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迷宮高校の陰キャクラン  作者: 多真樹
第1章 陰キャなるもの
21/25

カチコミ上等伝説・白鳥の舞編

 学校の敷地を飛び出してからは、無我夢中だった。

 見通しの良い道では〈瞬身〉を繰り返し、一秒でも到着を縮めようと急いだ。迷宮や関係施設以外でのスキルの使用はご法度だという社会通念も忘れて。

 ときどき信号で立ち止まっては、地図アプリで現在位置を確認する。

 二駅先の住宅街が目的地だ。

 すでに目標地点にくさびを打っており、あとはそこへ向かうだけだった。

 途中、〈瞬身〉を使いこなしていない影響で、角を曲がり切れずに失敗する場面もあった。一瞬でもロスが出る度に、自分の不甲斐なさに嫌気が差す。擦り剝いた膝小僧をそのままに、たらりと垂れる鼻血を手の甲で拭いて立ち上がる。


 僕と華子は、決して仲のいい兄妹とは言えなかった。

 妹の考えていることが中学生になってからわからなくなって、戸惑っているうちに会話もしなくなって、それが日常になってしまった。

 そんながどうにでもなってしまえと、自業自得だと思わなくもない。

 だが、消えていなくなってほしいわけではない。母親も悲しむし、僕だって嫌だ。

 中学時代からの不和は、それまでの仲良し家族を完全に消し去ることはできていない。


 アパートの目の前までやってきた。

 夜の住宅街はしんと静まり返り、人通りもまったくないから本当にここで合っているのかもわからない。

 もし間違っていたら? いや、それを心配するだけ時間の無駄だ。

 敷地内に踏み込もうとして、ふと足を止める。

 顔バレしたらまずいよな。

 幸いにも着ているのはステージに上がったときのままの、市販のジャージ。動画配信の際に学校がばれないようにと指定のジャージは着ていないのが功を奏した。

 そしてポケットにはまだ汗で湿った戦隊モノのマスクがある。


 いや、これだけでは特定されるかもしれない。

 あえて違和感バリバリの格好をしたほうが特定される心配も少ない、はずだ。

 こんなとき〈アイテムボックス〉があってよかったと心から思う。手ぶらに見えて荷物をかなり常備しているからだ。

 購入したは良いが結局使わなかった天使の羽根セット。肩に通す輪っかが付いているやつ。

 白鳥のパンツ。股間からスワンのお首がそそり立ち、歩くたびにこうべが揺れる。

 そして応援用に購入していたサイリウム。担当色はマスクの柄に揃えて青。これを八本、指の間に挟みこむ。

 見た目のインパクトが強すぎて、どこからどう見ても人物を特定されない完璧な変装である。


「いざゆかん!」


 意気込んだところでちょうど二階の一室から厳めしいおっさんが出てきた。

 僕には気づかず、明後日の方を向きながらライターをカシュッと鳴らしてタバコを吸い始めた。

 盛大に噴かしたところでゆっくりと視線が降りてきて、ついに僕に気づく。


「……なんじゃいこらぁ」


 戸惑いを滲ませながらのしわがれた声音。

 サイリウムがほのかに照らしているために僕の格好は足元まで見えているだろう。しかしあまりに奇抜ゆえに声に威勢がない。


「鶴の舞!」


 腕を翼に見立てて頭上に広げ、荒ぶる猛禽類のように片足を上げる。

 混乱を混乱で上書きする。これは早河の受け売りだが、面喰って動けなくなった相手は、次の予想外の動きにも理解しようとして動きが止まったまま。そこを狙うんだと。

 一歩踏み込んだ瞬間、アパート下の雑草が生え土を固めた地面に、僕はもういなかった。






○●○○○○






 タタンタタンと規則的な車両の音。

 乗客のまばらな電車の中で、ジャージ姿がやけに目立った。

 目指す場所は二駅隣なので、電車移動である。


「クリスマスイブに何やってるんだろうね、ボクら」

「そんなこと言って、田児と筱原でカップルクラッシャーやってたでしょうに」

「女にモテたいとか思ってるのか、田児よww フハハ、仲間を差し置いて幸せになろうとか許さん。どこまでも足を引っ張る所存だ」

「くずぅぅ」


 もはや合いの手のように寿々木が言う。

 会話に入ってこない伊東は、車両のガラス面に移る自分と対面しながら上半身だけで踊っていた。






○○○○○○ ●






 草臥れた姿で煙草を吸う。

 煙を肺に入れ、ひやりとする夜の空にふぅっと吐き出す。

 今日の収穫はJK一匹だった。

 拘束され、目隠しをした上でアジトのひとつに連れて来ている。格好は冬なのにもこもこの白ミニスカで、ロングブーツとハイソックスで膝から太ももの絶対領域が守られている。

 ちらっと見たが、おじさんホイホイだなあと思う。

 顔は髪に隠れて見えなかったものの、手足を縛られて腕で挟み込まれた白いセーターの胸元は、控えめだがむにゅりと形を変えている。

 体つきはおっさんが好きそうなムチムチ系である。そういえば最近生身の女とはご無沙汰だなあと遠い目になった。

 これが十代前半の未成熟の体だったら、あまり気分が良くなかった。結婚して娘もいる。しかし十歳も年下の幹部候補に顎で使われる兵隊でしかない。


 犯罪がばれないよう、JKはとある場所に隠されることになる。まあ一見すると、築五十年のアパートなんだが。

 王子田(おうしだ)が滅多に見せない喜びようだったのが印象的だった。あのカメレオンのギョロ目が護衛を連れ、JKを自ら抱えて監禁場所へ運んでいったほどだ。

 なんでもあのJKは、幻獣種という希少な種族らしい。そういう女は高額で取引される。


 アパートの二階の部屋には拉致に加担した学生が緊張した様子で残っている。

 悪事に手を染めて、やがて兵隊としてこちら側にやってくる憐れなガキを遠目に眺めていた。

 まだ引き返す道はあっただろうが、王子田に目を付けられた時点で、もはや逃れられないだろう。

 背中に大刀を背負った部下の視線が怖いようで、ガキは部屋の壁際に直立したまま身じろぎもしなかった。長髪の大刀使いは朱島(あけじま)といい、王子田と(チン)(ヤン)たちの言うことしか聞かないバトルジャンキーだ。手に負えない。


 躾された犬というか、飼い主→自分→その他ゴミと自分の中で明確に区分して尻尾を振っているタイプ。冷蔵庫を開けた朱島に「ビール取って」と言っても絶対に取らない。こっちは奴の父親と同じくらいの年齢差があるというのに。そういうやつ。

 そのくせ見た目はスマートで、顔立ちもいいという理不尽。王子田や陳、楊といった悪人の雰囲気というか、威圧感を持つある種のカリスマを崇拝し、ただのおっさんで腹の出た自分には決して懐かない。懐かせたいわけではないが、こうして同じ部屋で待機させられていると息が詰まる。


 商品が触れ込みどおりか王子田が確認し、買い取りの目途が付いたら自分が運ぶ手筈になっている。でなければ狂犬と同じ部屋にいつまでも一緒にいたくはない。

 いまは王子田が子分を連れて商品の確認をしているが、お願いだから手は出すなと言いたい。面と向かって言ったらボコられるから言わないが、商品価値を下げるようなことを平気でやるような連中だから頭が痛い。

 文句を言われるのはいつも自分なのだ。ヘコヘコとバカの尻拭いで頭を下げるのは勘弁である。


 部屋を出て、薄暗い廊下で煙草を吸う。

 空気の肌寒さに、今年ももう終わるなあとなんとなく思い浮かべ、今日がクリスマスイブだというのにチキンすら買っていないことを思い出す。

 年中行事なんて最近は遠いものに感じられる。娘の育児はすべて嫁に押し付けている所為か、家族仲も最近悪い気がするし。この前、娘の誕生日をすっぽかしたのが痛手だったなあと振り返る。


 年始の組の挨拶だけは欠かさないものの、あれは緊張で胃が痛くなる、一年でいちばん嫌いな行事だ。

 年始早々、やれ誰がムショにいるだの、誰を始末しただの、不穏な会話しか聞こえてこない。

 こういう業界は縁とか信頼が大事だ。ひとりが裏切って国家権力へタレ込めば、あっという間に築き上げてきたものが瓦解する。だから若いうちに辛い目に遭わせて、その意気地を観察するのだ。

 苦楽を共にすれば仲間意識が芽生えるし、忍耐力のないやつは早々に消える――というか逃げた時点で消す。


 部屋にいる学生は今日、犯罪へ加担した。

 学内の生徒を売ったことへの罪悪感、こちら側へ一歩踏み込んだことの現実感、そのどちらにも押し潰されないか観察される。ひと月の間にボロを出さずにいられたら、晴れてこちら側だ。

 若いうちから生き急ぐ必要はないと思うが、こういう業界は若く感性が豊かなうちに常識を黒く塗り潰す方法を取るから、見ていて気の毒になる。もっと明るい道もあっただろうに。ろくな死に方はしないだろう。

 そんなふうにおっさんは思う。

 同時に正義感を持ち合わせているわけではないので、商品となった少女も、未成年の彼も助けようとは一切思わないのだが。


「これも感傷かねえ。あーやだやだ、おっさん臭くなったもんだ。若さが羨ましいなんてねえ。おっぱい揉んでも犯罪にならなかったガキの頃に戻りたいわ」


 過去を振り返られるから言えること、現実に目の前に生きているからできないことは、たくさんある。こういうのを、ひとは後悔と呼ぶ。学生からしたら煙たいおっさんの戯言だと思うだろう。

 一本吸い終わったところでアパートの手すりから視線を下げると、そこに奇妙なものが立っていた。

 サイリウムをなぜか両手の指の間に挟んで扇状に開いており、暗闇にぼんやりと姿を浮かばせている。

 背中には……翼? 腰から何か白いものが伸びている。よく見ると白鳥の頭だ。なぜだ。格好は地味目な上下のジャージ。顔は覆面を被っていてわからない。

 なぜこんな奇抜な人間が現れたのか、咄嗟に理解できない。思わず「なんじゃいこらぁ」と口に出してしまったが、敵意というより動揺の方が大きい。


 落ち着いて考えればわかることだ。今日攫ってきた商品を奪還しに来たに違いない。

 しかしどうしても、場違い感が拭えない。できれば回れ右して帰っていただきたい。警察が現れたら、おっさんの自分より間違いなくこの奇抜な人物を職質するだろう。

 油断――そう言ってしまえばそのとおり。戦闘態勢も朱島を呼ぶこともできず、観察してしまった。敗因は咄嗟に行動できない自分にある。


 瞬きの間に、奇抜な人物は威嚇のポーズのまま二階まで一瞬で距離を詰めてきていた。

 こいつ、たぶん迷宮学校の学生――そう思ったのは、ひとへの攻撃に躊躇いがないから。

 自分も迷宮学校のOBだからよくわかる。PKを繰り返すうちに他者への殺傷のハードルがズリズリと下がるのだ。

 日常において、他人を傷つけることのハードルは高い。日常と非日常。迷宮高校のダンジョン空間はその線引きを曖昧にする。だからこそ、こちら側に引き込むことが容易なのだ。

 PKを繰り返すうちにひとをひととも思わなくなる。そういう人材を『白蠍』というクランは集めて、卒業と同時に組織へと送り込んできた。


 ジャージ男の膝が、丁嵐の鼻っ柱を叩き折る。

 反撃もなにもできない。実戦から離れていたわけではない。明らかに対人慣れしたこのジャージ男がおっさんの自分の上手をいっていたのだ。

 なんで自分がこんな目に、と思う間もなくおっさんの意識は飛んだ。






●○○○○○






 おっさんを膝で沈めた直後のことである。

 得も言われぬ熱量というのか、肌を炙るほどの熱気をアパートの並びの扉から感じて、生物の本能に突き動かされるように咄嗟にしゃがみ込んだ。

 アパートの廊下に手をついた瞬間に、スワンヘッドが片目に当たってアウチッ、となったが、いまはそれどころではない。アパートの安物扉に音もなく亀裂が入り、鉄柵に向かって吹き飛ぶ。

 恐ろしいのは扉の枠縁まで斬り刻んで吹き飛ばしていることだ。

 え? ここに住んでるんじゃないの? と焦る余裕もなく、ぬらりと部屋から現れた刺客が問答無用で兜斬りに斬り付けてきた。

 低い体勢からアパートの鉄柵に飛びつき、手すりに手をかけて下へと飛び降りる。着地前に鉄柵がバラバラになって降り注いできたときは肝を冷やした。しかも白鳥の首から上がスパッとなくなっており、自分の首を想像して鳥肌が立った。マジヤベェ。

 アパート前の舗装されていない地面まで〈瞬身〉で退却し、不意打ちしてきたやつを見上げる。

 寒々しい白色電灯に頭から照らされているのは、目がイッちゃってそうな三白眼の男。ぼさぼさ髪の長髪で目元まで隠しているが、若そうに見える。だいたい大学生くらいか。

 しかし細身からは想像もつかないほど鍛え上げられており、背の高い明らかにイケメン枠。くたびれたワイシャツ姿が妙に似合っていて、イケメンは何を着ても見栄えするからずるいと思う。日常で振り回すには明らかに向いていないような、アパートの扉をぶっ壊した大刀を肩に担いでいる。

 倦怠感を纏った立ち姿だが、血に飢えた狼にも見える。


「おまえら、死にたいの?」


 そう口にする飢えた狼。

 おまえ『ら』。僕ひとりを指して言うには違和感のある言葉。


「この世に悪がある限り、正義の怒りが俺を呼ぶ! レッド推参!」

「フハハ、まずい飯屋と悪の栄えた試しはない! 二駅越えて、ブラックが来てやったよ」

「闇の力の下僕たちよ。とっととお家にお帰りなさい! 光の使者、ぴゅ、ピュアイエロー!」

「…………(ヘッドスピン中)…………グリーン」

「見事に揃ってないし……」


 しかして熱いものが溢れてくる。それは勇気と力になり、僕の背を押す。


「そして僕は、通りすがりの覆面ランナーだ! 覚えておけ! ブルー!」


 覆面&芋ジャージの野郎どもが、ポーズとともにババーンッと登場シーンをキメる。

 ご近所の方がこんな光景を見たら通報一直線だろう。それでも目の前で刀振り回す奴の方が実質的には危ないのである。十人が十人、僕らを見た目で判断してヤバい奴らと決めつけそうだが。

 大刀使いが二階から飛び降りてきたと思ったら、斬撃が幾筋も降ってくる。

 全員がその場から飛び退いた。


「ぎゃー! 斬られた! ボク斬られた!」


 田児ことピュアイエローが尻を押さえて真っ先に負傷していたが、人数で言えば形勢は逆転である。それにマスクのバフ効果もある。


「そ、ソードマスターだ! あのひとアパートごと斬ってるよ! 大家に怒られるよ!」

「何の心配してんだよ。僕らの住んでるアパートじゃないんだから、燃えても壊れても痛くも痒くもないわ」


 田児の尻の治療にポーションを振りかけながら、早河が幻術を作り出して大刀使いを翻弄する様を眺める。

 早河は腕組みをして尊大に笑いながら、大刀使いをいいように転がしていた。


「フハハ、よく来たな、ソードマスターヤマトよ。待っていたぞww」

「おまえたちのほうから来たんだろ。オレの名前は武だ」

「フ……上等だ。ソードマスターヤマトよ、我もひとつ言っておくことがある。この我に生き別れた妹がいるような気がしていたが、別にそんなことはなかったww」

「……そうか。名前は武だ」

「いや、何の話さ!」


 早河ワールドが始まっていた。早河劇場とも言う。たぶんなんかの漫画のシーンなのだろう。


「ヤマトよ、戦う前にもうひとつ言っておくことがある。おまえは我を倒すのに『聖なる石』が必要だと思っているようだが……別になくても倒せる」

「一刀両断するから関係ない。それと、オレの名前は武だ」

「だから何の話だよぉ!」


 大刀をまるで重さを感じさせずに振り回し、地面を抉ったりアパートの鉄柱を真っ二つにしたり、ゴミ捨て場の金網を豆腐のように切り刻む確かな実力者。しかしよく言えば素直、悪く言えば駆け引きの下手な剣筋は、早河とはかなり相性が悪い。


「さあこいヤマト!」

「だから、武だ!」

「フハハ! じつは全部残像だwww」


 なぜなら素直な人間ほど早河の思うつぼだからだ。






「あ、あそこにもいる!」


 二階から様子を見るために覗いていた学生。それに気づく田児。

 指差されて慌てたように引っ込む顔を、僕も目撃した。


「ソードマスター以外出てこないってことは、肝心の妹さんはここにいないんじゃないの?」

「全部屋調べてみないとわかんないし」


 聞けばひとり学校に残った筱原が通報しているらしく、警察が来るまでにあらかた調べておきたい。もちろん自分の身を守りつつ、だ。大刀使いことソードマスター級が後ふたりほど部屋から出てきたら、一旦撤退しよう。

 アパート前の空き地で大刀を振り回すソードマスターは早河が満面の笑みで相手をしてくれているので、その間に逃げた人影を追う。


「一階とかチェックしなくていいの?」

「下に早河と伊東がいるから出てきたら応援にいけばいいさ。室内ならオレのシローパ(※白ローパーの愛称)ちゃんが無双する。具体的には穴という穴に触手が入り込む。鼻の穴、耳の穴も触手の先端から伸びる繊毛指が入り込む。なんなら眼球もいける」

「……想像したら気持ち悪くなってきた」

「ああ、ズルズル入り込むんだ。ズルズルと音を立ててね。だんだんと膨れ上がる恐怖顔がたまんないよねえ」

「恍惚顔キモーい」

「エンガチョー」


 寿々木と話しているだけで鳥肌が立つのはなんでだろうか。人間を喋る肉塊としか思ってないからだろうか。


「ほどほどにしないと寿々木君、こっちの世界に戻ってこれなくなるよ」

「そのときは田児、ちゃんと連れ戻してくるんだぞ。僕は妹のほうを連れ戻さなきゃいけないから」

「えー、責任重大。できるかなあ」


 田児は呑気に返事をしているが、割と責任重大。寿々木の発言が日増しにサイコパスになっている気がするが、彼に実験材料を投下してしまう僕らも同罪だ。階段を上り、警戒しつつも、小声で軽口を言い合うくらいには余裕があった。

 寿々木が廊下にしゃがみこみ、白ローパーを召喚陣から呼び出す。

 半身を露わにした白触手の魔物は、寿々木の命令に従って無数の触手を部屋へとけしかける。

 部屋の中からぶちぶちと斬り捨てる音が聞こえたが、触手は次々に伸びていく。ぼうっと一度火炎がドアから迸ったが、触手をすべて焼き払うことができず、そのうち、「あ、がぁっ!」と聞こえて反撃の音が止んだ。ズルズルという音が聞こえ始める、ズルズルと。

 「やめろ! やめろよ! あっあっ! あぁぁぁぁ」と聞こえ出したので、手前の部屋は制圧だろう。


「部長、他の部屋にも触手」

「了解。扉を開けて」


 三部屋並んだアパートの安物扉。真ん中と奥の部屋を続けざまに開き、身を隠す。白ローパーの粘液塗れの触手が壁を這うと、ねちょっとした白濁の液体が残る。

 しばらく触手が這い回る音がしていたが、やがて引いてきた。どうやら隠れているものはいないらしい。

 残るは一階だが、妹もそこにいるだろうか。これほど騒いでいるのに、誰も出てくる様子はない。妹の助けを呼ぶ声も聞こえない。ここが拠点なのは間違いないが、ここに監禁されているのかまでは自信がなくなってきた。


「うっわぁ、すっごい顔。鼻汁から涎からいっぱい。これがアヘ顔ってやつなんだねー」

「今回は急ぎだったけど、もっとじっくり精神を壊していくのがオレの流儀なんだよなぁ」


 部屋を覗き込むと、全身モザイクをかけなければいけない光景が広がっていた。

 触手に掴み上げられ、宙に浮いている男。もはや抵抗できないくらいに白目を剥いている。どこかで見たことがあると思ったら、『白蠍』所属の三年の先輩だった。鼠先輩といい、こちらに関わったがゆえの悲惨な末路である。

 ところでこの先輩、ちょっと特殊なジョブだったけど、なんだったか。寿々木のローパーに拘束されてしまえばなにもできないだろうが。

 止めるはずの田児が嬉々として〈アイテムボックス〉から取り出したスケッチブックで写生会を始めてるし。最近伊東の乳首から着想を得て田児はBLに目覚めたので、男の触手攻めもイケるらしい。

 僕はそっと顔を逸らして部屋を通り過ぎる。「二階にはいなかったから一階探すね」と断りを入れて。


「そうだ、廊下で転がってるおじさんもこっちに連れてこようか。仲間外れはよくないよな?」

「それいいねー、並べてアヘ顔シャセイ大会しようよ」


 廊下に転がるくたびれたスーツ姿のおっさんの行く末に合掌し、カンカンカンと音を立てて階段を降りる。

 空き地では決着が付こうとしていた。ソードマスターの周囲を早河と伊東の無数の幻影が踊り回っている。どこからか流れ出した『萌え萌えプリンセス、チャーミングピンク』の主題歌に合わせて、媚び媚びな踊りをデブエルフとマッチョオークが踊るのだ。

 それでも顔色ひとつ変えない男には大したものだった。僕なら発狂してるね。しかし精彩を欠くのか、大刀を振り回して空振りを繰り返す。斬られた幻影は霞のように消えている。

 そんな男に引導を渡すべく、頭上から伊東がかかと落としを決めたところだ。ぐらっと揺れて、大の字にぶっ倒れた。

 奇しくも曲が終わり、びしっとふたりの幻影がポーズを決めた。着地した伊東も。

 指を噛みながらの上目遣いは、女児がやるから愛嬌があるのであって、いかつい男ふたりがやったところで正視に堪えないだけだ。

 ソードマスターも二人がかりで二階へ運ばれ、ローパー部屋の餌食となった。


 僕は一階の部屋を見回っていた。

 人がいる気配はない。逆にそれが緊張を強いられる。気配を消すのがうまいタイプかもしれず、扉をひとつ開けるごとに精神力がガリガリと削られた。

 《暗殺者(アサシン)》なら扉の隙間からすっと刃物を伸ばしてきて、不意にこちらの喉を抉ってきてもおかしくはないのだ。

 ここは死に戻りのできない現実で、敵対する勢力は寸止めで許してくれるほど優しい連中ではないだろう。ソードマスターの必殺の一撃を幻影で翻弄していたが、本来なら喜んでやるようなことではなかった。明らかに人殺しに躊躇いのない剣筋だったから。


 二階は事務所っぽい机とソファがあったが、こちらは少し生活感があった。ゴミ袋やら脱ぎ散らかされた衣服、せんべい布団が和室に敷かれている。

 部屋の換気をしていないのか、とにかくおっさん臭い。手前から真ん中と見ていたが、見栄えの変化はない。だが一番奥の部屋だけは違和感を覚えた。

 生活感がない。

 ゴミもなければ食事の跡もない。部屋の隅に物騒な武器が積まれているだけだ。まったく、こんなものを無造作に置いておくなんて危ないんだから。まったくもう、散らかして。刀、斧、モーニングスター、猟銃、拳銃がテーブルの上に山積み。それらを〈アイテムボックス〉へ仕舞っていく。


 魔物を倒す以上、凶器の扱いには慣れている。

 銃刀法違反は〈アイテムボックス〉の存在によって形骸化された。しかし今の日本で拳銃を安易に手に入れることはできない。拳銃は魔物を殺していくにはコスパが悪く、対人兵器としての意味合いが強いからだ。

 校内でもアングラで手に入れられるらしいが、きっとこういう連中から商品を流してもらっているのだろう。

 シリアルナンバーの削られた、所持しているだけでも逮捕される拳銃一丁が、目玉の飛び出る値段で競売にかけられていたのを以前に見たことがある。

 油断なく部屋を見回り、そして最後にトイレを開いてすべてに納得がいった。


「そういうことかよ……」


 和式便器のあるはずの場所に渦巻く異界の歪み。

 ここにダンジョンが存在することの証明だ。

 おそらく未登録の野良迷宮。危険度は入ってみるまでわからないというクソゲーのような仕様である。

 しかしものによっては迷宮の出現魔物が最弱で資源採掘に適していたり、レア魔物のドロップ素材があったり、一獲千金を夢見るものなら誰しもが自分の家に野良迷宮が出現することに憧れるはずだ。

 しかし現実は甘くないことの方が多く、ある日庭にできた野良迷宮が、Lv.500越えのAランク迷宮はざらにあった。

 この安アパートを拠点にするのはどうかと思ったが、蓋を開けてみればなんてことはない。野良迷宮は動かせないから、建物を壊しても和式便器の周辺は破壊不能オブジェクトのごとくその場に残り続ける。こんな住宅街で隠すには、アパートごと敷地を買い占めてしまえばいいと、それだけのことだった。


 この中に、妹は囚われている。確信に近い思いがあった。

 上で遊んでいる仲間たちを呼ばないと。

 そこでふと思い出すことがあった。

 上でローパーの餌食になっている『白蠍』の先輩のことだ。

 ――〈降霊術(スピリティズム)〉――

 それも、実在の英霊を身に落とす《霊媒師(ミスティック)》だったはずだ。気を失っていれば他者にも同様に英霊を降ろすことができるため、彼の迷宮でのプレイスタイルは、秀でた能力のないモブの一年を五人揃えて、英霊を下ろして攻略する特殊な戦闘方法だった。

 僕は一芸に特化していたのでこの先輩の下には付かなかったが、配属された同期を憐れに思ったことがあったのを思い出した。

 部屋を出て呼びに行こう。思い立った直後だった。二階から猫の額のような中庭へ、背中を丸めた田児が落ちてきた。雑草の薄っすら生えた地面に背中から着地して、「ぐぇっ」と潰れたカエルのような声を出していたが、ステータスの上昇のおかげで怪我はないようだ。


「やばいよ! 身動き取れなかったのに、突然目が赤く光って、あっという間に拘束を解いたよ! すごく強くなってる!」


 知らないうちに第二ラウンドのゴングが打たれてしまったようだ。

[作者メモ]


ギャルの生態を知るためには何が必要か。それは直接話すこと。というわけで研究熱心な私はガールズバーに行こうと思い立ちましたが、飲食を伴う接待店への出入りが懸念される昨今。妻の冷ややかな目が背中に刺さることもあり断念。ギャルとは何かをリアルに触れる機会はしばらく失われました…。


一番好きなギャルは『ギャル騎士アンジェリカ』です。

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