災厄な高校生活3
行くはずじゃなかった高校の入学式や入界管理局に呼ばれるという最悪なイベントがあった次の日。
俺はいつも通り朝六時に起床。着替えを済ませ、朝食作り兼弁当作りを始める。
中学の時は兄さんも大学行ってたから作るのは一人分だったが朝食も弁当も今日からは二人分だ。なんとも面倒だが作らなかったら作らなかったでどうせ後がうるさい。ここで作ってやる方が賢明だろう。
朝食兼弁当を作り終えた俺は今だに起きてこない居候を起こしに元母さんの部屋、つまりはクロノスの部屋に向かう。
トントン。と軽くノックしてみる。
「………」
ノックしても返事はない。
あいつまだ寝てんのか。居候のくせにいいご身分なっこった。少しは俺の手伝いでもしてくれてもいいものなのに。
「……入るぞ」
言って部屋の中に入る。
この部屋は母さんと父さんが死んで荷物整理をして、しばらく使っていなかったから中にはタンスと本棚とベッドぐらいしかなく、クロノスが来たからと言って特に変わった様子はない。まあ、来たばっかだからすぐに荷物が増えるはずはないんだが、強いて言えば部屋の隅に置いてあるデカいトランクだけが唯一変化した点と言えるだろう。
「――――あ」
視線を前に戻すと目の前にクロノスがいた。でもクロノスの俺を見る目はぷるぷると顔をと震えていた。
「ちょ、ちょっとなんでいきなり開けんの!」
タイミングが良いのか悪いのか、クロノスはちょうど制服のスカートに脚をかけている途中だった。
ふむ。縞パンか。案外可愛いの穿くじゃないか―――じゃなくて、
「わ、悪いっ!」
パンツから視線を外しつつ、謝る俺。
「女の子が着替えてる真っ最中だってのになんで入ってくんの!」
「いや、これは不可抗力――――――おぼっ」
弁明ようとした俺に素早く制服のスカートをはいたクロノスがいきなり強烈な蹴りを繰り出し、それをモロに腹に喰らった俺は強制的に部屋から叩き出され、廊下の壁に思いっきり頭をぶつけた。
「い、いてぇ……」
打ち付けた後頭部をさすりつつ、体を起こしてクロノスを見る。
「何すんだよ! 人がせっかく起こしに来てやったってのに」
「ちょっとはノックぐらいしてよ!」
「したから! ちゃんとノックしたしましたから!」
「全然聞こえなかったよ」
一応したにはしたんだけどな。もうちょっとノックを強めにするべきだったか。
「まあ、そんなことどうでもいい。とにかく早く下に下りてこい。さっさと朝飯食わないと片付けが遅くなる」
「どうでもいいって何! どうでもいいって! 言っておくけど私、女の子だからね。女の子と暮らす以上、女の子の部屋に入るときはちゃんと許可をとってからにしてよね!」
別に暮らしてなんて頼んでねえよ。
「ああ、はいはいわかりましたよっと」
適当に相づちを打ってクロノスの部屋を後にする。
「人の話きけー!」
何やらクロノスが叫んでいたが、無視して朝食の準備をするべく台所に向かう。
支度を済ませ、朝のニュース番組を見ているとクロノスが制服に着替えてリビングにやってきた。
さて、食べるか。
「………」
「………」
先ほどのことに怒っているのかクロノスは俺に話しかけてくることもなく、俺もこれといって話すこともなく、テレビを見ながらもそもそ朝食を口に運んでいると入界管理局のニュースになった。
普段なら別段取り上げて見るようなニュースでもないのだが、虚しくも悲しくも俺は入界管理局というクソ組織に所属するハメになってしまった。入界管理局の動向ってやつに気を配っておくのも悪くはないだろう。
それから味噌汁をすすりながらニュースを見ていく。
『昨夜未明、入界管理局日本支部から日本政府に通達があり、字源市にあるゲートターミナルが一週間後にゲート装置の運転を再開するとの知らせが今日未明日本政府から正式に公表され………」
「ぶふッ!」
思わず、口に含んでいた味噌汁を吹き出してしまった。
「うわっ、いきなり何してんの!」
驚いた様子でクロノスが俺を見る。
驚いたのはこっちだよ。今、なんて言った?
再びテレビに視線を戻すと、やはりゲートターミナルが一週間後にゲート装置の運転を再開するという内容のニュースだった。
「えっ……嘘だろ…………」
局長は昨日言った。もうしばらくは仕事がないって。どういうことだ、一体?
「あーあ、やっぱりこうなったかー。クロードハメられちゃったね」
箸で器用にご飯を口に運びながら茶碗に視線を向けたまま、クロノスが言った。
「ハメられたってなんだよ」
「そもそもおかしいと思わなかった? 今回のグールの件を引き起こした当事者を入界管理局で雇うことに」
「だからどういうことだよ」
「今までこの島国……確か日本だっけ? この国のゲートターミナルがゲート装置の運転を停止していたのは私もテレビで見たから知っているよ。あってるよね?」
「ああ、半年ぐらい前からな」
「で、その運転を停止していたゲートターミナルが再びオープンする。しかもクロードが入界管理局に所属するってことになった翌日にゲート装置の運転再開を発表。タイミングが良いと思わない?」
「と言うと?」
「私の勘だけど、クロードが所属したことで何らかの条件が満たされてゲート装置を運転できるようになった、とか」
「条件って……ゲートターミナルはゲート装置の不調で今まで運転を停止していたんだぞ。俺が入界管理局で働くってことになったってだけでゲート装置の調子が良くなるかよ」
「分かってないなあ。別の理由ってこと」
「はあ?」
「多分、人員不足ってのが理由だね。ゲート装置の運転にはもしもの時に備えて運転規定っていうのが定めてあって、その中に確か、治安維持部隊の最低人数も決めてあった思うから……今までそれをクリアしていなかったからゲート装置を運転できなかったって見るのが妥当じゃない?」
「いや、そんなこと言われても。俺、入界管理局のことよく知らないし」
……相変わらず変なことをよく知っていやがる。さすが世界と世界を旅してるだけはある。
だが、しかし―――
「言っとくが俺が働くハメになったのはお前が壊した人機の修理費を払うためだぞ」
「それもきっとクロードを入界管理局に所属させるための口実だね」
「は? 俺はそんな話聞いてないぞ」
「そんなほいほい入界管理局も余計なこと言うわけないでしょ」
「………」
くそ、意味が分からんぞ。どうなってる。話が違うじゃないか。俺は人機の修理費を払うために入れられたんじゃないのかよ。
「………まあ、もっとも別の理由のほうが大きいと思うけど」
「?」
今、ボソッとクロノスが何か言った気がしたがなんて言った? よく聞き取れなかった。いや、別に気にすることないか。どうせ大方「ざまあ」みたいなこと言ったんだろうし。
それにしてもゲートターミナルがゲート装置の運転を再開するってことは俺も働かなきゃいけないことになる。
もうしばらくは仕事がないって言ってたじゃないか。それも局長直々に。
仕方ない。会いたくはないが学校に行ったら入界管理局の二人に詳しく説明してもらおうじゃないか。それもとびっきり俺が納得する説明を。
吹き出した味噌汁を拭きながら苛立たしげそう思った。
あれから食器の片付けを済ませた後、今日は晴れると言っていたので洗濯物を干し、大体の家事を終えた俺はクロノスに戸締まりをしっかりするようにと告げて家を出た。
中学の時の俺はホームルーム開始十分前ぐらいのギリギリ登校だったが、今日はネクタイを結ぶのに苦労しつつも三十分ぐらい早く家を出た。
なぜそんな早くに家を出たかと言えば理由は一つ。クロノスとの登校時間をずらすためだ。
もし間違ってでも見てくれだけは良いクロノスと一緒に登校してみろ。色々と怪しまれて同じ家に住んでいることがバレて変な噂の一つや二つ普通に立ってしまい、変な注目を浴びることになってしまうだろう。そうなったら俺の平穏なる高校生活が開始早々崩れ去ってしまう。俺は目立つことなく、地味なポジションで高校生活を謳歌するんだ。
中学とは違う通学路を眺めつつ、歩くこと十数分。時刻はまだ八時をちょっと過ぎたぐらい。
昨日、入学式に行くときに通った道をいつも通りの速度で歩いていうともう学校まで五百メートルくらいの距離になってきた。
なんとも近いものだ。字源高校に通うことになっていたらもうちょっと時間を掛けなければならなかっただろう。こっちの都合を無視して勝手に入学させられたがこの点だけは評価してもいいかもしれない。あとは全然ダメだけど。
それから学生やサラリーマンの行き交う姿を見ながら歩いていると何やら聞き慣れた声が聞こえてきた。
「おはよう、クロード。今、登校かい?」
振り返ると竹中が小走りでこちらに走ってきていた。
……? 珍しいな。竹中がこんなに早く登校しているなんて。
竹中も俺と同じで中学の時は結構ギリギリで登校していた。だからこいつがこんな時間に登校なんて珍しい。いや、もしかしたら高校という新たな教育機関に入り、心境の変化でもあったのかもしれない。
「登校以外の何に見えるんだ、一体」
「いや、だってクロードがこんな時間に登校なんて珍しいから」
「それはお前にも言えることだろう」
「僕はただ入学初日っていうことで早く登校しているだけさ。分かるだろう? この入学したて特有の早く学校に行きたくなるこの気持ち」
「入学したての小学生かよ、お前は」
俺にはわからんね。そういう気持ちは。
昔はそんな気持ちもあったかもしれないが今は早く学校に行こうとは思わない。どうせ早く行ってもホームルームが始まるまで席に座ってクラスメイトの雑談やらを耳に本を読んでいるくらいしかやることないしな。それに家事もしなくちゃいけないし、それどころじゃない。
「とまあ、僕の理由はそんなところさ。それでクロードはなんでこんなに早いんだい? クロードも中学の時はいつも遅刻ギリギリだっただろ」
「あー、俺はだな……」
さて、なんと言ったものか。正直に女の子が居候してて登校時間がかぶらないように早く家を出てきました。なんて言えるわけがない。もしそんなことを口走ってしまった暁には竹中のことだ、絶対俺をからかってくるに違いない。ましてやその会話を誰かに聞かれでもしたら色々と大変だ。
「あれだ。あの、登校初日ぐらいは早く学校に行ってクラスメイトと親睦を深めたいなあと、思ってな」
これっぽっちもクラスの連中と親睦を深めたいなんて思ってねえけどな。
「へえー、クロードからしたら前向きな発言だね。一体どうしたんだい、心境の変化とか?」
「あ、まあ……そんなとこだ」
心境の変化はともかく私生活には大分変化があったな。あのアホのせいで。
そんな会話をしつつ、校門まで歩いて行くと再び声が聞こえてきた。それも聞き覚えのある声。
「クロード!」
ぎくり、と振り返ると俺に災厄と最悪を運んで来たアホがこっちに走ってきていた。せっかく時間ずらしたのになんでいるんだよ!
「げ、クロノス!」
と、そこでいきなりクロノスの膝蹴りが腹にめり込んだ。
「おえっ……な、何を……」
体をくの字に曲げた俺の耳元でクロノスが囁く。
「学校ではクロノスじゃなくて黒乃って呼んで。わかった?」
「ラ、ラジャー……」
腹を押さえつつ、体勢を元に戻す。
「で、なんだよ。いきなり」
「べつに~。ただ一緒に登校してやろうと思って」
「別にそんなこと望んでねえよ」
早く登校してきた意味がねえじゃねえか。
それにしても通り過ぎる男子生徒の視線がかなりクロノスに集まってる。いや、それも当然か。見た目だけはいいからな、こいつ。
「あの~、ちょっといいかな?」
と、そこで俺たちの様子を一歩退いた所から見ていた竹中が口を開いた。
「クロード。彼女は確か、僕たちと同じクラスだった朝野さんだよね」
「そうだけど。なんだ?」
「あ、いや、二人ともなんか妙に親しく見えたから。もしかして知り合いなの?」
ミスった! つい、いつも通り話してしまった。
見た目だけは良いこいつと関わっていたら必然的に目立つから、こいつとは今日初めてあったってことにして、まったくの初対面を演じるはずだったのに。
「あー、えーと、入学式が終わって教室に入る時にちょっとあってな」
と、苦しい言い訳を言ってみる。
「へー、クロードがまさか女の子と関わるなんてね」
とわざとらしく驚いたふりをする。
お前は俺をなんだと思ってんだ。俺だって生活する上で女子と関わることぐらいあるぞ。
「えっとクロードのお友達ってことでいいのかな?」
言いながらクロノスが竹中を見る。
「その通り。クロードの友人をやらせて貰っている竹中康人っていう者だよ。ついでに言うとここにいる三人は三人とも同じクラス」
「ああ、だから見覚えがあると思った」
思い出したと言わんばかりにぽんっと手を打つクロノス。
「なんか私のこと知ってるみたいだけど一応自己紹介するね。えーと私は朝野黒乃。クロードとは遠い親戚で今は家庭の事情でクロードの家に住んでいます。よろしくね」
「え――――」
いつもオーバーに驚く竹中だが、今は珍しく素で驚いているように見えた。というか絶句している。
……ん?
―――って計なこと言うなよ! さっきついた嘘がまったく意味ないじゃねーか!
「……いやー、現実でこんなことがあるなんてね。今さらだけど名字が一緒だったの忘れてたよ。ていうか外国人の親戚いたんだね。驚いたよ」
どこか面白い物でも見つけたような顔で竹中が耳元で囁く。
「良かったね、クロード。こんな可愛い子が家に来るなんて。まるでゲームみたいな設定だよ」
心なしか声も笑っているように感じる。
竹中君。君は知らない。こいつがどういう女なのか。
どうせ家に来るなら可愛い幼なじみとかの方が俺的には嬉しかったです。
「さあさあ、早く行こうクロード!」
にしても妙にテンション高いな、クロノスのやつ。一体何がそんなにこいつを興奮させてるんだか。
「言われなくてもちゃんと行くよ。どうせ行かなきゃならないんだし」
クロノスといると目立つからあまり一緒にいたくはなかったが、竹中もクロノスの後に続いて歩き出したので仕方なく俺もその後に続いて下駄箱に向かった。