三次元鬼ごっこ 4
今さらながらに思うとあの美術館に行った意味はあったのか。あるとしたらその意味とは?
しかしそれは俺が考えても分からぬことで、心当たりもなければそもそもそんなことに思考を割くのも面倒なのでとりあえず頭の隅に追いやる。無駄なことは深追いしないに限るのだ。
隣の席から聞こえてくる下手なハミングをBGMにして、バスの窓に映る街並みを眺めているといつの間にか、ホテル近くのバス停に着いていた。
「はあ~、やっと着いた」
隣で伸びをしながら立ち上がる黒乃に続いてバスから降りてホテルへと歩いていく。
日は傾きつつも、夏に近づいてるせいもあってか、仄かにくらい外を街の明かりが華やかに飾り始めた午後六時。
実に半日ぶりぐらいなのに妙に長い時間出掛けていたような気がするのは気のせいか。それはきっと気のせいではなく、逃げ回ったり、抱えられてビルからビルへと移動したりと密度の高い半日を過ごしたからに違いない。
楽しければそれは短く、苦痛であればそれは長く。世の中実に思うようにいかないという表れだ。
だがまあ、それも今日で終わりだ。明日黒乃がどこに行くと言っても俺は絶対ホテルから出る気はない。ただでさえ月初めから無駄に出費をしてしまい月末が危ぶまれるっていうのに、外にでれば必ず何かにお金を使うはめになる。これ以上は無駄に出費はしたくないし、外は現在黒乃に続く厄介事入荷数ランキング第二位の入界管理局の二人が徘徊していて危険極まる。ともすれば取るべき手段はひとつ。籠城しかありえない。
よって明日は持って来た携帯ゲームや文庫本やらで時間を潰すとしよう。バスの中で聞いた黒乃の話によるとホテルをとったのは明日までのようだし、一日ぐらいなんとかなるだろう。
賑わう歩道をしばらく歩くと今日最後の目的地であるホテルが見えてきた。とりあえず部屋についたらパパッと夕食を食べてゆっくりベッドに横になろう。
ホテルに入る前にこの後の行動方針を決め、自動ドアを通りロビーへ移動へ。
ロビーの奧の方にあるエレベーターに向かおうとした時、
「ずいぶん早かったわね。朝野君」
聞き覚えのある声が不意に聞こえた。
振り向くとロビーの入り口側にあるソファーに志水と成宮が座っていた。
なんでこいつらがいるんだよ。と思ったが、よくよく考えれば二人は入界管理局所属の非一般人。俺たちがこの街にいたのも嗅ぎ付けてきたくらいである。泊まっているホテルくらい見つけるのは造作もないことなのだろう。
だとしたら昼間の努力はなんなのか。途端に無駄に動き回ったことに対しての後悔が押し寄せてきたが、今さら悔やんでも仕方ない。今はどうこの事態をやり過ごすかだけに集中するべきだろう。
「お久しぶりですわ、朝野さん。昼間はお世話になりました」
呆れたように成宮が言い、続いて皮肉交じりに志水が言い微笑んでくる。なんというかマズい空気だ。
「え、えと、どうも」
「何がどうもですか!」
どう返したらいいものかと思案しながらとりあずそう返すと、まるで待ってましたと言わんばかりに志水がバンッとソファーの前に備え付けられたガラス製のテーブルを勢いよく叩いた。そんなに勢い良く叩いたら割れるぞ、おい。
「こっちは真面目な話をしようとしているのに勝手にいなくなり、挙げ句見つけたと思えば今度は逃げて。なんて人ですの!」
「あ、いやあの、あれは黒乃が無理矢理行こうと言い出してだな……」
「別に無理矢理行こうとは言ってないよね」
「うるさい、ちょっと黙ってろ」
隣から口を挟んでくるが、すぐに我関せずといった顔を作る黒乃。視線で助けを求めてみるが、元凶は元凶だけあって当たり前のように頼りにならない。
はて、どう説明もとい言い訳しようかと考えていると、成宮と志水が立ち上がった。
「とにかくわたしたちについてきてもらえるかしら?」
「どこへ?」
「わたしたちの部屋によ」
「あんまり俺たちの部屋と変わらないな」
「それはそうよ。朝野君のたちの部屋より少し高いけど基本は同じものだもの」
案内されたのは俺たちの部屋より四階上に位置する七〇四号室。
よく見るとたしかに値段が違うようで少しだけ仕様が異なっている。加えて窓からの夜景は俺たちの宿泊している三〇六号より上に位置するためかネオンの光がより一層その数を増して輝いているのが見て取れる。何よりベッドが二つあるのが羨ましいことこの上なかった。
「とりあえず人数分座る場所がないからベッドにでも座って」
「あ、ああ……」
「じゃあ私、窓側っと」
二つ並んでいるベッドのひとつに俺、もうひとつに黒乃と腰掛けていく。成宮と志水は窓際に備え付けられたのソファーに腰を下ろした。来客である俺たちをソファーに座らせないあたり、もしかしたら昼間の仕返しのつもりかもしれない。
ちなみになぜ黒乃がいるのかというと、別に俺の付き添いというわけではない。自分には関係ないから、と言って早々に俺だけ残して部屋に帰ろうとしたところを成宮に声をかけられたのだ。
つまり、これからここで話すことは黒乃にも関係のある話なのだろう。それでなくともこれから話すことは入界管理局絡みのことなのは間違いないく、それも多分昼間のことに対する説教だけではない。でなくてはわざわざ場所を変える必要はないからな。
「それで、わざわざ部屋に連れ込んでまで何を話すんだ? 説教だけじゃないんだろ」
「朝野君にしては察しが良くて助かるわ。そう。朝野君たちを呼んだのは昼間のことについてじゃないわ」
「え、じゃあ昼間のことなかったことにしてくれるのか?」
「別に昼間の件をなかったことにしようとは言ってないわ……おかげで結構苦労したしね」
ジトッとした目を向けてくる成宮。……あとで飲食代は返しておくか。
「でも今はそんなことより重要なことがあるの。……成宮さん」
「ええ」
言って腕にはめている一見時計のような武装転送端末を操作し出す志水。
数秒後、空中に十九インチくらいのモニターが浮かび上がった。
「これを見て」
言われて視線をモニターに向けると、何やら倉庫のようなものが映っていた。
「えと、何これ」
「字源市にある自衛隊の駐屯地よ」
「は?」
なぜそんなものを俺に見せる。入界管理局とは胸を張って腐れ縁と言える関係性を持ってはいるが、自衛隊とは関係どころか関わりをもったことすらない。自分でも知らぬ間に関係していたのでは、と思い記憶を探ってみたがやはり何も思い浮かばない。
しかし、志水と成宮経由でこんなものを見せられている手前、入界管理局絡みのことなのは間違いがない。とすると自衛隊と入界管理局は関係を持っているということなのだろうか?
「えーと、もしかして入界管理局と提携でもしてんの? 自衛隊って」
「え? ああ、まあ日本政府を通じてある程度の協力関係はあるけど、非常時以外は無関係と言っていいわ。どうしたのいきなり?」
「いや、いきなり自衛隊の駐屯地が映ったからさ……」
「心配しなくていいわよ。今回の件と入界管理局は無関係とは言わないけど、入界管理局の管轄ギリギリだから」
すみません、成宮さん。俺にとっては自衛隊より入界管理局の方が心配なんですけど。
「もう! せっかく成宮さんが説明しようというのに水を差さないでくださる?」
と、空中投影ディスプレイを投影させていた志水が俺の方を睨んだ。
「成宮さん、説明代わりますわ。多少強引にもでも説明しないと先に進みませんから」
ディスプレイを投影している武装転送端末を成宮に渡して志水がコホン、と咳払いする。自分でも理解能力が高いとは思っていないが、あんまりな言い分である。
「先ほど成宮さんが言ったとおり、映っているのは字源市の自衛隊駐屯地ですわ」
「うん、それさっき聞いた」
「だから成宮さんが言ったとおりと言いましたわ!」
くわっと目を開いて怒鳴ると、はあと呆れた風に溜息をついて志水が再び説明を再開する。
「……はあ。話を戻しますけど、先月この駐屯地で重火器が何種類か奪取されましたましたの。犯人の正体は、組織、目的とともに不明。以前これといった手がかりは何も掴めていませんわ」
「へー、物騒だな」
「……完全に他人事ね」
呆れたとばかりに成宮が溜息をつく。
事実他人事なので別にこの反応がおかしいとわけでもないだろうに、なぜそんなに呆れられるのかさっぱりわからん。加えて志水も再び溜息を漏らす始末。成宮共々よく溜息をつくものだ。溜息ばかりついていると幸せが逃げるというこちらの世界の法則を知らないのか、こいつらは。
そんな二人の態度に何か言い返そうかと考え始めたところで、先ほどの志水の説明に引っかかる部分を見つけた。
「……ていうか、さっき組織って言ったか? その盗人はどこかの犯罪グループとかなのか?」
「詳しい事はわかっていませんけど、間違いないと思われますわ」
ディスプレイに映し出されていた画像が切り替わる。新たに映し出されたのは何やら読めない文字で書かれたラベルを貼られた瓶の画像。多分、こちらの世界の文字じゃない。
「先月の――――わたくしと一緒に巻き込まれた銀行強盗の件、覚えておますわよね?」
「ああ、当たり前だ」
忘れたくても忘れられない、グール事件のあとに起きた今年、というか人生で二度目の死と直に隣り合った忌まわしい記憶。今となっては終わったことではあるが、思い出すだけで未だに気分が悪くなるほど俺に強い印象を与えた厄介な出来事だ。
正直あまり思い出したくなかったのだが、どうして今ここでそれを話題にあげるのだろうか。志水にとってもいい思い出ではないはずなのに。
「それがどうかしたのか?」
「ええ。今回の事件と先月の銀行強盗の事件――――関係があるかもしれませんの」
「は?」
先月の強盗事件とこの自衛隊駐屯地の件が関係あるだと?
「いやいやいや! それはないだろ! だって銀行強盗と武器強盗だろ? たしかに強盗は強盗だけど、それくらいしか関係ないだろ」
「それが犯人の記憶に不可解な点があって、もしかしたらと入界管理局で調べましたら、アザロニア条約で禁止された、海馬部分に影響を与える薬剤を投与されていたことが分かりましたの」
アザ……え、何その悪魔と交わしたような条約。なんか怖いんですけど。
「……悪い。その、アザゼル? 条約? それ何?」
「そんなことも知らないんですの?」
先ほどよりレベルが上がった深い溜息をつき、俺を志水が見る。これ以上溜息をレベルアップさせたら酸欠でもするんじゃなかろうか、こいつは。
ていうか、そんな条約これまでの教育課程で習った覚えがないんだが。
「すみませんね、知らなくて」
皮肉交じりでそう言うと、仕方なさげに志水が俺を見た。
「簡単に説明すると使用が禁止されている薬品が犯人に使われていたってことですわ。まあ薬品といってもフィロソフィア製の物ですけど」
「なるほど」
なら俺が知らないのも頷けるというか当たり前だ。なのに知っているも当然とばかりに話すとはどんだけ横暴なんだか。万に一つの確立で職に困っても、志水は絶対将来塾講師なんかにはなれないな。
「で、その薬品がどうやったら自衛隊の件と強盗事件に関連してくるんだ? 別に強盗犯に使われていても自衛隊の件と関係ないだろ」
「関係はありますわよ。自衛隊の隊員にも同じ薬品が投与されていましたから」
……マジかよ。
「えーと、それってもしかして二つの事件の犯人は共通……ってこと?」
「それはわかりませんけど、間違いなく無関係ではありませんわね」
「それで黒乃さん。あなた何か知らないかしら?」
どこか鋭さを妊んだ視線を成宮が黒乃に向ける。黒乃が災厄の使徒であると知りながらそんな強気な視線を向けるなんて、黒乃をビビっていた少し前からは想像できない変化である。まあそれだけこいつが信用されているっていう証拠なのかもしれないが。
「残念だけど、初耳。知ってることは何もないよ」
「そう」
短くそう言い、成宮が少し残念そうな顔をする。表情からしてどこか黒乃に期待していたのかもしれない。
とまあ、それはともかく。
ただの、というには語弊があるが、一般の事件だと思っていた強盗事件がまさか異世界に絡んでいたとは思いもしなかった。
というかこれはヤバい。酷く面倒臭い方向へシフトしていってるような気がする。いや、気がするではなくこれはきっと間違いなくそうだ。ここ最近で鍛え上げられた俺の面倒臭いレーダーが警戒音を止めどなく垂れ流し続けているのだから、そこそこ断言できる。
「…………」
部屋の調度品になったとばかりに口を閉ざす。
下手に口を開いたら危ない。この話題をこれ以上続けたらきっとロクでもないことになる。ここはあくまで「そんなことがあったんだー」ぐらいの他人事感覚で捉えて早々にこの会話を切り上げ、なあなあの内に終わらせるのが得策だろう。
そう自分の中で結論づけて、さっそく行動開始。
ズボンのポケットから携帯を出して、画面を見る。
「あー、もうこんな時間か。ヤバいな。昨日寝るのが遅かったかすごく眠いな……悪いな、二人とも。昨日はあんまり寝てなくて、おまけに今日は色々あったから凄く疲れた。部屋に戻って寝ていいか?」
ふあぁ、と欠伸をして目を擦る。
さて、これで「わかりましたわ。今日は朝野さんも疲れているみたいですし、明日にしましょう」なんて返答が返ってきて、明日に先延ばしになるはずだ。そしてそのまま明日は部屋に籠城。仕方ないので成宮たちは明後日に話題を先送り。で、さらに先送り。いつの間にか二人は忘れている、といった戦法だ。人間どんな大事なことがあっても時間が経つと忘れてしまうものなのだ。
「話が終わったあとならいいわよ」
キッ、と今まで俺と同じく志水の説明を聞いていた成宮が鋭い視線を向けて言った。その視線や恐ろしく、「もう逃がさない」とでも言ってるように感じられるほどだ。
「あー……了解です、はい」
作戦失敗。酷く面倒だが、どうやらこのまま話が終わるのも待つしかないようだ。
「で? そんな話をわざわざこんな所まで来てするってことは俺に何か用があるんだろ?」
でなくてはこんな所まで俺を追いかけては来ないだろう。もっともこの話をすること自体が用の場合は別だが、まあそれはまずありえないな。
志水と成宮を見て、先を促すように視線で問いかける。
「ええ、そうですわ――――朝野さんには今すぐに字源市に戻ってもらいます」
「はあ? なんで?」
「――――犯人に関する情報収集のためでしょ」
と、今までスマホをいじって会話に入ってくる素振りすらなかった黒乃がいきなり口を開いた。そういやこいつもいたんだっけな。
「入界管理局が焦るのも無理ないよね。せっかくゲート装置の運転を再開したばっかりだっていうのにいきなりこんな不祥事だもん。急いで事態の解決を図るのは当然だよね。じゃなきゃこの国の政府に圧力かけられちゃうから」
そういうことでしょ、と黒乃が志水、成宮の順に視線を向ける。
……なるほど。つまり事態を解決するために人が必要なわけだ。で、それで俺にもお呼びがかかったと。
「……概ね間違いじゃないわね」
歯切れ悪そうに成宮が肯定し、二人が表情を曇らせる。そして視線を俺に向けてきた。
「そういうことですわ。朝野さん。入界管理局は一刻も早くこの問題を解決しなくてはなりませんの。ですから朝野さん。早く字源市に戻ってください。あなたのような人でもいるのといないのでは猫の手ほどに違いますから」
はたしてそれは褒めているのか、いないのか。考えるまでもない。褒めるどころか、絶対馬鹿にしていると言い切れる自信がある。
「んじゃ、字源市にいる野良猫でも俺の代理に充てといてくれ」
そう言った瞬間、志水の表情がキッと強張った。ちょ、魔法とかぶっ放さないでね。
「聞いていましたの、朝野さん。たとえ役に立たずともあなたが必要なんです。それに街の調査くらいできますでしょ、仮にも字源市市民なんですから」
「仮ってなんだ! 仮って! 俺は生まれも育ちもずっと字源市だよ!」
「なら、字源市のことはわたくしたちよりも詳しいですわよね? 野良猫より言葉を話せる分、不本意ですけど朝野さんの方が手間もかかりませんから、こちらとしても朝野さんの方ががわたくしたちにとっては楽ですわ。――――だからお願いしますわ、朝野さん」
席を立ち、上目遣い気味に俺を見てくる志水。
「うるせえよ! お願いします言うのが遅い! なに、野良猫よりも言葉を話せるって! 野良猫より大分話せるよ! ていうか猫は言葉話せねえよ!」
あ、もしかしたら異世界の猫は話せるのかも、と一瞬思ったが、そこは異世界のこと。こちらの世界にそんな猫はいない以上気にする必要はない。
「……相変わらず言うこと聞いてくれないわね」
やれやれといった具合に、今まで志水の横で黙っていた成宮が口を開いた。
「言うことも何も俺一般人だし、捜索スキルなんてこれっぽっちも持ち合わせていないし。何より明らかに危険が付きまとうようなことにホイホイ付いていくわけないだろ」
「大丈夫よ、何も朝野君一人で調査させようってわけじゃないから。それにもしもの時はわたしたちが守るわ」
「……え、ああ、うん」
なんとも返答に困る一言だった。
そりゃ、たしかに一人で調査は無理だし、二人と行動したらもしもの時の危険は薄れる。しかしこうも女子に「守る」もとい「守ってやる」と言われるのは正直どうかと思う。数時間前は黒乃にお姫さまだっこなんかもされたわけだし、ここ最近の俺はどこか物語におけるヒロインじみてるような気がする。
まあ、だからといってそれから脱却する力も何もないわけなので現状仕方なくはあるが、だからこそ答えは決まっている。
「……守ってくれるのはわかった。でも断る」
そもそもその調査とやらに参加することによって俺に危険が及ぶなら参加しなければいい。そうすれば俺自身に力がなくとも危険はないし、守ってもらう必要もない。単純な真理だ。
「本当に聞き分けがないわね。いい? これは非常勤職員であるなら絶対よ。拒否したら始末書書かなきゃいけないのよ。わかってる?」
「始末書? ああ、この前の銀行強盗事件の後に書かされたやつか」
「ええそうよ。でも今回のは命令違反のそれだから、この前の比じゃないわよ。……そうね十倍くらいの量は書かされるかもね」
「……マジで」
蘇る志水との始末書制作。
この前の始末書でもそれなりに量があったってのにそのさらに十倍とは末恐ろしい。あの量の十倍となると丸一日缶詰状態間違いない。最悪二日間にも及ぶ地獄が待っているかもしれない。それを考えると、とてもじゃないが気が滅入る。
「加えてゴールデンウィーク明けは実力テスト。始末書なんて書いてる暇なんてないとおもうけど」
そうだった! テストあったんだった! 応用問題たくさん各教科から貰ったんだった!
まさかの追い打ち。
予期できなかった一撃が俺の逃げ場を完全に断ち切った。もう、取るべき道はひとつしかなく、退路は断たれた。
「……あ、はい。字源市帰ります」
発する声が自分でも弱々しいのがわかった。まるで戦国時代困窮した生活を送っているにも関わらず、無理な年貢を迫られた農民のような気分だ。
「決まったわね」
ん、と背伸びをして立ち上がる成宮。
「じゃあ、明日には字源市に戻ってもらうわね。もちろんわたしたち同伴で」
「明日っスか……」
呟いて黒乃に視線を向ける。
別にここに来たくて来たわけじゃないから俺はいいが、はたして黒乃が帰るというものか。
「あ、私? 別にいいよ、明日帰っても」
「え? いいのか?」
「うん。どうやらすぐ終わりそうだし」
「?」
終わり? 何が?
「それでは話もまとまりましたし、成宮さん」
「ええ。もう帰っていいわよ」
こうして。大いに不本意だが、無理矢理まとめられ、この集まりは解散の運びとなった。
「じゃ」
「ちょっと待ちなさい、朝野君」
部屋にいる志水と成宮に向けて手を挙げ、部屋を出て行こうとしたら、成宮に呼び止められた。
なんだろうか? 一通り用件は済んだものと思っていたが、まだ何かあるのか。面倒なことじゃなければいいが。
「……えーと、まだ何か?」
恐る恐るといった具合に成宮に振り返る。どうか面倒事じゃありませんように。あと、早く済みますように。
「渡しておくのを忘れてたわ。はいこれ」
そう言って成宮が手に持っていた、封筒を渡してきた。
「何、これ」
封筒の中を漁ってみると何かの手帳と黒いカードが出てきた。学生手帳じゃないよな? 手帳は入学式の時に貰ったし、何より志水学園のそれとは全然違う。それにこのカードは一体……
「入界管理局のIDカードと手帳よ。ほら、朝野君まだ持っていなかったでしょ」
封筒から出して手帳をパラパラとめくって見ると、最初のページに大きく『入界管理局治安対策室・治安維持部隊・非常勤職員(契約執行官)』と書いてある。
そういえば入界管理局の地下施設に入る時、いつも出せ出せ言われてたな。まあ俺の場合ほとんど志水か成宮と一緒に入っていたから今まで必要ってことはなかったけど。ていうか、正式名こんなに長かったのか。あと『契約執行官』って何だよ。
「発行されたから渡しておくわね」
「…………」
正直、十円ガムのハズレ券よりいらない。あっちは噛み終わったガムを包むという利点があるが、今貰った二点に関しては全くというほど利点がない。むしろ俺にとってはデメリットしか生まないことは自明の理。
しかし、素直に受け取らないとまたブーブー言われるのも当然なわけで。
「あ、はい。じゃあ、貰っときます……」
仕方なく受け取って、渋々ズボンのポケットに入れる。これ間違って捨てたりしたら怒られるんだろうなあ。
「んじゃ、もう用ないよな? 今度こそ俺たちは部屋帰るから」
後ろ手に手を挙げてドアノブを捻ってドアを開ける。まあ『俺たちは』と言ったが、一人いつの間にか帰っているので正確には『俺は』であるのだが。
「待ちなさい。まだ用はあるわ」
やれやれ今度こそ終わった、と一歩を踏み出したところでまたもや成宮に呼び止められた。次から次となんなんですか、一体。
「まだ何かあるのか?」
返す言葉に少々怒気を込めて成宮に問いかける。いい加減にしてほしいものだ。暇ではあるが、暇だからといってもこんなどうでもいいことに費やしたくはない。
「あのさ、時間はプライスレスであって俺も忙し――――」
「心配しないで。お金で解決するから」
「へ?」
「朝野君。ファミレスの代金」
「あー……」
そういえば昼間のファミレス代、成宮が払ってくれたって志水が言ってたな。すっかり忘れてた。あのままうやむやになって忘れてくれてたら助かったのに、どうにも思い通りにいかないものだ。
しかしここで払うのも何か癪である。
加えて頭を過ぎるはお金に関してはシビアに、という世の理。ならそれに習うのも世の理である。ここはどうにかして払わない手を考えるしかない。というわけで、もしかしたらと思いついたことを訊いてみることにした。
「あのさ、ちょっと質問なんだけど、ファミレス代って入界管理局で下りたりしないのか?」
昨今では地方議員が調査費を横領していたりなどとニュースで報じられている。別にそ本気でアテにはしてないが、訊いておいて損はない。まあもし下りるとなれば乗っかりたくはあるんだが。
「下りるわけないでしょ。何を言ってるの」
「ですよねー」
残念というか、やっぱりというか。最初からなんとなく分かってはいたが、やっぱり下りなかったか。ここでうまく違うことに使ったことにすれば下りるのかもしれないが、成宮たちに頼んでも不正は認めません、とばかりに一蹴されそうだし、やはり無理なものは無理なんだろう。
「はいレシート。私が代金払ったけど、レシートは別々にしてもらったから」
レシートを受け取り、いくらか確かめる。ああ、やっぱりあの黒乃が必要以上に食べてた分高い……
「朝野君、代金」
「あー……はい」
……こうして。タイミング良く持ち合わせていた財布から渋々代金分を成宮に渡して、俺は二人の部屋を後にした。
評価や感想、アドバイスなどいただけたら助かりますので良かったらお願いします。