第12話「再会」
三日目の夜、柊は母の残響と対話することを決めた。
逃げ続けることは——できなかった。
対話ブースに入り、VRヘッドセットを装着する。深呼吸をして、ログインした。
夜の桜の園。
桜は既に散り始めていた。花びらが風に舞い、月明かりに照らされている。
いつもの場所に——母が待っていた。
「柊」
母の声。三日ぶりに聞く声。
「母さん」
柊は母の前に立った。
母の顔を——じっと見つめた。
五十代前半の姿。穏やかな表情。優しい目。
これは——母なのか。
「三日も来なかったわね。心配したわ」
「ごめん。少し——考えることがあって」
「体調は大丈夫?」
「ああ」
いつもの会話。いつもの気遣い。
だが——柊の心は、いつもとは違っていた。
「母さん」
「なあに?」
「聞きたいことがある」
母の表情が変わった。何かを察したように。
「なあに。何でも聞いて」
「母さんは——なぜ、残響を作ったんだ」
長い沈黙が流れた。
風が吹いた。桜の花びらが舞った。
「……どうして、そんなことを聞くの」
「答えてくれ」
柊の声は、静かだが——強かった。
母は——しばらく黙っていた。
「私は——あなたと、もう一度話したかった」
やがて、母が答えた。
「死んだ後も——あなたの声を聞きたかった。あなたの顔を見たかった」
「それだけ?」
「……それだけじゃ、ないかもしれない」
母は桜を見上げた。
「私は——あなたを、一人にしたくなかった」
「一人に?」
「颯太さんが亡くなった時——あなたは、まだ三歳だった。私は——あなたと二人で、生きてきた」
母の声が震えた。
「私がいなくなったら——あなたは、一人になる。それが——怖かった」
柊は母を見つめた。
「だから——残響を作った。私がいなくなっても——あなたが、一人にならないように」
柊の胸が痛んだ。
母は——柊のために、残響を作った。
柊を——一人にしないために。
「でも——」
母が続けた。
「今は——わからなくなってる」
「何が?」
「私がここにいることで——あなたは、前に進めてるのかしら」
母は柊を見た。
「あなたは——五年間、毎日ここに来てる。友達は? 恋人は? あなた自身の人生は?」
柊は答えられなかった。
「私は——あなたを縛ってるんじゃないかしら」
母の目から、涙が溢れた。
「あなたを——過去に、閉じ込めてるんじゃないかしら」
柊は——母を見つめた。
母の残響が——柊を心配している。
柊のために残響を作ったはずなのに——今は、柊を縛っているかもしれないと苦しんでいる。
「母さん」
「なあに」
「俺は——母さんと話せて、幸せだよ」
「……本当に?」
「ああ。でも——」
柊は言葉を選んだ。
「俺も——考えなきゃいけないことがある」
「何を?」
「母さんが——本当に望んでること」
母の表情が変わった。
「私が——望んでること?」
「ああ。俺は——五年間、自分が会いたいから会ってた。母さんが望んでることを——聞いたことがなかった」
柊は母の手を取った。VR空間でも、温もりを感じる。
「母さんは——ここにいたい?」
長い沈黙が流れた。
母は——しばらく黙っていた。
「……わからない」
やがて、母が答えた。
「ここにいれば——あなたに会える。それは、幸せ」
「でも?」
「でも——私の中には、空っぽの場所がある。何が欠けてるのか——思い出せない」
母は胸を押さえた。
「その空っぽが——時々、苦しいの」
柊の心が痛んだ。
母の残響は——欠損を感じている。
消去された記憶。父の死の真実。柊には言えなかった秘密。
その欠けた部分が——母を苦しめている。
「母さん」
「なあに」
「俺は——母さんに、伝えなきゃいけないことがある」
柊は覚悟を決めた。
「でも——今日じゃない。もう少し——準備が必要だ」
「……わかったわ」
母は微笑んだ。その笑顔は——悲しげだった。
「待ってる。いつまでも」
柊は——母の手を握りしめた。
いつか——全てを伝えよう。
父の死の真実を。母が隠していた秘密を。
そして——柊自身の答えを。
その時まで——もう少しだけ、時間が必要だった。




