朝のひそひそ話
次の日、俺は滅多に見せない早足で、校舎の廊下を進んで行く。
始業チャイムぎりぎりの学校の廊下は、自分の教室に急ぐ生徒たちで、ある意味緊迫感がある。
俺の横には、少し息を切らせ気味の美佳がいた。
「ねぇねぇ。もう校舎の中なんだから、もうちょっとゆっくり歩こうよぅ」
そう言って、俺の右腕をぎゅっとつかんだ。
「始業のチャイムが鳴るだろう」
はっきり言って、俺の性格は5分前集合の男だ。ぎりぎりに教室に入るような真似は、ストレスだ。
昨日、お昼を一緒に食べようと言うメールを見ていなかった罰として、美佳から一緒に登校しようと誘われた。
いつも早めに登校する俺とは違い、美佳は時々遅刻さえしてくる。
それだけに、登校時間を俺に合わせる事を条件に、しぶしぶ承諾した。
それなのに、今朝、俺が美佳の家に迎えに行った時、準備ができておらず、まだパジャマ姿だった。
俺は美佳の家の前で待たせ続けられ、十分出遅れた上に、今日も学校の正門は閉じられたままで、裏門に回らなければならなかったのだ。
ストレスにはかなわない。俺は少し苛立ち気味に、足を速めた。
俺に追いつこうと背後で美佳の足音がぱたぱたと小走り気味になった。
1年4組。俺たちの教室が見えてきた。
廊下に面した教室のドアは開けっ放しだ。
始業前の教室はいつもの事だが騒がしい。いくつかの仲良しグループにまとまって、私語を交わしている。
だが、今日はちょっと雰囲気が違う。それは昨日とも違う。
昨日の教室の空気はいつもより華やかさに欠けていた。今日はそれ以上に、潜めいた雰囲気に満ちている。
なんだ?
そう思った俺は立ち止まり、教室を見渡してみた。
集まりあって、ひそひそと会話をしているクラスメートたち。そんなクラスメートたちは時折、一人机に座っている神南に視線を向けていた。
思わず足を止めてしまった俺の背中に、何かがぶつかった。
「いったぁい」
美佳の声だ。
俺が急に立ち止まってしまったため、俺の背中にぶつかったらしい。
「ごめん」
右手で鼻のあたりを押えている美佳に詫びた。
ちょっと頬を膨らませて、不機嫌そうだ。
「大丈夫か?」
鼻のあたりを押えている美佳の右手を掴んで、言った。
掴んだ手を顔のあたりから離して、美佳の鼻を見てみる。
少し赤っぽい気もするが、大丈夫そうだ。
「うん。大丈夫だな」
一人、そう言って、俺は頷いた。
「あ、あ、そう?」
そう言った美佳の目は泳いでいて、頬が赤くなっている気がする。
「ほっぺがぶつかったのか?」
「そ、そ、そんな事、あるわけないじゃん」
美佳は俺の腕を振りほどくと、俺を追い越して、自分の席を目指しはじめた。
美佳の後を追って行く俺は神南と目が合った。
やっ! そんな感じで、右手を上げようとしたが、神南はぷいっと横を向いてしまった。
俺は上げかけた手を止めて、肩をくるくる回して自分の仕草を取り繕った。
昨日の帰り、あんなに雰囲気がよかった神南なのに、今は今までの硬い神南以上に冷たい感じだ。
昨日の神南は幻だったのか? 昨日の神南を返せよ! と叫びたい気分だが、俺は冷静を装い軽く咳払いをして、自分の席を目指した。
「で、神南さんが襲われた理由は?」
「無事だったわけ?」
クラスメートたちは昨日の事件の事をひそひそと話しあっていたようだ。
直接、神南にきけばいいだろうと思わない訳ではないが、勉強ができて、まじめで硬い雰囲気の神南だけに、元々打ち解けあった感じのクラスメートはいなかった気がする。
誰も直接本人に、その話を聞きにくいんだろう。
いや、興味本位で神南の話をしているだけで、誰も神南の事を思っていないのかも知れない。
俺もその場にいた訳で、俺のところに誰かやって来ても、おかしくないはずだが、誰も来ないところを見ると、俺もその場にいたと言う事は広まっていないのかも知れない。
俺はひそひそとした話し声で満たされた教室の中、黙って自分の席に向かって行った。




