日常の中の非日常 1
「クロード、お腹減った」
「あー、はいはい。わかったから待ってろ。てか、なんか手伝えよ」
多少の文句を返しつつ、ベーコンを敷き詰めたフライパンに卵を二つ割って落とす。ジューという音が聞こえ、液体だった白身が徐々に固まっていき、芳ばしい香りが台所に漂いはじめる。なんともいい匂いだ。
ゲートターミナルが再オープンして早くも一週間が過ぎた。
そのせいか街ではウィザードやエルフなどの異世界人がぼちぼち見られるようになってきた。
だが、だからといって俺の危惧していた入界管理局の仕事とやらがあるわけでもなく、今のところは何もない。実に結構なことだ。異世界人が普通に来日してくれば、異世界絡みの事件が多くなってもおかしくないからな。
しかし、入界管理局の仕事がないからと言ってこの一週間、何もなかったわけじゃない。
まず、写真部の顧問がいなくなった。入部した次の日に竹中とクロノスと俺の三人で放課後行ってみたところ鍵が掛かっていたので、職員室に赴き瀬木谷教諭を呼んでみたところ、なんでも心臓病を患っていたらしく、長期入院をするとのことだった。つまりは今現在写真部には顧問が存在せず、それと同時に写真に関する知識を持つ人間もいないということになった。まあ、それでも別に部室は使えるので、瀬木谷教諭には悪いが問題はない。というか無理はせず、このまま病院で療養していたほうがあのひと的にはいいのかもしれない。
そして次がクロノスのことだ。なんとあいつはこの前の新入生テストで全教科三十点以下を取りやがったのである。普通なら赤点決定なのだが、幸いにも今回は新入生テストで新入生の学力を計るものだったので赤点はなかったが、あいつの返ってきた答案はほんとに酷かった。ついでに俺はというと……まあ、無難なところと言ったほうがいいか、どれも平均点よりやや、ほんのちょっぴり低いぐらいの点数だった。
クロノスは理数系は微妙にできていたが、文系はさっぱり。というか全然目も当てられない状況だった。異世界を旅しているらしいし、来たばかりのこの世界で俺と普通に会話していたので割と頭がいいのでは? と思っていただけにこの結果はとても意外だった。
で、なんでこんなにも点数が悪いのかと本人に訊いてみたところ、
「いやー、だって私この世界の文字とか知らないし……それに翻訳魔法が付与された魔法薬で翻訳できるのってその世界の言語とかで、看板とか書いてある物は読めるけど文字そのものの知識が入ってくるわけじゃないから、いきなり「この空欄に当てはまる文章を三十字以内で書きなさい」なんて言われても書けるわけないよ」
とのこと。
あいつが今まで普通に俺と会話できていたのは、その『翻訳魔法の付与された魔法薬』とやらのおかげだったらしい。しかし、何とも魔法というやつは便利に見えてなんとも役に立たないものだ。言語や文字は翻訳できても、文字自体の知識は入ってこないのだから肝心な所で使えない。
おかげでこちとら大変だった。
クロノスはあれでも目立つ容姿をしていて、学校でもそれなりに注目されている。ゆえにクロノスが酷い点数だったことはクラス中にもう知れ渡ったていることだろう。実際、クロノスの隣の女子が点数見て驚いていたし。
別に俺としてはあいつが悪い点数を取ろうがどうでもいいんだ。
でも、あいつは『今まで外国にいた俺の親戚』って設定にしてあるから英語ができていないとおかしい。だからクロノスの点数を知ったクラスの連中や英語教師がとても怪しんでいた。もちろんその疑問の目は一緒に住んでいる俺にまで向けられるわけで、どう誤魔化すかとても悩んだ。
で、悩んだ結果、
「黒乃は記憶喪失なんだ」
という超付け焼き刃な嘘をクラス中についてしまった。
これはさすがに言ってしまったあとにしまったと思ったね。我ながらなんというか思い切りすぎた。後先考えない嘘は自らを追い詰めるというのは本当らしい。
だがまあ、そんなぶっちゃけた嘘をついてしまったわけだが、何とかクロノスに話を合わせるように頼んで、今はクラスの連中に一応の理解を得ている。
が、しかし。問題はそこではなく、真の問題はクロノスが字を書けないことにある。よってここ連日、俺はひらがなやカタカナ、漢字の書き方をクロノスに教えてやっていたりする。
さすがに居候が赤点ばかりとっていては、「お前のとこの居候、赤点ばっかりだな」ってな具合で俺まで目立つからな。
ま、教えると言っても感覚的には小学一年生の担任になったような感じで、同じく小一が使いそうな漢字ドリルやひらがな練習帳など買ってきて書き順や部首なんかを教えてやっているぐらいだ。
さすがに英語まで教えてやる頭脳は俺にはなく、今は日本語止まりだが……まあ、その辺は学校の授業で頑張って覚えてくれとしか言えない。
とまあ、そんなこんなでこの一週間は色々あったのだ。主にクロノスのせいで。
そんな感じでここ一週間のことを考えつつ、できあがったベーコンエッグをフライ返しで皿に移し、即席の味噌汁にお湯を注いでいく。
『本日未明字源市にある陸上自衛隊字源駐屯地から火器、弾薬など合計数十点が盗まれる事件が発生しました。今のところ犯人グループの詳細は一切掴めておらず、犯人の身柄確保に向けて周辺住民など聞き込みなどして全力で捜索している模様です。また、それとともに自衛隊の管理体制にも――――――」
リビングでは先ほどつけたテレビの音とテーブルを指でコツコツ叩く音が響いている。
ついでに今日のメニューは昨日の残りであるポテトサラダとベーコンエッグ、味噌汁、そして日本人に欠かせない白飯だ。朝食べる物としたら上等な方だろう。
できあがった品々を持ってリビングに移動する。
「遅い!」
テーブルに置いた瞬間、開口一番にクロノスが文句を言ってくる。
「あのな、食器運びすら伝わないくせに文句言うなよ!」
「なに? クロードは女の子にこんな重い食器を持たせよう言うの」
「重くねえだろ」
てか、お前、俺より腕力あるだろうが。比較できないほどに。
「とにかくだ。文句言うなら手伝え。こっちは朝から眠い頭必死に起こして朝飯作ってんだ。少しくらい手伝ってくれてもいいだろ」
「わかったわかった。精進すればいいんでしょ」
「精進とかじゃなくて、単に手伝うって言えないんだな、お前」
呆れつつ、急須にお湯を注ぎ、お茶を湯飲みに入れていく。
俺がこいつと出会って二週間。緒に住むようになって色々と分かってきたことがある。
まずこいつは家事スキルが全くない。というかそんなスキルが存在しないのかもしれない。
先日、俺が「お前は居候なんだから少しは家のこと手伝え」と、家事の分担を申し出て、試しに料理を作らせたのだが、出来たのはなんとカップ麺だけだった。なんでも料理は焼くかお湯を注ぐやつしか知らないとのこと。インスタント食品が闊歩する世の中だからお湯を注ぐやつしか知らないってのは分かるが、焼くってなんだ。焼くって。
こいつは一体どんな生活を送ってきたんだ、と思いいつつ、料理が駄目なら風呂掃除や洗濯は、と思いやらせてみたがまったく駄目。洗濯、掃除のやり方もまったく知らないし、学ぼうともしない。そのくせ、自分の下着とかは自分で干したり取り込んだりしているんだからそこまでするならちょっとは手伝えと思うのだが、そのことを本人に言ってみたところ「少しは乙女心を理解しろ」とのこと。
一体どの口が乙女心なんて言うのかは知らないが、俺も家事を教えるのは面倒だし、無理矢理教えようとして反撃でも喰らったら大変なので仕方なく今も俺が一人で全部やっている。ま、とは言っても一人分の負担が増えただけだから特に問題はないんだが。食事以外は。
そして次に、というかこれはこいつと出会ってからすぐに分かったことなんだが……こいつは食べる量が男の俺より多い。
一食に白米を少なくとも二杯(時には三杯)は食べ、それに伴っておかずも多く食べるしで、我が家の食卓事情が変わりつつある。
今まで俺一人だったからあまり食費に金を割かなくて良かったんだが、クロノスが加わったことで出費が多くなり、おかげで俺の懐に入る金が少なくなって趣味につぎ込めなくなった。実に最悪だ。
んで、最後にこいつは見た目と違って胸が少々残念……ってこれは出会った時から分かっていたか。
「………クロード、何か今失礼なこと思ってない?」
見るといつの間にか一人食事を始めていたようで茶碗を持ちながら顔をひくつかせ、ジトっとした目で俺を見ている。
「な、なんでもない。き、気にするな」
「そう。ならいいけど」
一瞬で笑顔に切り替え、食事に戻るクロノス。
あ、あぶねえ…………
いつの間にかクロノスの胸に目が行っていた。見てもあまり得がないというのに我ながら無駄なことをしたもんだ。
そう。こいつは胸が少々残念なのだ。あ、いや、あるにはあるんだが、俺としてはもう少しといった具合であってこれはあくまで個人的な主観。見る人によってはあると思う人もいることだろう。
まあ、言ってしまえばそれぐらい微妙ってことだ。こいつの胸は。
湯飲みをクロノスの前に置いて次に自分の前に置き、ふと、クロノスを見る。
「はあー」
「ちょっとなんで私見てため息つくの」
「ん?」
どうやら思わずため息をついていたようだ。
「別に。ただの深呼吸だよ」
なんとも残念で迷惑な居候様だ。
そんなことを思いながらさっき切った漬け物を口に運んだ。