黄金の休日群 1
「いやあ~、今日を含めてあと二日過ぎればゴールデンウィークだよ、クロード!」
「おう! そうだな、竹中!」
志水学園に入学して早一月が過ぎた五月の最初の一日。
放課後の部室でテンション高めにそう言った竹中に続き、俺、朝野蔵人も同じくテンション高めでそう返した。
部室では各々本を読んだり、チェスをしたりなど、まとまりのない活動をしていたりする。ちなみにチェスは以前あるアニメの影響で衝動買いした物を最近全然使っていなかったので持って来たのである。もちろんここは写真部という名を与えられた部室であって各々が行っている活動とは微塵も関係ない。が、顧問もどこかに逝ってしま――――じゃなくて行ってしまって活動方針すらもロクに分かりもしないのだから仕方ない。
「テンション高いねー、二人とも。なにかあんの?」
と、俺に断りもなく家から持って来た単行本を読んでいた黒乃が顔を上げる。
「そんなことも知りませんの? あなたは」
優雅に紅茶を淹れたティーカップ片手に志水が小馬鹿にしたような視線を黒乃に向ける。ちなみに飲んでいるのは志水が家から持参したという高級品である。
「ゴールデンウィークだよ、ゴールデンウィーク」
「ゴールデンウィーク? なに、一週間金塊でも降ってくるの」
「嬉しすぎるわ! 何、その天気予報に困る一週間! んな神様の贈り物みたいなもんねえよ!」
というかそんなもん降ってきたら大きさ次第で普通に死人が出るわ。まあ、降ってきたら嬉しいけど。
「ちげーよ。ただの連休だよ。今週末休み続いてただろ」
「なーんだ、連休のことだったんだ。期待して損した」
「お前が異常な期待しただけだろ」
「だってゴールデンウィークっていうからさー。ていうか休みが続く程度で騒ぎすぎじゃない?」
「バカ、学生や会社員にとって長い休みは黄金に匹敵するぐらい貴重な物なんだぞ。だからこそゴールデンウィークって呼ばれてるんだ」
「へー。そんなんで喜べるんだ。じゃあニートとか毎日ゴールデンウィークだね」
「いや、あれは違うだろ」
そんな年中ゴールデンウィーク嫌だよ。むしろ今後絶対に取りたくない連休だ。
「そうだ。クロード、今度僕の家に泊まりに来ないかい? 休みを全部使って遊びまくろうよ」
「お、いいねぇ。一段と楽しみになってきたよ」
これだから連休はいい。休みがあると普段やりたいことが目一杯やれるからな。
「ちょっと待った! それならご飯どうすんの。私、ゴールデンウィーク中インスタントなんて嫌だからね」
「ああ? 知らねえよ。自分で作ればいいんじゃないんですか」
「作れないから言ってるんだけど」
「じゃあこれを機会に自分で作ってみれば?」
いい加減こいつにも料理に慣れてもらわなきゃ、さすがに家事をする者として辛い。というか家主の俺だけ作って居候のこいつが何もせずばくばく食べているのがイラッとくる。
「だから作れないから言ってるの! あ、もう怒ったゴールデンウィーク中三食ずっと出前とっちゃおう」
「待て。それは駄目だ。いくらかかると思ってる」
そんなことしたら我が家のエンゲル係数がとてつもないことになる。
「さっきからうるさいですわよ。少し静かにしてもらえません?」
と、今まで黙って本を読んでいた志水が迷惑そうに顔を向けた。
「あ、ごめんごめん。お嬢様にはわからなかったよねー。庶民の問題が」
そしてこっちは嘲るように鼻で笑い、馬鹿にしたような笑みを志水に向ける。何も挑発するように返さなくていいものを。あと、庶民の問題じゃなくてお前の問題だろうが。
「なっ」
「それ以前に自分で料理なんて作ったことすらないよね、多分。いや絶対」
あ、それは同感。
「失礼な! ありますわよ!」
「「「え」」」
志水以外の三人の声がハモった瞬間だった。マジで……
「なんですの、そろってその顔は」
仕方ないだろ。そもそもお前みたいな令嬢が自分で料理をする、もといできるとは思っていなかったんだから。まあ、その令嬢が日々この辺の見回りをやっているのは置いとくとしてだが。
「あの……ちなみに何を作れるんだ」
つい興味本位で尋ねみる。もしかしたら俺なんかよりすごい料理を作れるのではなかろうか。そうだとしたら多少自尊心が傷ついてしまう。
「えーと……」
何やら都合の悪そうな顔で口ごもる志水。
事実不透明になってきたな、おい。
「で、何が作れるんだ?」
「……っ、あの、この世界の料理では…………キャビアのクラッカー盛り……ですわ」
「え」
今なんて言った。このブルジョアお嬢様。
「は? キャビアってなに?」
「世界三大珍味のひとつに数えられるチョウザメの卵だよ。近年漁獲量が減ってきて、希少価値が高まっている高級食材さ」
頭に疑問符を浮かべて、ナンノコト? と考え込んでいる黒乃に竹中がどこの専門家だよ、とツッコミを入れたくなるほどの流暢さで解説する。
「へえ。さすがご令嬢。食材に糸目つけないねえ」
確かにさすがにお嬢様だ。けど――――
「キャビアのクラッカー盛りって、クラッカーの上にキャビア乗せるだけだろ。めちゃ簡単じゃん」
「うんうん、超簡単すぎ」
料理もできないお前が言うな。
「あー……うん、難しい料理とは言えないね」
いつも一歩退いた意見しか言わない竹中もこれだけは誤魔化しようがないらしく、困り顔で愛想笑いを浮かべて俺たちに同意する。
「うっ! で、でも、できることに変わりはありませんわ」
それはまあ、たしかに変わりはないな。
「変わりないって、それほとんどできないのと一緒だよね。それくらいなら私にだってできるし。まったく最初からできないならできないって言えばいいのに」
「だ、だからできますって!」
「その点私は自分で作れないことを誤魔化したりするでもなく、ちゃんと潔白なく事実を正直に言ってるしねえ。幾分か私の方がマシだと思わない?」
こっちを見るな。そして俺に振るな。
「やっぱり人間正直が一番ってことだね」
「お前は少しは自分の料理のできなさを誤魔化せ。たしかに志水が料理できるってのは引っ搔け臭かったけど、どんな形であれ自分で料理してる志水の方が正直なお前より進歩あると思うよ、俺は」
「ないぃぃ!」
「あ、朝野さん……」
「さすがクロード。主夫は言うことが違うね」
「主夫言うな、主夫って」
大体、今まで家には俺一人しかいなかったんだから自分の分は自分で作る、なんてことしていたらそりゃ一応は作れるようになる。もっとも住人が増えたところで俺の負担が増えただけなのは言うまでないが。
「男のくせに料理がうまいなんて、まるでライトノベルに出てくる主人公のようだね。うん、見所あるよ」
「なんの見所だよ」
まだ何か言っている竹中を適当に聞き流しつつ、中断していたチェスを再開して自分の駒であるところの白のナイトを移動させる。たしか俺の番だったよな。
「主人公の見所だよ。あ、でもその捻くれた性格さえなければもっと近くなるけど」
言って俺がチェスを再開していたことに気づいていたのか、ゆっくりとした手つきでビッショップで今さっき移動したナイトを取る。くそ、ミスったな。
「――――とにかく! それくらいのレベルじゃ、料理作れるって言わないから!」
「え、その話まだ続いてたのか」
「当然! これじゃ締まり悪いからね」
「逆に締まりいいだろ。ていうかそこまで言うなら料理のひとつでも覚えろ。もしくはもう少し常識ってものを勉強しろ。一般的な女の子は普通料理の一つや二つできるものなんだよ」
「それ偏見! へんけーん! 男女差別ですよ、それ!」
あー、うるさいな。変なスイッチ押しちまったか。
「はい! この話はこれでおしまい! チャンチャン!」
「ちょっと、無理に終わらせないでよ」
うるさい時は強制終了させるに限るのだ。
「クロード。チェックメイト」
「え?」
よく見るといつの間にかキングの前方にルークがきていた。あれ、おかしいな。キングが邪魔して普通ならこの位置には移動できないはずなのに。
「ちょっと待て。このなんでルークがこの位置にいる」
「なんでって、キャスリングしたんだよ。ほら、ルークとキングの位置を入れ替えるやつ」
「え、なに。そのルール」
「知らなかったのかい? 一度も動かしていないルークとキングは移動する線上に攻撃可能な駒がいなけれお互いを入れ替えることができるんだよ」
言われて見て見ると、なるほど。たしかにルークとキングの位置が入れ替わっている。
「ぬっ。なら移動するればいいこと!」
「あ、そこもビショップで取れるよ」
「ぐっ。たしかに。ならここだ」
「そこはナイトがいるからアウト」
「うっ」
「逃げ場はないよ。詰みだから」
「……負けました」
手に持っていたキングを置いて、両手を上げて、俺は降参のポーズをした。
「ただいまー」
部活が終わり、まだ学校に残るという志水と途中まで一緒に帰っていた竹中と別れ、帰宅するとつい、誰もいないのにそんなことを言ってしまった。誰もいないのは分かってるんだけどつい、癖で言ってしまうだよなあ。黒乃が先に家に帰って来てれば問題ないんだけど、いつもほぼ一緒に登校したり下校したりしてるから『おかえり』も『ただいま』も我が家ではないのである。
「おかえりー」
「なんでお前が言う」
ツッコミながら荷物を自分の部屋へと置いてき、夕飯の支度を始める。冷蔵庫の中にたしか先日買っておいた合い挽き肉があったから今日はハンバーグでも作るか。
そうと決まれば即行動。
タマネギをみじん切りにし、軽く炒めて、卵、挽き肉、パン粉を混ぜて形を整え、フライパンで蒸し焼きにする。その間にソースをちゃちゃっと作る。
さて、一通り終わったな。あとは適当にミックスベジタブルでも炒めて添えれば完成だ。
まだ時間がかかるので手休めついでにリビングへと移動しする。リビングでは見もしない夕方のニュース番組を流してつつ、黒乃がソファの上に横になって週刊少年誌を読んでいた。
人に料理させといてゴロゴロしやがって……。まったくいいご身分なことで。
口に出すと色々とうるさいので心の中で毒突きつつ、黒乃が寝転がっているのとは別のソファに座る。
なんとはなしにテレビに視線を移すと、都心のニュースやら外国の珍事件などをやっていた。興味のないイベントやらパクリ事件で訴訟とか、次々と話題が移り変わっていく。
「――――県で五月三日から――――遺跡で発掘された古代の品々の展示会が行われ――――ゴールデンウィークということもあり、多くの来場者が見込まれる――――」
「あ。ああああああああああああああ!」
ハンバーグを裏返し、再びリビングに移動してテレビに視線を移しているともいきなり黒乃が大声を上げた。
「おい、ちょ、どうしたんだ――――って角!」
大声に驚き、黒乃の方へ顔を向けた瞬間、あいつが読んでいたナイフで刺されてもなんとか体への直撃は防げそうなくらい厚い週刊少年誌が顔面へと飛んできた。それも閉じた状態で角の部分が。
「ぬおおおおおおおおおおおおおおお!」
痛い。めちゃ痛い! なんでそんないきなり投げるんだよ! 俺反射神経良くないんですけど!
「……こっちの世界で活動拠点を手に入れて、いざ動き出そうとしたらこれか……入界管理局が絡んできたりとか色々面倒なことはあったけど、それを差し引いてもあまり余る偶然……これは幸先いいねえ……」
「おい! いきなり何すんだよ! めちゃ痛いぞ!」
今や凶器とも呼べる漫画本を投げた張本人は痛がる俺を余所に何やら興奮した様子でテレビを前にボソボソ呟いている。
「おい! 聞いてんのか!」
「――――あ、ごめん。つい興奮しちゃって。ま、でもいいよね♪」
「よくねえよ!」
俺の抗議もいざ知らず。先ほどの怠惰とした姿とは打って変わって、今はウキウキという形容がピッタリなほどに活き活きとした笑みを浮べている。一体今の一瞬で何があったんだ?
「クロード、ご飯まだ?」
不審がる俺をまったく気にせず、興奮冷めやらぬ様子で今度は飯の催促をしてくる黒乃。
こいつはどんなに興奮しても食欲だけは忘れないんだな……ってハッ!
「やべえ! ハンバーグ焦げる!」
と、そこで料理中だったことを思い出し、俺は深く追求することも忘れ、すぐさま台所へと向かった。
「ふぅー。癒やされる~」
夕食を終え、片付けを済ませた俺は先に風呂に入っていた。
体を覆う温かなお湯は体を浄化するように一日の疲れを癒やしていく。室内は先に入っていた黒乃のせいか、俺の物ではない女物のシャンプーの匂いで満たされている。黒乃が来てからあいつが先に入るようになったのだが、やはり今でも少し落ち着かない。
ふと、あいつのことを思い浮かべて、先ほどの夕食の様子を思い出す。
妙に嬉しそうに夕食を頬張り、気味が悪いぐらいに機嫌が良すぎた。
あいつの様子が変わったのは、料理が大体終わり、俺が手休めがてらリビングに来てからだったか。
あの時の様子を思い出す。
たしか、あの時あいつはソファの上でいつも俺が愛読している週刊少年誌を読んでいて、それをいきなり俺の顔面にシューティングしやがったんだ。で、それから妙に機嫌が良くなったんだよな。
でもなんでだ? あの時のあいつは別にいつも通り、ソファに横になって週刊少年誌を読んでいるという特に珍しくもないスタイルだった。
あの時に一体何があったというのか。
どんなに考えてさっぱりわからない。
……考えるだけ損か。正直あいつの様子が変でも俺には関係ないしな。
「いや、もう少し考えてみるか」
どうにも湯船の中は気持ちが良く、まだ浸かっていたい。口実、というわけではないが、いつもならもう上がってる頃合いだ。長湯の理由ぐらいは欲しいし、ちょうどいい。
長湯するにあたってまずは詳細にあの時の様子を思い浮かべてみよう。
その一、少年誌を読んでいた。
その二、ソファに横になっていた。
その三、テレビを見ていた。
詳細といっても思い浮かぶのはその三つだけか。別段おかしな点がないとも思わないが。
黒乃が読んでいた少年誌をさっき確認のために少し読んだが、何らおかしな点はなかった。それは毎週読んでいるからすぐに分かる。
ソファ……は……うん。昨日も座ったし、問題ない。
テレビは……あ。そうだ! テレビだ。テレビだよ!
あいつはテレビを見て様子が変わったんだ。いや、正確にはあの時やっていた番組を見て。
たしかあの時やっていたのはニュース番組だったな。でもなんでニュース番組なんかで機嫌が良くなるんだ?
特に珍しいそうなニュースなんてやってなかったと思うし……あ、もしかして知り合いが出ててたとか? んで、なんか嬉しくなって機嫌が良くなったとか。
あるよなそんなの。俺も見知ったやつが出てたら少しはテンションが上がる。
とそこまで考えて妙に変な気分になってきた。
「……長湯しすぎたか」
頃合いか。そろそろ上がろう。まだ考えてる途中だがこれ以上考えてもおもしろくもなんともない。
それにあいつの機嫌が良くなろうと悪くなるよりはマシだ。いきなり様子が変わろうとこの前のグールの件や銀行強盗事件のような面倒事には繋がらないだろう。