三次元鬼ごっこ 3
「もう落ち着いた?」
「ああ、大分な」
呆れ顔で訊いてきた黒乃に傍から見たら青いだろう顔でそう返し、手を突いていたガードレルから手を離す。
あれから志水の元を去り、黒乃に抱えられビルやらマンションやらを足場に跳ねながら移動すること数分。気持ち悪い浮遊感と絶え間なく移動する眼下の風景の恐怖から解放されるも束の間、「ここから歩くよ」なんて言われ、引きずられるように引っ張られてバス停に移動。バスに揺られること二十分弱。
ぽつん、と小さなと言うには語弊がある、だけどそこまで大きくない離れ小島の前のバス停でバスを降り今に至る。
黒乃に抱えられ、通常とは大きくかけ離れた移動のせいで志水との追いかけっこで疲弊していた体調はさらに悪化。そこにバスという一定の揺れを有する物に乗せられたせいもあり、バス停に着く頃には吐く寸前までいっていた。
「で、こんなとこ来てどこ行くんだ?」
周囲を見回すとあるのは漁港のようなものと、それに付随する漁師町とでも言うべき民家や商店街。あとは目の前に位置する離島とそれを繋いでいる二車線の橋に広がる青い海だけ。他には特筆すべきものは何もない。
「こんな所に観光名所とか聞いたこともないんだが」
「えーあるでしょ。目の前に」
言って腰を下ろしていたガードレールから離れ、離島の方に歩き出す黒乃。
「え、あの島に行くのか」
「他に行くとこあると思う?」
まあ言ってしまえばそうなんだが、暴食家のこいつのことだから低確率で漁港の方に魚でも見に行くのかな、なんて思っていたがどうやら違ったようだ。
先に歩き出した黒乃に続いて離島に向かう橋を渡っていく。
歩道の隣に位置する車線には先ほどから不思議なことにそれなりに車が通っている。こんな離島になんの用もなく来ようとは思えないだけに何かしらのイベントでもやっているのかもしれないし、俺が知らないだけでそれなりに有名な集客施設であるのかもしれない。
「なあ今向かってる島ってなんかあんのか? その、人寄せするような場所とか」
「うーん、人寄せというかなんていうか。あるのは私立の美術館と公園だけなんだけど今はその美術館で展示会が行われているの。だから車が頻繁に行き来してるんだと思うよ。さっきからクロードが気になってるのはそのことでしょ」
黒乃視線が車道へと向けられる。どうやら俺の気になっていた点はお見通しだったらしい。
「で、お前は公園、はないとして美術館にでも行くつもりか?」
「そのとおり。ちょっと見たい物があってね」
「へえ」
以外だ。こいつにも美術品を愛でる嗜みがあったとは。普段から食うか壊すかしか能がないと思っていただけにちょっとした驚きだ。しかしこの頃忘れがちだが、こいつは異世界人だ。外国人が日本の文化に興味を持つように異世界人であるこいつもこの世界の文化に興味があるのだろう。そう考えるとなんら不思議はない。
「今はなんの展示会が行われているんだ?」
「それは行ってからのお楽しみ」
行ってからのお楽しみ、ね。どうせ絵画とかその辺だろう。
特に追求する必要もなかったので「それは楽しみだ」と心にもない返答をしつつ、吹き出してきた海風を浴びながら俺たちは美術館へと向かった。
渋々、二人分の入館料を払った俺を待っていたのは土色の寸胴なボディをした人形にこれまた土色の花瓶か何かよくわからない筒のような物などなど。
大きくもなく小さくもないごく一般的な美術館にはそんな物がケースに入れられ飾られていた。
「ああ、なんだ土器か……って土器!」
「うん土器」
「……土器ですか」
美術館と聞いていたので綺麗な絵や常人には理解できない摩訶不思議な像なんかを想像していたのだが、意外や意外。美術館に展示されていたのはよく教科書なんかで見かける縄文時代だか弥生時代に作られたであろう土器だった。
日本人の在りし日の暮らしぶりを見つめ直してみるのもいいが、正直にいうと俺は日本の古代の品なんかより良く描けた風景画の方がどっちかというと好きである。縄文土器など一介の男子高校生にとっては教科書などで十分だ。近くに展示してある錆びた銅鏡が現役ならきっとどこか残念そうな俺の顔でも移していたことだろう。
「なんか残念そうな顔してるね。土器嫌いだった?」
「別に嫌いってわけじゃないけど、どうせ見るなら絵の方が良かったな。風景画とか」
「ふーん。クロードって美術品とかには疎いと思ってたんだけど意外。好きなの?」
「好きというほどじゃないけど土器よりは好きだよ」
「駄目だなあ。それでもクロードは日本人なの? ほら、故きを温めて新しきを知るってあるでしょ。昔の文化を見つめて今に生かさないと」
「原点回帰って言いたいのか? 戻りすぎだし、例え見習うところがあったとしても俺には理解できないよ」
「偏屈だねえ」
呆れたように俺を一瞥して、クルッと展示コーナーの方に振り向く黒乃。
「というわけでほら、見て回ろう」
来てしまったものは仕方ない。これといって見て回る物もないのでとりあえず興味はなくともないなりに大ざっぱに見て回るとしよう。他にすることもないんだし。
「はいはい。分かりましたよ」
人入りはそこそこ良いみたいで、それなりに人の数がある館内をとりあえず先ほど見ていたショーケースから移動し、手近なものから覗いて行ってみる。中には人の顔らしき物を象った物がついた容器やら変なポースを取った土偶やらがあった。
どれもこれも調度品としては悪趣味極まりない物ばかり。あくまでこれは俺個人の意見で好きな人は好きなのかもしれないが、家には絶対置きたくはない。こんな物、夜トイレにでも行くときに見てしまったら驚いて割ってしまいかねない。そうなると貴重な文化財的にも勿体ないし、何よりもそんな物を買う金は家にない。こういった品は高いのが当たり前なのだ。まあタダでやると言われても貰おうとは思えないが。
などと益体のない事を考えながら次のショーケースに移動する。中には青銅製と思わしき、黄緑色に錆びた剣。青銅器があるということはこれは弥生時代の物だろう。とするとここに展示してあるのは全部弥生時代の物なのかもしれない。縄文時代には青銅器は少なかったとの話だし。中学時代の歴史担当教師が授業中に言っていたことがまだ記憶に残っていたのか、そんなことを思ってしまう。我ながら思ったより授業態度は良かったようだ。
「うわ、汚い剣。これじゃ何も切れないよ」
「お前貴重な文化財になんてこと言うんだ。そもそもこれは儀式用らしいから切るための物じゃないんだよ」
「へえ、儀式用……魔法的な?」
「そんなもん古代の日本にねーよ」
というかあったら俺が復活させて使いたいぐらいだ。
銅剣、銅鏡と青銅器のコーナーを過ぎ、程よく飽きてきたところで何やら人を集めているコーナーが目に入った。
何を展示しているのだろうと黒乃と二人、立ち並ぶ人の隙間から覗き見るとそこには緑色、いやこの場合は翡翠と言った方が的確な、そんな手の平大の球体が飾られていた。
水晶玉、だろうか。でも何か違うような気もする。
そう思うのも当然で水晶らしき物を占める色は確かに翡翠だ。しかしその中心部にさらに球体でもあるように錯覚させるほどの黒が球体状に詰まっていた。
水晶玉なんて物は頻繁には見ないが、紫色の水晶は見たことはあってもこんな翡翠色の水晶玉は生まれて初めて見た。これはかなり珍しい物だと容易に予想できる程きっと貴重な物であるに違いない。
しかしここに飾られているということはこれも発掘された物なんだろうか? だとしたらこれは弥生時代ぐらいに使われていた物ということになる。
けどそれはどうも現実味がないような気がする。翡翠色の水晶なんて自然界には存在しないだろうし、当然弥生時代に水晶に色を付ける技術もないだろう。そんな物が古代日本で発掘されたというのはどこか信じられなかった。
「――――っと、すみません」
目の前の不思議な水晶玉を凝視してガラにもなく考え込んでいたせいか、俺と同じく人混みの中から覗き込んでいた人と頭がぶつかってしまった。
振り向くと若い青年が帽子を取り、申し訳なさそうに俺を見ていた。年齢は俺より少し上といったところで大学生ぐらいだろう。
若者らしいカジュアルな服装をした長身気味の黒髪の青年。
何より目を引いたのがその顔。
帽子を取った彼の顔は日本人のものではなく西洋人の顔ものだった。肌の色は白く、目鼻はすっきりとした整った顔立ち。イケメンと呼ぶに相応しい造形だった。
「いえいえ。こちらこそすみません」
「あ、いえ。俺の不注意ですから」
「ほんとすみません。うちのクロードがご迷惑おかけして」
横合いから余計なことを言う黒乃を睨みながら、「ん?」と疑問に思い、再び青年に視線を移す。
つい当たり前のように返してしまったが、驚くことに彼は流れるような日本語で返してきた。実際、ペラペラと英語で話されちゃ対応できなかっただろうし、正直助かった。
「外国の方ですか? 日本語お上手ですね」
「ええ。少し旅行で来た者でして。いやあ、正直うまく話せているか分からなかったのですが、そう言っていただけてありがたいです」
ははは、と笑う語学堪能で爽やかな青年。笑う姿まで様になるとは。まるで絵に描いたようなイケメンのようだ。
「あなた方もあれを見ていたのですか?」
言って青年が未だ人だかりの中にある翡翠色の水晶玉を見る。
「え、あ、はい」
「まあ日本の文化に触れるチャンスですからね」
「ああ。そういえばあなたも日本の方ではないようですね」
「はい。彼の家に留学しているんですよ」
俺の方を見てそう青年に語る黒乃。黒乃さん、留学ってことはいつか出て行ってくれるってことッスよね? じゃあ最低でも一年。都合がよければ明日にでもどこにあるか分からない母国へ帰国して下さいな。
なんてこいつの設定に乗っかり心の中で呟いてみる。
「そうですか。お若いのにすごいですね」
「いえいえ」
照れたように頭を掻く黒乃。なんとも否定しがたいのではあるが、真実悪い意味ですごいヤツなので案外的を得ているだけに否定できないのが心苦しい。
「それにしてもあれの周りだけ凄い人ですよね。あれって外国でも珍しいんですか」
少し疑問に思ったからか、ガラにもなく気がつくとそんなことを聞いていた。あれだけ変わった水晶玉。年代からして天然物だろうが、はたして外国では頻繁にあんな物が見つかったりするのか。そんなことが気になったのだ。
「――――ええ。とても、とても珍しいものですよ」
瞬間、体を寒気のようなものが走った気がした。
まるで冬場、室内から屋外へ出ようとドアを開け、寒風が入ってきたような感覚。何か開けてはいけない扉を少し開けてしまったような、そんな何かが一瞬頭を過ぎった。
「おっと。もう時間だ。それでは私はこれで」
帽子を取り、軽くお辞儀をした青年はこうして俺たちの前から去って行った。
「…………」
「クロード? どうしたの?」
黒乃に声をかけられてハッと我に返る。
「あ、いや別になんでもない」
……今の感じはなんだ?
今し方感じた形容しがたい感覚が妙に頭に残ってはいるが、まあ気のせいだろう。俺には何かを感じる特殊能力なんてものはないし、何よりあの人はジェントルマンと言っても差し支えのないただの外国人だ。気にすることはない。
妙な感覚を振り払い、再びショーケースに視線を移す。
「で、次はどこから見に行く?」
「ああ、もう見たからいいよ。帰ろ」
「は?」
「いやだから帰ろうって」
「もういいのか? まだ少ししか見て回ってないぞ」
実際フロアの一角少し回った程度で、まだまだ展示してある品をほとんど見ていない。
「別にいいよ。見たい物は見れたから」
そう言って歩き出す黒乃。『その見たい物』以外は本当にどうでもいいんだろう。他の展示品に目もくれず出口の方へ向かっていく。
時間にして約三十分。それだけで一人分の入場料が消え去ってしまった。
「短時間で済むなら先に言えよ」
それならそれで外にあった木陰のベンチで休憩なりなんなりして時間を潰していたのに。結局二人分の入場料を無駄に払っただけじゃないか。払った分はきちんと堪能しなきゃ損というものだろ。
しかしながらそれでもここに一人残って土器やら土偶なんかを見ているのも時間の浪費のような気がしなくもないので、結局入り口付近でこちら見ている黒乃の方へ向かい始める俺なのであった。
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