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『 レイク・ザ・大パニック 』(天文十五年、秋)

 タイトルの元ネタは『レイズ・ザ・タイタニック』ですが、内容とシンクロしていないと思いますので悪しからず(平身低頭)。

 誤字誤表記を訂正し、一部加筆致しました。(2019.09.01)

 定頼と最初に言葉を交わしたのは、三年も前のこと。

 俺の記憶が確かならばファースト・コンタクトは上々吉だった、と思う。それ以降の音信の遣り取りも終始和やかなのだから、恐らく間違いないだろう。

 正月参賀にやって来る進藤やレンタル移籍中の山岡一党に適宜情報開示をすることで、間接的にもメッセージを送っていた。水魚の交わり……は言い過ぎだけど、ツーカーの仲ならば言い切っても過言ではないはず。

 然れど、である。

 俺が一声かければ六角氏の軍勢が立ち上がるのか、と聞かれたら“それは無理だ”と答えるしかない。俺が友誼を結んだのは定頼なる一人の武将であって、六角氏という戦国大名家ではないからだ。

 六角氏当主とは友好的となった理由は俺が将軍家世子だからだが、六角氏全体とは友好的かどうか定かではない理由もまた、俺が将軍家世子だからである。

 さてそれならば。

 今、目の前に座している男は武将の定頼であろうか、それとも戦国大名の定頼であろうか、正解はどっちだ?


「浅井左兵衛尉が身罷りまして候」


 ありゃあ、声色は完全に戦国大名だ……って、えっ!?

「身罷ったって、え、浅井の、え、誰が!?」

「浅井当主、左兵衛尉久政にて候」

「うそん、マジ!?」

 取るも取り敢えず上下左右に首を巡らしてから背後を見遣れば、三淵も与一郎も弥四郎も、桑実寺から駆けつけて来た摂津摂津守も松田丹後守も飯尾大和守も揃いも揃って、首を傾げていた。

 何のことだ、といった感じで頭上には見えないはずの疑問符をフワフワとさせている様子。

 翻って対面する定頼の方はといえば、実弟である大原中務大輔も親族衆の佐々木近江守も、重臣である進藤山城守と永原越前守と三雲対馬守も皆が皆、眉根に皺を刻んで難しい顔をしている。

 恐らく俺は側近たちよりも、六角氏の者たちよりの表情をしているに違いない。強張った頬が痛いのだもの。

 現在地は西教寺の本堂。

 上下の差をつけぬために御本尊の前にて対峙する俺たちと定頼たち。我関せずと涼しい顔をしているのは、両グループの狭間で淡々と座す武野一閑斎師と、廊下で控える西教寺に勤めているっぽい大柄な若い僧侶だけだった。

「失礼千万とは重々承知のことではござるが、些か確かめたきことありて押しかけて参りもうした」

 ギョロリと睨む定頼の大きな目に、俺の膀胱は大ピンチだ。

「お尋ね申し上げる。世子様は浅井左衛門尉が無念のこと、御存知ありませなんだか?」

「しょみみ!」

「は?」

「いや、その、えっと、初耳である!」

 知らねぇよそんなこと、吃驚だよ、仰天だよ、何だよそれ、そんな事実も史実も聞いたことねぇーよっ!

「……誠に左様でございまするか?」

「誠に左様だよ、何かで怪我したっていうのは小耳に挿んだけれど、死んだなんて初耳も初耳だよ、一体全体何がどうなっているのだっ!?」

 泡食って唾飛ばす俺の狼狽え具合に、定頼は目を閉じて深く息を吐く。

「どうやら誠に御存知なきようにて」

「だからそういってるじゃねぇーか……左様に申しておるではないか、余は全く存ぜぬことであると。どういうことであるか、詳らかにしてくれぬか?」

「は、然ればでござる……」

 定頼が僅かに体を下げて“対馬”と呟けば、銀髪を整えた小奇麗な男がツツと膝頭を進めて平伏する。

「誠に僭越ながら言上仕りまする」

 大きくはないがはっきりとした語尾で訥々と語る三雲の微に入り細を穿つ説明を文章化すれば、次の通りだ。


 北近江のしがない国人領主であった浅井氏を一躍、戦国大名予備軍へと発展させたのは名将の誉れ高き亮政という男が一代で為しえたことである。

 彼には優秀な嫡男の新四郎政弘がおり、一族の繁栄は確約されたも同然だったのだが好事魔多し、政弘が早世してしまう。しかも跡取りを残さぬままに。

 長男は死んだがこの時点で亮政にはまだ男子が、新九郎祐政、新八郎高政、新三郎秀政、牛夜叉と四人もいた。元服前の末っ子さておき、上から十六歳、十四歳、十三歳である。

 通常であれば次男坊の祐政が新たな跡継ぎとなるのだろうが、祐政は生来の軟弱者と見做されていたようだ。それでは戦乱の世で御家を保つのは厳しい。亮政はそう考えたようだ。

 そんな亮政の目に、田屋明政なる人物は大変魅力的に映ったようである。政弘と同じく正室を母として生まれた鶴千代姫の夫である二十歳の明政は、浅井氏の庶流ながら北近江の土豪として頭角を現す田屋氏の当主でもあった。

 熟考の末か血迷った果てか、亮政は明政を養子として迎え入れることに決する。こうして浅井氏の跡継ぎ候補は、かなり心許ない側室腹の息子と頼りがいのある婿のマッチレースと相成ったのだ。

 亮政の意向は明政である。だが家臣たちは違った。身内とはいえ傍流の余所者よりも、妾腹とて亮政の血を引く祐政を推す声が多数派となったのである。

 恐らく家臣たちの本音は、扱い辛そうな明政よりも意のままに傀儡となってくれそうな祐政の方が何かと都合良い、であったに違いない。家臣たちの総意の前に亮政は意思を貫くことが出来ず、己の後継者に祐政を指名し、明政は養子契約を解かれて元の田屋姓へと復帰する。

 そして四年前の正月早々、亮政は死んだ。享年五十二歳。浅井氏の勃興期は終わり、新当主の誕生と共に新たな時代を迎えることとなった。しかし新たな時代は、安定期とはほど遠い混迷と停滞の日々だったりするのだな、これが。

 先ずは名を祐政から改め家中の一新をも図った久政だが、新当主の新政を喜ばぬ家臣たちのサボタージュに悩まされた。亮政の頃に発せられた徳政令を無効だと商家が言い立てれば、困窮する村落は再度の徳政令を懇請する。

 敦賀と琵琶湖北岸の大市たる海津を結ぶ七里半街道を往来する輸送業者、所謂“馬借(ばしゃく)”たちが賃上げ要求のストライキを起こそうとし、領内の村々の間では水争いが頻発した。

 誰も彼もが“頼りなき跡取り”を舐めきっていたのだ。

 幸いにして行政官としての資質に恵まれていた久政は、実に丁寧な対応で問題を一つ一つ解決する。トラブルを大事にせず解消していく久政の手腕に、家臣たちも領民たちも少しずつ認識を改めはじめるが、全員が全員ではなかった。

 絶賛逼塞中の近江北半国守護の京極氏が隙ありと見て蠢動を開始したのである。しかも、明政を焚きつけ反久政の狼煙を上げさせたのだ。

 軍事指揮官としての能力は中の下程度である久政は大いに頭を抱えた。などと、まるで見てきたように語る三雲だが、恐らくは事実なのだろう。三雲の手の者か篭絡された協力者が久政の近辺にいたに違いない。

 無表情で淡々と語り続ける三雲の姿って、何だかベテランの報道記者のようだなぁ。事実は事実であってそれ以上でもそれ以下でもないのだ、という当たり前のことを教えられている気分になる。

 以上の長々とした説明は、実は前振りだったりする。単なるプロローグでしかないのだ。

 ふと背後を振り返れば、浅井氏の事情など今まで知りもしなかった幕府の官僚たちが感心頻りといった表情をしている。恐らくは聞くことの全てが新鮮に感じるからだろう。洛外の国人の事情など文字情報では知っていても、実話として聞かされるのは初体験だったからに違いない。

 まぁ俺も、長政が大名になってからのことは幾多のドラマや小説で知ってはいるが、長政爆誕以前の浅井氏のことなど初めて知ったよ。三雲、教えてくれて有難う。今の俺には大して関係ない情報だけどな。

 ……などと思ったけれど、本題となる説明を聞いてその思いが間違いだってことが判った。起承を知らなければ、転も結も理解出来ないのだよな。


「浅井左衛門尉が手傷を負うたは凡そ一月前のことにて候。刃傷の場は井口越前領と三田村平右衛門尉領との境であった由」


 井口越前とは、望外の出来事で浅井氏五代目となった久政の妻の父。つまり岳父にして最大の後ろ盾である。井口氏は、亮政が大きくするまでの浅井氏とはほぼ同格の家柄。琵琶湖へ注ぐ姉川の支流、高時川の水利管理者として力を有していた。

 一方、三田村氏とは超ドマイナーながらも井口氏と伍するほどの実力者。そんな浅井氏勢力圏内の二大勢力が隣り合わせなのだ、お手手繋いで仲良く共存共栄出来るはずがない。水争いで度々衝突する間柄なのだとか。

 今年も今年とて、夏の盛りに水争いが勃発し双方に死傷者が出たそうな。これは捨て置けぬと久政が調停に乗り出し収めようとしたのだが、久政の調停に三田村氏側は不服を申し立てる。

 話し合いは拗れに拗れたものの、久政は内政能力を十全に発揮してどうにか手打ちと相成った。双方異議を呑み込むべしと領地の境で酒宴が開かれ、全てが無事に解決となる運びだったのだが……。

「強かに酔うた双方の家臣共が口争いを始めましたそうにて」

 そんでヒートアップして斬り合いとなり、久政が巻き込まれたのか。

「三田村平右衛門尉が家臣には京極氏と誼を通じた者がおったようにて候」

 仲直りパーティーは一転して惨劇の場となり双方共に多くの死者を出した。井口越前も三田村平右衛門尉も即死だったそうだ。……何だかマイク片手に“現場からは以上です”って感じだな。どれだけ潜入スパイをばら撒いているのだろうか、三雲は?

 重傷を負ったものの即死を免れた久政だったが、治療養生の甲斐なく死亡。享年二十歳。実に短い一生であった、合掌。……あれ、長政は? もしかしてこの世に誕生せずに人生終了宣言なのか!?

「幸いと申すべきかどうかは判りかねまするが、浅井左衛門尉には跡継ぎがおり申す。未だ二歳の幼子にございまするが」

 定頼のいうことには、久政の正室と嫡子は観音寺城内で庇護しているのだそうな。なるほど、浅井氏の首根っこを掴むための人質か。まぁ無事なら何よりだ。

 一方無事で何よりではないのが小谷城である。“浅井三将”と称される重臣筆頭の赤尾と海北と雨森が家中の動揺を抑えようと奮闘中らしいが、捗々(はかばか)しくはないとのこと。

 例えば、久政の側近だった遠藤何某(なにがし)と他数名が追い腹を切っているそうだが、どうやら周囲が無理矢理にさせた詰め腹であったとか。

 家中の大勢としては久政の遺児を支えて頑張ろう!って感じである。しかし、阿閉氏や百々(どど)氏などは元上司の京極氏経由で明政に秋波を送り、次期当主に据えようと画策中らしい。

 文武に優れた才を示す磯野氏は領地に引き篭もって旗幟は不鮮明にしており、同調する者も幾人かいるとか何とか。

 悲惨な事件を引き起こした当事者である井口氏と三田村氏も、内情はどうあれ表面的には領内で逼塞中だそうな。家中のゴタゴタは暫く収まりそうにない模様であると。

「左様な訳にて、浅井左衛門尉御無念の責を問うのも、闘諍の切っ掛けを作りし三田村氏を成敗するや否やなども、今の小谷城の有様では断を下すも侭ならずにてござりませる」

 そう言い捨てた三雲は、口を閉ざすや六角氏重臣たちの最後尾へと下がる。

 説明を聞き終えての感想だけど……誰も哀悼の意を表明していないとは本当に人気なかったのだな、久政って。治世が後二十年ほど続いて家督を長政に無事譲れていたら違ったのだろうが、僅か四年ではなぁ。実に惜しいか惜しくないかピンと来ない人を亡くしたものだ、残念残念。

 で、それが俺との対面と如何な関連が?

「誠に失礼ながら直裁にお尋ね申す」

 お、おう!

「浅井左衛門尉が無念のこと、世子様に於かれましては誠に関わりなきことにてございまするや?」

 ……関わりなきこと、とはどういうことだ、って、ちょっと、ちょっと待て……あれ、もしかして、俺……。

「弾正少弼殿は、若子様のことを疑われておられまするようにござるが」

 謂れなき詰問に泡食っていたら、三淵が背後から俺の前へと膝を進めた。傅役の怒らせた背中越しに対面を窺えば、定頼も前のめりで眦を吊り上げている。

「若子様の(はかりごと)であると申されておられるようにござるが、左様であると申す印(=証拠)はござりまするや?」

「左様なものはござらぬ」

「ほう、ござらぬと。ござらぬのにお疑いとは?」

「確かとした印はござらぬが、言葉質(ことばじち)はござる」

 猛禽類が如き定頼の鋭い眼差しが俺を射抜く。


「“麒麟児が世に生まれる前に浅井を潰して江北を平定する”」


 その瞬間、俺は三年前のことをありありと思い出した。あの頃の俺は戦国時代を少々甘くみていた、と今ならばいえる。ちょっとばかり無鉄砲でした。いやはや失敗、失敗。前言撤回するから忘れてちょんまげ……では許してくれないよなぁ。

 睨み合いは一先ず三淵に任せるとして。今の俺に出来ることなど、堂々と首を竦めて身を潜めるくらいなもので。……そもそも、さ。何で久政が不慮の死を遂げたってので俺が疑われなきゃならないのだ?

「世子様が申されました御言葉は日を重ねる毎に(それがし)の枷となり、懊悩の基となり申した。御神託同然と受け止めるべきや否や、と」

 そこからの述懐を要約すれば次のような感じだった。


 不穏過ぎる未来予想図を聞かされたからといって、定頼は天下に名の知れた大名だ。軽々に動けるはずもなく、暫くは様子見に徹していたとのこと。大家の当主ともなれば為すべきことは山とあるのだ、そりゃそうだよね。

 しかし気づけば二年の月日が過ぎ、俺の予言した麒麟児候補とやらが世に生まれ出てしまった。こうなれば座して見過ごす訳にもいかなくなる。一先ずの処置として久政に圧力をかけ、件の赤子を手元へ確保することを図り、仮に予言とやらが実現しそうになっても対応出来る状態と相成った。

 さてところで、二年の間に起こったのは長政誕生だけではない。浅井氏自体が戦国大名化へと生まれ変わろうとしていたのである。人望は薄くとも確かな行政手腕を発揮した久政の指導によって。

 慎重居士に徹していたがゆえに江北平定は容易ではなくなってしまったのは、定頼の失策だろうか?

 俺としては仕方ないだろうとしか思えないが、定頼としては対応が後手後手になったことに忸怩たる思いがあるようで。かといって安易に方針を転換する訳にもいかず、より腰を据えた江北蚕食の策を練ることで挽回を図ると決めた。

 そんな矢先の、久政負傷の知らせ。そして数日前に届いた久政の訃報。予想外の急展開に、定頼の心には疑念が湧いたのだそうな。

 ……あまりにもタイミングが良過ぎやしないか、と。

 疑念の向いた先は勿論、俺様だ。鈍重過ぎる定頼の行動に業を煮やし、京極氏あたりを焚きつけて無理矢理にでも状況を動かそうとしたのではないか、と。はっはー、なるほど、確かにそう思われても仕方ないね、だけど……。


「冗談じゃねぇ! ふざけた当て推量してんじゃねーぞ!」


 思わず立ち上がってしまった俺は、ズカズカと三淵の前に回り込んで仁王立ちとなる。胡坐を掻く定頼を見下ろそうとしたが、存外大柄で座高も高いので小柄な俺では上からモードで話し難いなぁ畜生め、ってそんな瑣末はどうでもいいや。


「さっきから大人しく聞いてりゃグダグダと。それが余と何の関係があるのだよ!?

 確か前に問うたよなぁ、六角弾正少弼様々に。その方は何者であるか、とさぁ?

 その方は近江一国の守護職と正式に認められた者であろうが。例え今は南半国を領するだけであるけれど、本来ならば京極氏みたいな古びた権威しか持たぬ実のない奴らや、浅井氏程度の吹けば飛ぶような将棋の駒みたいな奴らなど、堂々とぶん殴って踏み潰せばいいじゃないか!

 須らく近江国内のよしなしごとであろう?

 ならば近江守護たる六角弾正少弼の胸一つ、思うがままに勝手次第すれば良いだけじゃねぇか!

 こっちは自分のことで手一杯なのだよ。他人のやることに一々目くじら立ててる余裕などないのだよ、全くもう!

 近江国のことは全てその方に任せているのだ、誰が好き好んで要らぬ口ばし突っ込んだりするかよ。況してやしょうもない刺客を放ったり、下らねぇ(はかりごと)を仕組んだりするかよ……」

 足利将軍家の来し方と、十三代義輝の行く末に思いを至らせれば臍で茶を沸かしそうな、我ながら噴飯モノの言い草に自然と語尾が小さくなるよ。

 頼まれもしないのに他家の事情へ介入し、無茶苦茶に引っ掻き回して御破算するのは三代義満以来の足利将軍家のお家芸だ。気に食わない奴に暗殺者を放つのは十三代義輝の必殺技だし。どの口で何をいうやら、ちゃんちゃら可笑しいけれど。

 京都にいながら関東の騒動に口だけじゃなく首も手足も突っ込んだことを棚上げしての俺の言い草は、事情を知る者からすれば片腹痛いどころじゃないかもしれないが我慢してくれよ。だって俺自身の腹が捩れそうなのだから。

「その方がおる限り、六角氏歴代当主がその方の意志を継承する限り、余は近江国における六角氏の有する権利を決して侵さぬ。信用出来ぬと申すのならば、喜んで起請文に名を認めようほどに。

 もしも余が約定を違えたなら、嘉吉元年のことを思い出せば良い。但し……」

 一気呵成に喋り過ぎてひりつく喉に唾を流し込んだ俺は、強張る顔に付加をかけて口の端を吊り上げる。


「赤松より上手くやれよ。殺され損は嫌だからな。下手打つならば七代先まで祟ってやるから、覚えてろよ!」


 一息ついて見渡せば、六角氏家臣団は全員が呆然とした顔をしていた。三雲ですら目と口を見開いている。振り返らずとも判るが、三淵も幕臣たちも近習たちも似たような面を晒しているに違いない。

 俯いて肩をヒクヒクさせているのは第三者的立場の御方だけだ。表情は見えないけれど聞こえぬ笑い声が聞こえてますよ、一閑斎師。

 さぁ言いたいことは全部いったし、弁明も無理からに捻じ込んでやったぞ。後はどうとでも判断するがいい。烏帽子親など御免被る、と申すならばそれはそれで仕方ない。歴史の1ページがちょっと前後するだけのことさ。

 などと俎板の上の鯉的な諦観モードに陥りかけた時、わっはっはっはっはと全てをぶっ飛ばすような高笑いが鼓膜に突き刺さる。へ、何事だ?


「世子様……将軍家御次代様とは斯様な御方である。貴様らの疑念、これで晴れたであろう?」


 最前までの凶暴さをかなぐり捨て、実にさっぱりとした顔つきの定頼がそこに座していた。眉尻も眦も下がり頬の力も抜けている。眼光の鋭さだけは鈍っちゃいないけどね。

「さて、世子様」

「おう」

「大樹公より頂戴致しましたる過分な御言葉。受けさせて戴くに当たり、ちと難題がござる」

「それは何ぞや?」

「身分が釣り合いませぬ」

「ほう?」

(それがし)は弾正少弼、正五位下でしかござらぬ。大樹公は(それがし)を“管領代”に付すと仰られましたが、正五位下には務まらぬ身分にござる」

 ゆっくりと首を左右に振る定頼。しかし脇から発せられた一言に首の動きが止まった。


「それには心配及びませぬ」


 一閑斎師は、穏やかに室内全員の視線を集められる。与えられた時間を楽しむかのように緩慢な所作で佇まいを正し、板の間に両手をそっと就かれた。

「既に(さきの)関白様(=近衛稙家)より御上の許へ、弾正少弼様御昇叙の願い届けが為されております。弾正少弼様の朝廷崇敬尊王の赤心も併せて御伝え致しておりますゆえに、特に差し障りもなく申請は受理なされましょう。

 ひと月とかからぬ内に御身は、正四位下へと御昇進なされ遊ばされまする」

 深々と頭を下げ、おめでとうございまする、と意外に太い声で申される一閑斎師。触発された者たちが一斉に頭を下げ、祝賀を唱和する。

 不意を突かれたのか定頼もまた遅ればせながら、ポッカリと口を丸くした。

「誠にめでたいことだ。その方は余の手が届かぬ更なる高みとなるようだ。無位無官の余では、おいそれと声をかけることもままならぬなぁ。実に羨ましい限りである」

「これはしたり!」

 ピシャリと額を叩いた定頼はワザとらしい高笑いではない、腹から漏れ出る至って平易な声で笑う。

「向後も親しく接しさせて戴くには是非とも世子様には御次代様となり遊ばし、相応しき位階を伴ってもらわねばなりませぬな。

 然らば急ぎ桑実寺に立ち戻って大樹公に拝謁を願い、御意を拝受致す旨を言上せねばなりますまいな」

 要らぬことで騒がせ致し誠に申し訳なく、と定頼が辞を低くすれば、六角氏重臣たちも見事な所作で、申し訳ござりませぬ、と一斉に頭を下げた。

「おお、そうそう。忘れるところでござった」

 そういい差し、廊下へと足を踏み出した定頼が立ち止まる。

「如何した?」

 意味ありげに微笑む定頼に、俺は頬杖をつく動作を止めて問いかけた。失礼ですぞ、と三淵が小声で小言をいうが鼓膜の外で弾く。だって、居住まいを正すのが何とも癪じゃないか?

「近江一国勝手次第の御言葉に従い、少々片づけごとを致そうと思いましてな。いや、御心配召さるな。ここにいる中務大輔を総奉行とし、山城守と越前守に支度を念入りにさせて戴きますゆえに。

 いい忘れたは、些事にござる」

 柔和な表情にそぐわぬ光を双眸に宿しながら腰を僅かに屈めた定頼は、廊下に座したまま微動だにしていなかった若い僧侶の肩を右手で鷲掴みにした。

「この者は泉下へ旅立った井口越前の縁者にござりましてな」

「御初に御意を得まする。小衲(しょうのう)は無念を呑まされし井口越前が曽祖父の次子、左衛門尉が起こしし宮部氏へ養子となりし者。元は柏原帝(=桓武天皇)の後胤、平氏に連なる土肥氏の後裔、坂田郡に住する者の子にござる。

 奇縁あり、北嶺(=比叡山)の山法師でありました宮部善祥坊清潤師の養子となり俗世とは交わりを絶っておりましたが此度の次第、如何様にも承服出来ぬことにて候。このままでは井口越前の面目が立ち申さぬと思いまして候。

 然れど、小谷城からは何の沙汰もござりませぬ。

 幾度となく三田村氏征伐を願えども叶わず、井口越前の家臣どももいつしか己のことばかりに(かま)ける有様。

 これは捨て置けぬと思い、出家の身にもかかわらず僭越であるとは存知ながら、近江守様にお縋り致した次第にて」

 ちょっと待って、ちょっと待って。情報量が多過ぎて頭がわやくちゃになりそうだぞ。

「……その方は、宮部善祥坊?」

「宮部善祥坊清潤師が後継、継潤と申しまする」

 ……何だと?

 この重巡洋艦クラスのガタイをしたのが軽巡だと、って違うや、お前が豊臣政権で新参ながら重用された、宮部継潤かよ!?

(それがし)、この者の心意気に感じ入りまして、微力ながら手を貸してやろうと思いました次第にて。

 然れど、世子様の御大典を前にして鳰海(におのうみ)の端を血で汚して良いものか悩んでおりましたが本日、世子様より有り難きお言葉を頂戴致し、すっかり迷いは晴れましてございまする。

 冬の盛りとなる前に、江北を安寧に致しましょうほどに」

 定頼の笑みが深くなると同時に、六角氏配下の者たちの背筋が凶暴性を備えた太い何かへと変化する。気づけば継潤からも僧侶には大切な何かが失われていた。

「然れば小衲……(それがし)も墨染めの上に具足を纏わせて戴きまする。槍刀、弓馬の道には昏くとも薙刀なれば些か心得がござりまするゆえに」

 然らば御免、と立ち去って行く江南の武士たち。

 果たしてこれで良かったのだろうか?

 ふと振り返れば、誰も目を合わせてくれやしなかったよ。誰か正解を教えてくれよ!



 日暮れ頃まで俺は縁側で足をブラブラさせながら、定頼への対応が間違いだらけだったのではと自問自答をダラダラと繰り返していた。

 三淵や摂津たちは定頼を追っかけて観音寺城方面へと行っちゃったし、近習たちもそれぞれすることがあって、ここにいるのは俺独りだからダラダラと暇潰し……じゃない懊悩タイムを楽しんで……苦しんでいたのだけどね。


「いやはや、嵐のようでございましたな」


 訂正、一閑斎師が傍におられた。茶道具は既に仕舞われ、いつもの茶人らしい落ち着いた雰囲気が薄れているのが不思議な感じだけどね。

「若子様にはお詫びせねばなりませぬ」

 おや、雰囲気だけじゃなくて態度も不思議だぞ。居住まいと衣装を整えて正面から相対すれば、夕日に照らされた一閑斎師の顔の陰影が不自然なくらいに濃くなっているのが判る。どうされたのだろうか?

「浅井左兵衛尉がこと、私めに責がございまする」

 ……はい?

「正しく申さば、堺と洛中の商人どもの責でございまするが」

 ……益々判らん、一体全体どーゆーこと?

「今この時だけは一閑斎紹鴎ではなく堺の会合衆が一人、皮屋の主たる新五郎、もしくは従五位下先因幡守として膝を接して戴きたく候。

 さて何処から話さば宜しかろうと思いまするが、そもそもから話し始めようかと思いまする。

 ……小谷城の主が変わりました時のことでございまするが……」

 それは長くて短い実に奇妙な独り言であった。


 久政が浅井氏当主となったのは、堺の商人たちにとっては万々歳の痛快事であったそうな。亮政って男は頼り甲斐があるものの、裏を返せば強権発動を乱発する者であったのだ。通商路の安全を提供する代価として、矢銭なるボディガード料を強請ってくる奴だったそうなのだ、これが。

 普通じゃないのそれって、と思うのは俺も現代から現在へと馴染んで来た証拠かね?

 敦賀などから日本海より運ばれる幸や富を求める商人も、堺や洛中からもたらされる貴重品を所望する商人たちも、亮政が請求する金額が妥当なら文句をいわなかったのだけど、亮政はとても貪欲な奴だったそうな。

 勢力を急速に膨らませたのだから、軍資金は幾らあっても足りないよな、それは。

 そんな暴利の男が死んだ。後継者は久政って木偶の坊らしい。ならば思い通りに出来るだろう。商人たちはそう考えた。しかしあにはからんや、久政はタダの木偶の坊に非ず、商人たちの思い通りとはならなかったのだ。

 流通の本体は、荷運びに特化した“ばんえい競馬”に出走しそうな“大津馬”を使う者たち、つまりは馬借である。先ず彼らが懐柔された。懐柔されたのは馬借の元締めではなく、使われる者たちである。

 待遇が劇的に改善されたのだ。馬借たちは元締めから馬を借りて事業を行う。黒字だろうが赤字だろうが高額な借り賃を支払い、馬の世話を自腹で行わねばならない。もしも傷ついたり死んだりすれば弁償もせねばならないのだ。

 久政は、弁償するに及ばずと触れを出した。

 元締めたちは大ブーイングだったが、大同団結した馬借たちの前に声を潜める。近江国で過去に起こった一揆の中核は馬借たちだっけ。ならば結束した戦う運輸業者たる馬借たちに勝てるはずもない。

 因みに元締めたちが黙ったのは、馬借たちへの恐懼だけが理由ではない。握らされた銭も一役かっていたりした。握らされた銭の送り主は、久政その人。関の通行料を一割上げるのと同時に、厳格に取り立てた通行料の一部を補填金として分配したのだ。

 正に内政家としての面目躍如である。

 だが値上げされた通行料を払わねばならぬ商人たちにとっては堪ったものじゃない。久政が内政に手腕を発揮する度、商人たちの顔色は悪くなる一方だったのだそうな。あっちを立てれば……ならぬ、あっちが笑えばこっちが大泣きってことか。

「商いをお解り下さる御領主は有り難いものではございますが、商いの利を掠め取るだけの御領主は些か困ったものでございまする」

 だから、退場してもらおうと思ったのか。

 それにしては何ともビミョーで迂遠な策に思えるなぁ。商人の企みにしては血の気が多過ぎるし、武家の(はかりごと)にしては確実性がなさ過ぎる。

 あれ、そういえば。先ほど従五位下先因幡守とか、何とかって……。

「申し送れましたが私の父は元々、武士でございました。甲斐国の領主と基を同じくする家柄にて。父祖は若子様の御父祖ととも刃を交えたことすらありまする」

 突然、吃驚な告白だな!

「父祖は後醍醐帝より四代に亘り、吉野の朝廷に仕えておりました。合一の後は御三代鹿苑院様(=足利義満)に仕え、代々の将軍家に近習を務めておりました」

 またもや仰天なぶっちゃけ話だよ!

「我が家系は流転ばかりでありましたが、没落の始まりは応仁の御世の大乱でございました。龍安寺殿様(=細川勝元)に従っておりました祖父が討ち死に、幼き父は家臣どもに守られ各地を転々とする始末にて」

 ……ありゃ、まぁ。

「労苦を重ねた末、文明の御世に父は堺に落ち着きました。幸いにして私の母の実家、大和国の中坊氏の支えもあり、順調に商いを大きくすることが出来ました。父母の尽力、支えて下さった皆様方の御蔭にて、私は茶芸で身を立てることが出来ましてございまする。ですが……」

 ……ですが、何ですか?

「私は何者であるのか、などと思うことがあるのですよ。商う者なのか、茶を立てる者なのか、連歌を嗜む者なのか、あるいは……」

「あるいは?」

「武家の血を引く者なのか」

 不意に引き攣った笑い声が一閑斎師の薄く開かれた口から漏れ出す。口を真一文字に結んだ俺を直視する眼差しが、昏く翳った。

「やはり私には武家の真似事など合わぬようでございますな。所詮はタダの町衆でございまする。金勘定や和歌に想いを廻らすは得手でございまするが、(はかりごと)は不得手のようにて。

 まさか、若子様に御迷惑をおかけするような失態を犯すなど不敬に過ぎましょう、誠に無礼千万のしくじりでございました」

 如何様にもお裁き下さいませ、と首を差し伸べるようにして平伏される一閑斎師。

 ……何だよ全く、今日の俺には荷が重過ぎる出来事ばかりじゃないか。一体どうしろっていうのだ、根畜生め!

「……相判った」

 いや、全然判っちゃいないけどな。取り敢えず何かをいわねばどうしようもないよね?

「これからも余の為に茶を立ててくれ」

 俺の言葉が予想外だったのか、一閑斎師は鳩が豆鉄砲を食らったような、そんな表現しか出来ない顔をされた。いやはや、多分俺も似たような間抜け面をしているに違いないね、きっと。

「余も去年の暮れ、同じことを考えた。どうすれば久政を抹殺出来るかとな。久政さえいなくなれば、六角弾正少弼の近江国統一は容易くなるであろう。将軍家に、特に俺へ好意的な者に、磐石な近江国守護となって欲しかったのでな」

 おいおい、何でいわなくても良い秘事をベラベラと喋ってるのだ、俺は?

「尤も、人手が足りぬゆえ早々に諦めたがな!」

 嘘だよ。暗殺計画実行を命令する覚悟と、計画を確実に成功させる自信がなかったからだよ、ハハハのハ。

 自嘲する俺を見る一閑斎師の瞳に柔らかな光が点った気がするけど、気の所為かな?

「もしやすれば、余と師は表裏一体なのやもしれぬな。己が何者であるのか、何を為せば良いのか、などと生涯をかけて考え続けねばならぬのやも」

「それはまた、果てなき修行の如きにて」

「禅の教えとは左様なものであろう。余も師も、仏弟子であるのだから」

 全く以って、というや否や、一閑斎師は改めて両手を揃えて頭を垂れる。

「向後も良しなにお願い申し上げまする」

「余の方こそ、今後も宜しく御先導を願う」


 まぁ左様な訳で。

 夕餉の支度が出来ましたと与一郎が呼びに来るまでの間、俺と一閑斎師は夜の帳を迎えようとする空に届けとばかり、笑い合ったのだった。

 だってもう、笑うしかないのだからさ!

 どうにか、8月中更新に間に合ったか?

 さて先日。漸くの夏休みに福岡へ行き、『室町将軍展』を拝観して参りました。

 詳しくは後日、活動報告かエッセイにて。

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