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『 最短の戦い 』(天文十八年、夏)

 取り敢えず書き始めてみました。赤っ恥の掻き始めやもしれませんが……。

 ちょこっとだけ、手入れをしました。(2017.12.27)(2017.12.30)


 大幅に改訂致しました。併せてサブタイトルも変更致しました。(2021.01.29)

 誤字誤表記の御指摘に感謝を!(2021.02.06)

「おられたかッ!?」

「何処にもおられませぬッ!!」

「やはり近江国へと落ち延びられたのではござりませぬか?」

「然様な筈はない!! 必ず此処に!!」

「殿! 急がれませぬと阿波の奴ばらが!」

「ええい……致し方あるまい、他を当たるぞ!!」


 ドタドタと其処彼処の床板を不作法に踏み鳴らしていた幾つもの足音が、慌てふためいたように一方向へと集約し、やがて遠ざかる。

 屋外の方から微かに届く怒声に馬の嘶きが重なり、騒々しさが一段と高まったが、十を数える間にそれも消え失せた。

 まるで台風一過、あれだけの大騒ぎも何処へやら。耳を澄ませても、物音ひとつ聞こえてきやしないが、用心に用心を重ねよう。

 此処でしくじれば、アイツはダメな奴と後ろ指をさされるだけじゃ済まないだろう。歴代最低の間抜け将軍だとレッテルを貼られるに違いない。

 そいつはちょっと勘弁だ。

 だから頭の中で『船頭小唄』をフルコーラスで二回歌ってみた。何が“だから”でその選曲なのかは謎だけど。恐らくは宇宙に無限とある神秘のひとつに違いない。きっとそうだ。

 それでは念には念を入れてもう一回フルコーラスを……と思ったが止めた。どう考えても阿呆の所業に思えたし。

 ついでに隠忍自重も終了だ。いつまでもこんな陰気な所に籠ってなどいられるか!

 もういい加減大丈夫だろうと頭上の畳をグイッとばかりに押し上げ、首を突き出して深呼吸すれば埃っぽい空気が鼻孔に引っかかりやがったぜ、畜生め。


「やれやれ、やっと行ったか。全く、六郎の被官共のやかましいことよ」

「彼の声を聞くだに、どうやら香西与四郎殿のようでございましたな」

「あの胴間声は確かに」

「大樹がこの有様なれば、声も大きゅうなりましょう」


 ムズムズする鼻を擦っていたら、一緒に床下に籠っていた者共も同じように顔を外気に晒す。


「余が悪いと申すのか?」

「さてそれは」

「大樹がよく申される“能古面”とやらで」

「斯様な時に主に戯言を申すとは、大樹は誠に良き身内衆に恵まれましたな」

「お褒めに与かり恐悦至極」

「口を慎め、主税助」

「おぬしもだ、彦右衛門」

「その辺にしておけ、二人共。与一郎も許してやれ」


 眉間に皺寄せた与一郎に、黄ばんだ歯を見せる彦右衛門。主税助も悪びれた様子もなく口元を緩めている。どれもこれも見慣れた面だ。

 安全とはほど遠い状況下であるにも関わらず、普段と変わらぬ面構えにホッとするやら呆れるやら。

 俺と大して歳の変わらぬローティーンのくせに、しかめっ面が似合い過ぎるのはどうかと思うぞ、与一郎よ。


「それよりも此処を出るぞ」

「然れば、手筈通りに」


 畳を横にずらして立ち上がった与一郎の言葉に、即座に行動で答える彦右衛門と主税助。髷に蜘蛛の巣をトッピングした埃塗れでなきゃ、格好良いシーンなのだけどね。

 それにしても東求堂が畳部屋で助かったぜ。

 板敷きが一般的な当世で床下収納を拵えるのは大変だからな。畳なら捲るだけでオッケーだもの。

 だがまぁ、掃除はしておくべきだったな。もしも次回があるならば、別の場所に隠れるとしよう。

 開け放たれたままの襖から見える空の大半は、大きな入道雲に覆われていやがる。微かに聞こえる響きは、遠雷かな。マジで嵐が来そうじゃねぇか。

 何とも先行き心配な空模様である事よ。

 それでは畳を戻して、とっとと退散するとしようか。

 油断なく周囲の気配を探りつつ屋外へと飛び出れば、思い出したように蝉が鳴き出した。いやずっと鳴いていたのかな。それすらも判断つかないとは、どうやら俺は余程緊張しているらしい。

 まぁ当然だよな。何せ乾坤一擲の大勝負なのだし。

 神様仏様ついでに歴代の将軍様、それと夢窓国師様。どうかボロ勝ちとなりますようお助け下さいませ。

 俺は慈照寺の門を潜った所で振り返り、観音殿のある方へと両の掌を合わせた。

 喧しいくらいの蝉時雨に混じり、何者かの高笑いが聞こえたような気がしたが……幻聴だろうな、きっと。


 慈照寺を後にした俺は東山三十六峰の裾野を開墾した田畑へと躍り出るや、迷路のような畦道を一目散に走り抜ける。

 その途中で、空が泣き出しやがった。

 最初はポツポツであったが、次第に篠突く雨となる。そしてあっという間にバケツを引っ繰り返したような土砂降りに。

 遁走の痕跡を消してくれるのは有難いのだが、濡れた着物が纏わりつくのは勘弁して欲しいぜ。こちとら急いでいるのだからさ。

 有難一割迷惑九割な天気の中を必死のパッチで走り続ければ、青々とした稲波の向こうにチラチラと洛中が見え隠れする。

 前世では縁の薄い地であったが、今世では何だかんだと居続けた土地。その期間、僅か七年とはいえど今生においては故郷と呼んでも差し支えない場所だ。

 ……足利義輝にとっては安住の地ではなかったのだけれどね。


「“さらば洛中よ、又来るまでは”」

「大樹、呑気に今様を口遊んでなどおらず、疾く駆けられませい」

「へいへい」


 与一郎の叱咤に尻を叩かれながら鴨川へと走り出た俺は、川岸に用意された川船へと脇目も振らずにダイブする。続いて与一郎と彦右衛門が飛び込み、殿(しんがり)の主税助が乗船したら即座に出航だ。

 船旅は晴れた空ともそよぐ風とも無縁であった。代わりにあるのは、すえた臭いのするびしょ濡れの(むしろ)。そんな不潔極まりない物に包まれという。

 御免被るノーサンキューと言おうとしたが、船頭を務める十兵衛に敵から身を隠す手立ては他になしと言われれば、黙って鼻を摘むしかしょうがない。

 どのくらい呼吸困難と不快感という強敵タッグと対峙しただろうか。

 胸の鼓動はドキドキ、目先はクラクラ……いやバクバクでブラックアウト寸前だぜ、もう負けそうっていうか死にそうだ!


「淀川に出ましたので、もう大丈夫かと」


 生真面目ながら幾分硬さの取れた十兵衛の声に、俺達は莚を遠慮なく川面へと蹴飛ばした。

 ああ、空気が美味いぜブエノスアイレス!

 本日二回目の深呼吸をしながら背後を振り返れば、視界に映るは遠ざかって行く巨椋池。南東の(ほとり)にある十郎の居城はずっと奥の方だし、ここからじゃちっとも見えやしないな。


「槙島城には大和国からの後詰がございまする。ご案じ召さりまするな」

「然様然様」

「洛中は守護代殿と所司代別当殿が守りを固めておられますし」

「近江国へと向かった陽動の隊も、父と兄が上手く差配しているでしょう」

「……今心配すべきは、我が身だけか」


 スルスルと川面を滑るように進む船に身を委ねながら、俺は全てを託して後にした方へと目礼をする。また逢う日まで帰る時まで、と。



 人目を忍ぶ川下りが終了したのはそれから半刻も経たぬ頃であった。

 辿り着いたのは、出発地点と大差ない草茫々の川っ縁。違いは桟橋のあるなしである。


「お待ち申し上げておりました」


 蓑笠姿がやけに似合う源三郎が草むらから挨拶をするのを合図に、俺達は衣装に染みついた嫌な臭いを洗い流す仕草をしつつ桟橋へと足を下ろした。

 一時の勢いは衰えつつあるも、空は未だ泣き止みそうにない。

 滑る足元に留意しながらえっちらおっちらと桟橋を歩く姿など、傍目には落ち武者御一行かと勘違いされそうだぜ。髷がザンバラになっていないだけマシだけどな。

 大儀である、と言い置き首を後ろへと巡らせば、十兵衛が片膝就いて首を垂れていた。


「然れば、(それがし)は」

「確と頼むぞ」

「心得まして」


 何処へかと走り去る十兵衛を見送る間もなく、俺は与一郎達に急かされて先へと進むことに。

 流石に此処まで逃げたらもう追いかけて来ないだろうと思うのだが、用心が肝心ってことだよね。へいへい判りましたよ、急ぎますよ。

 桟橋から続く雑草が繁り捲った参道を早足で歩き、両横の山肌を覆う雑木林から伸びた太い木の根が蔓延る不揃いな段差の石段を延々と登れば、そこは目にも鮮やかな朱色で彩られた境内地。

 数百年前に創建されてより此の方、伊勢の神宮と並んでいとやんごとなき所から下々まで篤い崇敬を受けた古き神の坐す、石清水八幡宮である。

 応仁の大乱の戦火や落雷などの自然災害に見舞われ、荒廃著しいものがあったが、昨年に大掛かりな修繕を命じた結果、鳥居は真新しくなり、楼門を備えた回廊も往時の姿を取り戻していた。勿論、本殿や脇殿なども新築だ。

 鎮守府将軍源義家公の系譜に連なる武家の氏神を祀る宮としては十分であろう。

 出来れば、神仏習合の一大霊場であった二百年前の如く全ての堂宇を再建したかったのだけど、そこまでの予算捻出は無理だったから仕方なし。

 みんな貧乏が悪いんや、などと恨み節を日がな一日口走らなくても良い生活になったのは去年からで。それまでは収入を増やせど増やせど右から左に通り過ぎるのを見送るばかりの毎日であった。

 貧しさと世間に負けるのは簡単だったが、負け即惨死の運命を受け入れるのは御免被るので抗い続けた結果、漸く一息つけた……ってのになぁ。これで必死のパッチで蓄えた大半がパーになってしまったぜ、全く世知辛ぇ。

 まぁその為に貯めたのだから文句を言うのもアレだけどね。


 それは兎も角、凡そ四半刻程過ぎた頃。

 俺は漸くにして取り敢えず安全地帯だと思われる場所、境内の端っこにある若宮社に逃げ込めたのだったよ、ああ、やれやれ、草臥れた。

 井戸水で汗と汚れを洗い流してさっぱりし、用意されていた衣冠束帯に着替えてから、板敷きの床に設えられた二条台にどっかと腰を下ろす。

 脇息に頬杖ついて外を見遣れば、雨脚に勢いはなくボチボチ止みそうな気配。

 視線を上げれば天は未だ黒雲に厚く閉ざされているが……まさか先行き真っ暗って暗示じゃないよね?

 先ずは御一服を、と与一郎が素早く茶を立ててくれた。礼儀作法を丸っと省略して温めの薄茶を一息で飲み干す。

 やはり緊張しているのだな。茶を飲んだ途端、喉が渇いていたことに気づく始末なのだから。

 おかわりを半分ほど飲んだところで、誰が茶道具一式を揃えてくれていたのだろうと考え、宮司が気を利かせてくれたのだろうと思い至る。そして確認事項があったことに気がつく。


「源三郎よ、宮司や雑色共は如何致しておる?」

「早々に退散願うておりまする。とうに山を下り、麓の村落におられるかと」


 俺とは異なり、蓑傘を脱いだ以外は桟橋で出迎えた時と同じ格好の源三郎が、神妙な面持ちで即答した。

 流石はエリート集団、政所に属する奉行衆の一員であることよ。若手なれど如才なくて助かるぜ。

大儀であった、と源三郎を賞してから薄茶の残りを喉へと流し込んだその時。

 全ての濁音を一斉に打ち鳴らしたような爆音が境内に轟き、若宮社をも揺るがした。


「……彦右衛門」

「御意にて」


 俺が吹き浴びせた薄茶で濡れた顔面を手拭で拭きつつ飛び出して行く彦右衛門。あっという間に小さくなるその後ろ姿へ重ねるように、誰かが深く溜息をついた。


 彦右衛門が汗塗れで戻って来たのは、俺が三杯目の薄茶を無事に飲み干した直後のこと。苦り切った表情で立つ彦右衛門の足元で、三人の男が平伏していた。

 ひとりは何事も卒なくこなす筈の男、十兵衛。後の二人は、着古した墨染め衣姿が似合い過ぎる少年と真っ黒に日焼けした中年予備軍である。

 思春期には不似合いな青筋をこめかみに浮かべた与四郎が身を乗り出すのを制し、“何をした”と静かに問いかければ、消え入りそうな声で“申し訳ござりませぬ”と地面に額を擦りつける十兵衛。

 更に問いかけると中年予備軍までもが懸命に腰を屈めて、お詫び申し上げまする、と言いやがる。


「十兵衛、又三郎、謝罪は良い」

「然ればで、ござる……」

「実は……」


 直属部隊である鉄砲組の組頭を任せている十兵衛と又三郎が交互に訥々と説明するにつれ、与一郎の青筋が太くなるのが視界の端に見えた。主税助と源三郎が呆れたように口を大きくするのも。

 説明を要約すれば、ひとりの阿呆が“合図は大きい方が宜しかろう”と言い出し、止める間もなく鉄砲十挺分の火薬を近場に転がっていた梵鐘に放り込み、点火したのだそうな。

 俺は鉄砲組に対し一挺につき最低三発分は常備せよと命じている。

 それが十挺分、つまり計三十発分の火薬を一気に点火したと、ふむ、そういうことだな?


「三人とも、面を上げよ」


 十兵衛と又三郎が恐る恐る顔を上げたのに対し、小汚い格好の少年ひとりだけがドヤ顔をしていやがった。


「テメェ、善住坊ッ!! 誰が敵にまで聞こえるような合図をしろと言った!!」


 咄嗟に与一郎から奪い取った茶杓を投げつければ、見事にドヤ顔のど真ん中にジャストミート。だがそんなことで気分が晴れる筈もなく、どちらかといえば焦燥感が高まっただけだ。

 あーあ、此処なら絶対にバレない安全地帯だと思ったのだけどなぁ。


「者共、応戦の備えをせよ!」


 “畏まりまして!”と口々に叫びつつ与一郎達は一斉に行動を開始した。流石は荒事が日常茶飯事の時代に生きる者達である。何とも頼もしいよなぁ、全くさ。

 鼻血を吹いて倒れている約一名は除いてだけどな!



 どうか杞憂でありますようにと八幡大菩薩に祈り、序でに此処と縁の深い六代義教にも手を合わせている内に日が暮れる。

 雨も止んだ夜半になり、洛外周辺で欺瞞と攪乱工作に従事させていた別動隊二十名が合流してくれた。彼らの無事は喜べど、頼みの綱の太さがが六ミリから二十六ミリになっただけか。断崖絶壁にぶら下がっている気分としては、何ともビミョー。

 秘密作戦に固執し過ぎたのかも?

 隠密行動なのだから仕方ないけど、もう少し要員を増やすべきであったか……ってのは後の祭りだろう。後悔先に立たず、って真理だねぇ。

 少数精鋭、と言えば聞こえは良いが、寡兵であるのが突き付けられた現実だもの。

 但し安心材料がないではない。

 別動隊の全員がスナイパー訓練を実修させた者ばかりだからだ。しかも、此処には事前に鉄砲と玉薬をわんさか運び入れてある。

 不安一杯だが不安しかないよりはマシだよね。五十歩百歩でも差は二倍。単位をメートルに変えれば、競技は別種目になるのだもの。

 などと少し現実逃避をしていたら、別動隊指揮官の源助に“洛中まで聞こえましたぞ”と皮肉抜きの注意をされてしまう。

 相済まぬ、と反省を促す為に庭木に縛り付けた善住坊を見ながら謝罪すれば、源助は即座に全てを悟った表情をしてくれた。

 もしも作戦が失敗したら戦犯第一位はお前だぞ、善住坊の阿呆め。史実通りに鋸引きの刑に処してやろうか?

 そして栄えある戦犯第二位は、そんな阿呆に大事の一端を任せた俺だろうな。判決は多分、良くても悪くても死刑を猶予された終身刑であるに違いない。

 言い換えれば、利用価値がある間は生かしておいてやる、って但し書きのついた楽しくもない生き地獄生活だぜ、オーマイガー。

 デッド・オア・アライブと指名手配書に書かれていないだけマシかも、と慰めにならぬ慰めの言葉を胸に、今夜はつくねんと眠れぬ夜を過ごすとしよう。

 ああホント、世知辛ぇったらありゃしねぇ!



「大樹、起きて下され!」


 うるせぇなぁ!

 いきなり耳元で怒鳴られた俺は、そう言い返そうとしたが直ぐに声が出せずエヘンエヘンと咳払い。理由は不明だが、まるで口を開けて転寝した時みたいに喉の奥がヒリヒリしやがる。

 一体全体何事かと、涎が渇いた後みたいにカピカピする口元を拭いながら、やけに重たい瞼をこじ開ければ、与一郎が眉間の皺を深くして見下ろしていた。

 ほほぅ、主君を見下ろすとはいい度胸だな。それじゃあ今度は俺のターンだ、反撃させてもらうぜ、覚悟しやがれ!


「お早うございます」


 どうだ参ったか、俺様の必殺技の<平身低頭>。仰ぎ見ねばならぬ相手に頭を深々と下げられたら、それ以上は怒れねぇだろう、だから赦してください御免なさい。

 すると与一郎の奴は、溜息をつくと同時に鼻で笑うというスペシャルコンボを繰り出しやがった。ほほぅ、中々やるな。ならば最終奥義を惜しみなく披露してやろうじゃないか。

 喰らえ、<スルー>!!


「それで、如何した?」

「物見の知らせによれば、宇治の方より三階松の旗印が近づいているとのこと。数は凡そ一千」

「三階松……また香西与四郎めか?」

「然様にて」

「……どうやら八幡大菩薩様に余の祈りは届かなんだようだな」

寝穢(いぎたな)い大の字姿では、八幡大菩薩様とて祈りをお聞き届け下さる筈がございますまい」

「ちっ、<スルー>をスルーするとは……」

「何か申されましたか?」

「いや、別に。……それで、対岸に三階菱の旗印は?」

「未だ報せがございませぬ」

「……是非もなし、か」

「吉報もございまする。未明に、河内国より五十ばかりなれど援軍が着到致しました」

「河内国とな……久太郎か!?」

然ん候(さんそうろう)。霹靂の如き大音に変事出来(しゅったい)と、佐大夫らの勢を伴い大慌てで駆けつけたとの由にて」

「善住坊の失態も吉兆であったか」

「……かもしれませぬ」

「ならば逃げずに戦うとするか……彦右衛門はおるか!」

「は!」

「そなたに軍配を任す。山城守より学びし軍略にて見事防ぎ止めてみせよ」

「心得まして!」

「与一郎」

「はい!」

「彦右衛門の手助けをせよ。座学では学びきれぬものが会得出来るであろうからな」

「有難き幸せにて!」



 戦いの火蓋が文字通りに切られたのは、燦燦と太陽光が容赦なく降り注ぐ昼前のことであった。

 先手必勝とばかりに佐大夫率いる鉄砲隊が敵の出鼻を挫く。大軍を擁するものの後手となった香西与四郎の軍勢は、数多の鉛玉に撃ち竦められ無暗に突出するのを控え出す。

 そうなれば八幡宮の山の上と裾野で睨み合いだ。

 向こうは怖気づくまでには至らないものの蛮勇は犬死であると気づき、俺の方とて十分の一以下の兵数だから積極的な攻撃など出来やしない。睨み合いは当然といえば当然の帰結なり。

 何よりも玉薬が無尽蔵にある訳でもない。

 勝敗が決するまで節約を考えねばならぬ此方としては、戦法の変更も已む無しだ。変更とは面制圧を諦めて、点を選んで集中砲火を浴びせかける。標的を雑兵から物頭へ。狙いはズバリ、敵の指揮系統の寸断だ。

 命令されねば進退すら決められぬのが雑兵の雑兵たる所以だったりする。それを指図して動かす物頭は常に前線近くの馬上にあった。

 つまり、熟練の鉄砲上手からすれば実に撃ち易い的でしかない。所謂、七面鳥撃ちの始まり始まり。

 睨み合いがスタートしたのも、汚名返上に逸る善住坊が敵の物頭を四人ばかりあの世へと送り込んだからだったりする。

 致命的なエラー直後に起死回生の満塁弾をかっ飛ばすようなキャラだから、憎めないのだよな善住坊ってさ。

 それからの一刻は、時折起こる喚声に対し猛烈な銃撃で返答するの繰り返しであった。

 もしも敵に竹束を楯にするって智恵でもあれば、戦の推移は違っていたかもしれないけどね。この辺りは材料に事欠かない程に、竹林が其処彼処にあるのだもの。数百年も経てばエジソン氏が大喜びするくらいに。

 俺達にアドバンテージがあるとしたら、鉄砲が世に普及する前の火力黎明期に生きているってことだろうな。今が十六世紀中葉で助かったぜ。

 だが、洛中の大寺と異なり土塀も堀も巡らせていない場所だ、って残念なお知らせもある。数に任せて攻められたらアドバンテージなど即座に消し飛んでしまうだろう。

 石清水の戦い、と後年の史書に記されるに違いないこの合戦。

 勝敗の分かれ目は、どちらの援軍が先に到着するかだな。

 まぁどっちみち、戦いの全てを彦右衛門達に委ねているのだ。俺がしなければならぬのは、本陣となった若宮社の中でどっしりと腰を据えることだけ。

 傍にいるのがお調子者の主税助と文系男子の源三郎の二人だけってのが、何とも心細いのだけどねぇ?



 戦況に変化し出したのは昼と夕方の間頃のこと。

 銃声が再び盛んとなり、昼前よりも近くで聞こえるようになって来た。別に不審なことじゃない。やはり手勢が少な過ぎたかと納得していたら、与一郎が社殿内へと駆け込んで来る。


「敵に援軍。旗印を見るに高畠甚九郎殿が手勢かと」

「然様か……して、彦右衛門は如何申しておった?」

「猶予は一刻もなし、と」

「なれば手仕舞いの合図に太鼓を打つ故、味方全員を本殿に集めよと伝えよ」

「然様申し伝えまする!」


 与一郎の颯爽とした若武者姿を見送った俺は、悄然として俯いている主税助と源三郎を顧みる。


「諦めるには時期尚早ではあるが、用意だけはしておかぬとな。神楽殿の大太鼓を運び出しておけ」

「「御意にて……」」


 よっこらしょと腰を上げた俺は、首を振りつつ若宮社を後にする。

 精一杯搔き集めた意地で背筋だけはドッシリとさせたものの、歩調にまでは気が廻らずトボトボとなるのが何ともはや。

 ああ勝ちたかったな、チキショーめが。



 半刻後。時は来たれり、か。

 散発的に放たれる銃声に混じり、敵勢のものと思われる喚声が微かに聞こえて来やがったぜ。

 そろそろかと思い、俺は主税助と源三郎の二人に大きく頷いてみせる。

 大太鼓を挟んで向かい合う二人が(ばち)を握り締めた両手を大きく振り上げた、当にその瞬間。

 法螺貝の音が聞こえた。

 咄嗟に待てと叫び、神経を集中させて耳を澄ませば、確かに聞こえるカントリーロードじゃなくて法螺貝の音。それも一つや二つではない。楽隊並みの演奏ではなかろうか?


「対岸に三階菱の旗印が多数! 続々と川を渡っておりまする!!」


 飛ぶように息せき切って本殿前へとやって来た与一郎が膝を就けば、周囲から歓声がドッと上がる。

 “お味方の大勝利!!”と叫んでいるのは十兵衛か、それとも久太郎だろうか。“者共、撃って撃って撃ち捲れ!!”と声を張り上げているのは彦右衛門だな。四方から呼応する声も多く、威勢も良いのが嬉しい限りだ。

 撥を放り出して抱き合う主税助と源三郎を横目に、俺は膝を就いたままの与一郎を見下ろす。


「良き学びの場であったか?」

「千早城の如き戦は……図上だけで十分にて」


 漸く笑顔を見せた与一郎に、俺も笑顔で頷き返す。だよな、こんなの二度と御免被るぜ。



 それから瞬く間に五日が過ぎた。

 身嗜みを整え、新たに用意された新調の装束に身を包んだ俺が評定の間に入室すると、与一郎を筆頭とする近しき者達が上座にて肩を並べている。一斉に頭を下げる中には此処、槙島城の城主である十郎の顔もあった。

 佐大夫ら銭で雇いし別動隊の姿が見えないのが少し寂しいけれど、彼らは洛中までの道筋の警備に大和国からの将兵達と共同で当たっているとのこと。きっと立場が立場だから遠慮したのだろうな。

 代わりに下座の中央で、ひとりの男が恭しく頭を下げていた。

 彼の背後で平伏する十数名は、彼の主だった家臣達である。

 ピンと張り詰めた空気に呑まれぬよう虚勢を張りつつ、居並ぶ者達に面を上げるように言えば下座の男は凛々しく微笑んだ。


「大樹におかれましては、御機嫌麗しゅう」

「確かに、機嫌はすこぶる良いな」

「それは重畳に存じまする」

「其の方も江口の合戦にて宿願を果たせた由、誠に慶賀。余も嬉しく思う」


 俺の言葉に、男の目が丸く見開かれた。


「さて筑前守よ……先に余が問いかけた答えは如何相成った?」


 ニコリともせずに口を閉じれば、下座の相手もまた緊張した面持ちで口を真一文字に引き結ぶ。緊張しているのは俺や筑前守のみならず左右の者達もだ。

 与一郎の眉間には例によって皺が深く刻まれ、いつもは陽気な主税助や彦右衛門ですら口元が強張っていやがる。

 まあ、当然だよな。

 この筑前守は俺達が束になっても勝てっこない、畿内最強の武装集団の総帥なのだから。発するオーラは、言わば百獣の王の風格ってヤツだ。

 それに引き換えこの俺は、どれだけ頑張っても所詮は張子の虎。

 筑前守と相対する俺の姿を第三者的に評すれば、“蟷螂の斧を以て隆車の隧を禦がんと欲す”って感じかな?

 だけど、ね。

 俺が振り翳しているのは、そんじょそこらの斧じゃねぇぞ。

 泉の女神がプレゼントしてくれたような、ピッカピカの純金製だ。

 刻まれた銘は、室町幕府第十三代目征夷大将軍。

 戦乱の世で鍛えられし業物と比べれば切れ味は随分と鈍らでも、価値だけならば天下一品だぜ。どうだ、恐れ入ったか、恐れ入ろ!


「日ノ本全ての武家の棟梁として、三好の惣領に改めて尋ねる」


 全員が座したままの室内においてたった独り仁王立ちした俺は、大上段からズバッと切り込んでやった。

 さぁさぁ見事受けてみやがれ、筑前守よ。


「其の方の思い描く“あるべき天下”とは、如何なるものや?」

 これからも順次改訂させて戴きます(平身低頭)。

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[気になる点] 誤字羅「ぎゃおーす!」 >みんな貧乏が悪いんや、などと恨みを節を日がな一日口走らなくても良い生活になったのは去年からで。 恨み""節を [一言] 改稿乙です。 また随分と様変わりされ…
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