黄金の休日群 5
「――――ところで朝野君。武装転送用端末はどうしたの?」
先ほど注文したアイスコーヒーを口に含みながら、成宮が相変わらず機嫌の悪そうな顔で言った。ちなみに注文した品は全部揃っている。俺はメニューに載っている中で一番安い定食で黒乃はデミグラスハンバーグとご飯のセット。志水は成宮と同じくここで食べるつもりはないのかアイスティーを頼んだ。
「ん? 武装転送用端末ってなんだっけ?」
「これですわ、これ」
言って呆れたように自分の左腕を俺の顔の方に向けて腕時計を俺に見せる志水。どことなく見覚えがあるような……あ。
「あー、あれか。前に成宮に使い方とか教えてもらったやつ」
そういえば以前、というか一ヶ月くらい前に成宮にガミガミ怒られながら使い方を教えてもらったのを思い出した。見た目時計のくせに空中投影ディスプレイなど色々な機能を備えていて、扱いがとても難しかったんだよな。だからあれ以来まったく使っていなかった。普通の家電ならマニュアル見ずに使えるんだが、あれはなんていうか次元が違う。ま、異世界の技術で作られているから無理ないんだろうけど。
「あれ確か、机の中に入れっぱなしだったな」
「はあ」
先ほど出会ってから計数十回はついたであろうため息カウンターに一回プラスする成宮と志水。そんなについたら将来幸せになれないぞ。
「……だから朝野君の家に武装転送用端末の反応があるのに、駅のカメラに映っていたのね。ダメじゃない、ちゃんとつけておかないと。もしもの時困るのよ」
「悪いな。俺、腕時計はめるの好きなタイプじゃないから普段ずっとカバンに仕舞ってたんだ。だから今日もカバンから出して机に入れっぱなしだった」
「――――は?」
またも二人でため息と思いきや、バリエーションが増え、今度は絶句のおでましときた。どうにも怒られている立場の俺を飽きさせないための心遣いのようだ。ほら、志水なんかカクカクと首をこちらに向けて、
「朝野さんは非常勤職員をなんだと思ってるんですの!」
思いっきり叫びやがった。
「耳がぁ、耳がぁ、私の耳がぁ」
うっ、鼓膜破れる鼓膜破れる! 現に今耳がビリビリするし、もうこれ破れてるんじゃないの!
「うるさいですわ! 大体、朝野さんは自覚がなさすぎるんです! ただでさえ朝野さんは入界管理局の中でも異端ですのに任務に臨む態度まで問題ありときたらもういいところなんてなしですわ! おまけにわたくしたちの評価も下がりますし、それにもしもの時にうまく動けませんし……」
どうやら地雷をうまい具合に踏んでしまったようで、成宮に代わって今度は志水が一言一言に怒気が籠もった言霊をバンバンと飛ばしてくる。
このまま言ったら言霊どころか、妙な呪文が飛んできそうな勢いだったのですぐさま謝ろうとしたところで成宮が静かにしろというジェスチャーをした。しかし志水はそれに気づいてないみたいだったので肩叩いて成宮の方を指してみる。
「あ――――」
店中の視線が自分に集まっていることに気がついたのか、先ほどの成宮同じく顔を赤くして顔を伏せる志水。お前も恥ずかしいだろうが、同席している俺らも恥ずかしいから。なにより二回目なのでほんと勘弁してほしい。
コホンッ、と場を直すために咳払いをし、頭を下げる。
「とにかく悪かった。今度からはちゃんとあの腕時計みたいなやつ持ち歩くし、字源市出る時は連絡入れるから勘弁してくれ。料理が冷める」
視線をテーブルに移すと先ほど湯気が出していた味噌汁とごはんはすっかり冷めたようで湯気のひとつも出ていなかった。夏だから熱いのは正直嫌だが、ご飯と味噌汁は年中無休で温かいのがいい俺にとっては少々食欲が失せる事態だった。
「……そうですわね。わたくしたちは先ほど食べましたから、ええどうぞお構いなく食べてください朝野さん」
「そうね。遠慮なくどうぞ、朝野君」
どこか苛立ちを抑えたような顔で志水と成宮が言う。いやそんな顔でそんなこと言われたって食いにくいんだけど。
「じゃあお言葉に甘えて」
なんて思いつつも空腹だし、せっかくの料理がこれ以上冷めてしまうのももったいないので食べ始める。やっぱり冷めてるなあ。
志水、成宮の両人の咎めるような視線を受けつつ、食べること数分。食べ上げた黒乃が「ごちそうさま」と手を合わせる。
早いな、と思ったが俺と入界管理局コンビが話している間に十分な時間があったわけだし、別段早くもないか。それにこいつ事態大食らいだし、普通といえば普通だった。
「もう食べたんですの?」
志水が少々驚いたように言う。
「ん? だってクロードとあなたたち二人が話している間私ずっと食べてたわけだし、普通じゃない?」
「あの……元はと言えばあなたが悪いんですのよ。少しは自覚を持ったらどうですの。どうせこんな場所に来たのだってあなたの差し金でしょうし」
言って志水が俺の方を見る。その目が強制的に「はいこいつのせいです」と言わせんばかりの眼力を含んでいたせいか、俺はいつの間にか親指を立ててしまっていた。まあ実際こいつのせいなわけではあるんだけど。
「やっぱりそうですか……で目的はなんですの?」
キッと志水の視線が鋭く黒乃を睨む。
「買い被りすぎじゃないかなあ。別に私はただ観光に来ただけだけど?」
「信じられませんわね。あなたの行動にはどこか裏があるように感じられますわ。それにこんな所、別に目立った観光名所があるわけでもありませんし、わざわざ来る理由が分かりません」
何やら志水が黒乃に文句を言い始めた。これも親しくなったということの現れとして判断していいものか悩むところだが、二人の言い争う様子からまああながち間違いじゃないような気もするが、はたしてこれを親しくなったと言っていいものか。
「そうね。あなたが何の目的もなく動くとは思えない。それにここは別段人の目を引く所もないしね」
そこにに成宮も加わり、さらに場の空気が悪くなる。自分が説教されるのも嫌だが、食事中に横で揉められるのもあまりいいものではない。
加えて酷い言いぐさである。そんなにダメ出しして三人ともこの街に恨みでもあるのだろうか。まあ俺も人のことは言えないがもうちょっとオブラートに言えないものか。この街の住民が聞いたらさぞ残念がるか怒るぞ。
「まあ落ち着けよ。ここはファミレスだぞ。少しは静かにしたほうがいいぞ」
目で周囲を指しながら志水たちに言うと渋々といった様子で各々「仕方ありませんわね」「まあ公共の場で話すことじゃないわね」「すいません追加で注文お願いします」などと言いながらヒートアップしていた会話は一旦打ち止めとなった。
それからしばらく四人の間に会話はなくなり、黙々と料理を食べる黒乃と周囲の喧騒だけが耳に届き、それにも慣れてきた頃、唐突に黒乃が席を立った。
「ちょっとお手洗いに行ってくるね」
「お、おう」
今まで沈黙続きだったため、思わず声が上擦ってしまう。
「……」
「……」
「……」
流れる沈黙が痛い。黒乃がいなくなったことで俺の食べる音だけがテーブルに響くせいか、先ほどよりも居心地が心なしか悪くなったような気がする。けど、だからといって女子の好きそうな話も分からないし、何よりこいつら普通の女子じゃないわけでまったくこちらから会話を振ることができない。というか何か言ったら怒られそうで無闇に口を開く気になれない。
このまま食べることに専念できれば良かったのだろうが、定食も黒乃が席を外してから三分程度で食べ上げてしまった。
ミスった! もうちょっとゆっくり食べておけば良かった。
俺が食べ上げたことでとうとう完成された沈黙。他の席からは賑やかな会話が聞こえる中、まるでここだけ外界から切り離されたみたいに静まり返っている。
だが、だからと言って再び口を開けばまた文句ともつかないこと言われそうだ。文句を言われるよりは何も言われないほうがいいが、こうも黙ってられるのも困りものだ。加えて三人というのも落ち着かない。黒乃がいれば幾分かはマシになるんだが……というか早く帰って来てくれ……
『うほっ、メールじゃねーの! うほっ、メールじゃねーの!』
「!」
その時、携帯が激しく鳴り響いた。この着信音はメールか。
「ん?」
携帯を開き、画面を見るとつい先ほどまで対面に座っていた黒野からだった。一体何だろうか?
不審に思いメールの文面を見る。
『レストランの中にあるトイレの前に今すぐ来ること!』
なんていうことが書いてあった。
「なんだ、一体」
わざわざこんな所に呼び出さなくても同じ席に座ってたんだから用があれば言えばいいものを。いや、ここには成宮と志水がいる。だとすると二人に聞かれたくないこと、知られたくないことなのか?
……なんていうか、嫌な予感がする。
そう思いながらもこの場の空気に耐えきれず、とりあえず指定された場所に行ってみることにした。
「悪い、ちょっとトイレ行ってくるから志水、少しズレてくれないか」
席を立ち、二人の元を後にして会計――――入り口側の隅にあるトイレへと向かう。
「あ、来た来た」
男子トイレと女子トイレの境に黒乃がいた。腕を組んで何やら不敵な笑みを浮かべている。
「こんなとこ呼び出して何だよ」
「いや~、唐突にいいこと思いついちゃってね」
「いいこと?」
「うんっ。いいこと」
そのまるでイタズラをする前の子供みたいな顔には、俺にとっていいことなど本当にあるのだろうか、と疑うには十分な不安要素がたっぷり含まれていた。
「で、いいことって何?」
どうせロクでもないことだろうなとうすうす感じながらも黒乃に問いかけてみる。
「ふっふっふ。なんとさっき食べたメニューの料金を払わないで済むんだよ」
「!」
まさかの一言だった。
……金を、払わないで済む?
いやいやいやいや、いくらなんでもそれはありえないだろ。
俺は別にこのファミレスで使えるクーポン券なり割引券など持ってはいないし、黒乃だってそんなもの持ってはいないだろう。加えてそんなもの持ってたって大して安くなるわけでもない。
「それって全部払わなくていいわけ?」
「オフコース!」
親指を立てて、にこやかに言う黒乃の顔には嘘を言っているという色はない。
「マジか!」
我ながら少し興奮を抑えきれずに舞い上がってしまったが、しかしどうやってそんなことが可能となるのか正直分からない。
食い逃げとかじゃないだろうかとも考えたが、その線はまずない。いくら非常識の体現者であるこいつでもさすがに犯罪に手を染めるとは思えない。まあ入界管理局と色々あったのは弁明のしようもなく犯罪レベルだったかもしれないが、あれはあれ。これはこれ。こいつがこんな小犯罪を犯すはずがない。
「もっと具体的に言ってくれ」
「まあ分かりやすく言うと入界管理局の二人に任せる」
「……は?」
またもや衝撃の一言だった。
「いや、それは無理だ。絶対あの二人払ってくれないだろ。それも全額」
自分の分は出すかもしれないが、ただでさえお怒りモードに入って機嫌が二人とも悪いのに、俺たちの分まで出してくれるとは到底思えない。たとえ頼み込んだとしても火に油を注ぐようなものでさらなる怒りを誘発させるだけだ。
「大丈夫だって。黙って店の外に出れば、ほらあとはあの二人に会計任せちゃえばいいだけだし」
「大丈夫じゃねえよ。絶対あとで酷い目に遭うこと目に見えてるよ!」
最悪志水に丸焦げにされるか、成宮に風穴開けられる可能性だってある。そんな危ない賭とも言えないようなことやろうとも思わない。
「ほら、下らないこと言ってないでさっさと金払ってファミレス出るぞ」
「ぐぇっ」
と、黒乃に踵を返し、席に向かおうとしたらいきなり首根っこを掴まれた。急に掴まれたあって思わず咳き込んでしまう。
「お、お前いきなり何すんだ、ボケ!」
「どうどうどう」
まるで暴れ出した馬でも宥めるような仕草をする黒乃。俺は馬か。
「まあ待ちたまえよ、ワトソン君」
「ワトソンじゃねーよ」
「まあそれはどうでもいいとして」
スルーされたことに軽くイラッとしながらも未だ首根っこを掴んでいる手を振り払い、再び黒乃に視線を向け、先を促す。
「私はね、ちょっとあの二人。特に志水さんの方にイラッと来ちゃったんだよ。人をまるで常に何か企んでる悪女みたいに言ってさ。ほんと失礼しちゃう」
「でも何か用があってここに来たんだろ?」
「う、ま、まあそうだけど。でも、私はあんな厄介事の種みたいに言われるの好きじゃないの」
「いやでもほんとじゃ――――痛っ!」
言い終わる前にいきなり足を踏まれた。こ、こいつ。
「とまあ以上の理由で私は心が酷く傷ついたので少し彼女達には報いを受けてもらわなくちゃいけません」
「それが食事代払えってこと?」
「イエス!」
……簡単にまとめると志水と成宮に図星を指されてムシャクシャしているということのようだった。はた迷惑な話だ。
「やめとけ。あとで酷い目に遭うぞ」
「クロードが?」
「……分かってるなら言うな」
とにかく俺も酷い目には遭いたくないんでこんな話乗る価値もない。
「悪いけどそんなリスクがある話はパス」
片手を上げ、黒乃に踵を返して再び席に戻ろうとしたら、今度は足を掛けられた。盛大に前のめりに倒れる俺。トイレのある通路は狭く、転んだ拍子に顔を壁にぶつけてしまい、痛みが顔面を覆う。
「くっ、このアホ! 何すんだよ!」
「悔しくないの?」
唐突に。俺の言葉をスルーし、黒乃が言った。
「ん、何に対して?」
「あの二人に」
「悔しくないかって言われてもなあ」
「だってクロードだって色々言われてたでしょ。くそ野郎とか移動式二酸化炭素発生機とか産業廃棄物とか」
「そこまで言われてねえよ!」
「とにかくこのままでいいわけ? ただでさえ入界管理局にこき使われて、無理矢理入れられたのに文句たらたら言われてさ。悔しくない?」
「そりゃあ悔しいかって言われたら悔しいけど……」
てか、そもそも入界管理局と望まないお近づきになったのはお前のせいだし、お前が言うな。
でも言われてみればあいつらの俺に対する扱いは雑な気がしないでもないんだよなあ。こっちは一般庶民でいきなり入界管理局に入れられてまだ慣れていないのに言い方キツいし、出会った頃ほどでもないが、二人の俺に対する態度悪いし(特に志水)。ああ、うん。言われたら何か悔しくなってきた。
「なら仕返しだあ!」
「って言われてもあとが怖いし」
「問題ない、大丈夫! 志水さんってお金持ちだし、ファミレスのメニューぐらいどれくらい頼んでも問題ないでしょ」
親指を立てて笑みを浮かべる黒乃。
確かに志水の家は異世界の大富豪でノクトゥスの世界でも色々やっているほどだし、その気になればファミレスを運営している会社までも買い取ることができそうなほどだ。なら黒乃の言うとおり何も問題ないのではないだろうか。
「それにこれぐらいで文句言うようなら器量が小さいって言ってやればいいんだよ。人として上に立つ者は下々の者に施しを与えなくちゃね」
言って出口の方を親指で指す黒乃。
「そうだな――――」
覚悟はもう決まった。気にすべきことなどもう何もない。
志水がどうした?
成宮がどうした?
そんなこと考えるにも値しない。二人は俺の日々の苦労を労るべきなのだ。ならこれぐらい許して然るべきであり、許さなければ間違っている。
「――――行こう。もう心残りはない」
そう黒乃に告げ、出口に向かって見つからないようにこっそり歩み出す。
さあ、クーポン券や割引などを超えた『支払いを人に任せる』を行うとしよう。
この決断を後に後悔することになることをこの時の俺はまだ知らなかった。




