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「ここに母印もお願い致しますわ」
「やけに準備がよくないか?」
「‥‥備えあれば憂いなしと言いますから」
「お前はいつも意味が分からない事を‥」
「異国のことわざですわ」
ソフィーアは笑みを浮かべないように必死に抑えていた。
「ではミケーレ様、さようなら」
「‥‥」
「ランドリゲス公爵様とソリッドお兄様によろしくお伝え下さいませ」
しかしミケーレは焦ったようにソフィーアを見つめている。
そんな視線を振り払い、本と曲がった眼鏡を持ったソフィーアがミケーレに一礼して背を向けた時だった。
「‥‥待て、ソフィーア」
「まだ何か?」
「い、今ならば婚約者に戻ってやらなくもないが‥」
「はい?」
「お前に最後のチャンスをやると言っているんだ!」
「結構です。お気遣いありがとうございます」
そう言って立ち去ろうとするソフィーアの行く手を、体全体を使って塞ぐミケーレ。
ランドリゲス公爵がミケーレにきつく言っている事は唯1つだけ。
"ソフィーアとの関係を良好に保て"
それだけだった。
それすらも破ってしまったミケーレは、冷静になったのかソフィーアを引き止めようとしている。
やはりランドリゲス公爵や兄達にこれ以上怒られるのは避けたいのだろう。
しかし自分から婚約破棄を宣言した為に、引くに引けなくなってしまったようだ。
恐らくプライドが邪魔しているのだろう。
「っ、後悔する事になるぞ!?」
間違いなく後悔するのはミケーレの方だろう。
だが、ミケーレがどうなろうとソフィーアの知ったことではない。
「本当にいいのか!?」
「えぇ」
「~っ!!」
今までの態度を見て、ソフィーアがミケーレに縋るとでも思っているのだろうか。
そう思っているのなら、おめでたい限りである。
そしてソフィーアを引き止められないとやっと分かったのか、ミケーレはソフィーアに信じられないような言葉を投げかける。
「お前も隠れて男の1人や2人手玉にとってみたらどうだ?」
「は‥?」
「他の男を知らないから、俺のありがたみが分からないんだ」
フンッと得意げに鼻息を吐き出すミケーレに、ソフィーアは目を丸くしてカクンと首を傾げた。
「ありがたみ‥とは?」
「誇り高いランドリゲス公爵家の息子の婚約者だという名誉だッ」
「‥‥」
確かにソリッドや次男であるマルフォならば、そう思えるのだがミケーレは‥。
少し考えれば分かる事だが自分の事だと視野が狭くなってしまうのだろう。
「それに俺はお前と違ってモテるからな!」
ミケーレに群がるのはランドリゲス公爵家の名の恩恵にあずかりたい令嬢ばかりだ。
それに頭のいい令嬢達は皆、分かっている。
ミケーレに媚を売っても何も得られない事を。
(どうして気付かないのかしら‥)
仁王立ちで堂々と言ってのけるミケーレの愚かさが浮き彫りになっていく。
きっと次の相手も、この男の虚栄に苦しめられることだろう。
(まぁ、次があればいいけど)
「ミケーレ様が婚約者であるありがたみですか‥‥今、御自分が言った言葉を、次にわたくしに会う時まで忘れないで下さいませ」
「‥なっ、待て!ソフィーア」
「では、ご機嫌よう」
これ以上この男といたところで、不快感は増すばかりだ。
ソフィーアはミケーレの横をすり抜けて、早々にその場を立ち去った。
馬車に乗り込んだソフィーアは先程の映像を確認する。
そしてミケーレのサインを見て笑みをこぼした。
「ふふっ!」
ご機嫌で家に帰ったソフィーアをレンドルター伯爵と夫人は心配そうに迎え入れた。
「お父様、お母様、只今戻りました」
「ソフィーア‥大丈夫だったか?」
「今日は機嫌が良さそうだけど、何かいい事があったの?」
「えぇ、とっても」