日常の中の非日常 4
「あら、朝野君」
わざわざ校門まで出て行ったところで今日の課題として出された問題集を机の中に忘れてきことに気づいた俺が教室に戻り、問題集を回収していざ帰らんと玄関を目指し、静寂に包まれた廊下を歩いていると、女子が教室で一人、本を読んでいた。
本を読んでいた女子が本から目を離して俺を見る。
長い黒髪に整った顔立ち、そしてやや切れ長な目。それはどんなに謙遜しても美人の部類に入るであろう女子だった。
「な、成宮」
それはある側面では俺の先輩(?)でもあり、同級生でもある成宮マキだった。
「珍しいわね。この時間帯だとてっきりもう帰ったと思っていたけど」
「ちょっと忘れ物しただけだ。成宮は何やってたんだ。もう時間も時間だし、帰らないのか? ………あ、もしかして部活か何かか?」
「いえ、私は部活はしてないわ」
部活をしてない? じゃあなんで―――
「一応ある時間帯まではこの管轄区に残っておかないといけないからね。この管轄区に留まるには学校はちょうどいいのよ。他の場所だと一カ所にいると怪しまれるけど学校なら別に生徒としているわけだし、人の目を気にする必要もないしね」
「ああ、なるほど。そういや志水も放課後学校に残ってたりしてたな」
「彼女もこの管轄区の担当だし、当たり前よ。本来なら朝野君にも一応残っていてもらいたいけど……まあ見習いだし、別にいいわ。それにあまり動くこともないだろうし、今は二人でも十分よ」
見習いって……別に俺は好き好んで入ったわけじゃねえし。
「二人で十分なら別に俺いらないだろ……」
「心配はしなくても、もしもの時には動いてもらうから大丈夫よ」
「いや、大丈夫じゃねえよ! むしろ動かないほうがいいよ!」
誰が二度とあんな危険なことに関わるか。今度こそマジで死ぬわ。
「そういえば今日は彼女とは一緒じゃないの? いつも一緒にいるようだけど」
今が気がついたとばかりに志水が当たりを見回す。
――――彼女。とは多分クロノスのことだろう。
「あいつは先に帰ったよ。別にわざわざ二人で忘れ物取行くこともないしな」
「そう」
一言だけそう呟き、成宮の視線が窓の外に向く。
……特に話すこともないな。
成宮から目を離し、時計に目を向ける。
時間も結構遅いな。そろそろ帰って飯の支度しないといけないし、そろそろ行くか。
「じゃあな、成宮。俺はもう帰る。居候が腹すかしてるだろうし、志水に会ってまた嫌な顔されても困るからな」
そこまで言って、先ほどのことを思い出した。
志水の俺たち―――正確にはクロノスに向けたあの目。
あの目は一体何だったのだろうか。
どんな理由であんな目を向けたのだろうか。
そんなことを思ってしまった俺はいつの間にか訊かなくてもいいことを成宮に訊いていた。
「―――――なあ、成宮。ひとつ訊いていいか?」
「なに、朝野君?」
「成宮はさ、クロノスを怖がったり、その……嫌ったり、しないのか?」
「? なんでそんなこと訊くの?」
「いや、なんか入界管理局に行った時とかさ、クロノスを見る人のほとんどがどこか警戒しているような、恐れているような感じだったから、成宮はどうなのかなって思って」
「私は別に彼女をどうとも思ってないわよ。まあ、最初に会った時はその、怖いとか思ったり、警戒はしたけど仮にも命を助けてもらったわけだし、今はある程度感謝もしてるわ。それになにより悪い人じゃないし、別に怖がる必要もないしね」
なんとはなしに答える成宮。
「そっか」
そうか。少なくとも成宮はクロノスのことを嫌ってもないし、怖がってもいないのか。 なんというか別に自分のことではないのにほっと胸をなで下ろす自分がいた。
なぜかと理由を考えたが、とくにこれといった理由が思い浮かばない。
きっとあれだな。成り行きとはいえ、一緒に住んでるやつの悪口を言われたくなかったみたいな、そんな理由だろう。さすがに俺にまで悪評がついたらたまらんからな。
「なるほどな。成宮はそんな風に思ってるのか。……まったく志水もそんな風に思っててくれてりゃ、こっちとしても少しはやりやすいんだけどな。あんなにツンツンされたら話しかけやすいものも話しかけづらい」
志水は志水で成宮は成宮。ま、考え方は人それぞれってことか。ま、だとしてもせめて俺への態度だけでも改めてくれたら楽なんだけど。
「―――――仕方ないのよ。彼女の場合」
訊きたいことも聞けたので、そろそろ一声かけておいとましようと踵を返したところで、成宮は俺から視線を放し、伏し目がちに――――そして仕方なさそうに言った。
「え」
「仕方ないのよ。彼女があなたたちを嫌うのは。いいえ、正確には黒乃さんを嫌うのは―――――」
唐突に。
何を思ったかは知らないが、成宮は窓の外に視線を移し、語り出した。
「―――――朝野君。一年前、フィロソフィアで大規模なテロが起こったことは知ってるわね?」
一年前、フィロソフィアでテロ。
どこかで聞いたようなワード。
「ああ、知ってる」
多分、全部。
「そのテロでね、志水さんは祖母を失ったの」
「………」
「普通のテロならきっと黒乃さんを恐れるだけだった。でもね、テロを―――大量虐殺を行ったのはテロリストじゃなかった」
俺に気を遣ったのか、成宮は俺の顔を一度だけ振り返り、言いにくそうにすでに知っていることを口にした。
「あの事件は、テロなんかじゃない。あれは――――すべて災厄の使徒のせいで起きたことなのよ」
これを聞くのは二回目だった。
だからフィロソフィアのことが災厄の使徒によって起こったことだとしても驚きもしない。
―――――でも。
「志水さんのおばあさんは、志水さんの家から離れてフィロソフィアで独自に事業を展開していたの。それで巻き込まれて、亡くなったの」
「………」
正直、志水のおばあさんが災厄の使徒が原因で死んだ、というのには少しばかり驚いた。いや、驚いたというより関節的ではあるが身近に被害者がいたということが意外だった。
「つまり志水は災厄の使徒を恨んでる、と言いたいのか」
「ええ。簡単にまとめるとそうなるわね。でも、単に恨んでるわけじゃない」
「? どういうことだ? 恨んでるんだじゃないのか」
「実を言うと、志水さんはまだ入界管理局に入って一年も経ってないの。それまではただの魔法学校に通う一般人だった。でもあの事件が起きてから彼女は魔法学校も退学して、入界管理局に入ったの」
「………」
「朝野君には分からないだろうけど、戦闘技能も何も分からない一般人があそこまでの戦闘能力を一年で手に入れることはありえないことなのよ。きっと並々ならない努力が必要だったと思う。それほどまでに彼女は憎かったのよ。自らの肉親を奪った災厄の使徒が。だから彼女にあるのは恨みなんてものじゃなくてきっと憎しみ、なんだと私は思うわ」
元は一般人でおまけにお嬢様。
そんなやつが戦うための力をつけて危険な仕事に自ら就いた。
そんな志水は一体何をしようとしているのか?
考えるまでもない。
「……そうか。志水しみずは自分の力で災厄の使徒に復讐しようとしてるのか」
「そう。きっと彼女は災厄の使徒に復讐するために入界管理局に入り、そのために力と技能を身につけたのね」
……肉親の復讐。
ただの事故で肉親を失った俺には分からない感情。
でも、もし誰かの手によって父さんと母さんが殺されていたら、俺はどうしていただろうか。
考えるまでもなく、きっと復讐しようと思っただろう。
「
でもあの事件を起こしたのはクロノスじゃないんだろ。なら八つ当たりも一緒じゃねえか」
けど、事件に無関係な誰かに当たるような真似はしないと思う。
「八つ当たり、というわけではないんでしょうね。きっと彼女は災厄の使徒すべてを敵視している。たとえそれが、事件に関わっていない黒乃さんでも、おばあさんを殺した存在と同じなんだと思うわ。だから彼女は黒乃さんを嫌うのよ」
「………」
予想外の重い話にこの後なんて返したらいいのだろうか、と考えを巡らせるも何を言えばいいか分からず、黙ったままの成宮に釣られるようにお互い沈黙のまま時間が流れ、どれくらい経っただろう。
外からは部活帰りだろうか。下校する生徒の声が先ほどより大きくなったように感じられ――――
その声でハッと我に返り、窓の外を見ると外は暗く、次いで時計に視線を移すと予想以上に時間が過ぎていた。
ヤバいな。そろそろ家に帰んないと夕飯が遅くなるし、なにより居候が後でうるさい。
多少教室を支配する沈黙を破ることは気まずかったがいつまでもこうしているわけにもいかない。
「……じゃあ時間も時間だし、俺はもう帰るな」
「ええ。わかったわ。じゃあね、朝野君」
「ああ」
短くそれだけ返し、教室のドアに手を掛け、出ようとして足を止める。
―――――っとその前に。
「ありがとな、成宮。色々話してくれて」
「気にしなくてもいいわ。それにいずれ話そうとも思っていたし。あ、でもなるべくこの話は志水さんにしちゃ駄目よ」
「わかった」
それから「じゃあな」と声をかけて俺は教室を後にした。
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