略奪されし強奪者 2
「!」
瞬間、黒マスクの横合いにクロノスが現れた。
先ほどの黒マスクの動きが一瞬ならばこれはまさに刹那。
コンマ数秒の世界でクロノスは未だ自分を知覚できていないであろう黒マスクを捕縛するために手を伸ばす――――が。
「え?」
間の抜けた声がクロノスの口から漏れた。
黒マスクを拘束しようと突き出した右手はしかし、黒マスクによって手首を捕まれていた。
腕を通してクロノスの進退を封じた状態で黒マスクが空いた左手で手刀を繰り出してくる。
狙いは先ほどと同じく動物の急所のひとつである喉。
至近距離で繰り出される必殺の一撃――――いや。この場合はクロノスでなければ必殺というべきか。
驚きから反応が遅れ、躱すことができなかったクロノスの喉元に手刀が突き刺さる。
「!」
直撃と同時に掴んでいた右腕を離し、距離をとる黒マスク。その目は今し方クロノスの喉元に突き刺した左手を凝視している。
「――――ゴッ。ゲホッ、コホッ……」
一方クロノスは僅かに咳き込み、喉元をさすりながら黒マスクを見る。
今の一撃は別段特別な工夫が加えられたものではなく、ただ単純な手刀による突きではあった。しかし、威力が桁違いだった。
常人の域を超えた頑強さを持つクロノスに生身で一撃を与え、咳き込ませるなどそれだけで目を見張るものがある。その上その一撃を加えた黒マスクの手にはこれといった手傷はない。それは黒マスクがクロノスの頑強さに耐えうる体であるということだった。
驚きの色を多分に含んだ目で黒マスクを凝視しながらクロノスの脳内にひとつの憶測が生まれる。
が、それはありえないと違う憶測を探すが、答えが出ることはなかった。
「まあ、捕まえればいいか」
答えが出ないことを考えても仕方ない。クロノスは思考を放棄し、とりあえずはオーブを強奪し、その過程で黒マスクを捕まえることにした。
「……何者だ」
と、よく耳を凝らさねば聞こえないようなボソボソした声が不意に聞こえた。考えるまでもなく声の主は黒マスクだ。
「何者だ、貴様」
先ほどより声量を増した黒マスクの声がクロノスの鼓膜を振るわせる。男性特有の低い、けれど芯があるよく通る声だった。声の質からしてまだ青年と呼べる年齢だろう。
この声を聞き、クロノスは男に対する認識を『黒マスクの人物』から『黒マスクの男』へと切り替える。
これで男女の区別ははっきりとした。しかし、まだわからない。この黒マスクの男が一体何者なのか。それはオーブの次に優先すべき事柄だった。
「別にあなたとご同業の強盗だよ、お兄さん」
「黙れ。何者だと訊いている」
クロノスの茶化した言い方が気に障ったのか、静かながらも先ほどより低い声が男の口から漏れる。
クロノスが小さく「だから強盗だって言ったのに」とボソボソ呟く。
「じゃあ逆に訊くけど、あなたこそ何者? 多分、普通の人間じゃないよね?」
口調こそは軽いものだったが、声にはどこか詰問するような響きがあった。
「……」
男の沈黙は答える気はないという意思表示か。
「そう。なら私も答える義理はないよね?」
「……そうか。お互い答える気はないというかわけか。ならば――――」
両者の意向は一致した。しかし、お互いの主張通りにはいかず。
それに痺れを切らしたのか、先に黒マスクの男が動いた。
後方へと下がり、クロノスと距離を取ったと思ったら素早い動きで背にあるリュックに手を入れ、何かを取り出した。
「――――力尽くでいく」
その手には金属特有の光沢を放つ、黒光りした銃が一丁握られていた。それも拳銃という類いではなく、シルエットで判断するならば短機関銃と呼ばれるもののようだった。
この世界の武器に造詣があるといわけではないが、テレビで自衛隊というこの国の防衛組織に関するニュースをやっていた時に同じような形状の物を見かけたし、駅前の中古本屋で立ち読みをしていた際に見ていた漫画などに出ていた物にもそっくりだ。
「……先月も思ったけど、この国って銃とか駄目だったよね、たしか」
まあ入界管理局は別として、と付け足そうとしたところで黒マスクの男が銃口をクロノスに向け、躊躇いもなく引き金を引いた。
マズルフラッシュとともに銃弾が勢いよくクロノスに向かって放たれる。
「――ッ」
瞬時に地を蹴り、横合いに振り払うように放たれた銃弾の下を潜るように躱して黒マスクに肉薄する。
いくら近接戦闘を想定して造られた物とはいえ、その距離が手の届く範囲となれば別の話だ。
銃器とは遠距離の敵を殲滅することを目的に造られた物に過ぎない。例え近接戦闘を想定されたものとはいえ、あくまでそれを派生させたものだ。純粋な近接戦には向いていない。そこをうまく突けば黒マスクをすぐに無力化できるだろう。
闇の中に幾重もの光が瞬き、迫り来るクロノスに鉛玉が撃ち放たれる。その悉くを見切り、蛇行気味に黒マスクの男の懐に潜り込む。
「……ちっ」
黒マスクの男の舌打ちが聞こえるぐらいの距離に近づき、手を掌底打ちの形にして腹部目がけて打ち出す。
「――この!」
当たる直前、黒マスクの男が打ち出した手を逸らすように、今まで握っていた銃から左手を離し、クロノスの手を打ち払った。
「へえ」
思わず感嘆の声が漏れる。
まさかここでやるとは。自分の予想よりも上をいった黒マスクの男の反応の早さに素直に関心していると、黒マスクの男が空いた左手を再びリュックに手を入れたと思ったらもう一丁の短機関銃を手にし、取り出すと同時にその銃口を瞬かせた。
「両手持ちのやつを片手で撃つなんてね」
当たる直前にコートで体を覆うようにしながら、十メートル後方へと飛び退く。
コートに当たった弾がパラパラと地面に落ちていく。
「……魔法具か」
黒のマスクの男が呟き、クロノスのコートを見る。
「ご名答、その通り」
見せびらかすようにクロノスが対物理障壁、対魔法障壁を付与されたコートをはためかせる。
「……面倒だな」
言うが早いか黒マスクの男が再び走り出す。クロノスから逆方向へ走っているということは逃げる、ということだろう。
「させないってば!」
黒マスクの男に合わせるようにクロノスもその後を追う。
場所は徐々に博物館前の広場から移動し、木々が乱立するエリアへと移動していく。
目の前に現れる木々を華麗に躱しながら黒マスクの男を追う。相手も同じように軽い身のこなしで木々を避けながら、時折クロノス目がけて短機関銃二丁を連射させてくる。その動きからは男の持つ身体能力の高さの異常さがよく感じられ、さらに男に対する疑念が積もっていく。
……このままでは時間が掛かかりすぎる。
そう思ったクロノスは地面を踏みしめる足にさらに力を込め、一気に黒マスクの男との距離を詰める。
「これほどとは……」
僅かに後ろを振り返り、唐突に走っていた黒マスクの男が膝につけたポーチから何かを取り出す。と、追ってきているクロノスの方に何か投げ、木の幹へと体を隠したと同時に激しい光と爆音が炸裂した。
「……ッ、これは!」
視覚と聴覚が僅かにあやふやになる。常人ほどではないにしろ僅かに感覚が麻痺し、辺りの状況が掴めなくなる。
「ヤバい、逃げられる」
「悪いがこれで逃げられるとは思っていない」
微かに聞こえた言葉を男の声だと認識したその瞬間、クロノスの直上――木の枝に飛び乗った男からクロノスに豪雨の如く銃弾が降り注いだ。
コートで身を覆いながら銃弾の雨に耐える。
が、それも終わりだ。この障壁の付与された魔法具にももちろん耐久力がある。こうも連続的に銃撃されてはすぐに限界に達してしまう。黒マスクの男もきっとそれが狙いに違いない。
ガラスの砕けるような音が僅かに聞こえ始めたと思ったらそれが徐々に大きくなり、ついには当然の如く砕けた。
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