白姫猫 1
「江戸の雨、何石呑んだ、時鳥ねぇ……」
六月もそろそろ終わりを迎えようとしている雨の中、昼間なぜか理科教師が口にしていた短歌を唐突に思い出し、知らず口にしていた。もっともどういう意味なのかわからない以上共通点が雨しかわからない。
ぱちぱちと先ほどコンビニで買ったビニール傘が安っぽい音を立てながら雨粒を弾いていく。
普段はビニール傘など使わないのでどこかこの音が新鮮な気がしなくもないのは果たして気のせいか。
ちなみになぜ俺がコンビニで売っているビニール傘など使っているかというと、今朝方まだ雨が降っていなかった登校時に黒乃のヤツが飛天御剣流とか言って斬りかかってきたのを防いだら、悲しいことに愛用の傘が折れたというか折られたからなのである。おかげで壊れた傘を学校の傘立てに寄贈するといった慈善活動までしてしまう始末である。もちろんこれはあくまで善意であって捨てたわけではないので、学校側にはどうかその辺好意的に捉えてもらいたい次第である。
少々風も吹いてるせいもあってか制服のズボンは裾の当たりが少々水を含んで黒くなっている。帰ったらすぐに乾かさないといけないだろう。いやそれ以前にたまった洗濯物を近くのコインランドリーに持って行かなくてはいけないな。そう考えると今すぐ天候よ変わってくれ、と言いたくなるがまあそれは叶わない願い事。
なんせ今は梅雨のまっただ中である。そうそう晴れ間なんて見せてはくれないし、この先もしばらく悪天候は続くとニュースでも言っていた。どうやら俺は勇者が魔王を打ち倒すために旅をするというある種のテンプレ的な法則並にコインランドリーに行かなくてはいけないらしい。
「しかし、この腕じゃなあ……ってまあほとんど治ってんだけど」
呟いて傘を持っていない左手へと視線を移す。
そこには包帯が巻かれ、ギブスで固定された痛々しい左手があった。もちろん骨折した患者のコスプレなどというマニアックなコスプレというわけもなく、実際に骨折というか、骨にヒビが入ったのだ。
事は約二ヶ月前。先月のゴールデンウィークでのことが成宮ママことアキノさんの耳に入り、「だらしないから私が鍛え直してあげるわ」という一言の元に始まった結果がこれである。
ゴールデンウィーク後から放課後、アキノさんの空いてる時間だけ無理矢理付き合わされ、最近まで訓練という名を借りたしごきに耐えていたのだが、二週間前、剣術の訓練中に誤って竹刀が左腕に直撃。その時は打撲で済むだろうと俺もアキノさんも楽観視していたのだが、数日経っても痛みと腫れが引かないため看てもらったら骨にヒビが入っていた。時間も経ちすぎていたため、治癒魔法もまともに効果がないとのことで仕方なく、入界管理局の息のかかった病院に通院することになり、今日も学校が終わったあと病院に向かっている最中なのである。
もっとも今日で包帯がとれるらしく、これが最後の通院だ。思い返せばこの二週間、ひどく不自由だった。利き手である右腕でなかったからまだマシだったものの、それでも片腕が使えないのはすごく生活し辛かった。何より骨折したことによりクラスで目立ってしまったのが、一番堪えた。
それもこれも黒乃のヤツが骨折した理由を『家の階段付近でバナナの皮を踏んで滑って、そのまま階段を転がり落ちた』というバカなこと言いふらしたからなのであるが。
おかげで俺のクラスでの認識が地味系の男子から地味系ドジっ子男子に変わり、今まで黒乃と一緒に住んでいるからという理由でやや険悪な雰囲気を漂わせていた男子から少し好意に話しかけられるようになるという利点を生みはしたが、女子からはなぜか『アッサーノ』といういまいち骨折と関連性のない不名誉なあだ名で呼ばれるようになってしまった。
本当に時が戻るならアキノさんの訓練に付き合う前に戻ってほしいものである。
もっともアキノさんの訓練も本気で拒めば付き合わずに済んだのだろう。しかしなぜそれをしなかったのかというと、気にはしていないつもりではあるが、無意識にゴールデンウィークのことが引っかかっているのだろう。
ゴールデンウィークの、あの黒乃の足を引っ張ってしまったような事の顛末。
もちろん黒乃が行ったのはただの窃盗で、逆にあの黒マスクに奪われて良かったようにすら思える。けど、それでも彼女のあの悔しそうな表情は、なまじいつも陽気なあいつだからこそああいった表情がより深く記憶に残っている。
だからきっと俺はアキノさんに付き合ったのだろう。
「はぁ……」
今更なことに気付いて思わずため息が漏れる。
まあどのみちいくら気にかかっているとしても気にしたところで意味もない。あれはどうあっても俺のせいではないのだから。何より俺の怪我によってアキノさんとの訓練ももう終わりだ。これを機に朝野蔵人は朝野蔵人の日常に帰って、平凡な、危険とは無縁なちょっと入界管理局と関係を持っているというだけの学生に戻らなくてはいけない。
まだ降り続く雨の中、ビニール傘が雨粒を弾く様を尻目に手に持った傘を握り直した。
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