テンとエリネア2
「最近エリネア、裕二様に積極的だね」
「そ、そんな事ないけど……」
ここは旅の途中で寝泊まりする、亜空島にあるペンション風建物。その中の一室であるエリネアの部屋。
エリネアが夜寝る時は、セバスチャンとテリーによりテンをそばに置くと勝手に決められてしまった。
しかし、裕二もそれに反対する事はせず、今ではこれが毎日の決められた日常となっている。
その二人。テンとエリネアのちょっとした楽しみは、寝る前のお喋り。
今日も二人はベッドの上にペタリと座りながら、他愛のない話から難しい魔法の話まで、あらゆる話題を楽しんでいる。
「もしかして、裕二様と一緒の部屋で寝たい?」
「え、そうじゃないけど……出来るだけ一緒にいてあげたいとは思う……けど」
「それ一緒にいたいって事じゃない?」
「う……て、テンはどうなのよ。一応女の子でしょ」
「僕は精霊だし。裕二様は絶対的な主であり、僕はそこから生まれた分霊とも言える。離れる事はあり得ないから、エリネアとは違う風に裕二様を見てるだろうね」
「そ、そうなの?」
「エリネアの考える家族と近いんじゃないかな。その繋がりは一蓮托生で絶対的だけど」
普通ならそこから恋愛話になるのだろうが、この二人は人と精霊。立場の違いが裕二への見方にも反映される。なのでなかなかそう言った話にはならない。
テンからすると、エリネアが裕二と同じ寝室で寝てても、それ程感心はない。
ただセバスチャンに言われて、そうしているだけだ。
「裕二様の部屋は隣だから、壁に穴開けてみる?」
「そ、そんな事したらセバスチャンに怒られるわよ。領域内で何かあったらすぐバレるんじゃないの?」
「うーん、そっか。じゃあ、うっかり壁に手をついたら穴が開いた、とかにする? 亜空間だから自分の意志で開けられるよ」
「それうっかりじゃ、ないじゃない」
エリネアはテンの言うことに呆れながら、その場にテーブルを引き寄せ、そこに暖かい紅茶を作り出す。
「上手くなってきたね」
「ええ、ここなら自分好みの紅茶を魔法みたいに作り出せるから良いわね」
「でも、飲んだ事にはならないよ」
「だから良いのよ。寝る前に水分は摂りたくないから、味わうだけでいいの」
あらゆるものを自在に作り出せる亜空間。エリネアもそれに慣れてきたようだ。
「でも亜空間て不思議よね。現実と重なった世界なんでしょ?」
「そうだね。例えば本の表紙を現実とすると、その中にある一ページが亜空間。他のページはまた違う異空間だね。たくさんのページが重なり本になるように、様々な異空間が重なり、この世界が出来てるんだ。でも普通の人には表紙しか見えない」
「精霊とか幽霊とかは現実と重なった別の異空間にいるって事よね」
「そう。それは普段は見えないけど、たまに偶然見えてしまう。エリネアが精霊視を使うのは、それを意図的に見えるようにしてるって事だね」
「それは精霊の世界とか異空間って、何となくわかるけど、亜空間て基本的に何もないじゃない。何のためにあるの?」
「クッションだね」
「クッション?」
人は現実の空間に生活し、そこしか見えていない。しかし、この世界は様々な空間の重なりで出来ており、亜空間はその中のひとつ。そこで特殊な役割を果たしている。
「例えば、精霊の異空間があって現実と重なっている。だけど、それをピッタリ重ねると、その間は薄皮一枚になってしまう。そうなると、そこは簡単に破けて両方の空間がごちゃまぜになるでしょ? だからその間に亜空間を置くんだ」
それが、異なる空間を繋ぐ壁となり、クッションともなる。そこに何もない空間を作り双方を隔てる。つまり異なる空間を重ねる為の遊びとも言える。それがあるので、多少の事で両空間は交わらない。
「まあ、本みたく単純な構造じゃないけどね。それはすぐ隣にある。しかし、隣ってどこ? ともなるでしょ? 人の言葉では隣と言うしかないだけなんだ」
その一部を人が魔法と言う力を使い利用する。それが亜空間魔法となる。
余裕のある遊びの世界とも言えるので、そのような使い方をしても影響はほとんどない。
「なるほどね。でもテリオスはそこまで教えてくれなかったわよ」
「テリーは武闘派だからね。そう言うのは裕二様に教わり一応覚えたって程度じゃないかな。それよりも大規模攻撃魔法だ! みたいな感じ」
「私にも亜空間魔法できるかしら」
「エリネアなら訓練次第でできるよ。まずは亜空間の出入り口を見えるようにする事」
「えっ? でもユージのつくった亜空間の出入り口は見えてるわよ」
「それはそうしないと不便だから、裕二様が見えるようにしてるだけ。本来なら、その辺に偶然、亜空間の出入り口があっても見えないよ。見て触れて理解する。そして、同じものを作り、出入り口から領域を作る。そうなれば、収納魔法くらいはできる」
「か、簡単に言ってくれるわね」
「重要なのは理解だよ。そこを乗り越えれば後は簡単。でも何もない空間を理解するのは難しい。たとえ頭でわかっていてもね。だから、まずは見て、触れて理解するんだ」
「……難しそうね」
それを聞いたテンは、おもむろに立ち上がる。そして、人差し指を立てた。
「でも、実は簡単に見れる方法がある」
「え!? そうなの」
「うん。ほぼ誰でもね。だけど、そんな事する人は滅多にいないし、やってもそこに亜空間の出入り口が必ずある訳じゃないから、知られていないってだけ」
「それ知りたいわ。どうするの?」
「じゃあ、僕と同じようにやってみて」
テンはそう言って足を肩幅くらいまで広げる。そして、そのまま体を前に倒した。
「な、何してんの」
「早くやってよ」
女の子には少し恥ずかしいポーズだが、エリネアはテンに言われてしぶしぶそれに従う。
「こうすると自分の足の間から後ろが見えるでしょ?」
「そ、そうね」
「その風景は上下逆さまになっている」
「え、ええ」
「もうこれで見えるんだよ」
「は?」
そしてテンは、エリネアの見えてる場所に行く。
「じゃあ僕が出入り口作るから見てね」
「……わかったわ」
自分の足の間から後ろを逆さまに見るエリネア。テンがそこから見える位置に、サッと手をかざす。すると、そこに亜空間の出入り口が作られる。
「見えた?」
「見えたけど……いつもと同じじゃない?」
「なら、立ってもう一度見てよ」
テンにそう言われたエリネアは、垂らした頭を持ち上げてから、後ろを振り返る。
「あ、あれ? 見えない」
「でしょ?」
「何で?」
エリネアはもう一度頭を下げて足の間から後ろを見る。すると、先程と同じように亜空間の出入り口が見える。そして、再び頭を持ち上げて後ろを見ると、何も見えない。それを何度も繰り返す。
「本当だわ……でも、どうして」
「これは股覗きって言われる異界、つまり現実と重なり合う異空間だね。異世界はまた違う概念だよ。それを見る方法。これだけだから誰でも出来る。エリネアも子どもの頃にやった事ないかな」
「そういえば……」
テンに言われて子どもの頃を思い出すエリネア。
ペルメニアの王城にある中庭でしょっちゅう走り回っていた。そこで意味もなく寝転がったり、でんぐり返しをしたり。誰でもそんな経験の一つや二つはあるだろう。
今、テンから教わった股覗きもやった記憶がある。見慣れた風景が逆さまに見えるのは、子どもにとっては面白いものだ。
「いつも見てる風景なのに、何故か違って見えるのよね」
子どもの頃にそう思っていたエリネア。今と同じように足の間から逆さまに見える風景と、立って普通に見る風景を何度も見比べた。しかし、何度見比べてみても同じ風景。なのに不思議と違って見える。
いつしか子ども時代は終わり、そんな遊びもしなくなる。かつて感じた不思議な違和感も忘れてしまう。
「ふふーん。魔術師ならそこを追求しないとね。違和感があったらその原因が必ずあるんだよ」
「そうね。確かにそうだわ」
「股覗きをするとね。体のスイッチが勝手に入るんだ」
見慣れた風景を低い位置から逆さまに見る。いつもと全く違う位置からそれを見る。そうすると大幅に視点が変わる。
同じものを見ているのに、違うものを見ていると錯覚するのだ。しかし、頭では同じもののはずなのに、となる。そこで人は辻褄合わせで新たな概念を作り出す。
「体が勝手に異界を見てるって事にしちゃうんだよ。そうは意識しないけどね」
「それがスイッチになるのね」
「そう。その状態だと、ほとんどの人が異界を認識しやすくなる。とは言ってもそこに見えるべきものがないと、当然何も見えないよ」
テンはそこに、通常は見えない形で亜空間の出入り口を作り、エリネアに見せた。そこで立ち上がるとスイッチも切れるので見えなくなった。と言うワケだ。
「でも、この状態からスイッチを切らないように出来ないの?」
「出来るよ。視界を動かさずに足だけどかせばいい」
そのまま地面に手と頭をつけて逆立ちをすれば、足をどかせる事が出来る。
エリネアは早速、逆立ちをする為に壁際でその練習を始めた。何度かそれをやるうちに徐々に慣れてきたようだ。
「慣れたら色々見えてくる。亜空間だけじゃなく現実と跨って存在する見えないものがね」
それは、精霊、魔力、瘴気などエリネアには既に見えているものもあるが、それらもより知覚しやすくなる。
「そうなると、それでも見えないものもあるのよね?」
「あるよ。エリネアに関わらないものは基本的に見えにくい。人によって違うね」
「どんなのがあるの?」
「例えば草花や樹木の異空間。それらは現実にあるものだけど、別の空間にも跨って存在する。樹木の霊体だと思えばいいかな。こちらで別々に生えてる樹木も、そちらでは全て繋がってるんだ」
「へえ、草花や樹木の精霊も、それと関係あるのかしら」
「もちろん。精霊魔法はそちらの空間にも影響を与えるからね。それにより現実が動く。その繋ぎ役を果たす精霊も両方に跨って存在するよ。後は生き物や霊体のいない物質の影のみの空間とかね」
「何かそれ、嫌な感じするわね。物質の影って」
「世界を作る物質の骨格みたいな場所だよ。人が入って良いようには作られてないから、間違えてそんな場所に入ったらちょっと面倒だね。じゃあもう一度練習してみようか」
テンに促されエリネアは再度壁際に立ち、足の間から後ろを見る。そして、逆立ちした。その隣で壁に手をつきながら立つテン。
「あっと、うっかり」
「え? えええぇ!」
エリネアが逆立ちを支える為の壁。そこにテンが、うっかり穴を開けた。
するとエリネアはその穴から、隣にある裕二の部屋に体をひねりながらなだれ込む。
「う、うおおあ!」
「きゃあああ!」
そこにたまたま裕二がいて、エリネアはそこへ覆いかぶさるように倒れた。
いきなりの事に、裕二はエリネアを抱きかかえる。そして、二人は密着したまま止まった。
「ご、ごめんなさいユージ」
「あれ? 裕二様そこにいたの」
「隣の壁がどんどんうるさいから見にきたんだ。お前ら何やってんだ?」
「裕二様。エリネアの抱き心地はどう?」
「そ、そりゃお前、柔らか……はっ!」
そこで二人はこれがテンのイタズラだと気づいた。
「じゃあ壁は僕が直すから、エリネアはゆっくり戻っておいで」
「テン!」
「お前!」
と、言うより早く、テンは瞬く間に壁を直して隣の部屋に消えた。
そこに残されたのは抱き合ったままの裕二とエリネア。
「ゆ、ユージ……あの……」
「エリネア……」
裕二とエリネアだけになり、二人は抱き合いながら見つめ合う。その直後――
「コホン……どうやらテンのイタズラのようですが……」
「!!」
「セバスチャン!」
「抱き合うくらいなら問題はありませんが、くれぐれもテリー様の言いつけはお守り下さい。旅に支障が出るようでは困ります」
「う……はい」
セバスチャンにそう注意され、エリネアはすごすごと自分の部屋に戻っていった。かどうかはわからない。