悪徳大人と高校生の差
ホールから先の通路は、すべて剥き出しの岩肌だった。
ごつごつと凹凸があって、自然の鍾乳洞っぽい。足場は土が敷かれて、ある程度整備されているのが救いか。
ひとつのコースは、通路をすべて塞ぐように、天井から端っこまですべて金網が張られていた。
一部通行できるようにドアが設けてあったが、ぐるぐる巻きに鎖と南京錠が掛かっている徹底ぶりだ。
ステータスの筋力値がある程度伸びると、鉄製の鎖なんかは紙と同じくらい呆気なく引き千切れたりするから、これは一般人を出さないようにするためのものだろうか。
その金網の向こうは一段低くなっていて、落とし穴のような底に何やらもぞもぞ動いていた。
「スライムだ!」
「初めて見た」
寿々木が驚きと、そして嬉しそうな声を滲ませて、金網に張り付いている。
いつの間にか田児も隣にいて、おまえら他の通路を探すんじゃないんかい。
スライムと言えば、昨今はダンジョンの代名詞と呼ばれるモンスターだが、学校にはスライムが出てくるエリアはない。
その他有数の迷宮などでは、骨まで溶かす危険種から、布製品のみを好んで溶かし生物の肉に興味を示さない十八禁種まで様々確認されている。
「え? 胸熱なんですけど。ここが俺の最終目標だったのか」
「ウチの妹も助けてやって!」
「さて、どんなスライムか調べてみますか。スライム、それは青少年の夢のひとつの終着点だよねー」
「ちょっと聞いて!」
寿々木はアイテムボックスからゴミとも素材ともつかないものをぽいぽい投げ入れ、反応をつぶさに観察していた。
そしてこっちの話も耳に入っていないのか、ふむふむと頷きながら手帳にメモっている。
「なになにー? なんかわかったー?」と田児が覗き込むのも気づかず寿々木は黙々と観察している。狂気的なまでの集中力が寿々木の原動力だと思う。
しょうがないのでこちらは寿々木に任せ、その間に残りのふたつの通路をいくつか調べる。
すぐに行き止まりになり、小部屋のようになっている通路がひとつ。こちらは工房のようで、岩肌に棚を作って所狭しとファイルや木箱が詰め込まれている。
長テーブルには実験器具がピカピカで並べられ、半分は理科室といった装いだ。
これを作ったやつは神経質だなー、とひと目でわかる几帳面な整頓ぶりだ。
「え、これ……」
たまたま壁際の作業台に置かれていた箱を見て、目を丸くする。
中に入っていたのはソフトボール大の魔道具だった。
『カプセルボール』と呼ばれる魔物捕獲道具だ。捕まえた後、自動的に洗脳されて手駒になるわけではなく、捕まえた状態と同じ、もしくは自由を束縛されて、いくらかヘイトを買っているというのがポケットなモンスターとの違いだろうか。
魔道具として開発を進められているアイテムで、自動洗脳の方法も模索されているんだとか。
そんな貴重なアイテムがまるで量産されているかのように箱に詰められている。手に持ってみるとひんやりしているが触り心地はよい。角を丸くした手のひら大で、重さも見た目どおりというか、下手なボールよりは重いか。センターにぐるりと一周切れ込みがあって、これをぶつけると開いて中に魔物を吸い込み捕獲するはずだ。ただのパチモンの可能性も往々にしてあった。魔道具としての機能があるかは外見から判断できないから、実際にお宝の山なのかはわからない。
しかし、まあ、妹を無理やり拉致していく連中ですからねえ。
〈アイテムボックス〉に入るだけ、なんならひとつも残さず、重要っぽい書類もまとめて分捕っていく。
奪われるものの痛みを知れ! と内心で悪態を吐いてみたり。
研究室っぽい部屋の探索を終えて、いくつか通路が伸びた大部屋へ。
残すは曲がりくねって先の見通せない通路。
妹が閉じ込められているとしたら、もうここしかない。
残りの金網の道はスライムホイホイの溝があるだけで、向こうへ渡る橋はない。ひとっ飛びできる距離でもないし、まさかスライムの海にダイブするわけにもいかない。無限湧きするスライムはひとまず放置だ。寿々木が満足するまでだが。
明らかにスライムを寄せ付けないための措置が施されているわけだから、ここはつまり、スライムオンリーの野良迷宮ということだ。迷宮核はきっと金網の向こうに存在するのだろう。
「よっしよっし!」
金網の鍵を壊されており、寿々木が穴から這い出てくるところだった。
立ち上がった寿々木がガッツポーズをしている。
「何か見つかった?」
「レアスライムがカード化してサードジョブの条件を達成したんだって」
金網に張り付いてなぜだかデッサンを始めていた田児が答えてくる。下書きの鉛筆線を覗き込むと、スライムの描写を念入りにしていた。服だけ溶かすスライムと女冒険者の話なら読みたいが、最近の傾向から行くと男のお尻に流し込む話とかになりそうで勘弁してほしい。女体エロに輝いていた田吾作大先生は死んだ。
「ついに念願の《魔札師》サードVer.になったぞ! しかも布だけ溶かす十八禁種スライム(レア)を手に入れて条件クリアだ! 我が魔札に一片の悔いなし! デュエル、スタンバイィィィ!」
「寿々木くん、テンション上がりすぎてバトル漫画のノリになってるよ」
「いいからおまえら、ここが敵地だって理解してくれよもう。声落とせって」
白ローパーといい、エロスライムといい、ウチの寿々木さんは十八禁魔物ばかり揃えて、いずれノクターンへ行ってしまうのだろうか。
もっと心配なのは、えぐい方で規制が入るかもしれないことだ。
何かの拍子に「人を繋げてム○デ人間作りたい」とか、「人体錬成ってできると思う?」とか言い出さないことを切に願おう。
「ああ、黒スライムも手に入ったから、これを使って『やのつくお友達』を炙り出すこともできるけど?」
「黒スライムって?」
「人間溶かすスライム」
「そっちが本命じゃん。もうやだ、この人たち……」
使命感とはとんと無縁の仲間たちである。
方向性の違いで解散しないことを願うしかない。さっきから祈願ばかりだ。
寿々木が黒スライムを〈顕現〉させて索敵を命じると、粘性生物は使命感を帯びたように一点を目指して進んでいく。まだ探していない通路の方だ。
どうやら金網の向こうには捕食対象はいないみたいだ。曲がりくねった通路へとうぞうぞ進んでいく。こっちに妹が監禁されている可能性が高まった。
命令を聞く魔物は優秀だ。カプセルボールで捕まえただけではこうはならないだろう。寿々木のカード化のスキルは、倒した魔物を直接配下にしているわけではなく、魔物の情報が記憶されたカードを、スキルによって復元しているとのことだ。
寿々木が呼び出した魔物にはパーティを組んでいる仲間効果も影響するようで、寿々木の魔物から敵と判断されない。それは学校の外でも通じるルールだった。
「ところで寿々木さん、ひとつ質問あるんだけど」
「なにかね、坊や」
「パーティに入ってないウチの妹って、襲われる対象から外れんの?」
「んにゃ、スライムに高度な知能ないから一緒に溶かされると思われ」
「このボケがァァ」
殴りたい、この部長。とりあえず金網を殴った。
運悪く妹の足が溶かされていたら、負ぶって逃げるしかなかった。生きてさえいれば人体再生も不可能ではないが、助けに来た連中から足を溶かされる妹の心中よ。命があればなんとかなるからと寿々木も楽天的に考えているのだろうが、別の意味で恨まれるのは間違いないだろう。しかしまあ、生きて助け出せれば、それも笑い話か。
黒スライムがまるごと溶かしたら、それはもう笑えない。
「人質殺して任務達成しないから!」
「こちとらネゴシエーションする気はないんだけど? アパートの激戦見たでしょ。お外で大刀振り回すようなキ〇ガイ相手にお話通じると思わないことだよ。度肝を抜くことやって不意を突かないと」
確かに、とちょっと納得してしまった。いやいや、だからって人質の足を溶かして助ける方法はない。
「いや……僕らの格好も大概だし、誰だってびっくりすると思うけど?」
戦隊モノの覆面をしたジャージ集団がヤ〇ザの拠点にカチコミである。
僕なんかはさっきまで背中に天使の羽根と、股間に白鳥がいたのだ。
ヤ〇ザでなくても不意を突くのは間違いない。身バレしないためとはいえ、発想がぶっ飛んでいる自覚はある。
それもこれも妹を助け出すためだ。
ついでに敵組織は出来る限り潰しておきたい気持ちもある。
JK拉致する連中を世の中にのさばらせておくことは、百害あって一利もない。
だけど僕らはまだ実力が足りない。
僕たちに翼はなく、白鳥の首だってさっき叩き斬られたもの。
覆面を脱げば僕らは迷宮高校の二年生で、三年トップクラスの攻略組と比べて、胸を借りれば善戦できるかなくらいの実力。
大人たちにしてみれば、簡単に捻り潰すことのできる相手。
奇襲することでなんとかアパートの連中は潰せたが、こちらは大事な戦力がふたりも欠けた。
向こうに何人残っているかもわからないのに、これ以上の無茶はできない。
実力を弁えた上で、まずは敵戦力の把握からしなければならない。
無理そうなら避けて、妹だけ奪還するのが第一目標だ。
相手が油断している間しか、勝てる見込みはないのだ。
まずは先遣隊とばかりに、肉を溶かすブラックスライムが、小さな子どもが歩くくらいのペースでうぞうぞと進んでいた。
亀の歩みほどに遅くはないが、敏捷な兎ほど速いわけでもない。
蛇行し下に向かって傾斜のある道なので、水気のある粘性生物は、重力に従って流れ落ちているようにも見えた。
「人質を溶かそうとしても呼び戻せるんだから、それほど気にしなくてもいいと思うけどね」
「万が一って言葉がありましてね? 足の先っちょだけでも禍根を残すんでね?」
「こんな状況で完璧な結果を求めるだけ無駄だと思うよ。大事なのはどうリカバリーするかさ」
「そんなホクホク顔でも言われても……」
寿々木の顔は、いまや異世界お〇さん並みの気持ち悪い笑みが張り付いていた。
というかマスクをしてください。いつの間に外したのか、ずっとにこやかな笑みが張り付いててキモイ。
「あなたたち、人の庭でおしゃべりし過ぎですよ」
警戒はしていたが、ふざけていたのも事実。しかし誓ってもいいが、その声が聞こえるまで自分たち以外の気配はなかった。
「はっ……ごぼっ、ごぼぼぼぼっ!」
田児が突然呻き出したと思ったら、頭に水のヘルメットを被って、外そうと頭を振り乱し悶え苦しんでいた。
「なにぃぃぃ―――! ホントなにぃぃぃぃ???」
理由はわからないがどうみてもこれは攻撃である。スライムならもっと粘液感があるが、透明な水は苦しむ田児を透かして球体を維持しながら、表面だけ波打っている。
そして一呼吸置く間もなく、突然僕の視界も歪み、吸い込んだ勢いで水を呑み込んだ。
水気のない場所でなんで水!? と焦って息ができなくなる感覚に一瞬パニクったが、そこは何度も死に戻りした経験が非常事態にも冷静に対処してくれる。スン……と心を鎮め、身を屈めてとにかくダッシュ! である。
目の前にちょうど寿々木と田児がいて、タックルかますように一緒になって地面を盛大に転がる。
遅れてパシャンと水の弾ける音が聞こえ、呼吸もできるようになっている。
「お、おぅぇ!」
「―――――――!」
寿々木が飲んでしまった水を吐いている横で、マスクが水を吸ってしまいぴったり張り付いて呼吸ができずにもがいているのが僕だ。田児もひーひーと死にかけていたので、無我夢中で二人分のマスクを引き剥がして地面に叩きつけ、全身で酸素を求めた。
僕らならここで顔を見合わせ笑い合うところだが、大人たちは冷徹に僕らを殺しにきた。
「ぐっ、ぅ!」
脇腹が急に熱くなったので見下ろすと、ナイフを突き立てられているところだった。
「くく、毒塗りの味はどうです?」
いつの間に現れたのか、眼鏡を押し上げる、オールバックのヒョロスーツ。黒縁のスクエアレンズの奥で、目がグリグリとあらぬ方に動いているのが気味悪い。
「あがあああ!」
寿々木の悲鳴。見れば、地面に押さえつけられ、腕を決められていた。そして助けに行く間もなく、ぼきりと嫌な音を聞かされた。
「あうううぅぅぅぅ!!! いたぁぁぁぁぁい!!!」
黒スライムを顔にぶつけられて、肉が焼ける田児。あれは寿々木が偵察に向かわせた黒スライムだろう。
「まっとうな人間が近寄らないところに土足で入ってきておいて、ピクニック気分とはどこまで危機意識が薄いのでしょうねえ」
「確かにぃぃぃ!!」
脇腹にサバイバルナイフが刺さったまま蹴り飛ばされ、顔が土まみれになる。
敗因はうるさ過ぎたことか。敵地で何やってんのって話だ。
「ガキ三人が侵入ですか? 外は何をやってるんでしょうねえ?」
カチャリとナナフシのような中指で眼鏡を押し上げる。地を這う虫を見るような神経質そうな目で僕らを見下ろしている。
「んん? 額に角? ふふ、まさかね。ゴブリン種ですかね?」
「んぎぃぃぃぃ!」
まさか幻獣種と呼ばれる珍種が双子で、片割れが妹を連れ戻しにきたとは思うまい。しかしJKを拉致して高校生が取り返しにくれば、まったく無関係とは思わないだろう。
僕らはまだ子どもで、だから急に首を掻き切られることもなかった。いや、子どもなら売り飛ばせるとでも思ったのかもしれない。田児の顔を黒スライムで焼く必要があったのかは疑問だが、生かされていることには意味がある。
だからこそ僕らに付け入る隙はそこにしかない。油断できないと思われれば、きっとあっさり殺されるから。
歯を食い縛って僕は叫ぶ。
「ものどもぉぉぉ! 反撃じゃあああああ!」
「うおおぉっ! ぉおぉぉっ!」
「うほぉぉっおぉぉっ!!」
脇腹に刺さったナイフを抜き去り、インテリ眼鏡の太ももに突き刺す。
寿々木は《調教師》のジョブで飼い慣らしたブラッドオークを召喚し、背中に乗った筋肉達磨に殴りかからせ、奥にいた水魔術師にはデスマンティスを呼び出しけしかけた。
顔を焼かれた田児だったが、両手をどけるとその顔がぺろりと剥けて、元のつぶらな瞳が現れる。寿々木は利き腕をプラプラさせながら立ち上がるが、その顔に焦りはない。むしろ無表情で凄みのようなものを滲ませていた。背後にジャーンとオノマトペが浮き出しそうな凄みであった。アニメなら色が反転して敵を追い詰めるシーンである。
ブラッドオークが畳みかけるように肉弾戦を仕掛け、プロレスラーのような半裸の筋肉を圧倒する。デスマンティスは水魔術師の作る水壁や水分身を切り裂き、一歩ずつ詰め寄っている。
太ももにナイフが刺さったインテリ眼鏡はいら立ったようにナイフを抜き、溶けるように姿を消した。床に血の跡が点々と生まれ、それは洞窟の奥へと続いていた。
僕は《一角獣》の特性上、毒系統のステータス以上をすべて無効化するため、刺された怪我さえ回復薬でなんとかすれば、特に問題はない。チートじみたこの種族特性を狙って、妹は拉致されたと思われる。
「魔術師が逃げようとしてる!」
「わかってるけど、オレ腕折られてるし」
「ボクも顔が焼かれて力が出ない……」
「それはパンパンパンなヒーローの言い訳やで。おまドワーフじゃん」
デスマンティスは分身と本体の見分けがつかないようで、隠れるように魔術師の方が遠ざかっている。
筋肉レスラーのほうは、ブラッドオークの赤黒い拳を耐えていて、一歩も引きさがる様子はない。かと思ったら、咆哮、ブラッドオークの拳を殴り飛ばした。ぐじゃぐじゃになったのはオークの拳の方。よろけたオークの腹へ肉弾戦車のように突進したレスラーは、その拳が反対側に突き抜けるほどのパワーでもって殴り合いを制した。
魔術師が反撃に出た。デスマンティスの顔を水泡で覆ったのだ。カマを振り回して暴れるが、ボコボコと空気の泡が弾けるだけで覆いは取れない。さらにふわふわとデスマンティスの周囲に水泡が浮き、一斉に超高圧縮された水レーザーが昆虫の節々をバラバラに切断する。
寿々木の召喚獣は生命活動が瀕死になったために溶けるように消えた。完全に死亡すると、魔札化した魔物と違い、二度と召喚できなくなるのが召喚獣だった。
寿々木の持つ二種類の魔物の違いは、魔札化した魔物は消滅することはないが魔札化した状態から成長せず、召喚獣は召喚士とともに経験値を経て強くなるが、死亡した場合は消滅してしまうので、どちらを選ぶかは一長一短だ。
「動くんじゃありませんよ。助け出しに来たんでしょう? ならばわかりますね?」
奥から猿轡に後ろ手を拘束した状態の妹が引っ立てられてきた。首輪を付けられ、縄で引っ張られている。恰好がメイド服なのは、学祭の衣装そのままだと思われる。髪もボサボサ、顔はぐしゃぐしゃで濃いメイクが涙で流れて黒い筋になっていた。カメレオン眼鏡はイライラしているのか、撫でつけた髪が少し崩れている。
「最悪ですよ、高校生にここを突き止められるとはねぇ。ここも放棄して、知ってしまったものは二度と喋られないようにしなくてはならなくなりました。ああ、面倒臭い、本当に面倒臭い」
息を吹き返したレスラーと魔術師が僕らを追い詰める。
「パコ氏、やっぱり不細工な件」
「助けて惚れられても対応に困るよねえ?」
「ないから安心しろよ、友人ども。僕の女子化のほうが可愛いだろ」
「それなー」
「でも安心して、名無君。鼻フックしたり開口器使えばきっとよくなるよ」
「田吾作先生、よくなってないんすわ、それ。元の顔以前の嗜虐志向なだけなんすわ」
双子の兄がやってきたことに対する驚きを少し見せたが、妹は目に見えて暴れることはなかった。それよりもぐったりと生気がないのが気になるところだ。男たちに乱暴されたのかとも思ったが、脱がしにくそうなメイド服はまったく崩れていない。
「あなたたちはこいつらを始末して、外にいるだろう学生どもの口も封じなさい。役に立たない見張りは処分して結構」
肉弾戦車が拳を打ち付けやる気を見せる。魔術師の方が入口へ向かおうとしたが、入口の方からゆらりと現れる人影があった。そいつはダウナー系の顔をして、血がべったりと付いた大刀を肩に背負っている。
外にいた早河たちがやられたのだろうか。あいつら油断してるから、せめて生きて逃げていてほしい。というか死に戻りのし過ぎで麻痺っているのか、殺されて未来永劫いなくなってしまうのが想像できない。
「何をやっているのですか、ここまでやってこられたのはおまえの責任ですよ!」
「…………」
叱咤されて目を逸らすソードマスター。魔術師からも突き飛ばされていた。
逃げ道を完全に封じられたと思ったのも束の間、ソードマスターがくるりと反転し、魔術師の無防備な背中を思い切り斬り付けた。致命傷にはならなかったが、ばたりと倒れて逃げようとする魔術師。
「フハハ、誰が呼んだかポセイドンww」
幻術を解いた早河が現れる。魔術師が反撃で生み出そうとした水魔術が太った早河の分身に変わり、腰に手を当ててタップダンスを始めた。目を剥く魔術師に水分身の早河が殺到し、吞み込んでしまった。
レスラーの方は寿々木と田児、僕に向かってタックルを仕掛けてきた。まるでトラックかという勢いに、全員ボーリングのピンのように弾かれる未来が見えたが、そうはならなかった。肉弾戦車は足元でうぞうぞと蠢いていた黒スライムに足を突っ込み、じゅわっと肉が焼ける臭いが漂う。
耳障りな悲鳴とともに、踵まで失ったレスラーが地面を転げ回る。
「――体は逸物でできている」
突然寿々木が高らかに語りだした。
「血潮は白濁で、心は淫靡」と田児が続けざまに歌い上げ、アイテムボックスから出した質量重視のハンマーでレスラーの無事な足に振り下ろす。拷問の悲鳴はプライスレス。
「幾度の猥作を越えて不敗。ただの一度も敗走はなく、ただの一度も理解されない」
突然飛んできた玉は打ち返さなければならない。それが仲間というもの。僕は額を押さえ、朗々と詠み上げた。
「彼の者は常に独り。輪廻の丘で勝利に酔う。故に生涯に意味はなく、その体はきっと純潔で出来ていた――」
最後を締めるのは早河である。
「は? なんの詠唱ですか?」
「こちとら一生童貞の覚悟があるんじゃい! 最初に抜け駆けした奴は全員に泡部屋奢るって、背水の誓いなんじゃい!」
動揺する神経質眼鏡は一瞬で形勢が逆転したことが信じられないのか、ギョロギョロとあっちこっちに動かしては目を疑っていた。同時に周囲に霧が立ち込めて視界が悪くなってきたことにも気づいただろう。僕は一瞬の隙を突いて妹奪還に動く。
しかし敵もやられるばかりではなかった。目では追えなかっただろうに、僕の眼前をナイフの一閃が光った。危うく目を潰されるところだったため、距離を置く。だがこちらに注意を向けられただけでも十分だ。ぶおんと鈍い風切り音が唸り、ハンマーが横凪に振るわれる。チッと舌打ちしながら神経質男は一歩下がり縄を引っ張るが、その先に手応えはない。なぜなら僕の目的は縄を切ることだったからだ。
地面に倒れこんだ妹に駆け寄り肩を支える。
「なんで来たのバカ、こんな危ないところに」
「家族を大事にしない奴はクズだってお姉さまから教わったんだよ」
「新しい姉に恰好つけたいだけかよ」
「あとは、妹にも兄の威厳を見せてやらないとな」
「こんなときだけ恰好つけんなよ……」
弱く笑う妹の口に薬液を流し込み、噎せるのも無視して頭をがしがしと撫でてやった。
文句を言おうとする妹の肩にアイテムボックスから出したパーカーを掛け、フードまで被せる。立ち上がらせて逃げようとしたところで、霧が揺れて神経質男が姿を現した。
「行かせるわけないでしょう」
神経質眼鏡はパーカーを着た妹の背を蹴飛ばし、僕の腕を捻りあげて引き寄せた。首にナイフを突きつけてくる。
「もういいです。リセットしましょう。しかしあなただけは来てもらいますよ。もう何年も買い手を待たせているのですからね」
僕の首に何かを刺した。それは全身に広がる。それよりも僕の耳元で囁く男の吐息が気持ち悪くて鳥肌が立った。
[陰キャメモ]
感覚遮断の罠は衝撃の一言。作者の絵のうまさが如実に表れる。
上半身と下半身でまったく違う顔になるのやばない?




