇孚が口走るが、禅師と伊勢は眉根を寄せて黙り込んでしまった。流石は田舎者とは異なる耳聡い都人でおわす。俺の言い分が虚言でないと理解してくれたようだ。
「普広院殿様(=足利義教)も嘉吉元年の夏のあの日、“まさか”“然様な”と思われたであろうな」
化け物二人が、実に人間らしい表情でアッという。
「将軍家とは不死身でもなければ安泰でもなし。易々と家臣に殺されるものである。遡れば余の遠祖たる鎌倉府御初代様の御父君、勝定寿院様(=源義朝)も家臣の手で命儚く御生涯を遂げられたのは、その方らも昔語りとして存じておろう。
手を下したは先の北条執権家であったのだから知らぬとはいわせぬぞ。
武門の長とは余人よりも安寧とは無縁、天険の頂に起居するが如し」
黙り込んだ化け物二人と敢えて口を閉ざしているらしい禅師と伊勢を等分に見ながら、俺は言葉を連ねた。
「古より武家とは“名こそ惜しめ、命を惜しむな”と申すなり。
なるほど、名を惜しむは以ての外の行い。況してや穢すなど決して許されぬ。
然れど余は思うのだ。
命を惜しむことは名を惜しむことになるのではなかろうかと。
父祖等寺院殿様(=足利尊氏)は摂津国にて新田に敗れ、西国へ浪々と落ち延びられたが、もしも等持院殿様が命を惜しまぬ御方であれば、葉武者の如く命を散らしていたに相違ない。
然れば余はここにおらぬ。今川もなく、伊勢もなければ、北条もなかったであろう。
父祖が名よりも命を惜しんだからこそ捲土重来し、我らはここで益体もないことを申しながら茶を干しておられるのだ。何と有り難いことか。
そうは思わぬか?
改めて申すが、余は死にとうない。軽々しく命を無為に散らすなど真っ平御免だ。
なればこそ北条に音信を発したのである」
「僭越ながらお尋ね申す。今川ではいけませぬので?」
「いかぬな」
「如何なる所以にござりましょうや?」
「危ういからだ」
「今川が……危ういと?」
声だけを聞いていれば平静だが、纏う雰囲気が激しドス黒くなる崇孚。鋭い眼光と全身から吐き出される圧迫感が牙を剥いた猛獣みたいで、苦しくなる。流石は現役の戦人。怒らせたらヤバイね、やっぱ。
だけど、そこは慣れたもの。即座に噛み殺されることのない安心感があるからね。気分としては動物園の観客だ。どれだけ威嚇されようと相手は所詮、檻の中。室内にはボディガードも控えているし。
だから安心して喧嘩を吹っかけてやったのだ。去年の新年参賀で圧力めいた挨拶をしてくれたことへの意趣返しである。いっとくけど俺は結構根に持つタイプだ。自慢じゃないが、小学生の時の仇名は五寸釘だった。
……ホント、自慢じゃないな。
などとイチビってみたものの、ビビることはビビるよね。しかし俺とて男の端くれ。男は度胸、っていうじゃないか。未来知識を織り交ぜながら、陰険かましてやろうじゃないの。
「うむ。今川は三河国を下したも同然だが、あくまでも同然でしかない。謂わば名を獲っただけで、実までは伴っておらぬであろう。吉良がおる。松平も戸田も奥平もおる。泥水を啜ろうともしぶとく生き残ろうとする国人共を組み敷くは、難事なり。
ところで、その方は今年で幾つになる?」
思わぬ問いかけだったのか崇孚は一瞬口篭り、訝しげに五十二だと答えた。
「身を労わっておるか、崇孚よ。もし労わっておらぬのならば、治部大輔が三河国を掌握する前に浄土へと召されてしまうぞ。
さてさて。
余はこれより世迷い事の類を申す。聞き流してくれても一向に構わぬが、まぁ聞くだけは聞いておけ。
治部大輔はじっくりと腰を据えて三河国を治めるであろう。仔細は織田弾正忠(=信秀)の死を待つためにだ。戦上手の尾張の虎が健在である限り、西へは進めぬからな。だが虎さえ死すれば、尾張国など易々と侵略出来よう。
だが、それが治部大輔の命取りとなる」
「命取り……とは」
「下したばかりの三河国の兵を先手としての大軍。駿府の者共は物見遊山気分での出征となるに相違なし。然れど規律の緩んだ大軍ほど危うきものはない。尾張国の者共がもし、乾坤一擲の勝負を挑んで来たら何とする?
幾ら万を越す大軍とはいえ進軍途上は長々としたもの。伸びきった大軍など、小勢の兵でも易々と本陣を蹴散らせよう。
今川の家とは即ち、治部大輔と崇孚であると仄聞致しておる。だが、十年も経てば今川の宰相たる崇孚はおらぬ。そして当主たる治部大輔もまた勝ち戦で命を落とす。今川の今川たるものが消えうせたとなれば命脈は長くあるまい」
「然様なことは起こりえませぬ!」
はっはっはー! それが後十年ちょっとで起こってしまうのだよ、残念でした!
西暦1560年の桶狭間の戦いで義元が討ち取られるのは、小学生でも知っている常識だぜ。更に未来知識をかましてやろう、覚悟しろ!
「怒るな崇孚、世迷い事だと申したであろうが。
だが、その方と治部大輔の他に今川を率いるに相応しき者はおるのか?
余が今川よりも北条を頼みとしようと思い立ったのは、他にも仔細がある。
隣国……武田大膳大夫(=晴信)との誼が太いからだ」
「ほう?」
「大膳大夫は信濃国の計略を進めていると聞く。在地の国人らが頑強に抗っておるように聞くが、いずれは全てを併呑するであろう。さて崇孚に問うが、信濃国を手に入れた大膳大夫は、それで満足するであろうか?」
「満足するなどとは到底……無理でござりましょう」
義元を討ち取ったのは織田信長だが、今川氏を滅亡の淵に追いやったのは武田晴信こと信玄だってのもまた、未来の常識だ。息子の氏真は浪々の身となり徳川家康に保護される。その後、高家旗本として今川家は江戸時代を生き延びるが、明治時代に完全没落。
大身の旗本が生きるには厳しい時代の到来するや当主は跡継ぎを残さずに死亡。これにて本家筋は断絶した、ってのも知る人ぞ知る事実だったり。
「余もそう思う。無人斎も同然で、常に何かを欲しておった。己の欲を我慢出来ぬ性質であった。もしやするとそれは、耕田が侭ならぬ甲斐国に育ったがゆえやもしれぬ。
無人斎は、風水害に悩まされ大いに苦労したと申しておった。侭ならぬが故に近隣から奪い取るしかなかったとな。確かに奪い続けるしかなかったのであろう。
何とも哀れなことよ。
他から奪い取ることで満たそうと思っておったのに、嫡子の不孝で全てを失ったのであるからな。過ぎたるは及ばざるが如し。無人斎には真理であったな。今や甲斐国は不孝者、大膳大夫の国と相成った。
然れど大膳大夫が太守になったとて、甲斐国が侭ならぬのには何ら変わりなし。
洛中であれば、駿府であれば、小田原であれば、いとも容易く手に入る塩ですら甲斐国では侭ならぬのだからな」
「……然様でござりまするな」
「その方も重々判っておるのであろう、大膳大夫との付き合いも大いなる難事であることを?」
深く溜息をつき俯いてしまった崇孚。思い当たることがあるのか、宗哲は何度も頷いている。
「塩なくば人は生きられぬ。塩なくば武家は戦が出来ぬ。山多き地に在す大膳大夫はさぞや塩が欲しかろうな。塩の採れる海が、さぞや欲しかろうな。
塩のみならず、交易の場である津(=港湾)も手に入れたかろうな。越後国には新潟津など良き港があるそうな。羨ましきことよな。
……おおそういえば、今川の領地も良き港に恵まれておったな。信濃国を平定した後、大膳大夫は北の海と南の海、果たしてどちらに進むであろうか?
……北であろうな。
南の海を抱える富裕者、治部大輔とは紐帯があるからな。豊かな北の海を支配する長尾がどれだけ強敵であろうと、大膳大夫は南へ兵を向けることはなかろう。治部大輔が健在である限りは、な」
「……然様にござる」
「故に余は今川よりも、北条を頼みとしたのだ」
気づけば、崇孚は背中を丸めていた。フランケンシュタインの怪物もこうなればホムンクルスだなぁ。横ではヘルシング教授を退けたドラキュラ伯爵みたいな顔で、宗哲が微笑んでいた。
「安心せよ崇孚。今川が駿河国を失うよりも随分前に、その方も余も冥途の旅路についておる。悲しまれたとて、悲しむことはあるまいよ」
「然様な申しようで安心出来る者がございましょうや?」
「安心出来ぬか、伊勢守?」
「主君が殺されて安心出来る臣下がおりましょうや?」
「少なくとも万人に恐れられておった普広院殿様が御首級を挙げられた時、多くの者が喜び安心したそうだが」
「大樹は“悪将軍”へと御成り遊ばすので?」
「そうさな……少なくとも六郎(=細川晴元)や茨木伊賀守などは、そう思うておるのではないか?
北条も、関東管領と古河公方が東国の為にならぬと思うたから叛旗を翻し、討ち払ったのであろう。本人らが己のことを如何に思うておったかは知らぬが、周りの者らは迷惑しておったに相違ない。
であるからこそ、上野国の長野も袂を分かつ断を下したのであろう。上杉兵部少輔(=憲政)が真に必要とされる関東管領であったれば、北条は叛意を抱かず忠義を尽くしたのではあるまいか?」
「然様にござりまする」
宗哲が深々と頭を垂れると、平静を取り戻したのか崇孚が上目遣いでこちらを見遣る。
「大樹公は細川殿に必要とされておられませぬので?」
「違うな、崇孚。六郎めが余を必要としておらぬが如く、余も六郎を必要としておらぬからだ」
「ほう?」
「二代宝筐院殿様(=足利義詮)は御嫡子の行く末を案じられ細川武蔵守を管領に任ぜられたという。以来、細川は将軍家を守る第一の藩屏となった。だが二百年と経つ内に、藩屏は修復出来ぬほどに毀れてしもうた。
細川京兆家、六郎に将軍を守る意欲なく、天下を統べる政にも飽いたようだ。六郎と同じく二郎(=氏綱)もまた、権勢欲しか持っておらぬようだ。彼奴らが要するのは、思うが侭に出来る傀儡同然の将軍家だけであろう。
管領なる顕職を護持するに必要とするは将軍家であって、将軍ではない。今の細川京兆家は、古の北条執権家に相似たり。将軍など気に食わなければ幾らでも挿げ替えるであろう。
細川京兆家の振る舞いが天下の為になるならば、余は迎合しよう。幾らでも挿げ替えられてやろう。讃岐なり隠岐なり流されてやろう。……鬼界島だけは勘弁して欲しいがな。
だが、余は傀儡になどなりとうはない。余は人である。面白ければ笑い、悩めば夜も眠れぬ。腹が減れば食い、喉が渇けば茶を喫する。いちいち誰かに操られるがまま生きとうはない。況してや六郎如き性根の腐った者の傀儡など、御免蒙る。
崇孚よ、余は洛中で安心して暮らしたいのだ。洛中から争いが去り、都人が日々を謳歌出来れば、余は安心して暮らせるのだ。
都人のみならず、畿内に住する者共が穏やかでいられれば、余は安心して洛中におられる。
然れど細川の奴腹は畿内で争い、洛中に災厄ばかりを持ち込みよる。故に余は六郎を遠ざけておるのだ。六郎もまたそれが判っておるから余に近づいて来ようとはせぬ。
尤も、彼奴は二郎との戦の真っ最中であるから余に関わる暇がないようだがな。もしも六郎が負け二郎が勝たば、余の為す事に彼奴も掣肘をかけようとするに相違ない。……全く以って度し難い仕儀よな」
俺が溜息をつくと、禅師と伊勢が同意するように吐息を漏らす。ふと見上げれば、崇孚が優しげな目をしていた。
「治部大輔に伝えよ。頼りなき将軍職などいつでも禅譲してやるとな。その気があらば早う上洛せよと。いつまでも大膳大夫の顔色を窺っておっては、余の命運が尽きてしまうでな」
……あれ、崇孚をコテンパンにしていた筈なのに、自虐的自爆をしてないか? 何だか涙が溢れてきそうだぞ。
「御安心めされい!」
唐突に、真後ろで襖がスパンと開く音がした。すわ何事と振り返れば、そこには狼の如き犬歯を剥き出しにして呵呵と笑う坊主が坐しているじゃねぇか。
「この宗滴、一命を賭して大樹公のお暮らしをお守り致しましょうほどに!!」
……まだいたの、宗滴?
「如何ほどの助けになるや判り申さぬが、愚禿も尚一層合力致しましょう。師を支えるは弟子の務めにございますれば」
「某は大樹の臣なれば終生奉公致す所存にて」
「御厚情に報いるは武家として当然のことにて候。大樹公に於かれましては如何様にも北条を頼みとして下さりませ」
禅師が合掌すれば、伊勢と宗哲がゆっくりとした所作で平伏した。
「……某も同じく……と申したきところではござりまするが、大樹公の抱かれた御懸念を払拭するが先でござりまするな」
頭を掻きながら肩を竦める崇孚に合わせて、俺も苦笑いする。三分の一くらいは照れ笑いだったりするけどね。
「余が今川に求めるは、その方と治部大輔が命を粗略にせぬことよ。それと後継を正しく育てることよな。今川は身内が少ないが故に気がかりである。国人の子弟であろうと厭わず取り込むが大々吉であろうな。
それが難しいと思うならば、早々に放逐するが良かろう。放逐の際には余に一報せよ。松平と井伊ならば喜んで余は迎え容れようほどに」
「……松平と井伊にござりまするか?」
「然様。以前に夢の中にて夢窓国師が御教え下されたのよ。松平の宗家には麒麟児がおり、井伊には天下に名を馳せる豪傑が生まれるとな。しかもその麒麟児共は天下を統べる英傑になるとな」
「松平宗家……岡崎三郎(=松平広忠)の子が天下を統べる英傑に?」
「うむ。……世迷い事と聞き流しても良いぞ。然れど三河国の国人共を侮るなよ。彼奴らの心服を得られれば、甲斐国の強兵共に伍することが出来よう」
「三河国の兵はそれほどまでに強いと?」
「伊勢兵庫頭も余の近習だった者達も然様、申しておった。その他の者らも同じことを書状に記しておった。
ああ、そうであった。北条には礼を申さずばならぬな。風魔を名乗る忍び共には大いに世話になった。頭を下げるほどに有難がっていたと伝えてくれぬか」
これこの通り、と頭を下げたら宗哲は声を引き攣らせた。後ほど御礼として刀の一振りでも下げ渡そう、といったら“恐れ多いことにて!”と悲鳴っぽいのを上げる。
「遠慮するな。余も甲賀や伊賀の者に日々助けられておる。余の知りたいことを調べ、行いたいことを助けてくれるあの者らがおらねば、余は何も出来ぬ阿呆であったろうな。
……北条も風魔の者共を大切にせよ。でなければ、歩き巫女を従える大膳大夫や夜盗組を抱える長尾に食われてしまうぞ。乱破ともいい素破ともいい軒猿ともいう草の者らを正しく遇するのが、御家の命脈を長くする秘訣なり。
戦に勝つも負けるも物見の力量と使役する者の度量次第、余はそう思うておる」
「大樹公は戦の肝要を既に学ばれておいででありますのか」
「“知彼知己、百戰不殆。不知彼而知己、一勝一負。不知彼不知己、毎戰必殆”。
孫子が然様に書き記したは二千年も前のことであるとか。いまだに孫子が伝わるはそれが揺るぎなき道理であるからであろう。違うか、宗滴?」
「相違ござらぬ」
伊勢と崇孚と宗哲は前触れもなく現れ遠慮なく座に加わった朝倉氏の宿老に唖然としていたが、今は何事もなかったような顔をしている。顔色一つ変えず自然体であったのは禅師だけだった。
「ところで大樹公。中庭にて御身の近習らが何やら不思議な鍛錬をしておりましたが、あれも何かの兵法書に記されておったものでありましょうや?
寡聞にして知らぬ、実に珍奇であったのでつい足を止め見入ってしまいましたぞ」
……それで居残っていたのかよ。
「まぁ然様なものだ」
違うけどね。そんな兵法書があるなら見てみたいよ、マジで。
「それは大いに気になりまするな。お許しあらば何卒拝見させて戴きたいものでござりまするが」
「某も是非」
宗哲と崇孚は興味津々のようだ。嫌だ、見せたくない、などと突っ撥ねるのも大人気ないので、座の中では唯一の子供だけどな、俺は禅師と伊勢も引き連れて話題の現場へ移動することに。
主殿の隅で控えていた側近達を手招きして用事を申しつける。与一郎には全員が観覧出来るよう準備を、七郎には茶を、彦部又四郎には七郎の手伝いをだ。
待つこと暫し。用意出来たとの報告を受け、三淵弥四郎藤之を先導にして廊下を歩く。本日の身辺警護担当は、木村半兵衛定重と速水兵右衛門實政の二人だ。与一郎も含めた計九名でゾロゾロと。
世子だった時はもう少し身軽だったが将軍様ともなればそうもいかない。時代劇の徳川吉宗は一人で城下をブラブラしていたのになぁ。ドラマの将軍様ってさ、酒飲んで大暴れして部下に成敗を命ずるだけの気楽なお仕事だったのに!
虚構だったら都合よく省略されている体裁やら規律やらも、現実ではそうは問屋が卸さない。例え張りぼてだとしても、将軍様には省略など許されないのである。本当に面倒臭いよなぁ、全くもう!
などと愚痴ってはいたけれど、後ろで交わされる会話には確りと聞き耳を立てていたりして。
「宗哲殿。大樹の夢見は戯言に非ず。真の真なるものなり。疑い退けるは後悔の基と思し召されよ。この伊勢守も、大樹の夢見に幾度も助けられておるでな」
「愚禿も同じよ。大樹の余迷い事は神意、天意と受け止められよ。然もなくば崇孚も、今川様も、上杉様と同じく儚きこととなりもうそう。大樹は若子様の頃より尋常の童に非ず。実に得難き御仁なり」
……そんなに褒められると照れちゃうなぁ……って、褒めてるよね、伊勢、禅師?
進士美作守晴舎と大館十郎藤光が出迎えてくれた会所の縁側近くに腰を下ろすと、中庭で整列していた近習達や他の者たちが一斉に片膝をついて頭を下げた。
「大儀である。皆、面を上げよ」
ざっと見渡せば下は八歳から上は十六歳までの近習達が欠けることなく十八人、ズラリと勢揃いしている。跪礼をしているのは近習のみならず供侍から御番衆へと配置換えとなった大人達もだ。
今日の担当は脇坂外介安明と中村孫作一政か。他にもいるが……あれ、何で森三左衛門と前田左近将監がここにいるのだろう? 傍らの進士に小声で問えば回答は納得するしかないものだった。
「東山では体が鈍るそうで。是非ともこちらにて鍛錬させて欲しいとのことにて」
あ、そう。まぁいいや。
慈照寺に絶賛引き篭もり中の超文系武家、土岐頼芸に仕えるのは熱血系武闘派の三左衛門にはさぞや苦痛なのだろう。こちらに馴染んで移籍を希望してくれたらラッキーだからね。左近将監は息子を心配して参観しに来たのかな。
進士ら側近には、慈照寺で寝起きする者達には出来るだけの配慮と便宜を図ってやれと命じていた。嫌な顔せず俺の意を汲んでくれたのは嬉しいことだ。後で堺の助四郎から将軍就任祝いに届けられた酒壷を一つ二つ下げ渡してやるとするか。
それはそれとして。俺は与一郎に片手で合図を送りながら禅師達へと振り返った。
「何れの書に記されていたかは忘れてしもうたが、天竺の武士共は遥か古の頃より遊戯のような競い合いをするのだそうな。
試合は八人で組を作り、五間半(=約10m)四方の陣地を舞台にして交互に攻め合うものなり。陣地の区切りは地に這わせた縄を見れば瞭然であろう。攻め手も守り手も縄の境界から一歩たりとて脱すること罷りならぬ。
脱するは卑怯の振る舞いと看做すが決まりなり。
攻め手の一人が敵陣へ討ち入り、敵兵の体に触れて自陣へ例え片足なりとても戻りなば、攻め手は触れた敵兵の数だけの首級を挙げたものと看做す。
守り手は、味方の兵に触れて敵陣へ戻ろうとする敵兵を自陣にて捕らえられれば、敵兵一人の首級を挙げたと看做す。
交互に攻め合うこと三回、より多くの首級挙げた組が勝ちとなる」
ざっくりとルールを説明した俺は、与一郎から渡された筆を懐紙に走らせ、書き上げた物を高々と掲げて見せた。
「これが“迦婆提”なる競い合いの大筋なり」
口で説明するよりやって見せた方が判り易いだろうと、俺は十郎へと目配せをする。
「然れば今一度。大樹がその方らの勤勉のほどを御上覧あそばされる。また此度は御客人方々も御観覧なされる。日々の鍛錬のほどを十全に披露あるべし。
くれぐれも見苦しき振る舞いはせぬよう。鍛錬での大怪我は、するもさせるも共に慮外の仕儀であることを忘れるな。では、始めよ」
元気な返事が中庭に響き渡るや、少年達は速やかに二組に分かれて試合を始めた。先攻は右陣から。敵陣へと討ち入るのは最年少のひとり、山岡八郎だ。
「推参なり、推参なり、推参なり、推参なり……」
呪文のように同じ言葉を繰り返しながら敵陣に進入し敵の隙を窺う八郎の姿に、一斉に首を傾げる観衆達。
「あれは討ち入りの作法でござるよ。討ち入りし者は一息の間“推参なり”と言い続けねば攻められぬ決まりのようにて。息が切れなば立ち止まり、攻めるを止めねばならぬようにて。いや、中々に面白き作法にござるよ」
トクトクと説明するのは何故か宗滴だった。
「敵の動きを計り、己の動きで敵を謀る。常に声を出し続けるは苦しきことなれど、合戦とは常に苦しきもの。声を出しながら動き続けるは良き鍛錬にござる。
身が小さき者は身軽であれば、攻めるも防ぐも逃げるも自在なり。身の大きい者は攻められ易くとも攻めるも易く、逃げる者を捕らえるもまた易し。
誰しもが得手も不得手もあるが故に、各々が智恵を廻らせねば味方の勝ちに寄与出来もうさず。勝手働きは智恵なき行いとなりもうす。
いやはや天竺は誠に面白き競い合いを考案したものと、某感心致しました。これぞ合戦の要諦なり」
大物忍者の子である八郎はよほど鍛えているのか縦横に動き回り、あっという間に敵陣中央付近で三人に触れるや身を翻す。その動きに目を細める宗滴の姿は、歴戦の名将でもあり単なる野次馬でもあり、孫の駆けっこに脂下がる好々爺のようでもあった。
ってゆーか、さ。どれだけの間、覗き見していたのだ、宗滴?
気づけば禅師も伊勢も崇孚も宗哲も、宗滴と同じような表情で観戦しているし。
やれやれ爺さん世代って、元気よく走り回る子供達が好きだねぇ、本当に。
ワーワーと賑やかな中庭に視線を戻しながら、俺はそっと肩を竦めたのであった。めでたしめでたし。
二日後。
今川氏と北条氏の使節団を引見し、昨年末に挙行して以来の将軍就任に関するアレコレは無事にお開きと相成った。
ああ、やれやれ草臥れた、これで一息いれられるぜ……と思っていたのだけど、ねぇ?
「左衛門佐ッ! 何をしておるッ! それしきで息を切らすとは何事ぞッ!」
宗哲に名指しで怒鳴られた青年、松田左衛門佐は額から滴る大粒の汗を拭いつつ“推参なり”と呟きながら再び動き出そうとするも、足取りは緩慢だった。
「三郎右衛門、ボーっと突っ立つなど木偶でも出来ようぞ、さっさと逃げぬかッ!
左馬助、その方も呆けておらず右へ左へと素早く動くべしッ!」
崇孚に雷を落とされた久野三郎右衛門と三浦左馬助も、荒い息を吐きっ放しで今にも倒れそうな按配だ。余程草臥れているのだろうな。
そりゃそうだろう。休みも与えられず水を飲むことすら許されず、ズーッと動き回っているのだから。
引見の後、余興として近習達にまたもや“迦婆提”を行わせたところ、北条氏と今川氏のどちらの誰かは知らないが“これなら某でも出来そうな”と言い出したのである。すると別の誰かが“負ける訳がござらぬ”と言いやがったのだ。
いつの時代でも、戦いの切っ掛けなど実に詰まらないものだ。いった、いわない、やった、やっていない、そんな下らないことで諍いへと簡単にヒートアップするのである。
今日もそんな感じであった。
違ったのは刀も槍も弓も使われなかったことと、血が流れなかったことだけだ。その代わり、戦場に立ち尽くす者達は誰しもが汗みずくで泥だらけってことで。
暢気で平和な合戦の火蓋が切られてからどのくらい経ったのかな?
見上げれば太陽の位置が随分と傾いているよなぁ。始まったのは昼過ぎだったっけ。夕方まではまだ時間がありそうだけど、小腹が空いたなぁ。
直ぐに終わると思ったのだけどなぁ。
「死するを恐れるは、浅ましき仕儀なりッ!」
「望んで死ぬが、武士の本懐ぞッ!」
先に勝ったのはどっちだったっけ……もうどっちでもいいか。勝った方が“良き戦いにござった”という度に負けた方が“いやいやこれで御仕舞いにするは勿体のうござる”と泣きの再戦を申し込むのだから、さ。
ねぇ、御願いだから……もう帰ってくれないか?
「良き戦いにござったッ!」
「いやいやこれで御仕舞いにするは勿体のうござるッ!」
「然ればッ!」
「然ればッ!」
“然ればッ!”じゃねぇよ、いい加減にしろッ!
書籍化された作品はホント、面白いですね。続きが気になり、「なろう」「カクヨム」「アルファポリス」を巡回する毎日です。書籍化されておらずとも、驚愕の面白さを提供して下さる作品もまた多し。私も精進せねば。
因みにカバディについては、ユーチューブで「日本カバディ協会 公式PV」を御覧あれかし。
中々に面白い競技ですよ♪




