黄金の休日群 4
「……暑い」
外に出て開口一番に出た言葉がこれだった。
「暑いって。別に全然暑くないでしょ」
「いや、去年に比べたら暑いって」
午前中までは暑いまでもそれほど苦に感じなかったが、正午を少し過ぎた街は思ったよりも暑く、どうせ外は暑くなるだろうと一枚脱いできたが、どうやら意味はなかったようだ。いや、脱いでなかったことを考えると今頃熱中症にでもかかっていそうなので幾分か意味はあったのかもしれない。けれどそう考えてもやっぱり暑いものは暑いもので涼しくなるわけもなく、せめてものはけ口としてこうして不平を述べてみたりする。
「それ言ったらサハラ砂漠? 辺りに住んでる人達はどうなるの。あの人達に比べたら大分幸せだと思うけど」
「そりゃそうだけど、比べるものが極端なんだよ。お前はエアガンと実銃を同じようなもんとでも思ってるんですか? 日本とサハラ砂漠なんて比べるまでもなくサハラ砂漠が上だろ。プラス殺傷能力まで付くぞ」
それに俺はここ日本で生まれ、日本での活動を想定して調整された日本仕様なわけでサハラ砂漠の人達と比べられても正直、畑違いだ。余所は余所。家は家なのだ。
「まあとりあえずさ、メシ食べない?」
時刻は正午を少し過ぎたくらい。昼を摂るにはちょうどいい時間帯だ。それに朝からバタバタしていたからまともに朝食を摂っていないので正直腹が減った。
俺の提案に黒乃がスマホを取り出し、画面を見る。
「たしかにお昼食べるにはちょうどいい時間かもね。今思ったら朝から何も食べてないからお腹も減ったし」
いやお前電車の中で、俺の目の前で思いっきりで弁当食べてただろうが。
「うん、じゃあまずご飯にしよっか!」
パッと顔を輝かせ、ホテルに面している大通りをキョロキョロと見る黒乃。そして数秒後顔を俺に戻し、ある一点を指差した。
「あそこにファミレスあるからあそこにする?」
黒乃の指差す方を見ると字源市でもよく見かけるファミレスチェーン店の看板が目に入った。
「え、こんな所まで来てファミレスかよ。どうせならもっと違う店がいいんだけど」
なんかこう、名物料理的な感じの振る舞ってるようなさ。
「いいでしょ、近いんだから。それに違う店捜してたらお昼時過ぎちゃうかもだし」
どうやらこいつの中では看板料理云々より空腹の方が大事らしい。でもまあ確かに違う店を捜してウロウロするよりいいかもしれない。何より外にいると暑いわけだし、早く店内で涼みたくもある。ならそこのファミレスに入るのがいいだろう。
「わかった。じゃ、そこでいいや」
「オッケー! んじゃ入ろうか」
まるでどこかハーフタレントみたいに人差し指と親指で丸を作って黒乃は駆けるようにファミレスへと向かっていった。
店内に入るとやはりと言うべきか、昼飯時ということもあって多く人で賑わっていた。加えてゴールデンウィークだ。きっと普段の休日より客入りが多いのだろう。
「申し訳ありません。少々混んでいまして少しお待ちいただけますか?」
うん。やっぱりこうなるよな。でもだからって今さら暑い外に出るのも嫌だし、何よりどこの店も混んでいることだろう。ならここで少し待つぐらいの方がまた出歩くよりいい。
「わかりました。じゃあ少し待っておきます」
そう返答を返し、待つこと十分弱。やっと席が空き、入り口近くの窓際の禁煙席に案内され、二人対面する形で黒乃と座る。
「はあ、やっと座れる~」
「ああ、まったくだ」
大きく伸びをしながら欠伸をする黒乃に続き、俺も小さく欠伸をし、メニューに手を伸ばす。
「あ、一人だけずるい! 私に先に見せてよ」
「二つあるでしょーが。二つ」
言ってテーブルの端にあるメニューをもう一つとって黒乃に渡し、ページをめくっていく。
……うーん。どれにしようか。肉メインやつにするか、それともバランスの取れたものにするべきか。いやそもそも洋食にするべきか、和食するべきかも悩ましいな。あ、でもここは洋食と違って値段もリーズナブルな和食の方がいいかもな。洋食と和食比べても量は多少和食の方が多そうだし。
そう思った俺は和食の中でも最安値のチキン南蛮定食を頼むことにした。
「お前は決まったか?」
対面に座る黒乃に声をかけると、どうやら決まったようで、先ほど厳しい顔つきで睨んでいたメニューから視線を外している。
「うん。決まったよ。私はこのデミグラスハンバーグとご飯のセットでいいや」
「相変わらず肉肉肉だな。太るぞ」
それに値段も高い。そこも相変わらずだった。まあファミレスの注文に文句を付けるのもいちいち面倒臭いんで数百円ぐらい多めに見てやるけど。
「太るわけないでしょ、この私が」
と、自慢げに言う黒乃。一体どこにその自信の元があるのか知りたいが、きっと人様より頑丈で膨大な消化器官を持ってますよ的な感じのことだと受け取って、テーブルに備え付けてある呼び鈴を押す。しかし未だ店内が混んでいることもあってか、店員が来るのがやけに遅い。この調子だともう少しかかりそうだ。
そう思った俺は店内から窓の外に視線を移す。外では大通りを行く人々が日傘を差したり、ハンカチで顔を拭いたりする様子が覗え、嫌でも外が暑いのだと思い知らされる。
やはりこういう暑い日は外を出歩かず、家でゆっくりと惰眠を貪るなり、自分の趣味に走るなりしていたほうがいいのだ。熱中症の危険も抑えられるし、何より出掛ければ何かしら出費があるわけで、外気と違って財布は寒くなるという事態も未然に防げる。と、こんな考え方ができる俺って意外と頭が良いのかもしれない。これは将来的に『主夫必見! 朝野蔵人の節約術』的な本が出せて、印税ガッポガッポてなことになることもあり得るな。
なんてことを割と本気で考えつつ、ただひたすら通行人を眺めるという作業を続行していると、不意にとある通行人と目があった。
赤みがかった茶髪をロールさせた少女で、白いワンピースを着込み、鍔広の帽子という装いだ。日本人離れしたその顔には日本人にはない可憐ささえ感じさせる。
そして視線を横にずらすと隣には丈の短いジャケットを羽織り、ホットパンツというややボーイッシュな出で立ちの少女。露わになっている瑞々しい太ももが何とも眩しい。ちなみにただ目に入っただけであって意図的に見たのではない。重要なことなのでもう一度言うが意図的に見たのではない。。
黒髪の少女の端正な顔立ちから覗くやや切れ長の双眸が不意にこちらに向けられた。
「!」
瞬間、俺は神速の速さで顔を正面へと戻す。おかげで首を捻った。
「くぅ~~~~ッ」
痛みで机に突っ伏しつつ、今見た顔を頭で反芻する。あれってあいつらだよな、あいつらですよね絶対。
「クロード、何してんの?」
まるで変な物でも見るような目で黒乃がスマホを弄る手を止めて怪訝そうに訊いてくる。
「もしかしてとうとう頭おかしくなっちゃった? いずれそうなるんじゃないかと思ってたけどやっぱりなっちゃったか。まあその捻くれた性格がとうとう脳の機能にまで影響したって考えればよく今まで保ったって褒めるところではあるんだろうけど」
「うるさい。最初から頭おかしいヤツにおかしいとか言われたくねえよ。てか俺で頭おかしかったらお前は脳が腐ったりでもしてるんだな。なぜなら段違いでお前の方がおかしいから!」
それか脳の代わりに筋肉繊維で頭蓋骨が満たされてるとか。
「腐ってない! ていうか女の子にそんなこというクロードの方が頭おかしいし! 常識ある人間なら女の子にそんなこと言わないよ!」
「大丈夫だ。俺はお前を女と見ていない」
「じゃあ私なんなの!」
「例えるならあれだな、伝説のポケモンみたいな? ほら伝説のポケモンって大体オスかメスか分かんないだろ」
「私は性別不明か!」
と、黒乃が何やら吠え始めたのを無視して再び窓の外に視線を移すと、先ほどいた二人組はいつの間にかいなくなっていた。
「……気のせいか」
呟いて、安堵の息を吐く。そうだよな。よくよく考えればこんな所にあいつらが
いるわけがない。我ながら少しばかり考えすぎていたようだ。
「で、お前は結局ここに何しにきたんだ?」
不安要素がなくなり、余裕ができた俺は先ほどと同じ質問を黒乃にしてみる。
先ほどこいつは観光でここに来たと言ったが、どうにも俺にはそれが本当の目的とは思えなかったのだ。
「だから言ったでしょ。観光だって」
「……観光ねえ。どうにも嘘臭いんだよ。ここは別段『日本屈指の~』みたいな謳い文句が似合う観光名所があるわけでもなし、わざわざ来る理由なんてねえだろ」
「だから観光も目的のひとつだって」
「『ひとつ』ってことは他に何かあるんだな?」
「まああるっちゃあるかな」
やっぱりか。こいつがただの観光でこんな場所に出掛けるなんて最初からきな臭かったんだ。
「他ってなんだよ」
もしかして厄介事とかじゃないよな? こいつといるとデフォで厄介事が付いて回りそうで正直不安だ。返答次第ではすぐさま帰る必要があるだろう。今でもいっぱいいっぱいなのにこれ以上面倒ごとが増えたら堪らない。
と、内心ドキドキで黒乃の返答を待っていると、対面に座っている黒乃の後ろ、つまり入り口付近が妙に騒がしいのが目についた。何だろう、と視線をそちらに向けると何やら二人組の少女が注目されているようだった。
顔立ちの整った赤茶色の髪をした外国人の少女に、切れ長の目が特徴な黒髪を長く伸ばした長髪の少女。人目を引くのも当然言わんばかりの組み合わせがそこにあった。そして黒髪の方と目が合った。最初は人違いかと思ったが、どうやら人違いではないようでこちらをずっと凝視している。
……あ、うん。あれあいつらですよね。さっきより近いからもう確信レベルで間違いない。
やはりという言うべきか、まさかと言うべきか。席を案内しようとする店員を差し置いてこちらに近寄って来る少女たちは――――
「な、成宮に志水……」
紛う事なき入界管理局所属の非常勤職員、成宮マキに志水アリスだった。
「ごきげんよう。朝野さん」
「奇遇ね、朝野君」
と、片側顔面痙攣でも患ってるのか、二人して引きつった笑みを浮かべてくる。……というかなんでこいつらが。
「……お前らなんでここにいるんだよ」
「うわ~……」
俺の自分でも分かる嫌そうな声に続いて、黒乃も「面倒臭いなあ」なというニュアンスを内包したような声を上げる。
まさか観光というわけでもあるまいし、だとしたら考えられる理由は入界管理局絡みのことになるんだが、どうにも思いつく理由が思いつかない。そもそもここは字源市じゃない。ならこいつらが動く理由なんてまずないだろう。だとしたら一体どういった理由でここにいるのだろうか。
「「朝野君のせいよ(ですわ)!」」
「はあ?」
二人の怒声に店内にいた人々が驚いた顔でこちらに奇異に視線を向けると同時に、俺の素っ頓狂な声が静まった店内に間抜けな余韻を残した。それで我に返ったか、二人がハッとした顔で頬を朱に染めて許可も出していないのに、対面の黒乃の横に成宮、俺の横に志水が座ってきた。
「なんでここに座る」
軽くぼやきながら、まったく予想外の返答が返ってきたことについて考えてみる。はたして俺が何をしたというのか。まったく身に覚えがない。いや、俺が原因ということはもしかして――――
まさかと思い、思いついたことを口にしてみる。
「俺に会いにきたのか?」
「当たり前よ」
当然とばかりに成宮が言う。
「え、マジで」
これまた予想外の返答だった。本当に俺に会いにきたって? もしかしてあの、これ俺がいないのが寂しくて会いきた、とかいう意味だろうか。
「もしかして俺がいなくて寂しかった?」
「そんなわけないでしょ!」
バンッ。勢いよくテーブルが叩かれ、再び店員、客構わずこちらを向く。またかよ。恥ずかしいほんとやめてくれよ。
「……あの、目立つからそういうことやめてくれる?」
成宮の方に寄り、小声でそう言うと再び顔を朱に染めて、半立ちになった姿勢を解いて座り直す成宮。最初から恥ずかしがるくらいならしなければいいのに。意外に成宮は普段のクールなイメージとは裏腹にうっかりさんなのかもしれない。
恥ずかしさからか、それとも先ほどの怒りを再燃させたのか、赤い顔で俺を見る成宮。
「な、なんだよ」
「とにかくここに来たのは字源市から勝手に出た朝野君を追いかけてきたからよ」
「はい?」
「はい? じゃありませんわよ」
と、今度は真横から志水が呆れ気味に言ってくる。
「許可もなく字源市から出て行って。ゴールデンウィークといってもわたくしたちは許可なく字源市を離れられませんのよ」
「え、だってゴールデンウィーク中って学校休みだろ?」
なら学校周辺のエリアを担当する俺たちは休暇というか、何もしなくていいわけだ。そもそも学校に通う俺たちがあそこを担当しているのも目立たないように長く在中できるからだという。だからこそ学校が休みの日は非常勤職員の仕事も休みだと聞いたのだが。
「基本は休みですわ。でも、大型連休中ですのよ。ゲートターミナルの利用客が普段より増えるんですから非番の非常勤職員も待機しておかなくてはいけないんですのよ」
「おまけに人手不足。だから少しでも字源市に留まってもらわないと困るのよ」
「いや、そんなこと言われても……」
こちとらそんな話初耳だ。大体事前にそういうことは言ってもらわないと分からない。学校が休みの日は休みとしか言われてないんだし、こいつらに迷惑かけようともこれは俺に非があるのではなく、入界管理局に非がある。よって俺は無罪放免っていうか、何も悪いことはしていない。
「ああ、でもなんか、すんません」
なんて思った瞬間に謝ってしまうのも無理ないわけで。目の前の成宮と横にいる志水の形相といったら一行に冷めやらぬようで以前強ばったままだ。
「大体、朝野君はね――――」
「――――あの~すみません、ご注文の方をお聞きしてもよろしいでしょうか……」
再び成宮の説教が始まろうとしたところで、申し訳なさそうに注文を取りに来たウェイトレスがおずおずと声をかけてきた。
「え、え、なに」
虚を衝かれたというかなんというか。突然のウェイトレスの介入により勢いを削がれた成宮が先ほどの怒りはどこ吹く風でウェイトレスを凝視している。
「……成宮さん。ここはレストランですわ」
助言とばかりに志水が成宮へ小声で声をかける。
「まあ、とりあえずなんか注文しようよ。さっきからお腹減りっぱなしだし」
対面に座る成宮の横。さっきから全然だんまりだったんでその存在すら忘れていた黒乃がつまらなそうに言った。
そういやここに来た目的も昼食べるためだったんだよな。その点からいうと案外的確な提案だった。
「そうだな」
呟いて、成宮と志水にそれぞれメニュー表を差し出す。
大型連休中の、しかも字源市でもない場所で入界管理局の二人に遭遇したのはマジで災難だが、まあそれは今は置いておくとして。とりあえず今は当初の目的である昼飯を食べるとしよう。
何を頼むか決まったであろう二人を確認して、俺は一つ目の注文をしたのだった。