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『 ピクニック at パンク・マッチロック 』(天文十四年、夏)

 今回は、オールスター夏の大集合大会、のようなものです。今は秋の終わりですが、何か?

 『牢人たちの戦国時代』(著/渡邊大門、刊/平凡社新書)と、『老侍』(著/吉川永青、刊/講談社)の影響を受けての内容ですので、悪しからず宜しからず。

 誤字を訂正致しました(20181028)。

 文字に変換すれば、バーンとドーンのミックスだろうか。

 丸めた和紙で耳栓をしていても鼓膜に響く振動が、銃声の凄まじさを如実に体へと伝えてくれる。引鉄が引かれ火縄が火皿を叩くたびに、もうもうと立ち込める硝煙が鼻腔を(いた)く刺激するが、嫌な気分ではない。

 むしろ腹の底から高揚感が沸き立つのを覚える。

 普通なら嗅いだことのない異臭だと騒ぎ立てるのだろうけど、実際に三淵は未だに臭い臭いとボヤいている、火薬の臭いを嗅ぎなれた俺には何とも懐かしく感じるのだよなぁ。

 子供の頃は幼馴染と爆竹や火薬鉄砲などは必須アイテムだったし、長じても夏になれば花火は欠かせなかった。ロケット花火を五本くらい束ねて点火したり、打ち上げ花火を海岸線ギリギリで炸裂するように工夫したりと、良い子はマネしちゃダメだよ的なことを散々やったのが昭和の愉快な日常である。一部、語弊あり。

 今更、硝煙に文句言ったり銃声にビビッたりするような柔さなど、はなから持ち合わせちゃいないさ。思っていた以上に五月蝿いとは思ったけどな。しかしそんな轟音は俺の活力源となるのである。

 今ここには一丁しかないが、何れは百丁千丁となり、国崩しから途中省略してアームストロング砲となるのだ。そうなれば、大坂城だろうが旅順要塞だろうが木っ端微塵だぜ、ヒャッホー!

「御目汚しを致しました」

 都近辺では聞き慣れぬ独特のイントネーションに、戯けた妄想で忘我の境地に至りかけていた俺は、慌てて覚醒する。

 隣の若造に、銃口から細い煙を立ち昇らせる得物を預けるや、こちらへと正対する壮年の武士。自然な動作で片膝を就こうとしたから、立礼で良い、と言えば直立からの四十五度姿勢。その出で立ちは、朴訥を練り上げて作った彫像のようである。

 タイトルは多分“考える人”ならぬ“畏まる人”だよな。

「見事である」

 手にした扇子で膝を叩けば、お褒めを戴き誠に恐悦至極、と更に腰を折って六十度に。その姿から視線をずらして横の若造を見遣れば、まるで正反対の雰囲気で仁王立ちしていやがる。

「御土産、お気に召しましたでしょうや?」

 火縄銃を片手に踏ん反り返ったままで自慢げにニヤニヤと笑うのは、滝川彦右衛門だ。日焼けした黒い顔に伸び放題のむさ苦しい髭。以前にはなかった貫禄っぽい何かを醸し出そうとしているようだが、野盗の小頭(こがしら)にしか見えねぇや。

 それはそれとして……なぁ、彦右衛門よ。

火縄銃を手に入れて持ち帰れとは申しつけたけれど、火縄銃を手に入れた男まで持って帰れとは言わなかっただろう?

 実直そのものに頭を下げ続ける男。先の種子島の当主、種子島加賀守恵時(しげとき)に視線を戻した俺は、自称“困っている男”となって額に手を当てた。どうしたものやら、どうしてこうなったのやら?


 外は相変わらずの雨。ザーザーとひっきりなしに降り続けている。

 一般的なプレハブ二棟分の大きさの小屋の中にいるので濡れずに済んでいた。小屋と言っても屋根に柱があるだけで床などはなく、壁も(むしろ)を吊り下げているだけだ。使用した建材はちゃんとした物を使っているから、言わば上等な掘っ立て小屋だな。

 そこに五人分の床机が置かれていた。上座には俺、両隣には三淵伊賀守晴員と荒川治部少輔晴宣、対面に種子島の隠居が座し、下座には彦右衛門である。

「余には理解が及ばぬ故に訊ねるが、加賀守は何故に故地を離れてまで上洛しようなどと思ったのだ?」

 恵時は口を開こうとしたが気遣わしげに、左右へと目を泳がした。

「気にするな加賀守。そこの彦右衛門と同じく余は無位無官の身である。直答するは僭上の極みとならぬ。疾く申せ」

 然れば、と前置きした恵時は定めた眼差しで俺を見る。

「世子様におかれましては当家の苦境をお救い下さいましたこと、誠に以って忝く、衷心より厚く御礼申し上げまする」

 深々と下げた頭をすっくと持ち上げるや、恵時は低い声で静かに語り出した。まるで、ひたすらに教科書を読み上げるだけで授業を一コマ終らせる大学教授のように、スラスラと。立て板に水、ってのを久々に見たよ。

「先ずは当方の出自から語らねばなりますまい。早速それが物語る上での近道かと存じます故に」

突如始まった一人語りは、種子島氏の勃興からの物語である。おいおいおい、説明が迂遠過ぎやしないかと思いつつも、取り敢えず俺は物語に耳を傾けることとした。

 種子島氏は平清盛の曾孫を家祖とし、鎌倉幕府の実力者であった北条時政の助けを受けて種子島含む十二もの島の領主となったのだそうな。地方領主としての生活は順風ではなく、逆風に吹かれ続けであったとか。

 そりゃあ、そうだろう。中央には中央の、地の果て海の向こうにはそれなりの事情があって当然。南海に浮かぶ島の事情とは近隣の名家、島津氏の事情に直結するものだそうな。

 就職して二十年を迎えた昨年、前世での昨年だから今からだと四年前か、記念として国内旅行をしようと考えた際の候補の一つが、種子島であった。鹿児島とは直線距離で約三十キロ、フェリーに乗れば三時間くらいの洋上に浮かぶサヤエンドウみたいな形の島。

 九州最南端からは近くもないが遠くもない。独立性を保てる半面、海の向こうからの干渉を撥ね退けられるほどでもない絶妙な距離感。まるで大陸と日本列島の関係みたいだよな。

 種子島氏の諸島支配は島津氏のバックアップあってこそ、故に島津氏の気分次第で領有権を剥奪されたりすることもある。先祖代々、支配権を所持しているのにと切歯扼腕することもあったとか。弱者の悲哀だねぇ。

 先祖代々云々に、多少引っかかるけど。

 現代でも現在でも“ウチは先祖代々”と言い出したら要注意である。往々にして後世の者が後付の理由で、事実を都合の良い真実に改変したりしているからだ。嘘八百ではなくとも、針小棒大の可能性ありだもの。

 俺が話半分で聞いていることなど気づかぬ恵時は、まだまだ“種子島氏監修による史実”を語り続ける。

 全然知らなかったが、つい最近まで島津氏は内部抗争に明け暮れていたのだそうな。三淵を見遣れば首を微かに振る仕草、どうやら政所や“花の御所”でもキャッチしていない情報のようである。内部抗争とは、分家の一つから本家の家督を相承した貴久を他の分家が認めなかったで起こった騒乱だそうな。

 貴久って、確か超有名な島津四兄弟の父親だったよな?

 陰々滅々で泥沼な島津氏の内紛は、周辺の領主たちに迷惑だけではなく恩恵も与えたらしい。恩恵を甘受したのは島津氏のライバルである大隅国の大名・肝付氏で、迷惑を蒙りつつ恩恵を得ようと画策したのが彌寝氏だった。

 彌寝氏は、大隅国で肝付氏に従わぬ数少ない国人領主であった。それ故に九州の最南端で逼塞しているしかなかったが、肝付氏の目が内紛中の島津氏へ向いたのを好機と捉え、独自の行動を取り始める。

 肝付氏がいるから北進は出来ぬ、ならば南進すれば良いじゃないかとばかりに種子島へと渡海侵攻策を実施したのだと。島津の親分さんの統制が乱れ、子分Aが子分Bを襲撃し、子分Bはコテンパンにやられてしまう。

 それが、一昨年に政所に届いた種子島からの手紙の顛末だったのだ。

 子分Bこと種子島氏が子分Aこと禰寝氏に負けちまった原因は他にもあり、それもまた内輪揉めとのこと。恵時が弟の三郎兵衛時述(ときつじ)と争ったのが、一番の原因なのだとさ。何やってんだか全くね?


 夫婦喧嘩は犬も食わぬと言うけれど、御家騒動は滅亡への架け橋だよな、本当に。

 以上、身内での殺し合いばかりをしてきた源氏の末裔にして、後継者争いで日本全国を無法地帯にしてしまった足利家の子孫からの、素朴な感想でした!


 御恥ずかしながら、と首の後ろに手を当てた恵時は口篭るようにボソボソと兄弟喧嘩の理由を洩らした。

(それがし)、些か分不相応を致しまして……」

 大陸と堺を結ぶ交易船は、その途上で実に様々な港に寄港する。坊津以外では博多や平戸がそうだし、現在は外国である琉球もそうだ。そして種子島もまた、寄港地として船乗りたちに認識されていた。

 つまり種子島氏は居ながらにして、海外の文物と接触出来たのである。

 到来する“唐物”は、平安時代以前から持て囃される贅沢品。平安貴族たちは重要な進物として贈答し合い、ステータス・シンボルとして珍重していた。武士が権力を持てば武士も、町人が裕福になれば町人も、貴族趣味に耽溺する。

 八代義政が溜め込み、手元不如意の際に切り売りした所謂“東山御物”も、その多くが唐物である。俺はそれほど興味ないけどね。輸入品よりは国産品の土器や土偶や埴輪の方が、よっぽど趣があると思うし。

 ……世の中に対し逆行し過ぎかな、俺?

 まぁ、いいや。俺のことより恵時のことだ。先の種子島当主は、地元にやって来る交易船がもたらす唐物に少々では済まないくらいに入れ込み過ぎ、奢侈も大概になされませ、と弟に叱られたのが兄弟喧嘩の理由だそうな。

 何だろう、恵時が他人のように思えない気がしてきた。

 もしかしたら、俺と恵時は“魂の兄弟”なのかもしれない。年齢差を考えれば“魂の親子”か?

 趣味に嵌り過ぎた結果、他人からすれば“道楽者”と罵倒されても致し方ない状態に陥るだなんて。人生にはよくある事じゃないか。小原庄助さんみたいに朝寝朝酒朝湯だったら何も残りはしないが、蒐集趣味なら現物が残るのだからいいじゃないか。コレクター万歳!

 だからこそ、恵時が統治する種子島は鉄砲伝来の地として全国に遍く知られ、後世にまで歴史に名を残したのである。新規や珍奇を拒絶しなかったが故に、数百年後にはロケット打ち上げセンターまで建設されることとなったのだもの。浪費家に幸あれかし!

「三郎兵衛の手引きで討ち入って来た大隅の悪党共に衆寡敵せず、(それがし)は屋久島へと落ち延びまして候。恥も外聞もなく逃げた(それがし)に、御家の当主は相応しからず。情けなきことながら元服前の嫡男に家督を譲り、隠居した次第にて」

 恵時が隠居したことで彌寝氏は矛を収めたそうだが、勝ち(いくさ)の戦果として屋久島を分捕ったのだとか。

(それがし)の隠居は致し方なしと思いはすれど、先祖代々の封土を奪われしことは悔しきばかりでございました」

 武家として、領地を奪われるのは血反吐を吐くよりも苦しいよな。トンチキ管領に比べれば猫の額程度の領地しか持たぬ、貧乏所帯の足利家の一員だから本当によく判るぞ!

 もしもピアノ……じゃなくてタイムマシンがあったなら、尊氏の胸倉掴んで“子孫の生活設計くらい考えろや!”と文句の一つも言いたいくらいだからな、畜生め!!

「己の無為に(ほぞ)を噛む日々でございました。然様な折に荒川治部少輔殿、摂津中務大輔殿、米田殿がお越しになられましたのです」

 名前を呼ばれなかった彦右衛門がズッコケそうな仕草をするのを無視して、俺は恵時に続きを促した。

 既に事情を了解していた荒川たちは、旅の途上で掻き集めた警護の者たち四十七名を差配して種子島の郎党たち二百名と共に勇躍、禰寝氏に奪われた屋久島へと一気に攻めかけたのだと。“この間の遺恨覚えたるか!”みたいな感じか?

 軍勢の総大将は若き種子島の当主、時尭。弱冠十六歳。かくして、かくも早い反撃を予想しきれなかった彌寝氏は散々に討ち破られた。最大の戦果は彌寝氏当主、清年の弟で屋久島の城代となっていた重貞の首を上げたことである。

 清年の右腕と目されていた人物の敗死と失地で、彌寝氏は再び大隅半島の小領主へと逆戻りする羽目に。種子島氏は昔日の……と言うほど昔じゃないが、恨みと積年の鬱屈を晴らすことに成功したのだった。めでたしめでたし♪

 それにしてもまさか、男は黙ってなんたらビールみたいに言葉少な目っぽい感じの人物が、ここまで能弁だとは。あまりに澱みなく喋り続けるので、うっかり弁士中止と言い損ねてしまったよ。

「これも(ひとえ)に世子様のお慈悲と御高配の賜物でございますと、家中全てが誠に忝きことと謝恩致し候。書状のみにて礼を申すは不敬の極み、不調法者と誹られようと御前にて赤心より額づかせて戴きたく、罷り越した次第にござりまする」

 床机から腰を浮かしかけた恵時へ、良い良いと控えるように言いつつ俺は傍らへと頭を傾ける。

「治部少輔、大儀であった」

「何の、世子様。(それがし)こそ得難き経験をさせて戴きました。御礼を申し上げるは身共の方にござりまする」

 まるで三淵の分身のように四角四面の所作で辞を低くして腰を折る荒川だったが、面を上げるや直ぐに破顔一笑した。出発前とは異なる赤銅色に染まった肌も、整えられた口髭も(いかめ)しく、実に頼もしい面構えである。

(いくさ)場に立つは、武士の本懐にござりまするので!」

 カラカラと朗らかに笑う荒川。よほど嬉しかったのだろうな。政所に勤務する奉行衆は武士でありながら、戦場経験がない者が多いのは周知の事実。奉行衆だけではない、奉公衆ですら合戦とは無縁なのだ。

 以前は兎も角、当代の将軍様は戦って勝つよりも逃げることで生き延びて来た人物なのだから、当たり前だよな。そんな将軍の部下として、刀や槍を振るわず紙と筆とでズーッと励んで来たのだもの、鬱屈した何かがあったのだろう。

 しかし実戦経験がほぼ皆無の奉行衆の身で、よく戦えたものだよな?

 ふと、下座へ視線を投げかければ、後ろ手でゴム人形の蛇を隠したイタズラ小僧みたいな笑みを貼りつけた、むさ苦しい髭面が一つ。

「若子様の検分も無事にお済みの由。然れば御一同様方、座を改めたく存じまする」

 畏まった振りをしていた彦右衛門は立ち上がるや、とってつけたような恭しさで吊り下げられた筵を捲くり上げる。あれだけ降っていた雨は、気づかぬ内に止んでいた。


 さてさて。俺たちが今いるのは岩清水八幡宮の境内の片隅である。何故に洛中から賀茂川を船で下ってこんな場所までやって来たのか?

 理由は一つ、彦右衛門や荒川たちを安易に洛中へと入れる訳にはいかなかったからだ。

 俺からすれば堺まで迎えに行っても良かったのだけど、現将軍の息子が公務や公務に順ずる理由以外で他出するなど許されない、のだそうな。

 だが俺の恣意で派遣し、危険物を手土産にした者たちを考えなしに洛中へと戻せば、茨木長隆の野郎がどんなクレームをつけて来ることやら。来たら来たで額を撃ち抜いてやってもいいのだけど……ちょっと拙いよなぁ?

 政所で伊勢に報告させる前に口裏……慎重な打ち合わせをしなくちゃいけないし、何をさておき火縄銃のこともある。ドーン、バーンと矢鱈五月蝿いのが火縄銃の欠点。洛中で試射するなどとんでもない。洛外にある慈照寺でぶっ放しても爆音は洛中へと轟くだろう。

 そこで考えたのがここ、石清水八幡宮なのだ。

 ここならば、洛中から然程離れていないので他出の範囲に入らない上、爆音が洛中まで轟くことを心配する必要がない。尚且つ、小高い場所で木々に覆われているから秘匿性を保てるだろうと思ったのだ。雨天の今日を選んだのは、どこかで爆音を聞く者が遠雷だと勘違いしてくれないかな、と期待したからで。

 そんな、ドキドキ隠し事だらけの火縄銃試射会、ポロリはないよ。

 結果は上々吉だろうと思うよ……多分。

 仮定形なのは、的も用意せずに撃たせたこと。射程距離や貫通力などの性能調査を端っから無視したのは、この火縄銃が輸入品ではなく、国産品だったからだ。

 暴発しないか? 悪条件下でも作動するのか?

 取り敢えずは暴発もせず、雨天でも不発とならず、連射も可能であったから、やはり上々吉と手放しで喝采を上げるべきだろうな……しないけどね。今ここで俺が狂喜乱舞すれば、三淵はトンチキ親父に御注進に及ぶだろうからさ。

 俺の傅役であっても三淵は俺の部下ではなく、あくまでもトンチキ親父の配下なのだ。俺に関するトピックスは、全て“花の御所”に筒抜けであるのは疑いようもないが、かと言って三淵がスパイ活動をしている訳じゃない。

 三淵は“傅役”という職務に忠実なだけで、職務の一環として雇用主たるトンチキ親父に報告を欠かさないようにしているだけなのだから。

 故に、俺が大喜びすることで、火縄銃が今後の歴史を左右する重要アイテムだと、今は悟られたくはないのである。現時点では、単なる“喧しい何か”とだけに理解を留めおいて欲しいのだ。

 とうとう手にしたは良いけれど、前途多難で暗中模索の国産火縄銃。本格的なアレコレは堺で行う予定をしている。火縄銃の量産化も火薬の製造も、全て洛中ではなく堺でだ。


 本当は都の近郊でしたいのだけど、未だ洛中洛外は不穏極まりなしである。ちょっとしたことで、切った張ったの刃傷沙汰が日常茶飯事なのだもの。

 先日も祇園祭の最中に町衆と武士、よりにもよって政所に仕える雑色(ぞうしき)(=下級役人)との間で揉め事があり、あわやの事態になりかけた。幸いにして、去年の大水害前後から将軍家に仕える武士たちが洛中の治安に献身的であったのが、町衆の気持ちに変化をもたらしていた御蔭で大事とならずに事態は終息。

 おっとり刀で駆けつけた茨木の野郎に肩透かしを食らわせることが出来たのには、正直安堵した。

 折角、洛中の治安維持を済し崩し的に茨木の野郎の手から取り上げ、奉公衆の役割にスライドさせたところなのだ。奉公衆頼み難し、とされてトンチキ管領の部下共が再びしゃしゃり出て来られては、今までの苦労が水泡に帰してしまう。

 俺が将軍就任する前に洛中を、“花の御所”を頂点とする公儀支配の街にしてしまわなければ。トンチキ管領の影響力を極力排除しておかなければ。

 例え将軍家が近江に絶賛遁走中であっても、公儀の政所がある限りは大丈夫であると洛中の隅々まで認知してもらわないと。


 そんな訳で、未だ“花の御所”が統べても政所が市政を取り仕切ってもいない洛中では火縄銃製造工場設置など土台無理。工房か実験室レベルすら厳しい限り。別に洛中でなくてもいいけれど、近江国の国友村には(つて)がないし。

 そう考えれば、最適な候補は堺のみ。火薬精製に必要な硝石も輸入し易いし、国産硫黄も手に入れやすいのだから。だが何れは洛中か洛外に作ってくれようホトトギス!


 考えごとにうつつを抜かしつつ、ぬかるんだ地道から草ぼうぼうの元玉砂利へと踏み込めば、少し先には神楽殿がある。本日の談合場所だ。

 石成主税助が用意した盥の水で足を漱いで上がり込み、煤けて掠れた松の絵が描かれた壁を背にして胡坐を掻いた。

 閑散として鬱蒼とした神社の境内。度重なる戦災と火災で多くの堂宇が焼失したため、本殿とこの神楽殿を除けば片手に余るほどしか建物はない。建物がなく参詣者もまばらであれば、草木は生え放題となるのは自明の理。

 源氏に属する全ての氏族の氏神であり、六代義教の将軍就任を決する籤が引かれた場所なれば、もう少し何とかならないものかと思うけど。ところがどっこい、どうにもならないのが平和と無縁の室町時代なのだ。

 俺の記憶が確かなら、ここが再建されるのは豊臣時代以降で主に江戸時代初期、言い換えれば天下泰平の時代である。……半世紀は後のことか。どれだけ頑張ったら前倒し出来るのかね?

 そんな(らち)もないことを考えていたら、若子様、と三淵が咳払いをしながら注意を引く。慌てて意識を屋内に戻せば、多くの者たちが平伏していた。

「畏まらずともよい。皆、表を上げよ」

 序でに、皆大儀である、と言ったら全員が上げようとした頭を更に低くする。何だかコントみたいだなと思いつつ、改めて頭を上げるように命じた。やれやれ、やっとこれで話しが進められるよ。身分差が厳然と存在する時代の応対って、本当にめんどくせーよな。

 最前列の中央に座しているのは奉行衆の三人。摂津も米田も出発前のひ弱さがなくなり、荒川と同様、一角の武将のように逞しい姿となっていた。彦右衛門もやや真面目くさった面で、少し下がった脇で座している。

「荒川治部少輔、摂津中務大輔、米田源三郎、滝川彦右衛門。此度の仕儀、誠に大儀であった。余の我儘(わがまま)に付き合い、あまつさえ命を賭してくれたこと、誠に嬉しく有難く思う。これこの通りだ」

 俺は両膝に手を置き、深々と頭を下げた。何だか今日はどいつもこいつも勿論俺も、コメツキバッタみたいだよな。あっちがペコペコ、こっちもペコペコ。礼に始まって礼に終るじゃないけれど、頭を下げるべき時は下げなければならないのが浮世の作法だ。

 常日頃は軽々しく頭を下げるなと苦言を呈する三淵が何も言わないのが、その証拠。今この時は、俺が頭を下げねばならぬのは当然である。勿体なきお振る舞い、何卒お止め下さいませ、などと悲鳴のような声がしたが知るものか。

 気が済むまで頭を下げてから、俺は徐に上体を起こす。すると目の前には驚きの光景が広がって……いるはずもなく、荒川たちが真剣な面持ちで姿勢を正していた。

 改めて言上仕る、そう前置きした荒川は、先ほど掘っ立て小屋で言ったセリフを一言一句違えずに繰り返す。そして四人が声を揃えた。

「「「「武士の誉れを賜り、誠に忝く候!」」」」

 平伏した荒川たちは、呆気に取られリアクションも取れずにいる俺をほったらかしにして、ササッと脇へと除ける。おいおいおい、俺にも何か言わせろよ……何を言っていいか判らないけどさ。

 まごまごとしている間に、二列目に居並ぶ者たちが平伏する。

 種子島恵時と従者らしき若者二名。小姓の上妻(こうづま)直次郎と肥後久助だそうな。二人とも二十歳になるやならずで、何とも垢抜けない実におぼこい顔をしている。そして、ついさっき聞いたばかりの御礼をリピートするや、やはり脇へと身を引いた。

 三列目には、見知らぬ顔が十数名。

 中年から少年、矢鱈とデカイのから吹けば飛ぶような小柄な者までバラエティーに富んだ一団。一人残らず、阿波三好党配下の者共と似たような雰囲気を纏っている。身に染みついた剣呑な臭いでプンプンだ。

 全員で一つのグループかと思いきや、微妙に距離が開いているので違うのかもしれない。矢鱈とデカイのは坊主姿だしな。おまけに一人、洛中でもついぞ見かけぬ美少年も混じっている。

 どこぞのサーカス一座なのか?

 部屋の隅に鎮座する三淵弥四郎、松井新左衛門、高五郎右衛門へ何とはなしに目で問うものの、肩を竦めるばかりなり。折角、出迎え要員として堺に派遣したのだからさ、ここまでの道中で身元調査をしなかったのかよお前ら?

 気の利かないなぁ。そんなことじゃ、初めての御遣い系番組に出演している子供らと変わりないぞ。与一郎を見習えよ。あいつは主人である俺すらダメな子扱いするのだぞ。いや、見習わなくていいから、もうちょっと頑張れ。

 それではと、事情を知っているであろう荒川に問いかけようとした途端、彦右衛門がここぞとばかりに、しゃしゃり出やがった。

「然れば、若子さ……」

「お初に御目にかかりまする。(それがし)亭子院(ていじのいん)(=宇多天皇)様の末流、京極氏の末に連なりまする播磨国人、佐々木下野(しもつけ)重隆にござりまする。こちらに控えるは我が子、兵庫助と千太夫にて候。他の者共は我が郎党にござりまする」

「兵庫助にござりまする、以後何卒御見知りおきを」

「千太夫にござりまする、宜しく御願い申し上げまする」

 青年二人を含む十数名の大半が一斉に頭を下げる横で、彦右衛門が口をポカンと開けたまま固まっている。せっかちは日本人の特性で、いらちは大阪人の習性とは言うけれど、播磨国の人間もそうなのかね?

 機先を制され所在なさげな彦右衛門は、滋賀県のド田舎の出身だ。生き馬の目を抜き倒して商いする近江商人なら兎も角として、元は土豪の小倅だもの無理ないか。

 やれ仕方ない、助け舟でも出してやるとするとしよう。

「然様であるか。佐々木下野の一党、確かに見知りおいた。……彦右衛門、何か申したきことでもあるのか?」

「……ええ、まぁ、はい……此度の若子様の思し召しに同心致しましたる、赤松牢人の御方々にござりまする。他にも……」

「世子様の御意を得ましたること、誠に恐悦至極に存じまする。拙僧は(いにしえ)に大宰大弐を勤めし高木季貞が一子、季平の後裔、肥前国人、龍造寺剛忠(ごうちゅう)が曾孫、円月と申しまする。これに控えるは龍造寺重代の家臣、石井藤兵衛尉にて候」

「石井藤兵衛尉にござりまする。世子様におかれましては御機嫌麗しゅう存じまする」

 武蔵坊弁慶の生まれ変わりだと言われても信じてしまいそうな巨漢の少年……少年だよな、が窮屈そうに身を屈め、小柄な青年がその隣で折り目正しい礼をする。

「御目文字が叶いましたこと、この身には過ぎたことと存じまするが、どうか、御前に侍る失礼をお許し下さいませ。此方(こなた)燧灘(ひうちなだ)の西、大三島の大祝(おおほうり)を務めまする越智兵庫助が娘、鶴と申しまする」

 名前の通り、文字通りの“掃き溜めに鶴”がそこにいた。

 身形凛々しい美少年じゃなかったよ、男装の美少女だったよ、スミレの花が咲く頃のうら若き乙女だったよ、もしもここが鶴ヶ城で火縄銃がスペンサー銃だったら“ならぬものはならぬのです”とか言い出しそうなオーラを発しているよ、どうしよう!

 俺が精霊を身に宿していたら、逃避行の手助けをしてくれるだろうか? だとしたら是非とも身に宿さないと! どこかに六条御息所はいないだろうか? 違うよそれは精霊じゃなくて生霊だよ! どうしたら良いのだ、俺は!?


 ……ってちょっと待て。落ち着け、俺。


 今、そこの凸凹コンビがさ、龍造寺って名乗ったよな?

 龍造寺って、あの龍造寺か? 龍造寺って言ったら、誰が何と言おうと隆信だよな? 隆信って言ったら、肥満大兵で猜疑心が強くて粛清大好き野郎などと、悪評だらけの“肥前の熊”だよな?


 鶴、って名前にも聞き覚えがあるぞ。瀬戸内海賊の娘が主人公の小説でチラリと語られてなかったっけ? 許婚だか恋人だかが死んだので世を儚んで自ら命を絶ったとか何とか? 実在に異議ありを突きつけられているとか何とか?


 一体全体どういうことだ!?

 一から十まで説明しやがれ、荒川! 苦笑いを浮かべてるんじゃねぇよ、摂津! 目が平泳ぎしている理由を言ってみろよ、源三郎! 何度も発言を遮られたからって不貞腐れてんじゃねぇよ、彦右衛門!

 犬でも猫でも牢人者でも国人衆でも元領主でも、何でもかんでも拾ってくるんじゃありません! ってお母さんは口が酸っぱくなるくらいに言ったよなぁ!?

 言ってませんってか!? そうだよ、言ってませんよ、こん畜生が!!

 いつもニコニコ現金払い、金の切れ目が縁の切れ目、現地集合現地解散のスーパードライ方式で兵隊を雇ったのじゃないのかよ?

 聞けば誰も彼もがウェットどころじゃねぇ、ドロドロしてそうな出自と事情を抱えったっぽい、ヤバさ爆発大炎上な人間ばかりじゃねぇか!

 やっと信虎を追い返して、世界平和だ火の用心になったと思っていたのに!

 俺が欲しかったのはドカンと放てば気分爽快な火縄銃であって、火種そのもの的な人間や火薬庫を背負ったみたいな氏素性の持ち主たちじゃねぇぞ!

 何だよもう、頭が、頭痛で、痛くなってきたよ。

 溜息すら洩らす元気もなく目頭を揉んでいたら、止めとばかりに至近距離で不発弾だと思っていたのが炸裂しやがった。不発弾の正体は、佐々木下野である。


「世子様、もしや御目の具合がよろしくないのでしょうや? 宜しければ当家に目病みに効く妙薬がございまするが?」

 播磨国人で、目薬って……マジかよッ!?

「6月11日 祇園会において三条町人が闘争し幕府雑色が殺害される。このため細川晴元内衆、三条町を焼打す」〔「厳助往年記」〕ってな事が史実ではありましたが、拙著では起こらずです。

 1543~45年にかけて、佐々木さんこと黒田家も、龍造寺家も、一歩間違えれば歴史の表舞台から強制退場の危機でした。ってのは次回で少しだけ語る予定にて。

 大祝鶴姫の登場は、当初から予定しておりました。井伊直虎さんは、多くの歴史転生物に登場されておられますが、鶴姫さんは見かけた事がなかったので。もしかしたら、私が知らないだけかもしれませんが(苦笑)。

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