(5)プレスクールの思い出
ブクマありがとうございます。
私の通う王立学園は、入学する上で最も重要視されるのは身分でも学力でもない。
それは国を将来を支える人材となる為に必要な最低限のマナーと、学ぶ姿勢と能力である。
特にここ200年近くは平民からも強い魔力や素晴らしい発想を持った優秀な人材が出てきているらしく、平民にも特待生枠を多くすることで広く門戸を開けているらしい。
そうは言っても、幼い頃から家庭教師などがいる高位貴族や王族と、その他の者たちとではそもそものベースが違う。
マナー然り、知識然り。
それを補う為にこの学園では平民や他国からの留学生、下位貴族のうち学園に入学する予定で、これまであまり家庭で教育を受けることができなかった者を対象として、学園に入る前に一年間のプレスクールが無償で開かれている。
つまり学園の入学試験は入学する1年前に行われる。
我が家は伯爵家といっても高位貴族ではない為、私も入学前の一年間は自ら希望してこのプレスクールに通っていた。
伯爵家令嬢としてのマナーはもちろん出来ていたが、王族や高位貴族の方たちと一緒に学ぶには多少知識が不足していると感じていたからだった。
エリーはもちろんプレスクールに通う必要はなかったようで、私がエリーと出会ったのは学園本校に入学した日のことだ。
そんなプレスクールでは、まず学園で問題を起こさず過ごせる程度の最低限のマナーや知識を身につけることになる。
ちなみに、一年で身につけられなかった者はその年の学園への入学が認められず、翌年に持ち越しとなるが、プレスクールを受けられるのは3年までだ。
それでもマナーを身につけられなかった者は、学園で学ぶだけの能力と学ぶ気持ちがないと判断され、たとえ学力や魔力が入学基準を満たしていても入学資格を取り消されることになってる。
プレスクール時代、私にやたらと絡んでくる嫌な男がいた。
かなり裕福な商家の孫息子だとかいうそのマルク・クットは、初日の開講前から私を見て眉を顰めると吐き捨てるように言った。
「あ?なんでここに子供がいるんだ?俺は子供と同じレベルの勉強なんてするつもりはないぞ?」
少しくすんだ金髪に緑の瞳のそいつは、同じ教室の中ではそこそこ目立った容姿をしていた。
王族に近い色合いと少しばかり整った顔立ちのマルクは、おそらく平民の中ではそれなりに優秀でモテる存在だったのだろう。
その顔には自信と私に対する蔑みがしっかり浮かんでいた。
「えー?うっわ、マジでチビッコいるじゃん!でも可愛くね?」
「おいおい、お前ロリコンかよ!」
「いや、ちげーし!可愛いっつってもガキにしてはって意味ですぅ」
「あ?そういう意味では論外だろ?俺らが子供相手に勃つかよ」
「ぎゃははは!!マルクきっつー!チビッコちゃん泣いちゃうんじゃね?」
「泣いたら俺が慰めてやってもいいぜ?」
「うっは!やっぱお前ロリコンじゃん」
「ええ?だってそこそこ可愛いならそのうち育つかもしんないじゃん?」
「キープかよ!ぎゃははは!」
彼の友人らしい周囲の少年たちも一緒になって、私の方をニヤニヤ見ながら聞くに堪えない下品なことを言い続けた。
そりゃ初めて会えば子供と思われることには慣れてはいたけれど、それまで周囲に恵まれていた私は幸か不幸か、ここまであからさまな侮蔑や下品な言葉をかけられたことはなかった。
彼らが同じクラスで学ぶというのは、私にとってなかなか厳しいスタートだった。
それからも、私も含めたそれほど裕福ではない貴族や平民たちを、マルクとその友人たちは良く軽く冗談めかして馬鹿にした。
確かにマルクの着ている服は、とても平民とは思えないような質の良いものであったが、彼の態度はとても質が良いと思える代物ではなかった。
当然のように、彼らはなかなか課題であるマナーを身につけることに苦労しているようだった。
いや今になっては、彼らが本当にマナーを身につける気があったのかどうか私には分からないけれど。
一方で私は元々基本は家で学んでいたこともあって、プレスクールの中では優秀だと先生方からもお墨付きを頂いていた。
それがますますマルクたちを苛立たせていたのは感じていたが、どうせ彼らがここを卒業できなければ同じ学校に通うこともないだろうから、一年の辛抱だと思っていた。
それが甘かったと思い知ったのは、最後のテストも終わったプレスクール終了間際のこと。
放課後図書室の本棚の前に屈み込んで最後に提出するレポート用の資料を探していた私は、不意に影で暗くなったことに驚いて屈んだまま顔をあげた。
そこには、ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべたマルクが私を見下ろすように立っていた。
嫌な予感がした私は一歩後ずさりながら立ち上がったが、やはり簡単に逃げ出すことは出来ず本棚とマルクの間に閉じ込められてしまった。
「相変わらずちっせー!なあ、エタ。お前ホントに14なわけ?嘘ついてるんじゃねーの?」
「本当に14歳ですわ!クット様、いつも申し上げておりますが、勝手に私の名前を呼ばないでください。名前を呼ぶ許可をした覚えはございませんわ」
「……本当に生意気なガキだな!」
苛立ったように本棚をドンと右拳で叩かれ、私はビクリと身体を震わせた。
誰かに助けを求めようと目線だけ泳がせたものの、いつの間にか図書室には他に人の気配が感じられなくなっていた。
まさか、学園に入学しようと思う者がここまで直接的な嫌がらせをしてくるなど、その時の私は想像もしていなかった。
記憶を取り戻した今となっては、油断しすぎだと当時の自分を怒鳴りつけてやりたくなる。
「……そこを、どいてください」
「お前が卒業できて、俺らが卒業できないとかおかしいだろ!」
「当然でしょう?クット様は一般的な学問や魔力量は優秀でも明らかにマナーが身についていませんもの」
煽るのは得策ではないと分かっていたが、理不尽なクレームに思わず反論してしまった。
彼らは一年間のプレスクールでその態度を変えようとしなかった。
マナーや理想的な態度を知識としては学んでも、それを己が実践することができない。
おそらくは彼らの元々の気質であったのだろう。
プレスクールの先生方も何度も彼らに注意はしたものの、陰にかくれてしまうだけで改善の気配が見られなかったからこそ、彼らは留年となったのだ。
彼らがこのまま改善する気配がなければ、きっと3年後には魔力制限紋を刻まれるだろう。
「マナー?それなりの相手にはそれなりの態度でいいんだよ!」
「……それなりの相手ってどういう意味ですか」
我が家を貧乏伯爵家だと馬鹿にしているのか。
それとも私自身を所詮子供だと侮っているのか。
悔しくて見上げるように睨みつけたが、マルクはそんな私を鼻で笑った。
「はっ!ガキに睨まれても怖くもなんともねーよ!それなりの相手になりたけりゃ、せめてここをもう少し育ててからにしたらどうだ?」
歪んだ笑みを浮かべながら、マルクの左手が私の胸をギュッと掴んだ。
ふくらみの殆どない胸を強く掴まれて、痛みと羞恥と、何より強い怒りで私は頭が真っ白になってしまった。
幼く見えるからって、淑女の胸を無断で触るなんて許せない!!
……気付いたらマルクはどこからか生えてきた大量のツタでグルグル巻きにされていた。
魔法を使ったつもりはなかったけど、私の植物魔法が暴走したらしい。
ツタの中でなにやらモゴモゴ言っていたようだけど、私は一刻も早く帰宅して馬鹿男に触られた所を洗いたかったし、この男の傍から少しでも離れてしまいたかった。
グルグル巻きのマルクをそのままにして図書室を出ると、案の定マルクの取り巻き達が扉の外にいた。
私だけが出てきたことに驚いたようだったが、図書室の中を覗いて異変に気付いたのか彼らは私を睨みつけるとドヤドヤと中へ入っていった。
今思えば、あの時私が先生に起こった出来事を報告しておけば……。
少なくとも、今日の私がこれほど嫌な気持ちになることもなかったに違いない。
本当に後悔先に立たずとは良く言ったものだと思う。
ようやく出てきた男性が下種男ですみません。