幕間~収支報告~
スタートから割とペースが速く、通路の先にゴブリンが現れても純恋さんは走り方に変化を見せなかった。
公園を散歩するおじさんの横を走り抜けるような自然さですれ違ったと思ったら、ゴブリンの首だけがポーンと放られたボールのように弧を描いた。
もしおじさんだったら太鼓っぱらとハゲ頭が泣き別れしているところだ。
「ほら、動揺しない。最小限の動きで仕留めないと、すぐに疲れちゃうよ」
効率厨のようなアドバイスにこの人やばいなと直感が警鐘を鳴らす。
頭がおかしいということではなく、強者の風格を肌でビリビリと感じたのだ。
雑魚に一秒も時間を取らない。藪を払うのだってもっと労力がいるだろうに、魔物とはいえ生き物を殺すことに躊躇がまったくないのはすごい。
確かに僕たちもゲームのような感覚で魔物を倒して攻略を進めているが、極めていくとそうなるという最終形を目の当たりにしているようだ。
「次は零士くんがやってみよう。ペースを落とさないように、一瞬で命を刈り取るんだ。ステップも最小限、なるべく走っている軸は動かさないように通り抜けること」
「迷宮じゃなかったら危ない発言ですよね」
「ここだから言えることじゃないか」
何を言ってるんだいバカだなあと朗らかに笑う純恋さん。横顔は見惚れるほどに綺麗だった。
しかし言ってることはキチ○イ一歩手前だ。公園を散歩するおじいさんの首をポーンとするのも容易いに違いない。
それでも全幅の信頼がおける指導者の下、真似してゴブリンを倒しながら進むのは楽しかった。
急所の見極め方、力の強弱、効率的な動きなどを走りながら、息も切らさないで丁寧に教えてくれる。身体で学べ!が主流の脳筋体育教師の虎牟田先生は純恋さんを見習ってほしい。同じ実戦形式でもえらい違いだ。
ポニテの学生姿の純恋さんとはギャップがあり、ちょっと戸惑った。しかしそれも慣れ、次第に集中していった。
ふたりっきりで半日間一緒ということに気づいたのは、二階層を走っているときだ。
なんだか姉を妙に意識してしまい、ちらちらと見る横顔はやっぱり魅力的だった。
汗で頬に張り付いた横髪はエロかった。小さく、はっはっ、と呼吸を繰り返す吐息も。うっすらと香ってくるミルクの香りも。
あまり大振りにならないフォームは無駄がない。わずかに躍動する胸元に、余計に心拍数が上がってしまう。
嘘をついている味か確かめたいからその汗舐めさせてくださいと素直に言えればどれだけ良いだろう。気持ち悪い発言にどこまで寛容なのかの見定めが難しいところだ。
汗を流す美少女、いや、美女にいたる階段を上る年上女性と迷宮デート。(個人主観)
こんな幸せがあっていいのだろうか。もう。もうもう。
「動きが硬くなってる」と注意されても、足の付け根の強ばりはなかなかほぐれなかったり。
「じっと私のことを見てどうした。ハーフエルフは珍しいか。エルフより美形でなくてすまないな」
「なにを仰る。十分に張り合えますって」
ただ、エルフとは違い、耳の長さが本家に比べて七分丈といったところ。
髪も純正エルフはプラチナブロンドや濃い金髪が鉄板であるが、ハーフだと少し茶色が強めで、明るい茶髪といった感じ。
学内でもハーフエルフはそれほど珍しくない。学内に数人しかいない本家の古代エルフは国宝並みに丁重に扱われているが、ハーフエルフは精々美形枠である。
純粋培養のエルフは精霊に片足を突っ込んだ生き物らしいので、種族レアで言えばURに相当する。たぶん。
僕や双子の妹も幻獣種と呼ばれる獣人族ではレアな種族なので、SRな価値はあるかもしれない。
ともあれ純恋さんを仮に本家と比べるとしても、比べる分野が違うというか、別の魅力があるから比較にはならないというか。
後ろできゅっと結ばれたストレートヘアは十分美しいと思うし、ポニーテールってやっぱりいいよねって思う。
女性らしさを保ったさらさらな髪質も高得点である。
「エルフに比べて能力も少し不完全なんだ。彼らは四大精霊すべてを呼び出せるようだが、私には相性の良かった水精霊しか呼び出すことができない」
走りながらも手のひらに生み出したのは、水の塊でふるふると波打って蠢いている。
それだけでは飽き足らず、純恋さんは僕の顔にぴゅーッと水を噴きかけてきた。
「うわっぷっ!」
「あはは、油断するな……っぷ、なんで私にまで」
水精霊に意思があるのか、純恋さんの顔にも水鉄砲を噴き出した。
その水の量は、蛇口をいっぱい捻ったくらいはあるか。
ちょうどゴブリンが見えてきたが、球体の水はなにを命じるでもなくレーザーのようなものを噴射し、ゴブリンの眉間を打ち抜いて即死させた。
《水精霊姫》のメインジョブの他に、サブジョブで《聖騎士》を持っているということだ。姫で、騎士。まさに姫騎士である。姫騎士がスポーティで水浸しの濡れ濡れだった。胸元に張り付いたシャツがなまめかしい。
「すまない、水精霊しか、ではなかったな。君は私の相棒だ。頼りにしている」
濡れた髪をかき上げ、手のひらの水球に向かって優しく笑いかける姿にちょっと嫉妬。あんなふうに微笑みを向けられたいと思うのは健全な男子なら当たり前だろう。
水の塊は意思があるかのようにさざ波を打った。手の上で形を変え、僕に向けてなぜか中指を立てているポーズをしてくる。そんな馬鹿な。いや、きっと勘違いだろう。そう見えるだけできっと形に意味なんてない。精霊が対抗意識を向けて来るなんて。
純恋さんが何やら苦笑いをしていたが、気のせいだ。
「水の精霊は嫉妬深いんだ」
……うん、まあそんな気はした。
水の塊は彼女の手から零れ落ちると、地面に溶けて消えた。
「相変わらず加減を知らないな、あの子は。強力な精霊だからということもあるが」
「レーザーをぶっ放されなくてよかったです。生きてるみたいですね」
「生きてるさ。精霊だって、魔物だって例外じゃない。私たちの知っている生き方とは少し概念が違うかもしれないけれどな」
噴きかける水の量が明らかに体積と一致していなかったが、きっと精霊パワーなのだろう。
それよりも頭からずぶ濡れになった純恋さんは、髪から水を滴らせながら上半身はびっしょりになっていた。
なんというか、ビスクドールの美しさがエルフらしさというなら、純恋嬢は血の通った血色の良さというか、溌剌とした生命エネルギーの塊のような魅力がある。
水も滴るいい女だ。その水を舐めて吸って飲み水にしたいくらいである。
言ったら怒られそう。でも怒られてみたい気もする。ちょっと強気な目つきなので、あえて叱られたいというか。あの水精霊も僕も、純恋さんに構ってもらいたいのだ。
「たまにあるんだ。機嫌を損ねるとすぐに水をかけてくる」
「それだけ信頼関係を築けているってことじゃないですか?」
「そうだな。そうだといいが……」
僕がタオルを差し出すと、純恋さんは「ありがとう」とお礼を言って受け取った。顔をさっと拭くと、髪に当てて水を吸わせていた。
白い運動着は肌に張り付いていて、インナーを浮かび上がらせている。見てはいけないと思いつつも、凹凸に視線が吸い寄せられてしまう。
「まじまじと見るのはどうかと思うが」
「あ、そう、ですよねー」
「ほら、向こうからゴブリンが来てるぞ。片付けておいで」
「イエスマム!」
フリスビーを投げられた犬のごとく、ゴブリンの団体さんへと襲いかかる。すべて一撃で仕留めて並走すると、純恋さんは空間に手を突っ込んでいた。みんな常備している迷宮のお供、〈アイテムボックス〉である。
「着替えが……どこにいったかな」
手持ち無沙汰になり、視線を向けないようにしながら、ダガーを手慰みに回してみる。
学校に入った頃は刃物なんて台所以外で持つものではなかったが、いまではくるくる、シュパッと、手に、指に吸い付いてくるように馴染んでいた。コツは肩で回すことだ。
「おっかしいな……あれ? んー?」
髪は拭き終わったものの、〈アイテムボックス〉の中から着替えがどうしても見つからない様子だ。
「うん、これは間違いない。着替えを入れ忘れたようだ」
「ええ?」
流石はトップランカー様。どんなときも慌てず騒がず、あっけらかんとしている。
「走っているうちに乾くだろう」
「豪快っすね……」
迷宮の中はエリアごとに環境が違うが、チュートリアル層は比較的暖かい。風邪をひくほどではないが、それでも不快さは付きまとうだろう。僕なら湿った気持ち悪さから解放されるために上半身裸になっている。純恋さんも開放感だしてもいいんですよ? 絶対に脱がないだろうけど。
「あ、そういえば」
僕は思いついて、自分の荷物を漁る。思った通り、着替えが出てきた。
「性転換してたときの着替えが残ってました。これでよかったら」
拳系巨乳美女のコスプレかと思いきや、広げてみたら体操着だった。ブルマーなやつもセットだ。業が深い。
伸ばした手が固まる。やっべーと冷や汗をかきつつ、姉の顔色を窺う。
純恋さんは、怒ってはいないようだ。どちらかといえば、戸惑っているというか、扱いに困っている顔だった。
「……うん、背に腹は代えられない。着替えを持ってこなかったのは私の落ち度だ」
「そうですよねー。しょうがないっすもんねー」
「だが、いくら性転換していたとはいえ、これはおかしいだろう? 君は履くのか?」
「履きません。履いたこともありません」
気づいていれば自撮り撮影したのに! ちょっと悔しい。
男に戻って自撮りの数々を見てみると、これはもうただの興奮材料でしかない。
ポイントは鏡に映る自分の顔を携帯端末で隠して撮影することだ。別人のようでヌケる。
「とはいえ、仲間からズボラなところを直せと言われていたんだがな。あはは……」
ちょっと意外である。私生活こそキッチリカッチリしていそうなイメージだからだ。
「よかったら、これをどうぞ。こんなものしかないですが」
「うん、ありがとう。助かるよ」
ちょうど曲がり角があったから、そこまで進んで背中を向ける。
純恋さんが後ろで生着替えしていると思うと、ドキドキがすごい。彼女のシャワーをベッドに座ってじっと待つ彼氏みたいな? ラブホか。違うか。
「零士くんは彼女はいないのか?」
「え、いませんよ、ハハ……」
女友達もいませんよ、ハハ……。
「よく気が付くところは好印象だと思うが」
「純恋さんと仲良くなろうって一生懸命に来てくれるから、僕もなんとかついて行けたらと思って」
「嬉しいな。言いたいことがあれば何でも言ってくれ」
脱いだ後の運動着をくださいとか言ったら軽蔑されるだろうか。されるだろうな。
「純恋さんみたいな美人で面倒見のいいお姉ちゃんがいるだけで満足っす」
「はは、褒められるのは悪くないが、身内贔屓だからな」
「一月前まで他人だったんだから十分有効票では?」
「零士くんこそ私には魅力的に見えるぞ。痩せているようでしっかりと必要な筋肉はついているし、友達を大事にしている。こんなつまらない姉に付き合って迷宮を走っている。ああ、あとそのぼさぼさの髪はちょっと切った方がいいかもしれないな。目元を隠すと視界が悪くなる」
「髪はそろそろ切ろうと思ってましたが」
今度は気恥ずかしくて顔を見れなくなってしまう。
なんだよ、アオハルかよ。もう恋人繋ぎしちゃおうよ。でも爆死確定なので言えないです。
心がふわふわしてしまうのは、正面から褒められることに耐性がない所為だ。
綿あめを初めて食べたみたい。ふわふわなのにちょっと固く、唾液ですぐに溶けてひたすら甘い、そんなビックリ感。もうわけがわからない。
ド直球な性格の姉から評価されているなら、きっとそれは間違いないのだろう。
「僕もね、ちょっと特殊な種族なんです。純恋さんほどではないですけど。そこら辺の話、母から何か聞いてます?」
「いや、両親からはなにも」
「只人のように見えますけど、ちょっと違うんです。この角、実は――」
だから本来なら言わない、仲間にしか言っていない秘密を打ち明けようと思ったのだ。
胸襟を開いてくれた姉へ、なにかしらの誠意を見せたかったというのもある。
家族として向き合っていくなら、言っておいた方がいいかもしれないこと。
純恋さんは、信頼に値する。しっかりとお椀型の胸があり、くびれがきゅっとしまっている。すらっと細身なのに、肩幅はしっかりしていて、運動している女性という感じ。腹筋が割れているのは人によって引くかもしれないが、僕は全然あり。腹筋まな板で頬ずりしたい。
なんで具体的にわかるかって? 世の中には手鏡というものがあってだな……。
そろそろ着替えが終わりそうなので、さり気なくポケットにしまう。
僕は割と直感を信じるタイプだ。おかげさまでちらりと振り向いた純恋さんの視線を、寸前で躱すことができた。
この女性はめっちゃいい女や。できたら結婚したい。
「あ、次きましたね。僕がやっときます」
ダガーを構えて、〈瞬身〉を発動する。
一歩目から二歩目まで、十メートルの距離を一瞬で移動するスキル。
だが瞬間移動中を知覚できず、よぉく狙いを定めていないと思わぬ事故を起こすのが難点だ。
《神速業師》には不完全なスキルばかりがそろっており、かなりトリッキーだった。しかしピタリと嵌まればその効果は大きく、毎回ルーレットを回しているようなそわそわとした気持ちになる。
今回もうまくいったようで、ダガーの手応えとともに足下に地面の感覚。
振り返れば顎の下から刈り取られたゴブリンの醜い顔が地面にぼとりと落ちるところだった。
着替え終わった純恋さんが追いついてきて併走し、何事もなくランニングは継続される。
ムチムチのふとももが付け根まで肌色を晒している。尻ソムリエの伊東氏が高得点を叩き出したお尻は、腰のくびれに反して存在感大である。
ここは天国だろうか。並走じゃなくて後ろを走りたい。
「面白いスキルだね」
「うまく使わないと自爆するようなものばかりですけどね。この前は勢い余って崖から落ちて死にましたし」
「スキルを多用していてはすぐに疲れてしまうんじゃないのかい?」
「持久力には自信がありますから。小学校で野球、中学ではサッカーをやってました。ずっと補欠で、二年も経たずに辞めましたけどね」
「それはまったく自慢にならないよ」
走り続けながら和やかな会話を紡いでいた。
女性と会話するのがこんなにも楽しいものだと初めて知った十七歳の秋。もうそろそろ股間が昇天しそうだ。そしてイルミネーション煌びやかな冬が訪れる。
普段から下級生に囲まれている純恋さんは、年下慣れしているのだろう。
僕はただただ、一緒にいられるだけで舞い上がっている。
ブルマを履いた女性の香りがときどき鼻を擽ることに感動を覚えながら。
〇〇〇〇〇●
今日も変わらずジャズが冴える。
しっとりとした空間に、グラスの中の丸氷がころんと揺れた。
「はぁ……」
篠原の痩けた口から、思わずため息が漏れる。
収支の表計算に淀みがないのは、《筆記士》というジョブのおかげだ。思い浮かべたことは自動筆記のように手が勝手に動いて書き出してくれるので、帳簿の記入は淀みがない。
今回のダイブはただただ精神的に疲れる回だった。寿々木の関心をモロに刺激する魔物が現れた所為で、同じ階層をうんざりするほど周回したのだ。
前々から迷宮掲示板でレアモンスターの所在を探していたらしく、エリア、階層などに目星は付けていたようだ。
色違いのローパーの遭遇率は、宝くじで一等を引くくらいの確率だと寿々木が興奮気味に熱弁していたが、それを聞く面々は宝くじに当たった方が良かったと思っている顔をしていた。
夢が叶ったようなキラキラした目をした本人を前に、空気の読めない子はいなかったが。いや、田児が口を開きかけて、伊東と名無が取り押さえていたか。
もちろん悪いことではない。
レベルアップするのに適当な階層だったし、そのための食糧も豊富に備えてあった。
結果的に収穫が多過ぎて珍しく田児の《荷役》キャパをオーバーすることになり、いくらかロストする結果になったが、いつも以上に稼げていた。
今回のダイブで田児のアイテムボックスのランクがひとつ上がり、頑張れば半年は潜り続けることが可能になったのも収穫だ。毎日半年以上潜るとか、口にすると意味がわからないが。
伊東は《軽業師》から《宙遊士》へ、ローパー戦で覚醒進化した動きを完全に自分のものにした。
伊東が最近伸び悩んでいた様子だと名無が言っていたが、ハーフオークのダンサーはあまり顔に出さないし悩みを口にしないので、言われるまで全然わからなかった。
何もない空中を踏みしめたと思ったら、二段ジャンプ、三段ジャンプと駆け上がっていくではないか。どこの黒足のコックだよと。
しかし縦横無尽に踊る伊東を見ていると、心の持ちようが変わったのだろうというのはなんとなく察した。たぶんあの顔が、限界を突き破った晴れやかな顔なのだろう。結局筱原には何に悩んでいたのか、殻を破るきっかけがなんだったのかひとつもわからなかったが。
しかし、宙に浮きながら踊るのは構わないが、もはやダンサーとしてどこを目指しているのだろうか。
本人的には新境地の開拓なんだと、解説の名無が説明してくれたが、それでも理解できないのは筱原だけではないはずだ。
いわゆるサードジョブというやつへ昇格したのは伊東だけで、Lv.制限が一部解除されて、これから伊東は己の道をさらに邁進していくことだろう。
生温かい目で遠くから見つめてあげよう。
今回は誰も死ななかったので、そこは評価したい。
もはや途中から数えるのも嫌になってきたエリアボスの周回戦。
足場が悪いし他の魔物が集まってくるなどして、かなり状況は悪かった。救いだったのは、空を飛ぶ鳥系の魔物を触手が積極的に襲っていたことか。
おかげで隙ができて攻撃がしやすかった。
死に戻り。迷宮高校だけの特殊機能。
リビングデッド族などと呼ばれ、日々死体のような我が身だが、決して死ぬことを求めていないし、楽しくやっていけたらそれで満足である。
毎日眠る=仮死状態になるものの、生きていることのありがたみは欠かしていない。
体力や丈夫さに自信はないが、種族の恩恵でバッドステータスに耐性があるし、暑寒の環境変化にも強い。
よくよく考えてみれば、得意不得意が獣人系とは真逆かもしれない。
相性から見ても、お互いに最悪なのはわかっている。
向こうは死臭がすると言って臭いものを見る目で見てくるし、筿原としても獣人の短絡的な発想には辟易するのだ。
筱原よりよっぽど死を体験しているのは、被撃墜率が最も高い名無だろう。ジョブに頼りすぎた不完全な俊足の所為で、距離を見誤って誤爆することが多い。なにかがカッチリと嵌まれば、名無も覚醒するかもしれない。伊東の羽が生えたような進化は、誰の身にも自分の可能性を嫌でも期待させた。
次に死亡率が高いのは伊東だが、このふたりは前衛アタッカーなので順当と言えば順当だ。
このふたりがいなくなると、寿々木が調教した魔物を前衛に呼び出すことになっている。
バタフライマスクに網タイツを履かされたブラッドオークが、股間もろ出しで涎をまき散らしながらタックルをかます姿は悪夢に出てくること間違いなしだ。
ウチのパーティは途中退場したからと言って、分け前に差はつけない。
何より計算が面倒だし、報酬が少なくてもいっこうに気づかない大らかな仲間たちの金銭感覚の緩さの方が問題だ。
けれどもまあ、内緒の貯蓄はあるものである。経理担当の恩恵くらいあってもいいだろう。
「いい加減、上階層を目指すべきかな」
ペンを走らせながら、誰に聞かせるでもなく筱原はつぶやいた。
山麓エリアを突破したが、もはや素材集めのための探索になっているのが問題だ。
同学年の攻略組ならすでに四十階層に挑戦していたし、いつまでも二十~三十階層をうろつくのも経験値が物足りなくなってきている。
セカンドジョブのジョブレベルもMAX頭打ちになってきているので、そろそろサードジョブにランクアップしたいところだ。
このパーティでは、伊東しかなし得ていない。
他のメンバーも条件さえ達成できればサードジョブに昇格することは難しくはないはずだ。条件さえ達成できれば。
肝心の昇格条件がまちまちで、ボスクラスから一度も攻撃を受けない、宙に浮いた状態で回避するとか、めちゃくちゃな条件を伊東はクリアしたからこそのサードジョブへ開眼だった。
名無などはそもそもユニークジョブということもあり、昇格の条件すら出現していない始末だ。伊東に羨ましげな視線を向けつつ、自分の歩む道の先が霞に覆われているように見えて、割と絶望していた。
寿々木はレアモンスターの白ローパーを手に入れたことで、レアモンスター魔札化1/2が発生した。もう一体、レア個体を手に入れれば《魔札術師》がサードジョブに昇格するのだ。
筿原のサブジョブである《土魔術師》も、〈地殻変動〉というスキルを習得することでサードジョブの条件をクリアする。ズドドドド……と地面を揺るがすタイ○ンさんですか、と。
レベルは到達しているので、あとは熟練度と運任せだ。
セカンドジョブまでは割と無条件で育成できるが、サードジョブからは特殊条件やジョブへの理解度がものを言うため、だいたいの人間がここで躓くだろう。
『しゅき兄』の面々もここで立ち止まっている。
セカンドジョブに昇格時点ですでに条件クリアをしていて、あとはレベルを上げるだけ、というパターンもなくはない。というかレア度の低いノーマルジョブはそのパターンが多い。〈地殻変動〉もそう遠くなく覚えられるだろうし。
いわゆる天才様は、ジョブとの親和性がS級であったり、元々のポテンシャルが高校生レベルを飛び抜けて高い場合に、苦もなくサードジョブへと駆け上がる。エルフ族とかそういうところあるよね。
そんな主人公補正のような奇跡がそうそうあるわけもなく、大半は迷宮で鍛えて熟練度をコツコツ上げる必要があり、習得しなければならないスキルやノルマを地道に積み重ねていくのである。
しかして全員がサードジョブになれば、二年の中でも頭ひとつ飛び抜けたクランになるはずだ。二年の最上位組はすでにサードジョブで揃えており、三年の後背に手を伸ばしつつある。
三年でトップランカーに手を伸ばすためには、フォースジョブを視野に入れなければならないと、険しい道のりだ。我々に登っていく胆力はないが、そんなこと意識せずともかってに条件を満たしていそうではある。
強くなることにそこまで魅力を感じていない仲間たちだが、力があるからこそ好き勝手できることは本能で理解している。
だから攻略組ほど先を急ぐこともないが、誰に言われずとも可能な日数を迷宮に注ぎ込んで力を蓄えているのだ。
という建前を述べた上で、実際は寿々木のように趣味とマッチしているというのが理由の大半だろう。迷宮内ではゲームやり放題だし。現実時間とリンクするゲームは時計が止まってしまい、昼か夜かで出現するモンスターが違うゲームをやり込めないと早河が嘆いていたが、リセットされないような方法を得ているのでセーブデータも残り大半の携帯ゲームは遊び尽くせる。
一度プレイ時間千時間を目指してチャレンジしたこともあったが、意識が虚ろになっていたところに魔物に襲われて全滅。早河と田児のゲーム機が消滅した。乙。
次にサードジョブにランクアップするのは誰だろうか。
強力な手札を手に入れた寿々木かもしれないし、幻術を極めつつある早河かもしれない。
名無は……一番死に戻りが多いので、クラン内で一番レベルが低い。
《一角馬》というユニークジョブを持ちながら熟練度はまだまだだし、もっとも可能性が低いそうだ。
それから二週間ほど、それぞれの休み期間として、迷宮に潜っていない。
最初はダンジョンホールに近づくのも嫌だったが、そろそろ迷宮が恋しくなってくる。
それぞれ趣味に没頭する時間は終わり、また稼ぎに迷宮へ行くのだ。
骨と皮のような身体の奥、探索者としての心が求め始める。
「VRMMOに没入するくらいなら迷宮に潜ればいいじゃない」と田児などは言いそうだ。
あの場所にはしがらみがない。持ち込まないのが流儀だった、はずだ。
[作者メモ]
NETFLIX課金勢です。
ホラー・スプラッター系の『誰も眠らない森』という作品で、ハリセンボンの春菜さんが出演されていました。いえ、彼女によく似た少年でした。ユレク君です。
スプラッタ―レベルは『ホステル』や『ソウシリーズ』に引けを取らないのに、ゲーマーで実況配信しているYouTuberユレクくん(春菜似)のおかげでコメディかと思いました。
早河くんのイメージはだいたいユレクくんです。
日本語吹き替えないのが残念…




