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残響の庭  作者: とま


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第2話「残響」

 翌朝、柊は六時に目を覚ました。


 窓の外は既に明るく、桜の花びらが風に舞っていた。四月の東京。気温は十五度前後。穏やかな春の日だ。


 柊は寮の狭い部屋で身支度を整えた。ワンルーム、六畳。家具は最小限。生活感のない部屋だった。


 三十二歳、独身。交際相手はいない。友人と呼べる存在も、ほとんどいない。


 仕事と、母との対話。それが柊の生活の全てだった。


 七時に管理棟に出勤すると、既に早番のスタッフが働いていた。


「おはようございます、水無瀬さん」


「おはよう」


 挨拶を交わしながら、柊は自分のデスクに向かった。


 管理棟は広いオフィスフロアで、三十人ほどのスタッフが交代制で勤務している。残響庭園は二十四時間体制だ。死者に休みはない——そんな冗談を言う者もいるが、柊は笑えなかった。


 端末を起動し、夜間のログを確認する。システムエラーは発生していない。残響の状態も安定している。


 桜の園には現在、約三千の残響が保管されている。日本最大級の規模だ。その全てを、柊たちは管理している。


「水無瀬さん、今日の面会予約リストです」


 田所が資料を差し出した。彼女は夜勤明けのはずだが、引き継ぎのために残っている。


「ありがとう。何か変わったことは?」


「特にないです。あ、でも——」


 田所が言いよどんだ。


「何だ?」


「いえ……気になることがあって。昨日の深夜、Cブロックの残響が一斉に活性化したんです」


「活性化?」


 柊の眉が寄った。残響の「活性化」とは、通常よりデータ処理量が増加することを指す。対話中は活性化するが、夜間、面会がない時間帯に一斉に活性化するのは珍しい。


「どのくらいの規模?」


「約五十体です。数分で収まりましたけど」


「ログは?」


「記録されてます。でも、特に異常なやり取りはなくて……残響同士が会話してたみたいです」


 柊は考え込んだ。残響同士の会話は珍しくない。VR空間内で、残響たちは自由に交流できる。ただ、深夜に一斉に活性化するのは——


「とりあえず、ログを詳しく見てみる。報告ありがとう」


「はい。じゃあ、お先に失礼します」


 田所が退勤すると、柊は端末に向かった。


 Cブロックの残響リストを表示する。五十体。年齢も性別もバラバラだ。共通点は——


「桜の園に来てから五年以上経過している残響か」


 柊は呟いた。古参の残響たちだ。松田康介の名前もあった。


 ログを開く。深夜二時三十七分から二時四十五分まで、約八分間の活性化。会話内容は——


『また、あの夢を見た』

『私も。誰かが呼んでいる』

『ここにいない、と言っている』

『何の夢だろう』

『わからない。でも、懐かしい感じがする』


 柊の手が止まった。


 ここにいない——


 その言葉に、何か引っかかるものを感じた。だが、理由はわからない。


 残響が夢を見る。それ自体は不思議ではない。残響は人間の意識をベースにしているから、夢のような状態——ランダムな記憶の再構成——が発生することはある。


 だが、複数の残響が同時に同じような夢を見る。それは——


「偶然、か」


 柊は首を振った。考えすぎだ。残響たちは同じVR空間に存在している。何らかの共有体験が、似たような夢を引き起こしたのかもしれない。


 ログを閉じ、通常業務に戻った。


          ◇


 午前十時、最初の面会者が訪れた。


 六十代の夫婦。妻の母親の残響に会いに来たという。


 柊は二人を対話ブースに案内した。


「初めてのご利用ですね」


「はい」と妻が答えた。「母が亡くなって三ヶ月……やっと、心の準備ができて」


「ご無理はなさらないでください。対話中に気分が悪くなったら、いつでも中断できます」


「ありがとうございます」


 夫婦がVRヘッドセットを装着するのを見届け、柊はブースを出た。


 廊下を歩きながら、考える。


 初めて残響と対話する人は、大抵泣く。故人そのものが目の前にいるからだ。声も、仕草も、記憶も。生きていた頃と変わらない。


 だが——それは「故人そのもの」なのだろうか。


 残響は、人間の意識をスキャンしてデジタル化したものだ。記憶と思考パターンの「近似値」。完全なコピーではない。


 柊はその事実を、誰よりもよく知っている。五年間、残響を管理してきたから。そして、五年間、母の残響と対話してきたから。


 母の残響は、母に似ている。とても似ている。だが——


 時々、違和感を覚えることがある。微妙な言い回しの違い。反応のタイミング。些細なことだが、柊は感じ取ってしまう。


 それは、母ではない何かだ。


 いや——考えるのはやめよう。


 柊は首を振った。この問いには答えが出ない。そして、答えを出す必要もない。


 母の残響は、ここにいる。それだけで十分だ。


          ◇


 昼休み、柊は一人で食事を取っていた。


 食堂は混んでいたが、柊の隣に座る者はいなかった。柊が一人でいることを好むと、同僚たちは知っている。


「水無瀬」


 声がかかった。顔を上げると、上司の沢渡が立っていた。


「何か?」


「午後、時間あるか? 本部から視察が来る」


「視察?」


「残響管理局の連中だ。何か調べ物があるらしい」


 残響管理局。政府機関で、残響技術の研究と規制を担当している。桜の園も、その監督下にある。


「何の調査ですか?」


「さあな。俺も聞かされてない。とりあえず、案内を頼む」


「わかりました」


 沢渡が去ると、柊は食事を再開した。


 残響管理局の視察。珍しいことではないが、嫌な予感がした。


 何かが起きようとしている——そんな直感があった。


          ◇


 午後二時、視察団が到着した。


 三人組。スーツ姿の男性二人と、白衣の女性一人。


 柊は正門で彼らを出迎えた。


「桜の園へようこそ。管理者の水無瀬です」


「ご案内いただけますか」と男性の一人が言った。「まず、サーバールームを」


「かしこまりました」


 柊は先導して歩き出した。視察団は黙ってついてくる。


 サーバールームは管理棟の地下にある。巨大な空間に、無数のサーバーラックが並んでいた。冷却装置の低い唸りが響いている。


「ここに、約三千の残響が保管されています」と柊は説明した。「データは三重にバックアップされ——」


「水無瀬さん」


 白衣の女性が遮った。


 柊が振り返ると、女性はこちらを真っ直ぐ見ていた。


 二十代後半。知的な顔立ち。どこかで見たことがある——


「久しぶりね、柊」


 女性が微笑んだ。


 その笑顔を見た瞬間、柊は思い出した。


「玲——朝霧玲か?」


「覚えてくれてた? 嬉しい」


 朝霧玲。小学校時代の同級生だ。柊が転校するまで、同じクラスだった。


「何で……いや、残響管理局にいるのか」


「そう。残響工学の研究者になったの。色々あってね」


 玲は視線をサーバーラックに向けた。


「柊がここで働いてるのは知ってた。でも、会いに来る理由がなくて」


「今日は理由があるのか」


「ええ」


 玲の表情が真剣になった。


「最近、全国の残響庭園で、奇妙な現象が報告されてるの」


「奇妙な現象?」


「残響たちが、同じ言葉を口にする。『私はここにいない』って」


 柊の心臓が跳ねた。


 今朝見たログ。残響たちの会話。『ここにいない』という言葉——


「何か、心当たりある?」


 玲が尋ねた。


 柊は、しばらく黙っていた。


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