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「今はソリッド兄様の事は関係ないだろう!?」
「もしミケーレ様の意思で婚約を解消するならば、ソリッド様とランドリゲス公爵に相談した方が良いと思いますわ」
「‥‥っ、俺だってランドリゲス公爵家の人間だ!」
「あまり役には立っていないようですけど‥」
「――!!」
「あらまぁ‥わたくしったら思っていたことが口から出てしまいましたわ」
「‥っ」
「申し訳ございません、ミケーレ様」
ついつい本音が出てしまったと、ソフィーアはわざと口元を押さえた。
それだけでミケーレは顔を真っ赤にして震えている。
どうやら反論の言葉すら出てこないのだろう。
口をパクパクさせている。
ソフィーアは万が一の為にパチンと小さく指を鳴らして準備をする。
ミケーレの怒りが爆発するのも時間の問題だろうと思いつつも、ソフィーアはミケーレをどんどんと追い立てていく。
「どういたしますか?ランドリゲス公爵家のミケーレ様が御自分で決めてくださいませ」
「‥‥」
「ああ、やはりミケーレ様には‥」
ぐっとミケーレが拳を握りしめる。
ソフィーアが目を細めてミケーレの動向を追っていた時だった。
―――パンッ
乾いた音が響く。
ミケーレの容赦のない手のひらがソフィーアの頬を叩いたのだ。
カラカラとテーブルの上に曲がった眼鏡が転がった。
(あーあ、ついにやりやがったわ。この馬鹿が)
いくら苛立って言葉が出ないからといって、手を上げるとは流石に思っていなかったソフィーアはギロリとミケーレを睨みつける。
手が痺れて痛いのか、泣きそうになりながらソフィーアを見ているミケーレ。
一応はいけないと思っているようだ。
ミケーレに叩かれたと、腫れた頬をランドリゲス公爵に見せたところで、またいつものように貢物と権力、そして「ミケーレにはよく言って聞かせるから」と言われるだけで何も意味はない。
ランドリゲス公爵夫人に毎度毎度、家に来られて「本当はとても良い子なんです」と泣かれるのも勘弁して欲しいものである。
それでは毎回、同じことの繰り返しで埒があかない。
だからこそソフィーアは"確実"が欲しかった。
勿論、この時の映像も後々大切に使わせてもらおう。
「俺だって、そのくらい自分で決められるッ!」
「‥どうでしょう」
「お前がっ、お前がそこまで言うのなら婚約破棄してやる!!」
「そうですか」
「――俺がお前を振ったんだっ!間違えるなよ!!」
ソフィーアは腫れた頬を押さえながら、1枚の紙を差し出す。
それにミケーレから婚約破棄してくれるのなら、これ以上有難い事はないとソフィーアは思っていた。
むしろ思惑通りに動いてくれるミケーレを見ていると気持ちいいくらいだ。
頬の痛みなど忘れてしまうくらいに。
「これはわたくしとの婚約を"ミケーレ様の意思で破棄する"と証明する書類です。此処にサインして下さいませ」
「っ、そんなものなくたって父上に言えばいいだろ!?」
「わたくしの両親を納得させる為だと思って‥お願い致します」
ミケーレはレンドルター伯爵家に嫌われているとは微塵も思っていない。
むしろ自分が婚約者で良かったな、的な態度である。
それにミケーレにランドリゲス公爵に報告しに行かれる事、それだけは避けたかった。
ソフィーアが静かに頭を下げる。
目的の為ならば、どんな事でも耐えてみせよう。
「ミケーレ様に、わたくしからの最後のお願いです」
「ふ、ふん‥そこまで言うのならサインしてやろう」
ミケーレはソフィーアの態度に気を良くしたのかソフィーアの提示した紙にサインする。
どうやら「お願い」という言葉が効いたようだ。
それにしても、書類をよく読みもしないでサインをしてしまうミケーレには尊敬してしまう。