表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
残響の庭  作者: とま


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/12

第11話「研究記録」

 その夜、柊は玲のオフィスを訪れた。


 残響管理局の東京支部。都心のビルの一角にある、こぢんまりとした施設だ。


「遅くまで悪い」


「いいよ。私も気になってたから」


 玲は柊を会議室に案内した。


 テーブルの上に、古びた資料が積まれていた。紙の書類——二十九年前の記録だ。


「これが、水無瀬颯太の研究記録。残響研究所のアーカイブから見つかった」


 柊は資料を手に取った。


 表紙には、『意識転写技術の基礎研究——不完全性定理の検証』と書かれていた。


「不完全性定理?」


「残響技術の根本的な限界を定式化した理論。お父さんは——その研究の中心人物だったみたい」


 玲が資料のページをめくった。


「ここ。見て」


 柊は指差された部分を読んだ。


『意識の完全な転写は、原理的に不可能である。なぜなら、意識の一部は——観測によって失われるからだ』


「どういう意味だ」


「意識をスキャンする行為自体が、意識を変化させる。だから、オリジナルと完全に同じコピーは作れない」


 玲は説明した。


「残響は、常に『近似値』でしかない。これが、不完全性定理の核心」


 柊は資料を読み続けた。


 父の文章。父の言葉。二十九年前に書かれた、父の思考の記録。


『残響技術は、死者を甦らせる技術ではない。死者の「影」を作る技術である。影は本体ではない。だが、影にも——存在する意味があるかもしれない』


 柊の手が震えた。


 松田が言っていた言葉と——同じだ。


「父さんは——残響の限界を、誰よりも知っていた」


「そうみたい。そして——」


 玲は別の資料を取り出した。


「これは、亡くなる数ヶ月前の記録」


 柊は資料を受け取った。


 日付は——柊が三歳の年。父が亡くなる直前だ。


『私は、取り返しのつかない過ちを犯したかもしれない。残響技術は——人々を救うために開発された。だが、それは同時に——人々を縛る鎖にもなりうる』


『死者の影に縛られ、前に進めなくなる人々。私は、そんな人々を生み出してしまった』


『私自身が——その典型かもしれない』


 柊は資料から目を上げた。


「父さんは——何を言ってるんだ」


「わからない。でも——」


 玲は考え込んだ。


「お父さんは、残響技術の負の側面に気づいていた。遺族が残響に依存し、前に進めなくなること。そして——」


 玲は柊を見た。


「お父さん自身も、誰かの残響に——縛られていたのかもしれない」


 沈黙が流れた。


 柊は考えていた。


 父が——誰かの残響に縛られていた。


 それは——誰だろう。


 祖父母か。友人か。それとも——


「父方の祖父母は——」


「調べた。お父さんが子どもの頃に亡くなってる。残響は——残ってない」


「じゃあ——」


 柊は資料を見つめた。


 父が縛られていた相手。それは——まだわからない。


 だが、一つだけ確かなことがあった。


 父は——残響技術の危険性を知っていた。


 だから——自分は残響にならないと、遺書に書いた。


 母を——柊を——残響という鎖から、守るために。


          ◇


 資料を読み終えた時、夜は更けていた。


「どう?」


 玲が尋ねた。


「わからないことばかりだ」


 柊は首を振った。


「父さんが何を考えていたのか。なぜ死を選んだのか。まだ——見えない」


「でも、一つはっきりしたことがある」


「何だ」


「お父さんは——残響になることを、自分の意志で拒否した。それは、残響技術を知り尽くした上での決断」


 玲は柊を見つめた。


「残響が『本人』ではないことを、お父さんは誰よりも知っていた。だから——影を残すことを、選ばなかった」


 柊は黙った。


 父の選択。残響を残さないという選択。


 それは——正しかったのか。


 母は——父の意志を尊重し、残響を作らなかった。


 だが、母自身は——残響を作った。


 なぜだろう。


 父の意志と、母の選択。その矛盾は——何を意味するのか。


「柊」


「何だ」


「お母さんの残響に——会わないの?」


 柊は答えなかった。


 二日間、柊は母の残響と対話していなかった。


「会いたくない——わけじゃない」


「じゃあ、何で」


「どう向き合えばいいか——わからないんだ」


 柊は窓の外を見た。夜の街。無数の灯り。


「母さんの残響は——母さんの秘密を知らない。消去されてるから」


「ええ」


「でも、俺は知ってしまった。父さんの死の真実を」


 柊は玲を見た。


「俺が知っていて、母さんの残響が知らないこと。その差は——何を意味するんだ」


 玲は答えなかった。


 二人の間に、沈黙が流れた。


「一つだけ、言えることがある」


 やがて、玲が口を開いた。


「何だ」


「お母さんの残響は——お母さんの全てじゃない。でも、お母さんの一部」


「一部?」


「消去された記憶も、本来のお母さんの一部。それがなくても——残った部分は、確かにお母さんのもの」


 玲は立ち上がった。


「残響に会うかどうかは、柊が決めること。でも——一つだけ覚えておいて」


「何だ」


「残響も——待ってる。柊に会えることを」


 柊は——何も言えなかった。


 母の残響。柊を待っている母。


 柊は——いつまで、逃げ続けるのだろう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ