『 チキ・チキ・元旦 』(天文十三年、春)<改訂>
改訂致しました(2021.06.10)。
誤字誤表記を訂正致しました。御報告に感謝を!(2021.06.12)
散々であった年末。
武田信虎に喰らったメガトン級のダメージは、元日を迎えても中々回復しなかった。鼻っ柱も意気地も根元からボキリと圧し折られたまんまで。
つらつらと考えてみれば近衛家の爺様も、賀茂川河川敷で逢った三好長逸も、それぞれが違う言葉で俺を諌めてくれていたのだ。
聞き間違えようのない諫言なれば、政所の伊勢など口が酸っぱくなるくらいにしてくれていたなぁ。
俺はそれを、耳にタコとばかりに聞き流していたのだから、“小賢しい”と罵倒されたのは当然か。
大人になると耳に痛い言葉はどうしても聞きたくないものだが、今の俺は数え九歳の子供だ。背丈も相変わらず低いままだし下帯の中はモジャモジャしておらずツルツルで、どこにも大人である証などない。流石に蒙古斑は消えたけどな。
前世の延長線上に今があると思えばガキ扱いされる事は侮辱でしかないが、朝起きてから夜寝るまでの間ずっと子供である事実と向き合い続けていれば、そのような感覚は次第に薄れてしまう。
増上慢、なのだろうな。
確かに今の俺はチヤホヤされる事に慣れ過ぎていた。元号が昭和だった頃も平成になった後も、そのような経験は幼稚園の御遊戯会以来だったからな。
どう考えても、有頂天になっていたのだなぁ。
それは三淵達も判っていたのだろうと思う。
だからこそあの宴席で、主人である俺が散々に罵倒され面目を失っていたのにも係わらず反応が薄かったのも、むべなるかな。
武家ならば主人の体面を守る為に刃傷も辞さず、であっても可笑しくないのに。
三淵のリアクションは、脇差を鞘ごと抜いて鐺で床をドンと突いただけ。後は、藤堂が片膝を立て“無人斎殿”と低い声で一言述べたくらいか。
座興にござる、と呵呵大笑する信虎に対し小賢しいと断じられた俺の浅知恵では、冷え切り凍りついた状況から一発逆転など出来る筈もなく。
「然様か、座興であるか。……済まぬな、左京大夫。余は山深き鄙の育ち故に、座興の趣がとんと判らなんだ」
“寛恕せよ”と、戸の向こうに聳える東山と坂本や朽木谷から見上げた比叡の山並みを脳裏に浮かべながら、俺は力なく呟くしか出来なかった。
「小憎らしさもお持ちであられたか」
笑いを収めた信虎が太い声を出す。また恫喝かと思い顔を見れば、目が何となく優しげである。
……何でだ?
「度胸をつけられよ。度胸とは即ち度量にござる。小賢しさ小憎らしさだけでは領主にはなれども、棟梁にはなれませぬぞ」
氷点下から温帯くらいまで態度が急変した事に、俺は呆気に取られた。
脇差を振り下ろしたままの三淵も、片膝立てた藤堂も路傍の石仏のように固まったままで。
“良き宴席にござった”と大声で笑いながら辞去して行く信虎を、俺達はただただ呆然と見送るだけであった。
そんなこんなでモヤモヤ鬱々としながら慈照寺で過そうとしていた年末だったのだが、鬱屈に感けるなとばかりに現実が俺の尻を嫌というほど叩く。
御台所様が御呼びでございまする、と大館左衛門佐が迎えに来たのである。
え、サー・マザーが?
何か気に喰わない事がある度に京都を出奔し山を越えて滋賀県へと遁走する亭主に愛想を尽かし、普段は近衛屋敷に引き篭もっていながら、将軍様に“NO!”を言える唯一の女性、サー・マザー。
勿論ながら俺は、四の五の言わず“イエッサー!”である。
召喚先は何故か“花の御所”。恐る恐る赴けば、そこでは意外な光景が展開されていた。
いつもと違い矢鱈キビキビと働いている女房衆と奉公衆達。彼らを我が物顔で差配しているのは、天下無敵のサー・マザー。
“花の御所”内でプライベート空間とされている常御所。その本来の主であるトンチキ親父はと言えば、部屋の置物と化していやがる。
家事の出来ない役立たずにはお似合いの有様なのは、今も昔も未来でさえも一緒だねぇ。
ともあれ、下座で額づき挨拶した直後にサー・マザーの抱き枕状態となった俺は、為す術も悩む暇もなく時を過して新年を迎えたのである、云々。
元日の祝賀式典は“花の御所”の会所にて元旦と共に粛々と始まった。
上座に座るのは当然ながらトンチキ親父。一段下の脇座には俺とサー・マザー。
“綱紀粛正!”とサー・マザーが叫ばれたかどうかは知らないけれど、それなりに運営されていた“花の御所”の裏方の皆さん方が戦々恐々……訂正、いつもより勤勉に働いてくれた御蔭で、準備万端怠りなしである。
力仕事に掃除にと八面六臂で活躍した男達の顔色が今一つすぐれないように感じるのは、恐らく絶対に気のせいだろう。
内談衆の筆頭にして将軍家家臣団長老の大館常興が、居並ぶ足利家臣団を代表して新年の言祝ぎと将軍家と幕府の弥栄を言上すれば、上座で踏ん反り返るトンチキ親父も新年の言祝ぎと労いの言葉を口にする。
それにしても、驚いた。
会所には、どこから湧いたのかと思うくらいの人数がひしめき合っているのだが、その八割方が幕府奉公衆達なのだ。
正直思ったよ、こんなにいたのか!って。
もしや新歓コンパの時だけ湧いて出る幽霊部員なのか、とも。
室内だけではなく廊下にもはみ出すほどに参集した奉公衆達。きっと普段はもっとむさ苦しいなりをしているのであろうが、流石に今日は一張羅を着て髯も髷もキチンと整えている。
オッサン共相手に言うのもアレだが、馬子にも衣装ここに極まれりである。
それに引き換え、奉行衆達は常日頃から身嗜みが良いので一張羅を着込んだ今日とて、いつものようにスッキリとしていた。
やはり人間、普段からの行いが何よりも大事って事なのだなぁ。
「者共大儀! 余もその方らの千歳万歳を願うものなり」
普段は奇矯と懈怠の人物なのに、一声発するだけでこれだけ多くの者達が一斉に“誠に忝く存じまする”と平伏する姿を見れば、トンチキ親父は腐っていても将軍なのだと手放しで賞賛したくなるから不思議なものだ。
……まぁ半笑いでだけどね。
新年祝賀式が終れば、祝宴だ。
立派な祝い膳が各自の前に配膳されるが、ここでサー・マザーは常御殿へと退場。高貴な身分の女性が他人の前で食事をするのは誠に恥ずかしい振る舞いなのだとか。
全く身分社会ってヤツは、本当に堅苦しいったらありゃしない。
堅苦しいと言えば、祝宴もまたそうである。
二人に一つ割り当てられた屠蘇器を互いに注ぎ合って、朱塗りの杯を無言で干す男達。食事の作法も礼儀正しく、黙々と箸を動かすのみ。
会食も儀式の一環なれば、無礼講とは真逆の食事風景となるのも当たり前か。裸踊りもなければイッキ呑みコールもないままに、儀礼としての祝宴は粛々と一刻ほどでお開きとなった。
祝宴が宴会らしからぬ理由は他にもある。饗された料理の味付けだ。
どれもこれも実に単調で大雑把。味の違いは濃いか薄いかしかないのだから、現代人の感覚からすればどうもピント外れに感じてしまう。
良いように取れば、薄味は素材の風味を活かしきったもので、濃い味は塩と味噌と醤油をふんだんに使用した贅沢品なのだろうが、グルタミン酸昆布味やイノシン酸カツオ味の旨味に欠ける味は、やはり物足りないよなぁ。
せめて干し椎茸で出汁をふんだんに取ってくれたらと思うけど、人工栽培が行われていないこの時代では椎茸とは超が三つも付くような高級品。貧乏所帯の将軍家がホイホイと多用出来る筈もなく、使用された量は申し訳程度。
将軍に就任したら、北前船でも仕込むか?
昆布なら何とかなるだろう……と思うのだけど、日本海ルートが構築出来ない現状では無理だろうなぁ。
蝦夷地がどうなっているかは皆目判らないし、東北地方は相変わらず無法地帯だし。
煮干や鰹節もある所にはあるらしいのだが、食卓に上がった事がないのでよく判らない。
今度、慈照寺の台所担当に……って慈照寺は精進料理上等の禅寺だから聞くだけ無駄か!
ならば将軍家の料理人でもある進士にでも、後で尋ねてみるとするか。洛中には、海の幸は乾物でしか流入しないのだし、もしかしたら何か知っているかも?
などと飯の事に現を抜かしていられたのも、トンチキ親父が外出するまでの事で。
細川屋敷からやって来た茨木長隆の野郎が、いつものムカツク面でムカツク挨拶をし、ムカツク身のこなしでトンチキ親父達を慇懃無礼に誘いやがる。
本来ならば、三管領の中で唯一実態のある管領職として六郎の野郎が主だった部下達を引率し、日の出前に“花の御所”へ参上しておくべきなのだ。
それなのに、だ。
六郎の野郎は、対立する細川次郎氏綱を警戒して摂津国の芥川山城に篭ったままで、洛中の事など我関せずとほったらかし生活をし続けているのである。
洛中の事は全て、茨木の野郎に丸投げで何をしているのだか!
大体にして、氏綱は蜂起したものの不発で今は和泉国のどこかに逼塞中なのだから、都大路のど真ん中でのうのうと、いや堂々としていれば良いものを。
トンチキ親父よりも頭のネジが十本ほど足らないイカレポンチだよな、ポンコツ管領は!
四六時中ずっと強迫観念に襲われ続けてでもいるのかな?
或いは戦国一のビビり男なだけなのか?
それは兎も角、親分不在の洛中で鬱陶しいくらいに偉そうにしているのは嫌味が売りの、茨木の野郎。
新年早々に執り行われる宮中参賀に、ポンコツ管領の代理としてトンチキ親父の供奉をするのである。
それならお前が昨夜から“花の御所”に詰めとけよ、お前は六郎の野郎の子分かもしれないが、将軍家に仕える奉公衆でもあるのだからよ!
細川屋敷の留守番役のクセして、きっと主人不在をいい事に好き勝手に振舞っていたに違いない。
常御所に推参した時のしたり顔が、酒焼けした赤ら顔だったのが何よりの証拠だぜ!
何の権限を行使したのかは知らないが、去年は何度も安堵状を発給しやがって偉そうに。
洛中での一切は公儀の所管だろうに、何でお前が、お前の名前で公事を裁定しているのだよ?
差し出がましい数々の行いを許している上司の面が見てみた……いや、出来れば金輪際見たくねェわ!
ほぼ言いがかりであるのは自覚しながら腹の中で舌を出し、上辺は恭しい態度でトンチキ親父とその子分と、自称ではなく正式に官位を授けられている者達を送り出す俺。
因みに奉公衆や奉行衆達の先頭に立つのは当然の如く、常興と伊勢伊勢守だ。
朝廷と幕府を繋ぐ武家側の取次でもある政所執事は、トンチキ親父が宮中に参内する際の介添え役でもある。
本当に有能だよな、伊勢って。
……どうして史実の義輝は、伊勢を見捨てたのだろうなぁ。
いや、見放されたってのが正解かもね。それが回り回って、永禄の変で義輝自身が殺される遠因の一つとなるのだから……世知辛ぇけど自業自得だよな。
未来の轍を踏まぬようにするには、過去である今からレールを捻じ曲げなければ。
今年は去年までよりも色々と画策せねばと思うが、さて何から手をつけるべきだろうか?
「若子様は主殿へと御渡りあれ」
あ、そうだね。先ずやるべきは将軍の代理として来客の対応だよね。
オッケー了解、頑張りましょう!
何せ今日からの数日間を、俺の数年後を楽にするための切っ掛けにしないとね。
新年祝賀期間中は、これまで顔を合わす事のなかった人物達と面会出来る貴重な日々なのだからさ!
会所に隣接する主殿は、廊下代わりの濡縁を挟んだだけの棟続き。
三歩進めば到着のドア・トゥ・ドア。中を見渡せば、綺麗に清められた屋内は静謐に満ちていた。
上座奥の壁には、足利氏の家紋“足利二つ引き”と初代尊氏が考案した“五七花桐”を黒く染め抜いた幕を張り、幕の左右には重代の家宝とも言える鎧具足を飾る。
そして、幕の前には黒漆の台に据えられた花器が一つ。青磁中蕪花瓶の口からは若松が真っ直ぐに伸びている。
活けてくれたのは六角堂の法灯を継がれた池坊第二十九世の専存師だ。
正月飾りとしてはシンプル過ぎるやもしれないが、武家らしくて良い立花だと俺は思う。
鎧具足の前には譲葉、熨斗鮑、海老、昆布、橙を載せた具足餅と称される武家風の鏡餅がお供えされている。
当に絵に描いたような質実剛健そのものの正月飾りだ。
三淵に案内されて上座の直近の脇で板戸を背に胡坐を掻く。本来、上座のど真ん中は将軍のみが座れる場所。代理とはいっても俺が座って良い場所ではないからな。
俺から少し下がった場所に介添え役一号の三淵が座すと、対面側の下座の近くに伊勢の息子である兵庫頭貞良が介添え役二号を務めるべく腰を下ろした。
上座と下座の境目には三淵弥四郎と細川与一郎の兄弟、大館十郎、一色七郎、荒川勝兵衛、小笠原又六、高五郎右衛門、蜷川新右衛門ら八名、近習の中で親が奉公衆である者達が四名ずつ左右に分かれて控える。
廊下での出迎え担当は、近習筆頭である進士美作守だ。
和田伝右衛門と新助の兄弟、松井新左衛門、石谷三郎左衛門の四名は、身分の低い奉公衆や奉行衆達と共に会所に残り、来客の饗応係である。
多羅尾助四郎、池田弥太郎、赤井五郎次郎の三人は、藤堂虎高、田中久太郎、木村半兵衛、速水兵右衛門、脇坂外介、中村孫作の護衛役と一緒に随身所に詰めていた。
年齢が十歳に満たぬ山中甚太郎、眞木嶋孫六郎、三好神介の三名は慈照寺での御留守番である。
引率兼監視役は村井吉兵衛、河田九郎太郎と九郎次郎の兄弟に任せたので問題はなかろう。
さてさて、これで表の準備は万端か。最初に来るのは誰だろう?
などと、一割五分二厘の楽しみと八割以上の不安を交互させていると。
「河内紀伊守護畠山尾張守殿家臣、遊佐河内守殿、奉賀に参られました。供奉は安見図書助殿にて候」
不意に進士が上ずった声で来訪者到来の知らせを発する。
……え? 畠山の遊佐? それに安見? マジで?
畠山氏重臣の遊佐と陪臣の安見が、いの一番に来訪したのには正直言って驚いた。
確か俺の記憶だと……畠山尾州家当主の稙長と共々、氏綱を密かに支援していたのじゃなかったっけか?
一応、表面上は将軍家の忠臣面を捨ててはいないし、支援しているのも公然ではないから問題ない、と言えば問題ないのだろうけど。
……事情を知っている俺からすれば、えらく面の皮の厚い事でとしか思えぬよなぁ。
しかしこの二人がこの場にいる事自体は特に問題がないようで。貞良と三淵を見やっても挙措に些かの乱れもない。進士の声が上ずったのは慣れぬ職務による緊張感の所為みたいだ。
遊佐河内守本人はと言えば、柳に風とすら感じていないようで。後ろに侍る安見図書助も以下同文。
都人ほどの優雅さはなくとも板についた所作で平伏し、決まり文句を口にする。
「衷心より将軍家の弥栄を言祝ぎさせて戴きまする」
対する俺も伊勢に教えられた通りに決められたセリフAバージョンを口にした。
「大儀である」
貞良が遊佐河内守の差し出す三方に載せた進物の目録を受け取るや、腰を屈めて俺の前へ。俺は広げられた目録に軽く目を通して僅かに顎を引けば、目録を乗せた三方は上座へと運ばれる。
微かな衣擦れ音を立てながら貞良が定位置に戻るのを見届けた三淵が徐に腰を上げ、別の三方に載せた御返しの扇子を下座で平伏する来訪客の前へ置いた。
そして俺は決められたセリフBバージョンを口にする。
「大儀であった」
「ははー!」
奉書紙と金銀の水引で飾られた朱塗りの扇子を受け取った遊佐は、安見と共に今一度深々と平伏すると身を屈めたまま立ち上がり、ゆっくりと退出して行った。
……ああ吃驚した、仰天した、気疲れした。
珍しく在京中の将軍様が宮中へ参内しているのだよ、今年はさ。日中はずっと宮中参賀し帰宅は概ね夜となる。来るなら今夜か明日にしろよ。
山城国近辺、少なくとも五畿内の住人ならそれぐらい知っていて当然だろうが。
普段会わない人物に会いたいとは思ったけれど、いきなりメガトン級の爆弾に会いたいとは言ってないぞ俺は!
ああ本当に肝が冷えたよ、全くもう!
背中から緊張感をそっと抜くと三淵が、咳払いで注意喚起する。へいへい了解、まだまだ始まったばかりだから懈怠するな、だろう?
だがなぁ、一日中、火鉢しか暖房のない板の間に座り続けているのは、苦痛以外の何物でもないじゃないか?
円座があるから多少マシでも足も痛けりゃ尻も痛い、ついでに少し胃も痛い。前世でもした事がない大役をいたいけな九つになったばかりの童子が務めるのだ、ちょっとくらい見逃してくれよ。
などと心の中で愚痴っていたら早、新たな来訪者が。
「駿河守護今川治部大輔殿名代、惣印軒殿、奉賀に参られました」
「越後守護代長尾左衛門尉殿名代、神余隼人佑殿、嫡子小次郎、奉賀に参られました」
「大宰大弐大内介殿名代、正法寺殿、奉賀に参られました」
定規を飲み込んだように背筋を伸ばし襟も正して相対するのは、“京都雑掌”と称される者達である。
“雑掌”とは、奈良時代の律令制施行後に諸々の役所に属し雑務を担当した下級役人を意味する名称だ。
平安期からは貴族の荘園を代理人として管理運営、訴訟事務を取り扱った者を意味するが、鎌倉期からは貴族のみならず武家にも仕えて雑務に携わった者をも指すようになった。
京都雑掌とは、主に遠国の大名家が洛中との関わりを深く持とうとした結果生まれた役職で、言わば駐在大使のような存在だ。
職務内容は情報収集、各種折衝、経済活動支援である。戦国時代のプロフェッショナル外交官、それが京都雑掌である。
例えば神余は、越後長尾氏の経済活動を支え続けた事で知られる超のつく有名人だ。衣服の素材である青苧を特産とする越後国と、青苧の売買権を握る青苧座の本所である三条西家との仲を頑強に結びつけた能吏である。
もし神余が優秀でなければ、青苧による収入が越後国を潤す事もなく、上杉謙信の度重なる関東遠征も支障をきたしていただろう。
軍神伝説は神余の行動がなきゃ成り立たないのである。
尤も、今の長尾家は未だ上杉家じゃないし、長尾家の現当主は謙信の兄貴である長尾晴景だけどな。
……ふと思ったのだけど。
神余の経済活動に何らかの掣肘を加えれば、何れ誕生する上杉謙信の武名を著しく低下させる事が出来るのじゃなかろうか?
青苧の一大生産地が越後国ってだけで、他で青苧が生産出来ぬ訳じゃない。
例えば最大消費地である京都の近郊、五畿内かその近辺で青苧の生産を奨励すれば輸送コストを下げられるし。
サー・マザーや近衛家との繋がりを考えたら、三好長慶の次に頼りにしたいのは北条氏だ。何れ俺が将軍権力を握ったら関東管領職など鎌倉公方ごと権威を剥奪する心算だし、更に経済的ダメージを与えてやれば関東制覇を目指す北条氏の最大の障害を未然に潰せるのかも?
……とは言うものの、俺は青苧がどんな植物かも知らないし、如何にすれば栽培出来るかも知らないから、どうしようもない。
正月の一連の行事が済んだら伊勢にでも相談してみようか。将軍家の財源にならないか、と。
午前中は後二組、伊勢国の北畠氏と越前国の朝倉氏の名代が来たのだが、いまいち覚えていない。
記憶に残っていないって事は大した遣いじゃなかったって事だろう。うん、多分そうだ。
痛む足をソロソロと動かしながら常御殿へと身を移す。暫くはサー・マザーに構われながらの昼御飯を兼ねたお休みタイムである。
もしその間に来訪者が来たら?
待たせとけ待たせとけ、こんな時間に来る奴が悪い。奉賀の者が少なければ将軍家及び公儀の沽券に関わるが、こちらが是非にと招いた客でもなし、来るのはあくまでも客側の都合次第だ。
そもそも三代義満の頃までならいざ知らず、今の御時世に中央政界の顔色を窺う大名などあまりいないのだ。
長尾みたいにのっぴきならぬ事情でもあれば別だろうが、そうでもなければ手紙の一通で済む事の為にわざわざ家臣を常駐させるメリットなどないし。
現に尾張国の斯波氏など随分と前から“花の御所”を無視しっ放しで、今はどう過ごしているのやら音沙汰なしが続いている。美濃国の土岐氏も似たようなもの。細川が威勢良くブイブイ言っている今の中央政界など、どうでも良いのだろう。
もしも俺の転生先が斯波氏や土岐氏だったら?
……確かに将軍家や細川氏がウダウダしている場所など敬遠したいもの。触らぬ神に祟りなし。藪に手を突っ込んで毒蛇に噛まれたくはないからな。
常御所でサー・マザーに甘やかされながら、どのように甘やかされたかは紳士の嗜みとして黙秘するが、凡そ一刻ほどダラダラと時間をかけて飯食ったら午後の部の始まりだ。
貞良と三淵が定位置につき、近習達と一斉に平伏する間に元のポジションへ着座すれば、早速に進士が来訪者の名を呼び立てる。
「近江守護六角弾正少弼殿家臣、進藤山城守殿、奉賀に参られました。供奉は青山内膳殿にて候」
は? ……何ですと!?
とんでもない大物が現れた! 逃げる? 戦う? お風呂にする? それとも、寝る?
ちょっと待ってちょっと待って、誰か説明してよ!
思わず鼻から奇妙な液体をピーッと噴き出すトコだったよ。
大河的なドラマじゃテロップに名前も表示されないドマイナー武将だが今の近畿じゃ超メジャーな武将の一人、後藤但馬守とセットになって“六角氏の両藤”と呼ばれている宿老だよ、進藤山城守は!
痰が絡みまくった変な声も出そうになったが、どうにかこうにか決められたセリフを絞り出す。額から流れ落ちる汗は止められそうにもないけどな。
動揺する俺に比べ、貞良と三淵は珍しい客が来たものだ程度の表情で、定められた行動を行う。泳ぎがちの目で目録を流し読みしようとしたら不可思議な一文がある事に気がついた。
そう言えば。今まで受け取った目録にも同じ文言が記されていたような?
何だコレ、とツッコミしたくもあるが、今はそれよりも事態を先送りにしたい気分なので、取り敢えずスルーしておこう。
「た、大儀、であった」
へどもどしながら言うべき事を言い、一仕事終えた気分で思わず溜息を吐き出してしまう。後は二人が退出するのを待つばかりなのだが、何故か進藤は平伏するものの一向に立ち上がろうとしない。
おいおい話が違うぞ。
約束事と違う六角家重臣の振る舞いに、三淵と顔を見合わせてから下座へとアイコンタクトをすれば、貞良が心得たとばかりに頷いた。
「山城守殿、如何あそばされましたるや?」
「今暫し刻を頂戴致したく存じまする」
そう言うなり、進藤が面を上げて俺と目線を合わせる。切れ者の秘書室長よりも風采の上がらぬ夜間警備員といった感じの風貌なのだが、どこか油断してはいけない雰囲気がチラチラと見え隠れしていた。
「主より世子様へ御願い致したき儀がありまする。何卒お聞き届け戴けませぬでしょうや」
クリクリとした団栗眼の色合いは茶目っ気たっぷりなのだけど、相手はあの六角の重臣中の重臣。
去年の邂逅ではそれなりに良い関係が構築出来そうだったが、離合集散が常態化している当世だ。
三ヶ月も会わなければ俺の評価など果たしてどうなっているのやら。
……頼むから無理難題を言い出すなよ。
「近江弾正の言を聞くに差し障りはないが、諾と申すか否かは話の中身次第」
「然れば」
進藤は目の前にある三方を両手で持ち上げ恭しい手つきで半回転させ、俺の方へと押し出すようにして置いた。
「世子様の歌を一首なりとて頂戴致したく存じまする」
…………あ、そんな事。なーんだ、心配して損した。
「世子様の詠われる今様は、古今比類なき稀有な興を催すものと聞き及んでおりまする。
何卒、洛中のみならず鳰海の汀にも御伝え下さりませぬでしょうや?」
辞を低くし俺を伺い見る進藤に対し、俺は心底からの安心し切った笑みを零す。俺の笑顔に脈ありと見たのか、進藤もまたホッとしたような顔になった。
「それはならぬな」
しかし俺の一言で、その表情が瞬時に凍りつく。
「……何故でござりましょうや」
「飯の種をホイホイと配り回る阿呆ではないぞ、余は」
「は?」
しまった、つい本音を洩らしてしまったよ。
「まぁアレだ。近江弾正が余の弟子となるならば幾らでも伝授しようが、な」
「……然様にござりまするか」
「とは言え、今様でなければ進呈するが如何に?」
俺は進藤の返事を待たずに与一郎に筆を持てと命じれば、貞良は何も言わぬのにさっさと三方を俺の元へと戻してくれた。やはりデキル男は違うよね。そして程なく、与一郎が筆と硯を手に戻って来る。
ポカンとしたままの進藤を余所に、俺は墨を吸わせた筆先を開いた扇面に走らせた。
……ふむ、まぁまぁ上手く書けたかな。前世ではまともに書道教室に通う事もなくシャーペン上等ボールペン最高で過していたが、流石に今はそうもいかない。
もう必死で練習したよ、本当に。毎日毎日飽きる事なく書き捲れば、それなりの字体で書けるようになるものだ。苔の一念岩をも粉砕ってね。
「これを近江弾正に渡すが良い」
俺が筆を置くと、空かさず三淵が三方を取り上げ改めて進藤の前へと運ぶ。
“論よりも 証しを立てよ 御仏に 言うは一刻 為すは一生”
“賀茂川の 流れに浮かぶ 笹の舟 淀まず行けば 何はともあれ”
“暗き夜 照らす月影 有難し 仰ぎ拝みて 共に道往く”
「今様ではないが、昨年に惟高妙安禅師ら碩学と共に公案した『いろは教訓』の一節である。細釈は不要であろう」
奉書の上に広げた真っ白い扇子には、俺の認めた墨痕鮮やかに三通りの警句。進藤は団栗眼を見開いたまま固まっていたが、やがて目を細めて柔和な顔つきとなった。
「誠に忝く……有難く存じまする」
深々と頭を下げる進藤の姿に、俺も三淵も貞良も与一郎らの近習達も一様に安堵の溜息を洩らす。
「格別の御配慮を賜り誠に恐悦至極。向後も幾久しく忠勤に励む所存にて。世子様に於かれましては何卒心安らかに御過ごし下されますように」
一段と身を低くしてから辞して行く六角家の家臣達を見送り、俺は両手を突き上げ大きく伸びをした。ああ、肩凝った。メガトン級以上の大量破壊兵器クラスの人物と接するのは楽じゃないね。
誰も咎めないから遠慮なく首や肩をグリグリとストレッチもどきをしながら、ふと気になった疑問を口にする。
「……なぁ兵庫頭」
「何でございましょうや?」
「本日差し出された目録それぞれに“能面一枚”とあったが、あれは一体何の戯言だ?」
「御存知あそばされませんでしたか?」
さも吃驚したといった貞良の表情に、俺もまた驚きを隠せなかった。何が一体どういう事で、どのような事を俺は知らないのだ?
「進藤山城守殿も申されておりましたが、世子様の口に為される事、新たに始められましたる事、武家公家を問わず洛中にて様々な噂となっておりまする」
「然様。近頃は洛外へ遊行する琵琶法師共が若子様、惟高妙安禅師皆様方が公案なされました『いろは教訓』を広めておるそうにて」
「伊賀守殿(=三淵)の申されましたように、下々の者共にも世子様の為されました事は世に広がり出しておりまする。口さがない都雀共も世子様の御名をよく口にしておるようにて」
ああ、だから信虎は“菅丞相の再来”とか何とかと俺の事を揶揄したのか。
最近は街ブラをしてなかったから全然気づかなかったよ。目先の事で一杯一杯の日々だし、何よりも京都にいない日々だったのだもの。
我ながら浮世離れした生活をしているものだよ。まさかこんな風に自分の世評、エゴサーチを聞かされるとは思いもしなかった。……って事は。
「余が“ノーコメント”と申しておるからか」
「然様にて」
いや、ノーコメントはノーコメントであってそれ以上もそれ以下の意味もないのだけど……。
「世子様が盛んに“能古面”と申しておられるのですから、尤もな事であると存じますが」
って事はもしかして俺は世情では……。
「余は、能狂いではないぞ」
「存じておりまする。然れど世子様を存ぜぬ者達から致しますれば、巷間にて囁かれる噂などでしか世子様を計れぬものでござりまする」
こちらへと向き直った貞良が姿勢を正して、言葉を重ねる。
「恐れながら言上仕りまする。世子様に於かれましては些かなりとて御振る舞いを御慎み下さいますれば、臣として誠に有難く存じまする」
貞良の言葉に三淵ら近習達も含め全員が一斉に頷くのを見たら、俺に出来る事など限られている。襟元を整え昂然と胸を張るだけだ。
わーるかったな!
「兄上さま」
「どうした、お初?」
「お顔がわるうございまする」
「うんうん、顔が悪いじゃなくて顔色が悪いだよね」
「はい、さようにございまする」
「そっかー」
年明け三日の朝、俺は常御殿の縁側で童女と綾取りをしていた。
相手は異母妹である初子姫。常興が昼前に連れて来てくれたのだ。今年七つになりました故に、と申して。
何で七つになったのでOKなのか?
それは今が、子供が矢鱈と早死にする時代だからだ。数えで七つは正味で言うと六歳。幼稚園児から小学生に進級する年齢である。なので、もう大丈夫であろうと判断出来る年齢って事。
現代とは違う現在は栄養状態も衛生状況も宜しくないから、早死にするのが当たり前。高貴な身分なれば白粉という毒薬で中毒死もする。産まれる前なら尚更である。現代なら大事の流産も、現在ならばざらに聞く話で。
元日を迎えると共にようよう七歳になった初子は大事に育てられていた屋敷を出て、遂に社会デビューを果たしたのである!
そのファーストステージが“花の御所”なのは当然の事。
トンチキ親父とサー・マザーに可愛らしい仕草で挨拶するや、俺の方へ “兄上さま”とにじり寄ってくれたのだ。
敢えて言おう、妹は正義であると!
何でこんなに可愛いのだろうか?
振り返れば常興もデレデレとやに下がっている。公儀の重鎮としての威厳ゼロ。いつの時代も爺は孫娘にベタ甘なのだなぁ。尤も、俺も既に心を鷲掴みにされちゃったけどな!
「兄上さま」
「うん?」
「今夜が楽しみです!」
「ああ……そっかー……お初は楽しみなのかー」
キラキラした瞳の初子に対し、俺は死んだマグロのような目になる。何故なら俺は、今夜が憂鬱なのだから。
一昨日の事。
宮中での一連の行事を終え夕方に帰宅したトンチキ親父は、贈呈品の一覧をじっくりと眺めるや馬鹿笑いをしやがったのだ。しかもその後、とんでもない事まで言い出す始末。
“明後日は観世の者に祝賀の舞台を踏ませる故に、そちも何ぞ一指し舞え”だと!
何でだよ! どうして俺が舞台で踊らなきゃならねーんだよ!
トンチキ親父の思いつきの無茶振りに俺は激しく抗議したのだが、命令である、の一言で封じられてしまった。
どうしたものかと三淵らを見遣れば、奴らは揃いも揃って無言でチベットスナギツネみたいな顔をしやがるし。
はいはい、身から出たサビだと言いたいのだろう、自業自得だと?
こうなりゃ上演直前に仮病を使ってブッチしてやる……と思っていたのだが、それも初子の一言で出来なくなってしまった。
だって、お兄ちゃんの立場としては愛らしい妹の期待には応えねばならぬのだから。確か『御成敗式目』の冒頭にそう書いてあった筈。
ならば敵前逃亡などもっての他。為せば成る為さねば成らぬ何事も為さなきゃ何とも情けないよね、だ。
「お初の為に、兄は励むぞ!」
「嬉しゅうございます♪」
そして無情にも陽が暮れる。
夜の帳が下りた頃、俺は主殿の前に設置された仮設舞台に立っていた。
薪と月明かりだけという実に質素な照明の下、演目と演目の合間の余興としてだが。そう思うのは演じさせる方だけで、演じる方としては余興ではなく、一世一代の大舞台だ。
演じさせる方、トンチキ親父は観覧席の中心でニヤニヤしていやがる。右側にはサー・マザーに初子に大館一族と奉公衆達、左側には伊勢親子に三淵一家と奉行衆達。
はぁ、と溜息を一つ吐いた俺は、BGM担当の鼓の打ち手達に合図を送った。
適当に一定のリズムで賑やかに演奏してくれと事前に依頼していた通り、エイトビートには程遠い音曲が流れ出す。
凡そ一分、緩やかなリズムに身を馴染ませた俺は、扇を広げタタンと最初のステップを踏んだ。
「♪ 寿限無寿限無、五劫のすりきれ、海砂利水魚の水行末、雲来末、風来末、食う寝る処に住む処 ♪」
随分前に子供番組で流行ったネタだが、宴会芸として覚え事ある毎に披露した俺の十八番の一つ。
所々にパラパラの振りを入れ、足捌きにはタップダンスを混ぜ込んだオリジナルバージョンだ。
新年らしく御目出度い内容で、且つ室町時代にも通用しそうな歌詞はこれしかなかったのだから仕方がない。
……ラップやヒップホップを歌っても誰も判らないだろうし、デスメタルを歌う雰囲気じゃないものな。
「♪ やぶら柑子のぶら柑子、パイポパイポパイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ ♪」
それにしても、能面って実に扱い辛いぜやり難いったらありゃしないな、全く。
献上された中から翁の面を選んだのは、視野が一番広く取れそうな感じがしたからだが……駄目だなこれは。
身動きをする度にずれるので、全景を視野に収められるかどうか、だなんて無理無理無理。全然見えやしないぞ、参ったなぁ!
ただでさえ乏しい照明の舞台だし。スピンは止めて、左右の動きだけに終始しておこう。
「♪ グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの、長久命の長助 ♪」
スタタンとステップを決めて一曲歌い終えた俺は、ひと呼吸置いてから静かに膝を折って観覧席の主賓へ頭を下げる。
「御粗末様でございました」
我ながら実に御粗末な出来だったよなぁ、本当に。
仲間内で披露するなら兎も角、仮設とは言え分厚い白木の板で造られた立派な舞台で、電子音ではなく笛や太鼓による緩やかな旋律の生演奏をバックにするなど人生初めての経験だ。
これで上手く出来たなら、俺は明日にもブロードウェイの舞台に立てるだろうって言ったら言い過ぎでも、素人名人のチャンピオンくらいにはなれるに違いない。
しかし慣れない事はやるものじゃないな。もう二度と御免だ、コリゴリだ。ちょっと突拍子もない事を遣り過ぎた所為か妙に静まり返った雰囲気の中、俺はよっこいしょと立ち上がる。
スタンディング・オベーションしろとは言わないけれど、せめて労いの拍手くらいしてくれても良いのじゃないかな?
そう思いつつ俯き加減の首を持ち上げると、奉行衆達も奉公衆達もどう反応して良いか判断に迷っているみたいで何とも微妙な顔をしている。
伊勢さん家と三淵さん家は能面のように無表情なのは、まぁ仕方ないか。
サー・マザーが袂で目尻を拭っているみたいだが、滲んだ涙が感動によるものか情けなさによるものかは判別不能。トンチキ親父は彫像のように固まっている。
羞恥心やら疲労感やら反省材料などを抱えながら歩き出そうとしたら、前方から可愛らしい声が聞こえて来た。
「ぽんぽこぴーのぽんぽこなー」
小さな手を打ち合わせていた初子が、俺の目を見て満面の笑みを浮かべる。
「兄上さま、もっと歌うてくださいませ」
不意に袴の裾が何者かにガシッと掴まれた。
「某からも伏して御願い申し上げまする」
今夜の祝賀能の主役である観世流七世宗節が、何故か必死の形相で俺を見上げている。
「菊幢丸よ」
夜の帳に包まれた“花の御所”の、パチパチと時折爆ぜながら燃える薪に照らされた観覧席の中央に座し、手にしていた扇で膝を打つトンチキ親父。
「もう一指し舞うべし」
初めて見るその何とも清清しい表情に、俺は呆気に取られた。
「宗節よ、そちよりも菊幢丸の舞を余は見たく思うがどうじゃ?」
「某も同じ思いにござりまする。世子様、何卒御願い申し上げまする」
と、言う訳で。
俺は疲れ果ててぶっ倒れるまで、歌い踊ったのである。
トンチキ親父の無茶振りの所為で。
きゃあきゃあと喜ぶ可愛い可愛い妹の為に。
俺の身振り手振りを見様見真似する観世宗節と一緒に夜更けまで。
「♪ とーしのはーじめーのたーめーしーとてー、お―わーりーなーき世のめーでーたーさよー、まーつーたーけーたーててかーどーごーとにー、いーわうきょーうこそーたーのーしーけれー ♪」
流石に手足がだるくなってからは、鼓の打ち手達の調子を取りながら歌だけを担当する。
俺の歌に合わせて即興で舞う観世宗節は、やはり当代一の芸能者だ。
何とも素晴らしい舞いに、惚れ惚れとする足捌き。とてもアドリブとは思えやしない。
観覧席も大盛り上がりのようで何よりだ。何よりであるけれど一言だけ言いたくなるのだよ。
……どうしてこうなった?
まぁ良いか。
正月だもの、ちょっとくらい羽目を外したってさ。馬鹿馬鹿しい事は楽しめる内に楽しまないと、人生損する一方だしな!
明日は明日の風が吹く、ケセラセラだよ人生は、所詮この世はオッペケペーのペー、って事さ!
六角家家臣・進藤山城守公は、賢盛の父である貞治です。
京都雑掌について色々と調べてみたのですが、名前の判る人物が少な過ぎて難儀しました。
第七世宗節師は、衰退しかけていた観世流を隆盛させた偉大な芸能者にて。