ジンジャーとエムオール
「しかし、メフィまでいなくなっちまうとはな」
そう呟くのはシェルラック屈指のパワーファイター、ジンジャーだ。
彼は今、その巨体を何とか乗せられる大型の馬に乗り、シェルラックからペルメニア、ハルフォード辺境伯領まで隊の編成による移動の真っ最中となる。
「エルファスで何かあったらしいな。メフィの故郷なんだから仕方ないだろ」
それに答えるのは道具使いのスペシャリスト、エムオール。彼もジンジャー同様馬に乗り、現在ペルメニアへと向かっている。
その隊列を率いる先頭には隊長のラグドナールがいる。二人はその遥か後方をのんびり進んでいた。
このジンジャーとエムオールはかつてキマイラ調査隊で、メフィ、裕二、バチルとともに攻撃班に加わった二人だ。
「ユージとバチルも行方不明のままか。どうなっちまってんだ。あのクソ野郎は死んだんだろ?」
ジンジャーは吐き捨てるようにそう言った。
「シャクソンか。発表があったから間違いない。奴の隊は全員拘束されてるから、シャクソンには相当な問題があったんだろうな」
それに対し冷静に答えるエムオール。
「だったらユージとバチルも戻れるじゃねーか。あいつらならヴィシェルヘイムで昼寝してても死ぬことはねーし」
「詳細はわからんが、隊長が大丈夫だと言ってたから生きてるとは思う。ユージとバチルは何か重大な秘密を抱えたんだろう」
「その重大な秘密ってなんだよ」
「そんなもの探ってるとお前も危険になるぞ。あの件は緘口令が敷かれてるんだ。隊長が大丈夫だと言ったなら、それを信じるしかないんだよ」
「けっ、そうかよ」
この二人はキマイラ調査隊として、現場で見た以上の事は知らされていない。その見た内容についても、一切口外してはならないとされている。もちろん、あの異状事態を直接見ているのだから、ある程度の推測はしているが、それでも、裕二の正体やどこに魔人が絡んでいるかまでは知らない。ただ、裕二とバチルの安否については、ラグドナールから問題ないとは聞かされている。当然それも話してはならない事だ。
「しかしよう、シェルラックに行政区長なんているとは思わなかったぜ」
「出発時の見送りに来てた奴か。一応あれがシェルラックのトップだ。あそこはサレム王国の国王直轄領でもあるからな。行政区長はその代理だ」
ラグドナール隊がシェルラックを出発した時、街の代表が見送りに来ていた。それが行政区長だ。その彼からすればハルフォードはシェルラックに不可欠な存在。その一端を担うラグドナールを見送りしないわけにもいかない。後からそれを聞かされたジンジャーはそれを聞いて納得はしたが、正直どうでも良いとも思っている。雑談のネタ程度の出来事だ。
「三国会議にも呼ばれねえのにトップなのかよ。つーかあんなの誰も知らねえぞ」
「名目上そうなってるだけで、実際は三国会議の方が上だ。シェルラックに限れば、行政区長どころか国王でさえ口出しは難しい。各組織がひとつでも引き上げたらどうにもならんからな。行政区長がオーメル将軍あたりでも怒らせれば、すぐに飛ばされる」
「んじゃ、実際はお飾りの連絡係りかなんかか?」
「そう言うことだ。シェルラックは特殊な街だからな。とは言え、一応サレム王国内でもあるから、その体裁は整えてやらねばならない。実際はいてもいなくても変わらないが」
「ならもう、シェルラックと言うか、サレム丸ごとペルメニアで良くねえか? 国王も口出し出来ねえんだろ」
「昔はそんな話もあったらしいな」
サレム王国の歴史はペルメニアよりも古い。その当時は国と言う概念も今より希薄ではあったので、どこからどこまでが、と正確に言うのも難しいが、ペルメニア建国には参加せず、そのまま別の国として現在に至っている。
当時のペルメニアから見ると、サレムはあまりにも辺境にあり、建国時からペルメニアは大国となるのもわかっていたので、そちらまで取り込まれる事はなかった。要はそんな端っこまで管理しにくい。自分たちでやれるならやってくれと言う事だ。
サレム王国側も取り込まれる必要性を感じておらず、ある程度国として成立していたので、そのままやってきた。
「だけど魔人戦争終結から百年くらい経ってから、ヴィシェルヘイムのモンスターが増えだしたようだな。ここは元々何もない辺境の更に最果てだ。それが、知らないうちにサレムだけでは手に負えない状態になっていた。その時にサレムはペルメニアの傘下に入りたかったみたいだ。だけど、ペルメニアもサレムを抱えたらオマケが付いてくるのは予想するだろ」
「へっ、確かに。普通ならそのオマケのヴィシェルヘイムを抱えたいとは思わねえよな」
「だから、その代わりにペルメニアからサレム王国への支援が始まったんだ。ペルメニアにとってもサレムを抜かれるのは困るからな。その時にシェルラックの原型が出来たらしい」
あくまで主体はサレム王国。ペルメニアはそれを支援すると言う形がその時に作られた。その支援の第一歩はヴィシェルヘイム攻略の為の拠点作り。それがシェルラックとなった。そこに、ヴィシェルヘイムと隣接するアンドラークも加わり、それが三国会議へと発展していく。
「でもよう、なんで百年も経ってからモンスターが増えたんだ?」
「さあな。谷の向こうで何かがあったと推測されてるが、それを調べに行って戻ってきた者はいないからわからない」
と、一般的には考えられている。しかし、そこにはちゃんと理由がある。
ヴィシェルヘイムの谷の向こうは魔人戦争時の最激戦地でもあった。その戦争が終結した後も、多くのモンスターがそこにとり残された。その場所は、裕二やテリーの通った谷の向こう。ゼッキの出現する草原辺りだ。
アトラーティカの村近辺はヴァリトゥーラの守護があるので、そちらへほとんどのモンスターは近寄らない。草原近辺も強力なモンスターが多いので、その生存競争に敗れた者たちが、徐々にヴィシェルヘイムへと移動していった。それが長い時間をかけてヴィシェルヘイムを強力なモンスターの集まる森へと変えていったのだ。
魔人がそこに目をつけたのは、そう言う状態が作られ、シェルラックが出来た後になるだろう。
「でも最初は色々あったみたいだぞ。ヴィシェルヘイムは金のなる木でもあるからな」
ヴィシェルヘイム攻略が始まってから知られるそこで取れる様々な素材。当時のサレム王国の権力者たちが、それを求めた。しかし、それらは厳しい戦いの末に得られるものでもある。簡単に得られるものではない。
「戦えもしない奴らがヴィシェルヘイムに押しかけたらしいな。メタルスコーピオンの外殻なんて今でも貴重だから、当時はかなりの高値だったろう。今、そんなのが来たらどうなるか考えてみろ」
「考えるまでもねえ。森へ置き去りコースだろ。一日もたねえよ」
それは現在でもたまにある事だ。様々な思惑でシェルラックに集まる者たち。その勢力、有能な人材、それらを得たい者もいる。中途半端に権力を持つ者などは特にそう考えるだろう。しかし、その中途半端な権力では提示出来ない対価。それをシェルラックの猛者たちは自分の力で叩き出す。それに気づかず強引に事を進めようとすれば、彼らはジンジャーの言う末路を辿る事になる。それを三国会議に訴えても、素人が遊び半分で手を出した後始末などするはずもない。そこに兵力を割く余裕などなく、自分で勝手に探せと言われて終わりだ。
下級貴族なら欲しいものがシェルラックはたくさんある。それはそう簡単に得られるものではない。勘違いをしてシェルラックに挑み、命を落とした者は少なくない。まずはヴィシェルヘイムで生き残れるだけの力がなければならない。
それを知らない下級貴族が、偉そうにシェルラックの高位冒険者に命令でもすればどうなるか。そんな事は簡単にわかる。自分のテリトリーで通用する権力も、ここでは通用しない。
「そうだ。最初はそれで随分もめたらしいが、結局素人が手を出せる場所じゃないからな。色々とルールが作られてそれに伴い三国会議が力を増していったんだよ。まあ、ハルフォードが入った時点で誰でも予想出来たろうがな」
シェルラックに集まるのはサレム王国の支配下にない者たち。自国だけでは間に合わないからそうせざるを得ない。それらが連携して街の統治機構となる。彼らが引き上げたらサレムはおおいに困る。命をかけてサレムの盾となり戦ってくれる者たちを、無碍には出来ない。そこで得られる利益は、シェルラックの戦士たちに分け与えなければならない。そうでなければ、シェルラックは現在のような、強者の集まる街とはならなかっただろう。
「なるほどな。どこ見ても行政区長に口出し出来る場所なんかねえな」
「まあ、行政区長の仕事は、主に三国会議の命令実行だ。シェルラックでは強くなければ生き残れないし、戦えない奴に発言権などやらない。口出ししたいなら自分で戦えって事だ。よその街とは全く違う、そんな理屈がまかり通る街。ヴィシェルヘイムと戦う為にある街だからな。ここは徹底的な現場主義なんだ」
そんなシェルラックは個々のモンスターに対する戦闘方法を編み出し、それが攻略法となり、ヴィシェルヘイム独自の効率的な戦闘を生み出してきた。二十年ほど前から様々な記録も取られるようになり、より一層の効率化が図られる事になる。
「俺たちが利用したキマイラの戦闘記録もそのひとつだな」
そんな歴史を積み重ねてきたシェルラック。いつしかサレム王国国王さえも迂闊には口出し出来ない場所となり、独自の発展を遂げた特殊な街へと進化していった。
「でも今回の事でシェルラックはかなり変わるんじゃねーか? 人が余る事なんざ今までなかったろ」
「それはわからないな。繁殖力の高いモンスターはいずれ元に戻る。お前が簡単に倒すベヒーモスもよそでは強力なモンスターだ。それが根絶出来てるわけではない」
それでもしばらくの間はシェルラックに片寄っていた戦力を分散出来る。それはまだ、ほとんどの者が知らない新たな魔人戦争へと繋がるのだろう。
「俺たちもどうなるかわからないが、ペルメニアに行ってすぐに忙しいとも思えないな」
「そうなのか? 何か隊長から聞いてるか?」
エムオールはそれに答えず黙って前を見据える。そして、しばらくしてから口を開いた。
「いつでも戦える準備はしておけ。おそらく、隊長も俺たちに言えない秘密を抱えている」
「……なんとなくわかるぜ。ホローヘイムで起きた事を見ちまえばな」
ホローヘイムで起きた異状事態。それと同時にあちこちで起きた変化。二人にその詳細はわからないが、何か巨大なものが動いている気配は感じている。
「でよう、ユージとバチルは帰ってくるのか?」
「さあな。俺ではわからん」
エムオールは相変わらず前を見据えたままだ。しかし、横目でちらりとジンジャーを見て、言葉を付け加える。
「……だが、そうなると良いな」
それにジンジャーは「ああ」とだけ答える。
何故、ラグドナール隊がペルメニアに行くのか、ハッキリとはわからない。そこで何かが起きるのかもしれないが、それもハッキリとはわからない。だが、二人はなんとなく察している。その中心には、かつてホローヘイムで凄まじい力を見せた男がいるのかもしれない、と。
「まあ、行きゃあわかるだろ」
「そうだな」
そして、二人はそのままペルメニアを目指す。