ふるえている美佳
クラスメートたちは、廊下に面した教室の奥で固まっている。
真っ青な顔の女生徒。
事件が起きている校庭側に背を向けて、震えている生徒。
怖いながらも、校庭の状況を見つめている男子生徒。
俺の横で神南は震えてもいないが、校庭で起きていることを見る気も無いようで、ただ目を横に向けて、黒板を見つめている。
「翔琉」
美佳が震える声で、駆け寄ってきて、俺の左腕にしがみついた。
俺と美佳では俺の方がかなり背が高い。
俺が見下ろすように、美佳に目を向けた。
美佳は「助けて」そんな顔つきで、目をうるうるさせていた。
「大丈夫」
俺はそう言って、美佳の頭を撫でてやった。
そんな頃、校庭での戦いに決着はついたようで、銃声が止んだ。
俺の視界からも、何人かのテロリストたちが、校庭で血の海に沈んでいるのが見て取れた。
平然を装ってはいたが、俺にとってみても、これは衝撃的な事件だ。
今、日常を取り戻した目の前の空間。
だが、ついさっきまで、そこでは死を運んでくる銃と言う人間が造り上げた殺戮兵器が咆哮をあげ、何人もの人間たちに死を与えていた。
しかも、その死が俺たちを襲ってこないと言う保証もなかった。
身近に感じた死。
俺が生唾を飲み込み、視線を校庭からそむけたその瞬間、俺の視線を再び校庭に引き戻す音が聞こえてきた。
パトカーのサイレンだ。
正門から何台ものパトカーが校庭に乗り入れてきた。
それと入れ替わるかのように、治安部隊と思われる者達は校庭を去って行った。
「緊急連絡。生徒全員、ただちに体育館に自分の荷物を持って集合ください」
みんなの視線がスピーカーに向かった。
きっと、授業打ち切りですぐに下校。
そう言う事だと予想したのはみんなのはずだが、誰も動けない。
「はい、はい。みんな、自分の荷物を鞄にしまって。
そして、鞄を持って、体育館に行きます」
両手を叩きながら、田中先生が言った。
その言葉に雪崩を打って、みんなが自分の机に向かった。
校庭には死体が転がっていて、あちこち血に染まっている。
そんな光景を見たくないと、目をそむけながら、多くのクラスメートたちが自分の机の中から、教科書やノートを取り出して、机の上に置いた自分の鞄に詰め込んでいる。
死の光景から逃れたいからなのか、銃撃の恐怖がまだ心と体を蝕んでいるのかは知らないが、その動作は慌ただしくて、教室の中に騒然とした空気を醸し出していた。
机が窓際の俺は否応なく、校庭の光景が視界に飛び込んでくる。
テロリストたちが乗りつけてきた車を取り囲む警官たち。
校庭に転がるテロリストたちの死体を取り囲む警官たち。
視界の片隅にそんな光景を映し出しながら、俺は鞄に自分の教科書とノートを詰め込んだ。
視線を前に向けると、鞄のチャックを閉じようとして、閉じられないで、もがいている美佳の姿があった。
背中は少し震えているようだ。
俺は自分の鞄を持つと、美佳のところに行った。
自分の鞄を床に置くと、美佳の鞄に手を伸ばした。
「翔琉ぅ!」
もう死を与える恐怖は通り過ぎてしまったと言うのに、受けた衝撃は大きかったんだろう。
その表情は今にも泣きだしそうだ。
慌てて鞄に詰め込んだ教科書とノートが偏りすぎていて、チャックが閉まらないだけだ。
普通なら、すぐに気づくはずだ。
やっぱり、美佳の動揺は収まっていないらしい。
鞄の中の教科書とノートを入れなおすと、すぐにチャックは閉まった。
「ありがとう。翔琉ぅ」
クラスメートの大半はもう教室を出ていた。
廊下につながるドアに田中先生は立っていて、教室から全員が出て行くのを待っている。
教室の向こう側、廊下は教室より、校庭からさらに一段階離れている。
教室よりも廊下へ。
そして、さらに遠い体育館へと、みんなは急いでいるようだ。
走る事は禁止のはずの廊下を早足と駈足の間くらいの速度で、生徒たちが移動している。
「俺たちも急ごう」
そう言って、俺は床に置いていた自分の鞄を拾い上げた。
美佳が何度もこくり、こくりと頷きながら、鞄を手にした。