事件のあとに 2
感想や評価、アドバイスなどいただけたら助かりますのでもし良かったらお願いします。
入界管理局の擬態用ビルから大通りに出ると、外は薄暗くなっていた。時計に目をやっていなかったから気づかなかったが、だいぶ時間が経っていたようだ。
「んじゃ、さっさと帰るか」
仕切り直すように呟いて歩き出す。
明日は学校だし、飯の準備もしなくてはならない。それに何より居候が腹を空かして待っているであろうから、あまり遅くなるとぶつくさと文句をだらだら聞かされることになりそうだ。ここはなるべく時間短縮も込めてなるべく早く買い物を済まさないといけないな。いや、そもそも冷蔵庫の中にストックあったっけ? うーん、いまいち思い出せないな。ま、とにかく適当に安い食材買って帰るか。
漠然ではある買う物も決まった所で、少し歩を速める。
視界には鮮やかな光で飾れ、街を様々な色に染めていくネオンの数々。歩道には、一日の労働を終えたサラリーマンや学生などで溢れかえっていて実に歩きにくいことこの上ない。
この時間帯は人が多く歩きにくいから普段は時間を選ぶのだが、入界管理局絡みのことなら仕方ない。今の俺は誰かさんのせいで言い様に使われる下僕も同然なんだから。
人の波を避けつつ、先ほどの志水との言い合いを思い出す。
「少し熱くなりすぎたかもな……」
というかなんで俺がクロノスのことであんなに熱くなったのだろうか。
別に志水がクロノスをどう思おうが関係ないと、言い聞かせたのは自分ではないか。それなのに性にもなく熱弁を振るうとは一体どういう了見か。
そこで思い出されるあの時のクロノスの顔。
志水からは関係のない所で恨まれて、助けた人々から化け物と言われ、挙げ句の果てはあんな顔をして。さすがに不憫と思うというか、なんというか。
「……ああ。そうか」
得心がいった。
どうにも俺という人間は浮気性のようだ。一度決めたことも満足に突き通すこともせず、コロッと趣旨が変えとは。
それも変えた理由が、
「同情してただけか……」
最悪な部類だな、その理由は。
俺はあいつが今までどういった道を歩んできて、どういった風に生きてきたかは知らない。けれど災厄の使徒であるのだからあまりいい行き方はしてこなかっただろう、と思う。
そう。思う。
結局俺は、その思うであいつに同情していたのだ。
そりゃあもしかしたら俺が思っているのとは逆でおもしろ可笑しく生きてきたのかもしれないし、俺が思っている以上に悲しく生きてきたのかもしれない。
けれど俺は知らないのだ。全く何も。
所詮はあいつの気持ちをわかったふりをして同情しただけだ。本当のところは少しもあいつの気持ちなどわからないのだ。
だからこの行為は正真正銘の偽善で意味を成さないものだ。
「……ふぅ」
深くため息をつく。
父さんと母さんが死んだ時、その時に周囲の人間からかけられた励ましの言葉や慰めの言葉が俺はどんなに嫌いだったか。俺は自分の気持ちが少しもわからない連中に『私たちにはあなたの気持ちがわかるからね』というまるで自分が体験したような見え見えの同情を向けられるが嫌いだった。
つまり、俺は自分がしてほしくないことを他人にやっていたというわけだ。
「いらん世話だったな」
けど過ぎたことは過ぎたことだ。今さら後悔しても仕方がない。今後はなるべく志水にはクロノスのことは触れないようにしよう。今回の件でもわかったように何かと関わる機会も今後結構あるかもしれないし、これ以上関係がぎくしゃくしても接しにくい。
思考を切り替えるように軽く頭を振る。
はい。これでこの件について考えるのはおしまい。今はスーパーに着く前に今夜のメニューを何にするかを考えよう。
と、前を向いたところで視界の隅に見慣れ姿が目に入った。
「お前ここで何やってんだ、クロノス」
歩道脇の本屋でファッション雑誌だろうか、可愛いモデル風の女の子が載った本を読んでいた。
バッグを持って制服を着ていることからきっと学校から直接ここに来たのだろう。
「遅い! どんだけ待たせるの」
「いや、そもそもなんでいるんだよ、お前」
別に約束なんてしてないだろ。
「部活が終わって思いの外暇になったからなんとなーく来てみただけ」
「そっか。てか、近くで待ってんなら連絡でもすればよかったじゃねえか」
「連絡? ちゃんと電話しましたけどね、わ・た・し」
「え」
言われてポケットから携帯を取り出してみると、ああ、なるほどたしかにメールと着信の両方がきていたようだ。
そういえば入界管理局の中に入る時にサイレントマナーにしていたんだったな。
「悪い。今気づいた」
「気づくの遅いよ。……ま、もういいけど。さっさと帰ろ。お腹減ったし」
読んでいた雑誌を戻し、家の方に歩き始めるクロノスに続いて歩き始める。
「あ、そうだ。お前もいることだし、帰りはファミレスかどっか寄ってくか? 俺も帰って作るの面倒だし」
「賛成! 行く行く! やったね、今日の夕飯にはデザートもついてくる!」
「つかねえよ! つかせねえよ! あくまで頼むは一つだけ」
「なんだがっかり。融通が利かないね、相変わらず。そんなんじゃ、将来甲斐性がないって理由で結婚を前提に付き合っていた彼女にいいところで振られるよ」
「余計なお世話だ!」
逆に家庭的だって理由でモテるかもしれないぞ、多分。
それからクロノスと二人、学校のことを話ながら歩き続ける。
「で、あの隣のクラスの担任のやつな、えっと名前は……
「――――ねえ、クロード」
大通りを抜け、住宅街に出たところでクロノスが唐突に今まで話していた話題を遮るように言って、その足を止めた。
「ん、どうした?」
「クロードはさ、この昨日私が助けに来た時どう思った?、」
発せられた声は真剣味を含んだ、いつもの飄々としたものとはどこか違うものだった。なんだ、いきなり。
「……その、なんていうの? みんな驚いてたからさ。クロードはどうなのかなー、なんて」
「別に。今さらあんなことで驚くかよ」
というかグールと戦ってたお前を先に見たこっちとしては昨日の方が可愛く見えるよ、ほんと。
「ふーん。じゃあ怖い、とかクロードは何とも思わないんだ?」
「思うかよ。じゃなきゃ怖いヤツとこうして隣なんて歩いてない」
「…………そっか」
耳をよく傾けないといけないくらいの小さな声でクロノスはどこか嬉しそうにそう呟いたあと、
「ていうか最悪女ってなに! もうちょっとまともなこと言えないわけ? ああ、もうイライラするな。よし、特別に普段から『黒乃』って呼んでいいことにしてあげる!」
「は?」
意味が分からん。いきなりなんだ?
「別にクロノスでいいだろ」
「使い分けんの面倒でしょ」
「まあ、確かに面倒だな。……わかった。じゃあこれから黒乃って呼ぶよ」
「はい、決まり! んじゃこれからは黒乃でよろしくね」
「あーはいはい」
さっきとは打って変わって嬉しそうな声を上げ、はしゃぎ出すクロノス……じゃなくて黒乃。この一連の会話にどこか喜ぶ要素があっただろうか。
「じゃ、お腹も減ったし、早く食べに行こうか」
「ちょ、おい。引っ張るな」
痛い痛い! 腕、腕、腕痛いからマジで。そんな引っ張らないで!
そうして嬉しそうな黒乃に引っ張られ、ファミレスへと向かう途中、。
「……ありがと。君のそういう所は好きだよ」
過ぎ去る自動車の音にかき消されるくらいの、よく聞こえない声で黒乃はそう何事かを呟いた。
翌日。いつものように授業が終わり、放課後の部室へと三人で赴き、それぞれ別のことを始める、といった写真部とは全く関係ない作業へと移る。ちなみに俺は読書、竹中はクロスワードパズルを解いていて、クロノスはカバンから取り出した週一発売の漫画雑誌を読んでいる。
先日の強盗事件がまるで嘘であったかのような平凡な日々。
窓から覗える太陽は昼間の眩しさとは一変して目で見るにはちょうどいい夕日に変わり、一日の役目を終えるべく地平線の彼方へと消えていく。
いやあ、平和だねえー。
やはり普通の一般人たる俺の過ごす日々はこうでなくてはね。
願うことなら今後二度とあんなことに巻き込まれませんように。
そのためにはまず黒乃はもちろん、志水と行動する時も気をつけなくてはならないな。もっとも志水とは昨日あんなことがあったから行動云々の前に気まずくて話しかけ辛いんだが。
と、不意にドアの開く音が聞こえた。
誰だろうか。ここには写真部メンバーは全員そろってるし、顧問はどっか行っちゃっていない。だとすると他の教諭か? だとしたらまずい。早く黒乃に漫画しまわせねえと後でめんどくさいことになる。
「おい黒乃、急いで――――」
と言いかけた入ってきた人物見て絶句する。
「お邪魔しますわ」
意外も意外。入って来た人物は俺の想像したものとは大きく違っていた。
「なっ、志水……」
そこには先日俺を散々な目にあった元凶を作った少女だった。
「どうしてここに」
「深い理由はありませんわ」
言って目を丸くしている俺を通り過ぎ黒乃の前へと移動する。
「へ、へと何?」
いきなりのことにか、今まで漫画雑誌を読んでいた黒乃も戸惑っているようだ。
「別に大したことではありませんわ。ただ言いたいことを言おうと思いまして」
言いたいこと? はて何だろうか……はっ、もしかして昨日あんな会話したから何か良からぬことを言うつもりなのか。
「先日は助けてくださってありがとうございました。以上ですわ」
「は?」
つい、声が漏れてしまった。原因は予想外の台詞が志水から発せられたからだ。
昨日あんなに散々な黒乃について言ってたのにどういうことだ?
突然のことに面食らっていると、志水が持っていたカバンを机の上に置いて、俺の目の前に座った。なぜ座る……
「おい、なんだいきなり来て」
声をひそめ、なるべく周りに聞こえない声で話しかける。すると志水もこちらの意図を察したのか、同じく小さな声で返してきた。
「昨日のあなたとの無駄な問答で少し考えることができまして、自分の目で見極めようと思っただけですわ。あなたが言うように彼女がわたくしの思うような者なのか、それともあなたの言うような者なのかを」
「……あ、へー……そうなんだ……で、なんでわざわざ写真部に?」
「ですから、見極めるためと言いましたわ」
言って何やらカバンから出す志水。
「どうぞ。入部届け出ですわ、朝野さん」
「へ?」
「なるべく近くで見極めることにしましたの。それにあなた方は何を起こすか分かりませんし、一応ストッパーとしてもここにいようかと」
「マジですか……」
「では、改めてよろしくお願いしますわね。朝野さん」
そして志水は「それではまた後日」と言い残して未だ唖然としている竹中、黒乃、俺の三人を置いてさっさと出て行ってしまった。
「えーと、今の何?」
正気を取り戻した竹中が言う。
「ああ、どうやら部員が増えたらしい」
驚いている竹中から視線を外して窓の外を見る。
なんていうか、また面倒臭いことになりそうな気がしないでもないような。そんな気がする。
……いやまだ起こってもないことだ。気にするのはやめよう。何よりもうすぐゴールデンウィークだ。ゲームやらラノベやらアニメ視聴やらで日がな一日ゆっくり疲れた精神を癒やすとしようじゃないか。もっとも例年通りには多分、いや絶対にいかないだろうが、何日間か学校に行かず暇を持て余せるというだけで素敵な響きだ。今はそれを糧にゴールデンウィークまで期間を過ごすとしよう。
――――それに。
黒乃に視線を移す。頬を緩めてどこか嬉しそうな、そんな顔をしている。
あんな顔を見るのも悪くはない。
暮れゆく夕日を見ながらなんとなくそう思った。