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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

さようなら旦那さま。とっとと死んでくださいませんか?

 

 ギーナ・ブラッドレイは公爵夫人である。

 公爵とはいえ、ブラッドレイ家は最近爵位を授かったばかりの新参貴族だ。

 そんな家に嫁いだギーナにはとある日課があった。


「旦那さま。起きてますか?」


 足音を立てずに夫の寝室に侵入するギーナ。

 ゆっくりと天蓋付きのベッドに近づくと穏やかな寝息をたてている赤髪の美男子がいた。

 彼の名前はラルク・ブラッドレイ。ギーナの夫であり、国中の注目を集めている有名人だ。

 気持ちよさそうなラルクの寝顔を観察し、完全に意識がないことを確認する。

 部屋の中には夫婦だけで、まだ太陽がのぼり始めたばかりの室内は薄暗く絶好の機会だった。


「では旦那さま。永遠におやすみなさい」


 薄っすらと笑みを浮かべてギーナは両手で短剣を握り締めて眠っているラルクの胸へと振り下ろした。


「おっと、そうはいかないよ」

「っ!?」


 伸ばされた腕によって殺意に満ちた刃があと僅か胸に届かず止められた。


「おはようギーナ。今日もご苦労様」

「さようなら旦那さま。さっさと死んでくれませんか?」

「あははは。だったらその剣を突き刺してみなよ」


 お互い笑顔のままであるが、ギーナは全力で心臓を刺してやろうと力を込める。

 だが、涼しい顔をしたラルクの筋力の前では無理だった。


「今朝はシンプルに寝首を狙ったね」

「いいえ。昨晩仕込んだ睡眠薬との合わせ技ですよ。だから何で起きれたんですか?」


 ギーナは公爵夫人でありながら毎日厨房に立っている。

 基本的に料理人に任せるが、最後の味の調整だけは自分でやらないと気が済まないのだ。

 そして昨日の夕食に激しい眠気を誘う薬を盛った。毒殺を狙わなかったのは過去に失敗済みだからだ。


「おかげでぐっすり眠れたよ」

「そうですか。では、お礼に死んでください旦那さま」


 最早隠すことを諦めて夫をあの世へ送ってやろうとするが、呆気なくギーナの手から短剣は奪い取られた。


「残念だけど時間切れ。良い短剣だけど僕相手だと物足りないかな」


 刃の部分をラルクが軽く指で弾くと短剣は無惨にも粉々に砕け散った。


「脆くて心臓までは届かなかったと思うよ?」

「デコピン一発……」


 信じられないものを見たと目を丸くするギーナに対して自慢げに胸を張りながらラルクは言った。


「これでも元魔王だからね。僕を殺したかったら伝説の聖剣でも持って来なきゃ」




 ♦︎




 この世界には魔王がいる。

 数百年に一度現れては魔物を従えて暴れ回る。

 同時に現れる勇者や聖女によって倒されるが、統率された魔物の軍勢は恐怖でしかない。


「やぁ、こんにちは。僕は魔王だよ」


 魔王対策の会議中に突如として現れた魔王ラルク・ブラッドレイは人類に宣戦布告をした。

 歴代の中でも最強の力を持った彼を前に貴族達はあんなのと正面から戦うなんて馬鹿らしいと早々に匙を投げた。


「魔王よ。お前が望むものはなんだ。我々はそれをお前に与えよう」


 事実上の降伏宣言だが、国が滅ぶよりはマシなので王は足を震わせながら提案を持ちかけた。


「僕が欲しいのは魔物達と仲良く暮らせる土地かな。それから人間達に舐められない地位があると嬉しいな」


 こうして今代の魔王は人間の王から広大な未開拓の地と高い身分を手に入れた。

 だが、これまで自分達と敵対関係にあった彼をそのまま野放にするのを恐れた人間達はある策を考えた。


「こちらの貢ぎ物をお納めください」


 そうして差し出されたのが人間の貴族の娘だった。

 貴族として結婚し子を残すことは当然であり、人間をより詳しく知るためにも嫁を作るのは大事なことだとラルクに教えたのだ。




 ♦︎




(いつになったら終わるのかしらねこの任務)


 差し出された娘は黄昏ていた。

 ギーナはただの貴族令嬢ではなく、生まれはずっと低い身分だった。

 田舎村の貧しい夫婦の家に生まれたギーナの幼少期は普通に幸せで、毎日限界まで働く両親を見ながら自分がいつか家族を支えるのだと思っていたのだが、ある日村は盗賊に襲われて滅んだ。

 両親から大切に育てられていたギーナはそこそこ容姿が整っており、殺されずに盗賊の手によって奴隷商に売り飛ばされた。

 奴隷時代の環境は地獄で、毎日誰かの泣く声が聞こえる中でギーナは必死になって生にしがみついた。

 とある人間が飼い主になりたいと申し出たので少し期待したが、待っていたのは更なる地獄だった。

 飼い主は殺し屋組織の親玉で、ギーナと同じような境遇の子供を買い集めては殺しの技術を仕込んでいた。

 最初は動物から始まり、いつの間にかギーナは人間の解体を覚えた。

 薬学や医学にも精通し、容姿を利用しながらこれまで何人も敵を闇へ葬ってきた彼女の最大の任務こそ、魔王の討伐だった。


(毒は効かないし、寝込みを襲っても刃が心臓まで届かないときました)


 正直お手上げだった。

 見た目は人間なのにあらゆるスペックが化け物なのだ。

 そして、ラルク最大の謎がギーナの待遇である。


(また生かされたわけだけど、完全に遊ばれていますわよね?)


 妻として迎え入れられた後、最初の暗殺に失敗したギーナは死を覚悟した。

 きっとラルクは怒り狂い、人間を皆殺しにするかもしれないと思ったのに彼は笑うだけだった。


『殺し屋の花嫁か。……ふふっ。なんだか面白いから気に入ったよ』


 生きた心地がしなかったが、その艶のある妖しさに目を奪われかけた。

 それからは苦難の日々が続き、ギーナはラルクを早く殺せるように手の限りを尽くしたが彼にとってギーナの暗殺はじゃれ合いでしかないと気づくのに時間はかからなかった。


(次は生きたまま火炙りとか?)


 毎日殺されかけているというのに、ラルクはギーナを処分するどころか魔物の世話を任せて自身は貴族の仕事に集中している。

 ありがたいことにブラッドレイ公爵領では魔物の力を借り放題なので開拓が爆速で進んで移民希望者が殺到しているのがまた悩ましい。

 貴族となって結婚してからのラルクは超有能領主でギーナも人並み以上の暮らしが約束されている。

 おかげで焦った貴族達から殺しの催促がよく届く。


(無茶を言ってくれますわよね。こっちがどれだけ苦労しているかも知らないくせに)


 今日もまた催促の手紙を足にくくりつけた鳩が何匹も飛んできたので嫌々返事を書く。


【聖剣クラスの武器があれば殺害は可能です。至急、手配してください】


 ギーナの凄腕の殺し屋としての評判も過去のものだ。

 雇い主から出された最後の依頼が魔王の暗殺だが、それを成し遂げなくては約束は果たされない。


(勇者と聖女はどこでなにしているのでしょう……)




 ♦︎




 この日、ギーナとラルクは自国の王がいる城を訪ねていた。

 なんでも魔王と人間が協力関係になってから二年経ったのでそのお祝いのパーティーを開くというのだ。


「おめかししたギーナは可愛いね」

「旦那さまも素敵ですわ。死んでくれたらもっと素敵ですけどね」


 こっそりスカートに忍ばせていた暗器の鉄針を取り出してラルクの目を潰そうと突き出したが、目を閉じられたせいで瞼に当たって針が折り曲がった。

 鉄とはなんぞや? とギーナは考えた。


「駄目じゃないか。ここは屋敷じゃないんだからそんな危ないものを持ってちゃ」

「全身凶器の旦那さまに言われましても……」

「今日は大事なパーティーだから置いていこうね」


 これは今日の暗殺は無理だと思い、隠し持っていた暗器を出すと小さな山ができた。

 警備担当の衛兵があんぐりと口を開いている。

 荷物を預け終わるとラルクが感心するような目を向けてきた。


「あんなに沢山隠し持てるなんてすごいね」

「特注品のドレスですので」


 ラルク暗殺のためにデザインからギーナが関わったドレスだが、種がバレては次から使えない。

 周囲からチラチラと視線を向けられながら会場となるダンスホールへ入ると招待された参加者で溢れかえっている。

 弱らせるために毒を盛るなら都合がいいと壁際に並んだ料理の方へと近づく。


「ギーナは本当に器用だよね。料理や裁縫も得意で」

「生きていく上で必要でしたからね」


 ラルクが素直に褒めてくるが嫌味にしか聞こえなかった。

 ギーナが身につけた技術は人殺しのために覚えさせられたものばかりだ。

 器用さであれば魔王なのに人間から慕われ始めているラルクの方が異常だ。


「でも、ちょっと歌は苦手だよね」

「死にたいんですね? 殺して差し上げますよ」


 コンプレックスを指摘され、立食用に置かれていたフォークを喉に突き刺そうとしたがフォークに刺さった料理ごと口で受け止められた。


「残念でした」

「ちっ……」


 本気の舌打ちだが、周囲から見たら夫婦がイチャついてアーンをしているようにしか見えない。


「怒らないでよギーナ。ちょっとからかっただけだよ」

「からかう必要ありましたか?」

「だって、今日の君は普段よりピリピリしていたからね」


 表面上はいつも通りの自分を装っていたつもりだが鋭いなと思った。

 ラルクの黄金色の瞳に見つめられると何もかもを見透かされているような気になる。

 甘ったるい声もギーナの思考を鈍らせるのには十分だ。


「別に、不機嫌とかじゃないんですからね!」

「ギーナがデレた」

「デレていませんわよ!!」


 動揺して変なことを口走った自分を呪いたくなる。

 この魔王の近くにいると調子が悪くなる一方だと、ギーナは王城の専属料理人が作ったご飯に舌鼓を打つラルクから距離を取った。

 己はプロの殺し屋なのだと言い聞かせながらラルクを置いてダンスホールからバルコニーへと向かう。

 風通しも良く広い場所には何人ものカップルが甘い雰囲気を出していた。


(調子が狂う。さっさと任務を達成をしなくては。いや、いっそ私を……してくれれば)


 楽になりたいと思った。

 なんだかんだで絆されかけているのを認めそうになる。

 だが、自由と目的のためにはやはり彼を手にかけなければならないと現実が突きつけられている。


「悪い魔王だったら良かったのに」

「悩んでいるようだな鮮血姫」

「っ!!」


 耳元で囁く冷たい男の声。

 殺し屋であるギーナの気配察知能力は高く、その力があってこそ魔王の寝首を狙えていた。

 しかし、背後にいる人物の存在に気づけなかった。

 つまりは自分より格上の実力者という証だ。


「何かご用でしょうか?」

「鮮血姫にしては仕事が遅いから心配になってな」


 鮮血姫というのはギーナにつけられた異名だ。

 愛嬌のある可愛らしい娘のフリをして標的を殺し、返り血で服を赤く染める殺し屋。

 勝手につけられてうんざりしていたが、その名を口にするということは相手は自分の正体を知っている。


「余計なお世話ですわ」

「残念だがそうはいかない。お前さんは悠長過ぎたんだ」


 男が言い切るより先に嫌な予感がしたギーナは地面に転がる。

 男の手には血のついたナイフが握られており、ギーナは右手の痛みに舌打ちする。


「ちっ、正気? 私がどこの所属か知りませんの?」


 ギーナが所属しているのはこの国でも屈指の功績と実力のある権力者御用達の殺し屋組織で、だから彼女は選ばれた。

 安易に手を出せばこの世に居場所はないことを男は知らないのだろうか。


「その組織からの依頼だ。次の花嫁候補のために邪魔者を消せってな。お前は捨てられたんだよ。任務を失敗した殺し屋が処分されるなんて業界じゃ常識だろ」

(組織らしいやり口ですわね。約束を反故にするつもりなんでしょう)


 元々が奴隷商人から子供を集めて殺しの英才教育をするような連中だから碌でもないのは理解していたが、予想以上だ。

 簡単に殺されてやるつもりは無いが、生憎とギーナの手持ちの暗器は全て没収されている。

 目の前の男は堂々と武器を持っているので、差し向けたのは主催者側の人間だろう。


「逃げようとしても無駄だ。ここには俺以外にも殺し屋がいる。そいつら全員を振り切るのは不可能だ」


 それに、と男が口にしたところでギーナは視界がフラつくのに気づいた。


「毒……」


 相手はナイフに毒を塗っていたらしい。掠っただけではあるが傷口から侵入した毒が効いてきたのだ。

 本気を出せない状態のギーナでは確かに逃走は無理だ。


「あの世で見てろよ。お前の次の女が魔王を殺すところを」


 ニヤリと笑いながらトドメをさそうとする殺し屋の男。

 自分の死を覚悟しながらジーナは最後の言葉を言い放った。


「はっ。私にも殺せないあの旦那さまを他人が殺せるわけないでしょ」


 男の姿がゆっくり近づいてくるように見える。

 死に際には世界が止まったように感じると聞いていたが、まさか自分が体感するとは想像していなかった。

 これまでのラルクの小憎らしい顔や態度を思い出しながら、これが走馬灯だと気づく。


(あぁ、殺されるならやっぱりあの時が良かった)


 従順な花嫁のフリをして行った結婚式。

 その翌日に暗殺を失敗したあの時がギーナにとって一番望ましい場面だったと思いながら瞳を閉じる。


「死ね! 鮮血姫!!」


 ………………。


 ……痛みが無くならない。


 いつまで経っても掠った右手が痛むだけだった。


「……あれ?」

「大丈夫かい、ギーナ」


 瞼を開くと至近距離に見慣れたラルクの顔があった。


「旦那さま?」

「うん。僕だよ」


 ラルクに肩を支えられるような体勢だったギーナは何が起きたのか辺りを見渡した。


「ば、化け物……」


 殺し屋の男が突き刺そうと伸ばしたナイフがラルクの体によって受け止められ、くしゃくしゃになっていた。

 間一髪のところで彼が助けに入ったのだ。


「貴族達の話がしつこいから抜け出したら君がピンチだったからね。急いで駆けつけたんだよ」

「……それであの有様ですか」


 ラルクの来た方向を見ると、ダンスホールとバルコニーを遮るガラスの壁が人の形に砕け散っていた。

 おまけに力いっぱい踏み込んだせいでダンスホールの床が陥没している。


「く、くそったれ! こうなれば魔王諸共!」


 ナイフを使い物にならなくされた男が号令をかけるとバルコニーにいたカップルに偽装していた刺客達が武器を持って襲いかかってくる。


「無駄だよ」


 ラルクが手を薙ぎ払う。

 それだけで突風が吹いて刺客が全員吹き飛ばされて地面に叩きつけられた。


「僕と戦うなら全兵力を揃えなきゃね。おいで、僕の仲間達」


 指を鳴らすと足元にあったラルクの影が不自然に大きく広がり、中から魔物が複数匹飛び出してきた。

 魔王だけが使える召喚の魔法である。


「ポチ、ドラドラ、ピーちゃん」


 壊滅的なネーミングセンスで名付けられた名前を持つのは伝説の魔物と呼ばれるフェンリル、レッドドラゴン、グリフォンだった。


(庭でよく放し飼いになってる三匹だ)


 餌やり係のギーナや魔王のラルクからすればペットだが、それ他の人間にとっては恐ろしい怪物で刺客もパーティーの参加者も全員が恐怖に支配されて身動きが取れなかった。


「威嚇は許すけど食べちゃだめだよ」


 体を上手く動かせないギーナをお姫様抱っこしながら三匹の魔獣を引き連れてラルクは怯える人々を見た。


「僕の大事なギーナをこんな風にしてくれてさ、忘れちゃったのかな? 僕が誰なのかってこと」


 耳元で聞こえた声がいつもより低かった。

 もしかして怒っている? と思いながら顔を上げると、金色の瞳の視線が敵を射抜いていた。


「本気を出せば全員始末するなんて簡単だよ。面倒事は嫌だけどこんな真似をされちゃね」


 言葉の一つ一つに重みがあった。

 この魔王がその気になれば自分達なんて簡単に消されるという圧倒的な力の差がのしかかってくる。


「君達が言ったんだよね。家族を大切にして守るのが人間と一番仲良くなる方法だって」


 それは魔王を縛りつけるため、暗殺者を送り込むための口実だった。

 とはいえ間違いでもなく、同じ価値観を持つことが友好に繋がる第一歩である。

 だが、先に破ったのは人間側だった。


「さて、どうしようか。この子達にはまだ餌を食べさせてないんだよね」


 凄惨なお食事会を止めようと顔を上げるとラルクが視線を落としてウインクする。

 怒っているのは事実だが、本気で食べさせるつもりはないらしくギーナは安堵した。

 真っ青な顔で悲鳴も出せずに腰を抜かしている参加者の中から一番最初に飛び出してきたのは頭に王冠を載せた男だった。


「ブラッドレイ公爵! この度はまことに申し訳ない!」


 この国の王はそれは見事な所作で額を床に擦り付けた。

 カランと王冠が落ちるのも構わずにそれは綺麗な動きだった。


「我が国の馬鹿供が其方を傷つけたことを代表として謝罪する。だから命だけは助けてくれないか!!」

「「へ、陛下!」」


 国王についてギーナはよく知っている。

 ラルクと関わる以上、この男がよく話題に出てくるからだ。

 強硬派と穏健派の部下達に挟まれて毎日のストレスで頭が禿げ上がってしまった苦労人。魔王との和睦に命を賭けて挑んだ男でもある。


「責任は儂がとる。必ずこの事件の犯人を捕まえて其方の納得いく結果を用意する」

「……陛下にそこまで言われては仕方ありませんね。今回だけは見逃してあげましょう」


 ですが、とホッと安堵しようとした貴族に釘を刺すラルク。


「今後ギーナに何かあればこうしますからね」


 再度彼が指を鳴らすと、城よりも大きな岩が空に現れた。

 偉大な魔王はこう言いたいらしい。次はあの大岩を頭の上に落としてペシャンコにしてやるぞと。

 その場にいた全員が全力で首を上下に振った。




 ♦︎




「大丈夫かいギーナ?」


 グリフィンの背に乗って自宅までひとっ飛びで帰ってきたラルクとギーナ。

 自分に毒は効かないからと余裕な男だが、妻が毒に侵されたとなれば話は変わる。

 擦り傷だが毒の効果によっては死に至る可能性もある。

 国王に後始末を全部投げたのもギーナの体調を心配してのものだった。


「すぐに不死鳥を連れてきて心臓を取り出すから」

「待ってください。私の部屋からポーションの小瓶を持ってきてくれればそれで済みます」


 とんでもないことをしようとした夫を落ち着かせる。

 ラルクが急いで取ってきてくれた瓶を開けてギーナは中身を飲み干した。


「これで大丈夫です。私も毒を扱うので解毒薬の用意は常にしていましたから」

「そうなんだ。安心したよ……」


 脱力して地面に崩れ落ちるラルク。

 薬学に精通したギーナは毒で相手を殺すことも毒を治すことも得意だった。


「即効性もあるのでもう動けますよ」

「僕の見立てだと完治まで数週間はかかると思ったんだけど」

「心配ありません。昔から毒や呪いの耐性は高いんです。ポーションも自作の方が流通品より効果いいですし」

「へぇ、ちょっとそのポーションを見せてもらっていい?」


 予備として更にもう一本用意したポーションをじっくり観察するラルク。

 匂いを嗅いだり、少量を舐めたりした後で彼は笑い出した。


「あはははっ。そういうことか!」

「何かおかしいことがありましたか?」

「うん。このポーション、多分最高級品だよ。ヒュドラの毒でも治せると思うよ」


 ヒュドラと聞いてギーナは庭でとぐろを巻いている巨大な蛇を思い出した。

 伝説の魔物がその辺にいるのがブラッドレイ公爵邸の常識だからだ。


「そうか。どうして君のことが気になっていたのかはっきりしたよ。ギーナはね、聖女の力を持っていたんだよ」


 聖女と言われて頭が真っ白になる。

 聖女といえば魔王を倒すために呪いを弾いたり怪我した人々を癒す特殊な才能を持った人間だ。

 勇者と並んで魔王特攻のある伝説の。


「そんなわけ無いじゃないですか。私は殺し屋ですよ?」

「本当だって。そうじゃなきゃ僕が従えているとはいえ魔物に命令なんて出来ないよ。道理でギーナの用意した毒が毒無効の僕に僅かに効くわけだよ」


 ラルクはギーナが聖女である根拠を説明した。

 確かに当て嵌まる部分が多く、彼女は自分がまさかそんな能力持ちだなんて初めて知り困惑する。

 魔物達が時折怯えながら言うことを聞くのは彼の躾のおかげだと思っていた。


「これを王国側に教えてあげればギーナをどうこうしようと思わないはずだよ。聖女がいなくちゃ魔王退治なんて絶対に出来ないからね」

「いやいや。聖女がいなくても、勇者がいればどうにかできるんじゃありませんか? 過去には魔王と勇者が相打ちになっていますし」

「そうだけど、僕が生きているうちは無理かな。だって今の勇者は僕だから」


 突然のカミングアウトに再度ギーナは固まった。


「はい、証拠の聖剣」


 影の中からラルクが取り出したのは所在不明になっていた勇者しか抜けない聖剣だった。ただし、聖剣は不気味な光を放っている。


「な、なんで……」

「いや〜、勇者に勝てなかった先代の魔王が細工してたみたいなんだよね。次は勇者の力を持つ人間が魔王になるようにって」


 元々はただの村人だったとラルクは語る。

 孤児院で育った彼はある日魔王の力に目覚め、その本能に従って魔物達の王となり聖剣をこっそりゲットしたのだと。


「そんな変な話が……」

「これが現実なんだよね。魔王であり勇者でもあるから僕は最強になったんだよ。ただし、歴代の魔王と違って勇者側の理性もあるから人間を滅ぼしたくなかったんだよね」


 相反する二つの力によって悩んだラルクは人類との和平を選んだのだ。

 彼が公爵として立派に働きながら領民に慕われるのは勇者としての側面のおかげだとか。


「僕は最強だよ。でも、魔王である以上は聖女の力が有効だからギーナなら僕を殺せるよ! 君の努力は無駄じゃなかったんだ」


 そんなこと言われてもやる気はとっくに失せているとギーナは思った。

 殺せる可能性はあっても、途方もない時間がかかりそうだからだ。それこそ一生分ぐらい。


「馬鹿馬鹿しいです。私はもう旦那さまを殺すつもりはありませんよ。理由が無くなりましたし」

「僕を殺したら自由な身分を保証するって約束だよね。それから同じ境遇の子供達の解放」

「知ってたんですか!?」


 ラルクにはこれまで話したことは無かった筈だ。

 自分が殺し屋だとは教えたが、その経緯や取引の内容は口にしたことはない。


「たまに君が落ち込んだり悲しそうな顔をしていたからね。気になって調べたんだよ」


 諜報能力に優れた魔獣や、公爵として繋いだ人脈を利用したのだという。

 それでも全てを知ったのはつい先日のことらしい。


「まぁ、安心してよ。今回の件で王様には大きな貸しが出来たからそれで約束を守ってもらうよ」


 また悩みの種が増えて国王の頭皮にダメージがありそうだが、元はといえば国王の管理不十分のせいだ。

 奴隷制度が残ったままだからギーナに起きた悲劇が繰り返され、権力目当ての暗殺が横行している。

 ブラッドレイ公爵領に移民が押し寄せてくるのも税金関係で他の貴族に不満が溜まっているからでもある。


「……でしたら旦那さま。いっそこういうのは如何でしょうか?」


 ギーナはふと頭によぎった案をラルクの耳元で囁いた。

 妻からの大胆な提案に驚いた彼だが、自分と彼女なら不可能じゃないという確信があった。

 きっと恨まれたり危ない目に遭うかもしれないが、それで救われる人がいるなら勇者として、聖女として本望だと思えたのだ。ついでに魔王の使命も果たせる。


「流石は魔王の妻だね。そんな悪どい計画なんて僕じゃ思いつかなかったよ」

「殺し屋としてターゲットの弱点を探したり、場を整えたりするのは慣れていますから。おかげで組織に復讐できます」

「「ふふふふふふ……」」


 悪い笑い声が屋敷に響き渡り、庭の魔物達は酷く怯えてしまったらしい。

 本気になったラルクとギーナの夫婦が王国の領地をぶんどってブラッドレイ公国を建国するのだが、それは未来の話。

 魔物による圧倒的な軍事力と勇者のカリスマ性、そして聖女の慈悲によって王国は国力を削られて最終的に取り込まれることになる。

組織も綺麗さっぱり解体され王国の君主だった男は自分の情けなさに悲しみながらもストレスの原因が綺麗さっぱり無くなって喜んだとか。




 ♦︎




「ラルクさま。起きてますか?」


 ギーナ・ブラッドレイは夫のことを名前で呼ぶようになった。

 彼女がこれまで『旦那さま』と呼んでいたのはどうせすぐに終わる関係だったからである。

 しかし、これから一生付き合うとなれば彼だけ名前でギーナのことを呼ぶのは不公平だと思ったからだ。


「よし。寝ていますね」


 昨晩に食事に盛った睡眠薬のおかげでラルクがぐっすり眠っていることを確認したギーナは笑みを浮かべた。


「こうでもしないと休んでくれないラルクさまが悪いんですよ」


 自身の体の丈夫さを理由に、建国して以来ラルクは働き詰めだった。

 ギーナにはしっかり体を休めるように言いながら自分は無茶をするのでとうとう強硬手段に出た。


「……ギーナ大好きだよ……愛してるちゅちゅ……」

「寝言がうるさいですね」


 いい夢でも見ているのか穏やかで幸せそうな寝顔だった。


「では私は……」


 元殺し屋の技を使ってギーナは音も立てずラルクの側に寄る。

 無防備な状態の今の彼になら何をしても問題ない。

 口元を緩ませながらギーナはそっとラルクの首に抱きついた。


「ちょっとくらい寝坊してもいいですよね」


 陽だまりのような温かさを感じながら、ギーナは二度寝を決行する。

 腕の中の大切な人とずっと一緒にいられるように願いながら。


「お慕いしてますよ。ラルクさま」








最後までお付き合いいただきありがとうございました。

余談ですがブラッドレイ公爵家の庭はちょっとした魔物動物園になっており、たまに魔王様と魔物達が相撲をとって奥様がそれを見て笑ったりしてます。

子供が生まれたら魔物総出でお世話係なんかするんだろうなぁ……。


誤字脱字報告をいつでもお待ちしてます。すぐに修正しますので。

そして下の方から感想を送ったり・評価をつけたりできます。

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それから他作品ではありますが、以前書いた短編小説の【婚約破棄された悪役令嬢はヤケ酒に逃げる。】がコミカライズ化しました。


悪役令嬢にハッピーエンドの祝福を!アンソロジーコミック③に収録されて発売中です。


詳しくは活動報告や作者Twitter(X)でお知らせしています。

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― 新着の感想 ―
[一言] 成り上がり貴族(それも公爵)が魔王で勇者。暗殺者が聖女。しかも二人とも元は貧しい農村の子っていう設定も面白かったし、読みやすくて本当に面白かったです。 一か所だけ、ヒロインの名前がギーナじ…
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