秘密
「眼鏡くん。あなた、私に何か隠し事してるでしょう?」
リルム王女の一言に、居合わせたバルシアもジルギスも鼻白んだ。特にカイトは、思い当たる最悪の秘密、自分が賢者ジダールの孫であることを悟られたかと慌てふためいた。
「え、え? 何を……」
「この秘密特訓よ。眼鏡くん、あなた人と一緒に転移出来ないって本当? オリディアさんから聞いたわ」
――そっち!?
カイトは最悪の秘密がバレたわけではないと知り、内心安堵した。
――オリディアか!
連日の特訓だし、いずれ誰かに見つかるとは思っていたが……。ジルギスは副長の指揮系統を無視した密告に鼻を鳴らした。小さな造反行為ではあるが、良くない傾向だ。もっとも。本人は悪気なく、女性同士の気易いお喋り程度に考えていた可能性はある。あまり荒立てずに釘を刺すか。
「す、すみません! 頑張って克服します! 姫殿下を絶対に守ります!」
「あ、バカ!」
口外無用と言ったばかりなのに。バルシアは小さく舌打ちする。
――これだから、子どもは面倒くさいんだ。
「え? え、えぇ……。ありがとう」
幸いリルム王女は、カイトが隣国との密約に触れての発言とは思わなかったようだ。バルシアはほうっと静かに息を吐いた。
「でも、心配ないわ! 人を連れて転移するって思うから駄目なんでしょう? 小さな宇宙部屋、ううん宇宙船と言っても良いわ。それごと転移してしまえば良いのよ」
リルム王女は、膝に抱えた翼狼のプルルをなでながらニコリと微笑んだ。
「ねぇ、それならプルルも行けるもんねぇ」
リルム王女のアイデアは、荒唐無稽のようでいて、理にかなったものだった。
――さて。姫殿下にどうやって諦めて貰うか。また難題が増えたな。
ジルギスは腕組みしたまま、一人満月を見上げた。
☆
カイトの跳躍能力では月まで少なくとも片道四百回かかってしまう。
この問題を解決するために、ジルギスは魔法の効果を繰り返し発動させる魔道具の研究に取り組んでいた。この魔道具を身につけた魔術師が魔法を発動すると、効果が二倍(正確には二回発動する)になる。それをもう一度繰り返せば、その効果は四倍に。さらに繰り返せば理論上では八倍に。
ただ難点があった。使う魔力量に応じて、必要な魔石のサイズも四倍、八倍と大きくなるのだ。
効果を八倍に出来るようなサイズの魔石は、現在、世界中のどこにもない。唯一、賢者ジダールが持っていた杖にはそのサイズの魔石が使われていたが、ジダールと共に月の魔術門に吸い込まれて失われてしまった。
――八倍に出来たところで、片道五十回だがな。
実際のところ、効果を四倍にして、片道百回、往復二百回がこの魔道具で出来る限界だった。
五分に一回跳躍するとして。一時間で十二回。カイトの疲労を考えず八時間ぶっ続けで九十六回。
――まる二日。それ以上にかかるってことか。
ジルギスは人間一人がまる二日間で必要な酸素量を机上で計算してみた。
成人男性の場合になるが、一回の呼吸で吸い込む空気は約五百ミリリットル。一日に約二万回の呼吸をしている。
一日一万リットル。二日で二万リットル。
――これは酸素も問題だな……。
ジルギスは魔石を手の中で転がしながら、何度目かのため息をついた。
☆ ☆
「行くわよ。ゆっくり下ろして」
新たに掘削して作った特設プールの縁にステージと、それを吊り下げる滑車を使った昇降装置が組み上げられた。ステージ上には宇宙服を着込んだカイトが立っている。前回よりもさらに改良が施された生地は様々な材質で十層にも及ぶ。
リルム王女の合図でステージが徐々に水に沈み始める。それに連れて、カイトの足が水中に没していく。
「カイト、どうだ?」
魔石を利用した通信機でジルギスがカイトに聞く。カイトも宇宙服内に仕込まれたインカムで応える。
「問題ありません。続けてください」
カラカラカラと滑車が回り、水平を保ったままステージが沈んでいく。
ステージがカイトの肩に達したところで一度機械を停める。
「どう?」
リルム王女の問いかけに、水中へ目を凝らしていたオリディアが応える。
「継ぎ目や縫い目から細かな泡が出てて、よくわかりません」
「そう。じゃ、もう少しこのまま様子をみよっか」
しばらくして泡が落ち着き、漏水の懸念は無さそうだと見定めたところで、実験が再開された。
「水深0・3ミリューグ(※3)」
ジルギスが装置の目盛りを読んで言った。宇宙服のヘルメットの半分あたりまで水に浸かる。そして、頭頂部まですっぽり水に没したところで、再び装置が停められた。
「どうだカイト。呼吸は?」
「なんとなく息苦しい感じはありますが。問題ありません」
通信機からは、コー、ヒュー、コー、ヒューと酸素ボンベを使って呼吸するカイトの息遣いも聞こえてくる。
「なんだかこっちまで息苦しくなっちゃうね」
「まぁ……よし、このまま続けるぞ」
水深2ミリューグ。およそ1気圧に相当する水圧がかかる。浮力を相殺する重りを付けているので、擬似的に無重量の状態だ。
「どうだ? 無重量って感じはするか?」
「どうですかね、支柱に捕まってないと逆さまになっちゃいそうですが、重りの方が重いのかな。浮いてる感じはあまり……」
その時だった。滑車と鎖をロックしていた機構がバキッと大きな音を立てて壊れ、鎖が滑るように送り出された。カイトの乗ったステージが連られて沈みこんでいく。
あっという間にどんどんと繰り出される鎖を呆然と見ている間に、ステージは特設プールの最大水深、6・5ミリューグまで沈んだところで停まった。
「カイト! 大丈夫か!? 返事をしろ!」
ジルギスの呼びかけにすぐカイトの返事があった。
「びっくりしました。でも大丈夫です」
「怪我は? 怪我はしてない?」
ジルギスの通信機を腕ごと掴んで顔に引き寄せると、通信機に噛みつかんばかりの勢いでリルム王女が質問する。
「えっと。怪我はしてないです。が、背中の酸素ボンベをどこかにぶつけちゃったみたいで……」
「残量は?」
目の前のプールにおびただしい空気の泡が上がってくる。落下の際の衝撃と3気圧に相当する水圧で酸素ボンベが破損したのだ。
――姫殿下の良い匂いがする。この通信機って、音だけじゃなく、香りも届くのかなぁ?
そんなことを考えながら、カイトは胸元の酸素ボンベと宇宙服を繋ぐパイプに取り付けられた残量計を見る。
「二十分ってところですかね」
「わかった。カイトはそのまま待機。こちらで牽引フックの修理をするが、万一息苦しくなったら、転移で飛べ。ステージが壊れても構わん」
「了解しました」
そのやり取りでカイトが転移魔法の術者であることを思い出した一同は、最悪の事態は免れると安堵した。
☆ ☆ ☆
修理に手こずり、あっという間にリミットである二十分が経過した。もう、カイトの酸素ボンベの残量も尽きる頃だ。
「カイト、大丈夫か? 修理は間に合いそうにない。転移で上がってこい」
「あのぉ、それがですね。呼吸……問題ないみたいなんです」
「酸素ボンベは?」
「五分ほど前に空になりました……」
――どういうことだ?
ジルギスは通信機に目を落としながら、酸素ボンベの酸素残量が無くなって尚、呼吸が出来るという不思議な現象に戸惑っていた。
――――――――――――――――――――――――――――――
※3
0.3ミリューグ = 1.58m
2.0ミリューグ = 9.5m
6.5ミリューグ = 30.8m
次週より第十六回書き出し祭り開催期間中は休載予定です。




