おしかけスレイブ
◆亡国の王子、奴隷闘士になること
幼い目にも崩壊はすでに見えていた。
とはいえ、戦わなければ生き残る道もなく、物心ついた頃から戦いの毎日だった。負け戦が続くと王宮からも人が逃げ出し、がらんとした部屋で母はいつも泣いていた。泣くことしかできない弱い人だった。けれど、家族を捨てて逃げたりしない強い人だった。要であった父が亡くなると統率はあっという間に崩れ、裏切り者が一握りの金で俺たちの情報を売ってしまった。
俺は拘束されたが殺されることはなく、なぜか闘奴として今も生きている。
亡き祖国ウァラキアでも十一の年から戦三昧、場所がビトラルークに変わっただけで闘いに明け暮れる日々は以前と変わらない。
そう、気に食わない主人とやらができた以外は。
「ほら! 跪けと言っているのが聞こえないのか?!」
首に付けられた鉄輪から伸びた鎖を強く引かれ、さらに後ろから膝を蹴られて、俺は床に膝をついた。
目の前の椅子には、恰幅のよい中年男がふんぞり返って座っている。
「お前は容姿もいいし、血統だって申し分ない。ビトラルーク広しといえど、お前のような奴隷を持っているのは私だけだ。だからこそ大切に扱ってきたつもりだ」
猿轡を噛まされていなければ、その顔に向かって唾を吐いただろう。
俺の主人だという男は、奴隷商人の息子だった。彼の父親は戦時に奴隷売買で儲けた金を使って爵位を買い、その身分と事業を一人息子に継がせた。”ご主人様”にはなんの功績もないが、敗戦国出身の元王族で、自分よりも強い俺を跪かせることに少なからぬ快感を覚えているのだろう。その証拠に、俺の首には奴隷の証である首輪と、ウァラキア王位継承者の証である赤い宝石がつけられていた。“ご主人様”が『ウァラキアの王を従えている』のだという優越感に浸るためだけに、この宝石を俺の手元に残したからだ。
治めるべき国を失った俺はただの奴隷で、これだってもはや意味をもたないただの石でしかないのに。笑える話だ。
「だが、お前は弱すぎる」
俺が心中で嘲っていることも知らず、“ご主人様”は続ける。
「次の御前試合に出すことにした」
試合とはいえ本物の武器を使って行われるため命懸けであることは間違いないが、首都で行われるものはスポーツ性が強く、奴隷の持ち主からの申し出があれば途中で棄権することも許されている。もちろん金はかかるが、それ以上に闘奴は高価なので簡単に失わないための防御策なのだろう。
俺が今まで参加してきた試合もそうだった。セッコ――”ご主人様”は、俺とこの赤い宝石を買い取るために大金を払ったはずだ。だから、戦績が五分であろうと俺は今も生きている。
だが、首都で行われる試合でも御前試合だけは違う。王の前でリタイアは許されず、敗者には必ず死が与えられるのだ。
「怖いか?」
にやにやと嫌らしい笑みを浮かべながら、奴は言った。
「命乞いをするなら聞いてやってもいいぞ」
俺は何の反応も返さなかった。
実際に興味もなかった。ただ、息をして、飯を食って、それが生きているというのなら、俺は生きているのだろう。
だが、自由も失って、守るべき家族もいない俺には、生きる意味を見いだせない。たとえ明日死んだとしても、なんとも思わないだろう。この世に執着するものが何もないのだから。
「……ふん、強情な。まあいい。お前などもうお払い箱だ。最後にせいぜい楽しませてくれよ」
そう言い捨てて、忌々しい男は出て行った。
俺もようやく拘束を解かれて、自分に宛がわれた檻に戻ったのだった。
◆王が奴隷闘士と約束すること
御前試合の行われる日、空は快晴だった。
俺はいつものように何の感慨もなく、試合前に入れられる顔見せの檻の中にいた。
試合を見に来た観客達は、その中で勝つと思う闘士を選び、金を賭けるのだ。
一般市民の前にまず貴族たちが見に来るのだが、その日は貴族の前に、大勢の近衛を引き連れたビトラルークの現王がやってきた。
現王の名は確かイシュアだったと思う。犯罪さえ犯したことがなければ、奴隷でも市民になれる道を与えた賢王だと聞いている。
そうして檻の前に立ったのは、王と言うよりも吟遊詩人と言った方が近いような線の細い若い男だった。
「ウァラキアの王子だな」
静かな声でイシュア王は言った。
「私は戦争中、ウァラキア王に二度捕まり、二度とも見逃がしてもらった。彼は、当時まだ子供だった私がそなたと重なるのだと言っていた。三度めがあれば殺すと言われたが、幸いにして三度めはなかった」
イシュア王がなぜ突然そんな話をするのかが分からず、俺は訝しんで彼を見遣った。
「お前の父親に受けた恩を返したい。一度目はお前の命を助けた。私の力が及ばず、完全に自由にはできなかったが……。今回も命ばかりは助けよう」
「ビトラルークの王よ。俺は命など惜しくない」
「では何が欲しいのだ?」
「自由をくれ」
「それはできない。ウァラキアの王位継承者を完全に自由にする力は私にはない。議会が黙っていないだろう」
絶対君主制だったウァラキアとは違って、ビトラルークは議会がある。国の存亡に関わるような重要な案件は議会の承認が必要なのだ。
その仕組みも、賢王と名高い目の前の男、このイシュア王が定めたと聞いている。
「奴隷としてビトラルーク市民の管理下に置くという条件がなければ、私はそなたの命を助けることができぬのだ」
「……檻に閉じ込められて、ただ生きながらえる事を俺が望んでいると思うのか? そうだとしても、せめて主人は選ばせて欲しかったね」
「……わかった。では、今日の試合で生き延びたら、そなたの気に入った主の下へ行けるように取りはからおう」
それで話は終わった。
王が立ち去ると貴族が、貴族が立ち去ると大商人など有力者たちが、それが通り過ぎると一般市民がやってきた。
ウァラキア出身の闘奴は珍しいらしく、俺の檻の前はいつもすごい人だかりで、押し合いへし合いしているのを見ていると、中にいる方が快適なんじゃないかとすら思えてくる。
「銀髪なんて、この辺じゃ珍しいわね」
「へぇ~、ウァラキアの王様だったんだって」
「戦績はぱっとしないねぇ」
「大穴狙って一口買ってみるかな」
好き勝手なことを言いながら、観客達はチケットを買い、闘技場に入っていく。
俺はというと、これからのことを考えていた。
ずっと檻に入れられていたから、市民権を持った知り合いなどいない。かといって、今の主人が紹介してくれるはずもないだろうし、胸くそ悪い主人の知り合いはやっぱり胸くそ悪い人間に違いない。
そこまで考えて、俺ははっと気が付いた。
今の顔見せの間に、新しい主人を物色すればいいということに。
慌てて身を起こし、格子に近寄る。
しかし試合開始の時刻が近付いているからか、檻の前にはあまり人はいなかった。
見えるのは飴屋の冴えない男とそれに群がる子供達だけだ。
◆王の証と引き替えに主人を雇うこと
「おい! 飴屋!」
大声で呼ぶと、飴屋は肩に担ぐタイプの屋台を持ち上げ、素直に檻の近くまでやってきた。
「なんでしょう? 闘士さんも飴、食べますか?」
奴隷に呼びつけられたにも関わらずニコニコとしていて、地味ではあるが人の良さそうな顔立ちである。
「お前、市民権はあるのか?」
「え? ええ、市民権を持ってなかったらこんなに条件の良い場所で商売できませんよ」
「そうか。飴をくれ」
「はい、喜んで! どの形にしましょう?」
男は少し脇に寄り、屋台の方を手で示した。
屋台の前面には色々な動物が描かれている。子供向けなのか、どれも俺が選ぶにはかわいすぎるものばかりだ。
「なんでもいい」
「じゃあ、勇猛な狼にしましょう。闘士さんが今日の試合に勝てますように」
そう言って男は、湯煎して柔らかい状態の飴を器用に棒に盛りつけた。手で大体の形を作ったら、鋏でぱちんぱちんと手足や耳、毛並みを切り出していく。
まるで魔法のようで、いつしか俺は器用に動く指先に見惚れていた。
最後に筆で色を乗せ、はい、どうぞ、と差し出された飴を受け取る。
くるりと回してひとしきり精巧な飴細工を堪能すると、俺は味を確かめようと口を開いた。
「あ、違います。違います」
ところが、男はそれを制止する。
「この持ち手のところがストローのように空洞になってまして、ここから息を吹き込んで膨らませて食べるんです」
そんな飴の食べ方は初めて聞いたが、売り主が言うからにはそうなんだろう。棒の飴の付いていない方から息を吹き込んだ。
すると、飴で拵えた美しい狼は腹からぷくーっと膨れ、見るも無惨な形になってしまった。
「……」
無言のまま、飴屋を見る。
「何か?」
飴屋は悪気などまったくなさそうな顔でニコニコとしている。
「……これを膨らませることに意味はあるのか?」
「え? ……いえ、ないですけど。こういうものなんです」
困ったように男は言った。
「せっかくの狼を……意味もなくよく分からない物体にして食うのか」
数回瞬きした後、飴屋は吹き出した。
「言われてみればそうですね! 子供の頃からそうだったから何も思わなかったけど、改めて言われるとおかしいかも!」
地味な男は笑ってもやっぱり地味だった。
だが。
「面白い男だ。さあ、受け取ってくれ、飴の代金だ」
俺は飴の代償にと、首に提げた赤い宝石を渡した。
「こ、こんな! お釣りの持ち合わせがありません!」
受け取れないと馬鹿正直に押し返してくる男に好感が沸く。
「それなら俺の頼みを聞いてくれるか? 俺はアザンという。お前の名前は?」
「ジルです」
「そうか。早速だが、ジル、俺の主人になってくれ」
ジルは口をぽかんと開き、たっぷり三十秒は硬直し、ようやく口を開いて言った。
「はぁ?」
◆外道の主人の新しい闘士と戦うこと
始まりの合図に、銅鑼が打ち鳴らされた。
出場者は全部で十六人。トーナメント制で、準決勝までは闘技場を二つに仕切って、それぞれ試合をする。
その前に王の激励があり、王子が生まれたことを祝して、今後は御前試合であっても試合放棄を認めると演説した。
「運がよかったと思っているだろう?」
出番を待っていると“ご主人様”がやってきて、そう声を掛けてきた。御前試合が終わるまではまだこの奴隷商人が主人だ。
「よくよく考えろ。棄権は所有者が申請するのだ。言っていることがわかるか? 私が申請しなければ試合は続行されるんだ」
勝ち誇った顔で彼は言った。
「跪いて許しを請うてみるか?」
だが、俺は鼻で笑って相手にしなかった。
自分のためならば本気を出して戦うこともやぶさかではない。俺には勝ち上がる自信があった。
俺に縋るつもりがないと知ると、“ご主人様”は眦をつり上げて足音も荒く出て行った。
一回戦め二回戦めと、俺は苦もなく勝ち上がった。
地に罠もなく、一対一ならばそう難しいことではない。実戦ではもっと悪い条件で戦ったこともある。
三人目の闘士を打ち倒して見上げると、歯がみする男の姿が見えた。
俺が今までの試合では手を抜いて適当にやってきたと、今初めて知ったのだろう。今まで払ってきた棄権のための金が、まったく必要のないものだったと気づいて、俺を射殺さんばかりの目をしていていた。敗戦国の王子だと馬鹿にしていたからいい気味だ。
しかし、俺と目が合ったことに気付くと“ご主人様”はにやりと笑った。俺がここまで勝ち進んだのは予想外だったが、切り札でも持っているのだろう。
その時、再び銅鑼が大きく打ち鳴らされた。
「さて最後の試合は、本日一番人気の狂戦士ハイイロと、誰もが予想していなかった大穴、銀髪のアザンとの戦いです。ハイイロは北方はエントの森に住む戦闘民族オルク族出身、巨体に見合った金棒で、文字通り敵を叩き潰します! 一方のアザンはウァラキアの元王子、捕虜となって現在は奴隷の身分ですが、戦中はビトラルークの将軍たちとも互角に渡り合った強者! そしてなんと、この決勝にまで勝ち残った誇らしき闘奴二人の持ち主はセッコ! さすがビトラルーク一の大商人と言わざるを得ません!」
オルク族は厳しい山岳地帯に住み、交易に使える農産物や特産物がないため、昔から傭兵で身を立てている民族だ。戦闘に特化していると言っていい。
俺は気を引き締めて片手剣を持ち直した。
試合開始の銅鑼が鳴らされると同時に、ハイイロは踏み込んできた。
俺よりも頭一つ分は高く、全体的に重そうな筋肉に覆われているが、動きは俊敏だ。その勢いで振り下ろされた金棒を危なげなく避けたものの、地面をへこますほどの威力に、小石が跳ね返り頬に傷を作った。
冷や汗がたらりと背を伝う。
高慢ちきな”ご主人様”のプライドを完膚なきまでに叩き潰すため、ちょっとからかって遊んでやろうかと思っていたが、体力のあるうちに全力でいかないとこれは俺もやばい。
そう判断して片手剣を振るうが、固い。
相手が素早く、また、筋肉が厚いため、致命傷になるような傷を作れず、ただ表面を撫でるだけになってしまうのだ。ハイイロはそんな俺の攻撃を意にも介さず、次々と金棒を繰り出してくる。あれが一度でも当たれば、俺には致命傷だろう。
相手の金棒を奪うか?
いや、金棒は布で手に縛り付けられていた。オルク族は死ぬまで戦い、死んでも武器を手放さないのが誇りだという。そのために、闘う前に腕にきつく縛り付けるのだ。
目の前を使い込まれた金棒が通り過ぎる。風圧で髪が舞い上がり、垂れてきた液体が目に入った。汗かと思ったが、視界が赤く染まり、血だとわかる。紙一重で避けたつもりが、避け切れていなかったらしい。思っていたよりもスピードのある攻めに、早くも疲れが足にきたようだ。
これはもう仕方がないな。
正攻法では勝てそうもない。俺は奥の手を使うことにした。
父から受け継いだ力、ウァラキアの王族だけが使える異能だ。代を重ねるごとに弱まってはいるが、一対一ならば十分に役に立つ。
目に力を入れて睨みつけると、ハイイロの動きが徐々に鈍くなる。いや、俺が加速しているのだ。
高く持ち上がった金棒が振り下ろされる前に懐に飛び込み、顎へ向けて剣の柄をたたき込む。揺れた脳にぐらついた足を払い地面に転がすと、マウントを取り、喉に剣を突きつけた。
観客には何が起きたかわからなかっただろう。戦っていたハイイロにも。おそらく。
一瞬の静寂ののち歓声が沸き上がり、見上げた視界の端でセッコが慌てて試合放棄のためだろう、駆け出すのが見えた。
◆王の証が賭けに用いられること
「見事な戦いであった」
王族の座る席からこちらを見下ろすイシュア王が賛辞を述べる。
「約束通り仕える主を選ばせてやろう。ビトラルークの市民権を持つものなら誰でも好きに選ぶといい。もちろん王族でもいいぞ。誰がいい?」
周囲がにわかに色めき立ち、名のある貴族や騎士たちは居住まいを正し、貴族の娘たちが顔を見合わせてくすくすと笑った。
自分が選ばれることを期待しているのだろう。
「では、ジルを俺の主に」
「……ジル? とは誰だ?」
イシュア王が側近に振り返り、側近は首を振って応えた。
「思い当たりません」
「いや、待て。確か北門を守っている兵士の名前がそんな名前ではなかったか? ほら、青い目の」
「彼はジラッドです」
「そうか。……宰相の妹の娘は?」
「……確か、シーラだったかと」
「イスエリ家の隠居は」
「エルモンドです」
「……どんどん離れていくな。アザン、ジルとは一体誰なのだ?」
「さあ、俺もよく知らない。顔見せの檻の前で飴を売っていた」
肩を竦めてみせると、それまで俺たちのやりとりを大人しく見ていた大臣の一人が立ち上がった。
「冗談ではありませんぞ、王よ! 飴屋になど、この危険な男を御せるはずもない! すぐ逃がしてしまうに決まっています!」
「しかしなぁ、好きに選ばせてやると約束してしまったからなぁ。ひとまず、ジルとやらを連れてきなさい」
王の命令にすぐに近衛の一人が踵を鳴らし、出て行った。
しばらく待つと、確かに先ほど出会ったばかりの飴屋のジルともう一人、小太りの男――セッコ――を伴って、近衛は戻ってきた。
ジルは俺が渡した赤い石を手にかわいそうなほど縮こまって震えている。
「そなたがジルか?」
王の問いかけに怯えて力が抜けたかのように、ジルがへたりと地面に膝をついた。
「はい、私です」
「おそれることはない、ジル。そなたはビトラルークの市民であるな?」
「はい」
「私に忠誠を誓うか」
「もちろんでございます。王様」
「そこにいるアザンの主になるか」
「はい、すべて王様の仰せの通りに。……えっ?」
「よかったな、アザン。それでは、アザンの新しい主はこのジルとする」
ジルはまだ何が起きているのかまだよくわかっておらず、かといって、まわりは位の高い貴族や騎士ばかりなので自分からは口がきけないのだろう。おたおたしているばかりだ。
だが、もう一人はそうではなかったようだ。
「困ります、王よ! アザンには莫大な金がかかっているのです!」
「セッコ、もちろんそなたにはアザンの身代を支払おうではないか」
「それは不要かと存じます。王よ。アザンの新しい主は、セッコから大金を受け取るでしょうから。それでアザンの身代を賄えます」
「どういうことだ?」
口を挟んだ近衛に、王の前であるにも関わらずセッコが舌打ちをした。
「あの若者は赤い宝石をアザンに賭けていました」
「ああ……あのウァラキア王家の正当なる継承者の証、代々受け継がれてきた『竜の眼』をか」
「はい。しかも第一試合から決勝戦まで大穴のアザン一点買いでしたので倍率は二十倍になります」
「ほう、それは豪気な。この大会のとりまとめはセッコ、そなただったと思うが、払えるのか?」
「そ、それは、王よ。ウァラキアはすでに亡国となり、あの石には意味はありません。ただの石に過ぎませんから」
「ただの石といっても、宝石としての価値はあろう。カルク、そうだな?」
「おっしゃるとおりです。色も濃く、混じりけもなく、あの大きさです。軍馬十頭は買えるでしょう」
セッコが顔を青くした。
オッズは二十倍だから軍馬二百頭分となる。宝石は飴屋の男に返しているので宝石の代金を引いたとしても、残り百八十頭分を支払わなくてはならない。すべてを失うほどではないだろうが、財産のすべてを金貨で持っているわけではないから、調整に奔走することになるだろう。
かなりの嫌がらせができたようだ。にやにやが抑えられなくなる。
そんな俺を睨みつけながら、セッコは悔しそうに言った。
「わかりました。では、支払いの代わりにアザンをお譲りします」
「カルク、アザンにはどれほどの価値はあるだろうか?」
「……この度の優勝を加味いたしましても、これまでの戦績から考えますとせいぜい軍馬五頭が妥当でしょうか。なにしろウァラキアはすでに亡く、アザンはいまやただの人ですから、その分の価値しかございません」
「……では、ハイイロも。カルク様、オルク族の価値はご存じでしょう」
「ああ、一騎当千のオルク族か……とはいえ、今回の負けを加味すると軍馬十頭が妥当なところか? では残り軍馬百六十五頭分を金貨で支払うということでよいな」
セッコが地団駄を踏んで怒り出さないのが不思議なくらいだった。
顔を真っ赤にしながらも、なんとか頭を下げ退出していった。
「さて、ジル。カルクについて行って、書類にいくつかサインをしなさい。それでそなたはこのすばらしい奴隷を二人も手に入れられる」
おそらく、ジルはいらないと断りたかったのだと思う。
口を何度か開けたり閉めたりしていたが、言葉が見つからなかったのだろう。カルクに手招かれると、王に頭を下げて出て行った。
それを微笑ましいものを見る目で見送ると、王は俺に向き直って顔を引き締めた。
「アザン。これで私の借りはすべて返した。私の助けはこれで最後だ。新しい主を大切にしなさい。そなたの不始末はすべて主人の責任になることを忘れずに。そなたが何かしたときには、主人がその代価を支払うことになるだろう」
それは明確な脅しだったが、俺は黙って頭を下げた。
さっき会ったばかりの男など何の価値もないと思えば、俺を縛るものなどないに等しい。俺は自由を手に入れたも同然なのだから。
◆奴隷闘士の戴冠のこと
ジルは今まで真面目に堅実に生きていた。
幼い頃こそ世界を股に掛ける大冒険を夢見たものだが、今ではそれが吟遊詩人の作った物語で、自分とは全く関係のない世界の話だと知っている。
冒険者になりたくても剣を習うお金もコネもなかったし、家を飛び出してごろつきの仲間になるほどぐれてもいなかった。ジルは年頃になると飴細工を習い、父について行商するようになり、やがて独り立ちした。いつもは街の中を歩き回っているが、大きな催しがあるときは一つ所に陣取って商売をする。飴は単価が安くて儲けも少ないが、屋台の持ち運びができる分融通が利いて、日々の暮らしに困ることはなかった。
ジルはその日、朝から王の御前試合に屋台を出していた。
すると、めったにないことだが、檻の中にいる闘士から飴を求められた。代金にともらった宝石はずっしりと重い。が、ジルにはその価値は分からない。闘士とはいえ奴隷が持っているものなのだからそれほど高価なものではないのだろうか。お釣りを返す代わりに主人になってくれと頼まれたが、そんな話は聞いたことがない。ただの冗談なのだろうとジルは思った。
とはいえ、どう見ても受け取りすぎだと思った。飴の代金以上のものは受け取れない。換金できるものなら換金して、飴の代金だけを受け取って残りを返そう。
そう思ってチケット売り場に来たのだ。
窓口の男性に『両替はできないが賭けることならできる』と言われ、勧められるままにチケットを買ってしまった。交換に渡された一枚の紙切れを見て後悔したが、あの闘士に賭けたのだから、石を取り戻せなかったとしても最終的にはあの闘士の責任といえなくもない。
ジルはそんな言い訳で自分を慰めたが、元来真面目な性格なのでやっぱり気になって、返せと言われたら返せるように、一生懸命飴を売った。大した儲けではないけれど、何日かかかって返せばいいだろう。
そろそろ最後の試合も終わり、お客さんが帰る頃だ。最後の一働きと飴飴と声を張り上げる。
すると、兵士が何人かやってきて、ジルに付いてきなさいと言う。
やっぱり、あの宝石が高価なものだったのだろうか。
ジルは緊張で気が遠くなりながらも、チケットを差し出した。駄目で元々、一度窓口の人に返金できるか聞いてみたい、と言って。
兵士を後ろに引き連れて窓口に立つ。係の男ははじめ、チケットの取消しはできないと言っていたが、そこに書かれたアザンが四試合連続で勝つとの予想を見ると、笑顔で宝石を戻してきた。ジルはほっとしてチケットを渡そうとしたが、それを制したのは近衛の制服を着た男だった。
それから、ジルは導かれるまま、王様の前まで来てしまったのである。
遠目に見たことは何度かある。ウァラキアからの凱旋や王の結婚式のパレードで、人々の頭の間からちらりと見えただけの王様の顔を。
それが目の前にあって、ジルは畏れ多くて目を上げられず、ずっと足下を見つめていた。
王に名前を呼ばれ、腰が抜けた。それから何か声を掛けられたが、意味を理解する前に肯定を返した。
その後カルクに別室に案内され、サインを促されて書いた書類の内容はこうだ。
ひとつ、アザンをジルのものとする。
ひとつ、ハイイロをジルのものとする。
ひとつ、ジルは奴隷に責任を持ち、衣食住を与えねばならない。
ひとつ、アザンには女を宛がってはいけない。
ひとつ、ジルはビトラルーク市民として、王に忠誠を誓い、国の不利益になることはしてはいけない。
奴隷を持つあたりはお断りしたい内容だったが、周りを兵士で固められていては黙ってサインをするしかない。
そうしてジルは、自分より一回りも大きく、かつ屈強な闘う奴隷を二人も養うことになったのである。
今まで普通の市民だったジルには恐怖だった。一発で伸される自信があった。
びくびくしながら奴隷を引き取りに行くと、アザンもハイイロも思ったよりも友好的だった。だが、二人を繋ぐ鎖はとても持つ気にならない。こんな筋骨隆々の男を二人も鎖で引いて連れて帰ったら、ジルの部屋を借りている大家さんが腰を抜かして出て行けというに違いない。一般市民の近くにいるのは、借金の形に下働きをしているような、そんな奴隷ばかりなのだから。
ジルは二人の首に掛かっている鎖を外してもらって、かわりに手を繋いで連れて帰った。逃がしてはいけないと言われたから。なかなかに間抜けな姿だったが、例え鎖を持っていても逃げようと思えば逃げられてしまうだろうから、もうこれでいい、と自棄になっていたのである。
翌日、奴隷を譲ってくれという人がジルの家に殺到した。
ジルはそれを喜んだが、奴隷達はそうではないようで、中々首を縦に振らない。奴隷の意志など無視して売ってしまえばいいのに、それができないのがジルなのだ。
どうしたものかと悩んでいるジルに、アザンが囁いた。
「俺がいなくなったら、大金を持ったお前などあっという間に身ぐるみ剥がれるぞ」
それもそうだとジルは思った。
セッコからさらに追加の金貨が届けられるらしいし、しばらく様子を見た方がいいだろう。
アザンはハイイロよりも小さくて――それでもジルより頭一つ分は優に高いが――、まだ怖くなかった。ハイイロは上背も体の厚みも、ジルとは大違いである。オルク族は強い者に従うため、アザンの言うことをよく聞く。アザンはジルの言うことを、まあそこそこに聞いてくれるので最初のような恐怖はない。案外みんなで仲良く暮らしていけるかもしれないなと、ジルはのんきに考えていた。
「あ、アザンさん。これを返すの忘れていた」
その日の夜、そう言ってジルはアザンを呼び、赤い宝石の首飾りを渡そうとした。
「これはもうジルのものだ」
「でも、代々受け継がれている大切な宝石なんでしょう?」
「ウァラキアはもうない。この石に価値はない」
アザンがそう言われて、ジルはちょっと困ったように笑った。
「それでもだよ。お父さんも付けていたんでしょう? 形見だよ」
ジルの茶色の目が、透き通った光を湛えてアザンを見ていた。
何の打算もないそれにアザンは見とれてしまう。
その間にジルは手を伸ばして、アザンの首に宝石を戻した。
アザンは近付いた主人の顔に、うやうやしく口付けた。
(おわり)
自サイト掲載作品を一部手直しして投稿しました。




