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迷宮高校の陰キャクラン  作者: 多真樹
第1章 陰キャなるもの
4/25

踊れないオークはただの豚だ

 時刻は十五時半。

 授業も終わり、各々部活の時間である。

 校庭では陸上部が駆け回り、道場では剣道部の竹刀の弾ける音がした。

 空き教室から聞こえてくるのは、軽快なテンポでウェーイしてそうな音楽。

 件の教室をちらっと覗けば、ダボッとしたシャツで体を動かすダンス部が軽快にステップを踏んでいる。

 一見不真面目そうな部活だが、額に汗を掻き音に合わせて体を動かす練習風景は驚くほど真剣だった。

 そんな彼ら、彼女らも、練習の合間に水分補給のためにぐったりと休んでいる。


「伊東先輩ってちょっと近寄りがたいですニャね~」

「あ~、気難しい性格ではあるかもね」

「聞きたいことも聞けない雰囲気は確かにあるッスよね。腕の振り方がすごく参考になるんで見て覚えてますけど」


 健康美を感じさせる女子が三人。休憩中に目で追うのは、休憩しない男子の背中だ。

 青灰色の尻尾をふりふりする猫獣人と、褐色肌で大柄な鬼人族の一年。そして真っ白な白雪の髪を持ち、顔半分を長髪で隠した白蛇獣人の三年の先輩である。

 レギンスの上にショートパンツを履いた動きやすい恰好の女子たちから距離を取られているのは、ハーフオークのごつい顔をした男子だった。

 顎が張っており、額も厚い。だが目だけはつぶらな二年生である。

 浅黒い肉体はムキムキの逆三角形で、男子憧れの細マッチョ。あまり筋肉をつけすぎるとダンスのキレが悪くなるという理由から、体脂肪を絞りつつもシャツを盛り上げ過ぎない筋肉を維持している。

 水泳の時間になると、他の男子が委縮するようなシックスパックを持っているのだ。

 しかしまあ、迷宮高校の生徒は基本的に迷宮で体力を付けるので、寸胴な体型の方がむしろ珍しいのだが。


「ああ、あの空中に浮いて見えるウォーク、あたし苦手ニャんですよね~」

「マイムウォークな。エアウォークとも言うんだっけ?」

「無重力ダンスを極めようとしているからね、伊東君は」


 ひとり曲に合わせて練習する様は、深い深い深度で集中しており、近寄りがたいオーラを放っていた。

 まるで浮いているかのように地面を滑る動きは、ダンス部の中でも屈指を誇る。歩く動作にロボットの質感を表現したり、ふわりふわりと浮遊感を魅せたり、ウォークのひとつひとつが丁寧だった。

 自分の限界を突き詰めるような繊細な動きは、高い集中力の賜物だ。だから声の届くところで何を言われても、聞こえていないし集中力も途切れない。

 彼女たちは伊東を尊敬している。ただ絡みにくいだけなのだ。もったいない。

 部内の男子でも一、二位を争う技術の高さを持つが、彼に師事しようというものはいない。

 なぜなら親しみやすさが皆無だからだ。

 元来無口なところがあるが、同級生や上級生でも彼との会話が長続きしなかった。いつしか業務連絡以外の言葉を交わすことを諦め、伊東は孤立していった。

 決して嫌味な人間ではないのだが、何を考えているのかわからない。自分の世界に閉じ籠って出てこない。そんな男子だ。

 本人が意図したわけではないが、そこには確かに深い溝が掘られていた。主に、伊東が他人を必要としていない所為で、墓穴を掘っているのである。


 それに、癖なのか無意識に爪を噛むところがあったり、顎の生えかけの髭を爪で抜いている姿をよく見かける。

 踊りの評価は高いのに、なんだか下品に見えてしまうこの無意識の癖の所為で女子受けはかなり悪かった。

 いまも一休みした彼は、顎を触りながら、スマホで撮影した自分の踊りをチェックしている。

 「ダンスは人生!」と断言してしまえるほどに、彼にとってはダンスのすべてがストイックだった。でも、女子の前で平気で鼻をほじるのはやめたほうがいい。人差し指についた糞をぱくりと食べるのも、やっぱりやめたほうがいい。ちょっと離れたところから「ひゃあぁぁ」と悲鳴が上がったのにも彼は気づかない。

 ダンスでどう見られるかを大事にしているくせに、日常的に女子にどう見られるかがまったくわかっていないのだ。

 それが伊東弘樹というオーク面の男子生徒だった。







 時刻は十六時五十分。

 約束の時間から十分前だが、これから日常と化した迷宮へのダイブである。


「名無、伊東も準備できた?」

「いや、いとぅー氏はずっと洗面所」


 寮の部屋の入り口から、リュックサックを背負って武装バッチリの寿々木が声をかけてくる。

 僕は伊東の部屋にいるが、指で洗面所を指す。

 部室棟で汗も流さず、洗面所で適当に顔を洗うだけだ。どうせ迷宮に入れば嫌でも臭くなる。

 伊東の部屋は、まるでDJクラブのように音楽機材やらが積まれ、壁にはなぜか帽子やTシャツが棚を作って飾られている。

 二人部屋だが相方がノイローゼで逃げ出したため、現在は伊東ひとりで使っている。

 センターだけは両手を伸ばしても動けるスペースを確保しており、本来窓があるはずの正面の壁面が一面鏡仕様になっていた。

 部屋にいても踊っているのだ、伊東は。


「籠ってなにしてんの? まさか自家発電?」

「なんか鼻の周りを爪で押したら白いのが出てきたから、全部出し切るってずっと洗面所にいるよ」

「鼻パックしろよ」

「持ってんの?」

「持ってるわけないじゃない。とりあえず急いで。さっさと迷宮行くよ」

「はいはい」


 女子には見せられない男子寮の日常だった。







 二十一階層。

 渓谷エリア。

 急峻な崖に縦横無尽に穴を掘り進めていったような、坑道だらけのエリアだ。

 ドローンを飛ばして俯瞰してみたら、きっと穴あきチーズの見た目に違いなかった。

 ちなみに崖の下は真っ暗で見通せない。落ちたらおそらく即死。

 別名「蟻塚」と呼ばれる危険と隣り合わせのマップで、大量の蟻が通路をうろついているのだ。

 踏み潰せるサイズなら何も恐れることはないが、迷宮産の蟻は腰の高さまである体高に、胴を真っ二つにしてしまう凶悪な顎を持っているので途轍もなく危険。

 蟻の他にも壁からチーズ穴だらけにした張本人であるロックワームがにゅっと飛び出してきたり、シャベルのような腕を持つオケラのモンスターと高確率で遭遇する仕様である。


 別名、地中の虫王国。

 階層を下っていっても、基本的に遭遇するのはビックサイズのサソリやカマキリといった昆虫ばかりで生理的嫌悪しかない。学生から嫌われるハズレ階層である。

 そして虫系はやたら擬態や気配を隠すのがうまいため、魔物探知や気配探知のスキルがないとお化け屋敷のように毎回驚かされることになる。

 驚くだけならいいが、出会い頭に足を食いちぎられるのはさすがに笑えない。

 しかしこのパーティは、『土魔術士(アース・ウィザード)』である筱原大先生が<探知(ディテクション)>を使うことで敵発見に大いに貢献している。


「先輩からの告白だったらナム氏を弾劾裁判にかける件について」

「申し開きの余地くらいくれない?」

 

 学食での一件を聞いて、ハムさまが無駄にキレキレにビシィッと指差しながら「リア充氏ね」とのたまった。

 部長は興味なさそうに「ふーん」と返事しただけだ。

 田児は「騙されてるよ! 美人局で怖い人があとからやってきて、全財産巻き上げられるよ!」と連呼していてうるさい。


 相手があの風紀委員長だとは言っていない。三年生のお姉さまとだけ。

 言ったところで絶対に反対されるからだ。なぜなら僕らは風紀委員に楯突く愉快犯だから。絶対会うなと言われるのがオチだ。

 それでも僕はあの美貌にまた会いたい。お話ししたい。同級生の女子と会話すらままならない灰色の高校生活とはオサラバしたい。要するに下心だった。


 風紀委員長の顔を見た伊東と筱原は、険しい顔をしつつ反対はしていなかった。呼び出される理由が僕らのアンチ活動に対してでないのは雰囲気からわかった。

 決して後ろ暗いことを追及されるわけではないと察しているから、僕の判断に委ねるといったところか。 

 もし罰されるならば、あの場で風紀委員に囲まれて連行されていたはずだ。人目の多いところでイチャイチャちゅっちゅしている『愛の巣』のぱことりゅうちゅるは、度の過ぎた不純異性交遊でよく風紀委員に囲まれて連行されているから、物々しい雰囲気ならわかる。


「苦情か何かじゃないかな? ほら、同級生が面と向かって言えないことを上級生にお願いして、お姉さまがやってきたとかとかじゃない?」


 寿々木の言葉に、確かにそれはありそうだと思った。風紀委員長といえば正義感を持って行動していそうだし。


「それはない」


 しかし伊東がぽつりと、はっきりと否定した。

 伊東は仲間たちの会話を聞いてはいるが、参加することはほとんどない。たまに口を開くときは必要最低限のことしか言わない。普段は自分の身体をいかに思い通りに動かすかが大事で、それ以上の興味はとても薄い。そんな伊東が会話に参加しているのは驚きである。

 昼時に聞いた「いいケツだ」もレアといえばレアである。

 

「そんな甘い雰囲気ではなかったんだよね、実際。わたしが思うに、ただの連絡事項ではないかな」

「ほう、リア充ではないと?」


 筱原の言葉に、早河が顎肉を撫でながら鋭い眼差しを向ける。嘘は通用しないとばかりに目を光らせているが、そもそもなぜ彼を納得させなければいけないのかは謎だ。


「いいかね、君たち。女から声をかけてきて、その女が惚れているとしよう。惚れているならば、その女の目にハートマークが浮かんでいるとわたしは考える」

「考える、じゃないよ。浮かんでるの見たことないよ」


 筱原が訳知り顔で厳かに言うから何かと思えば、彼の持論を聞いて損した気分だ。


「なるほどww メス顔というやつですなww」

「早河はなんでそれで納得するんだよ」

「ボク知ってるよ。フォーリンラブのぱことりゅうちゅる氏は目にハート浮かべてるもんね」

「……確かにそうね」


 あそこを引き合いに出すのはダメだろう。

 歩く公害である。そもそも、いまのパートナーはりゅうちゅる氏だが、ごつ盛りギャルメイクのぱこと付き合っている男が、そのときの『愛の巣』のクランだった。『愛の巣』のクランの歴史は、ぱこ嬢の男性遍歴の歴史でもあった。


「この後ふたりきりで会おうって約束したんだよね? スケベだスケベがいるよ」

「男女が一緒にいて何が起こるのか、わたしにはまったく想像がつきませんなあ」

「桃色展開だったら僕だって嬉しいよ……」


 田児と筱原のにやにや顔をげんなりとやり過ごす。

 心当たりがなさ過ぎて逆に怖い。裸にひん剥かれて写真を撮られないか心配だ。お尻にモップの柄を差されてしまう。


「どこの十八禁漫画だよ……」


 寿々木に呆れられる。

 そんな日常的な会話をこなしながら、実は死がちらつく戦闘を繰り広げていた。

 蟻が十匹、通路の奥から迫り来るのを察知し、広めの玄室で迎え討っている最中である。

 伊東が先頭を切って前に出る。手前の二匹を相手に左右にステップを踏んで、凶悪な顎攻撃を寸前で回避し翻弄する。手のカクカクとした動きは戦闘に不要かもしれないが、戦闘中でもダンサーとしてのテクニックとスキルを磨くのは迷宮探索と同じくらい重要らしい。もはや誰も突っ込まない。彼のポリシーに鷹揚なのか、はたまた興味がないのか。ディスりあって空気を悪くするより、お互い不可侵でいたほうが楽なだけだった。


「結局どうする? 俺らも一緒の方がいい? 名無が不安なら遠くから見守ってるけど」

「部長の優しさに涙出そう。でも話した感じ敵意とかなかったし、ひとりで会ってみるよ」

「ひとりで行かせると思うてかww」


 「フハハ!」とばかりに樽体型の早河が幻術で五人にも六人にも増えて、蟻モンスターを翻弄する。《水幻術士(アクア・コンジュアラー)》のスキル〈幻影(イリュージョン)〉は、相手の知能が低ければ低いほど効果的だ。

 そしてその幻影たちは僕の周りにも展開されて囲まれてしまった。なんなら蟻モンスターより配分が多い。ちゃんと仕事しろ。


「下手についていくよりは、結果だけ聞いたほうがいいとわたしは思うけどね」

「筱原大先生は仲間の恋愛ごとに興味がないのか? 枯れているのは心もなのか?ww」

「興味がないわけではないんだけどねえ……」


 筱原が躊躇っているのは、相手が風紀委員長だから。

 下手に覗き見しているところを見つかってしまうと、拘束連行の可能性がある。

 そのリスクが僕ひとりだけなら傷は浅いと思っていそう。なんだかんだ言いつつ最後には助けてくれるだろうから、文句は言えない。


「俺も出歯亀は気が進まんよ。早河が顔を突っ込みたくて仕方ない様子だけど、伊東はどう思う?」

「…………」


 寿々木が水を向けると、伊東は振り返りもせずにひらひらと手を振る。もはや興味がないということだろう。

 蟻モンスターを一手に引き受けているので、目の前の状況から目が離せない所為もあるが。

 伊東は《舞踏士(ダンサー)》と《軽業師(アクロバットマン)》のジョブを持っているため、いわゆる避けタンクというやつだ。

 縦横無尽に動きつつも、蟻の攻撃意識を一手に集めるのが役割である。ときどき不意打ち気味に拳を叩きつけて、蟻にクリティカルを与えている。

 気を抜けば腕を食いちぎられそうな緊張感の中で、伊東の動きは磨きがかかっていた。


「何かあれば助けを呼ぶよ。そのときに面白おかしく笑ってくれればいいさ」

「女子と久しぶりに話せたからって舞い上がっちゃって。プークスクスww」

「自分のこと棚にあげるんじゃねー! 近づいただけで逃げられる公害のくせに!」

「バ、おま、向こうが照れてるだけだし……」


 割と心的ダメージを喰らって、幻影全部が凹んでいる早河だった。

 僕は伊東が気を引いている間に、横合いから瞬身で速攻。

 昆虫は節足の関節部が弱点なのはわかっているので、短剣を突き立て素早く離脱といったヒットアンドアウェイで削っていく。

 部長が魔札で召喚したオーク軍団で物量作戦によるスクラムで蟻の動きを止めると、伊東も避けタンクから攻撃へと転身した。だが、蟻の頭上で片手立ちしてパフォーマンスするのはやりすぎである。

 いまにもギチギチ鳴らす顎に食い千切られかねない。


「何はともあれ、相手の子を悲しませることだけはしないようにね」


 寿々木がオカンのような気遣いを見せて、この話はとりあえず終了。

 戦闘もそろそろ終わりそうだ。

 伊東の《舞踏士(ダンサー)》のスキルで、激しい動きをすればするほど敵意(ヘイト)を集める効果があるため、踊って気を引いている隙に僕が動く。

 踏み込みを強くして蟻の頭上を飛び越えつつ顔を踏みつけ、腕を振って首の後ろを瞬時に斬りつける。

 ガクガクと震えると、巨大蟻の頭が地面にごとりと落ちた。しかし頭のなくなった体でも動き回る蟻の生命力には脱帽である。落ちた頭も、ガチガチと顎を嚙み合わせて威嚇しているし。

 無駄に生命力が高いことや、この虫特有の気持ち悪さが、地下虫王国の不人気に繋がっている。経験値は多めで、素材も豊富なので、玄人好みのエリアだと思う。






 伊東は戦闘中、名無の動きを観察していた。

 自分よりも速く戦場を動き回る姿を羨ましいと思う反面、ただスピードを出すだけでは物足りないとも思っている。オーディエンスにいかに魅せるかである。自分にとっての戦いとは、それ以上でもそれ以下でもない。

 だから、敵の視線を一手に集めるのは得も言われぬ快感があった。動き回る名無にヘイトを取られると、自分の中でそれは敗北にも等しかった。

 オレを観ろと、さらに動きをダイナミックに、キレを増していく。《舞踏士(ダンサー)》のスキル〈誘蛾舞〉でステップを踏み、モンスターのヘイトを稼いでいく。強力な攻撃に晒されない限りは、伊東の方へ魔物は寄ってくるのだ。

 花の蜜に蝶が群がるように、モンスターを自分の方へと誘い出す。それは舞台で踊る自分に、一心に向けられる視線と同じだ。

 一度もヘイトを取られないで戦闘が終わったときは、肩で息を吐きながらも達成感があった。


 そういえばむかし、入学式の前だったか、こんなことがあった。


「ちょいと待ちなされ、若者よ」

「…………」

「そこな踊り手よ」

「ヘイ、オレを呼んだ?」


 このときはまだ、無口キャラが定着していなかった。中学時代はむしろ陽キャのつもりで明るいキャラを演じていた。


「そう、そなたに話しかけておる。そなたはなんとも他者を顧みない傲岸で偏屈な面妖をしておるのぉ。いやいや、オークの面貌が悪いというておるのではない」


 オークと呼ばれる魔物。それに近いと侮蔑される豚獣人が伊東だった。牙は出ていないが潰れた鼻は豚そのもの。面貌は決してイケメンにはなり得ず、生まれながらに女子受けは悪い。

 それは百も承知。だから顔だけで近寄ってくる女も男もいらないと思っている。 


「己が世界に籠もりすぎる所為で日常もままならない。あげく、それでよしとして理解者を自ら遠ざけそうな、もらとりあむな面の皮をしておるわい」

「初対面でディスんじゃねえよ、ばあちゃん」


 中学校に上がるまでは極度のおばあちゃん子だったために、年寄りを強めに罵倒することができない。むしろ腕の細さを見てちゃんと飯を食べてるのかと心配になっていたりする。

 おばあちゃんが唯一、「弘樹はかっこいいねえ」と言ってくれたのである。実の両親ですら、容姿は似たり寄ったりなので、決して顔を褒めてくれることはないのだ。

 伊東の祖母は白内障でほとんど目が見えなかったのだが、それはこの際どうでもいい。そんなことを思い出していた。


「自らの限界に行き詰まるが、突破口がわからない。誰とも親しくしないために、誰にも親身になってもらえないのう。祖母の死をいまだに引きずっているようじゃが、まずは祖母との思い出を振り返って、いつも掛けられていた言葉を思い出すべきじゃ。ところでみかん食うかえ?」


 とりあえずみかんを受け取って、その場で皮ごとかじる。すっぱ甘い。

 ハーフオークと呼ばれるほど豚獣人は魔物に近いと言われるからだろうか、これまで地面に落ちたハンバーガーを食べようが、ひと月くらい放置して中まで真っ黒になったバナナを食べようが、お腹を壊したことが一度もないのだ。アイアンストマックが自慢と言えば自慢だった。


「そなたにはりすぺくとが大事になるようじゃ。欲しいものがあるのなら、まずは他者の親切を正面から受け止めることじゃ。ひょっひょ、みかんを受け取ったときのようにの。どんなときもりすぺくとを忘れないことじゃのう。新たな世界は自分の中にはない。周りの人間にあるということじゃ」

「そんな簡単にいくなら苦労はしねえよ」

「簡単に手に入るようなものなら、そなたは大事にしないじゃろ?」


 図星だったので何も言えなくなる。やってできてしまうことに興味はない。できないことをできるようになったとき、少し高いところへ登ったようで、いままで見えなかった景色に感動するのだ。


「この世界には秘宝というものがある。たった六つだけ存在し、所持者同士を強烈に引き寄せるアイテムじゃ」


 そう言って老婆は懐から布の塊を取り出した。


「そなたはいずれ大成する器じゃ。それまでの苦しい道のりに耐えうる仲間を見つけることが肝要じゃ」


 すっと手渡されたので、大人しく受け取る。


「ゆめゆめ忘れるでない。これはきっかけにすぎぬのじゃ。為そうとする志こそがそなたを英雄にするであろう」


 胸熱な話だった。伊東には上を目指そうという意思は最初からあり、途中で折れてやるつもりもない。


「はい、五千円」

「たっけぇ」


 受け取った布切れ改め――緑色のマスクを返すのもバツが悪いので払ってしまったが。


「身体に気をつけろよ、ばあちゃん」


 納得がいかないまでも、老人に手を挙げることなんてできようもない。

 手を振ると、小さく微笑んで手を振り返してくれた。その笑顔は前途ある若者の明るい未来を祈っているだけで、不良在庫のマスクが捌けたうえに五千円もうけてホクホク顔――ではないと思いたい。

 伊東はまだ、本当のリスペクトを知らない。






●〇○○○○






 これまでに頻繁に出てきたジョブ・スキルというのは、戦闘スタイルに方向性を与える重要な要素だ。

 ひとりが就けるジョブはおおよそふたつ。メインとサブと呼ばれ、メインは変えることができないが、サブジョブは変更可能である。

 たまに迷宮でジョブスロットなる秘宝を手に入れてサードジョブ、フォースジョブと奇跡的に枠を増やすものもいたが、宝くじの高額当選くらい確率が低い。

 迷宮内の宝箱から狙って出そうと思ったら、天井の設定されていない0.1%確率のガチャを引こうとするようなものだ。千回引いたところで当たらないのが味噌である。


 戦闘系、支援系、生産系と数あるジョブだが、初期に設定したら頻繁に変えることを推奨されていない。

 変えることはできるが、ジョブ固有のスキルはそのジョブを設定したときにしか選べないし、新規ジョブはどうしてもレベル1から始めることになるのでメリットは少ない。しかしこれまでの経験は消えるわけではないので、またジョブを付け替え、育てたスキルをスキルスロットに入れれば、依然と遜色ない運用はできた。


 ちなみにジョブ・スキルの習得には個人差があって、得意な系統・不得意な系統で成長速度が設定されている、らしい。

 不得意な系統でレベルを上げようとすると、得意な人間と足並み揃えてスタートしても、同じレベルに達するのに獲得経験値が百倍、千倍も必要になることがある。

 ここは「障害があった方が燃える! フフフ」と斜に構えてないで、素直に得意なものを選んだほうがよい。


 ひとによって得意不得意が違うため、結果的にさまざまな人間をパーティに起用することになる。最初から仲良しメンバーで続けられる方が稀だ。

 ひとりで汎用的にカバーするよりも、いろんな系統の仲間を集めた方が攻略向きで合理的だった。

 しかし人間は、頭でわかっていても感情を優先してしまうような生き物だ。

 誰しもが一度は通る道だが、仲良しパーティで階層攻略を続けていると、どこかで必ず行き詰った。

 戦闘系ごり押しクランは肉体言語の通じない幽体系モンスターに攻撃が当たらないし、近接系しかいないと飛行系モンスター・水中エリアであっさり詰む。

 支援系、生産系のみではモンスターが無限湧きするエリアで物量に圧し潰されるし、そもそも戦闘向きの要員で前衛を固めないと、迷宮の攻略は覚束ない。


 結果的に仲良しパーティは解散するか、他のパーティと統合や分裂を繰り返し、様々な軋轢や人間関係を生んでいく。

 クラン発足のシーズンに、それはもう毎年のように見られる悲喜交々であった。






 迷宮攻略中にたまにあるのが、同じフロアでの別パーティとの遭遇だった。

 学校側の見解としては、互いに不干渉を心がけ、不必要な争いごとを生まないようにとの仰せだが、(プレイヤー)(キル)をしたところで別段咎められることはない。

 ただし、学校側に不穏なパーティの情報が多数集まれば、さすがに実態調査を行ったりする。しかし杜撰なもので、監視期間中だけ良い子ちゃんであれば潜り抜けられるという話だ。


 だいたいは学校側に目をつけられたとわかればすぐさまパーティを解散し、別名で登録し直して悠々と活動再開する場合が多い。

 学校側の管理体制は、あくまでパーティとしての悪名に監視を強めるので、ちょっと悪目立ちしてきたなと思ったパーティは、あっさりと解散して新しい野良パーティを組んだりする。

 そういうパーティを渡り歩く人間こそ要注意であるが、千人近くの生徒をすべて監視することは土台無理な話だった。


 死に戻り上等、実力主義の精神は賛成だが、それらは自らに降りかかる危険を自力ではねのけろと言っているのと同義で、救済措置がないに等しい。

 実力さえあればちょっかい出されないのはわかっている。だからパーティ上限の六人で組んで、レベル上げと階層の更新に勤しんでいるわけだ。

 そこを上級生で固めたPK集団に襲われるので、たまったものではない。


「おう、『白蠍(ホワイトスコーピオン)』を追い出されたクズじゃんか。掃き溜めで元気にやってるかよ」

「ゴキゲンヨウ、サヨウナラ」


 同時に同階層に潜っても、同階層には数十種類のエリアが存在し、パーティ単位でランダムエリアに飛ばされてしまう。

 そしてエリアが違えば、決して合流することはできない。火山エリアから山を下りることはできないし、海中エリアでは陸地がないといったように、各エリアは断絶した世界になっている。

 ゆえに多人数攻略は望めなかった。

 特殊な条件下を除き、大規模クラン攻略はできない仕様である。


 裏技を使えば同エリアに複数パーティが合流することもできなくはないが、基本的には限られた人数でやりくりしなければならない。

 環境も階層によって千差万別あり、各個人によって得意不得意がはっきりするエリアが表層化してしまう。

 寒さに弱い竜人族が雪山攻略に絶望的だったり、息ができない海中エリアで窒息死など、割と頻繁に起こる事故だったりする。

 同じ三十階層でも、いまは地下虫王国だが、再度挑戦すれば草原だったり森だったりと、さほど厳しくない環境を引き当てることもできる。

 あえて無理な環境で攻略を進める必要はない。のだが、深層になるにつれ、いつまでも避けていられないのが厳しいところだ。


 どこでもオッケーな万能なタイプはそういない。環境適応能力が飛び抜けているような人材なら、最上級クランからお声がかかる。

 足りないメンバーを他クランから一時的に参入させる方法もできなくはないが、クラン内の秘するべき手札をみだりに見せるものではないというのが共通認識だった。

 特定メンバーを揃えると相乗効果があったり、特殊なジョブに就いているメンバーがいたりと、クラン内で独占して、独自の研究と研鑽を重ねている。


「相変わらずふざけた顔しやがってよ。ここじゃブッ殺されても文句言えないんだぜ」

「ありがとう、ああでもごめんね。今日は忙しいからまた今度。今度は絶対飲みに行こうね」

「それは結局行かないやつ」

「……ふざけんな、ブッ殺す」


 奴さんはお怒りのようだ。

 こちらとて好きで挑発しているわけではなかった。

 ただ何を言ったところで「むかつく」「なめてんのか?」の敵意しか返ってこないので、しょうがなく当たり障りのない返事をしているだけなのだ。

 まともな会話が成立しない輩相手に、まともな対応をするだけ時間の無駄だった。

 台風が来たら家にこもってやり過ごすように、オラオラな輩とは目を合わさず、ただじっと過ぎ去るのを待つしかない。伊達に陰キャ生活は長くない。


 上級生にクラン勧誘で声を掛けられ、褒められ煽てられるままに『白蠍(ホワイトスコーピオン)』に入部届を出してしまった。入部してみると、ホワイトなんて名前からは真逆なブラックな上下社会が待っていた。

 たったいま遭遇してしまった『白蠍』所属の同級生、(まだら)()(たい)()のようなマウントマンが多くて、ギスギスな空気に耐えきれずに逃げ出したのだ。ただでさえ校内でも陰湿な態度で接してくるのに、大人の目の届かない迷宮内で出会ってしまったが最後、ただの挨拶で済むはずもないのはわかっていた。

 遭遇しないように<探査>で回避してくれよと筱原を見るが、ここまで一本道だったので避けようがなかったのも事実。


「ここを通りたければ、てめえらの手持ちの道具すべて置いていけよ」

「もっと穏便に行こうよ。そんなDQNみたいな態度じゃなくてさあ」

「ああっ!?」


 斑尾が凄む。その後ろにいるガラの悪い連中は、こちらを格下と思っているのか、ニヤニヤと余裕ぶって笑っている。

 斑尾は黒豹人族で、顔はネコ科に近い獣人さんだった。つぶらな金色の瞳なので、見てくれは可愛いのだ。けれど、性格はヤンキーだった。

 髪はなく、黒艶のある体毛で覆われている。撫でたら気持ちよさそうなのに、触れることを嫌う尖った男だ。


 斑尾にアニメの話を振っても、鼻で笑われて「オタクキモいんだよ」と言われるのがオチだ。そんな相手と一緒にいて気が安らぐはずもない。逆に海外サッカークラブが大好きな彼と、陰キャの仲間たちは会話が広がらないこと請け合いだ。

 安易に誘われるままにクランを選んでしまったのは本当に後悔した過去の出来事だが、いまはこうして二次元の妹について気楽に語れるメンツとパーティを組めて、望むべくもないものを手に入れている。

 だからどうかそっとしておいてほしいと思うんだ。


「タダで逃がすと思うなよ? おまえが勝手に消えた所為で、こっちのノルマが余計に上がったんだ。みんな迷惑してんだよ。だからその憂さを晴らす義務がテメーにはあんだよ」

「クランの活動内容にそんなノルマなんてないよね? あそこのクランが異常なんだってわからないの? そもそも普通入るも辞めるも自由なはずでしょ? 言ってることがおかしいのはどっち?」

「御託を聞くつもりはねえよ。ぶっ潰してやる。そんでオレらのために働かせてやる」


 言葉が通じない。というより、聞く耳を持っていない。丸っこい猫耳があるのに、聞きたいことだけを聞くようにできている。

 怖い先輩たちからこき使われ、自分たちも抜け出せない沼に入り込んだことはわかっている。そこから脱出できた僕が、ただただ憎いのだ。

 正論をぶつけたところで彼らの現状は変わらない。そして先輩たちに支配されてきたように、今年の一年たちを彼らがまた支配するのだ。

 弱者を痛めつけることは喜んでするのに、そういう悪循環を断ち切る勇気は彼らにはない。どっちが弱者かわかっているのに、見ないふりをしている。


「……もうダメだ、あいつら。部長、もし敵を無力化できたら、前からやりたいって言ってた拷問ができるよ」

「よし、ひとり残してあとはキルしよう。足の指の千切りをやってみたかったんだ。失血死とショック死の間を突き詰めて観察できるね」

「やだ、身内がとってもサイコ」


 ぽっちゃり早河が口元を押さえて言う。冗談か本気は後々わかるだろう。

 部長の寿々木はちょっと特殊な趣味をお持ちで、とても万人受けするような人間ではない。しかし外面と愛想はいいので、部長(本当は氏長)の役職を押しつけられるくらいには真面目で通っている。

 このクランの中でもっとも性癖が歪んでいるのは、間違いなく寿々木だろう。迷宮という無法地帯に免罪符を感じているのは、斑尾たちイキリヤンキーではなく、彼で間違いない。

 ネギ頭の植物人族なのに、その目はギラギラと品定めする肉食の妖しい光を放っている。


「てめーら、覚悟はいいだろうな? 名無、ボコボコにして奴隷に落としてやるからな」

「そちらもご愁傷様。楽に死ねたらラッキーだよね。突っかかってこなければトラウマ刻まれなくて済んだのに」


 互いに負けるつもりは微塵もない。相手を屈服させた後のことを語るだけだ。

 ……どちらが皮算用になるだろうか。


 ともあれ僕らは犯罪者予備軍である自覚もあるし、解き放ってはいけない類いの魔物を飼っているという認識もある。

 斑尾たちにその自覚があるかどうかはわからない。言われたことに従うだけの社畜と化していて、ストレス発散のために先輩からの暴力を後輩に向けるだけのクズだったら、もはや免罪符もいらなかった。


 迷宮内なら倫理や常識で自分を押さえ込む必要がない。殺し殺される環境なればこそ、許される衝動もあった。

 そういったどこか頭のネジの外れた人間だから、迷宮の最奥を目指せるのだと思う。

 現実に身を置くより迷宮で過ごしていた方が心地よいとふと思ったら、それはもう現実に引き返せないとシグナルと考えていい。

 どっちかというと、こちらの方がPKを嬉々としてやるかもしれない。

 寿々木は向こうから攻撃してきてラッキーと思っていそうだ。

[陰キャメモ]

Q.妹か姉、望むならどっちがほしい?

A.陰キャ男子…可愛い妹が欲しい(巨乳でエロければなおよし)

A.陽キャ男子…えー、めんどくさいからいらないよ。(素)


(※個人的な意見に基づいて作成しております)

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