第9話 坂の都…(3)
突き当りの扉を開くと、中からワッと人の声が押し寄せた。
賭博場は活気に溢れていた。
蓄光性のコケで飾られた壁はギラギラと眩しく、鳴り響く音楽が平衡感覚を狂わせる。露出の多いドリンクガールが酒を配り歩き、甘い果実のような香りが充満している。
娯楽の粋を詰め込んだような俗物的な空間の中、あちこちのテーブルで様々な種類の賭けが行われていた。
ポーカー、バックギャモン、ルーレット……。
腹の出た金持ちも、ボロボロの冒険者も、みな手にコインを握りしめて熱狂している。ここでは身分や肩書きに関係なく、誰しもが平等に賭け事を楽しめるのだ。
もちろん、有り金が無くなれば店を叩き出されるのだが。
「楽しそうだのぉ……」
仲間のドワーフとよく賭け事をして遊んでいたラランジュは、目の前の華やかな魅惑につい本音を零した。
実際、四年前にここで遊んだ時もクロードとラランジュがはしゃぎすぎ、報酬のほとんどをスッてしまったのだった。
「だめだよ、ラランジュ。カードゲーム下手なんだから」
「ぬぅ……」
「ってことで代わりにあたしが」
「む!ズルいぞカメリア」
「おい、2人ともやめとけ。どうせ鳥に鳴かれて終わりだ」
賭博場にある各テーブルには一つずつ鳥籠が置かれ、中には黄色い小鳥が入っている。正式にはマジック・プリエ・カナリアという鳥だが、ここでは通称『イカサマ鳥』と呼ばれている。
この鳥は魔力を感じ取るとけたたましく鳴く習性があり、賭博中に少しでも魔法が行使されるとすぐに分かるようになっている。つまり、魔法によるイカサマ防止装置だ。
例えばカメリアの第一魔法である盗賊など、使えばいくらでもカードをすり替えることが可能だ。他にも透視・予知・幻術など、魔法にはいくらでも賭場を左右させる能力が存在する。故に、この世界の賭博場ではどこも魔法が禁止されているのだ。
だからこそ、様々な職業の者が一堂に会して同じテーブルを囲むことが出来ているとも言える。
残念そうなラランジュの、その大きな体の後ろにユキはそそくさと身を隠した。それからフードを被り、背を縮めて気配を消す。ここを"出禁"になっている以上、昔からいる従業員に顔を見られたら店を追い出されてしまう。
「じゃあ、あたし飲み物もらってくる。みんなのも持ってきてあげるから、ありがたく飲め」
「何様だ」
かなり儲かっているのか、ここではファーストドリンクは無料という嬉しいサービスがある。ペガサスで空を飛び続け、カンサスに着いてからも坂道を登り続けてきた一行は喉がカラカラに干からびていた。
「わし、ビール……」
「だめ」
カンサスの貿易では酒も盛んに取引されており、とくに闇市では美味い違法酒が大量に出回っている。そのため、ここでは少し金を払えばビールの飲み放題が利用できる。ざっと見回しても客のほとんどはビールを飲んでおり、店内に立ち込める甘い香りの元も麦の香りだ。
いつもなら旅の途中の飲酒は大歓迎なのだが、いまは酔っ払っている場合ではない。各々希望するソフトドリンクを告げると、カメリアはバーカウンターへと向かった。
その間、ユキはラランジュの影に隠れながら店内を観察した。
大勝ちしている客、酔い潰れている客、金持ちにすり寄っている女、冒険者からコインをむしり取るディーラー……。光と音楽、熱狂と雄叫びの渦巻く中を、鋭い瞳で射抜くように見回した。
「で、行けそうなテーブルはあるのか」
アスールの問いにユキが頷く。
「あそこのテーブル、ディーラーと一番奥の客がグルだね。」
指さしたテーブルではルーレットが行われており、みな思い思いの数字にコインを賭けている。
「ディーラーが右頬をかいたら赤、左頬をかいたら黒。それからコールの間までにする瞬きの回数が数字」
「他は?」
「あっちのポーカーは真ん中の客と、テーブルの周りをうろうろしてるドリンクガールが組んでる。お酒配ってるフリして他の客の手札を見てるね。髪を耳にかけたら下りる合図で、髪をかきあげたらレイズしても大丈夫。お揃いのピアスしてるから恋人同士なのかな」
「はー。相変わらずよく見てんなぁ」
ユキが"出禁"になった理由はこれだった。
四年前、クロードとラランジュの負けを取り返すべく、ユキはテーブルについた。その飛び抜けた観察眼を発揮して、賭博場のありとあらゆる「魔法を使わないイカサマ」を見抜き、それに乗っかって荒稼ぎしたのだ。
あまりに稼ぐものだから賭博の管理者に怪しまれ、隅々まで調べられたが何も出なかった。それもそうだ。ユキ自身がイカサマをしているわけではなく、周囲のイカサマを便乗しているだけなのだからタネも仕掛けも持ち合わせていなかった。便乗された方も、まさか自分のイカサマを横取りされましたとは言い出せない。
結局、ユキがイカサマをしてる証拠は見つからなかったが、その日の賭博売上をマイナスにした犯人なのは明白だった。そのため「魔法も使わず、仕込みもなく、得体の知れない方法で店に損害を出した」として"出禁"を喰らってしまったのだった。
「あと、二階でネズミのレースやってるかも」
「ネズミ……?」
「さっきボーイがワイン持って上がって行くの見えたから」
「ワイン?ビールじゃなくて?」
先の通り、店の客はほとんどビールを飲んでいる。飲み放題があるのだから当然だ。わざわざ別料金を払ってワインを頼む客は珍しい。
「ワインのつまみといえば?」
「わしなら干し肉かチーズじゃな」
「そ、チーズ。たぶんチーズ目掛けて走るネズミを見てたら、ワインでも飲みたくなったんじゃないかな」
「はっ、そりゃたいそうな趣味だな……」
他にもいくつか気付いた点を話していると、両手にグラスを抱えたカメリアが戻ってきた。
「はい、ユキとラランジュは菊茶。アスールは炭酸水。あたしは……」
「カメリア、そのクランベリージュース飲まない方がいいよ」
「え?」
「バーテンがアルコール入りのにすり替えてたから」
ユキの忠告にカメリアは「げっ!」と顔をしかめた。賭博場ではソフトドリンクを頼む客に、わざとアルコール入りの飲み物を渡すことは往々にしてある。酔って思考力を低下させ、金を巻き上げようという魂胆だ。
「ほんっと、よく見てるよね」
「まぁ、おかげで出禁だけど……」
苦笑いするユキは、自分の分の菊茶をカメリアに渡してやった。
そして、3人にこれから荒稼ぎするための指示を伝える。
「アスはルーレットの席について。ディーラー見てたら答え全部わかるから。あ、でも……」
「わーってるよ。ほどほどに勝ってほどほどに負ける。お前みたいに全勝ちしたらバレるからな」
「あはは……お願いします……。で、カメリアはダイスの席について。一番左の客に合わせて賭けてたらいいから」
「オッケー」
「ラランジュは二階でネズミレースやってくれるかな。勝ち負けはネズミの顔見れば分かるでしょ」
「うむ、頑張ろう」
ラランジュは酪農をしていることもあり、動物の生態に詳しい。どの個体が足の早い体格なのか、体調はいいか、病気をしていないか、他の客よりネズミ自体から得られるヒントは多い。変にイカサマをしなくても勝率は十分にあった。
「あ、でもチーズにも気を付けた方がいいかも」
「チーズ?」
「どうせチーズも闇市から仕入れたものだろうし、不味いやつだとネズミもやる気出ないかもね。イカサマするならネズミよりチーズの方がバレにくいから、美味しそうなチーズ置いてるとこが早くて」
「不味そうなところが遅いと?」
「可能性はあるかなって」
「しかし、チーズの味なんかどうやって見分けるんじゃ」
「あはは、分かんない」
分かんないのかよ、と全員にツッコまれながらユキはフードを深く被り直した。
「じゃ、あとはよろしく」
言うやいなや、ユキは素早く賭博場をあとにした。長くいればいるほど顔が割れるリスクも高くなるため、早く出ていくに超したことはない。
「さて、やりますか!」
「とっとと稼いで、とっとと出て行くぞ」
「わし、チーズの味わかるかのぉ…」
一同はなけなしの資金を三等分し、それぞれの懐に入れた。これをスれば正真正銘の一文無しという背水の陣を構え、各々が賭けるテーブルについたのだった。