テロリストたちはクローンだと言う噂に、吹き出す俺
神南と別れてから、俺は一人で家を目指している。
駅から俺の自宅まで帰る途中に、美佳の家はある。
道路のその先にある二階建ての一軒家。俺の視界に美佳の家が入ってきた。
ちらりと視線を、その道路に面した二階の窓に向けた。美佳の部屋だ。
窓が開いている。しかも、美佳が窓から顔を出して、俺の方を見ているじゃないか。
「遅かったわね」
視線が合うなり、美佳が言った。
「ああ。色々あってな」
「お昼はどうしたの?」
お昼を食べていない俺は、その言葉で一気に空腹感に襲われたが、それ以上に美佳の口調と顔つきが不機嫌そうな事に気付いた俺の神経は、全てそのことに向かった。
美佳が怒っている理由は?
考えてみたが、俺には分からない。
「お昼どうしたのかって、聞いてるんだけど」
さっきよりも口調が厳しくなった。
「あ、ああ。色々あって、食べてない」
そう言った瞬間、美佳の目が光った気がした。
「そう。じゃあ、今から食べる?」
「はい?」
「もしかして、メール見てないの?」
慌ててポケットに手を突っ込んで、スマホを取り出した。
小さなLEDが青い明滅を繰り返している。
スマホを操作すると、メールが一通来ていた。美佳からだ。
「お昼にサンドイッチ作ったんだ。一緒に食べよう」
美佳が不機嫌な理由はこれだ。
「見てないじゃん」
「いや、だから、今日は色々あってだな」
「そんな事はもういいよ。で、食べるの?」
「もちろんじゃないか。は、はは」
俺はそう言って、笑顔を作ってみせた。他にどんな選択肢があると言うのか。
「そ、じゃあ、上がって来て」
少し引きつり気味の笑顔を見せている俺とはちがって、美佳は嬉しそうだ。
ごく一般的な二階建ての一戸建て。
「お邪魔します」
俺はそう声をかけて、ドアを開けた。
玄関にはすでに美佳がいて、俺を待っていた。
「翔琉君、いらっしゃい」
玄関から通じる廊下の先にあるダイニングから、美佳のお母さんが出てきて、そう言った。
靴を脱いで廊下に上がり、ダイニングを目指そうとした俺の腕を美佳が掴んだ。
立ち止まって、振り返ろうとした俺は美佳に後方に引っ張られた。
振り向き加減で、美佳に引きずられるようにして、数歩後退した。
そこにあるのは二階につながる階段だ。
「ダイニングじゃないのか?」
「私の部屋。ちょっと待ってて」
そう言うと美佳は俺の腕を離して、一人ダイニングに向かい、ラップがかけられたサンドイッチが乗った白いお皿を持って、戻ってきた。
「行こう」
美佳はそう言って、先に階段を昇りはじめた。
俺が数段遅れて、階段を上って行く。
スカートからのぞく美佳のふくらはぎから、太ももの後ろ側が俺の目の前の位置にある。
足好きの俺としては、上目づかいでついついその至福の光景を見ながら、階段を上って行く。
そんな俺の幸せを打ち破る色が、美佳のスカートの中から姿を現した。
光沢を持った紺色の物体。体操服の短パンをはいている!
制服のスカートの下に体操服の短パンをはいているのは知っていたが、私服の時まではいているとは。
少しため息交じりに息を吐き出すと、俺は上げていた顔を下げて階段に視線を落として、階段を上り続けた。
階段を上り終えた右側の部屋が美佳の部屋である。
部屋のドアを入った左側の壁に沿ってベッドが置かれていて、右側の壁に沿って、机と本棚が置かれている。
本棚に勉強とは程遠い、まんがにぬいぐるみが並んでいるのは、高校生になった今でも、小さい頃と変わっていない。
「座って」
そう言いながら、美佳は猫の模様が描かれたカーペットに座り込んだ。
俺は机の横においてある美佳の鞄に並べて、自分の鞄を置くと、サンドイッチをはさんで美佳の向かいに座り込んだ。
「どうぞ」
そう言いながら、美佳はラップを外して、俺の前にサンドイッチの乗ったお皿を差し出してきた。
「ああ。ありがとう」
手を伸ばして、サンドイッチを一切れ掴んだ。
薄くスライスされたサンドイッチ用の食パンに挟まれているのは、きゅうりにマヨネーズがからまったゆで卵だ。
俺の好物だ。昼を食べていないだけに、口の中を一気に唾液が満たした。
「いただきまぁす」
そう言って、手にしたサンドイッチを口に放り込み、一口かじった。
美味しい。
「で、色々何があったの?」
美味しさに包まれたていた俺の世界に、美佳の声が割って入った。
美佳に視線を向けると、俺をじっと見つめていた。
怒ってはいなさそうだ。
「ああ。それはだな」
俺はサンドイッチを食べながら、今日学校の裏門を出たところで起きた事件を話した。
「ええっ!神南さんが襲われたんだぁ」
「ああ。でも、学校で言うなよ。」
「分かってるわよ」
「で、だなぁ」
俺はそれから神南を送って行く事になった事を言おうとしたが、美佳に変に勘繰られるのを避けるため、止めておくことにした。
とは言え、話の途中で言葉を止める訳にも行かない。俺は続ける言葉を頭の中で探した。
「さすが日本の警察なんだ。テロリストたちの写真をもう持っていたんだ。
面が割れていたら、捕まるのも時間の問題だな」
俺はそう言って、一人何度も頷きながら、サンドイッチに手を伸ばした。
サンドイッチを口に運びながら、美佳に視線を向けると、やけににやにやしている。
「うん? どうしたんだ?」
「翔琉は勉強ばっかしてるから、知らないんだぁ」
美佳はやけに得意げな表情だ。
「何が?」
口に運ぼうとしていたサンドイッチを持った手を止めて、言った。
「テロリストと言われている人たちは、実はクローンだって話。
なので、テロリストたちの面は割れているんだよ。何でも、1号タイプと呼ばれるものが一番多く造られていて、種類は23号まであるらしいんだ」
「ははは。クローン?」
口にサンドイッチを入れてなくて、よかった。口に入れていたら、吹き出していた。
腹の底から、大笑いだ。
クローンなんて、技術的には造れるだろうが、人間のクローンなんて倫理的に造っていい訳がない。どこかの外国ならいざ知らず、この国でそんな人の道を踏み外すような事が行われている訳がない。
「どこで仕入れたがせねただよ?」
笑いながら言った俺に美佳はほっぺをぷぅっと膨らませた。
「あ、悪い、悪い。でも、どこネタ? って、言うか、誰ネタだよ」
「ネットで、ごめんね。簡単に信じちゃってごめんね」
美佳の顔が少し赤っぽい。怒っている感じだ。
「ごめん、ごめん」
そう言って美佳をなだめているつもりだが、笑いが止まらないだけに、美佳はますます不機嫌そうな顔つきになっている。
「もう知らない」
そう言って、横を向いた。
「それはそうと、このサンドイッチはうまい。うまい。まじヤバいよ」
とりあえず、ご機嫌をとっておこうと言うのが、俺の本心だ。
「本当に?」
美佳の口元はまだ不機嫌そうだが、とりあえず声だけは少し嬉しそうな感じだ。
「ああ」
そう言って、さも美味しそうに、サンドイッチをばくばくと口に運んで行った。




