表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/57

『 修羅チック・パーク 』(天文十五年、春)

 先月は中々のハードスケジュールにて体が休まらず、御蔭で文章も纏まりませず、今回は難渋しました。お待たせ致しまして申し訳ございません。

 今回はちょいと短めです。書きたい事の半分も書けなかったような感じがしてなりませんが……。

 誤字を訂正致しました。(2019.02.16)

「向後は一層、“武”に励まれるとの由。然様に申されましたと聞き及び、兵法指南役と致しましては誠に嬉しく存じまする。世子様は些か“文”に偏り過ぎておりましたゆえに」


 出発時よりもかなり人数多めで帰宅した翌日、前触れもなく現れたラスボスが不敵な口調でそう言いやがった。

「何れは征夷大将軍の任を背負われる身、文武を均しくなされるに如かずかと」

 蟻塚を前にしたオオアリクイのような笑みを浮かべる、吉岡憲法。手には、やんちゃな修学旅行生がお土産に買い求める物より武骨な木刀が握り締められている。今までの俺ならばビビりまくるところだが……残念だったな、今の俺は一味違うのだぞ。

 どうぞ先生、やっちゃって下さい!

 含み笑いを洩らしつつ自信満々で背後を振り返ったが、彼らが発したのは俺の期待を見事に裏切るものであった。

「至極御尤も」

 塚原卜伝がそう呟けば、大胡武蔵守こと上泉伊勢守も、北畠中将の具教君ですら腰に差した刀に手を触れようともせず腕組みしつつ、深く頷いている。

 おいおい、約束が違うだろうが!? ……約束なんかしてないけどさ。

 それでも俺の用心棒か!? ……用心棒じゃなくて只の珍客だけどさ。

 いたいけな童の危機なのだぞ、ちょっとは助けてやろうって義侠心の一つや二つや百個くらいは見せてもバチは当たらないと思うぞ。平成の世なら忖度の一つや二つや千個くらいするのが常識じゃないか、今は天文年間だけど。

 さぁさぁさっさと俺を助けろよ、助けてよ、ヘルプミー。

 もしかしたら気づかぬ内に哀願の表情を浮かべていたのかもしれない。俺と目を合わせた卜伝が慈愛に満ちた好々爺の如き微笑を浮かべる。

「世子様、お励みなされませ」

 ジジイ! 手前ぇ、こん畜生め! 覚えてやがれ!

 そしてお爺さんが山へ柴刈りにお婆さんが川へ洗濯に行くが如く、俺は腕も折れよとばかりの素振り三昧に精出すことになったのだった、どっとはらい。

「楽しゅうござりますね、世子様?」

 ちっとも楽しくはねぇよ、具教君!


 修練という名の修羅の時間は半刻ほど。

 クタクタになった俺は汗だくになった衣装を着替え、会所の縁側に置かれた火鉢の傍に陣取る。“拿雲(だうん)”を着るほどではないが、暖房がなくとも過せるほどに暖かくない今日この頃。

 諸肌脱ぎで汗を拭う具教君は何とも爽やかな笑顔をしているが、生憎こちらは肉体派を売りにはしちゃいない。純粋文系引き篭もり派上等で何が悪いっていうのだ、ああん?

 与一郎に抹茶オレの仕度を命じつつ、又一郎が運んで来た小餅を火鉢で炙る俺の傍らに、衣装を整えた具教君が遠慮がちに腰を下ろす。刀を持っている時と持っていない時で性格が微妙に変わるのだなぁ、具教君は。

「北畠中将殿にちと尋ねるが」

「何でござりましょう」

「そなたは何故に兵法を志そうとしておるのか?」

 熱々の小餅をちまちまと引っ繰り返しながら具教君の顔を窺えば、キラキラとした熱い眼差しで見つめ返されて……あ、しまった!

「それはですね!」

 うっかりと地雷原に踏み入ってしまった気分の俺は、次々に炸裂する具教君の兵法愛の発言をひたすら受け止め続ける羽目に。判っていた心算であったが、判っていた心算とは判っていないと同意語なのだよなぁ。ああ、大失敗。

 適当にフンフンと肯きながら、焼き上がった餅を白湯で薄めた甘葛(あまづら)汁に軽く浸し、きな粉を塗して皿に載せる自動人形と化す俺。具教君が満足そうに兵法愛を語り終えたのは、丁寧に焼き色をつけた小餅を十個ばかりきな粉餅へと調理し終えた頃。

 長広舌の褒賞としてきな粉もち一つを具教君に進呈しながら、俺は当代の名だたる剣豪たちを見やる。与一郎から丼サイズの縄文土器を渡され、戸惑いの表情を浮かべている卜伝と上泉。既に慣れてしまった吉岡は平然と抹茶オレを喫していた。

 縁側の三人へきな粉餅を盛った皿を送り出した俺は、新たな餅を焼きつつ誰にともなく問いかける。


「誠に、兵法とは必要不可欠であろうか?」


 俺が口にした疑問は出し抜け過ぎたのかもしれない。生まれも育ちも立場も違う三人は仲良く揃って奇妙な音を鼻から発し、口に含んだばかりの液体を野外へと噴出していた。

 餅を喉に詰まらせ悶絶する具教君の処置を与一郎たちに任せ、俺は餅を焼き続ける。

「如何したのだ、口に合わなかったか?」

 焼き上がったきな粉餅を一つ頬張り、抹茶オレを一口含む。甘葛(あまづら)の上品な甘さと牛乳でまろやかとなった抹茶のほろ苦さが、完璧なマリアージュじゃないか。この良さが判らぬとは何とも残念なことだ。

「そうではござりませぬ!」

 手拭で顔の下半分を拭った吉岡が眦を吊り上げている。

「世子様、よくよくお聞き下さりませ。

 そもそも兵法とは武士(もののふ)が畜生に堕せぬために修めねばならぬ作法にござりまする。

 武士とは己が身を、立場を、領地を、一族を、何よりも名を守らねばなりませぬ。

 武士が武士である証として腰に帯びるのが刀にて候。刀とは即ち武の象徴にござりまするが、ただの象徴には非ず。

 身を守る防具であり敵の命を奪う武具にて候。

 研ぎ澄まされた刃は敵にも向けば、我が身にも向くものにて候。

 なればこそ我ら刀を常に携える者は武士(もののふ)としての矜持と心構えも携えねばなりませぬ。

 兵法とは即ち、武士(もののふ)武士(もののふ)としてあるための矜持と心構えを己が身に備えるための作法にて候」

「然様、吉岡殿が仰られる通りにて」

 憤然と仁王立ちする吉岡の横で、上泉が寒風よりも冷たく鋭い気を放ちながら立つ。

「作法ゆえに、幾つもの流派がござりまするのですよ、世子様」

 茶碗を縁に置きながら卜伝がニコリとした。

「刀のみならず槍も弓にも流派がござりまするが、全ての流派の真髄は全く同じものにて候。

 修羅の世界にて畜生とならぬがため、美しき心栄えを持ちて堂々と生きる(すべ)、それが兵法の真髄にて候」

 老いれども枯淡の境地には程遠い、生臭さを伴った凄絶な笑みを湛える剣聖。具教君の介抱を終えた又一郎がハッと息を飲み、与一郎が俺の方へと身を寄せる。そして俺は、溜息を漏らした。

 三年前ならビビって小便を漏らしていただろう、確実に。

 だが戦国生活に馴染み……いや、感性が麻痺してしまった今は、また殺気を向けられちゃったくらいにしか思えない。六角や三好や武田たちから幾度も浴びせられた暴力的な覇気に比べたら、ねぇ?

「余が申したきことは()に非ず」

 もう一つ洩らしそうになった溜息を噛み潰した俺は、焼いていない小餅を与一郎に渡した。

「与一郎よ、その餅は柔らかいか?」

「……?」

「焼いておらぬのだ、柔らかくはあるまい。然れば、これは如何だ?」

 いい塩梅に火の通った小餅を渡す。

「……柔らこうございます」

「ならばこれは?」

 表面が真っ黒に炭化した餅を渡した。

「硬うございます」

「然もあろう。……吉岡に尋ねるが、どの餅が食すに最適だと思うか?」

「……は?」

 どうやら俺の問いかけは意表を突いた……吉岡からすれば的外れに思えるものだったようで、一瞬で毒気を抜かれたような顔となっている。

「そなたの申しようは尤もであると余も思う。であればこそ、武蔵守も土佐守も同意したのであろうし、何よりも将軍家の兵法指南役に任じられておるのであろうからな。

 然れど余は思うのだ。兵法に心の鍛錬は備わっておるが、身の修練は備わっているのであろうか、と」

「……それは如何なる意味でござりましょうや?」

 一瞬で殺気を引っ込めた卜伝が、面白いものを見つけた猫のような目をした。流石は達人、出し入れ自由とは便利な殺気だな。上泉も眇めていた瞳を丸くする。

「春とは申せ、未だ吹き寄せる風は冷たい。然様な屋外で余のような童が身の丈に余る木刀を振り回すことが、果たして身の修練となるであろうか?」

 与一郎から取り上げた生の小餅を縁に向かって投げた。するとすかさずナイスキャッチする吉岡。

「先ほどまでの余の体はそれと同じようなものである。この寒空でカチカチに縮こまっておる。木刀を手にして足を踏ん張れど、寒さで手は(かじか)み節々が強張り思うように動かせぬ」

 続けて程好く焼けた小餅を上泉へと投げる。

「今はこうして火鉢にて温めておるがゆえに手の悴みも取れ、節々も強張っておらぬ」

 最後に投げたのは表面のほとんどが焦げついてしまった小餅だ。投げ方が悪かったが卜伝が掬うように受け止めてくれた。

「しかし温め過ぎればどうにもならぬ。過ぎたるは及ばざるが如し、ということよな」

 受け止めた小餅を齧ろうとして止めた卜伝がこちらを窺う。

(それがし)の歯では噛み砕けませぬな。もそっとお手柔らかにして戴きますれば嬉しゅうござりますが?」

「然ればである。身を鍛えることと心を鍛えることは別ではなかろうか、ということである。

 朱子の言に曰く“陽気を発する処、金石(きんせき)(また)(とお)る。精神一到何事か成らざらん”とか。“為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり”ということかな。軟弱な心では何事も出来ぬのは至極当然。

 だが、心を強固にすればどんなことでも成し遂げられるのであろうか?

 もし然様であらば、建武の御世は瓦解することなく未だに続いていたのではなかろうか?

 『太平記』を紐解く限り、後醍醐帝ほどに御心の強き御方はおられぬと思うがな?

 釈尊は成道(じょうどう)を求めるに当たり苦行を為されたが、叶わなかったそうな。そこで苦行を止められ心穏やかになる別行、“降魔成道”を為され、覚悟為されたという。

 吉岡が指南する兵法は、死生を決する場に身をおく者には相応しき指南であると余も思う。

 然れど、余の如き童が死生を決する場に身をおくには些か早過ぎるとは思わぬか?

 今の余が学ぶべき兵法は他にあるのではなかろうか?」

 新たなきな粉餅を遠慮なく咀嚼し飲み込む。

「余の考えは間違っておろうか?」

「間違いである、とは申せませぬな」

 少し間を空けて回答を寄越したのは上泉だった。顎に手を当て難しい表情をしている。吉岡もまた、考え込んでいるようだ。気づけば卜伝がニヤニヤした笑みを浮かべていた。

「北畠中将のように兵法を極めなんと欲するならば、幼き頃より刀に親しむるが宜しかろうとは思う。

 しかし余は兵法を極めようとまでは思わぬ。いざという時に備えて護身の剣が揮えれば良い、くらいで充分である。

 そこで思うのだ。何れ余は父である御当代の大樹公の後継として将軍位を継承するが、余が実戦で刀を揮う機会が果たしてあるであろうか?

 然様な時は、もしや敵が余のいる本陣を襲いかかった時ではないか?

 大軍を率いて然るべし立場の余の本陣が襲われるとは、これ即ち敗亡の危機ではなかろうか?

 敵が本陣を襲い、余自身が刀を揮わねばならぬと相成った時、余は踏み止まって刀を揮うべきであろうか?

 もしそうであると申すならば、余は豊島河原で敗北した等持院殿(=足利尊氏)の顰に倣わず、壇ノ浦で敗北した屋島大臣(やしまのおとど)(=平宗盛)の二の舞となるのではないか?

 勝敗は兵家の常と申すとか。軍勢の大将とは匹夫の勇とならず、捲土重来を図るに如かず、を選び取れる者であるべきだろう。

 ゆえに余は、心の鍛錬に重きをおいた兵法を学びたいと思う。……身の修練はほどほどで良かろうと、な」

「……つまり世子様は刀よりも逃げ足を御鍛えなさりたいともうされますので?」

 揶揄するような卜伝の物言いに、俺は餅のように膨れっ面で不服を申し立てる。

「鍛えるのは足腰だ。逃げ足など鍛えようがなかろうが?」

「これはしたり!」

 卜伝が呵呵大笑すれば、上泉と吉岡も呆れたように笑い出す。そこに俺と与一郎と又四郎の笑声が重なった。漸く餅を飲み込むことに成功し危機を脱した具教君は、事態の推移が理解出来ずにキョロキョロとしている。その姿が更に笑いの壷を刺激し、人影が少なくともいつも通りに賑やかとなる慈照寺境内。

 その後、腹ごなしに軽く運動をしようかと近習二人に言ったら、“うんどう”とは何でしょうか、と上泉に問われた。説明するよりも見せた方が良かろうと全員で東山コートへ移動する。

 例によって例の如くいつものアレをしようと思うも、少人数なのでコートの中を小さく区切ることにした。与一郎と二人で竹竿を使い縦約五メートル×横約十メートルの線を引き、半分に仕切る線を引いた後、竹竿を立てて縄を張る。ネットの代わりだ。

 先ずは模範演技として与一郎と又四郎が打ち合う。大まかにルールを把握させたらチーム分け。年齢を考慮しての組み分けは、具教君と卜伝ペアと吉岡&上泉ペア。俺は主審で、与一郎たちは線審だ。

 “羅結斗”を握り締め、思わぬ軌道を描いて飛んで来る布玉から五メートル四方の陣地を守ろうと右往左往する剣の達人たち。急造のペアでは息を合わせるのが難しいらしく、僅かな時間で和やかなスポーツは泥仕合と化す。

「これは中々に難しゅうござるな」

「然れど面白うござる」

「足腰の鍛錬には最適やもしれませぬ」

「正しく手を振らねばなりませぬし」

 刀を持たせては当代一流の者たちも、近代スポーツもどきである“庭球”には太刀打ち出来ぬようだ。しくじりに対し審判役の俺たちが“粗相”を発する度、むきになる。そんな風にワーワーとやっていたら別の方からも賑やかな声が。

 どうやら外出組が帰ってきたらしい。

 清水寺から戻って来たのは、石成主税助と長野五郎と真田源太左衛門の三人だ。柳生荘での受け入れ態勢が整うまで、真田一党は清水寺を宿舎とすることと相成った。黒田一党が九州遠征中のため宿坊が空いていたからである。

 黒田下野らが帰宅するのは早くても半年は先だろう。真田一党が柳生荘へ移住するのは二ヵ月後の予定だから、全く以って問題なし。問題があるとすれば、真田一党の京都滞在費は俺のポケットマネーで賄われるってことくらいか。

 まぁ仕方あるまい。人を雇うのに払う給与が安ければ、買えるのは不満と怨恨だけだからなぁ。恩を売りたければ、それなりの代価が必要だもの。そんな訳で主税助には引き続き世話役を命じ、近習見習いの五郎を補佐としてつけた。

 “花の御所”から戻って来たのは覚慶と胤栄と柳生新左衛門である。早朝から昼過ぎまでの約半日、久方ぶりの親子面談だ。積もる話もあったろうが、充分に語り合うことが出来たに違いない。警護役の胤栄と臨時従者の新左衛門には退屈だったかもしれないけれど。

「何をなさっておいでですか、兄上!?」

 目を輝かせる覚慶と他の者たちに簡単に“庭球”の説明をすると、やってみたいと言い出した。ふと視線を上げれば、苦笑いを浮かべて肩を竦める主税助以外の全員が、我も我もとばかりに手を挙げている。……昭和のリアクションか!

 ならばと、与一郎に言いつけて覚慶の装束を着替えさせる。現代の僧侶の格好に比べて今の僧侶の着物は、袖にしろ裾にしろ大きくて動き難そうなのだ。弁慶などの荒法師たちが裾を捲くり上げ、襷掛けをしていたのには理由があるのだ。

 胤栄がそのような格好をしているが、覚慶にそのような姿をさせる訳にはいかない。法衣ではないが俺の装束ならば身の丈も合うし、兄弟なのだから問題ないだろう。……そう言えば、この時代に作務衣はないのだろうか?

 ないなら、デザインを進呈すればウケるかも?

 さて着替えさせたら早速にプレイを……させる前に準備運動をさせなくては。

 十歳ばかりの子供が、鍛えまくった青年や中年や老年たちと一緒に駆け回っては怪我すること確実だしな。こういう時は定番のラジオ体操が一番だよな。

 直ぐにも羅結斗を持ちたそうな覚慶に、俺と同じように体を動かせと言い聞かせる。既に経験済みの近習二人や主税助も、一緒になって体を動かす準備をした。

 チャンチャーカチャチャチャン、とイントロを口にしてから、背伸びの運動と言った途端にストップがかかる。慌てた風情で割り込んで来た吉岡を見て、俺は首を傾げたが……あ、そうか、吉岡には一度も見せたことがなかったっけ。

 兵法の練習日の早朝にのみ慈照寺に起居する者全員で行っており、口外を禁ずると言い含めていたのだった。……与一郎たちの視線が滅茶苦茶痛いが、まぁバラしちゃったものは仕方がない。

「これは慈照寺に伝来した唐土(からくに)の文書を解読し余が会得した秘伝である。本日のみ特別に伝授するがゆえに相承せよ!」

 少々強引かもしれないけれど、言ったもの勝ちである。現に吉岡のみならず卜伝たちすら神妙な顔つきとなっていた。

「それでは“邏自緒体操”を始める。自らの玉の緒(=生命)を全身に(めぐ)らせることを目的とした体術であるので、無理をせず、身体の負担とならぬように行うべし!」


 模範演技者として皆の前で両手両足を曲げ伸ばし、跳んだり反ったりしながら全体を見渡してふと思う……何だろうこの光景は?

 世界遺産の真ん中で、一生懸命にラジオ体操をしている戦国時代の有名人たち。

 腹を抱えて大笑いしたらいいのか、それとも頭を抱えて“思ってたのと何か違う!”と絶叫したらいいのか、どっちが正解なのだ?

 締めの深呼吸を終えた俺は、倍の広さになるよう縦線の長さを引き直し、縄も継ぎ足す。その間もずっと首を傾げていたけどさ。


 そして始まる“庭球”大会。

 塚原卜伝の右手が一閃し、上泉信綱が受け止め、北畠具教が振り抜き、柳生新左衛門が跳ね上げ、宝蔵院胤栄が打ち下ろし、真田源太左衛門が横っ飛びし、吉岡憲法の腕が撓り、長野五郎が駆け回る。彼らが得物を揮う度に、布球が宙を舞った。

 寛永御前試合ならぬ、天文御前試合を俺は審判席でぼんやりと見つめる。与一郎に又四郎に主税助も息を呑みつつ、布球の行方を目だけで追う。

「兄上がこの“うんどう”なる“庭球”を考案なされたのですか!?」

「え? ああ、いや、まぁ、そうだな、うん、多分」

「素晴らしいです!」

「そりゃあ……有難う」

「私も是非とも致したいです!」

「そうだな、後で余と一緒にしような」

 気合というよりは怒声と罵声が渦巻くコートの外で、頚椎骨折しそうな角度に首を傾げたままの俺。やっぱり、何か、違うよね?

 半刻後。

 コートの広さを小さくしてから俺は覚慶とペアを組んで、近習ペアと布球を打ち合っていた。出来るだけ長くラリーが続くように上手く打ち返す与一郎と又四郎。俺は、きゃあきゃあと楽しそうに右往左往する覚慶のバックアップに終始する。

 武者魂の欠片もない、何と牧歌的な世界だろうか。

 コートの周囲には、敵味方が入り乱れてのバトルロイヤルに参加していた修羅道の住人たちが、死屍累々とばかりに転がったり、倒れ伏したり、へたり込んだりしていたけれど。

「世子様の……申される……うんどう……とやらは……」

生半(なまなか)では……ござりませぬ……な」

「全く……以って……」

 いや、勝手に凄絶な劇画タッチの戦いにしたのは自分らだろーが!?

 本来は相手が打ち易いように打つのが正しいプレイ方法なのだ、俺たちが今やっているようにな。

 それが出来ない者が“粗相”を指摘されるのであって、決して自分以外のプレイヤーを陥れるのを目的としたスポーツじゃない、ってことを説明したのに覚えてねぇな、この脳筋系武闘派どもは……全く!

 健全なる肉体には健全なる心が宿るかどうかは知らないけれど、バトルジャンキーの剣豪たちを見るにつけ、健全な心が宿っているようには思えないよなぁ。もしかしたら俺よりも剣豪たちの方が心の鍛錬が必要なのじゃないだろうか?

 惟高妙安禅師の道場に全員揃って叩き込んで、序でに禅の教えを学ばせれば少しくらいは真っ当になるかもね?

 恐らく彼らは生まれてからこの方ズーっと、剣に生きて来たに違いない。脇目も振らずにだ。その結果がこの惨状である。何でもかんでも勝負でしか捉えられず、強くなければ生きて行く資格がないと思い込んでいるはずだ。

 早いところ、そんな脳筋精神を叩き直さないと、成長期が終わる前に俺の人生が終了してしまいそうだし。“剣禅一如”でも“健全の一助”でも、あることもないことも全部ひっくるめて教え込むとするか?


「兄上! 楽しゅうございます!」


 覚慶よ。そのまま素直に育ってくれよ、お兄ちゃんからのお願いだぞ。間違っても剣豪みたいなロクデナシには育つなよ。

 年を重ねるのは良い事もあり、悪い事もあり。

 ですがまぁ、頑張りますよ今後も、完結まで!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ