テンとエリネア
「前から不思議に思ってたけど、テンは何も食べないの?」
ここは旅の途中で寝泊まりする、亜空島にあるペンション風建物。その中の一室であるエリネアの部屋。
エリネアが夜寝る時は、セバスチャンとテリーによりテンをそばに置くと勝手に決められてしまった。
しかし、裕二もそれに反対する事はせず、今ではこれが毎日の決められた日常となっている。
その二人。テンとエリネアのちょっとした楽しみは、寝る前のお喋り。
今日も二人はベッドの上にペタリと座りながら、他愛のない話から難しい魔法の話まで、あらゆる話題を楽しんでいる。
「僕は精霊だから食べ物は必要ない。でも、こうして実体化している時は、ものを食べたり味わったりする事も出来るよ」
「そうなの。便利なような、味気ないような気もするわね」
「だから味わえるって!」
テンはそう言うと、人差し指をクイッと動かす。すると、部屋の中央にあるテーブルが、二人のいるベッド脇まで引き寄せられる。
そしてその上に、ゆっくり手をかざしながら移動させる。その後には、皿に乗せられた色とりどりのケーキが作られていた。
「き、綺麗ね! これは……ユージがいた世界のお菓子?」
「そうだよ。ショートケーキ、チョコレートケーキ、チーズケーキ、モンブラン、色々あるね」
テンはその中のひとつを手に取り、それをフォークで分けてから口に入れた。
「うん、甘い」
「何そのあっさりした感想。でも美味しそう」
「エリネアもどうぞ。食べた事にはならないけど」
「遠慮なくいただくわ」
エリネアはチーズケーキを手に取り、それをテンと同じように食べてみた。
「お、美味しいわ。こんなに柔らかいくて味も繊細なのね」
「裕二様はこう言うのあまり詳しくないよね。エリネアにカップラーメン食べさせてなかった?」
「ああ、あのお湯を入れる麺ね。凄いけど、ちょっとしょっぱかったわ。でもこんなお菓子もあるのね」
亜空島の中では自分の思い描いた物を、魔法のように作ることが出来る。しかし、それは本物ではないので、実際は食べた事にならない。これを現実に持ち出す事は不可だ。
「ここじゃないと味わえない異世界のお菓子。ちょっと贅沢だけどもったいない気もするわ。こんなに美味しくても他の人は食べられないし」
「別に良いんじゃない? 裕二様に付き従う者の特権て事で」
「そうね。私にも作れるかしら」
「少し練習すれば作れるよ。紅茶あたりから始めてみたら?」
エリネアはテンから、異世界の様々なお菓子の話を聞きながら、紅茶を作る練習をする。しかし、やはりすぐには、テンやセバスチャンのようにいかないようだ。
「アハハ、これは紅茶色のお湯だね」
「本当だわ。けっこう難しいのね」
「あって当たり前だと思えば、意外と簡単だよ」
しばらく練習をすると、やっと何とか満足出来そうな紅茶が作られた。エリネアとテンは、それを口に運ぶ。
「まあまあかな」
「本当にまあまあね。でもこれって確かに味わってるのに、実際は何もないって不思議よね」
「少し違う。これはこの場では確実にあるんだ。正確には食べ物じゃなくて味わうだけのものだから、役目を終えると消え、体には吸収されない。そして、この場所以外では成立しないって感じ。でもこれの影響は残る場合もある。大雑把に言うなら、何もないで良いんだけど」
「どういう事?」
紅茶を飲むと体が温まる。この状態で亜空島を出ると、紅茶を飲んで体が温まった気になる。に変化する。その場合、実際に体が温まってる事もある。体が騙されたような状態だ。
「無理のない範囲での影響は残るって事だね」
「へえ、なるほどね」
「とは言っても、そんなの細かく検証したワケじゃないから、どこまで影響があるかの線引きは曖昧でもある」
「曖昧? 良くわからないわ」
「今作ったこの味わうだけのケーキ。これはただそれだけのもの。実際ここにあるけど中身はスカスカの偽物って感じかな。だけど、セバスチャンがもの凄く時間をかけ、材料から気合を入れて作ったケーキだったらどうか。それはこのケーキとは味と見た目が同じでも違うものになる。体への影響も変わるかもね」
「太るって事かしら」
「かもしれないって事。でもそんな未知の領域の料理を作って食べるくらいなら、普通の料理を作った方が良いし」
その成分、材料、作り方などを知らずに亜空島のやり方でケーキを作る。見た目と味が同じでも、全く同じとは言えない。しかし、それを食べた影響は、僅かながらあるだろう。それは何もない、と言い切っても良いくらいのものかも知れないし、そうでないのかも知れない。そこに線引きをするのは難しい。だが通常なら、食べた事にならない、と言っても問題はない。
「まあ、このケーキや紅茶くらいなら、ほとんど何もないね。霞を食べてるようなものだよ。でも例えば、ここに板を持ち込んで、この場でノコギリを作ってそれを切る。ノコギリは偽物だけど、亜空島を出ても板は切れたままで繋がらない。影響は確かにあるよね」
「何となくわかるけど、ケースバイケースなのかしら」
「ま、そんな感じ。ここは基本寝泊まりするだけだから、何も問題はないよ」
ここで生活をするエリネアにとっては、なかなか興味深い話だろう。
そのままエリネアはベッドの上で仰向けになり、天井を見ながら何かを考えている。そして、ふと、テンに顔を向ける。
「じゃあ、この中限定なら、この世界にない物も作れるの?」
「シャワートイレとか冷蔵庫とか、既にあるじゃない」
「あ、そっか。あれはユージの元いた世界の文化よね。それ……どんな世界か見てみたいわ」
「見るだけなら、すぐに見れるよ」
「えっ! 本当?」
テンは手をかざしテーブルの上にあるケーキを消すと、そこへ違うものを作り出す。
エリネアから見ると、それは大きな黒い板。絵の入っていない額縁のようにも見えるだろう。
「これはテレビ。ここに色んな映像が映る。これで裕二様のいた世界を見てみよう」
「え、ええ……」
エリネアがテレビに驚く間もなく、テンはリモコンを取り出し、テレビのスイッチを入れる。
「それなに?」
「まあ……ここではいらないけど、テレビを操作する付属品だよ」
目をパチくりさせリモコンを見るエリネア。しかし、テレビの映像が始まると、すぐにそちらへ釘付けとなった。
「な、何これ……」
「これは裕二様の住んでた街の都庁と言う場所。こっちだと……王宮みたいなものかな」
「た、高すぎるわよ! 倒れないの? 天まで続いてるじゃない!」
「いや、それはない」
そのまま映像は周りの景色も映す。
「どうやってこんな建物……え? 一つじゃないの? 全部デカいわ。城壁は?」
「敵がいないから城壁はないよ。いてもこんな場所まで来ないし」
「あの馬車みたいな……い、いっぱいあるじゃない! 魔法で動くの? 凄く速いわ。乗ってる人は皆貴族なの?」
「いや、見える人は全て一般人。貴族なんていない」
「えっ、一般人て領民て事? 普通の人があれに乗るの? 道が凄いわ。平らな板がどこまでも続いてる」
「板じゃないけどね」
そして映像は駅の方へ進む。
「こ、こんなに人が……彼らは何しに集まってるの? あっちの馬車はもっと長いわ。あの商店は中が見えてるじゃない! 色んな色の紙? 本かしら、図書館?」
「いや、あれはコンビニ。色んな物を売ってる」
どこを見てもエリネアの興味は尽きないようだ。異世界を見てるのだからそれも仕方ないのだろう。テンから色々と説明を受け、魔法ではなく科学の支配する世界に驚いている。
「はあ……凄すぎる。神の国って言われても信じるわよ」
「こちらより科学が発展してるだけだよ。こっちは魔法があるから、進化の仕方も違うかもね」
「ペルメニアもいずれ、ああなるのかしら」
「さあ、どうだろ」
映像は都市の一部を見せただけだが、それでもエリネアには、かなり刺激が強かったようだ。
「ユージはあんな凄い所から来たのね。こちらは不便に感じるんじゃないかしら」
「知らない場所に行けば、どこでも不便だよ。エリネアだってあちらに住んでみたら、最初は勝手がわからないと思うよ。でも一ヶ月もあれば慣れる。実際この亜空島の施設にも慣れてるし。それは裕二様も変わらない」
「そう言うものかしら」
日本のテレビ番組でも、アマゾンなどで原始的な生活をする人を日本に招いたりする事もある。初めは文化の違いに驚くが、若い人ほど慣れるのも早い。
戦後の日本人も、大量に流入したアメリカ文化に目を輝かせ、強い興味を持った。今のエリネアもそんな心境だろうか。
「でも、ケーキだけなら外国のお菓子で済むけど、あの建物は人が作り出せるとは思えないわ」
「建設用の大きな機械があるんだよ。その小さな部品のひとつひとつから、丁寧に作り上げていくんだ。そこにはたくさんの人が関わってる」
「途方もない話ね。でも一度は行ってみたいけど。テンにも向こうの世界の記憶はあるの?」
「一応、裕二様の記憶を通してだけどね。僕は向こうにいなかったし」
基本的に裕二とタルパの記憶は、ある程度共有しているが、全く同じではない。例えばタルパの得意分野で得た知識面、後から単独で得た記憶には差が出てくる。
「僕がエリネアと一緒にお風呂に入っても、裕二様と記憶は共有されないよ。それは僕の記憶になる」
「そ、そう」
「だからエリネアが、裕二様とお風呂で裸になってチュッチュした記憶を残して欲しいのなら――」
「そんな事言ってないでしょ!」
そして、裕二の記憶は今のところ完璧ではない。欠損してる部分も多くある。それはテンも他のタルパも同じだ。それはこれから取り戻す事になるだろう。
「でも、向こうの世界にテンがいなかったのなら、その間はどうしてたの? テンは五百年前からいるんでしょ?」
「どうだろう。こちらに存在はしてたと思うけど、薄弱な状態だったんじゃないかな。裕二様がこちらに戻って、再び呼び出された感じだと思う」
その間は裕二からの魔力供給がない。なので、その代わりになるものがあったはずだ。しかし、テンにその記憶はない。いずれにしろ活動停止状態ではあったのだろう。
「裕二様がこちらに戻った時点では、僕らをその場で作った、と思っただろうね。でも実際は呼び出した、が正解になるよ」
「五百年前からいるんだから、そうなるわね。その場で作るのは、やっぱり難しいのかしら」
「原始的な精霊ならともかく、いくら裕二様でも、リアンみたいのをホイホイ作れないよ。その痕跡が、この世界のどこかにあるんじゃないかな」
「どう言う事?」
「それは、エルファスで見た、ウンディーネがヒントになると思うよ」
「ウンディーネ……」
自然の中から作り出された水の精霊ウンディーネ。しかし、それを確固たるものにしたのは、祠を作り、そこを守り、祈りを捧げてきたエルフたち。そこには、とても長い時の流れがあったはずだ。一日二日で出来ることではない。
「同じじゃないけど、似たような流れはあっただろうね」
「へえ……じゃあ、簡単に同じ存在は作れないし、いないって事かしら」
「例外としてシャドウがいるけど」
「あっ! テリオスの……」
テリーのタルパとして仕えているシャドウ。元々は裕二が作り、それをテリーに与えた。その時点で、魔力の供給はテリーになっているのだろう。裕二がいない間も、活動はしていたようだ。
「もしかしてシャドウみたいなのが、他にも……」
「どうかな。僕の記憶にはないよ」
裕二に仕える七体の精霊。シャドウはその親戚のようなものだ。エリネアの言うように、まだ知られていない存在がいてもおかしくはない。
「でも……あっ、そうなるとヴァリトゥーラはどうなるの? チビドラの半身なのは知ってるけど、アトラーティカの村を守っていたのなら、ユージがいない間も活動はしてた事になるわよね」
「そう……なるね」
「誰かが魔力供給してたの?」
「…………さあ」
テンにもそこまではわからないようだ。しかし、精霊が様々な形で存在するのは、エリネアにも良くわかっただろう。中には思いもよらない形で存在する精霊もあるのかも知れない。
「でも、必ずしも誰かが魔力供給するワケでもないと思うよ。独立した存在もあるだろうし」
「独立……そうよね」
「とりあえず、寝る前にお風呂入ろうか」
「そうね。長話だったから急がないと」
「あっ、エリネアは裕二様と一緒に入りたいんだっけ」
「そんな事言ってないでしょ!」
と、二人は仲の良い姉妹のように、連れ立ってお風呂へ向かって行った。