日常の中の非日常 8
銀行の中に入ると元々銀行にいたであろう人や俺たちと同じく銀行の外から連れ込まれた人が腕を縛られた状態で三十人ほどフロアに集められていた。皆同じように顔を苦渋に歪ませ、見るからに不安を滲み出させていた。もちろんその中に俺も含まれるわけで、この前のグールの件とは違う命の危機を感じていた。
……やべーよ。どうすんだよ、これ。
てか、この前もありえないことに巻き込まれて今回もですか……あ、いや、この前のグールの件に比べると日常から遠くかけ離れたことではないわけだからこれはありえないことではなくてある意味日常的なことなのか………?
―――っていやいやいやいや! 日常的であろうがそうでなかろうが今はそんなこと考えている場合じゃない!
今はこの状況をどう打開するか考えなくては最悪死ぬ。考えろ、俺。
「おい、ぼっとしてないでさっさと並べ」
考えることに集中していたのか、いつの間にか立ち止まっていた俺の背に銃が突きつけられ強盗グループの一人が押してくる。
言われるまま指示に従い他の人と同様に両腕を縛られ、人質集団の最後尾―――すぐ後ろには背が付くくらいの距離に透明のガラスでできた壁があり、そこに座らせられる。
そして横には志水。
見ると俺とは対照的に志水の顔は特にこれといった怯えの色はない。たとえるなら休日に家で暇つぶしにニュース番組でも見ているような、ただ流れている映像をただ見ているといった感じだ。
多分、この中で一人だけ異常者を上げろと言われたら俺は間違いなくこの状況で異様なくらい落ち着き払っている志水を上げるだろう、というぐらいに志水はこの場で唯一の存在だった。
だが、それも最後尾という場所にあるせいだろう、銀行強盗の目には今のところは入ってはいないようだった。
にしても、こんな危機的状況だってのによく落ち着いてられるな、志水は。さすが魔術師様は違う。
俺だってこの前、非現実的で最上級に危機的な状況に陥ったわけだが今は自分でも分かるようにこの前以上に恐怖を感じている。
なんというか、この前のグールの件は異常すぎてその異常を逆に感じられないほど現実感が喪失していたのだろう。だからある程度はあの状況でも行動できた。
だが今は違う。
この前と同じで非日常ではあるがどこか現実味を含んだ『もしかしたら生活している中である程度の確率で遭遇するかもしれない』という、グールの件よりも遭遇する可能性が高い分、現実的で恐怖を感じている。
そう。今俺は現実的な死に直面しているかもしれないのだ。
かもしれない、というのは未だ銀行強盗が人質を躊躇いなく殺す人種なのか、それとも人質を道具でなく、あくまで大事にすべき交渉材料として見ている人種なのか、計りかねているからである。
まあ、計りかねているからといって怖さがマイナス方面にいくわけでもなく、ただただ俺にとってはこの状況は『怖い』の一言に尽きる。
その証拠にさっきから後ろで結ばれた両手から異常なくらい汗が出て、おまけに小刻みに振動までしている。
我ながら自分から見ても全然頼りにならないくらい頼りがいがなく、そして情けない。
――――だから俺はもしもの時に備えて、震える手をズボンの後ろポケットに突っ込んだ。
「いいか、お前らおかしなことは考えるなよ! もし下手な事をしたら容赦なく殺すからな! わかったな!」
銀行に連れてこられて十分くらいが経過して、犯人グループのリーダー格であろうがたいのいい男が一歩前に出て、人質集団に向けて忠告してきた。
それと同時に人々の間から小さな悲鳴がとすすり泣く声が聞こえ、俺の中の不安をさらに煽ってくる。
………おいおいどうなるんだよ、これ。マジで殺される可能性高いぞ。
犯人の声でさらに恐怖指数の増した俺だが――――しかし、次の瞬間にその恐怖指数は外からのとある音によって元の数値に戻る結果となった。
響き渡るテレビなどでよく耳にする音。
国民の頼れるヒーロー。
その名は警察。
ビバ、国家権力!
救世主きたァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!
これで助かる!
声に出さずともその場の雰囲気が俺の内面のように徐々に和らいでいく。どうやら皆警察の存在に気づいたようだ。
「ちっ。やっぱりさっき通報されてたか。おい、お前ら人質に銃を向けろ!」
その声に合わせ、一斉に俺たちに銃が向けられ、和らいだ人たちの表情が一瞬にして再び元の強ばったものへと戻っていく。
……『やっぱりっ』てことはやはりこいつらは最初から警察が来ることを前提に人質を取っていたのか。逃げられないって分かっているなら下手なことするなっての。
『貴様らは完全に包囲されている! 人質を解放し、武器を捨て、直ちに投降しろ!』
外から投降を呼びかける声が拡張器ごしに聞こえてくる。どうやら警察関係者が投降を呼びかけているようだ。
そうだ。お前ら今すぐ降伏した方がいいぞ。そっちの方が罪も軽くなるだろうし。
「おい、こちらからも要求を提示しろ」
リーダー格の男が近くにいたメンバーに呼びかけ、その男が緊張した面持ちで銀行の外へ出て行く。
それから数分が過ぎ、言いたいことを言い終えたのであろう。男が再び、銀行内に戻ってきてリーダー格の男に耳打ちする。
「そうか。わかった」
短くそれだけ返し、リーダー格の男が俺たち人質、正確にはその前方の方に視線を向ける。
「よし、このガキにするか」
「い、いやあ!」
と、次の瞬間――――――一番最前列にいた小学校低学年くらいの女の子を無理矢理立たたせ、その小さな顔に銃を向けた。
「ママ! ママァ!」
泣き叫ぶ女の子。
「あや! あや! やめてください!」
女の子の母親であろうか。女の人が必死に名前を呼びながら女の子を掴む男の手にしがみつく。
「おい、黙らせろ」
近くの仲間に短くそれだけ言うと同時に、
「あっ―――――」
なっ……
いきなり女の子の母親に蹴りが入れられた。
激しく咳き込み、その場に倒れる母親。
……酷い。あんな小さな女の子に銃を向けることも、女の子を心配する母親に蹴り倒すことも。
どうやらこいつらはロクな連中じゃないようだ。それだけを判断するには十分すぎた。
汗がゆっくりと頬を伝っていく。
まずいな。こいつらなら人質の一人や二人マジで殺しそうだ……下手したらそれ以上かもしれない。
そしてその中には―――――俺も入る可能性もある。
「もう我慢できませんわ」
「え?」
危機的状況の中。最悪の可能性を考え、再び恐怖指数が最高潮に高まり、腕の震えが体全体に広がった時、志水がボソッと呟いた。
「……朝野さん。あなたと二人で、というのはとても不本意ですが私たちでこの場を鎮圧しますわよ。このまま警察が来るのを待っていても埒が明きませんし」
「……おいっ、ちょっと待て。人質はどうする。これだけ人質がいるんだぞ、下手なことはできないだろ。それに俺だって今はヴァーリーがないし、そもそもそんな危険なこと―――――――」
「……心配いりませんわ。もう床に対物理障壁用の魔方陣は書いてありますし……まあ簡単なものですけど、人質のいる範囲内なら銃弾程度のものぐらい耐えられますわ」
志水の目線を辿り下の床を見ると、なるほどすでに円の中に色々と複雑な何かが書かれていた。
「うん、人質の安全はわかったけど、でもそもそもその人質の中に俺も入ってるわけで……」
『―――貴様ら! その子をどうする気だ! 放さんか!』
!
怒気を含んだ拡張器からの声が外から響き、聞こえないようにと小さく話していた俺の声を当たり前のようにかき消して、銀行内に響き渡る。
『もしその子に手を出してみろ――――」
よほど熱い心を持った人なのか、それから多少説教じみた勧告を騒音規制法に引っかかるのではないかというぐらいの音量で始めだした。
「……っ、大きすぎるだろ」
「朝野さん! これを利用して行きますわよ。一、二、三!」
「えっ、え、ちょ、ええ!」
合図とともに、いつの間にか紐を解き自由になっていた右手で俺に触れ、一気に飛び出す志水。その加速力は明らかに常人以上のもので一瞬にして女の子に銃を向けていたリーダーらしき男の元へ辿り着く。
「なっ――――――」
いきなりのことで反応出来なかった男の腹部に掌手がめり込み、遥か後方の植木へと一直線に叩きつける。
「がはッ!」
「…………」
リーダーが弾き飛ばされたといういきなりのことに虚を突かれたのか、二秒ほどその様子を眺めたいたメンバーの一人―――――俺のすぐ後方に位置していた待機していた――――――が銃を構え、視線を志水に向ける。
「おい、何をしてる撃て!」
やばっ。このままでは撃たれるぞ。
そう思った俺は咄嗟に男に振り返り、渾身のタックルをかませ、いつの間にか(さっき志水が触れたからだろう)解けて自由になっていた手で摘み掛かる。
「くっ、このガキ!」
だが、男を倒すことも出来ず、逆に殴り倒されるという悲惨な結果に終わってしまった。
い、いてぇ……
殴られた後頭部がズキズキと痛む。
ヤバい! 早く起き上がらねえと。
「おい、早く撃て!」
次の瞬間、男の声に合わせて一斉に志水に銃が向けられた。
―――――そしていくつもの乾いた音との光が瞬いた。
「志水!」
起き上がるより先に志水へと振り返る。そこに悲惨な結果が待っていようとも振り返らずにはいられなかった。
「なっ―――――――」
先に声を上げたのは俺の近くにいた発砲した側の男だった。
「えっ―――――――」
俺も男のあとに続いて同じように絶句した。それは俺たちに限らず、視界に入る全員が同じようだった。
だが、この場でその反応は似つかわしくないというわけではなく、むしろそれが当たり前で正常な反応だった。
続いて何かが床に落ちる乾いた音が響く。
視線を志水からその真下に落とす。
そこには小さな金属の塊―――――いや、銃弾が潰れて落ちていた。
そう。
強盗も含め、人質全員が驚いているのも無理はないのだ。なんせ志水に銃弾はひとつも当たっていなかったのだから。
ついで志水の周りには何やら幾何学的な模様がその周りを囲んでいた。
「………そうだったな」
状況を把握してそこで思い出す。そういや、志水は魔術師だったな………
「てめえ、魔術師か!」
一瞬遅れて硬直状態から回復したメンバーの一人が叫ぶ。
まあ普通、あの魔方陣(?)っぽいのを見ればすぐに分かるよな。てか、バレていいのか? 正体。
「くそっ! 撃て撃て! 撃ち尽くせ!」
合図に合わせて他のメンバーも我に返ったのか、再び志水に向けて夥しい数の銃弾が注がれる。
しかし、考えるまでもなく、そんなことは無駄だった。
「ふふ、そんなことしても無駄でしてよ」
障壁に阻まれ、志水を中心に円を描くようにバラバラと床に落ちていく銃弾。
それは語るまでもなく、この場での志水の優位性を理解させるには十分だった。
「ひっ、あ、芦屋さん! こいつ銃が効きませんよ!」
「お、落ち着け!」
落ち着けと言った当の本人もあまりの出来事に思考が追いついてないのか、芦屋と呼ばれた俺の近くにいる男は戸惑った風に周りを見回し、ハッと顔をにやつかせた。
「おい、お前が言うこと聞かないなら人質を殺ってもいいんだぜ」
なっ!
こいつ志水を諦めて人質に標的を変えやがった―――――なんて反応返すかよ。
どうせ返す言葉なんて決まってる。
「どうぞお好きにしたら?」
………やっぱりな。
「な、なめやがって! おい、誰でもいい一人撃て!」
芦屋という男の怒号が響くと同時に人々から悲鳴が上がり、銀行内に再び恐怖が蔓延していく。
が、もちろん俺も志水も気にしない。それどころか志水は近くにいたメンバーの一人に蹴りを喰らわせていた。
「撃て撃て撃てェェェェェェェェェェェェェ!」
芦屋の声に合わせてメンバーの一人が近くにいたばあさんに向けて引き金を引いた。
「え、な、なんで……」
だが、銃弾はばあさんに当たることなく、床に転がる。
それもそのはず。だって人質の集められている場所には先ほど志水を囲んでいた障壁と似たようなものが展開されていたのだから。
多分、さっき床に書いていた魔法陣の作用によるものだろう。相変わら魔法というのは便利すぎる。
……ていうか、これだけ便利すぎるなら俺いらないよな。
そう思った俺は未だ固まっている芦屋兼その他メンバーにバレないようにこっそりと後方にある椅子の影へ身を潜める。
さて、あとは志水に任せて俺は自分の保身にでも走らせてもらおうか。
「さて。これ以上じっとしておく理由もありませんし、そろそろ片付けてさせてもらいますわよ」
言って志水の姿がいきなり消えた。
「おっ――――」
呻き声が聞こえたと思ったら、次いで何かがぶつかる音。
椅子の影からチラッと覗いてみるとメンバーの一人が壁に背をつけて倒れていた。
「さあ、いきますわよ!」
そして再び志水が視界から消えた。