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弱者の負い目 2

「はあはぁ……死ぬ。マジ死ぬとこだった……」


 橋を全力で駆け抜けた直後、息も切れ切れに大きく息を吐いた。

 市街地と美術館のある島を繋ぐ橋の中間地点では、今もいくつかの光が不規則に点滅したり、時折炎が上がるのが見えた。成宮、志水、そしてもしかしたらあの運転手が戦っているのかもしれない。

 一体何ものなんだ、あの黒ずくめの男、いや女かもしれない人物は。

 志水、成宮を同時に相手取っている時点で普通の人間ではないだろうが、異世界関係の人物だろうか? 

 いや、でもここは字源市からそれなりに離れた場所であり、別段目を引くような発展しているような都心でもない。ここで何か異世界絡みの事件があるとも考えがたいが、だとしたら何の目的があってここに。というか、そもそもあれは異世界関係の人物なのか。もしかしたら普通の人間の可能性もあるんじゃないか。

 酸欠によりというか、そもそも深く考えることに向いていないこともあるのだろう。様々な憶測が脳裏を()ぎっては消えていく。しかし、消え去るだけで一向にきちんとした答えにたどり着かない。


「いや、今はそんなことどうでもいいか」


 そこでハッと思い出す。

 そもそもこれは俺が考える事柄じゃないじゃないか。色々と考えを巡らせるのは俺の領分ではなく、志水や成宮といったヤツらに任せればいい。これ以上考えるのは身に余る行為だ。今俺がやるべきことは黒乃を呼んでくるだけでいい。それだけで今の状況は解決するんだ。

 先ほど俺を守ってくれた志水の顔が思い出される。

 そうだ。これには人の命が懸かっているんだ。例えあいつらが嫌いだとしても、ここで見捨てるほど悪い人間ではないし、なにより身近で人が死ぬのはもう見たくない。

 ゆっくりと深呼吸し、乱れた息を整えると同時に、気付かず震えていた足に力を込める。

 携帯電話はさっき黒乃にかけても無駄だったのでまたかけなおしても意味はないだろう。ならやはり、当初の予定通り直接あいつを呼びにいくしか手はない。


「たしか、美術館はあっちだったな」


 昼間の記憶を頼りにおおよそ検討をつけ、一気に地を蹴る。

 強化された足が体を宙へと跳ね上げ、再び地に足が着く度にまた地を蹴り、跳ねるように駆けていく。

 黒乃がどこにいるか正確には分からないが、目指す場所は昼間行った美術館でいい。おそらく現状ではあそこが黒乃がいる可能性が高いし、それ以外にこの離れ小島に施設はない。あるといっても並立している広場や海沿いの公園くらいのもので、そちらは気にするひつようはないだろう。


 (はや)る気持ちからか、ただでさえ常人にあるまじき身体能力だというのにさらに脚力が上がっていくのが自分でもわかった。

 黒乃があのオーブを盗むのを阻止する、という目的が変わり、志水達が黒マスクと対峙している間になんとか黒乃を引き連れ戻るという重荷が焦りを生んで俺を急かしているのだ。

 島のやや高台にある美術館に向かう歩道を抜け、十数段ある階段を一足で飛び越え、一気に美術館前の広場に躍り出る。

 と、その瞬間、やや離れた場所から目映い光が上がった。

 目を覆う目映い黄金の光。

 見紛うことなき黒乃の――エナジーの光だった。


「あっちか」


 光が上がった林の方へと方向を変え、急いでそちらへと向かう。

 林の中の木々を避けながら光が上がった方へと駆けつつ、何か妙な引っかかりを覚えた。

 なんでこんな林の方に黒乃がいるんだ? いやそれ以前になぜエナジーの光が上がったんだ? 

 在中の警備員程度、黒乃なら軽くあしらえるだろうから人相手には使ってないとは思うが、なら何に使ったのだろうか。人ではなく物だとしてもあいつの腕力なら大抵の物は壊せるだろうからまず使う必要はない。

 ……なんか嫌な予感がする。

 考えを巡らせるにつれ、胸騒ぎのようなものがしてるくると同時にここ最近俺に起きた物騒な事件が思い起こされる。


「いや、まさかな」


 呟きつつ、自分の中に渦巻く不安を抑えつける。 

 そんなしょっちゅうトラブルに巻き込まれるトラブル体質を俺はしていなし、何よりもうトラブルに巻き込まれてるわけで、それも黒乃の窃盗に続き、謎の黒マスクまで出てくるというダブルブッキングぶりだ。これ以上トラブルを望もうなど恐れ多くもおこがましい。俺という一般人にはトラブルなき平穏な日々がお似合いであって、過剰なトラブルとは縁もゆかりもないのが常道なのである……よってこれ以上何も起きないと願いたい。

 心の中で否定の言葉を並べつつ、光が上がった付近に近づいて、そこで足を止めた。


「……なんだこりゃ」


 目の前の光景があまりに異様だった。

 抉れた地面に倒れた木々。木にはまるで何かが爆発したかのような(あと)が刻まれ、僅かに火のついているものすらある。

 何より倒れた木には大きな切り傷がついており、倒れた木々のほとんどが幹から切断されたものだった。


「おいおい、何があったんだよ……」


 少なくともここで自衛隊の戦闘訓練があったとも思えないし、居合いの達人が密かに人目を忍んで鍛錬していたというわけでもあるまい。

 であればというか、そもそも考えるまでないというか。最初から答えは出ているのだ。

 間違いなくこれをやったのは黒乃だろう。この惨状を見れば大体は予想がつく。

 が、しかしだ。曲がりなりにも盗むと言ったやつがわざとこんな目立つようなことをしているとも考えがたい。

 ……そうせざるおえなかったのか?

 こんな風に目立つことを避けられぬほどの事態が起きてしまった。いや、だが相手は黒乃だぞ。魔術師(ウィザード)やエルフといった種族が束になっても敵わないあいつを手こずらせるヤツなんているわけがない。

 なら一体――


「っ!」


 瞬間、やや離れた場所から何かが飛来し、近くに設置してあった公衆トイレへと突っ込んだ。

 まるで発砲スチロールのように砕けたトイレに何やら人影のようなものがうっすらと確認できた。

 ――ってヤバい!

 突然のことで呆けていた頭をすぐさま切り替え、近くの茂みの中へと体を滑らせる。

 どうやら瓦礫に埋もれた男はこちらに気付いてはいないらしく、呆然と飛んできた方へと顔を向けている。

 遠目でよくは見えないが、瓦礫の中の男の見た目は少々異様だった。

 白い髪にまるで工作員のような黒い服。どう見ても一般人と言える風貌ではなかった。

何だあの男?


「あちゃー、器物破損しちゃった」


 この場に似合わない呑気な声が、ゆっくりと近づいてくる。ややボロボロになった見覚えのある衣服に、手には黄金に輝く大剣。紛う事なきを黒乃(バカ)だった。 

 ()(れき)を蹴り出す音とともに、白髪の男がゆっくりと埋もれた体を起こし、黒乃を睨みつけ、刃がボロボロになってもはや使い物にならないようなナイフを構える。

 そんな男に呆れた視線を向けながら黒乃が気にした風もなく近づいていく。


「!」


 っと、青年が手に持っていたナイフを黒乃に投合し、そのタイミングで青年が片方の手に握ったナイフで突きを繰り出してきた。

 投げたナイフと男の手に持つとナイフが同時に黒乃へと襲ってくる。

 自分の顔目がけて飛んでくるナイフを大剣で弾き、次に刺突による一撃をナイフを持つ手の甲へ自らの手を押し当てることで逸らし、続く動作で男の胸部へと膝蹴りを喰らわせた。


「がッ――」


 見るからに容赦のない一撃に苦悶の声を男が漏らす。いや、死んでない分、黒乃のやつ容赦はしているのかもしれない。だが、あれを常人が喰らったひとたまりもないのは見るだけでもよく分かった。それだけでも黒乃と対峙しているあの男の異常性が窺い知れた。

 嫌な汗がゆっくりと全身を濡らしていくのがはっきりとわかる。手に汗握るなどというものではなく、言うなればこれは冷や汗の類い。

 ……こいつは違う。黒乃とは違う……でも、明らかに何か違う。

 はっきりと言葉にはできないが、とにかくこの男が危険なのはわかった。

 一歩、二歩とおぼつかない足で後退する男の背から、黒乃がリュックを取り上げる。


「きっ、貴様……」

「残念だけどこれ返してもらうから」


 馬鹿にしたような笑みを男へと向け、黒乃がリュックから昼間見たオーブを取り出した。


「これはあなたが持つには過ぎたものだよ。――いや、そもそも人が持つべきモノじゃないんだよ、これは」


 数瞬、何か感情のこもった視線をオーブに向けたあと、黒乃が再び男へ視線を向ける。


「さあ諦めて大人しくして。別に殺そうとは思ってないから。ただ訊きたいことがあるだけ」

「悪いが、それは返してもらう!」

「!」


 まだナイフを隠し持っていたのか、取り出したナイフを黒乃へ投げると同時に、地を蹴り黒乃に突貫する男。手には投げられたナイフと同じ物が握られている。一体いくつナイフを持っているんだよ、あの男。

 しかし、不意を突いて振るわれたと思わしきナイフは黒乃に当たるどころか掠ることもなく避けられ、代わりに黒乃によって腹部に掌底を打ち付けられ、公衆トイレの近く――というか俺のすぐ横の茂みへと飛ばされてきたって――えええええ!


「っ!」


 思わず漏れそうになる声を必死に抑え、飲み込む。あ、危ねえぇ……もうちょっとで声が出るところだった。

 声を必死に抑えたおかげか、そんな俺には気付いてないのか、男が再びゆっくりと体を起こす。


「なっ!」


 しかし、それは俺の勘違いだった。

 瞬間、男と俺の視線が合った。

 まるで触れただけで切れそうな、刃物のような目が味わったことのない異質な重圧を伴って俺の目を見据える。

 目が合っただけではあるが、その目には確かに今し方黒乃に向けられていたであろう殺意と憤りが宿っていることは、俺のような凡人にも理解できた。

目が合ってまだコンマ一秒も経っていないのにまるで時間が引き延ばされたかのように時間の経過が遅れているように錯覚すら覚えてしまう。

 ただ視線が合っただけなのにまるで吐き気を催すような苦痛。

 自然相手に動物が立ち向かっているような絶対的なまでの力の差を永遠と味あわされるのでは、と思った瞬間、死と隣り合わせの息苦しい刹那はこの重圧に耐えきれなくなった俺によって破られた。


「――ひっ」


 裏返ったような情けない声が、俺の意思に反して口から漏れると同時に反射でつい体を起こしてしまった。


「ん――ってクロード!」


 俺に気付いたのか黒乃の声が聞こえてくる。


「なんでここにいるの!」


 驚きの声を上げる黒乃。いきなり突きつけられた恐怖からか思わず聞き慣れたその声に少し安心してしまう。

 しかし、その安堵は束の間だった。


「え」


 意識が黒乃に向いた直後、白髪の男が知覚できない速さで俺の後ろに回り、俺を後ろから抱きしめるような格好になった。

 あまりに突然のことですぐには状況を理解できなかったが、首筋に僅かに触れた冷たい感触からナイフを突きつけられたのだとわかった。


「え、あの、え?」


 な、なんで、こいつ俺の首にナイフなんて当ててるんだ……?


「黙れ」


 あまりに唐突で埒外のこと起きたせいで漏れた混乱の声を男の低い声がかき消す。

 感情を排した真剣味を帯びた声がこの上ない恐怖となって俺から抵抗するという意思を一瞬にして奪っていく。

 そもそも抵抗できるはずがない。

 ヴァーリーを使用し、身体能力が上がっている状態であるはずなのに腕を回され、肩を掴まれているだけだというのにまったく体が動かない。まるで万力にでも挟まれたかのような感覚だ。これでは背にかけたヴァーリーを掴むことすらできない。

 それ以前に黒乃とやりあっていたヤツに捕まえられているという時点で抵抗など無意味としか思えなかった。


「やはりか。美術館で使徒といたガキだな」


 感情を殺したかのような抑揚のない声がすぐ耳元で聞こえ、やや間を置いて男がそういえば、と何かに納得したような呟きを漏らした。


「先ほどの声を聞くになるほど。貴様は使徒の協力者とでもいったところか。それもそれなりに近しい」

「し、使徒? なんでおまえがそれを……」


 一般の人間では知ることのできない隠された秘語。それをこの男は当たり前のように口にした。

 こいつ、黒乃が災厄の使徒だと知っているのか。そもそも黒乃とやりあっていた時点で一般人ではないと思っていたが、まさか『使徒』という単語を出してくるとは驚いた。


「あんた、入界管理局の人間か」

「……」


 沈黙ははたして肯定の意味なのかそうでないのか。どちらにもとれてどちらにもとれない答えだった。が、少なくとも入界管理局という組織に一応所属している俺からすればその返答は否定の意だと思った。


「ち、違うよな。あんたみたいなヤツ入界管理局の中で見たことないもんな」


 少なくとも日本支部にはいなかっただろう。それに漠然とだが、俺の感じている入界管理局のイメージとはこの男は何かが違う。


「入界管理局? いやそのコートまさか!」


 瞬間男の顔が曇り、いきなり俺のズボンのポケットに手を突っ込んできた。太ももをまさぐる感触がこの場には不釣り合いな不快感を生み出してくる。

 一通り突っ込んだ後、男がポケットから何かを取り出した。正直何を入れていたのか俺自身さえ忘れていたので、何を取り出したのかは俺にもわからない。


「やはりか」


 言って男が取り出した物を見て、思い至る。


「入界管理局が使徒に協力とはな」


 そう。男が取り出したは数時間前ホテルで成宮と志水から貰った入界管理局のIDカードと手帳だった。入れっぱなしだったのか。


「いや、それはないか。ともかく厄介なことになった」


 呟き、顔を渋くして男が黒乃のほうに再び視線を向ける。


「無駄だとは思うが、一応問う」


 そして男が驚きの言葉を口にした。


「使徒、このガキを殺されたくなければオーブを渡せ」

「へ?」

「なっ――」


 男がそう口走った瞬間、黒乃の顔が曇り、同時に俺の顔が驚きから一瞬にして凍り付いたのが分かった。え、まさか人質にされたのか、俺。


「その子にそんな価値あると思う?」


 挑発したような黒乃の声。顔には薄い笑みを浮かべ、男の言葉など関係ないとでもいう調子。

 え、黒野さん、マジで! いやマジで!

 その言を葉聞いた瞬間、首に冷たい物が触れてくる感触がわかった。


「おい、黒乃! おい!」


 男の存在など忘れて自らの生存のために黒乃に叫ぶ!

 が、しかしその行動は逆効果だった。


「黙れ、ガキ」


 今まで俺の首に当てていたナイフを口で(くわ)え、空いた左手で今まで俺の背中の後ろで押さえていた両腕のうち、左手を男が掴んだ。そして勢いよく左手を下に引いたと同時にいきなり上でに引き上げた。


「――がっ!」


 瞬間、奇妙な音が聞こえた。押し寄せてくる味わったことのない激しい痛みに抑えようのない可笑しな声が上がる。

 か、肩が熱い、痛い痛い痛い痛い!


「う、うぅ……」


 情けなくも目尻に涙が浮かび、左肩を激しい痛みが(さいな)む。


「クロード!」


 嗚咽にも似た声が漏れた瞬間、黒乃が先ほどの挑発したような声とは打って変わって焦ったような声で叫ぶ。


「ほう」


 それを興味深げに見つめた男の口が僅かにつり上がるのが見て取れた。


「クロードに何をしたの!」

「なに、肩の関節を外しただけだ。そう焦る必要もない。だが――」

「うっ」


 男がだらしなく垂れた左腕男が持ち上げる。腕を動かすこともできないのに激しい痛みが襲ってくる。


「次は腕の一本、いやそもそもこんなガキに用はない。殺すかもしれないな」


 男の淡々とした口調がこいつは本気でやるという、持ちたくない確信が持て、恐怖から全身がまるで動くことに拒否反応を起こしてるかのように震えて動かなくなった。


「くっ――」


 歯を食いしばるような表情で手元のオーブと俺を見る黒乃。

 黒乃の持っているあのオーブがよほど重要なモノだというのは黒乃の様子から分かっている。どれほど重要なのか計りかねるが、もしかしたら人命などどうでもよくなるほどのモノなのかもしれない。

 だとしたら俺は、ここでもしかしたら殺されるのか?

陰鬱とした想像がこの上ないマイナス思考となって頭を過ぎる。浮かぶのは死のイメージばかり。

 助かりたいと思う反面、助からないのではという恐怖が悲観的な思考に拍車をかけ、結果死というイメージを強くしていく。

 声も出せなくなるほどの死の境地。 

 先月の銀行強盗もその前のグールの事件も霞むような現実的で非日常的な二つを伴った目の前の死。

 それは平凡な世界で生きてきた俺にはあまりにも重すぎた。

感想や評価、アドバイスなどもらえたら勉強になると同時に嬉しくもあるので良かったらお願いします。

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