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『 案じられた遊び 』(天文十三年、冬)

 戦国時代を舞台にして書き始めました拙著ですが、第22話目にして遂に合戦シーンです。

 これは快挙……だろうか?

 誤字・脱字・誤表記を訂正し、少し加筆致しました(2018.10.10)。

 「菊童丸」→「菊幢丸」に改訂致しました。(2018.11.05)

“去程に、明れば五月二十五日辰刻に、澳の霞の晴間より、幽に見へたる舟あり。いさりに帰る海人か、淡路の迫戸を渡舟歟と、海辺の眺望を詠て、塩路遥に見渡せば、取梶面梶に掻楯掻て、艫舳に旗を立たる数万の兵船順風に帆をぞ挙たりける。烟波眇々たる海の面、十四五里が程に漕連て、舷を輾り、艫舳を双たれば、海上俄に陸地に成て、帆影に見ゆる山もなし。あな震し、呉魏天下を争し赤壁の戦、大元宋朝を滅せし黄河の兵も、是には過じと目を驚かして見る処に、又須磨の上野と鹿松岡、鵯越の方より二引両・四目結・直違・左巴・倚かゝりの輪違の旗、五六百流差連て、雲霞の如に寄懸たり。海上の兵船、陸地の大勢、思しよりも震くして、聞しにも猶過たれば、官軍御方を顧て、退屈してぞ覚へける。”

 以上が、『太平記』巻十六にある「兵庫海陸寄手事」の前半分だ。

 ざっくりと読み下せば、

“鎌倉幕府を打倒した建武の新政三年目の五月二十五日の朝方、神戸沖に吃驚するくらいの船団が現れた。陸上からも大軍が押し寄せて来たので、官軍の兵士は滅茶苦茶ビビッた。”となる。

 新田ら将たちは逆に奮い立ったそうだが、兵数でも士気でも武具や兵站でも負けている、(はな)から官軍である宮方側には無謀で無理ゲーだったのが、湊川の戦いだ。

 負けた理由の一番は、官軍へ迎撃命令を発した後醍醐天皇が戦争指導者としてはどうしようもなくボンクラだったからである。

 戦争のプロである武将らの進言を無視し、戦争のド素人である側近公家の現実を無視した意見ばかりを採用したのだから、何をか況やである。

 俺が新田や楠木だったら、やってられるかと全てを放り出して田舎に帰るか、妄言を弄する公家衆を皆殺しにして天皇を監禁し、足利に条件付降伏を申し出るだろうなぁ。

 或いは御所周囲に火を放って強制的に京都から追い出し、再び比叡山にでも動座させるか。

 終息するまで、何やかんやと半世紀以上を要した南北朝時代。三代義満の政略と戦略と豪腕により北朝が南朝を併呑する形で合一したが、“たられば”を言えば南朝側である宮方が北朝側となる足利を組み敷く事で、落着していたのかもしれない。

 湊川で激戦が繰り広げられる凡そ三ヶ月前。

 豊島河原で行われた合戦で足利尊氏は大敗を喫し、九州へと落ち延びる羽目になっていたからだ。都落ちの尊氏に刃をつきつけたのは、肥後国の菊池を旗頭とする宮方の大軍勢。味方についたのは肥前国守護の少弐ら少数。

 多々良浜での会戦は、歴然とした兵力差に尊氏は敗亡必死。ところが宮方側に裏切りが続出したことで、からくも勝利する。言わば室町時代のメイクミラクルだ。負けた菊池も驚いただろうが、勝った尊氏も吃驚仰天したのじゃないかな。

 当に、勝ちに不思議の勝ちあり。

 勝敗の結果、九州全土がほぼ足利与党一色に塗り替えられ、尊氏は九死に一生を得ただけではなく反撃の態勢を整えることに成功する。山口県在住の武将達は元々足利側だったので、尊氏は僅か三ヶ月でリベンジを開始するのだ。

 所謂“そうだ京都へ行こう!”作戦の決行である。

 一方その頃の朝廷では、楠木が宮方有利の内に和睦して北朝を取り込みましょうと現実的な提言をするものの、後醍醐天皇に弱腰姿勢だと断じられて失脚。あえなく謹慎処分に。

 あくまでも叛徒である足利討伐を主張する朝廷は、新田らに迎撃を命じる。勅命を受けた新田らの軍勢は、先ず景気づけにと足利方の兵庫県西部の赤松攻めを行うも、失敗。ウダウダと時間を浪費している間に、足利方が四国の軍勢も糾合して舞い戻って来た。

 尊氏・ストライクス・バック!

 リターン・オブ・ザ・足利である。

 慌てた朝廷は楠木の謹慎を解き、新田らと合流して尊氏と戦う事を命じた。泥縄ってヤツかな?

 戦わせるなら後顧の憂いをなくすのが必勝の鉄則なのに、戦争のド素人にはそれが判らない。もしかしたら、理解することを徹頭徹尾拒否したかったのかもしれない。理性より感情を優先したのかなぁ。

 だがリアリストである武将たちはそうはいかない。感情よりも理性を優先せねば生き残れないのだから、当然だ。手枷足枷付きで戦わざるを得なかった新田や楠木の心中を慮るに察しある。

 『太平記』の記載にも新田と楠木が酒を酌み交わしながら、愚痴を言い合い慰めあったとのこと。飲まなきゃやってられないよね、馬鹿な命令に従わなきゃならない立場は。すまじきものは宮仕え、というのは絶対の真理らしいよ、全くねー。

 そんな訳で、天下分け目の湊川だ。

 西から土俵に上がるのは、大軍を擁した足利方。今度負ければ、武家の大将として頼み難しと世の武将たちに見捨てられ、再起不能となる可能性大。東で待ち受けるのは、劣勢で死中に活を求める宮方。負ければ即終了でありながら、負けを覚悟で戦わなければならない残酷な宿命を背負わされている。

 どっちが勝っても時代が変わる日本史の分岐点。その火蓋が今、切られた。


 攻め手は、軍勢が陸路と海路の二手に分かれている。陸路の軍勢を率いるは足利直義。主な配下は足利一門の勇将・斯波高経、九州の驍将・少弐頼尚、播磨国の闘将・赤松則村。全軍の総司令官たる尊氏は、四国の旗頭・細川一族や子飼いの高兄弟と共に海路を進む。

 迎え撃つ側は、湊川を防御ラインとして海岸沿いにも広く軍勢を配置していた。史実であれば、楠木勢の精鋭が孤塁のように湊川の対岸に陣を構えているのだが、今回はそのようにはしていない。

 順当に史実を踏襲することで勝利を求める足利方軍と、史実通りでは敗戦必至であるために布陣を変えた宮方軍。

 五万五千の内、四万人でヒタヒタと湊川へ押し寄せる陸路の軍勢は、騎馬武者と弓兵を満遍なく配置していた。海路を進む軍勢には騎馬武者はおらず、弓兵も最小限しか配置されていない。

 陸路を主軍とし、海路を後備えとして終盤に投入する戦術のようだ。主軍だけで敵全軍より一万人も多いのだから、大軍で押し潰すことを作戦の要旨としたのだろう。ドクトリンは力勝負による正面突破の殲滅戦である。

 堂々と進軍を続ける足利方北朝軍に対し、斥候を放つだけで鳴りをひそめ続ける宮方南朝軍。やはり史実は覆らないのか? 然るに今回は、沖合いを包む霧がかなり濃いようだ。

 それが史実との誤差の最初であった。

 陸路でも、視界が悪ければ安全に行軍することが出来ないのは当然のこと。その場合、陸上ならば立ち止まれば良いが、海路ではそれが侭ならぬ。モーターも蒸気機関もない時代の船の主たる動力源は、風と潮。櫂が有効なのは風が凪ぎ、波が穏やかな時だけである。

 視界不明瞭の中を進む船団は少しずつ隊列が崩れ出した。帆を畳み櫂で漕ぎ出すタイミングは一緒であったが、舳先を陸に向ける船と陸とは違う方へと向ける船が現れる。過半数の船の進路はブレずにキープされたままなので今すぐにバラバラにはなりそうにないが、一刻後にはどうなっていることやら。

 足利方としては陸路軍の攻勢が頂点に達するタイミングで、船団が浜へと乗り上げて攻撃をしかける算段だったのだろうが、このままでは無理だな。

 実際には吹かれていない法螺貝が、戦場に朗々と響き渡る。

 徒武者たちと歩を合わせた騎馬武者たち。その背後に配置された弓兵たちが矢を、雨霰と川向こうの敵へと降り注がせた。

 防御する武者たちは楯を翳して矢から身を守るのに精一杯。渡河を試みる敵に対しての対応が出来ぬ宮方の軍勢。しかし川には浅瀬もあれば深みもあり、川幅も充分にあったのが幸いした。攻め手は大軍とはいえ、渡河する時は面ではなく点となるのである。

 限られた渡河地点での戦いは初っ端から乱戦となった。川上の斯波高経に対するは脇屋義助。川下の少弐頼尚と真っ向から激突するは大館氏明と菊池武澄。中央の先鋒を務める赤松則村とがっぷり四つに組み合うは新田義貞と菊池武重。

 攻防は一進一退。どちらも譲らぬ好勝負だ。凡そ一刻半に及ぶ力比べの最中、新たな法螺貝が吹き鳴らされる。どこからか? 海の方からだ。

 濃密な霧を掻き分け、船団の一部が浜辺へと接近する。旗印は“二つ引両”の下に“九曜”の紋。細川氏の兵が乗り組む軍船であった。だがその舳先の向かう先は史実との誤差ではなく、相違となる。

 本来ならばもっと東の浜辺、宮方側の後方へと到るはずだったのだ。しかし霧の中で操船を誤り、敵のど真ん中から西よりの浜へと舳先が向かっている。それに攻め手が気づいたのは、矢の射程距離に入った瞬間であった。

 予想とは異なる場所への敵の襲来。しかし守り手側は慌てなかった。浜辺に配置されていた弓兵を統率するは、若き義将・菊池武吉。号令一下、次々に矢が放たれる。細川氏の船にも弓兵は配置されていたが、足元の定まらぬ船からでは命中率は格段に低い。

 攻め手側が放つ矢は散漫なのに対し、地を確りと踏み締めて射られる守り手側の強弓は集中砲火の如し。浜が近くなるにつれて細川氏の船上は死屍累々の有様となり、やがて無情の通告が戦場に轟き渡る。

「細川讃岐守様、御討ち死に!」

 史実ならば、四條畷の戦いで楠木正行を討ち取る手柄を立て、室町幕府成立して早々に始まった足利兄弟の不和、所謂“観応の擾乱”でも活躍した猛将・細川頼春がここで死んだ。

 先鋒の将が敗死した事で、船団は大いに乱れた。先頭の混乱は後続の右往左往の素となる。指揮官を失い迷走を始める数隻の船。そこへ後から後から突っ込んで来る船また船。

 浜辺を間近にして団子状態になってしまった船団に対し、数え切れぬ矢が襲いかかった。守り手側の射程圏内にある攻め手の軍船は、瞬く間に針ネズミと化していく。

 進む船に逃げる船。二進も三進も、とはこの状況のことだろう。海路の軍勢の劣勢は、程なく陸路の軍勢の攻勢にも影響を及ぼした。

 一刻も早く敵を食い破り味方の窮状を救おうと血気に逸る斯波高経と、味方の窮状を間近に見たがために気持ちに怯みが生まれてしまった少弐頼尚。

 さらに、中央の本軍を統率する足利直義が態勢を立て直すべきかどうかで悩み出したことで、中央先鋒の赤松則村との間に隙間が出来始めた。大軍勢でもって史実通りに行動すれば必勝であると思い込んでいた足利方は、史実と違う戦況の推移に思考が後手後手となっている。

 一方、敗戦必至の合戦に勝機を見出したのは宮方の軍勢だ。臨機応変を旨とする小山田高家が後備から前線へと押し出し、敵の猛攻に苦戦する脇屋義助を横から支える。攻め手側は未だ渡河を果たせず、湊川を挟んだ攻防は膠着状態に。

 浜辺では、矢の届かぬ場所へ漸く辿り着く船がチラホラと現れた。一万からの軍勢は集団であれば恐ろしい暴力装置であるが、バラバラでは対等の敵でしかない。対等なれば勝ち目は五分だ。

 勝ち目が五分とは、戦力も同等であった場合のことを意味する。浜へと上陸したのは全て徒武者たち。そこへ騎馬武者の集団が満を持して襲いかかったのだから、勝ち目は五分どころではなくなった。

「高尾張守様、御討ち死に!」

「高武蔵守様、御討ち死に!」

 足利家の武の中核を構成する宿将二人が、呆気なく各個撃破されてしまう。高師直と師泰兄弟の首級を挙げたのは宮方の最終兵器、名将・楠木正成と弟の正季のコンビであった。これで海路からの軍勢は三分の一の損耗である“全滅”から、半数以上の損耗を言う“壊滅”となってしまう。

 戦争の基本、必勝の法則とは兵力の集中運用であるとか。

 守り手である宮方の軍勢は、弓兵も騎馬武者もそれぞれ一つの部隊に編成し、集中運用に徹したのだ。

 史実だと、楠木と新田は連携プレイが上手く行かず、兵の配置もてんでバラバラ。開戦して間もなく分断され、各個撃破されてしまったがために敗戦の憂き目を見たのである。敵船団への対応を間違い、陸路の軍勢への対応をしくじったのが、主たる敗因だ。

 当に、負けに不思議の負けなし。

 しかし今回は、密な共同戦線が功を奏する。新田を中心とした軍勢が湊川を利用して防御ラインを構築し、騎馬武者だけで固めた楠木勢を遊撃部隊にして敵の要所の撃破を目論む。要となるのは菊池武吉の弓兵達だ。

 弓矢による遠距離攻撃で船団にどれだけダメージを与えられるか、上陸地点をどれだけ限定させられるか。

 攻め手側の主戦力は陸路にあるが総司令官は海路から来るのというのは、『太平記』を読んでさえいれば周知の事実。

 足利方の中心核は、(いくさ)の上手さではなくカリスマ性だけで兵を掌握していた、尊氏だ。

つまり、尊氏が逃げられないように追い詰めることが出来たなら、新田や楠木に勝算が生まれるのである。

 自然現象という人智の及ばぬ偶然と、守り手側が熟慮の末に構築した必然。それが勝負の潮目となり攻め手に襲いかかったのだった。

 総司令官が戦場にて先陣を進む例は、あまりない。況してや尊氏は猪武者タイプではなく、やや慎重派だ。そして海ではなく山国育ちである。

 母方の実家である上杉氏の領地、丹波国の上杉庄で生まれたそうだ。山国で生まれ育てば、海は理解の範疇外となる。どんな戦場でも勝てるオールマイティな武将など常識の範囲では普通、いないのだ。

 陸戦じゃほぼ無敵だったナポレオンも、海戦ではこてんぱんに負けている。まぁ本人が指揮指導した海戦じゃないけどね。しかし陸軍国のフランスが海軍国のイギリスに負けたのは史実だ。

 餅は餅屋、が当たり前。陸戦でも海戦でも連戦連勝の源義経など、非常識中の非常識なのだよ、本当は。

 武将としては常識人の範疇内である尊氏は、不得意な船団の指揮を別の者に任せるに違いない。となれば、船団の中央か後方の船に乗るだろう。宮方はそう考え、船団を攻撃する弓兵を浜辺の西寄りに配置したのだ。

 そしていざ開戦となり、宮方が企図したのは我慢勝負。斥候を放てるだけ放って敵の渡河地点を絞り込み、見当がついた場所の重点防備に徹した。浜辺に配置した遊撃部隊の目的はただ一つ、尊氏の首。どれだけ戦力を削られようと乾坤一擲のタイミングが訪れるまで、ジッと辛抱するのだ。

 戦いは宮方の想定通りになるが、直ぐに誤算が生じる。足利方の海路の軍勢が秩序を失い、算を乱した状態で戦場に現れるという、嬉しい誤算が。七面鳥撃ちみたいに射れば当たる敵の惨状に、宮方は笑いが止まらないことだったろうなぁ。


「……あ」


 サイコロを転がしていた進士晴舎が、母校の小学校にあった二宮金次郎の銅像みたいに固まった。横でサイコロの目と討ち取りチャートを見比べていた速水兵右衛門も、同じように凍りつく。

 ニヤニヤ笑いをしていた武田信虎も、いつの間にやら睨み合いを止めて演習を見守っていた三好長縁も松永久秀も三好政勝も、雑用係を務めていた年少の近習たちも含めた全員の時間が、一瞬にして停止した。

 裁定係らの異常は、直ぐに対戦していた両グループに伝播する。最初に顔色が真っ青になったのは、大館十郎。続いて顔から一切の血の気が引いたみたいに真っ白になったのが、三淵弥四郎だった。

 自軍のリーダーの様相を見て、事態を察した他の者たちも順次呼吸を忘れたみたいに息をつめる。楠木兄弟の駒を担当していた細川与一郎と松井新左衛門は、まるで冷凍マグロみたいな目と口をしていた。

 シーンと静まり返った室内で平常心を保っているのは、どうやら俺だけのようだな。ふむ、仕方ない。


「等持院殿様(=足利尊氏)が、左兵衛少尉(さひょうえしょうじょう)(=楠木正成)の手に寄り御無念と相成った。

 十郎組の総大将が討ち取られたことにより、今回の演習は弥四郎組の勝利とする。

 者共、良き戦いであった。講評は後ほどとする。然れば暫時、休憩!」


 俺が終戦宣言を発すると、与一郎と新左衛門と十郎と後何人かがバタリと床に倒れた。あら、進士も突っ伏してるじゃねぇか。他にも何人かがグッタリとしている。

 ……やはり、“足利尊氏の討ち死に”ってのは幾らシミュレーションの結果とはいえ、経験の浅い青年や未熟な少年たちにはショックが強すぎたか?

 歴戦の大人たちでさえ絶句しているのだから、しょうがないよね。

 本来なら、尊氏を偉大な父祖として崇め奉るべき子孫の俺が真っ先に白目を剥いて泡も吹くべきなのだろうけど、菊幢丸の中の人である俺にとっては尊氏など単なる歴史上の人物でしかない。しかも今では便利な言い訳用アイテム程度でしかないからなぁ。

 尊敬は出来ても崇拝の対象じゃないし。

 それに、シミュレーションの経過に一喜一憂はしても結果など一々気にしていられるかよ。

 ゲームや小説で仮想戦記を散々浴びてきた俺には、日本軍とドイツ軍がインドを舞台に覇権争いをしようが、マッカーサーがレイテ湾で死んだ余波で日本が分断国家になろうが、全面核戦争後の世界で日本がロケット打ち上げ競争に邁進しようが、どれも愉快な“もしもの世界”でしかない。

 とんでも兵器やスーパーチートを登場させるまでもなく、ちょっとした行き違いや誤差で“if”を事実に変換してしまうのが、仮想世界の醍醐味だと俺は思う。NGワードは、あってはならない事態を想定しない、だけだ。

 シミュレーションとは、あくまでも知的な遊びでしかない。将棋や麻雀の勝った負けたと、何ほどの違いがあろうか? ……などと放言出来るのはこの中では俺だけだろうなぁ。尊氏だってしくじったら首チョンパされて当然じゃん、と。

 まぁ、放言しないけどね。

 もし然様なことを口走ってしまったら、白い目で見られるどころじゃ済まないよな。下手すりゃマジで御乱心と見なされて、土蔵かどっかに押し込められるに違いない。たかが遊びじゃないか、と思う俺には納得いかないけれど。


「承服しかねる!」


 そうだろう、そうだろう……って、誰が同意してくれたのかと思ったら、怒髪天モードの畿内三好家の新当主様だったよ。

「如何した、右衛門大夫?」

 冷めた目で問いかけると、政勝は腰から抜いた扇子で床を幾度も叩き出した。何だ、お前も信虎に感化されたのか? 突発性扇子バシバシ症候群に? それとも講談師に転職するつもりか?

 大体、お前が叩いている床は何れ国宝に指定されるのかもしれないのだぞ、後の戦火で焼けなければの話だけど。今は俺の居住区で、縄文時代からの貴重な遺物を収蔵する文化財倉庫でもあるのだから、気安く傷つけてよいものじゃないぞ。

「恐れながら申し上げまする」

 荒い息を宥めつつ政勝が両手を就いて、俺に頭を下げた。ふむふむ判ってくれたか。扇子は暑い時や威儀を整える際に使う物で、床を叩く道具じゃないってことに。

「世子様、今一度、今一度、戦わせて下さいませ!」

 え? 何ですと?

「それは出来ぬ相談でござろう」

 だよねー、って誰が言ってくれたのかと思いきや、久秀か。御覧あれ、と久秀が扇子で指し示す先では近習たちが未だ精神的損壊から立ち直れずにいる。これでは再戦など無理だろうなぁ。残念だったね、政勝君。

「然れば(それがし)が仕合いまする」

 あ、そう来たか。……って言うか、シミュレーションゲームをしたいだけだろう、お前?

「然らば(それがし)が御相手(つかまつ)ろう」

 お前もかよ、久秀。

「あ、いや。右衛門太夫殿が御相手ならば、(それがし)も黙ってはおられませぬな」

 おいおい、長縁もか?

「一人で二人と相対するは厳しかろう。老骨ながら(それがし)が助勢致すとしよう」

 やっぱり信虎も黙ってなかったか。もう勝手にやってくれよ、という訳にはいかないか。本当に戦争ジャンキー共は始末に負えないよ、全く。

 じゃあ折角だし、新しい趣向で戦ってもらうとするか。

「主税助、東求堂の西の棚の上から二番目の段にある朱塗りの文箱を持って参れ」

 畏まりまして、と素早く立ち去る石成主税助。無駄に緊張感を高め合う三好家と三好家が醸し出す雰囲気が、そんなに嫌か?

 そうだよな、俺も嫌だもの。出来れば速攻で布団に引き篭もり、現実から夢の中へと引っ越ししたいぐらいさ。それか酒でもかっ喰らって憂さ晴らしするか。

「お待たせ致しました」

 お、早かったな。そんなにも、見えない刀で激しい鍔迫り合いをしている奴らに早めのお引取りをして欲しいか?

 そうだよな、俺もそう思うもの。じゃあ、さっさと終らせてもらうとするか。

 差し出された文箱を受け取った俺は、中から一枚の紙を取り出し床に広げた。

 縦横に線が引かれただけの、かなり升目の大きめな方眼紙。但しサイズは畳一畳半。それ以外は何一つ描かれていないのが、湊川の戦いの舞台と違うところだ。

「さて右衛門大夫よ。そちは攻め手と守り手のどちらを選ぶか?」

「攻め手を務めさせて戴きたく」

 即座に答えた政勝に、俺は裁定担当の席の用品である筆と硯を渡す。

「然ればそちの好きなように図面に山野の形を描け。山なり岡なり森なり川なりと好きなようにな」

 暫し考えてから、政勝は白図面の上に筆をサラサラと走らせた。北に緩やかな丘陵地、東には川が流れ西には大きな街道、南には海岸線。中央には一切、手がつけられていない。

「これで宜しゅうござる」

 筆を置いた政勝が一礼するのを見て、俺は長縁の方へと首を廻らした。

「然れば孫四郎よ。守り手であるそちが、守るべき城砦を縄張りすべし」

 長縁は躊躇なく守るべき拠点を描いていく。歪な鉄アレイののような上下に膨らみを持ち、中央が極端に括れた形状の拠点を。

 俺が指摘するまでもなく、誰もが理解しただろう。政勝が描いたのは船岡山を含む北山と、賀茂川と西国街道と小椋池だ。長縁が描き記したのは上京と下京である。

 阿吽の呼吸……ではない。政勝の挑発を長縁が受けて完成させたのは紛れもなく、洛中の略図だ。二つの三好家は絵図の上で、観応の擾乱か応仁の乱の再現をしようとしているのである。全く、何て危険な遊びを。

 “遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん”とは言うけどさぁ。

 まぁいいか。戦争ジャンキーが本気で子供のように遊びたいと希望するなら、叶えてあげようじゃないか。

「余が裁定の任を務めるが、双方異論はないか?」

 応、と答える四人の(おとこ)。威勢のよい返事を聞きながら、俺は文箱から二つの布袋を取り出す。中に入っているのは、近習たちが使ったのと同じような駒である。

「攻め手には三十個、守り手には十五個の駒を渡す。徒武者、騎馬武者、弓兵、何をどれだけ渡すかはランダ……むではなく、天のみぞ知ると心得よ。これは神意である。異議を申すことは罷りならぬ」

 危ねぇ危ねぇ、またいらぬことを言いかけてしまった。

「“求道楽”……にござりまするな」

 顎鬚をしごきながら長縁が、ポツリと言う。

「“求道楽”とは、何でござる?」

 政勝が首を傾げた。

「先だって、世子様が申されたのでござるよ。死中に活を求めるが如く至誠を尽くして道を進むのならば、それは艱難辛苦の遠回りではなく悦楽への近道であると。故に“求道楽”と」

「“求道楽”、良き言葉にござりまするな」

 政勝が得心したように頷けば、信虎や久秀も誠に誠にと首を縦に振る。

 違うよ。

 何気なく“グッドラック”と言ったのを誤魔化しただけだよ。つい、いらぬことを口走っただけだよ。学習能力の代わりに、取り繕いが上手くなっただけだよ。そのように感心するなよな!

 ひとり気まずく鬱屈しながら、俺は双方に駒を配った。

「この駒は一体何でござりましょうや?」

 久秀が掌で転がしているのは徒武者の駒だが、他の駒にはない印がある。五芒星が刻まれているのだ。

「ああ、それか。それは一騎当千の(つわもの)であることを示す駒だ。他の徒武者よりも二つ余分に升目を進むことが出来、敵に討ちかかる際には一際大きな痛手を与えることが出来る。

 更にだ。敵と接した際には、問答無用で先に手を出せるのだ。兵法で言うならば、先の先である」

 良き駒を手に入れたなと言うと、忝しと頭を下げる久秀。政勝は悔しそうな顔をしたが、兵力はお前の方が多いのだし、何よりも攻略対象は御土居で守られていない防御力最低レベルの京都だぜ?

 僚友となる歴戦の猛将たる信虎を見てみろよ、全く動じて……歯軋りしてるのね。

「では双方、好きなように駒を配すべし」

 胃が痛くなる状況はさっさと終らすに限る。俺が急かせば、攻め手も守り手も相方とヒソヒソ話をしながら、駒を配置し始めた。

 そして四半刻後。

「然れば、戦うべし」

 俺の開戦宣言を待ちきれなかったかのように、攻め手と守り手が洛中を舞台に鬨の声を上げたのだった。


 それからそれから二刻を遥かに過ぎた頃。攻め手も守り手も頭から湯気を吹き上げつつ、唸り声を洩らして長考をしていた。

 政勝はまたもや扇子で床を叩いている。信虎は床ではなく腿を叩いていた。長縁は扇子で床をコツコツと突き、久秀は肩を叩いている。

 近習たちは御膳を前に夕食を口にしていた。

 ケチョンケチョンに負けた十郎たちは、ヒョロヒョロの川魚を齧りながら雑穀米をモソモソと。ボロ勝ちした弥四郎たちは、猪の味噌漬けを煮込んだものをハフハフと。

 御膳を前に座った時は、心痛だか心労だかに苛まれて飯など喉を通りませんみたいな顔していたくせに、誰かの腹の虫が鳴り出したのを切っ掛けに憂いも沈痛もどこへやら。最初は遠慮がちに、今じゃあ何事もなかったかのように。

 負けた十郎たちは勝った弥四郎たちを恨めしげに見ているが、遊びであれ何であれ負けたのだから仕方ない。尊氏らみたいに首を獲られなかっただけマシだろう。

 湊川の戦いを演習で使用したのは今回で二回目。初回は『太平記』に書かれた通りに駒を動かし、信虎が唾を盛大に飛ばしながら有難い御高説をぶちまけていたっけ。

 前回はおさらいで今回は本番、しかも滅多と口に出来ぬ食材が懸賞としてかかった大勝負だ。味噌漬けの猪肉を得るには、『太平記』に書かれていない行動をせねばならぬ弥四郎たちは知恵を絞ったのだろう。絶対に勝てると思い込んでいた十郎たちは、せねばならぬ事を怠ったのだ。

 勝った方にも負けた方にも良い教訓となったのならば、死んだ尊氏も浮かばれるに違いない。いや、とっくの昔に死んでるか。いや、欠食児童たちの空腹に負けたのは、やはり業腹かな?

 まぁ、どっちでもいいや。粗食であれ何であれ、お前らは飯が食えているだけ幸せだよ、畜生め!

 俺はと言えば、縄文土器で抹茶オレをチビチビと飲んでいた。いや俺だって夕食を食べたいよ。腹が減ったし育ち盛りだし。だけど進士が帰宅間際に言いやがったのだ。

 裁定役は神意を司る重要な役目。霧を起こすも雨を降らせるも、討ちかかり組み合った結果も全ては裁定役のサイコロの目にかかっている。そのような大切な役目を食事の片手間にするなど以ての外、だと。そう言われたら渋々でも納得せざるをえない。

 俺を諭した進士は今頃、自宅にて家族と楽しい団欒をしているのだろうな。ああ、世の中本当に侭ならぬ!

 鈍器みたいな太い和蝋燭が何本も立てられているので、とっぷりと暮れた冬の夕方でも明るさは充分。『太平記』にも、蝋燭を立てて夜の会合をするシーンがあったっけ。

 学生の頃、俺も友人たちと煌々と照らした電灯の下、徹夜でマップを広げてボードゲームやTRPGに明け暮れたけどさ。飯時は中断するなり、おにぎりやサンドウィッチを片手にしていたぜ。

 近習たちがいい物食ってるてのに、提供者である俺だけが食えないってのは納得いかないぞ!


「うーむ、如何すべきか……」

 如何すべきかなどと、考えるまでもないだろうが、政勝! お前だけじゃねぇ、信虎も長縁も久秀も! 迷惑だから、とっとと帰ってくれよ! ……などと言い出す勇気は俺にはない。目を血走らせ、歯を食いしばって呻吟する戦場往来の猛者たちを前に、小鹿みたいなパンピーの俺に何が言えるというのだ?

 空きっ腹を抱えつつサイコロを弄ぶ俺の脳裏に、子供の頃の叱られた思い出が蘇る。

 “ゲームばっかりしてるんじゃありません!”

 母さん、御免。本当にそうだよね。ゲームに熱中し過ぎるのは、ろくな人間じゃないよね。

「何か申されましたか?」

 クワッと牙を剥き出しにした猛獣の如き面構えの信虎に対し、俺はなけなしの勇気を掻き集めて抵抗の意志を露わにする。例え窮した小鹿でも、人食い虎に言い返すくらいは出来るのだぞ、畜生め!

 いえ、何も……の四文字くらいは、な!

 長い連載をしておりました二次創作を完結させ、ちょいと心にポッカリとした穴が。

 昨年末から菊幢丸の物語を書いていなければ、燃え尽き症候群になっていたやもしれませぬ。

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