危ない二人と災厄と6
グールのいる場所に向かう途中、クロノスはいつもの陽気な態度とはどこか違った雰囲気を漂わせていた。まるで焦っているような、急いでるような。そんな感じだ。
「クロノス、グールまであとどのくらいだ」
一応、クロノスから貰ったグール探知機があるにはあるんだが、これはただグールのいる方向を指すだけで距離感がいまいち分かりづらい。
「あと少し。でも急いだ方がいいかも。ちょっと飛ばすよ、クロード」
言うとクロノスは徐々に走るスピードを上げていく。正直、飛ばせって言われてもこれでも結構本気で走っているんだがな、俺は。
必死で走りながら後を追っていくといきなりクロノスが立ち止まった。
「どうした?」
俺が尋ねるといきなり真剣な顔になったクロノスが呟いた。
「まさか……」
クロノスがいきなり驚いたように声を上げ、
「来る!」
「え、何が――――」
次の瞬間、まるで俺の声をかき消すかのように轟音が辺り一帯に響き渡った。
「うおっ! ちょ、なんだ! 何が起きた!」
周囲に視線を向けると斜め前方百メートルぐらいにある中ぐらいのビルが崩れているのが見て取れた
もうなんなんですか一体。また入界管理局か?
周囲に砂埃が舞う中、砂埃の中から何かがゆっくり出てきた。
「なんだよ……あれ………」
現れたシルエットは筋骨隆々という言葉が似合うほどがっしりとした体をしている。が、決して人間のものではない。徐々に露わになっていく漆黒の闇を纏ったような黒い体。光沢があるのか黒光りしている。だが特徴的なのはそれだけじゃない。がっしりとした体から羽のようなものがあり、顔はからは触 角? が生え、目は昆虫のように複眼、口は口っていうより大アゴ。たまにゆっくり動いているのがまた気持ち悪い。
「うえっ、気持ち悪ッ!」
吐き捨てるようにクロノスが言う。
うん。確かに気持ち悪いね。っていうか――――
「これ、ゴキブリじゃん!」
台所に住まう魔獣。そう、ゴキブリがそこにはいた。
「何あれ? ねえ、なんでゴキブリ?」
意味がわからず問いかけるとクロノスは先ほどとは違う真面目な顔で弱々しく言った。
「第三形態……」
「第三形態?」
「グールが第三形態になったんだよ」
「第三形態ってなんだよ」
「グールの進化版だよ」
進化版? ……そういえばグールって形が変わるってクロノスのヤツが出会った時に言っていたような気がする。確か、まっくろくろのすけみたいな姿、棒人間、多分それに続くのがクロノスのいう第三の形態とやらなんだろう。
「いや、でもあれは人のイメージを何とかしてなるんだろ。俺、グールに触ってないぞ」
あいつらは触れない限りどうってことのない弱い奴らだ。なのになんで………
「誰かが触れたからでしょ」
「誰だよ」
ふと、考えて思ったこの空間には俺とクロノスとグール以外の第三者はいない。いや、いた――――
「多分、入界管理局の二人だろうね」
クロノスは、「しまった」とでも言いたげな感じに顔に手を当てる。
やっぱりあの二人か………あのデザインはないと思う。だってマッチョにゴキブリが引っ付いたようなどこぞのエイリアン映画とかに出てきそうな気持ち悪いヤツだ。まあ、俺が映画監督だったとしてもあんなのは出さないけど、どんなイメージを持ってんのか疑うね。
そんな風に気持ち悪いゴキブリ野郎を観察していて気づいた。
……なんかこっちに来てるような気がするんだけど?
「おい、なんかこっち近づいてきてないか?」
「多分私に惹かれてやってきているんだよ」
「は、なんで?」
「忘れた? グールはエナジーでできているんだよ。で、そのエナジーを私は使える。だから自分と同じような力を持っている私に寄ってくるの」
そういえばエナジーっていう力でできているって言ってたな。
「で、あれが本当に第三形態ってやつか? なんか弱そうなんだけど」
「いや、あれはあくまでイメージ。触れたもののもっとも忌み嫌うモノ。それが今のグールを形作っているんだよ」
もっとも忌み嫌うモノねえ。
相手が相手なだけになんかモチベーションが下がるな。まさかセルの出来損ないのようなヤツがクロノスが強いっていっていた第三形態とやらだとは。拍子抜けするな
「なんかあっさり倒せんじゃねーの」
「前戦った時はこっちが死ぬかもって思うほど強かったよ。多分目の前にいるアレも相当強いと思うけど」
なんか胡散臭い。でも目の前にいるクロノスの真剣な目を見れば嘘ではないと分かる。
「じゃ、さっさと狩るか」
刀を鞘から出し、構えをとる。
「ちょっとなにいってんの! クロードなんかが勝てるわけないでしょ! クロードは隅の方に――――って来た!」
「ん、来た?」
視線をゴキブリ型グールの方に向けると体を俯せにしてこちらに這い寄るようにして接近してきていた。その様子はまさにゴキブリそのものだった。
「気持ち悪ッ!」
得も言われぬ恐怖というか生理的に嫌な恐怖というかとにかく体をぞっとする感じだ。
「邪魔だからどいて!」
「あいたっ」
いきなりクロノスが俺を突き飛ばして前に出た。
「何すん――――」
文句を言おうしたが、俺は次の言葉を言えなかった。見るとクロノスの全身を金の色の光が薄く覆っていた。まるで天女が羽衣を纏うように。そしてその光が徐々にクロノスの右腕に集まっていく。
「クロードは後ろにでも下がってて。一気に決めるから!」
砂埃を上げ、クロノスが一気にグールに突貫する。そして地を蹴りつつ、さらにスピードを上げ跳躍。そのスピードたるやまるでミサイルのようで遠目から見ている俺でも見失いそうなくらいな速さだ。
グールもクロノスに反応してか、俯せ状態から体を起こし、人型のままこちらに向かってくる。
「はあっ!」
右手を後ろに引いたと同時にクロノスの右腕がさらに輝きをましていく。
一筋の閃光と化したクロノスがグールとぶつかったと思った瞬間、光が辺りを覆い視界を真っ白に染めていく。
凄まじい音に遅れて爆風が辺りを襲い、土煙が舞って俺の視界を再び妨げる。
数十秒経ってやっと土煙がやや収まりやっと前が見えてきた。
周囲を見るとちょうどさっきまで俺の前方に位置していた結構でかいビルが跡形もなく倒壊していた。
「えーと、つまり今のは……」
簡単に説明するとどうやら物凄いパンチだったようだ。
……チートすぎるだろ。いくらなんでも。
土埃がまだ少し舞う中を見回すと辺りをこんな有り様にした張本人がボーッと突っ立っていた。どうやら無事なようだ。
クロノスに近づき、やったのか? と訊こうとした瞬間、
「……さすがに一筋縄じゃいかない……か」
クロノスの頬に一筋の汗が流れ、同時にガラリッ。という瓦礫が崩れる音が聞こえてきた。
完全に視界がクリアになり、倒壊したビルの様子が鮮明に見えてきた。
瓦礫の上に異様に黒いモノが立っている。……どうやら今だグールは健在のようだ。
よく見ると何かがグールを覆っている。あれは、羽だ。光沢のあるゴキブリ独特のあの羽がグールの前面を覆っている。どうやらあれでクロノスの一撃を防いだらしい。
「お、おい。なんか無傷っぽいぞ」
「そりゃあ、あれだけで殺れるわけないよ」
微笑を浮かべてクロノスが俺の右腕に触る。
ガチャン。
「!」
右手にはまり、今まで俺を散々苦しめてきた腕輪が突然外れ地面に落ちた。
なんでだ?
「お、おいクロノ――――」
「じゃ、なるべく早くここから逃げてね」
俺の言葉を最後まで訊かずクロノスは右手に大剣を出現させ、グールに突っ込んで行った。
ガギンッ!
クロノスの剣とグールの拳がぶつかり金属音のような音を上げ、それぞれの拳と剣が交わる。
―――ていうかグールの腕堅ッ!
剣でグールの腕を跳ね上げると同時に懐に潜り込んだクロノスはそのすらりとした綺麗な足でグールの脇腹を捉え、蹴り飛ばした。蹴り飛ばされたグールは勢いよく飛びビルに突っ込み轟音を立てる。
す、すげえ。まるで映画でも見ているようだ。
それにしてもクロノスのヤツ逃げろだと? 無理無理無理無理。この空間にいる限り逃げれられませんから。
「なんだ、あれ」
少し離れた場所で身を隠しながらクロノス達の戦いを見ていると、ビルの瓦礫をかき分け出てきたグールが突然、変化した。
背中にある羽が展開し、何やら六本の黒い棒状の何かが出てきたのが分かる。タコとか足のようにうねっている。なんというか触手のようにも見える。
突然変化にしたグールを好奇の目で見ていると、グールが再び動き出した。
なんと先ほど生やした六本の触手でクロノスを襲ってきた。
予想外の攻撃に少し遅れたようだが、クロノスはグールの攻撃を躱した。が、目標に当たらなかったグールの触手は勢いよくビルに突っ込み、なんとビルを貫通した。どうやら見た目以上に威力があるようだな、あの触手。というか最早俺の知っているゴキブリじゃない。
グールがビルから引っこ抜いた触手を再びクロノスに向かわせる。
迫り来る変幻自在の触手を剣で巧みに防ぎ、防衛に徹するクロノス。その表情には余裕の欠片も感じられない。
手伝ってやりたいがどうにも今の俺では猫の手程度にも百億光年ぐらい及ばなさそうだし、それに多分出て行ったら死ぬ。それだけは勘弁だ。まあ、あんな化け物同士の戦いに途中参加できたらできたで問題なんだが。
「何……なの…あれ………」
「なっ――――」
突然聞こえた声に振り返ると、先ほどクロノスにパンチを入れられた入界管理局の黒髪の少女だった。
さっきモロにクロノスのパンチを喰らったっていうのによくここまで来れたな。さすがエルフ。体の頑丈さが違う。
「ねえ、あれは何なの。答えなさい」
右手に持っていた拳銃を俺の眉間に向けて少女が迫ってくる。いやああああああああああああああ! めちゃ怖いぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!
「あ、ちょ、撃つなよ! 絶対撃つなよ!」
「いいから答えなさい!」
「あ、あれはグールだ! グール!」
「グール?」
「ほ、ほら、あのなんか黒いもやもやした丸いのだよ!」
「準知的生命体のこと?」
「ああ多分それだ! それ!」
準知的生命体が何かは知らないが下手なことを言うと撃たれそうだったので適当に答える。
「でも、準知的生命体には第二形態までしかないんじゃ………」
俺に拳銃を突きつけたまま少女が何かを考え始めた。別に考えるのはいいけどまず、拳銃を違う所に向けろよ。
数秒何かを考えた後に少女が俺に向けていた拳銃を下ろした。安堵に胸をなで下ろしていると一瞬、少女の手が光ったと思った時にはいつの間にか拳銃は消え、また再び光り始めた。光の形状が長さ一メートル半ほどの棒状のような何か変化していく。
「な、なんだ。それ」
光が収まり露わになったそれは拳銃にしては大きく、角張ったデザイン。丸い部分と言えば銃口と思わしき先の方だけ。今まで見たことのない武器だ。
「フィロソフィア製、電磁投射砲よ」
「はあ?」
「まあ、一般的にはレールガンって呼ばれてるわね」
呼ばれてるわね、じゃねーよ。何レールガンって? 普通にあっちゃっていいの? ここはゲームか、アニメの世界ですか!
言いたいことは色々あったが心の中で納め、視線をレールガンに向ける。
「おい、そのレールガンで何をする気だ」
「第一優先目標であるグールを殲滅するのよ」
「ふざけんな! あっちではクロノスが戦ってんだぞ。今、そんなモン撃ったらクロノスに当たるかもしれないだろ!」
少し離れた場所ではクロノスが必死にグールの触手を躱しつつ、接近戦を繰り広げている。もしもそこにこの少女のレールガンが炸裂したら誤ってクロノスに当たるかもしれない。
「別に災厄の使徒に当たったら当たったで好都合よ。グールと一緒に殲滅できるのだから」
「さっきも言ったがあいつは――――うっ」
いきなり鳩尾をレールガンの砲身で思いっきり殴られた。
「何をするんだ……」
「狙撃中に邪魔されても困るからね。あなたはそこでおとなしくしておきなさい」
「な、させる……か、よ」
今すぐにでも狙撃を阻止したいが呼吸もうまくできないし、鳩尾を殴られた時の独特の吐き気を催す感じも邪魔して動こうにも動けない。
くそ、動けよ。俺!
少女の方を見ると空中に現れたディスプレイに触れて何かしている。
「初弾装填、出力最大を確認。目標準知的生命体。ターゲットロックオン」
右目に薄い緑色の照準器らしき物が浮かび上がり、砲身をクロノス達の方に向ける。
「やめろ……って」
必死に上半身を起こし、邪魔しに掛かるも時すでに遅し。レールガンはバカでかい音を複数立てマズルフラッシュを瞬かせた。多分、音からして撃たれた弾は一つじゃない。
慌てて視線をクロノスの方に移すといつの間にかグールから距離をとっていた。
―――良かった。弾は速くて見えなかったけど、どうやら当たってないようだ。
だが、それはグールも一緒だったようでゴキブリ特有の光沢のある羽で自分を囲んでいた。
「まさか……防がれるなんて。あり得ない………」
驚いた顔で少女が小さく呟く。
「!」
そこでいきなりグールの複眼の目が俺達の方を向いた。
……ヤバい。今ので俺達に気づきやがった。
「おい、逃げろ!」
「えっ――」
叫んだ時にはすでにグールの触手の何本かが鞭のようにこちらに迫っていた。
この距離なら俺は避けられる。でも大きな重火器を抱えた入界管理局の少女は多分避けられない。例え、エルフだと言ってもグールのあの一撃を喰らえばただじゃ済まないだろう。というか確実に死ぬ。
どうする、逃げるか、俺? でもここで俺が見捨てたら確実にこの少女は死ぬよな。俺だってどんなに綺麗事を言ったって自分が大切なんだ。ここで死にたくない。でもここで俺だけ逃げてこの少女が死んだら後味が悪い。
いや、でもでもでもここで確実に死ぬのはちょっと………
「あああああああああもう! どけえええええええええええ!」
俺は色々考えた挙げ句、咄嗟に少女の方に飛び出していた。
もう、なるようになれだ。……あ、うそ。やっぱ死にませんように。
最後にそう祈って、入界管理局の少女を突き飛ばそうとしたがそれは叶わなかった。
なぜなら突き飛ばす前に逆に俺と少女が突き飛ばされていたからだ。
「痛ッ!」
「きゃっ!」
先ほどまでいた場所を見るとクロノスが俺達を突き飛ばす形で静止していた。
「クロノス!」
叫ぶと同時にすぐそこまで来ていた触手が鞭のように直撃し、すごい速度でクロノスを後方のビルへと打ち付けた。
振り返ると土煙を上げてクロノスがビルにめり込んでいる。よく見ると大剣を前面に突き出しているのが分かる。
当たる直前に剣でガードしたんだろうけどあの勢いだ。多分、受け止めきれなかったんだろう。
「あれはヤバいだろ……」
いくらクロノスが災厄の使徒とかいうなんかものすごいのでもあの一撃は喰らってはただじゃ済まないだろう。最悪、死んでいるかもしれない。
ピシッ。
クロノスの元に駆けつけようとした瞬間、妙な音が聞こえた。
よく見ると目の前の何もない空間にヒビのようなものが入っている。
ピシ、ピシピシッ。
辺りから妙な音が連続して響く。
「これは………」
いつの間にか目の前にあるようなヒビが四方八方に点々と存在していた。心なしかどんどん増えているような感じもする。
――――って今はそんなことどうでもいい!
辺りに起きているの異常を無視して急いでビルにめり込んでいるクロノスの元へと向かう。
「クロノス!」
「……あ、クロード……良かった。無事だったんだね……」
良かった。ボロボロだがどうやら生きてはいるみたいだな。
「動けるか」
「まあ、ちょっとは、ね」
瓦礫をはね除け、クロノスが立ち上がる。立ち上がった体からはおびただしい量の血が流れ出ている。
「おい、ほんとに大丈夫かよ」
「大丈夫大丈夫。これぐらいじゃ―――――うっ」
「クロノス!」
倒れそうになったクロノスを受け止める。受け止めた手には血がべっとりと俺の手を濡らす。
「クロード、早く逃げて。グールの狙いは私だから私と一緒にいたらクロードも危険な目にあうよ。それにもう、この空間を維持できない………」
クロノスがそう呟いた瞬間、パリンッというまるでガラスでできたドームが割れるみたいに本来何もないはずの空中がガラスのように一斉にはがれ落ちていく。
そしてはがれ落ちた後から見覚えのある、正確には見慣れた空間が覗いていた。
人々の行き交う当たり前の光景。先ほどまでのクロノスとグールの戦闘の跡は微塵も感じさせない綺麗な道路やビル。
それは俺の知っているいつもの街並みだった。
いつの間にか俺は血まみれのクロノスととも歩道に突っ立っていた。通り過ぎていく人々が俺達を凝視しては奇異な目で見ていく。
……これは……もしかして………
「クロノス、これって………」
「元の空間に戻ったんだよ」
やっぱりか。さっきのあのガラスの割れるような音はクロノスが自分の作った空間を解除する時の音だったんだ。でもいつもとは解除の仕方が違う。それにまだグールも倒してない。
クロノスを見るとかなりきつそうな顔をしている。多分、意図的に解除したんじゃない。それはさっきの言動からも明らかだった。
「ちょっと、何なのこれは!」
すぐ近くからいきなり声が聞こえた。
見ると入界管理局の黒髪少女が公道のど真ん中に立っていて、通行を阻害された車が一斉にクラクションを鳴らしていた。
その光景を黙って見ているとこちらに気づいたであろう少女が急いで走ってきた。あ、こっち来た。
「ちょっとなんなのこれは! 説明しなさい!」
ジャキッ。
公衆の面前だというのに銃を突きつけて説明を要求してくる少女。でも、クロノスを見た瞬間その顔が青くなった。
「さ、災厄の使徒!」
「ナイスタイミング。早くここから人を避難させて」
「な、なに、いきなり」
「理由はいいから急いで! 早くしないと――――――」
「お、おい。なんだあれ!」
いきなり近くを歩いていた帰る最中だと思われる中年サラリーマンが大声を上げた。なんだ?
サラリーマンの視線の先を見ると黒い人型の何かが先ほどの入界管理局の少女と同じように公道のど真ん中に立ち、交通渋滞を引き起こしていた。
「グール!」
―――そうだ。俺達が元の空間にいるってことはグールもいるってことだ。クロノスのことで頭がいっぱいになっててすっかり忘れてた。
「急いで!」
「仕方ないわね。わかったわ。今すぐ避難させるわ」
言うと少女は左手にはめた時計のような物から空中ディスプレイを出して何やらし始めた。
「クロード。どいて」
いきなりクロノスに押されて、俺は歩道に尻餅をついた。い、いてぇ。
ガギンッ。
俺が歩道に尻餅をつくと同時に金属音が鳴り響いた。
「くっ」
見るとグールがその槍のような触手を伸ばし、クロノスがいつの間にか出現させた剣で触手をガードしていた。
「お、おお……」
あ、あぶねえ。もう少しで串刺しだったぞ。
「きゃああああああああああああああああああ!」
その時、近くを歩いていた若い女性が悲鳴を上げた。それに続くように今まで俺達を遠巻きに見ていた通行人達が様々な喧騒を上げ逃げ始めた。
「早く避難させて! ここは私が何とかするから! あ、あとそこにいる少年は私が無理矢理協力させていただけで何も罪ないからそこのとこよろしく!」
それだけを言い残して、クロノスは今までガードしていた触手を振り払い、グールに向かって突っ込んでいった。
「ああ、もう! こんなことになるなんて一言も聞いてないわよ!」
叫んで少女は常人ではありえないスピードで逃げ惑う人々の先頭に立ち、避難誘導をし始めた。
クロノスの方を振り向くと金属音を響かせながらクロノスが六本の触手を相手に必死に戦っていた。でもその動きに先ほどまで俊敏さは感じられない。
「しまった!」
クロノスの弾いた触手の一本が近くにあるビルのへとぶつかる。
「きゃあああああああああああああ!」
一つのコンクリート片が真下にいた群衆の上へと落ちていく。大きさはそこまで大きくないが当たればただじゃ済まない大きさだ。
おい、ヤバいだろ! あれは。
俺は急いでその場から駆け出し、ビルの壁面を足場にしてコンクリート片に跳躍、コンクリート片を蹴り飛ばす。
いてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!
思ったより多少、いや、かなり痛かったがどうやら誰も怪我はしていないようだ。
着地した俺を逃げていた人々が怯えと好奇が混ざったような視線で少しの間見えていたが程なくして再び逃げ始めた。まあ日本刀持っていて、おまけに今の俺は常人より身体能力が高いからな。注目されないわけがないか。
「さて、これからどうするか………」
もう大体この辺りからはみんな避難して人気もなくなった。あと残る問題はグールのみ。
まず、クロノスに加勢するってのは無しで何をするか。正直、今の俺にできることなんて何もない。
見るにクロノスとグールではグールの方が現状では上手。証拠にクロノスはグールの触手による攻撃を防ぐだけで全然攻撃に転じようとしない。あれは攻撃に転じる余裕がないからだ。でもそれも仕方ない。さっき俺達を庇ってグールの一撃をまともに受けたんだ。相当無理しているに決まっている。
それでもあいつはグールをどうにかして倒すつもりなんだろう。でなきゃ、とっとと逃げてるはずだ。
「な、何が起きていますの……」
ただ何もできず黙ってクロノスとグールの方を見ているといきなり後ろの方から声が聞こえた。
赤みがかった茶髪をカールさせ、あちらのエルフの少女と同じ黒と白の制服のような物を着ている女の子がそこにいた。
そう。先ほど俺に火の玉なんかを散々飛ばしてきていた入界管理局所属のウィザードの少女だ。さっきから見てなかったからすっかり忘れていた。
「あ、あなた、なぜここに。成宮さんは……?」
「成宮?」
「わたくしと一緒にいた人ですわ。……もしかしてあなた成宮さんを………」
何を思ったのか徐々に少女の顔が青くなっていく。
「成宮ってのが誰かはわかんないけどあっちにいるのがそうか?」
俺は向こうの方で残りわずかとなった人達を避難誘導をしている黒髪エルフの少女を指差した。
「成宮さん!」
成宮と呼ばれた黒髪のエルフ少女はこちらを一瞥し、残りの人達を避難させ終えるとこちらに慌てた様子で近づいて来た。
「志水さん、良かった。無事だったのね」
「それよりこの騒ぎは一体何なんですの? なぜか知りませんけどさっき大勢の人が何かから逃げているような素振りを見せて走っていきましたけど……というかこの空間にはわたくし達以外に人間が存在するなんて……」
この志水とかいうのまだクロノスの空間の中にいると思っているのか。多分、クロノスに気絶でもさせられていたんだろう。クロノスのやつにしてみれば気絶させるなんて芸当テレビのリモコンを押すぐらい簡単そうだからな。
「あの空間はもう消失したわ。でも―――――――」
説明しよう思ったらエルフ少女が俺よりも早く説明をし始めた。
「なぜかは分からないけど準知的生命体と思われる謎の生物がいきなり現れて災厄の使徒戦闘に入ったと思ったらあの異常空間がなくなったりでもうわけが分からないわ」
「準知的生命体と思われる謎の生物?」
志水という少女が「なにそれ?」といったような顔をする。
「あれよ」
「あ、あれは……」
エルフ少女が指した方を見た少女は何やら見ているこっちまでもが気持ち悪くなりそうな具合に顔を真っ青に染め、ぶるぶると震え始めた。
「ご、ゴ、ゴキブリィィィィィィィィィィィ――――――――――!」
耳を劈くような悲鳴を上げ、卒倒。そのままアスファルトに頭をぶつけ動かなくなってしまった。
「あー……えーと………」
今、分かった。こいつだ。あのゴキブリ野郎の元になったのは。確か、クロノスのやつはグールを変化させるのは接触された者の忌み嫌う物、つまりはとても嫌いな物のイメージと言っていたような気がする。
今までこの二人のどっちかだと思っていたがここまでゴキブリ嫌いならこのウィザードの志水とかいうので間違いない。
「ちょっ、志水さん、大丈夫!」
近くで俺とともに倒れる様子を見ていたエルフ少女が数秒経ってハッと我に返り、呼びかけながら揺さぶる。だが、反応がない。どうやらただの屍のようだとはいかなく、ただ気絶しているだけのようだ。一体どんだけゴキブリが嫌いなんだよ………あ、いや別に俺も好きじゃないけど。
「もうこんな時に……」
文句を言いながらエルフ少女が軽々と志水を抱え上げる。
「ちょ、おい、どこに行くんだよ」
「一旦本部に戻るのよ。さすがにあんな化け物生身で相手するほどバカじゃないからね。それに二人だけじゃとても手に負えないし、志水さんもこんなだからね。そ」
「待て、あれはどうすんだ」
言って少し離れたところでクロノスと戦っているグールを指す。
「心配はいらないわ。多分、本部がこの付近の住民には避難勧告を出しているだろうから別に私達が離れても問題はないわ。さあ、あなたも来なさい」
「え、でもクロノスが―――」
「いいから来なさい。あなたには色々本部で訊かなきゃいけないこともあるし、それにこれ以上ここにいたらあなたも危険でしょ」
確かにここにいたらいつグールが襲ってくるか分からない。それにクロノスとグールの戦闘で生じた瓦礫などによる二次災害もある。入界管理局に行くのは嫌だが命には代えられない。ここで一旦、入界管理局の本部とやらに行ったほうが得策だというのも普通に分かる。
でも何かこう、心に引っかかるんだ。
「早く! 死にたいの! さっきも言ったけどあなたには訊かなきゃいけないことがあるの。急いで!」
「………」
初めて会った日にあいつは自分のせいでグールが現れた的なことを言っていた。
あいつが今、ここでボロボロになってでもグールと戦っているのは自分のせいで巻き込んでしまった人々への責任感からかもしれない。例えそうじゃなくてもあいつは自分一人であの化け物を片付けようとしている。今日までの五日間、俺を巻き込んでおきながらいざとなったら逃げろとまで言って。
クロノスと出会って今日まで最悪女だとか言っていたが、結局のところあいつは優しいんだ。それはさっき入界管理局のエルフ少女と俺をグールから庇ってくれたところからも分かる。だだでさえグールと戦うことで精一杯だったっていうあの状況で俺たち二人を自分が傷つくにも関わらず助けてくれた。
そのせいで傷ついてでもあいつは今も一人でグールと戦っている。
「ああもう! 急いで! 早く行くわよ!」
苛立たしげにエルフ少女が俺の手を掴んでくる。
「待たせてるところ悪いな。俺にはやることがあるんだ」
掴まれた手を払い、震える足で地面を踏みしめて走り出す。
「ちょっとどこ行くの! 死ぬ気あなた!」
死ぬ気? いやいやいやいや自殺願望なんてこれっぽちもないから。
俺だって本当は家に帰って夕飯の支度やら洗濯したり色々しなくちゃならないんだ。ましてやあんな化け物同士の戦いに誰が好き好んで巻き込まれに行くもんか。
でもな。一人でボロボロになって戦っている女の子を見捨てて逃げるほど人間出来てないわけじゃない。それにそれが顔見知りだったらなおさらだ。
きっと普段の俺だったら全速力で逃げていただろう。でも今の俺は日本のおかげで身体能力が格段に上がってるんだ。クロノスを連れて逃げるくらいならなんとかできるかもれない。
俺は「なんとかなるなんとかなる」と頭の中で復唱しながらクロノスのいる場所へと向かった。
評価や感想、アドバイスなどをいただけたらとても嬉しいです。
P.S.辛口でも全然かまいませんのでお願いします。