『 セッション:インポッシブル 』(天文十五年、春)
今年最後の法要を勤め終え、後は大掃除と年賀状書き(ほぼ印刷)だぜ、ベイベー!
ウチは戦時中の金属供出で釣鐘を失くして以来、除夜の鐘を撞かなくて済むのが有難い話で?
少し文章を整えました。誤字・誤表記を訂正致しました。(2018.12.16)
さぁ、新年だ!
家族や将軍家家臣団と共に祝膳を囲んだ元日は去年までと同じく無事平穏。トンチキ親父とサー・マザーとの仲は相変わらず睦まじくはないものの、一触即発となるほどに熱くもなってはいない。適度に冷えた仮面夫婦である。
史実では確か、サーマザーはもっと積極的に政治参加していたはずなのだけどなぁ。ところが普段は実家の近衛屋敷で引き篭もり生活。“花の御所”に顔を出すのは正月行事の時ぐらいだ。
スミス夫妻やローズ家やクレイマー家みたいにガチンコ勝負をしていないだけ、息子としては安心だけどねぇ?
トンチキ親父が御所への参内に出かけたら、将軍代理として主殿の上座で胡坐を掻いて参賀に訪れる者たちへの応接だ。去年は目を白黒させたり顔色を青くさせたりとカラフルな半日だったっけ。さて今年はどうなるやらと思ったら、パワフルでコミカルだったよ、はっはっはっ!。
パワフルだったのは、今川氏からの使者との対面だった。
京都雑掌の惣印軒を露払いにして、一門衆である蒲原宮内少輔氏徳と瀬名伊予守氏俊を送り込んで来やがったからだ。
「昨年は御助力を賜りましたこと、誠に忝く存じまする」
「向後も御厚情を賜りたく存じまする」
言葉には謝意が溢れているのに揃いも揃って無表情で言うものだから、本当に感謝しているのかと首を傾げたい気分だった。何となくだが抗議しに来たのではなかろうか?
そう思った理由を開陳する前に改めて状況説明をするなら次の通りとなる。
今川氏が被害を蒙ったいざこざの発端は、父祖代々の外交方針である北条氏との同盟関係を捨て去り、武田氏重視に方針を転換したことだ。それが今川氏領の東部、河東郡の喪失に繋がったのだ。
相互依存の同盟関係から敵対関係となったのを再び修復するには、それ相応の代償が必要となるし、交渉にも時間がかかるのは当然のこと。今川氏の返還要求を北条氏は突っぱね続けた。
そんな折、故郷から追放された武田信虎が、今川義元の舅という立場で国境紛争調停の立役者になろうと企んだ。駿河国と相模国の仲違いの当事者自らが仲介役を買って出たというのは、実に噴飯物である。普通に考えれば、調停は不首尾に終わるはずだった。
義元も調停失敗を前提とした行動の準備、つまり軍事オプションによる奪還を企図していたようなのだが、まさかまさかの将軍家が介入したことで急転直下の一件落着。北条氏側に多少有利な不可侵条約の再締結がなされ、国境線は元に戻ったのだ。
これで駿河国において信虎の地位は不動のものとなった、と政所へ届いた報告書に記されていたそうな。
将軍家を引っ張り出すというミラクルを成し遂げた信虎の評価は、当然の如く赤丸急上昇。無駄飯喰らいの居候を返上し、頼むにたる御仁様となったのには周囲のみならず本人にも出来過ぎた結果だったに違いない。遊び人から大賢者へのクラスチェンジというべきか?
飼い殺しにする予定だった猛獣が庭先で元気に吼え出したのは、義元にとっても今川氏一門衆にとっても歓迎すべき事態じゃないだろう。俺だって嫌だもの。出来れば即座に射殺したいよな。
蒲原と瀬名という一門衆の重鎮が二人も態々上洛した理由は、“将軍家が余計なことするんじゃねーよ!”って本音を遠回しに伝えることと、信虎が中央政界にどのくらいの人脈を持っているのかを探るのが目的じゃないか、と察しをつける。
俺の名推理が当たっているかどうかを検証する気はないけれど、駿相の国境争いが解決したことだけで俺自身は、余は満足じゃ、である。
手も足も目すら届かぬ場所のこと、アレコレと思案するのは時間の無駄に違いない。だから、大儀であった、の一言でさっさとお引取り願ったのだけれど。
だってさ、俺が思い描く十年後の日本において、今川氏は然ほど重要ではないからだ。中央は三好に、関東は北条に、それぞれ丸投げする予定だけれど。東海地方をどうするかは決めかねているからである。本当に、どうしよう?
愛想を振り撒かずに座を立った今川氏一門衆と入れ替わりにやって来たのは、まさかの武田氏からの使者!
去年までは音沙汰なしだったのに、今年は雑掌レベルではなく重臣クラスと思しき人物が使者として来たのである。
「お初に、御目に、かかり申す。武田、大膳大夫が臣、横田備中守に、ござり、まする」
つっかえつっかえ、新年の挨拶と将軍家の弥栄だかを言祝ぐ人物を見ながら、脳内で戦国時代ゲームのデータを呼び起こそうとした。……したのだけれど、武田の横田、武田の横田……思い出せない。
ってことは大した武将じゃない……のかな?
横田の背後に控える頭をツルリと丸めた僧形の男は、か細い声で駒井何とかと名乗ったが聞き取り辛く後の言上も何を言っているのか判らない。
それにしても、横田って老いたブルドッグみたいな顔だなぁ。戦場では勇猛果敢な武将なのだろうと思うが、矢鱈と額の汗を拭う姿を見ていると何となく可愛らしく思えてきたのでつい、去年は誰も来なかったのはどうしてだ、と口が滑ってしまった。
するとしどろもどろになりながら、弁明を始める横田。額から吹き出す汗を倍増させて、信濃攻めがどうとかこうとかと。いつしか、言わなくてもいいことまで口にし出しやがったよ、おいおいおい。
もともとは上洛する予定ではなかったのだそうな。昨年末のこと。武田信玄、じゃなくて今は晴信か、の命令で六角定頼に会いに行った際に、是非とも上洛するようにと勧められたのだと。……はてさて一体、何の用があったのやら?
何でも横田は、武田氏に代々仕えてきた家ではなく、元々は六角氏の家臣だったのだそうな。出身は佐々木氏の末裔に連なる甲賀の地侍だったとは吃驚だ。
もしかしたら、藤堂虎高が信虎に一時でも仕えられた経緯って、横田の存在があったからなのかも?
秘すべき楽屋裏事情までぶっちゃけてしまったのに気づいた横田は、御無礼の段平に御容赦を、と身を縮めて這い蹲ったが、俺としては面白い見世物を見せてもらった気分なので、笑って許してやる。勿論、苦笑いでね。
駒井は駒井で、毛を短く刈り過ぎたチワワみたいにプルプルと震えながら顔を青くしているものだから、余計に可笑しかった。俺の腹筋もプルプルだったよ。ああ、腹が痛い。
武田氏って猛獣ばかりが徘徊するサファリパークかと思っていたが、動物園チックでもあるのだねぇ。コミカルな人材豊富なのは何よりなことだ。
散々に楽しんだ後は、とっておきのドッキリが待ち構えていた。
多少のことでは動じない鋼の心臓を持つ男、と後年に評されるに違いない俺を驚愕させたのは、尼子氏からの使者であった。何故なら、惟高妙安禅師が介添えをなされておられたからだ!
今の今まで全く知らなかったのだが、惟高妙安禅師は若い頃に山陰地方で過されていたのだそうな。伯耆守護の山名氏や出雲守護の尼子氏の支援下で約三十年も活動なされていたとかで、両家と中央政界とのパイプ役を長年務めておられているのだと。
禅師の隣で平伏する佐世伊豆守は、青二才ながら実に優雅な佇まいの男であった。
鄙には希な、と形容すべきだろうか。さっきの無表情コンビやワンワン王国の住人に比べれば、格段に上等な衣装を着ている。流石は、八カ国守護の尼子氏の家臣だよ、お大尽だねぇ。まぁ俺の一張羅と比べれば、質は今一だけどな!
それにしても尼子氏かぁ……尼子氏なぁ……。
前世で観た大河なドラマだと、現当主の晴久は愉快なくらいに独善的なキャラクターであった。独裁権を強めようとした矢先に元就の謀略に引っかかり、戦力の中核だった叔父さんと配下を粛清したら、叔父さんの娘だった妻に暗殺されちゃったという暴走系うっかりマン。
謀略大王の孫のくせに驚くほど単純で粗暴な性格だったよなぁ。そして晴久の自業自得を契機に没落したのだよな、尼子氏って。どこまでが史実で、どこら辺が脚色なのかはしらないけれど、さ。
ドラマの印象がある所為か、尼子氏ってどこか危なっかしい雰囲気があるのだよ。先代の謀略大王こと経久が存命だったらそうは思わないのだけど。
信玄亡き後の武田氏といい、本能寺の変後の織田氏といい、偉大な指導者を亡くした後の大名家って、どうもなぁ。
龍造寺の隆信君に釘を刺しといて正解だったよ。龍造寺氏も史実では隆信君が沖縄……じゃなくて沖田畷で戦死したのが没落の原因だし、化け猫騒動へと連なる遠因なのだからさ。
「若子様におかれましては、何卒宜しく御引き立てのほどを御願い上げ奉ります」
仰々しい所作で禅師が両手を就いたのは、もしかしたら俺が微妙な表情をしていた所為かもしれない。俺が微妙な顔をしていたのは、東海地方同様に山陽山陰の西国地域も未来予想図では空白地帯だったからだ。
現状を追認すれば、本命・大内、対抗・尼子、大穴・毛利、となる。後の歴史を知る身としては、毛利氏の一点買いで勝負ありなのだけど。未だ国人領主枠に留まる毛利氏に全てを託す訳にはいかないよなぁ。
九州もまた、以下同文だ。
大友一強の牙城を崩すのが島津氏になるのか、はたまた隆信君になるのか。少弐氏を潰して独立を保持し、平戸や長崎の貿易港を併呑出来たら隆信君の芽がググっと伸びるのだが……当分の間は様子見だよなぁ。
予想外の者たちとの引見が済めば、今度は一昨年も去年も顔を合わせた者たちがゾロゾロと。どこそこの誰々と名乗りを上げる者たちに大儀大儀と言い続けて、いい加減欠伸が出そうになった頃、六角氏の名代として今年も進藤山城守がやって来た。
仇や疎かには出来ぬ近江国からの使者の登場に今年もちょびっとビビるが、初見ではないのだ。落ち着いて対処するとしよう。
型通りの挨拶をする進藤に“大儀である”決まり文句を言うと一昨年とは打って変わり、去年と同様にアッサリと辞去しようとする。またもや何かお願い事をされないかとヒヤヒヤしていたので、今年も肩透かしをくらった気になった。
「本年は一方ならぬ世話をかけると思うが、委細宜しく頼む」
などと言わずもがなのことを口走ってしまったのは、安心し過ぎた所為かもしれない。
慌てて右手で口元を覆っても後の祭り。覆水盆に返らずだ。誤魔化すために咳払いをしたら、進藤は片眉をピクリとさせただけで何も言わず、頭を下げる。
「大儀であった。弾正(=六角定頼)には感謝しておると申し伝えてくれ」
去って行く近江国の重臣を見送りホッと一息。本日の予定はこれで終了。進士や与一郎たちの視線が少し痛いが、四十八時間後のことに比べれば何ほどのこともない。
トンチキ親父の無茶振りで草臥れ果てるまで散々に舞い踊らされ、歌わされたのは一昨年の正月三日の夜のこと。あのように、しんどくて恥ずかしい思いは一回こっきりだと思っていたのだよ、俺は。
嗚呼、それなのに。去年も無茶振りをされ、今年もまたまた以下同文。然れどそれも明後日の晩でお仕舞いさ!
今年が終わる頃には俺に命令出来る武士はいなくなるのだ、ざまぁ見やがれ河童の屁、ってな!
「若子様、えろう御機嫌さんですな」
襟巻きに首を埋めた石成主税助が、平均的な引越し用ダンボールサイズの櫃を括りつけた棒を肩に担ぎながら問えば、俺はふふんと口を開かずに笑うだけで返答する。ああ勿論、御機嫌さ。……今だけはな!
今年で最後のオンステージ、何を披露すべきだろうか?
三年連続ともなれば流石にネタも枯渇する。とは言え、頭の中にある歌を全て歌い尽くした訳じゃない。これでも大学生の頃は、歩くジュークボックスと陰口を叩かれ捲った男だ。まだまだ歌える曲は記憶に重積されている。
しかし、この時代に歌っても大丈夫そうなストックがもうほとんど残されていないのだ。例えば童謡の『月の沙漠』。洛中在住の室町人に“沙漠”や“らくだ”が判るだろうか? 『スーダラ節』の時のような苦労は金輪際御免だし。
文化サロンとの兼ね合いがあるから、禅師らに教えた歌は使用禁止だし。去年は『東京音頭』などで誤魔化したが、はてさて今年はどうすべきか……。
「若子様、馬上での考え事もほどほどになされませ」
自問自答に没頭し過ぎて鞍からずり落ちそうになった俺の鼓膜に、馬の口取りをする三淵伊賀守の叱責が突き刺さる。済まぬ、と言いながらも考え続けたら御機嫌気分は雲散霧消、段々と憂鬱になってきたよ。
暗澹とした思いは丸一日以上経っても解消されなかった。気分転換にと昨日は夜遅くまで薄暗い部屋で片付けをしていたのが拙かったのかもしれない。
元日に主税助が持ち帰った櫃を開ければ、今年も増えたよ能面が。嫌がらせかと思うくらいの十八枚。
どうせなら、ブルドッグ横田とチワワ駒井が進物として指し出した碁石金が欲しかった。三袋もあったのだ、一袋くらい、せめて一掴みくらい。そう思ったのだけれども、伊勢伊勢守のクールでコールドな眼差しを前にして“お年玉頂戴!”とは言えないよなぁ。
それにしても最近は“ノーコメント”を連発しなくなったってのに、周辺の情報更新はなされていないのが何ともはや。俺は土器と銅鏡は集めているが能面は集めてねぇってばよ!
ミトコンドリアよりも学習能力がある俺のことを、よく理解していない者たちの何と多いことよ。嘆かわしいねぇ、全く。望まぬ献上品は全部お蔵入り、いや、観音殿入りだ。
ふわぁ、と大欠伸をしながら会所へ向かう。足袋を履いていても何と廊下の冷たいことよ。ああ、床暖房プリーズ。
カラリと障子戸を開ければ鼻腔と胃袋を刺激する、素晴らしい芳香が充満していた。今日の朝食は皆がお待ちかねの、カレー雑煮だ。前世でも試したことのないメニューを世界遺産のお堂で食べる贅沢に束の間、憂いも吹っ飛ぶ。
前世ではオーソドックスな澄まし汁に水菜と煮餅の雑煮ばかり食べ続けていたからなぁ。カレースープで餅を食う日が来るとは思わなかったよ、実際の話。
左右を見渡せば、戴きますと合掌するやいなや御椀を片手にがっつく少年たち。去年の暮れに提供した時から近習たちはズーっと、カレーの虜となっている。幾つもの野菜と林檎と鴨の骨と川魚の干物などで取った出汁をベースにした贅沢な逸品だ、不味い訳がない。
栄養満点で滋養強壮にも良いとなれば、育ち盛りには堪らないだろう。
最初は、見た目の色具合や香りに拒否感が出るかと思ったけれど、見た目は味噌と大して変わらないし香りも薬臭くない芳醇さだ。カレーライスではなくカレースープにしたのも、勝利のカギだったのかもしれないな。
カレーの虜となったのは近習たちだけではなかったりする。村井吉兵衛や主税助や田中久太郎ら大人たちもだ。恐るべし、カレーの魔力。流石は国民食ナンバーワンなだけあるなぁ。
俺も大好きだから毎日でも食べたいところではあるが、如何せんカレー粉の元となる漢方薬は安価ではない。そうホイホイとは用意出来ないのが悲しいところ。ゆえに月に一度の特別メニューとしているのだが、正月ならば別である。
今年も一年、皆が元気で過すためのお祝い膳として配したのは正解だったようだねぇ。本来ならば台所から配膳すべきものだが、今日だけは会所に置いた火鉢の上に鍋を載せている。おかわりしたければセルフ形式で、ってね。
気づけば、三つも用意した鍋が既に二つも空になっていた。俺は二杯で餅四つも食せば満腹だが皆は違うらしい。三杯目を食べ終えた赤井五郎次郎が四杯目を食べ終えた三好神介と鍋を挟んで睨み合っていた。
「餓鬼でもあるまいに、みっともないぞ」
などと言いつつ進士は二人を窘めながら脇から手を伸ばし、悠々と三杯目を椀に装う。年の功と言うか意地汚いと言うか。
箸を置いた俺は合掌一礼後、さっさと席を立つ。モグモグとさせたままの与一郎らに食事を続けろと手だけで合図し、会所を出れば背後から食い意地が原動力の者たちの喧騒が聞こえて来たよ。
「おぬし、何故に餅を三つも獲りたるや!?」
「俺が容れたのではない、餅の方から勝手に入ったのだ! おぬしこそ五杯目ではないか!?」
「何だと! 言語道断の所業なり!」
「その方ら表へ出よ!」
「「「応!!」」」
……仲良きことは美しきかな?
出立の刻限まで残り半日。東求堂に引き篭もった俺は“花の御所”からの迎えが来るまで、棚に飾った土器の配置換えをしながら選曲タイムに没入する。思い浮かぶ曲に次々と不可の烙印を押す作業の何とも虚しいこと。ああ、困った困った。
「若子様」
障子戸越しにかけられた与一郎の声に上体を起こし、瞼を擦れば乾いた目やにがポロポロと袴に落ちる。どうやら眠りこけてしまっていたようだ。
「何用か?」
「“花の御所”よりお迎えが参っておりまする」
「……然様か」
立ち上がろうとして床に手をつけばクシャリと音がする。何だろう? ああ、そうだ。思いつきを書き散らした美濃和紙か。そういえば、何か妙案が浮かんで安心したのだっけ。それで居眠りしてしまったのか。どれどれ、何が浮かんだのだったっけ?
“六入”と大書きされた周囲には、“菩提”だとか“呻吟”だとかと仏教用語やら何やらが書き散らされていた。……満腹感で寝ぼけていたのかなぁ。
「失礼致しまする。お召し変えの手伝いをさせて戴きまする」
たとう紙に包んだ衣装を両手に捧げ持った一色七郎と松井新左衛門を伴い入室する与一郎に、俺はメモ書きを突きつけた。
「“六入”とは何だ?」
「……惟高妙安禅師の御教えによりますれば確か、眼耳鼻舌身意の“六根”あるいは色声香味触法の“六境”のことで、六根を内の六入、六境を外の六入と申すとか」
「然様か」
全然覚えてないや。いや、覚えていたから書いたのだろう。
与一郎たちに身を任せながら書きつけた単語を、胃弱気味の牛のように何度も何度も反芻する。……ああ、なるほど、そーゆーことね。
「整いましてございまする」
「おう、余も整ったぞ」
唐突の発言過ぎたのか、七郎と新左衛門が怪訝な顔で首を傾げた。俺の行動に慣れた与一郎は目も合わせずに、それは良うございました、などとほざいているが。しかし、素っ気ない近習たちの態度も今の俺には馬耳東風さ。
だってさ、俺ってやっぱり天才だよな! ってことを実感しているからさ♪
抑え切れぬ歓喜を抱えながら廊下を渡れば、庭の向こう側から勇ましい掛け声や歓声が聞こえてくる。どうやら朝餉の続きが未だに行われているみたいだ。
迎えの者が待つ会所へと踏み入ると、ここにも朝餉の余韻が残っている。カレー臭って強烈だよなぁ、本当に。臭い消しとして線香が焚かれているが、俺の敏感鼻は誤魔化せやしない。
「大儀である」
そう申したら、火鉢を抱えるようにしていたトンチキ親父の側近たる大館左衛門佐晴光と奉公衆メンバーの高和泉守師宣が、ゆるゆるとした動作で頭を下げた。今年も一際冷えるとはいえ、もう少しシャッキリとしろよ。
名残惜しそうに火鉢から離れる大人二人を従え、防寒用の沓を履いて庭を回れば、コートでは近習たちが特殊な道具を手に駈けずり回っていた。
「世子様、もしやあれなるが“庭球”ござりまするか?」
「然様である。よく存じておったな、左衛門佐」
「昨年、息子に聞きましてござりまする」
「某も聞き及んでおりまする」
袖口を合わせるように腕組みをした大館と高に、俺は立ち止まって説明をする。
「そちらの息子たちが手にしているのは、“羅結斗”という物だ。太く頑丈な蔓草を柄杓形(=斗)にし、薄布(=羅)を張り結んである。木屑を押し固めた物を芯にした布の球を、アレで打ち合うのだ。道具を使う蹴鞠のようなものと考えれば良い」
「ははぁ、なるほど」
「獲物を正しく捕らえる目がなければ打ち返せぬし、周囲への気配りをせねば無駄打ちとなる。更に足腰を鍛えておらねば踏ん張って打つことが出来ぬので……」
ワーッと悲鳴を上げた石谷三郎左衛門が、踏み荒らされた雪の原で派手にすっ転んだ。大丈夫かと親族の和田伝右衛門と新助兄弟が駆け寄り、他の者たちは“粗相、粗相”と囃し立てる。
「大勢で冬場でも出来る鍛錬の一つである」
なーんてな。
俺が心の中で舌を出したのにも気づかず、大館と高は感心頻りといったように何度も何度も頷いていた。丸い卵も切りようで四角じゃないけれど、モノも言いよう嘘も方便ってことさ。
「蹴鞠ならば作法を守らねばならぬが、庭球には堅苦しい決まりなどない。楽しみながら鍛えられるのだ」
歩き出した俺の姿に気づいた近習たちが声を揃えて“行ってらっしゃいませ”というのに、片手を上げて応じる。無駄に体を冷やすなよ、と言ったら、心得まして、と元気な唱和。俺もあいつらも防寒着を着込んでいるから大丈夫だけどな。
去年までとは異なり、今年は防寒着の御蔭で寒さが大分軽減されたように思う。今では慈照寺で寝起きする者全員が手放すことが出来ない冬の必須アイテム、少し厚めの羽織形の衣装の御蔭だ。
名は“拿雲”である。
誕生の切っ掛けは去年の初夏、町角で雉を捌いているのを見かけた時のこと。大き目の綺麗な羽は矢羽に用いるがそれ以外は捨ててしまうと聞き、それなら不用品の羽を集めればダウンジャケットや羽布団が作れるのではなかろうか、と思いついたのである。
思いつきで始めた目論見は、当然ながら上手くいかなかった。
ダウンジャケットに用いるのは厳選されたアヒルだかガチョウだかの羽毛だったはず。雉やら山鳩やら鴨やら烏やら雀やらと厳選されていない雑多な羽毛しか入手出来ぬ現状では、完全再現など出来ようはずがない。
しかしペラペラの生地を幾重にも縫い合せただけの衣装よりは、遥かにマシである。重いわ、ゴワゴワしていて身動き取り辛いわ、の衣装はもうコリゴリ。俺の体力に見合った軽い衣装が欲しかったのだ。
当初は慈照寺の雑務を担当する小者たちに試作を命じたのだが、難儀のし通しであった。通常の縫製よりも緻密にせねばならなかったし、何よりも一着分の羽毛を集めるのが至難の一言で。
どうにか出来た試作品の着心地は、悪くもないが宜しくない。実に微妙なものであった。縫製は荒いし、羽毛が均一に整えられていないし。やはりこれは素人には無理だった。だが、是非とも手に入れたい。
そんな時には丸投げが一番。
たまたま所用で慈照寺へやって来た桔梗屋利兵衛に頼んだのだが、それが思わぬ波及効果を伴ったのだから、世の中って判らないものだ。
先ず鳥を集めるのは利兵衛配下の忍びたち、藤林一党にはお手の物。彼方此方の山野で狩り立てた。羽毛を毟り、洗浄してから一定の大きさに整えるのは、洛中の浮浪児たち。そして着衣に仕上げるのは定職のない女性たち。
洛中の土木や建築現場で働く男ばかりを差配していた桔梗屋は、新たな仕事と人手を確保出来てホクホク顔。確保された側も負担の少ない仕事で銭が貰えるとなれば、文句を言わずにせっせと働く。
今や洛中で働いていないのは、働く気のない者か働けぬ体の者だけとなっていた。
働く気のない者は生きていけぬ時代なので、自然と淘汰されていく。まぁ自業自得だな。互助と公助に乏しい社会なのだから仕方がない。働かざる者食うべからずが世の不文律なのだもの。
働けぬ体の者とは、ほぼ重病人か高齢者である。彼らは発見されると即座に清水寺へと搬送されるのが、最近の決まりでとなっていた。理由は、堂宇が一新された清水寺に、施薬院と悲田院が併設されているからだ。
施薬院とは入院施設つきの病院で、悲田院とは老人ホームのことである。
どうしてそのような手厚い福祉が行われているのか、の答えは単純明快。疫病対策である。
とはいえ事業はまだまだ端緒の端緒。大袈裟に誇り語れるほどではない。それでも大水害後から約半年を経た今日に至るまで疫病らしい疫病が洛中で流行していないのだから、間違ったことはしていないのだろう。
“花の御所”到着直後、トンチキ親父とサー・マザーに挨拶を済ませて直ぐに小さな部屋へ火鉢と鉄瓶と茶碗と筆記用具を持ち込んだ俺は、創作の鬼と化す。板戸には入室厳禁の貼紙をして。
そして時刻は日暮れの頃と相成った。
主殿の前に設けられた仮設舞台。ここに立つのも三度目か、と思えば感慨深い……訳あるか! 今日で最後だ、金輪際立たねぇからな!
後ろに控える太鼓に鼓に笛などの囃子方、脇には観世宗節師。主殿内の観覧席にはトンチキ親父とサー・マザーを中心にしたいつもの面子……だけじゃなかった。
可愛い可愛い妹の初子を膝に抱いているのはグランパ、近衛尚通爺さんだ。横にはサー・グランマ、維子婆さんもいる。流石に伯父さんズは一人もいないけど、篤子姫と龍丸が当たり前のような顔をして座っていた。
しかも男共は全員が全員、“拿雲”を着込んでいる。女性陣は裾を長くした改良版、“雅雲”姿だ。そして抹茶オレたっぷりの茶碗を手にしていやがるときたもんだ。野外ライブ対策もバッチリだよ、全くね!
どうしてこうなったと、思わず天を仰げども月にすらそっぽを向かれてしまっている。今夜は新月かよ、畜生めが! 天は我を見放した! と心象風景は雪の進軍氷を踏んで、だよ。
……まぁ、今更ジタバタしたとて、世紀末が来るのは五十年以上も先の話。
それでは一世一代のステージを始めよう。
イントロは、毎度御馴染みの『寿限無』である。宗節師の謡いに合わせ、アクロバティックに踊ってみせようホトトギス。何度やっても能面被ってのダンスは緊張するなぁ!
続いて、六角氏から献上されたばかりの“小姫”の面を外し、『一月一日』を伴奏つきで歌う。宗節師の軽やかな舞いはいつ見ても美しいよね、眼福眼福。
さて、本日のメインはこれからだ。
目を閉じ、腹式呼吸で息を整えてから、ゆっくりと深呼吸をする。両足を踏ん張り、衣擦れすら立てぬ所作で合掌すれば、やんややんやと賑やかだった観覧席も潮が引くように静まり返った。
大いなる静寂に包まれるのを感じた俺は、必至で覚えた創作文を念頭に浮かべて吟じる。
「菩提を喩うれば、命を華美なる望みに和して委ね、能く意を図りて普く礼を為すと。須らく忉利の陰に座して都護せば、阿鼻は火を納め、倶に満たせり。瑜伽も作務にして泥む。魔土を杜ざさば、穏やかなり。又、須らく永に布けり」
満座の中で、大雑把なデタラメを朗々と吟じ続けるのは結構苦しいが、前振りをしなけりゃメインを演じられないからな。弁慶でさえ勧進帳を読み上げたのだ、天才の俺に遣り遂げられぬはずがない。頑張れ、俺。負けるな、俺。
「呻吟す。有為、有為に流れるも、有為、有為に留まるも、六入なり」
どうにかこうにか言い終え両目を見開けば、観覧席も仮設舞台も寂として声なし状態であった。さてお待ちかねだぜ、皆の衆。アー・ユー・レディ?
右足で床板をドンと踏んだら左足でもドンと踏む。すかさず拍手を一つ打ち、それを繰り返した。脇でボーッと突っ立っていた宗節師に目配せしたら、俺の刻むリズムに合わせて同じ動作をしてくれる。
咄嗟に半回転して囃子方に頷けば、やはり大きく頷いた太鼓と鼓が足踏みと拍手に拍子を合わせ、派手に打ち鳴らしてくれた。
再び観覧席へと正対した俺は、気力を振り絞って肺活量の限界点へと果敢に挑む。
「菩提喩和望命華美能意図普礼為陰座須忉利都護納火阿鼻倶満作務泥瑜伽杜、魔土穏又布永須!」
一息で歌うのは本当にキツイ、未熟な子供の体だから尚更厳しいぜ。
「呻吟!」
だけどね、歌い上げられたら最高に気分がいいのだよなぁ、これがさ!
「有為有為流有為有為留、六入!」
俺の天才的に乏しい頭脳ではワンコーラスしか変換出来なかったけれど、別にいいよな?
後は超訳的意訳をせずにそのまま歌ったとて、室町人には呪文のようにしか聞こえやしないだろうし。
仮設だとても結構確りと造られている舞台で、数え切れぬほどにドンドンと踏みつければ足裏も膝も痛くなってきた。これは多分、腰にも影響が出そうだな。明日から数日は寝たきりになるかもしれないなぁ。
急上昇中の体温に耐え切れず、“拿雲”を脱ぎ捨てようとしたらビリリッと軽い破滅の音がした。どうやら背中側の生地が裂けたらしい。ええい、構うものかと天に向かって脱ぎ捨てれば、夜空に色とりどりの羽毛がパッと撒き散らされる。
照明設備として盛んに燃やされる焚火に照らされた羽毛がヒラヒラと、まるで天から舞い落ちる雪のよう。あるかなしかの夜風に掬い取られるや、舞台一面に広がっていく。何だか演出みたいで、結果オーライだな!
一頻り歌い踊った俺は最後とばかり、ドンと両足での着地を決めた。同時に右の拳を天へと突き上げる。
「六入!!」
渾身のシャウトを満天の星空へ放った俺は、そのまま尻からへたり込む。ああ、疲れた、もう動けねぇ。
無礼千万かもしれないけれど、汗が滲んだ足袋裏を観客にみせる失礼を許してね。大の字に寝っ転がれば、舞台の堅さがヘトヘトの体に沁みるぜ。もう、このまま爆睡したくなってきたよ。
荒い呼吸を繰り返す俺の耳に、不意に甲高い声が届く。
「天晴れなり!」
ははは、いつもならウザいとしか思えぬトンチキ親父の声だけど、今は全然気にならないや。褒めてくれて有難うよ、将軍様。頑張った甲斐があったってものだぜ。
すると今度は何人かの足音が聞こえてきたよ。
「兄上さま」
おや、初子か。
「ろくにゅー!」
って、いきなり腹の上へのダイブは勘弁してくれ。兄ちゃん、鯨みたいに胃液を吹きそうになるじゃないか。逆流性食道炎って苦しいのだからね。
「菊幢丸よ」
何だよ、龍丸。俺は初子がプレゼントしてくれた会心の一撃で昇天寸前なのだから、これ以上は何も出来ないぜ?
「此方も、一指し舞うぞ!」
勝手にしろよ。
「此方もじゃ!」
篤子姫もかよ。
その後、俺はサー・マザーに抱かれながら少年少女の舞い踊りを虚ろな目で眺めていた。少年少女が満面の笑顔で舞台から降りれば、今度は奉公衆や奉行衆の有志が踊り出す。誰も彼もが舞いというには単調過ぎる、足踏みと拍手ばかりだけどな。
歌うのは、あっという間に歌詞を覚えてしまった宗節師。笛の吹き手も優れた技能の持ち主のようで、華麗なメロディラインを奏でていた。
心で鑑賞すれば素敵な幻想のようで、頭で理解しようとすれば珍妙な悪夢チックな能舞台だよね、全く。
トンチキ親父もグランパも、サー・グランマさえ楽しそうに手拍子をしていた。まぁ何であれ、ミッションはコンプリートだ。もう誰も、お早うフェルプス君、的な変な命令はするなよな。俺は間もなくスリープ・モードだからさ。
「世子様、身共は来月、興福寺にて舞台を仕掛けまする。何卒、お力添えを戴きたく伏して願い上げ奉りまする」
「それは良い。菊幢丸よ、助力してやれ」
だから、命令するなって言ってるだ……ろー……が………………。
今回の話、これくらいなら大丈夫だろう、と思いますが。
どうか、お咎めがありませんように(平身低頭)。