三次元鬼ごっこ 2
やっぱりというか何というか。先ほど駅を訪れた時と同じく駅前のデッキは多くの人で賑わっていた。その多くはちょうど目の前にそびえ立っている大きなビルへと流れて行っているようできっとこの街に住む人達にとっては娯楽施設のようなものなのだろう。子供連れの夫婦が楽しそうに中へ入っていく。
ちなみにだが、この駅前のデッキは正式にはペデストリアンデッキというらしい。先日駅前を通ったら訊いてもいないのに竹中が教えてくれた。
「ほら、行こ行こ」
どうやらあれが黒乃の言っていたデパートのようだ。なるほどさっきはよく見ていなかったからが気が付かなかったが、中々大きいな。
「言われなくても行くよ」
急かす黒乃に連れられて中へと入るとやはり中も相当な人で賑わっていた。外にいる時よりは涼しくなったが、こうも人が多いと見ているだけで暑くなりそうだ。
「で、どこ行くんだ?」
デパートなんて普段行かないからどこに行けばいいかよく分からないし、何より高い。そんなこんなで安売りしているスーパーなど、庶民の味方のような場所リスペクトな俺は隣にいる黒乃に意見を求めることにした。
「クロードはどこか行きたい場所ないの?」
「ない」
「即答……わかった。クロードが行きたい場所ないっていうなら私は服見たいんだけど」
「服か。ああ、別にいいけど買うなよ」
「なんで! いいでしょ服買ったって! 私女の子だよ!」
「うっせ。家は金ないんだよ。誰かさんがホテルなんか予約しちゃうから」
あれだけで今月の生活費が大分飛んだ。月初めなのに痛いことこの上ない。
「そんなわけで服買いたいならしまむら行け、もしくはユニクロ。安くていいぞ」
「この貧乏思考! あのね、私は悠人さんから戴いたお小遣いで服を買うんだからクロードにとやかく言われる筋合いないんですけど」
ブーブーと文句を垂れる黒乃。確かにこいつが兄さんから貰っている小遣いをどう使おうが知ったことではないし、俺がとやかく言うことではない。だからこいつの言い分は間違いではない。
「いやだって、お前小遣いなくなったら俺に集るだろ」
しかしこいつには使った分は他人で補うが常識なのか、俺にやたらと奢ってもらおうとする悪癖がある。事ここに至ってはいずれ今回みたいに平然と通帳から下ろして使うという行為が当たり前になりそうで怖い、今のうちに躾というか、金の使い方を覚えさせなくてはいけない。
「あーあ……あれはそのクロードの甲斐性を試そうというかなんというか……」
バツが悪そうにブツブツと呟きながら口ごもりる黒乃。
「そんなわけでこんな高いとこでは無闇やたらになんでも買うなよ」
「ええー……」
「でも見るだけならいいぞ」
「ケチ」
そんなことを言いながらも服は見に行きたいのか。黒乃が入り口付近にある案内板を見て、近くのエスカレーターに乗り始める。それに続いていくと同時にエスカレーター付近の案内パネルに目を移す。ええと、服を売ってるのは四階かって……お、三階に本屋あるのか。
「悪い、黒乃。三階に本屋あるみたいだから俺そっちで時間潰しとく」
「え、一緒に服見ないの?」
「一緒って。婦人服だろ? 俺が見たって仕方ないだろ」
「せっかく私が色々な服着て見せてあげようと思ったのに。あーあ、今ならクロードが着てほしい服着てあげてもいいのに」
チラチラと様子を窺うように黒乃が見てくる。
「それより本屋で時間潰しとく方がいいんでパス」
「っ、ちょ、ちょっ――――」
「あ、もう三階なんで降りるな。もし何かあったら携帯にメールなり電話なりしてくれ。じゃあな」
軽く手を上げて昇っていく黒乃を見送って本屋に移動し始める。このフロアも先ほどいた二階と同じく人で溢れていて大型連休なのを嫌なくらいに思い知らさせてくれる。
やはり長い休みが続くとどこかに出掛けたくなるという心理は皆一緒なのかもしれない。けれど俺には全然そういう心理はなく、大型連休こそ家に籠城して積みゲーやら溜まったラノベやらアニメ視聴なんかで時間を潰すべきだと思うのだ。
それなのにこんな所に連れてこられて本当に最悪だ。無駄に払ったホテル代に電車賃。無駄の限りだ。加えて黒乃は確かな目的があってここに来た。
せめて普通の観光目的とかだったら良かったんだろうがあいつのことだ。それは期待できん。よくは知らんが場所あると言っていたからそれが目的の場所だろう。一体どんな場所だろうかと思うと悪い意味でドキドキする。
と、少々心臓の動悸が早くなってきたところで通路右側に本屋が見えてきた。思ったより大きく、品揃えも多そうだ。
さっそく中に入り雑誌コーナーでアニメ雑誌やらホビー雑誌をパラパラとめくること六冊目。
ふと、壁に掛けてある時計に視線を移すといつの間にか一時間ぐらい経過していた。
「以外に時間って経つの早いな」
やはり何かしている時というのは何もしていない時より時間が経つのが早い。しかし、古本屋だと普通に単行本なんかを読むことはできるが、新品しか置いてない本屋だと包装が邪魔で立ち読みができなく、時間を潰すのにも限界が出てくる。
ふと、ポケットに入っている携帯を見てみるが、黒乃からの連絡はまだない。まだ服を見ているのだろう。
そろろ読書に飽きてきたし、今読んでいる雑誌を読んだら一旦黒乃と合流することにしよう。
そう思い、ページをめくること数分。大体全部にページに目を通せたのでさて、行こうかと雑誌を元の場所に戻した瞬間、悪寒がした。
背後へと振り返ると髪逆立てた、と誤認させるくらいに顔を怒りに染めた志水が立っていた。
「あ、ああどうも……」
思わず出口に方に後退りしてしまう程の形相で志水が今まで俺が読んでいた雑誌へと目を向ける。
「その雑誌は大層面白いんですわよね? わたくし達の話を投げ出してまで読むほどに」
「あー……」
オーマイゴット!
顔が引きつっていく様がこうも実感できることがかつてこれほどまでにあっただろうか。黒乃の木を隠すなら森の中という謳い文句を信じた結果がこれである。やはりどうにもあいつ言うことは信用できない。まあ見つかったのも志水達の探知能力が優れているというのもあるのだろうけど。
「話の途中で勝手に抜け出すなんて、なんて人ですの! それにわたくし達にお会計を任せて! おかげでわたくしのカードが使えず成宮さんにお会計をしてもらったじゃありませんの!」
金持ちだからどうせ会計は志水がやってくれるだろうと踏んでいたのだが、まさか成宮が払ったとは……なんとなく申し訳ないことをしたような気がしてきた。
「でもまあ、まさか朝野さん達を捜し疲れて休憩のために立ち寄ったデパートにいたとは驚きでしたわ。もうここは非常勤職員とはいえ、心構えをじっくり成宮さんと一緒に教えて差し上げる必要がありますわね。じっくりと」
……どうにも探知能力云々ではなくただ単に間が悪かっただけのようだ。
「え、えーとだな。黒乃がいきなりファミレスを抜け出してそれを追いかけてたらここに来ちゃったみたいな感じでだな……」
こちらに非があると自覚している分、言い訳も当然の如く意味がないこと分かっているが、はてどうしたものか。
このまま志水に連行されてしまうと志水と成宮に二人がかりで説教されそうでどうにも黙って連れて行かれようとは思えない。かと言って逆に俺が二人にいかに休日が大事でなおかつプライバシーの権利を侵しているなど言ったところで意味はないだろうし……仕方ない。気乗りしないが、最後に残った手を使うしかない。
「言い訳は聞きたくありませんわ! そもそもあなたには管理局職員として自覚が欠けています。もうここは成宮さんと二人できっちりみっちりと入界管理局のなんたるかを教えて――――」
「あ、おーい! 黒乃! こっちだ、こっち! 助けてくれ!」
出口の方に向かってわざといない黒乃に向かって大声を上げて手を振る。
「なっ――――」
驚いた表情で俺に背中を見せて振り返る志水。
――――今だ。
ゆっくりと静かに、そして素早く一歩を踏み出して徐々に加速して人混みに突入する。
行き交う人々を避けつつ、まるで蛇のように蛇行しながら突き進む。
俺のとった行動はずばり――――逃げるだ。
別に某モンスターゲームのモンスターと出会った時の選択肢を真似しての行動というわけでもなく、これにはちゃんとした理由がある。
要は何事もタイミングが大事。それは怒られることに関しても同じで、タイミングが良ければたとえ怒られるとしても軽度で済むことがある。
つまりはほとぼりが冷めるまであいつらに会わなければいいのだ。まあどう長く見積もってもゴールデンウィーク明けには学校で会うことになるだろうが、今現在のお怒りモード真っ只中の状態よりマシだろう。
とりあえずこのまま志水から逃げ切ってバレないようにホテルまで戻って籠城しておけば万事オッケーだ。黒乃は夕方見に行きたい場所あると言っていたが、この際仕方ない。一人で行ってもらおう。別に俺は行きたいわけでもないし、そもそも場所すら知らないのだから。
反対方向から歩いてくる人、自分と同じ方向へ歩いて行く人々避けながら駅に繋がっているペデストリアンデッキへと向かうべく、駆け足でエスカレーターを駆け下りて二階へと移動する。
まずはホテルに帰るためにペアストリアンデッキの下の方にあるバスロータリーでバスに乗らなくては。
駆けながらスマホでホテル近くのバス停へ向かうバスを調べる。確か駅前に来るときに一応検索かけたんだよな。
履歴からバス停の名前を確認して、すばやく駅前からホテル近くのバス停までの道順を検索する。
よし、タイミングが良いことにあと五分くらいでバスが来る。向かう時間を含めても十分間に合う。
ポケットに携帯を押し込んでさらに速度を上げ、デパートから出てペアストリアンデッキに。そのまま近くの階段を下ってロータリーへと行こうとした時、後ろのほうから小気味良い音が聞こえてきた。より正確に言うなら足音が近づいて来ていると言ったほうがいい。
振り向くと、鬼――――もとい志水が凄い形相で追いかけてきていた。
「って、マジかよ!」
その様相につい素っ頓狂な声が出てしまう。もちろん志水の表情もそうだが、それ以上に速度が普通じゃなかった。
先に出た俺のすぐ後ろを、ましてやデパートの中の人混みを抜けて付いてきているどころか凄い勢いで距離を詰めてきている。いくら鍛えていないとはいえ、そこまで運動音痴ではない俺にこの短時間で追いつくなんて本業の陸上部でも難しいだろう。
明らかに何かおかしいと考え、志水が魔術師であることを思い出した。きっとグールの件の時と同じように何かしらの魔法を使っているに違いない。でなれば成宮じゃあるまいし、こう簡単に志水に追いつかれるはずはない。
クソ、まさかこんな人目のあるところで魔法を使ってくるなんていいのかよ。
内心で愚痴を零しつつ、痛み出した横腹を押さえて何とか階段を下りてロータリーへと辿り着くと目の前に目的としているバスが見えた。
よし乗り込め、と足を向けた瞬間ふと思う。
――――このままいったらもれなく志水が付いてくるのでは?
バスに向けていた体を方向転換。ロータリーの外へと向ける。
冗談じゃない。こちとら志水と成宮とゴールデンウィーク明けまで遇わないために逃げてるんだ。そんなことしたらホテルの位置がバレて乗り込んで来かねない。そしてそこからの説教もとい折檻を想像すると気が滅入る。
現状先ほどからのダッシュだで太ももが悲鳴を上げているが、まだどうにかなるレベル。ここは街中に入り、人混みに紛れるなり路地に逃げるなりしてなんとか撒くしかないだろう。
方針を決め、人で賑わうアーケードへと潜り込む。後ろを振り向くと素早く器用に人混みを躱しながらなおも追いかけてくる志水。どうやらこんな人混みだっていうのに正確に俺の姿を認識しているらしい。波のように押し寄せてくる人混み躱しながら俺の位置すらも確認済み。一体どういった動体視力をしているのだろう。
このままでは埒が明かない。そう結論付けて当初の方針通り、見つけにくいように背筋を低くして時折フェイントをかけながら手近な路地へと入る。
人一人が限界ですよ、と言わんばかりの狭い路地裏はアーケードを抜けたこともあってか人の数は少なかった。いたとしてもチンピラっぽい男や見た目不良少年のような者達がちらほらいるだけ。それは入り組んだ路地をさらに進む度にその数を減らしていく。
「――――ッは。はぁ、はあ……」
息が苦しくなり路地の壁へと背中をつけて息を整える。よほど走ったのか、体中汗まみれだ。足は疲労からかかなり重く、最悪の一言に過ぎるがまあ甲斐はあった。
下を向いていた視線を左右に移す。人影ならびに人の気配はない。どうやら完全に撒いたらしい。
「……はあ」
安堵から溜息が漏れる。
これで休める。これは完全に学校のマラソンより運動量は多いだろう。下手したら一ヶ月分の運動を一気にしたかもしれないと錯覚するほど体が酸素を欲している。これは早いところホテルに帰って体を休めなければ。
体が落ち着いたのを見計らって体を預けていた壁から背を離す。
さて。志水も撒いたし、あとは見つからないように気をつけてゆっくり帰ろう。今来た道を戻れば表に出られるだろう。
携帯のGPS機能を使って現在位置と道を確認する。意外に駅から距離は離れていないんだな。この分だと駅のロータリーは――――駄目か。だとすると現在位置からホテルに向かうバス停で一番近いのは駅前のバス停。二番目に近いのは、少々遠いが徒歩十五分くらいで行ける場所にあるバス停か。ここにから乗るか。
携帯を頼りに狭く薄暗い路地を進んでいく。今さらだが冷静に考えるとここは不良の一人や二人に絡まれてもおかしくない場所だ。長居は禁物。さっさとこんな陰気な場所から移動しよう。
歩速をやや速める。
バラバラと換気扇がハミングを奏でる路地。両隣をあまり高くはないとはいえ、民家より大きいビルないし建物に挟まれているため日光も十分に届かない。だからだろう。どこか物悲しさを覚えるのは。骨の形成に必要なビタミンDの生成などにも太陽光は必要とテレビで言っていたし、生物にとって太陽光はなくてはならないものなのだ。
呑気に生物に必須なものを直に感じていると今し方通り過ぎたポリバケツが跳ねた。
ビクッと体を揺らし、何事かと後ろを振り返ると……志水様が鎮座坐していらっしゃった。
「あら、朝野さん。こんな場所で奇遇ですこと」
「あ、いやほんと奇遇なことで……」
こんな場所で奇遇も何もねーよと内心ツッコミながら志水との距離を測る。目測で十メートル以上離れている。志水と俺の間に転がっているポリバケツとは五メートルほど。今、どうやってバケツを弾いた?
もしかして偶然?
いや、それはない。このタイミングでバケツが跳ねるなどポルターガイストこの場で発生しやすいとしても出来すぎだ。
「わたくしと一緒に来て下さるかしら? これ以上わたくしから逃げようだなんて考えないことですわ。あなたにはただでさえ非常勤職員としての心構えが大きく欠けているですから教える時間が減ると困りますわ」
言葉尻に意図的にかそうでないのか分からないが、怒気を込め志水が一歩踏み出してくる。
「え、あー……」
考えるのはやめだ。今はただ一直線に逃げることだけに思考を集中させろ。
また一歩踏み出してくる志水。
――――何か。何か。
周囲を見回し、使えそうな物を捜すと二メートルくらい後方に誰か猫に餌をやっているのか、空の猫缶が見えた。
……猫缶か。他にないなら仕方ない。あれを投げるのはしゃがむのに時間がかかるから素早くバックステップして後方へ下がった後、勢いよく志水に向けて猫缶を蹴り飛ばす。どうぜ当たっても大したことないし、そもそも防御魔法的なやつで弾かれるかもしれないが、時間稼ぎくらいにはなるはずだ。その隙をついて逃げる。うん。我ながら策士だ。
脳内シミュレーションを終了させていざ行動開始。
「悪いがそんな心構えなんてららねえよ!」
言ってバックステップで後方に位置する猫缶近くへ。そして流れるように蹴る動作へ持っていき右足で蹴り飛ばす。
渾身の蹴りを喰らった猫缶はすくい上げるように蹴ったのが幸いしたのか志水の鳩尾辺りへと飛んでいく。あ、ヤバい。これは直撃しちゃんだ。
直後、本当に当たったらどうしようという不安感に駆られるがそういう心配はするまでもなかった。
蹴り飛ばされた猫缶は、しかし志水にが手を振った瞬間、当たる直前中で弾かれ俺の頬へと直撃した。
「――――ぶっ」
痛い。マジで痛い。
頬を押さえた手に血の色はない。
「おい、下手したら頬切れてたぞ! 危ないだろ!」
「それは私の台詞ですわ!」
激昂する志水。そこはお前ウィザードなんだから多めに見ろよ。
「さあ、おとなしくしてください」
「ああ、はいはい。降参です」
両手を挙げて降参のポーズを取り、しゃがみ込んだと同時に足下に転がっている猫缶を今度は投合した。
「なんという往生際の悪さ! なんなんですの朝野さん! そんなに私たちと一緒にいるのが嫌なんですの!」
そりゃあ嫌ですよ。普通に知人として過ごす分にはいいが、志水達には入界管理局という肩書きがある。つまりそれは物騒なことが付いて回るということだ。なら危機に陥らないために自らを保身するのは当然だ。俺は好きで危険な場所に向かう自滅思考はしていないのだ。
「――――って待ちなさい!」
不意を突かれたのか、先ほど防御する動作が遅れた隙を利用して再び路地を駆け抜ける。
まずはこの狭い路地を出なくてはいけない。こんな狭い所じゃ隠れる場所もない。身体能力が俺を上回っている志水相手にこのまま追いかけっこをしていては先にこっちがバテる。
「この、待ちなさい!」
志水の怒声が路地に響いたと同時に足下に何かが当たる音。走りながら先ほどいた場所を見ると地面にヒビが入っていた。
「うわっ!」
追いかけてくる志水が幾度も手を振ると同じくして何かが俺の近くの壁や地面に当たる音。まるで目に見えない何かが実際に当たっているような感じ。何か志水が放っている。
いや何かというより魔法の類いである何か。
当ててはこないが、それは多分意図的。これは「止まらない当てるぞ」という意思表示なのだろう。
……これはなんとか障害物ないし、隠れる所がある場所に出なくては不味い。いくら志水でも一般人の前で魔法を使ったりなどしないだろうからさし当たっては大通りに出て魔法を封じなくてはいけない。
もう限界近くに達している足に力を入れて現状の速度を維持する。
後ろの方で次々に物が弾け飛んだり、砕けたコンクリート片が砕ける音を耳に携帯に目を移す。
この角を曲がって次の角を曲がれたば、よし大通りだ。
最後の力とばかりに足に力を込めて速度上げる。
「逃がしませんわ!」
瞬間、志水が路地の壁を蹴って俺の前へと踊り出る。四メートルは飛び上がっただろうか。その様はまるで忍者である。
そして突如退路を塞がれた俺は急に止まろうとし足に負担をかけたのがいけなかったのか、前のめりに倒れこんでしまう。
「ようやく止まりましたわね。さあきっちりみっちり入界管理局職員たる自覚を刻
み込んであげますわ」
「いらないいらない、そんなのいりませんから!」
志水の右手が仄かに光り始める。
「あの、志水さん。なんですかその光ってる右手」
「また逃げられたら面倒ですし、少し束縛魔法をかけるだけですから気にしなくていいですわ」
「束縛って……」
詰んだ。もうこれ以上逃げられない。おまけに束縛までされたら逃げるどころじゃない。どうやらこのまま志水&成宮の地獄のお説教タイム突入は決定されてしまったらしい。
逃げる気力をなくした俺に一歩、また一歩と志水が近づいてくる。
ボソボソと何かを呟き、志水が光る右手をこちらに向けようとした時、頭上から人が降ってきた。
見慣れた衣服に顔。違えようもなく、黒乃だった。
「く、黒乃!」
「あ、いたいた! もう! どこにいたわけ? 本屋にいるって言ったよね」
我ながら人が頭上から降ってきたという異常事態に直面しながらもさほど驚かないとは。慣れというのは怖いもので黒乃なら別に降ってきてもおかしくないという常識が身につきつつあるようだった。
「なっ、黒野さん。一体どこから来たんですの! ここは街中ですわよ! 派手動いてもらっては騒ぎになりますのよ!」
「心配ないって。身につけている物分かるでしょ?」
ほら、と黒乃が衣服の羽織っているコートをヒラヒラさせる。このコートには見覚えがあった。
「あれか? 認識を阻害するとかいう魔法のコート」
「当たり。付け加えるなら阻害プラス魔法、物理障壁を付与したコートかな」
「……あ、そうすか」
別に興味ないので軽く流す。
「ま、そんなわけで騒ぎにはならないと思うよ。もっとも監視カメラとかの映像を除けばだけど」
愛嬌を込めたのかニコッと微笑む黒乃。
「あ、あなたは!」
焦ったような顔をして左腕の一見時計のような武装転送用端末を操作し出す。
「さ、クロード行こ」
「え、ああ……」
いきなりそう言われて少々戸惑ったが、今まで志水に追われていたことを思い出して、倒れた体を起こす。よほどハードだったのか。体は重く、志水との追いかけっこが普段の運動量を大きく凌駕しているのが直に感じれた。正直動くのも億劫だ。だが、ここに残って志水に連行されるより黒乃について行ったほうが何倍もマシだ。
「待ちなさい!」
黒乃と一緒に歩き出したのに気づいたのか、志水が早口で何事かを呟きながら右手を振りかざす。
「っと危ない」
次の瞬間、体が無重力にでも囚われたように宙に浮いた。近くにはそれなりに柔らかな壁といい匂い。視線を上に移すと黒乃の顔があった。
「ちょっとあんまりお腹触らないでよ」
「――――っ」
……どうやら俺は黒乃に俗にいうお姫様だっこをされているようだった。なんていうか男の威厳というか、尊厳が酷く汚されたような羞恥心が込み上げてくる。そりゃあ力関係的に俺よりよっぽどこいつは男らしいかもしれないが、絵ずら的にいってあまり格好が良くない。
「んじゃ、私たちも用事あるから。またねー」
「うおっ!」
「ちょっと!」
怒鳴る志水を無視して黒乃が路地の壁を蹴って路地を直上に抜け、建物の上に立つとそこからさらに跳ねるように建物から建物に移動し始めた。
「うぉ、うおおおおおお!」
「ちょ、しがみつかないでよ!」
女の子の、しかしあまりそう意識したくない黒乃の柔らかな感触とともに、じわじわと発生し始めた吐き気を抑えながら、まるでどこかの配管工と姫さまみたいだなと思った。
感想や評価、アドバイスなどいただけると助かりますのでもし良かったらよろしくお願いします。