一人暮らしを始めた?
世の中、悪い方に転ぶことが多いものだ。
そんな事を感じずにいられない。
覚えていなくていいものを。いや、覚えていたとしても、そのまま通り過ぎろよ。
と思いながら、声がした方に目を向けた。
俺から1mほどの距離のところで、あの松岡が得意げな表情で、自転車から降りて立ち止まっていた。
「あ。そうです」
俺はお前と話なんかしたくないオーラ全開で、冷たい口調で言った。
「こんなところで何してるの?
まさかストーカーみたいに、佑梨ちゃんがいる僕の家を探していたなんて事はないよね?」
図星である。まあ、ちょっとストーカーと言われても仕方のない行動だったかも知れない。
「会いには来ましたけど、家は知ってましたんで」
とりあえず、嘘だ。
人を騙すための嘘はよくないが、自分を守るための最低限の嘘は許される。
そう言う事にしておこう。
「そうなの? でも、いなかったでしょ」
また、あのふふふんと言う表情だ。訪ねて来たのに残念でしたぁ。いない事も知らなかったの? と言う感じだ。
「いましたよ。鞄を持って、出かけるところだったけど」
今度は俺がふふふんの番だ。
同じような表情で、ちょっと上向き加減で真似してみた。
「いたの? 何か取りに帰って来てたのかな?」
得意げなところを打ち破られて、ちょっと焦り気味の表情で、松岡が言った。
この表現だと、今はあの家にはいない。そう言う事のようだ。
だとしたらだ、俺は得意になって、ふふふんと返してやったが、それは偶然のなせる業であって、あの家にいない事を知らなかった事を露呈した事になるじゃないか。
「でも、僕の家に来たって事は佑梨ちゃんが今、ここにいないって知らなかったって事だよね」
そう言った松岡は、また得意げな表情だ
この松岡もそれなりに頭の回転が速いらしい。痛いところをついてきた。残念だが、そのとおりだ。
「どうして、いないんですか?」
「佑梨ちゃん、狙われているとかで、僕たちの家にいると僕たちを巻き込むからって言ってね、出て行ったんだよ。
僕たちはかまわないから、今までどおり一緒に暮らせばいいと言ったんだけど、どうしてもってね」
「じゃあ、一人暮らししてるんですか?」
「そうなるね。どこかは言えないけどね」
そう言った表情はまたふふふんと得意げだ。
俺はさっきの神南を思い出した。
徒歩で消えて行った。つまり、この近くにいると言うことだ。
「この近くなんですよね」
俺の言葉に、松岡はぷっと一度吹き出した後、大笑いを始めた。
「そんな訳ないじゃんか。ここからは随分な距離だよ。
本当に君は何も知らないんだね」
こいつが言っている事はカムフラージュのための嘘なのか、本当なのかは分からないが、とにかく、話していると腹が立ってくる。
「ええ。そうですね。
ではまた」
俺はそう言って、駅を目指して再び歩き始めた。
いつかぎゃふんと言わせてやりたい。
俺ははらわたが煮えくり返りそうになる思いでいっぱいだった。




