繊細な家族の話
二年に進級した僕らは、迷宮学校を自主退学することもなく灰色の青春を謳歌していた。
「時任と黛さんは留年したんだって」
「ああ、あのふたりずっとソロだったからなー。頭下げてチュートリアル手伝ってもらえば良かったのに」
「退学しないだけマシじゃない?」
「どっちもどっちだろww」
二年生に進級できなかったものたちにも事情はある。僕は素直に可哀想だなあと思った。しかし話したこともない連中の世話を焼くほど、自分に余裕があるとも思っていない。
あのパリピパーティは三人ともひと月もせずに退学していった。
高潔な思想も、揺らがぬ信念も求められないが、自力で迷宮へ挑むことができなくなったら去らねばならない。そういう場所なのだ、この迷宮高校は。
だからといって学生たちは、学業と迷宮だけに打ち込んでいるわけではない。部活動も推奨されているし、趣味人が集まる同好会もある。
迷宮に潜っているとレベルが上がり、身体能力が上昇してしまう関係で、運動系の部活動は公式戦には出られないという制約があるのだが、それでもやりたいものに制限はない。
昼休みの校庭で、少○サッカーみたいな異次元アクションでサッカーをやっている三年生がいたが、ボールを追いかけて空を飛びつつ、お互いの足を蹴り合って衝撃波が飛んでいる姿は見ていて笑えた。間に挟まったサッカーボールが風船のように破裂して消えるのだ。身体能力が異次元過ぎた。
入学時に探すように言われた選ばれし六人の戦士は、実は一年のゴールデンウィーク前には見つかってしまっていた。
『世界にたった六つしかない』の厳かな言葉に従って仲間を探し始めた当初の意気込みを返してもらいたい。
世界という言葉がやけにちっぽけに感じられたのはいい思い出だ。老婆はやはり入学生を狙って適当に手渡していた線が濃厚だった。
占いの内容に関しては信じてもいい気がするが、老婆が実は学校の関係者で、それも学校理事の母親だという話もある。
早河がどこからか入手してきて、これを真実とばかりに吹聴している。ぶっちゃけどっちでもいい。
この学校は私立校で理事の力が強いとはいえ、右も左もわからない新入生に何を吹き込んでいるんだという話ではある。しかして別に困ったことになっていないからいいとしよう。五千円の出費だけが痛かった。
一方で、高校生活スタートで親近感の湧く仲間を五人も得られたことは決して悪いことではなかった。
それぞれがチュートリアルの十階層を突破し、パーティを最大六人まで増やせることになった結果、マスクを持つ六人でパーティを組んだのは自然な成り行きだった。むしろそれを見越して老婆が六枚配った感はある。
一年の最後の方で、僕だけクラン――迷宮のクラブチームのようなものに勧誘されて、一時的にパーティを離脱していたが、二年に進級する頃にはまたこのパーティに戻っていた。
上級生から能力を買われて有名クランに所属したものの、やらされたことは雑用とパシリだったのだ。
僕は敏捷値がどのパラメータよりも抜きん出ているので、『疾風の名無』と呼ばれることになった。呼んだのは僕を勧誘した先輩が、僕を煽てるために発した一回きりだったが。
あの頃の自分を振り返ってみると、『疾風の名無』だったように思う。
体育会系の雰囲気も壮絶に肌に合わなかったこともさることながら、入ってみて気づいたのが、弱小クランを狙い撃ちにして所持品を奪い取る悪役クランとして有名だったことだ。
クランの中でも攻略組、強奪組、雑用組の縦割りとなっており、純粋な実力とクランを肥やす貢献によって上に引き上げられていたのだ。「それ893の世界じゃね?」と教えてくれたのは珍しく真顔になった早河だったか。
僕の中にそれほどの正義感があったわけではない。
だがやっていることは余所様の畑を荒らすような行為ばかりで、胸のムカつきが一向に取れなかった。
日に日に気分が悪くなっているところに寿々木が心配して相談に乗ってくれ、いろいろ吐露した結果に脱退を決意したのだ。
襲撃・略奪・殺害はどれも迷宮内であれば、実はペナルティになり得ない。しかし迷宮攻略の本来のあり方を見失って、PKを生業とするような度が過ぎた連中は遠からず学校側から制裁される。
風紀委員に泣きつけば手厚く助けてくれたのかもしれないが、僕の傍には選ばれしマスクマンたちがいた。
クラン内にマニュアルがあり、迷宮攻略とPKを絶妙なバランスで行い、教師たちから目を付けられないように工作していたのも気に入らなかった。
僕自身、迷宮探索をほのぼの楽しむスタンスだった。
実力を認められて勧誘されるなんていままでなかったことに心浮かれて入団してしまったが、これほど後先考えなかったことを後悔したことはない。
結果、大手であり古参のクラン『白蠍』に所属することは、学校生活でも一種のステータスだったが、なんの未練もなく足抜けすることとなった。
辞めて半年経ったいまでも、クランの連中と学内ですれ違えば嫌味を言われる。ひとりで歩いていると、小突かれたり後ろから蹴飛ばされたりで正直鬱陶しいが、ストレスに耐えて上級生にパシられるよりは百倍マシだ。
脱退リンチも、マスクの絆で結ばれた仲間によって回避、逃走することができて、僕は良い仲間を持てたことを心から誇りに思った。
いまではここが僕の居場所なんだと実感することができている。全員がマスクを被っていると、戦隊モノか銀行強盗前のような気分になるが、それでもまあ据わりがいい。
○○○○○○○○
学内での許可のない音楽・ダンス活動は禁止されている。
騒音や通行の妨げになるからダメ、という程度のものだが、校則は校則だ。
そんなに目くじらを立てるようなことではないと思っている教師も少なからずいるが、声高にやればいいじゃんと背中を押すようなグレートティーチャーもいない。
なぜなら学校自治に強い権限を持つ風紀委員が日夜取り締まっているから。
そしてその公務執行は、品行方正を求められる聖職者にまで適応されるから。
生徒の鑑足れと吊るし上げを喰らう教員もいるとかいないとか。
一応生活指導の教師が風紀委員の顧問をしているが、それは名ばかりで生徒による生徒のための自衛的対処がなされていた。いわゆる行き過ぎた制裁である。
生徒は震え上がった。
風紀委員の取り締まりは度が過ぎているから目を付けられるな、と先輩から後輩へまことしやかに語り継がれている。
この学校、悪人も多いが正義の人も相応に多い。己がどちら側に傾倒するかで、生活もまるっと変わるほどだ。
しかしやりすぎの制裁が是正されないのも、風紀委員の活動が迷宮に潜ってステータスの高くなった短絡的阿呆を抑え込む抑止力になっているからだ。
――調子に乗るのはいい。だが一線は超えるな。引き際を知らない馬鹿は眠った鬼を起こすぞ、と。
過ちを犯しやすい十代の若き精力は、こうして相互監視の下に抑制されているというわけだ。
教師陣が直接制圧しないからといって、彼ら大人たちが弱いわけではなかった。むしろ暇さえあれば迷宮に潜る教師もいるわけで、戦闘力の見地からいえば三年生を片手で捻る実力者たちだ。
生徒指導の虎牟田は、月に一回、欠かさずソロで潜り、踏破するまで出てこないというし、他にも担任を持つ教員は、月に二度は迷宮に潜ることが義務付けられているのだとか。
十年以上も迷宮でレベルアップし続けている一部の教師は、自他ともに学内最強である。卒業式のお礼参りは、それはそれは白熱するのだとか。三年が棒切れのように空を舞う姿は一種の風物詩だった。
風紀委員で手に負えない輩は最強の切り札がお相手するのだが、現状は風紀委員の手の届く範囲でことは収まっていた。
生徒指導の虎牟田に手を借りることは、風紀委員、引いては風紀委員長の実力不足を認めることとなり、歴代の風紀委員長でも恥のレッテルが貼られるらしい。
一般の生徒には至極どうでもいいプライドである。ゆえに風紀諸兄は、周りに舐められないために制裁が苛烈になるという負の悪循環。
しかしどこにでも権力を恐れない愚か者はいるものである。
風紀委員は目下のところ、危険人物というよりは迷惑行為の常習犯を取り締まっている。
全員が覆面を付けて、神出鬼没にどこでも許可なく踊る集団である。
学校に申請すればそれで事足りるのに、あえて風紀委員を挑発するための行為が、風紀委員のプライドをいたく傷つけた。
正義を背中に背負った彼らの出動を察知して、出現したときのように速やかに逃げ果せるのである。
歴代風紀委員長でも二人目となる女性風紀委員長である嵯峨崎純恋は、伸ばした手の隙間からするりと抜けていくこの愚か者たちをロックオンした。
必ず制裁を与える対象として。
〇〇〇〇〇〇
その選ばれし六人だが、昼食を食べるために学校に併設された食堂の隅の方で集まり、もぐもぐくちゃくちゃしていた。
メンツは揃いもそろって陰キャという有様。もちろん、僕を含めて。
顔面偏差値はギリギリ五十に届いている奴を最高峰に、隣の席に座ったら異性に嫌がられそうなタイプまで目白押しである。
異臭がするとかではなく、絡まれたら嫌だなと思われてそうな性格難が粒揃いだ。
クチャラーが標準装備なのは半数もいる。
「で、六人でクラン発足するわけだけど、自分がこれしかないってクラン名を考えてきたんだよww おいおい、おかげで寝不足だぜ! そうそう昨日の夜兄(深夜帯アニメの意)観たか? 夜の巡回は欠かせませんなあww CM込みでリアルタイムで観るべき。全裸待機も辞さないほどに神回だった。下乳と揺れの作画はヌケないわけがない。いや、ヌケる!」
「抜きすぎで寝不足ですか、わかります」
三つ隣の席で食べていた女子たちが汚いものを見る目をしていた。まるで気にせず熱く語るのは、早河聡である。あまりにうるさいので、彼女たちはお盆を持ってそそくさと離れていった。
それを横目で見ていた僕は、深夜アニメを観る前に周りも見てくれと言いたくなる。言っても聞く耳を持たないだろうが。
ハーフエルフで耳がチョイ長、色素の薄い白い肌にサラサラの明るい茶髪という陽キャ要素を持っているというのに、体型は樽である。顎には柔らかそうなお肉がたぷんとくっついて、口を開けば周囲を置いてけぼりにするような趣味全開のオタトークである。
顔の中央に集まったパーツたちは、中央のみトリミングした顔写真にするとキリッとしたイケメンに見えなくもないので、素材は悪くないのだ。
そうはいっても細身で中性的な美しさを醸し出す純正エルフとは素直に張り合えない。美デブと呼ぶにも笑い方に品がなく、クチャラーを直しもしない。
学内にも数少ない純粋培養エルフが何人か在籍しているが、彼らが早河を見る目は汚物を見る目と一緒である。エルフの面汚しとまで思っていそうだ。向こうから絡まれて、早河が焼却処分される日は近いかもしれない。
自分の人生を自分らしく生きており、周囲の空気に鈍感なところは羨ましい。
「脱線脱線。考えてきたクラン名をまず教えてからアニメ談議に入って」
「フハハ、その名も『いちばんだいしゅきなのはお兄ちゃんなんだからね!』であるww むしろそれしかないww」
「痛い痛い。ドヤってるハムさまの顔をまっすぐ見られない」
二重顎のお肉をぶよぶよと揺らしてハムさまこと早河がご飯粒を飛ばしながらクラン名を発表すれば、それに対する反応は様々だった。
ツッコミ六割、笑い四割である。誰も「いいね!」とは言わない。
仲間の反応に気を悪くすることもない。
我が身を振り返らない根明なタイプなのだ。
「タイトルが長すぎるのも昨今の流行にのったのかな。以前はひらがなで四文字とかだったのに。いまは『異世界転~』とか『悪役令嬢~』を付けるのがトレンドかもね。いや、わたしは嫌いじゃないけど」
正面に座る死体のような肌の筱原良太郎がぼそりとこぼし、一膳飯のように山盛りによそった茶碗を早河のご飯粒マシンガンからそっと遠ざけている。
痩せこけた手の甲は見るからに不健康だったが、これが種族特性なので問題ない。
白米以外は漬物や干魚が申し訳程度に小皿にお盆にのっているだけの小食でひょろっとした彼は、燃費がいいので三食も摂る必要がない。仲間との会話の席に着くために、飯を用意している節もある。
そんな筱原は、自前のフラスクボトルからくいっと煽る。中身は麦茶だ。食堂のピッチャーから注いでいるのはよく目撃されている。
ちなみにスキットルというと猛然と怒る。ハードボイルド系に憧れているのだ。
「他に異論がないのなら『しゅき兄』で決定だな!」
「本気で異論がないと思っていることがすごい」
土気色のドワーフ顔の田児が突っ込むが、彼に異論があるわけではない。とりあえずツッコミ体質なのだ。
何事にも口を挟みたがるが、いざ田児に意見を求めると途端にフリーズしてしまうのは周知である。
「異論と言えばちょっと違うかもしれないんだけど、俺から一言いい? だいしゅきって言ってるのは妹なの? 弟なの? それってすごく重要だと思うんだけど、これには異論はないよね?」
「うむ、満場一致で妹であるww」
「成る程。では俺も支持しよう」
「妹は正義」
腕を組んで頷く寿々木に、ぐっと節くれの親指を立てる筱原に、ハムさまも満足げににんまり。
妹がそんなにいいものだと思えないのだが、彼らの脳内では妹は二次元に生きている存在で、兄には無条件で奉仕してくれるものと刷り込まれている。
うん。二次元に生きているとか日本語がおかしいけど、確かに二次元の妹は可愛い。
屁も放かないし、ゴキブリを見るような目で見てくることもない。
兄を臭いとか詰らないし、洗濯物を一緒にすることを嫌がったりしない。
異論を挟む余地がないほど虹妹(二次元の妹の意)は神だった。
特にクラン名にこだわりがない僕も、呼ばれる際にちょっとした恥ずかしさがあるが、否定するほどのものはない。
どうせぱっと思い浮かぶものは、どれも二次元の名称なのだ。
『†暗黒の騎士†』と同レベルなら、『しゅき兄』でも変わらない。
『聖樹の杖』とか『白蠍』といった受けのいい名前のクランもあるが、『ビック棍棒』や『愛の巣』などのぶっ飛んだクランも存在する。
よほど悪イメージでないかぎり、学校側も右から左で申請を受理してくれる。
と思っていたところで、ブーン、と腿の当たりで振動があった。
「あ、ごめん。電話。僕はクラン名それでいいので、あとよろしく」
「おう」
部長の寿々木が片手を上げて了承する。
早河と筱原に乗っかって、田児も妹の良さを語り合っていた。
もうひとりのメンバーの伊東は、手首を耳の横でくるくる回してダンスの練習に余念がないので、無投票だろう。
部長はあえて対抗するとも思えないので、ふざけた名前のクラン名で決まりそうだ。
たった六人のパーティだが、クラン申請は可能だった。『愛の巣』はたったふたりで申請して、実力があるので受理されているという前例もある。
「はい、もしもし」
『あ、零士? 急に電話しちゃってごめんねえ。ちょっと急ぎで伝えなきゃならないことがあってさあ』
電話越しの明るい声はよく知ったものだった。
電話帳に登録された数少ない人物の中でも、連絡の頻度は多めの母親である。寮暮らしになって家に誰もいなくなって、寂しい思いをしているのだろう。
『華子には前から言っといたんだけどさあ、さっきメールしたらあの子あんたに伝えてないって言うからさ。一緒の学校に通ってて話さないとかバカよねえ。ちょっとは仲良くしなさいよってのよ』
「なんの話? もしかして病気?」
『あはは! 違う違う。私ピンピンしてるわよぉ』
「そうみたいね」
話し好きなおばちゃんなのだ、うちの母親は。
若干の鬱陶しさがある反面、過去に色々あって苦労性の母をないがしろにはできない。二児のシングルマザーとして幼い頃から育ててもらった恩は感じている。
『私再婚することになったのよぉ』
「え? 再婚? マジ?」
思わず周りをチラっと見てしまった。
学食の隅は周りがざわざわと騒がしいこともあって目立たないが、近くに座るソロ生徒にはどうしても声が聞こえてしまう。
『こんな大事な話なのにお兄ちゃんに伝えないなんて、あの子ほんとバカ』
「あいつとはこっちに入ってからも、一度も会話してないよ」
『なんでそこまで仲悪くなっちゃったのかねえ』
「男を取っ替え引っ替えするビッチだからじゃないでしょうか」
『あの子も私とおんなじで男見る目ないからねえ。あっはっは!』
笑い事? と思わなくもないが、辛い思い話も笑い飛ばす剛毅な母だった。
悪い男に引っかかって苦労したことを軽く笑い飛ばしてしまうのだ。そこで自分たちが産まれたので、こっちは笑えない。
ウチのメンバーだと、早河と気が合いそうだなと思う。
いや、そもそも再婚相手は大丈夫だろうか?
堅気じゃないひとに熱を上げられるのは困る。
僕と妹は迷宮学校で寮暮らしだから、すぐさま助けにいけないのだ。
『相手はねえ、なんとエルフ族だって! お高くとまってないエルフなんて珍しいわよね。しかもね、超イケメン」
若気が過ぎるよママン。
ちょっと手をつけられて、鼻紙のように捨てられないか心配だ。
そうやって二児のシングルマザーになったと話していたじゃないか。
性体験に興味がありつつも、身内の奔放で赤裸々な話を頭の中で処理できなかった中学時代に、しばらく母親の顔を直視できなかったことを僕は忘れていない。
いまは親子の仲を保てているが、多感な時期を察してくれマイマザー。
「あの人もバツイチでね、子どもがふたりいるんだって。引き取ったのはひとりらしいけど、なんとあなたのとこの生徒さん! こんな偶然ってあるのかしら? 私すっかり運命を感じちゃって』
「それが男を見る目がない理由じゃないでしょうか」
『そうかも。あっはっはっはっは!』
笑い飛ばされてしまった。割と笑いごとではない。
『そのうち向こうの娘さんからご挨拶があるかもしれないから、行儀良くするのよ。あんたが欲しがってたお姉さんだって』
「姉が欲しいなんて一言も言ってないよ。クソビッチな妹はいらないですって話だよ」
拡大解釈が過ぎる。
妹いらない→姉欲しいになぜ受け止められるのか。思考回路がちょっとおかしいのだ。人の話をまともに聞かないところも剛毅な母らしかった。
きっと再婚相手との馴れ初めを聞いたら、顔を覆って聞かなきゃよかったと後悔するに違いない。
『じゃあ、私これから新婚旅行だから。結婚式は略式で挙げちゃったし、戻ってきたら顔合わせをしましょうね。それだと暮れには帰ってくるわよね? そのときにでも」
「順番が間違ってるよお母様……」
『じゃあねえ、声が聞けてよかったわ』
「ちょっと待って! 苗字とかどうなんの? いや、結婚を全面的に認めたわけじゃないけど」
『卒業まではそのまま名無でOKよ。今の世の中、別姓なんて珍しくないんだから』
「まあ、そういう法律ならいいんですけど」
『声が聞けてよかったわ。本当は毎月顔が見たいけど、あなたたち性格は似てないくせに面倒くさがりなところは同じだからやんなっちゃう』
「反面教師って知ってますか、お母さま」
『あの人お金持ちだから、私玉の輿よ。うはは!』
嫌な笑い方とともに切られた。
人の話を聞きやしない。肩にどっと疲れがのって、しばらく立ち尽くしてしまった。
再婚を応援する気持ちがないわけではない。仕事をして、家事もして、ふたりのガキを文句も言わずに育てた母の苦労は身に染みてわかっている。それでも家族の仲を暗くはすまいと、いつも明るく笑っていた母のおかげでここまで成長できた。
ところで再婚相手がエルフと聞いて、島国育ちの小国庶民を小馬鹿にする大陸出身の上級市民のイメージが強すぎて、母が酷い扱いをされるのではないかと気が気ではない。
早河のような気さくなハーフエルフはいいのだが、純正のエルフはかなりプライドの塊らしいから。
学内でときどき見かけるエルフも、取り巻きをぞろっと連れていた。すれ違うときにこっちが端に寄らなきゃいけないのに、それが当たり前だと思っている態度が気分悪かったのだ。
母の話口調からは、そういった負の感情は一切感じなかった。むしろ新婚旅行に舞い上がっているだけの幸せオーラを電話越しにひしひしと感じたが、それが表向きの顔だという可能性もなくはないのだ。
いや、ないか。裏表のないところが母の長所だから。
もし相手に何かしらの裏の顔が合って母を騙そうとしても、そういう悪意には敏感だからな。
悪人とも善人ともつかないクズ男をなぜか選んでしまうだけで。
結婚する前に顔合わせをしてくれよと頭痛がしたが、後の祭りである。
この学校に在籍しているという再婚相手の連れ子と、これからうまくやっていくことを考えると難題だった。
名前も教えてもらってないことに今更気づく。
そもそもが、僕は人見知りなのだ。
姉と言っていたが、父親がエルフと言うことは姉となる人物の特徴はエルフとは限らない。女性の方の種族に引っ張られることが大多数だからだ。ヒト族とエルフ族なら、ハーフエルフになったりもするが。
その相手の人となりで再婚相手のエルフパパの様子も想像できるだろうか?
双子の妹のような性格だったら正直なところ鬱だし、気の強いお嬢様タイプだと絶対に気が休まらない。逆に根明で裏表がなくて仲良くなれそうなら、それだけで人生に彩りが生まれて嬉しいのだが……。
奇跡は信じない。
現実とは常に非情なものだからだ。
世界に六つしかないレアアイテムの持ち主が、男子寮の一年生フロアで揃ってしまうくらい人生とはふざけている。
高校男子の妄想を凝り固めたようなご都合主義な展開が叶うはずもない。
一分くらい立ち呆けていたが、我に返って仲間の元に戻る。
席には部長の寿々木と、ハムさまこと早河、それと田児がいなかった。
「ただいまー」
「おかえり。電話は誰だったの? 君が電話してるところなんて初めて見たんじゃないかな。勧誘か恐喝?」
「身内だよ失礼な。その節はどうもお世話になりました!」
電話にひっきりなしに『白蠍』のクランから呼び出し電話が掛かってきてノイローゼになっていた頃のことは、もう思い出したくない。
いまでも電話が鳴るとちょっとビビるのだ。
筱原はちみちみとご飯粒を口に運んでおり、残りは四分の一ほどになっていた。他の面子はすでに食べ終わっている。
「三人はもう教室?」
「昼休み中にクランの申請書を提出するんだと、さっさと行ってしまったよ。名前が被ったら申請が却下されるから急ぐんだと」
「ハム氏より頭のネジがぶっとんだ人間はいない件」
「おかしな名前のクランはいくつもあるから、可能性がないわけでもないさ。人生何があるかわからないものだ。被るとは思っていないけどね」
げっそりした老人がゆっくりとご飯粒を口に運ぶような筱原とやり取りをしつつ、食べかけの昼食を片付けにかかる。
無口というか、自分の世界に入り込んでいる伊東は、筱原の隣でリズムを取りながら、首をくいくいっと鳩のように動かしていた。
ダンサーとしての血がいっときも休むことを許さないのか、通常運転の様子である。
「そう言えばちょっと聞いてよ。親が再婚した」
「はぁ? それは……おめでとう? なのかな」
「ありがとう? なのかな。あと年上の連れ子がいるとか」
「いきなり兄弟が増えるなんて気まずさしかないね。おめでとう。できれば甲斐甲斐しい妹がほしいところ」
筱原に希望なんて聞いてない。『しゅき兄』になって妹ができたら、仲間たちからのバッシングは想像を絶するものになるだろう。早河は血の涙を流して叩いてきそうだ。
僕としてはまさに寝耳に水で、何にも嬉しいことなどない。心の準備もできないし、受け入れる度量がそもそもない。
こういう不測の事態を喜べない事なかれ主義なところが、小心者と呼ばれる所以かもしれない。
先の見えない穴に笑って飛び込むように、思いっきり楽しんだ方が人生は彩り豊かなのはわかっているのだ。迷宮高校など、まさにその夢が形になったようなものだし。
早河を筆頭に、頭のネジがどこか外れている仲間は、頼もしいとともに少しだけ危うい。どこまでも突っ走ってしまうから、誰かがストッパーにならなければならない。筱原など仙人のような落ち着き具合なので、パーティの顧問担当である。帳簿もつけるので経理でもある。座ったまま即身仏になっていそうだけど。
いざ日常から外れたイベントが舞い込むと、途端に消極的になってしまうところが自分にはある。楽しむときは楽しむんだけどね。要するにただのビビりだった。
「ちょっといいだろうか」
座って食事を再開したところで、後ろから凜とした女子の声がかかる。
正面に座っていた伊東が珍しく動きをピタリと止め、つぶらな瞳をすっと逸らした。
異性の顔を正面から見られない多感な時期なのでしょうがないが、筱原まで首を竦めて目を合わせないようにしているとはどういうことだろう。
「この中に名無零士くんはいるかな。後輩からこのグループにいるって聞いたのだけれど」
「あ、これです」
筱原が目線を泳がせながらあっさりとゲロする。
理由云々をまず聞けよと言いたい。
尋問されたらあっさりと身内の事情をバラすタイプなので、今後大事なことは筱原に言わないことにしよう。
「僕が名無ですけど……」
「ああ、君が零士くんか。私は嵯峨崎純恋という」
振り返って顔を見ると、少し頬を上気させた美人さんが立っていた。
制服が自由な校風の中できっちりした人なのだろう、グレーのスクールカーディガンにワインレッドのリボンをきゅっと結んでいる。
胸元の盛り上がりはそこそこだったが、肩幅はしっかりとしておりモデル体型というよりは体育会系。
しかしごついという印象はまったくなく、彼女が微笑むだけでなんだか周囲が安心しそうな頼りがいのある雰囲気だ。
眉がキリッとしており力強い。物怖じしない自信に満ちた瞳の強さが同性受けしそう。
一方で陰キャ陣営はというと、異性オーラに耐性皆無の筱原は、もはや無関係を装って食事を口に運ぶだけのロボットと化している。
伊東は思い出したように肩を上下させたり首を動かしたりしているが、いつもよりテンポが速くキビキビとした動きなので、たぶん緊張している。
いや、わかってる。相手は風紀委員長だ。
僕もまた顔が強張っているはずだ。
「えええ、えっと、なにか用でしょうか?」
「話は聞いてないだろうか?」
逆に聞き返され、返事ができないでいると、だんだんと眉根を寄せられてしまう。
罪を自分の口から自白しろというのか。
そうです、覆面被ってゲリラダンス踊っています。
いやいや、そういうことではない、はず。
周りに取り巻きの風紀委員はおらず、彼女ひとりだけで話しかけてきているということは、あくまで彼女と僕の間に何かあるというプライベートな要件だということだ。
胸に手を当ててみたところで、一応初めて話した初対面の彼女に心当たりはない。
こっちは諸事情により知りすぎるほど知っているが、向こうからしたらイチ下級生でしかない。
スッと明るい茶髪を掻き上げる仕草が理知的だった。目元に泣きぼくろがあって、一瞬にしてセクシーさが増した。
ほくろなんてと思っていた時期が僕にもありました。なんなら伊東の右ケツには三点ぼくろがついていて顔に見えるのを笑ったことがあるが、ほくろひとつでここまで女性らしさがグッと増すとは思わなかった。
彼女の明るい茶髪は地毛なのだろう。ときどき髪が赤や青などショッキングな地毛もいるから、むしろおとなしめな印象を受ける。
それよりも少し伸びた耳に目が行く。
耳に特徴のある種族はいろいろいるが、耳が上向いてピンと長くとんがっているのはエルフ族くらいである。
「もしかして……」
「ああ」
思い至ったような顔をすると、途端にちょっと嬉しそうになった。
表情がころころと変わる陽キャさんのようだ。
「もうクランは決めているので……」
「勧誘じゃない! それにうちは女性限定だから男子の勧誘はしない」
もどかしそうにプンスカする美人さん。
女性オンリーの大手クランというと、まず上がるのが『戦乙女隊』。
人数過多で三軍まであって、最上級の『冠姫』から、中堅の『騎士槍』、新人の『靴』まである。
入部条件も厳しいらしく、独自の基準があるとかないとか。
厳選されても五十名弱の大所帯で活動していたはずだ。
ひとつのクランで五十人は多過ぎである。
そうなるとさらに声を掛けてきた理由がわからないが……。
もはや答えがわからず、両手をすっと頭より高く掲げる。
「無実です。本当なんです」
「風紀委員として活動をしにきたわけではないんだ……」
頭痛を堪えるように眉間を押さえ、悩ましげな顔になる美人さん。
なんだよびっくりさせるなよと言いたげに安堵の息を吐く友人たちよ、すねに傷を持っているのがバレバレである。
まず誰でも目に行く腕章がすべてを物語っていた。
風紀委員会と金字で刺繍された腕章は、何を血迷ったか学内自治に三年という短い青春をすべて捧げた狂信者の集まりである証だ。
自由な校風ゆえに『生徒会』傘下の自治組織がかなり力を持っており、『委員会』は独自の裁量権を持つのだ。
「なにそれ怖い」と思ったものだが、『生徒会』以下悪用しない限りは学校生活がうまく回るのもまた事実。
その中でも『風紀委員会』は割とグレーゾーンとして知られる組織で、文武両道、成績優秀、恋愛禁止の時代錯誤な看板を掲げた連中が悪道滅殺の信念を胸に、日夜不良を狩って狩って狩りまくるというありさまである。噂でなく、事実なのが怖い。
彼らに目をつけられたが最後、学校生活は監獄と化す。
懲罰房が実際にあるのは笑えないところ。
それでもやんちゃするものがいなくならないのは、おかしなもので抑圧からの反抗なのか、はたまた若さゆえの暴走なのか。
厳しく取り締まられれば、さらに深い闇で活動を続けるものたちが生まれてしまうのは自然な成り行きなのか。イタチごっこはいつまでも尽きない。
学内のアングラなネットワークは簡単には潰されず、そのネットワークを利用してエッチな動画を入手した青二才としましては、風紀委員会は警察組織にしか見えない不思議。
「ふぅ……君たちが風紀委員会を恐れているのはわかった。仕事中に顔を合わせないことを祈るよ」
「じゃあ本当になんの用件なんですか?」
もうこの際だ聞いてしまえと開き直ったところで、予鈴が鳴った。
次の授業まで五分の通告である。
「もう時間がないようだ。今日の放課後には予定はあるかな?」
「ダンジョンダイブするつもりではいますが」
「では、十七時頃に聖堂前で待っているから、帰らずにいてくれよ」
「えー」
聖堂とはダンジョンの入り口がある建物の別称である。
それぞれドームだのダンジョンだの呼んでいる。
ダンジョンは絶対に清いものではないので、呼ぶなら魔窟だろうなとも思う。
「返事は?」
「イエス、マム」
「君の上司ではないが、いい返事だ。それではな。授業に遅れるなよ」
にこりと微笑み、颯爽と去って行く美人さん。
彼女の後ろ姿を見ると、全体的に腕もふくらはぎも細身だが、腰回りが女性らしく括れている。
なのにお尻と太ももは男好きしそうなむっちり感。
パンツルックになっていれば、ぱつぱつのパンティーラインが浮かび上がりそう。
僕以外にも仲間たちが純恋さんの尻を追っていたが、咎めるのも野暮であろう。
目と目が合わせられなくても、横乳や尻をチラ見してしまうのは思春期の性である。
「いいケツだ」
今日初めて伊東が言葉を発したが、激しく同意なのでとりあえず頷いておいた。
当人に声が聞こえないのを見計らって言うあたり、クズだよなあと思わなくもない。
[陰キャメモ]
クラスの女子とちょっと会話したときの男子。
陰キャ男子→あの子俺に好意あるんじゃね?と思う。いやあ、そんなことないわと思いつつも、わずかに期待してしまう。
陽キャ男子→好意とか全く考えない。自分が特別な好意を持ってないから。