事件のあとに 1
「……終わった。ったくこんな物書かせやがって」
手に持っていたペンを放り出し、目の前の机に顔を埋め、俺は安堵のため息を出した。その反動でA4サイズ二枚が机の上を舞う。
「なんで俺がこんな物書かなきゃいかん」
「うるさいですわよ、朝野さん。少しは静かにできませんの」
目の前から志水のやや怒り気味の声が聞こえてくる。
「誰のせいだと……」
その声を聞いてさらにイラッときたがここは我慢。余計なことを言うとまた色々怒鳴られる。
強盗立てこもり事件が解決を見て翌日。つまりは今日。
事件は警察が解決したという方向で報道され、世に知れ渡ることとなった。
当然のことだが、俺(ぶっちゃけ何もしてないが)と志水、クロノスのことは表だって知られてはいない。なんでも記憶消去と情報統制を行ったらしく、この事を知るのは日本政府のお偉いさんと入界管理局だけだという。前回に引き続き、かなり優遇されているようだが、異世界の機関なだけにその辺はやはり政府も大きく出られないのかもしれない。
で、そんなすべて解決したという流れの中。下っ端の俺には全然関係ないでしょーと、昨日一日を過ごしていたのだが、そうは問屋が卸さなかった。
少し遡ること今日の放課後。
いざ写真部部室に行かんとカバンを手に教室を出たところで「朝野さん。今から入界管理局に行きますわよ」と、志水からお呼びがかかったのだ。
そして今現在。俺と志水の二人は入界管理局のとある一室で事後処理をしていた。もちろん俺たちにできる事後処理なんて限られているわけで、用は報告書と始末書をまとめろとのことだった。
まるで問題を起こした会社員のような対応だが、志水は別として俺はアルバイトのようなものであって、こういうのを書くのには些か年齢的に早いような気がする。それに加え、俺はただ志水に巻き込まれたようなものだから本来的には被害者側に位置するのでであって関係はないのだ。
それなのにこんな物まで書かされているのだから愚痴のひとつぐらい出るのは当たり前だろう。
「大体、志水があそこで俺の言うとおり隠れてやり過ごしときゃ良かったんだよ。そうすればこんな物書かなくて済んだのに」
「なら朝野さんは人質を見捨てろと? わたくしにはそんな非情なことはできませんわ」
すでに俺より早く書き上げ、何やら武装転送用端末を弄っていた志水がその手を止め、鋭い視線を俺に向ける。
「そういうことじゃなくて警察に任せれば良かったって言ってるんだよ。警察が外にいたんだし、あいつらも下手に手出しはできなかっただろうしな」
「でも激情してわたくしを撃ってきましたわよ? それでも手を出さなかったと言い切れて?」
「それはお前が襲いかかったからだろ。もし俺が強盗の立場だったとしても襲いかかられちゃ、さすがに撃たない自信はないぞ」
「……ま、まあ、それはそうですけど」
引っかかるところがあったのか、言葉を濁す志水。
「ついでに、お前が抵抗したせいで人質の危険が増したのも確かだ。もしかしてたら怪我人が出ていたかもしれなかった。その辺考えるとやっぱり警察に任せた方が良かっただろ」
「……たしかにそうですけど。でも、少なくともわたくしには自分に助けられる可能性があるというのであれば、目の前で起きていることを無視するなんてことできませんわ」
む、なんか少し格好いいこと言うな。
「でもその可能性を信じた結果、お前は怪我しただろ」
「あれはたまたまで……」
「そのたまたまでお前は殺されてたかもしれないんだぞ。クロノスが間に合ったから良かったものの、間に合わなかったら確実に死んでた。一応、あいつに感謝くらいしとけよ」
「……誰が」
何気なく。
ただ何気なく会話の流れでそう口走った瞬間、いきなり志水を包む空気が鋭いものへと変わるのを感じた。
敵意、それに近いものを。
「誰が。……誰が災厄の使徒に感謝なんてするものですか!」
志水の怒声が響き渡り、空気が震える。
「大体あれは朝野さんを助けるついでで、わたくしは断じて助けられていませんわ! それこそ助けられたりなんかしたら一族の恥ですもの」
「そこまで言うことないだろ……」
「言いますわよ。朝野さんは災厄の使徒というものを知らなさすぎるんですわ。彼女は、災厄の使徒は無慈悲で、殺戮を好んで、理由もなく無関係な人を殺して、喜びに酔うような、人を何とも思っていないような存在です! それがどうして私を守るものですか!」
無慈悲で。
殺戮を好み。
理由もなく人を殺して喜びに酔う。
「誰だよ、それ」
少なくともそんな人物は俺の知り合いにはいない。
「クロノスさんのことですわ! 彼女は元来そんな存在。だから人を守るなどするはずがありませんわ!」
必死に。まるで虚構を俺に教え込むように叫ぶ志水。それは前に成宮に聞いたものよりも
違う。
あいつはそんなヤツじゃない。それは出会った時から知っていたし、今では確信となっていることだ。
「じゃあ訊くけど、なんであいつは俺を殺さないんだ? もし志水の言うとおりのヤツなら一番近くにいる俺なんて真っ先に死んでるだろ」
段々と声が低くなり、なぜか自分の声が真剣味を帯びていくのを感じる。
「それは朝野さんに何らかの利用価値があって……それで生かしているだけでしょう」
「そうかもな。でも、俺に利用価値がなくても絶対にあいつは俺を殺したりなんてしない。
たとえ俺の立場に志水がいたとしてもな」
あいつは利用価値云々なんかで人を殺したり生かしたりなんてしない。
「志水はなんでこの前のグールの件でクロノスが押されていたか知ってるか?」
「グールが彼女と同等レベルの戦闘能力を獲得したからでしょう」
「そうだな。たしかにそれも含まれてるだろう。けど、本当の理由はそれじゃない」
志水は知らないのだ。あそこまでクロノスが傷を負った理由を。そもそも志水はグールを見て気絶していたのだから知りようもない。
「クロノスはな、俺たちを守りながら戦っていたんだよ。だから本来の力を発揮できず、傷を負ったんだ。言っておくけど、俺たちの中にはお前も入っているんだぞ、志水」
「なっ……」
「だからクロノスはお前の思っているような悪いヤツじゃないんだよ」
そう。
あいつは家にいれば色々と迷惑なことをしでかしたり、面倒なことを起こすけど、悪いヤツじゃないのだ。
「…………けど」
ぽつりと志水が呟く。
「災厄の使徒は殺しましたわ。何もしていない、何も知らずに日々を送っていた人たちを、何が起きたかもわからないまま殺しましたわ。これからも楽しく生きるはずだった人たちも一瞬にして……おばあさまも……」
その言葉は弱々しく、自身の正当性など微塵も感じさせないほどに小さくなっていく。きっと気づいているのだろう。自分がどこか間違っていることに。
「……志水の事情は、その、成宮から聞いた。だから志水がクロノスに抱く感情も何となく、いや、ほんとになんとなく分かる。でも、それでもクロノスをお前の知っている災厄の使徒と一緒にしてほしくないんだよ。そりゃあいつも災厄の使徒だろうけどさ、全部が全部お前の言うようなのじゃないと思うんだ。だから――――――」
「――――それでも、それでもおばあさまは死にましたわ! 一瞬で殺されましたわ! 瓦礫にまみれて姿形もわからないくらいに酷い状態で、人間としての尊厳すら与えられぬまま死にましたわ!」
行き場のない憎悪を吐き出すように俺にぶつける志水。その目元は僅かに光を帯びていた。
「それにクロノスさんが自分を隠している可能性だってありますわ! もしかしたら彼女の本性は私の言うような――――」
「ねえよ!」
室内に反響し、空気を揺らす俺の声。
きっぱりと言い切ったその声には、自分でも気づかないうちに怒気が含まれていた。
「そんなことあるわけねえだろ」
思い出されるクロノスの顔。あんな顔をするヤツが志水の言うようなヤツであるはずがない。
「この前の強盗事件の時、クロノスがお前を助けただろ。あのあと銀行を出る時、クロノスがどんな顔していたか知ってるか? あいつはな、化け物って言われて悲しそうな顔してたんだよ。そりゃあ銃弾を生身で受けて平然としているようなヤツだ。言われて当然かもしれない。でもな、そんな顔するヤツがお前の知っている災厄の使徒と同じなはずないだろうが」
「…………」
「…………」
志水は俯いたまま何も言わない。
「…………」
「…………」
静寂が室内全体を覆い、どれくらい経っただろうか。体感では十分以上は経過した気がする。けれど、それでも志水は口を閉じたままだ。
それからさらに五分くらいが経っても志水は口を開けることはなかった。
「じゃあ俺、書き上げたんでもう帰るな。紙、ここに置いとくぞ」
さすがにこれ以上の長居は時間の無駄だし、何より居心地が悪かったので俺はその場を去ることにした。
「じゃあな」
後ろ手に手を上げ、廊下に出て、出口に向かって歩き出す。
「…………」
結局、志水は俺が帰るまで口を閉ざしたまま、顔を上げることすらもしなかった。