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迷宮高校の陰キャクラン  作者: 多真樹
第1章 陰キャなるもの
5/25

エスケープハウス・筱原

 僕のジョブは、メインが《一角馬(ユニコーン)》で、サブジョブが《神速業師(スピードスター)》だった。

 どちらもユニークジョブという希少なジョブで、誰にでもなれるわけではない僕にだけ与えられた特別な力だった。メインジョブの方は双子の妹も持ってるけども。

 《一角馬》とあるが、幻想の生物のユニコーンと同義で、伝承通り処女が好きとか、生涯童貞で居続けなければいけない……というわけではない。

 これはいわゆる種族ジョブで、生まれによって持っている血統というやつだ。

 付き合う女性は処女じゃなきゃ許さないとか、後方腕組み彼氏面をしそうな自覚はあるが、それはまあこの際どうでもいい。


 エルフが魔力素養に優れていたり、獣人がスタミナお化けだったりするのと一緒で、ジョブとして顕在化している。

 ただ特殊性が高いという一点において、《一角馬》はジョブ界のSSRに位置づけても過言ではないだろう。

 毒と名の付くステータス異常をすべて無効化してしまう、『状態異常を専門とする魔術師(デバッファー)』泣かせの特殊能力がある。

 触れただけで毒水を浄化し飲み水に変える力もあり、ヘドロ沼の水を啜ってもお腹を壊さない。いや、微生物は浄化対象にならないので、普通に腹を下すかもしれない。

 体内にポイズンデビルの悪魔を飼う毒人間や、ドクドクの実の能力者である監獄署長相手なら絶大な相性の良さを誇るだろうが、そもそも毒特化の環境・敵に遭遇したことがないのでイマイチ有効性をわかっていなかった。


 そしてもうひとつ、一角の名の通り、突進攻撃に大幅なダメージ補正があるので、こちらの方がアタッカーのスタイルに合っていた。

 問題は《神速業師(スピードスター)》の方。こちらは敏捷力お化けに加え、不器用とノーコンを極めた彼に持たせてはならなかった諸刃の剣である。


 目にも留まらない速さで移動できるくせに、肝心の自分が俊足に追いついておらず、うまく止まれないし激突は多いという不良品である。

 全力を出せないために普段使いがちょっとスピードが出る程度に収まってしまうのがもったいない。しかし全力を出せば、あっさりと肉体の耐久値を超えた破壊力が襲い来るので、両足がズタボロになった上に岩に激突すれば簡単に自殺できてしまう。

 パーティを組んでからというもの、何度も威力を誤ってモンスターに突っ込み、即席自殺を行っている。おかげで彼だけパーティ内でも一段レベルが低いという始末である。


「不良品とはいっても、何事も使い方次第って言うね」

「暴発する鉄砲を好んで持つひとなんていないでしょ」


 田児の図星を突くようなコメントに胸が痛い。

 それでもユニークジョブとは長い付き合いだ。試行錯誤の上に、全力を出さない使い方で馴染ませることはやってきた。あるいは狙いさえ誤らなければ、たとえ止まれなくても使い方はあるのだ。

 たとえばナタを水平に構え、正面の相手とすれ違うように<瞬身>発動。一瞬にして十メートル以上移動しつつ、ナタにはしっかりと手応えがあって、後ろを振り返れば正面で立っていた両手剣のアタッカーの片腕を斬り飛ばすくらいには練習したのだ。


「いま何をした!」

「はっはっは、見えないのならおまえはそのレベルだということよ。井の中の蛙であった己を恥じるがいい!」

「なんか調子に乗ってるよ、あの人」

「『白蠍』辞めるときの嫌がらせをここで倍返ししようとか考えてるんじゃない?」


 田児と筱原がこそこそと話している。彼らふたりは戦闘でも支援系なので、後ろで様子見である。


「フハハ、敵は叩き潰せるときに叩いて二度と刃向かえないように調教してやるのが重要なのだよ、愚民ども!」

「こっちも盛り上がってるよね」

「ハムさんは異世界転生系で不条理に貶められて復讐するダークヒーロー系が好きだから」

「早河くんの場合、最初から不条理に貶められてくれなさそう」


 《水幻術士(アクア・コンジュラー)》の早河が〈水幻術〉で樽のような見た目の己の分身をいくつも生み出し、四方からプレッシャーを与えている。

 そこに僕が捨て身で突進。

 正面からぶつかられた魔導士っぽい男は、壁に激突してガラガラと土壁を破り、その向こうへ突き抜けた。


「――え? へ?」


 不運にも穴だらけの崖から外に放り出され、底の見えない渓谷へ真っ逆さまに落ちていった。

 仲間が一瞬でやられて、斑尾たちにも火が付いた。ニヤニヤして余裕だった顔は、凶悪に歪められている。

 僕が先陣切って後衛の魔術師に仕掛けた効果は大きい。相手がどこにいても油断ならないことを印象付けたからだ。

 侮っていた斑尾も《重装騎士(ヘビーナイト)》としてどっかり防御の体勢に入り、最初ほどの威勢はどこかへいってしまっていた。


「バカにしたこと、覚悟しろよ。どっちが奴隷堕ちするのか、身をもって知れ」

「おまえらは教室の隅っこでこそこそ生きていればいいんだよ!」

「言ったな……伊東さん、お願いします」


 ステップを踏みながら文字通り躍り出るのは、《舞踏士(ダンサー)》の伊東。ダンスバトルさながら、センターへ出てきて挑発的に踊る。

 斑尾たちは状況についていけず、さりとてダンスバトルに対応できるほどのダンス力もなく、社畜根性が染みついてしまって空気を読みすぎるほど読んでしまうゆえに、伊東に斬りかかるということもしない。

 何もかも中途半端なのだ。現実世界ならそれでもよかったかもしれない。だがここは、ダンジョンという無法地帯である。

 そこからは目を覆いたくなるほど一方的だった。


 寿々木が道中手に入れていた蟻のカードを<顕現(リアライズ)>して斑尾たちにけしかける。

 モンスターに注意を引き付けられた瞬間に、分身に紛れて早河がそっと近づき、耳元で「今どんな気持ちww」と煽るものだから、連携など取りようもなかった。

 地面すれすれに伏せた伊東が、カポエラキックで側頭部を刈りにくる。

 田児が取り出したるは自動小銃。

 二丁あり、それを筱原に手渡す。筱原はなぜかサングラスと葉巻のようなものを咥え、マフィアスタイルで自動小銃を腰だめに構えた。


「やっぱり持ってきて正解だったね」

「鍛冶ギルドの『神黒鉄(ガルバンバン)』さまにはいつもお世話になっております」


 二人が引き金を絞ると、本物と変わらない閃光が走る。反動で照準がブレながらも、斑尾側の前衛ふたりをハチの巣……とはいかず、装甲を凹ませる程度の威力で怯ませる。


「やっぱりステ補正で防御は抜けないなあ」

「撃ったとき気持ちいいから問題なし」


 後衛のふたりも足止めくらいできる。銃を乱射、という対人にもってこいの方法で。


「まだまだだね」


 そして注意散漫になったところに僕の突進である。鎧で固めた斑尾に突っ込むと腕がバキボキになりそうなので、比較的軽装なアタッカーやヒーラーに突撃、今宵の晩御飯。大きなしゃもじはないが、代わりに暇なときに遊ぶために持ってきたテニスラケットを振り抜いて、壁の向こうにフィフティーンラブ。次々に落としていく。


「結局マスクして戦わなくてよかったの?」

「あれはあんまり人に見せたくないんだよ。強いモンスターと戦うとき限定。対人戦でやると動画のこととかバレちゃうからね」

「あ、そっか」


 マスクを被る必要もないほど圧倒しているというのもある。

 寿々木が田児に諭したように、身バレの危険が常に伴うので、基本的にはボス系相手にマスクのバフ効果を温存している。


「なんなんだよ……こんなの戦いじゃねえよ」


 斑尾が背後の崖を確認しながら、じりじりと迫る僕に対して制止のつもりか片手をかざしている。というより、僕の背後の蟻の凶悪な顎に警戒している。

 斑尾のパーティは、彼を残して崖から落としたので全滅である。呆気ない勝利だった。ここが平原なら、田児の〈アイテムボックス〉から四輪駆動を取り出して世紀末スタイルで「汚物は消毒だ~!!」をやっていただろう。


「いつまでも自分の方が優れてるみたいな勘違いをしてるからこうなるんだ」

「いや、オレの方が強いだろ。それは変わらねえよ」

「じゃあ勝負をしようよ。僕は目をつむって突進する。君を巻き込んで一緒に崖から落ちるか、手前で急停止してどっちとも助かるか、君だけ突き飛ばして落とすか」

「そんなの三分の二でおまえの勝ちじゃねえか!」

「結果はそうかもしれないけど、僕は君だけ落とせなかったら、きっと敗北感を覚えると思う。未熟さは隠しようがないからね」

「きてみろよ、ぶった斬ってやる」

「それでもいいさ、できるなら」


 両者が構え、じりじりと見計らっている。

 観客側は『しゅき兄』の五人しかいない。


 伊東は戦闘から外れて、ロボットダンスを踊っていた。そういえばひとりも捕獲できずに突き落としてしまったと、寿々木は落ち込んでいる。ごめんて。

 他の三人はトレーディングカードの話で何やら盛り上がっていた。緊張感など当人たち以外にない。

 しかしこれは、僕にとって大いなる禊だった。

 いつまでも『白蠍』にビビって生きていくわけにはいかないから。

 頭ごなしに怒鳴られ、命令され、身体が強張ってしまうあの感覚から、脱却したい。


 そしてそれは一瞬で終わりを告げた。


「あ」


 と、間抜けな声がしたかと思ったら、瞬く間に僕と斑尾は、ひとかたまりになって崖に飛び出していた。

 チキンレースは完全に僕の負けであった。


「てめぇぇぇぇ! 何してくれてんだ死ねコラぁぁぁぁ”!」

「やっべ」


 とはいえ晴れやかな気分もある。

 やってやったぜという爽快感である。

 もはやもがいてもどうしようもなく死へと落ちていく。斑尾はただただ恐怖の渦中にあるようだ。

 抱き合わせで渓谷の深淵へ、深い深い闇の底へと落ちていくのに、僕は露ほどにも恐怖を感じていない。いや嘘。風が耳元で唸り、相当に怖い。けれども、斑尾のような絶望的な顔ではない。落ちるのは初めてじゃないし。


「じゃあね、兄弟。試合に勝って勝負に負けたことにしておこうじゃないか」

「させねえ! 思い通りにさせてたまるか! おまえだけ自由になんて、させねえ!」


 斑尾は首を絞めようとしてきた。

 落下中でも、その目は怒りに燃え上がっている。


「あ、それやめた方がいいと思う。お互いに」


 僕は足をぐっとくの字に曲げ、甲冑に足を添えた。

 瞬きの間に、斑尾の甲冑がべこりと凹んだ。


「ぎゃあぁぁぁぁぁ!」


 斑尾が尾を引く悲鳴を上げて、ひとり谷底へと落ちていく。

 一方、崖の壁際あたりでゴキャ、と嫌な音が聞こえていた。

 寿々木が谷底を覗き込んで見たのは、上半身が壁にめり込み、ぶらぶらと垂れ下がる僕の両足だった。


「なんだよグロ映像じゃん。これもまたよし」


 寿々木が喜んでいるが、それは仲間の足だろうに。







 伊東は踊りを止めて壁に突き刺さる僕を見ていた。

 試合に勝ったはずの名無もまた死に戻りする淡い光に包まれていたが、それよりも伊東の心を射止めたのは、空中戦での様子だ。


「空中を蹴る。移動範囲が広がる」


 それはまるで天啓のように、伊東の脳裏に閃いていた。いや、仲間の死はどうでもいいんかいと言われるかもしれない。何度も死に戻りしすぎて感覚が麻痺していたのだ。


 伊東はアゴの無精ヒゲをざらりと撫でる。

 舞踏は地に足をつけているものと思い込んでいた狭量な自分に喝を入れるため、伊東は顔に張り手をした。

 「え? なに?」と田児が困惑して、伊東からすっと離れた。


 冒険者とは元来自由な発想で新しいスキルを生み出してきた。

 想像し、創造できるのが自分たちの強みと言ってもいい。早河はダンスと幻術を掛け合わせて忍者の影分身のような効果を生み出し、魔物を幻惑したこともある。

 そういう視点を伊東は忘れていた。

 自分で完結しているつもりになっていたが、まだまだ足りないところや、成長できる余地は残っていたのだ。

 『どんなときもりすぺくとを忘れないことじゃのう』と、老婆の声がフラッシュバックする。

 そういうことかと思った。他人を見て、学べと。それが足りないのだと。

 身体が自然に踊り出していた。

 手首を回し、身体をひねり、足はステップを踏む。


「イトゥー氏がなんか激しいんですけど」

「あれはきっと仲間の弔いのダンスだろう。体中に穴が開いていたら、メロディを奏でていたに違いない件ww」


 一行は名無の戦線離脱のために、きりの良いところで引き返して二十一階層の転送陣で帰還。三十階層までの踏破を諦めたが、後悔はしていなかった。

 寿々木は己の魔札デッキが増えて、趣味が捗り終始ホクホク顔。他のメンツも踊りの練習や趣味のカードゲームやデッキ構築談議に花を咲かせ、特に焦った様子もない。

 伊東もまた、帰りの戦闘で成長の手応えを感じていた。

 何もない中空をステップするためのスキル開発に本腰を入れるのだ。


「まさか死ぬとは思わなかったぁ~。あ~、時間もったいない」

「南無三」

「南無三」

「それやめろし」


 迷宮の入り口があるホール横に併設された治療院で、名無が気の抜けた笑みを浮かべて仲間たちを出迎えた。

 目を剥いて探し回っていた黒豹耳の斑尾一行に見つからないように、トイレに隠れてやり過ごしたという。







 斑尾大雅は死に戻りして起き上がると、救護室に寝かされていることに気づいた。

 迷宮探索の格好のまま白い部屋で寝かされているのは毎度違和感が拭えない。

 六つ並んだ白い簡素なベッドに、同じように起き上がって頭を押さえるパーティメンバー。

 全員もちろん、クラン『白蠍』所属である。


「名無も一緒に死んだはずだ。あいつを捕まえろ!」


 号令一下、最初に動いたのはスカウトだった。素早く部屋を出ていった。

 その後に軽装のアタッカー、魔術師が続く。


「ふたりは出口を固めろ」


 重装のタンクとヒーラーが部屋を出る。

 ひとり残された斑尾は額を押さえた。


「クソッ!」


 格下だと思っていた連中に全滅させられて頭に来ている。

 しかしそれ以上に、このことを『白蠍』の先輩に伝えることの方が恐ろしい。

 このことは自分の手で何とか出来るうちに収拾しなければ、三年が出てくる。

 「それはダメだ、絶対にダメだ」とうわ言のように呟く。

 大柄な体躯なのに、身体を丸めて小さく震えていた。

 黒い毛並みの良い尻尾が、尻の下で丸まっていた。

 だがしかし、二十以上ある救護室を隅々まで調べたのに、名無はどこにもいなかった。

 どうやらタッチの差で逃げ果せたらしい。


「絶対、奴隷に落としてやる。三年の耳に入る前に、必ず落とし前つけさせるからな」


 名無はクラン『白蠍』に目を付けられた!








 もうひとり、ダンジョンホールの脇で待ちぼうけを食う少女がいた。


「遅い……遅いぞ」


 風紀委員長の腕章を付けた凛々しい制服姿の嵯峨崎純恋だ。

 通り過ぎるパーティが彼女に気づいて顔を強張らせるほどに、いまの純恋は苛立ちを隠せないでいた。

 それというのも、昼休みここで待つと声を掛けた名無に、約束をすっぽかされているからだ。穏やかではない彼女のこめかみには、ぴくぴくと青筋が立っている。

 時間はすでに十七時半を回っていた。込み合う時間は過ぎて、いくつかのパーティが出入りするだけだ。


「時間を守らないとはいい度胸だ。説教だな」


 名無に大切な話があったが、ただいまの時刻をもって、社会精神を叩き込むための指導へシフトした。異論は認めない。

 嵯峨崎純恋は生真面目で面倒見がいい。

 だからこそ約束をあっさりと反故にする輩が許せない。

 普通なら失望してはい、終了。以後、関わりにならぬよう距離を置くところだが、名無に対してはひと味違った。


「これから長い付き合いになるんだ、最初は優しくしようと思っていたが、どうやら考えが甘かったみたいだな」


 ギラッと音のしそうな凶暴な目つきに、すれ違ったヒーラーの少女が「ひっ!」と小さく悲鳴を漏らした。


 名無は風紀委員長にも目を付けられた!





○○○○○●






 クランはふたりから申請を出せるが、普通はしない。クランを維持していくのが難しいからだ。

 クラン長会議というものから、学校側への申請者代表、各種手続きが山ほどある。

 普通はある程度所属部員数を揃え、会計や(クラン)長、副長などの役職を分担して行う。

 それでも発足後に、発足時のメンバーでは足りないことを痛感するのだ。

 学生だというのに、小さな会社を経営するような、煩雑な手続きが付き纏う。


 いままではパーティで申請して迷宮に突入、帰ってきたら鹵獲品を売って自分たちなりの分配でよかった。

 冒険者とはこういうものだよ、というその日暮らし的な最小単位がパーティである。

 クラン所属の場合、クラン名で活動申請をダンジョン総務課へ提出後、受理されて始めて迷宮へ入ることができる。

 鹵獲品もクラン名で売買され、クラン発足の際に定めた一定の%がクラン活動費として差し引かれる。


 嫌なことばかりと思うかもしれない。

 もちろん所属していればそれなりの優遇措置もあるわけだが、それを差し引いても面倒に思う輩は多い。

 クランの看板ばかりに目が行きがちで、実利的なお得感を実感できないのだ。

 ゆえに、ここで募集されるのが経理担当ポジションのメンバーだった。戦闘は苦手だが、レベルアップの恩恵で文化系ジョブを育てたいと思っている学生は一定数いる。

 これまで前衛・後衛の戦闘面で脚光を浴びることのなかった文系能力者たちが、こぞって採用される。陰キャたちの青田買いである。


 クランごとの個性が強すぎると、一定条件にこだわって一見非合理なメンバーになることもある。犬系獣人をメインに構成する『わんわんお』、猫族とそのファンが運営する『猫股股旅団(シルバーバイン)』や、エルフ至上主義の『聖樹の杖』、竜人族オンリーの『青龍党』や、女性のみの『戦乙女隊(ヴァルキリーズ)』は特色がはっきりしていて有名どころだ。

 他にも特性の相乗効果を狙ったクランもいくつかある。筋肉を愛し筋肉で攻略する『筋肉同好会(マッスルボディ)』、アンデッド系の趣味仲間でクランを立ち上げた『死霊館(アンデッドランド)』、正義の執行者と名乗り白で統一した『クルセイダーズ』、逆に自らヴィランを名乗るお騒がせ系クラン『ビッグサンタマウンテン』、『いちばんだいしゅきなのはお兄ちゃんなんだからね!』と耳を疑うようなクラン名の六人も、いわゆるヲタ集団というのが客観的な感想である。

 六枚のマスクを共通とするバフ効果で戦闘力がアップするのだが、諸事情により秘されていた。まあ、風紀委員に目を付けられないためなのだが……。

 動画投稿サイトに度々アップされる「踊ってみた」の投稿主とは、あくまで別人としてやっていきたいのだ。身バレ防止のマスクなのだが、気を抜けばあっさりと特定されるだろう。





 琥珀色の明かりが、磨き抜かれた木目のカウンター席をしっとりと照らしていた。

 耳障りにならないジャズが店内に流れている。

 筱原はひとり、カウンター席で売り上げをノートに書き込んでいた。

 (バー)の売上ではない。迷宮での稼ぎの帳簿だった。

 店内にバーテンダーはいない。枯れ枝のような丸まった背中の筱原こそ、このこじんまりとした空間のオーナーである。


 『休憩室(レストルーム)』という名の魔道具であった。

 扉に重ねて設置することで入ることができる。奥行き関係なしの秘密の部屋へ入ることができる。部屋主が招かないものは入れないという優れモノである。お値段は外国産の高級車がポンと買えるくらい。だが『しゅき兄』の稼ぎ数か月分である。

 店風ではあるが、営業しているわけではない。彼の憧れるハードボイルドが空間に反映されているだけのことだ。並べられた琥珀色の酒瓶はすべて空き瓶で、中にたゆたう液体は水である。未成年ということは弁えている。


 そんな彼が頭を悩ませ向き合っているのは、迷宮の収支表。数字に強いわけではない彼がお金の管理をしているのも、経理をやりたがる人間がパーティにいなかったためだ。

 クランを発足する前、パーティで活動していた時期、鹵獲品の管理を誰かがやるだろうと放っておいた結果、誰も管理をしなかった。筱原が最初に耐えられなくなった。

 さらにクランを発足すると、毎月の提出書類に収支を記載しなければならなくなった。誰もやらなかったので筱原が自然と管理するようになった。

 攻略階層、探索期間、攻略状況もそれなりに詳細に記入する欄がある。面倒なことだ。

 どうせほかのクランは真面目にやっていないだろうと思うが、生まれつきの小心ゆえか、筱原はなるべく正確に欄を埋めていった。


 無駄に嵩む蒐集品。

 個々で適当に換金してポケットに入れる杜撰なやり方。

 田児は《荷役(キャリア―)》という荷物係のジョブを持ちながら、換金の場所・方法を最近まで分かっていなかった始末だ。

 気に入ったものがあれば各々自分のものにしてしまうし、懐に金があれば使ってしまうような面子だった。

 筱原は発狂寸前に陥った。


 仲間は揃いも揃って文系である。寿々木がこういうときに最初に声を上げそうだが、金勘定が得意ではないらしく、筱原に本気で謝っていた。

 寿々木は数字のゼロを見つめていると、ノートの上がゲシュタルト崩壊を起こして計算できなくなるらしい。

 よくそれで高校に入学できたものである。

 唯一早河が理系専攻だったが、面倒ごとからのらりくらりと逃げ回るので、なし崩しに筱原がやらざるを得なくなった。早河への報酬は、毎回10%ほど少ない。これも早河へのあてつけである。まったく気づいた様子はない。


「おお! 筱原の部屋だ! 助かった! 匿って!」


 カランカランとドアベルがやかましく鳴り、部屋に飛び込んできたのは名無だった。


「ドタドタうるさいよ」

「そりゃうるさくもなるよ。斑尾に今日一日しつこく追われてるんだもん」

「朝から教室にも来ていたねえ」

「昨日は寮の部屋の前で待ち伏せですよ。伊東の部屋で寝たけど、いや寝てないか? 泊めてくれて感謝してるけど、夜中まで音楽流して踊っててうるさくて眠れなかったんだよ」


 名無の目の下にはうっすら隈があった。


「ウチのクラスに早河以外揃ってるのに、なんで僕だけ恨まれるん? おかしいでしょ」

「足抜け関係者だからじゃないのかねえ」


 クランの面子というものがあるとかなんとか。

 伝統あるヤ○ザクランは面倒この上ない。自分から突っかかってきて返り討ちに遭ったのに、メンツを潰されたと怒り狂ってこっちを潰すまで追っかけてくる。

 最初から逃げ果せればよかったといまでも筱原は思っているが、名無のトラウマ克服に必要なことだったみたいなので、口を挟むつもりはない。

 しかし、日常を侵してくるとあれば話は別だ。


「風紀の人に通報すればいいんでないかね」

「いやいやいや! むしろそっちからも逃げてるというか! 委員長さまとのお約束をブッチしちゃった手前、なんかお怒りで怖いというか」

「厄介事を招き入れる天才だね、君は。喧嘩も買う、面倒も背負い込む、楽しい人生だね、まったく」

「その節はご迷惑をば」


 へへぇと平伏する名無。ふざけるうちは案外と余裕があるのかもしれない。


「よし、終了かね」


 傍らのフラスクボトルに手を伸ばし、腰を労わるように手で支え、ゆっくりと煽る。

 裏路地のバーのような雰囲気も相まって勘違いされがちだが、彼の飲み物はほうじ茶であった。何度も言うが未成年は弁えている。


「休憩休憩、脳の疲れには甘味が必要だね」


 独りごちながら手にしたのはリモコン。部屋の隅に設えた小さめのテレビを点け、録画を再生した。

 サックスの渋めな演奏で生み出されていた大人空間が一瞬でぶち壊され、桃色な萌え萌えキュンキュン、日曜朝の女児向けアニメのオープニングが大音量で流れ出した。

 筱原はハードボイルドを愛する文芸人だが、それと同じくらい女児向けアニメをこよなく愛するオタクである。

 ちなみに早河と伊東も『萌え萌えプリンセス、チャーミングウィンク』の熱狂的ファンである。一緒に歌いながら振り付けを完コピするほど愛が深い。

 男三人が並んでクネクネ踊りながら、「あなたのハートにウインク❤ 撃ち抜くの♪ キュンキュン♪」と歌う様は、とても絵面がひどい。業が深いともいう。


「またそれ」

「嫌いなら観なくてよろしい」

「嫌いじゃないけどそういう気分じゃ」


 ちらちらと扉の方を気にする名無はとっても小心者。ひとのことは言えないと筱原は思う。


「まぁ、気分を切り替えられるのも優れた人間の条件だね。気分転換には萌えプリだよ」

「確かに頭空っぽにするのも悪くないよね」


 オープニングは、何を言わなくても口ずさみながら体が動いた。『しゅき兄』のメンバーなら全員が修得済みである。

 踊り指導の伊東に細部まできっちり教わっている。主に迷宮内で。


 ほぼ毎日潜り、長いときで体感ひと月、短くても一週間はざらに迷宮で過ごしている彼らは、得られる素材が途方もない。

 それだけ時間があれば、ダンスの練習にも事欠かない。たまに油断して、魔物に襲われることもあったが。

 魔物を狩って得た取得物は、荷物係の田児のおかげでほとんどロストせずに持ち帰ることができる。上級者になると、パーティにひとりは《荷役(キャリアー)》のジョブが必須になってくるほどだ。一家に一台田児が欲しいかと言えば、そんなことはない。むしろいらない。


 まだそこのところがわかっていない一年生集団などは、前衛だけで固めたガチガチの脳筋プレイをしがちだが、継戦時間が長くなればなるほどそういった偏ったパーティは頭打ちになる。

 「わちきが右も左もわからないねんねの頃はそりゃあ無茶をしたもんでありんす」と遠い目をする脳内花魁さんは、キセルから煙をぷかあっと吐く。

 自分の力にひたすら自惚れて、可能性の広がりの限界線が想像できない。

 パーティに必要なものが想像できず、何が行き詰まらせているのかわからない。

 そんな独りよがりのマスターベーション。行き当たりばったりのフラストレーション。

 「若いとはそういうことでござりんす」と脳内の花魁が窓際にもたれかけながら瀟洒にほほ笑んでいる。


 パーティ全体の爆発力で劣っても、長期間ダンジョンに馴染めるパーティの方が身入りがいいのは、ちょっと考えれば誰でもわかることだ。

 筱原のパーティは他よりもダンジョンに長居する相性が良かったため、一回の探索報酬を換金したら、三年の中堅ランクに並ぶ稼ぎとなっていた。

 攻略階層は三年に及ばなくても、一度のダイブでひと月前後潜る二年パーティは『しゅき兄』くらいなものだった。


 稼いだ半分はクラン資金としてプールされている。これを知るのは寿々木と筱原だけで、あれば使ってしまう計画性のない残りの四人には秘密だ。

 こいつらは貯金という言葉というか概念を知らないのではないかと筱原は思っている。

 田児は部屋をデッサン用の道具とコミックスで埋め尽くしたし、伊東は音響機器、楽曲、照明を買い漁って、レコーディングでもするのかというハイクオリティな自室にしてしまっている。学校側に内緒で業者を呼び、部屋を防音にしてしまったくらいだ。いつしか曲を流してダンスするための部屋に生まれ変わっている。ふたり部屋なのだが、相方が不眠になって逃げ出した。伊東が卒業して部屋を出た後に入る一年は、割とラッキーかもしれない。

 名無は無修正の動画を手に入れ保存するために、据え置き型のパソコンや外付けハードディスク8TBを三つ購入するのにウン十万単位で注ぎ込んでいた。バカとしか言いようがない。

 早河はフィギュア集めに命をかけているため、オークションで数十万するプレミアモノや、鍛冶クラン『黒神鉄(ガルバンバン)』にオリジナルフィギュア製作依頼を出して百万近く使っている。

 しかし寿々木や筱原だって、自分の趣味にはお金を惜しまないもの。どんぐりの背比べであった。


 クランで購入したいものはいくつかあるが、その最たるものがクラン用の住宅だろうか。

 敷地内に建てられたクラン専用の住居は一、二年の憧れだったし、住居を購入できていっぱしのクランとして認められる風潮があった。

 寮生活に特に不満はないが、クラン用の住居を構えると専属のハウスキーパーが学校から派遣される。

 学生にあるまじきVIPな待遇こそ、学生たちのモチベを上げる原動力である。


 筱原には強い欲求というものがない。

 リビングデッド族という稀有な一族の生まれゆえの特質だった。

 時々猛烈に肉を食いたくなってひとり焼肉をすることはあるが、それ以外は睡眠も一日二~三時間程度で問題ないショートスリーパーである。

 唯一ある願望が承認欲求、なのはなんの因果だろうか。

 物書きはいくらでも打ち込めた。内容が難解だったのか名無は数ページ読んでうつらうつらし始めたが、ネット公開した際に、肌に合う人間にはそこそこの評価をもらっている。

 少年系、ファンタジー系は説明過多になってしまい、展開が冗長的だとかであまりウケが良くなく、すぐに諦めた。

 熱量重視な恋愛系も難しく、高校が舞台のラブコメを書いているはずなのに、古典文学もかくやという高難度の言い回しで目が滑るらしい。フレッシュさが自分には枯渇しているのは重々理解している。


 欲求が薄いとはいえ情緒への理解はあるので、昼ドラのような人間の汚い部分をこれでもかと淡々と書き綴ったやつは、意外と高評価だった。筱原は自分が皮肉屋であると思っているので、人を刺すような言い回しは生き生きと書けた。

 血の繋がった美人姉を本気で愛してしまった弟の話がもっとも受けが良かったように思う。姉を自分のものにすべく計画していた矢先に両親が離婚。姉とは離れ離れになってしまう。諦めきれない弟は姉の通う高校を受験。入学してみると姉には思い人が……。

 「後味悪かったけど先が気になってしょうがない」とのレビュー多数である。寝取られ好きな拗らせた読者が多くいるようで励ましになる。

 俯瞰視点で愛憎劇を眺める見方が自分には合っていた。当事者にならずとも別にいいという思いもある。仲間内では自然と客観的な意見が多くなるのも、自然なことだった。


 アニメがエンディングに差し掛かったところで、ひと心地着く。

 いつの間にか隣には早河がいた。


「相変わらず声優のキャスティングが神ww」

「いやいや、特筆すべきはぬるぬる動くエロさですな」

「今週の腋ちらでご飯三杯いけてしまうわww」

「制作サイドも需要がわかってらっしゃるご様子」

「敵の女の子いいよね。負けて涙がにじむところがあざとかわゆい」


 早河は気づかないうちに入ってきたようで、名無と三人並んで視聴していた。

 就寝時間までのアニメ談義は、男子高校生には欠かせない。

[陰キャメモ]

女子の会話に自分の名前が上がるとドキッとして冷や汗がでる。

聞き違いでも冷や汗が止まらない。机から動けない…。

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