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迷宮高校の陰キャクラン  作者: 多真樹
第1章 陰キャなるもの
10/25

アングラ~あんたにグラッツェ~

 周回すること百十二回。

 かかった日数、五十一日。

 食糧は切り詰めて三日持つかどうかの期限が迫った中で、ついに目標を達成した。

 パーティの仲間たちは涙を流して喚起した。

 もうこんな生活繰り返さなくていいんだという奴隷解放の涙だった。

 見た目がどこもかしこも黒ずんで、衣服はボロボロになり、太っていた早河がしなびたリンゴみたいになっていた。

 プルプルと体を震わせて涙し抱擁し合う姿は、浮浪者のイメージそのままだったという。


 迷宮の中では時間が極限にまで引き延ばされ、数ヶ月のダイブは実際の時間にして数時間に過ぎないものに置換される。

 迷宮内で刻まれた日数は迷宮を出ると元に戻り、たとえ何十年と潜っていようと、しわくちゃの老人になろうとも、帰還してしまえばダイブの瞬間の肉体へと巻き戻される。

 記憶と知識、経験値といった形のないものだけが現実世界へ持って行くことができ、ボロボロになった装備も、迷宮内でロストしていない限りあっという間に元通りだった。

 ただし、特殊な効果が込められたアイテム袋に入れている荷物は時間の巻き戻し効果から除外される。

 かつての『解析(アナライズ)』に所属していた生徒が開発した魔法の袋。これの設計図は長年クランの秘匿とされてきており、こういった貴重な情報が山のように眠っている。

 そこに伝手を持つ寿々木がA4サイズの魔法袋を人数分入手したのである。


 ローパーのカードをついに手に入れたとき、ひげ面ボサボサ髪の浮浪者六人がうぉーうぉー言っている悲惨な姿だったが、その場で帰還のアイテムを使用して戻ってくると、元の高校生の姿が現れた。

 ガリガリだった体はふくよかに戻り、目が痛くなるほどの悪臭漂う不衛生な姿は小汚くておしゃれを知らないだけの高校生へと戻った。

 売店には帰還用のアイテムが売っておりかなり高額だったが、彼らはもはや三十階層のボス攻略の気力もなかったのだ。


「もうダメ……」

「歩きたくない……」


 帰還の陣から少し移動して、床にへたり込む仲間たち。時計を見れば十九時を回ったところだ。体力オバケの名無と伊東ですら尻餅をついてしまっていた。


「みんなご苦労。俺はこんなにも頼もしい仲間を持てて幸せだ。誰ひとり欠けることなく達成できたことに、俺はいま感動で打ち震えている」

「うるせー、チね」

「基地外乙ww」


 周回すること百十二回。

 かかった日数、五十一日である。

 仲間たちが泣いても叫んでも寿々木は諦めなかった。その所為で心の溝ができても、ひとりひとりを説得した。良いところを褒め、戦意を落とさぬよう鼓舞し、リーダーとして果敢に挑んでいった。

 しかし仲間たちは思う。

 限度があると。


 おかげさまでレベルはそこそこ上がっていた。

 二年の中でもトップレベルなのは、仲間たちも手応えを感じている。

 ただ、全員がそれを望んでやったことではないというのが悲しいところ。

 褒めても煽てても動かないとわかると、強制され、弱みを握られ、ときに宥め諭され、もう見るのも嫌な白ローパーを相手に戦わせられる悲劇。

 得るものはあったが、失ったものも大きい。


「しばらく潜りたくない」

「ボクももうひと月はいいや」


 死んだ目をして床でへばっている。

 体力的には回復していても、精神的な摩耗は残る。それは魂に刻まれた傷のようなものだからだ。


「ところで寿々木さん? そのローパーでなにするの?」

「え? 人には言えないようなことですけどなにか?」

「なにかじゃないよ」


 パーティメンバーには趣味を隠すこともしていない。

 それは彼らもまた、常人には受け入れ難い存在であり、同好の士とは言えないまでも趣味を許容してくれる仲間であるからだ。

 流石に何でも許容してくれるというわけではないが。


 そういうわけで、趣味に付き合わせることはまた別の話。寿々木はとりあえず公共の場では適当に誤魔化す。

 ローパーの使い道はそれこそ無限大である。

 寿々木は手始めにブラッドオークの触手責めを行うつもりだった。


 人型とはいえ獣に分類されるオーク。

 それでも知能は確かにあり、手懐ければ指示に従う従魔となる。

 魔物であるオークがどれくらいの責めで精神を壊すのか、楽しみであった。

 それを人に用いない理性はまだあって、そこを超えるかが境界線である。まだ、理性が勝っている。


 お楽しみの場所は学校では非公式な場所。

 夜な夜な悪魔召喚よりもおぞましいことが学校の地下で行われていることをどれだけの人間が知っているだろうか。

 常人ではすぐに精神崩壊しそうな汚物と不快にまみれた、アングラな異常者の集まりがあった。


「もう帰る。ベッドで寝る」

「解散解散。収支は全部明日やるよ」

「明日って何曜日だっけ?」

「金曜日」

「授業あるじゃん。休みたいわ……」


 それから仲間たちは足を引きずって寮に戻り、夕食も摂らずに眠ってしまった。

 だが寿々木だけは、アングラな楽しみを期待して寝付けなかった。

 夜も深まった頃、ウキウキとした足取りで名無が隣のベッドで爆睡する二人部屋を抜け出る。

 学校内にある異常者の社交場へと向かうが、寮を出たところで筱原が花壇に座り込んで待ち伏せていた。

 愛用のフラスクボトルを煽り、満月の空を眺めている。


 寿々木は顔をしかめてその背中を見る。

 筱原とは、実は気まずい関係にある。

 お互いに不慮の事故があって、許し合ったのだが、根はまだ少しだけ残っていた。


「……どうしたの、筱原」

「いやあ、きっと部長が来るんじゃないかと思って待ってみた」

「俺?」

「あんまりのめり込みすぎないようにって、忠告しておこうと思って」


 よっこいせと、老人のように重たげに立ち上がり、骨と皮しかない筋張った手でぽんと寿々木の肩を叩いた。


「調教もいいけど、見境なくなったら、こっち側に戻ってこれないからね」

「言われるまでもなくわかってるつもりですけど」

「いやね、そうだよね、余計なお節介だってわかってるさ。だけどさ、こういうことを言ったあげる仲間がひとりでもいると違うじゃない?」

「それはまあ……わかるけど」

「なんだかんだ、このメンツが楽しいわけよ。何の因果か、老婆にマスク買わされて集まった六人だけどさ、こんな高校生活も悪くないなって思うんだ、私は」

「俺だってそうだよ」

「名無が言ってたけど、こんな濃厚な青春は望んだって得られるものじゃないよね」

「まったくね」


 老成している筱原は、どこか穏やかな目をしている。日だまりの老人のような。

 寿々木ばかりが小骨が詰まったような過去の遺恨を引きずっているようで、ちっぽけな自分が情けなかった。

 この変人の集まりを心地よく感じているのは、寿々木も同じだ。この面子以外のパーティに入って、寿々木が自由に言いたいことを言えるとは思えない。

 実際野良パーティで迷宮に戻ったところで、心から打ち解けるような友人は見つからなかった。

 失くすのは惜しい。筱原が本気で思っていることに、話していて肌でわかった。仲間の誰かがそれを手放さないために、アングラへ踏み込もうとしている寿々木に釘を差すくらいに。


「この六人から一番に抜けるとしたら、私は部長だって思ってるからさ。私が理解者になってあげないと。そっちの世界に混ざるのはちょっとごめんだけど、そういう世界があってもまあ、否定はしないよ。私の種族だって歩く死体なんて言われて、まあ死んでるようなもんだしね」

「少し頭が冷めてきた」

「それでいいさ。遅くならないうちに帰ってきなさいよ」


 そう言って手をひらひらと振り、筱原は寮へと戻っていく。

 筱原教授なんてあだ名で呼ぶこともあるが、なるほど確かに大学教授のような知啓の深い面差しをしていた。


 『越えてはならない境界線』が、いつも目の前にあるのは気づいていた。

 いまだってそのラインを感じている。

 だが、筱原に注意されることによって、少しだけ後ろに戻った気がする。

 いつでも跨ぐことのできるその線は、きっと自分が自分でいられる最後の砦だ。

 越えてしまったが最後、『白蠍』のやってることよりもひどいことに嬉々として手を染めそうだ。

 そんな危うさを筱原は感じていたに違いない。


 寿々木の腹の奥底にはまだ興奮が燻っていたが、それを冷静に眺める自分もまた同時に存在していた。

 筱原がそう仕向けたのは言うまでもない。






●〇〇〇〇〇






 昼の休み時間。

 周囲から向けられる好奇の視線が痛い。

 それもそのはず。正面には凜々しい美少女が座っており、紅茶のカップに口をつけている。

 足を組み替える仕草が堂に入っていて、目が離せない。まるでモデルさんだ。スケベな気持ちも起こらんよ。

 以前、食堂で顔を合わせたときはショートソックスだった。今日は黒のストッキングでフェティッシュ。膝上までのタイプだったら正直ドキドキだったが、太ももまですべて覆ってしまっている。残念。


 目が合うと微笑みながら、まっすぐにこちらを見つめてくる。

 笑みが怖い。足見てたのバレてる? ただひたすらに怖いので恐縮しながら麦茶を飲み干す。ああ、トイレ行きたい。

 向こうはただ姉弟でお昼ご飯を食べている以上の意味はないだろうが、それでも対面しているだけでプレッシャーだ。


 そもそもの話、僕のパーティが男子で構成されているのが悪い。女子に免疫ないのはその所為だ。

 むかしからどうしてか、女子に縁のない人生だった。

 クラスでも女子があまり近寄ってこないために、話し方もよくわからない。もちろんなにかの用事もなしに自分から自然に近づく方法もわからない。普段仲間内でしているような濃厚な話題はよろしくないのはわかるが。


 こうして綺麗な女性と食事する機会など、人生を振り返ってみてもまったくなかった。

 いやほんと、入学してから女子と面と向かってご飯を食べた記憶がない。食堂でひとつ席を空けて隣に座った女子のことをずっと意識していたのが最後か。

 もうやだー、なんと灰色な高校生活だろう。鬱々としてしまうじゃないか。


 それにしても人生とはわからないものだ。

 一学年上の迷宮攻略組トップランカー様が姉となることもそうだが、お茶をしようと誘ってOKがもらえるのだから。

 まぁ、隙があれば校舎裏に呼び出そうとする黒猫ヤンキー対策なんですけどね。

 純恋さんは姉弟の仲を深められて嬉しい、僕は虎の威を借りられて嬉しい。バックに風紀のボスが付いてるんだぞと、悪い虫を追い払う殺虫剤みたいに効果は覿面。ちょうど向こうでこちらを悔しそうに睨み付ける斑尾がいるが、内心であっかんべーと舌を出している。

 まさにウィンウィン。純恋さんには本当のことは言わぬが花だ。


 お互いに親が再婚しなければ一生会話をすることのない相手である。どう接して良いのか、数週間経ったいまもわからない。

 思ったことはなんでも言ってくれと言われているが、いきなり膝枕して頭よしよししてとか言い出したら確実に嫌われるだろうし……。

 とにかく加減が難しいのだ。


 唯一の身内である双子の妹はいまだに愛想もなく、廊下ですれ違っても目を合わせようともしない。

 こっちもムキになって無視しているから、入学してからとんと会話もない。そもそも身内との距離感もわからなかったよ、僕は……。

 純恋さんはちょくちょく妹と会話しているらしく、最近の妹の話を純恋さん伝手で聞いた。

 男癖が悪いところは純恋さんも困り顔だが、それとなく注意してもやめる気配はないようだ。

 妹がどんな声をしているのか忘れてしまった……というか、忘れてしまいたい。

 ときどき見かけるのは、場所を弁えずに彼氏に媚びるような甘ったるい声でイチャコラしている姿だ。滅んでしまえ、割と本気で。


「この間の迷惑な輩には本当に腹が立つ。あとちょっとで捕まえられたんだ。あれは私の失態だった。君も見たことがないだろうか? 見るからに妖しいマスクを被って踊る集団だ」


 それ、僕です。とは言えない状況。

 「さあ……」と濁しながらグラスに口をつける。もう中身はない。


 本当のことは絶対に言えない。姉の心象を悪くしてしまうだろうから。それとも許してくれるかな? いや、罰は受けるべきだと決然と言われそう。

 公私混同などするわけがない。伊達で風紀の鬼と恐れられてはいない。自分にも厳しいからこそ、風紀を背負って立っているし、その背中に後輩が憧れるのだ。

 こうなってくると、言ったが最後、妹と同様、校内で二度と口を利いてもらえないかもしれない。

 素直に自首して嫌われるのは、やっぱり嫌だ。

 この状況を戸惑いつつも、ちょっとラッキーと思っている自分がいるから。


「前回もあと少しのところで捕まえられたのだ。それがなぜか、気づけば見失っていた」


 早河の〈幻影(ミラージュ)〉によるものだった。

 他人から見える姿を変えることができる。人の多いところに逃げ込めばまず見つかることはない。

 風紀の方々は、いままで追っていたはずのマスク集団が忽然と消えたように錯覚する。

 純恋さんが目つきも険しく追っかけているすぐ横に、僕らはどこ吹く風で立っていられる。

 マスクを外した僕らに風紀部の方々は気づくことなく通り過ぎていった。

 風紀委員長にして金髪と茶髪のボブカットが麗しい義姉。彼女のような思い込みの強い相手ほど面白いくらいに嵌まるから皮肉なものだ。

 早河が「うひひ……」と気持ち悪い笑い方をするのでひやひやしたが。


「はた迷惑なマスク集団はそのうち粛正対象に認定されるだろう。そうなれば、見つけ次第、悪・即・斬だ」

「それはまた剛毅なことで……」


 悪事を働いた覚えはないが、迷惑行為は拡大解釈して悪事に含まれてしまうのだろうか。

 音楽流してゲリラダンスを行っているだけなのに。

 普通に申請してやれという話だが、それでは面白くないと早河が言い出した。

 SNSにアップしている以上、下手な踊りでは人気も出ないし、追うものと追われるものという構図が視聴者をワクワクさせる一因にもなっているから、もはや止めどきを失っているのだ。

 しかし、アングラではもっと酷い悪事が日夜行われているのだから、そっちを検挙すれば良いのにと思う。この間のローパーを悪用しない部長ではないのだ。

 あれは魔物を実験体にするのでは飽き足らず、いずれ人に使うのは時間の問題だと思っている。

 同室の身としては、夜中にローパーが穴という穴を責めてくる恐怖というのもなくはなかったが、そこら辺の線引きはできる男である。


「次こそは追い詰めてみせる。零士くんもなんでもいい、情報があれば私に連絡してほしい」

「ええ、何かあれば」


 ところがどっこいマスク集団を追いかける以上、マスクを外した僕らを認識できないだろう。ありもしない幻を追っかけることになるのだ。

 ただ早河を喜ばせるだけである。お仕事ご苦労様です。

 それか、マスク集団を一斉検挙して、純恋さんの目の前でマスクを剥かれて正体を白日の下に晒すのが先か。


 考えるより身体を動かすことの方が得意そうな姉である。

 脳筋の誹りを免れないのでは? とも思わなくはない。話していても言葉の端々にしゃべり慣れていない無骨な感じが伝わってくる。

 なんなら面と向かって「ランニングでもしないか?」と誘われたことがあるが、丁重にお断りをした。

 ちょっと残念そうだったので、「また今度」と濁したら、「わかった、今度空いているときにでも」と笑顔で一緒に走ることが決定した。美人で根明はずるいと思う。

 嵯峨崎純恋という三年生は、学内のクランで最強格の『戦乙女隊』でレギュラーを張り、水冠姫(ネレイド)のハーフエルフだ。風紀部委員長にして、正義感に溢れる熱血派。成績も優秀らしいし、年末のこの時期、すでに大学への進路も内定しているとのこと。

 一言で表すなら完璧主義者。

 だが後輩への面倒見の良さから、他人に厳しいわけではないのだとわかる。自分に厳しいが、決して孤高ではない。『戦乙女隊』が迷宮へ挑む姿を見かけることは何度かあったが、華やかなメンバーと和やかに話す姿は年相応の女子高生に見えた。

 これは僕だけの妄想かもしれないが、純恋さんは夏服と汗臭いのが似合う女性だと思う。

 運動後の体操着から覗く純恋さんの脇を舐めたい願望がある。きっと汗臭に混じって、強烈なフェロモンを発していることだろう。

 灯りに誘引される蛾のごとく、臭いを嗅ぎたい。

 臭いフェチではないんだけど、なんだか純恋さんといると性癖が歪みそうになるのだった。


「ところで、学生生活はどうだ? 攻略は順調か? 学業で困ったことはないか?」

「楽しくやってますよ。つい昨日も、体感ふた月は潜ってましたからね。もう無精髭もボーボーでした」

「それはすごいな。三年でも一度にひと月以上潜るクランは少数だ」

「純恋さんのクランは?」

「うちにも荷役がいるからな。平均して二週間は潜っているかもしれない」

「十分じゃないですか」


 名前呼びは本人たっての希望だった。

 両親の結婚に際して名字の変更は考えていないようで、僕は相変わらず名無零士である。

 彼女は僕との関係を色々考えている様子だが、どうにも裏表があるようには思えない。

 嫌っていないのはわかる。彼女が本当に嫌っていれば性格上、態度に表れるだろう。

 いまもなんとかして仲良くなろうと気を遣ってくれているのが透けて見えた。

 僕もこんな美人の姉ともっと仲良くなって手とか恋人繋ぎで繋ぎたいけれども、それは姉弟の距離感ではないし、急に距離を詰め過ぎて引かれないかが心配だ。


 純恋さんは風紀委員の話と戦乙女のクランの話には割と饒舌で、僕らより遙か先を攻略している三年生の話は聞いていてとても面白かった。薬冠姫(アマラントス)北里(きたさと)香月(かづき)は一年の頃からの同室でいまや親友だが、僕に似て引っ込み思案なのだという。《薬丹士(エリクシルマスター)》と《隊商(キャラバン)》を持っていて彼女のサポートなしに長期的な遠征は難しいと。

 三年に調合薬に特化した人物がいると噂では聞いていたが、この人が寿々木が持ってきたTS転換薬を発明したのだろうか。

 勉強の話になるとちょっと目を逸らすところが可愛らしい。ダンジョンの成績は優秀だが、勉学はそこまで自信があるわけではないようだ。それでも自信がないだけで、学年順位は一桁か二桁というから、この人は生粋の努力家なのだろう。

 距離感は別として、僕らはこの数週間でそれなりに腹を割って話したと思う。

 家族をどう思っているかということ、親の結婚に関して思うこと、これまで育った環境や、小中学校時代の思い出などなど。


 僕には双子の妹がいるが、高校に上がってからほとんど同じ時間を共有していない。

 中学校の頃は仲が悪かったわけではないが、単純に交友関係が重ならず、遊ぶ場所も違っていた。

 僕は男友だちと近所の公園で遊び、妹は女友だちと家に入り浸った。

 中学に上がってしばらくして、妹に彼氏ができた。

 それから疎遠になったと思う。

 たぶん、その初彼と最後までいたしていた。

 二個上のオラってそうな粗暴な彼氏にあっさりと貫通である。雰囲気が急に変わった時期があったのだが、気まずくて聞けなかった。

 その初めて付き合った彼とはあっさり別れたらしい。そのすぐ後に別の彼氏ができたようだった。

 僕はそれを本人に一度も報告されることなく、校内で見かけたり、友人から教えてもらったりして知ることとなった。

 深く話を聞いてはいけない。脳内を破壊されてしまうから。というか誰が好き好んで妹の性事情を知りたいと思うのか。

 僕たちが憧れる妹とは、お兄ちゃんのことが大好きな妹なのだ。それはお兄ちゃんと結婚したがって、お兄ちゃんを最初の相手にしたいと思っている妹であり、残念ながら二次元にしか存在しないので、現実に期待するのは早々に諦めた。


 妹が特別美人だとは思わない。

 クラスでも中程度のどこにでもいるレベルだったと本人もわかっていたと思う。

 一卵性双生児の僕と顔を合わせる度に何か嫌なものでも見るような顔をされたが、あれは自分が鏡を見てどうがんばっても美少女になれないことを、僕を見ることで思い知らされていたからだと思う。失礼しちゃうわ。


 中学生にして化粧を始めた妹を、僕は止めることもなく放置した。

 妹の服装が段々とケバくなって、交友関係も擦れた感じのタイプになっていた。

 そんな妹がどこをどうして間違ったのか、迷宮高校へ入学している。

 僕は受験当日も知らなかったし、なんなら合格発表で喜び、晴れ晴れとした気持ちで入学式を迎えたときにも気づいていなかった。

 教室の廊下を歩いているときに、すれ違った女子が妹だったときの驚きようはなかった。


 さすがに「なんでおまえがいるんだよ!」と声をかけてしまったが、向こうは僕の入学を知っていたようで、特に言葉を交わすことなく無視されてしまった。

 これまでもそうだったが、学校生活でも妹は僕のことを極力いないものとして扱ってきたので、僕もまた妹に興味を持たないようにするしかなかった。

 なんでこんな特殊な学校に入学したのか聞いてみたい気持ちもあるが、どうせ中学三年のときに付き合っていた彼氏が迷宮高校を目指すから、一緒に入学しようね、と約束したとか浅い理由だろう。

 入学当初の妹は男の気配がなかったから、もしかしたら倍率の高い入試で彼氏だけ落ちたのかもしれない。

 あるいは受験前後に別れてしまい、結局願書を出した手前試験を受けなければならず、なぜか妹だけ受かってしまったとか。


 しかしまあ、僕は迷宮高校にきて良かったと思っている。自分が普通の人間であると思っていないし、冒険者としての素質がそれなりに開花していると自負していた。

 目の前の戦乙女オーラを溢れ出している姉には到底劣るが、これでも頑張っているほうだと思う。

 妹も新しい彼氏を作り、一緒に攻略を進めている姿を見かけたことがあるので、それなりの目標を持ってやっているのだろう。知らない間に退学しているかもと思っていたのだ。


「しかし兄弟とは難しいものだな」

「ですねえ。なに考えてるかわからないですもんねえ」

「零士くんもそう思うか。私もだ」


 貴女は特別わかりやすいけどね、とは思っても言わない約束だ。

 純恋さんにも実弟がいるが、離婚の際に純恋さんが父親についていき、弟は母のところに残ったという。

 離婚前から弟は純恋さんと顔を合わせることをしなくなり、言葉もろくに交わさなくなった。

 こんな美人な姉がいて、仲良くしないとか頭がおかしい。

 しかしよくよく考えてみれば、純恋さんの美形の家系なら、弟ももれなくイケメンだろう。

 つまり女性には不自由しない生き物という数式が成り立ってしまう。フツメンの枠を超えない僕からしてみれば、爆発してしまえ、と思う。


「それじゃあ、明日の十九時に。運動着でダンジョンホールのエントランスに集合だ」

「……わかりました」

「嫌なら断ってくれてもいいんだぞ?」

「走るのは嫌いじゃないんで、ご一緒しますよ」

「ああ! 楽しみにしている。それではな、午後の授業も頑張ってくれ」


 予鈴も近くなった頃、手をひらっと振って颯爽と去って行く純恋さんの背中を見送った。

 相変わらず肉付きの良い尻と健康的な美脚をしていると見惚れてしまう。

 我が姉は健康美に溢れているからいけない。本人にその気はなくとも思春期の男子の股間をダイレクトアタックしてくるのだ。

 お胸は平均値を超えないあたりだが、それもまたスポーティさに磨きがかかって良い。なんならなんでも良いのである。

 邪な目で見ないようにするにはなかなか胆力がいるというだけで。


 純恋さんは所属クランでも同性に人気があるため、食堂のような場所でお茶をするにもなにやら殺気を含んだ監視の視線を感じてしまう。

 ちらりと盗み見れば、下級生と思しき少女からがっつり睨まれているという……。こわやこわや。


 明日の約束とは、土曜の夜にランニングに付き合うというものだった。

 気乗りはしないが純恋さんがやる気に満ち溢れているので根負けした形だ。「また今度」が明日にきたというだけの話。

 それでも嫌なら無理強いはしないと気遣ってくれているので、後輩への面倒見がいいのはよくわかった。

 有無を言わさぬ脳筋系も汗臭そうで嫌いではないが、大人びて包容力がある姉も良し。なんならなんでも良いのである。


 翌日、寮でジャージに着替え、約束の十九時に待ち合わせの場所にやってきた。

 純恋さんはハーフパンツにスポーツウェアという動きやすい格好で待っていた。

 露出は手足の先っちょくらいなのに、体型に恵まれているから体のラインがとても綺麗。

 ボブの髪を後ろで束ね、小さい尻尾ができていた。首筋がセクシーすぎて眩しい。


「夕飯は少なめにしてきたか?」

「はい、運動すると思って控えめにしてきました」

「わかってるじゃないか」


 頭を撫でてくれそうな笑顔だった。撫でてはくれなかったが。

 十九時にもなると迷宮へ潜る連中もほとんどいないので、エントランスは閑散としている。

 ヤンキーもお姉さまラブな後輩たちもどうやらいないようで、ふたりっきりのデートみたいだ。

 すでに日は落ちているので、電灯の明かりがぽつぽつと闇に点っていた。


「早速行こうか」


 そう言って学内を走り出すのかと思いきや、純恋さんは建物に入り、迷宮ゲートの方へ向かっている。


「え? もしかしてランニングって迷宮でするんですか?」

「そうだ。低階層ならばほどよい緊張感で走ることができるだろう?」


 それ僕の知ってるランニングじゃない。


「基本的に敵は一撃で倒すこと。武器はナイフがいいな。三十階層前後で活動しているんだろ? いまさら雑魚のドロップ品を拾い集めても大した稼ぎにはならないから、落ちたものはすべて無視してひたすら走ろう。一年が四、五日かけて突破する程度だから、休まず走れば半日で終わる。もちろん零士くんは初めてだから、休憩を挟んで進もう」


 ランニングというより鉄人レースのような気がしてきた。

 低階層とは、一階層から十階層までほぼ一直線の道のりのことだ。

 十階層は道ではなくホールになっており、ボスが待ち構えている。

 一年生はレベル制限によりアイテムボックスが小さいから、三日ほどの食糧と必需品をやりくりしながら、仲間と協力して十階層突破を目指すのだ。一年生のときは《荷役(キャリア―)》を持つ田児がいたので超絶楽勝だったが。


 迷宮のリアルな厳しさを学ぶチュートリアルのような場所だが、毎年数十人はここでリタイアして迷宮高校を辞めていくのだ。

 五日間お風呂に入れなかったり、食べるものも、用を足す場所もサバイバルになるので、高水準の生活から離れられない人間は自然と去っていく。

 それに最初は、十階層を突破するか、一階層の入り口に戻るか、死に戻りするかしか迷宮を出る選択肢がないため、パーティの決断力が問われ続けるのだ。ここで自分勝手な言動を繰り返すようなら、まず間違いなく十階層は突破できない。そして実力が足りないことを何度となく突きつけられて、肌に合わない生徒が辞めていく足切りの試練でもあった。

 僕はもう二年生で、いまさら一年の頃のように手間取ることはないだろうが、それにしてもランニングコースになるとは夢にも思わなかった。


「純恋さんはいつもやってるんですか?」

「今年から始めたのだが、これが割と鍛錬になるんだ。迷宮に潜っている時間は、こっちはほとんど時間が経っていないからな」


 迷宮内は現実の時間を千分の一くらい引き伸ばしているため、三か月潜っても実質一時間ほどしか時間は進んでいないのだ。

 中で過ごした時間がどれだけ長くとも、こちらに戻ってくれば迷宮内で伸びた髪もちょっと高くなった身長すらも、潜った地点で記録された身体に戻ってしまう。

 迷宮学園の迷宮は特殊であり、魂のみの錬磨が肉体にフィードバックされる。

 スキルや技術の練度は魂に刻まれるため消えることはないが、迷宮内でムキムキに鍛えたところで、戻ってくれば鍛えた分の筋肉は消失してしまうというわけだ。

 笑い話のひとつとして、腹を壊した生徒が迷宮に潜り、迷宮内でヒールを使い治した。下痢も治まりなんとか迷宮を攻略して戻ってきた瞬間、また腹を下した、なんてことがある。

 迷宮に潜る前は万全の態勢であれという教訓で、深層に潜っている攻略組の生徒ほど体調には気を遣うという。

 純恋さんのいう鍛錬とは、走ることによる筋トレではないだろう。そんなものは授業で嫌でも身につく。

 前衛系の体育の時間は、基本的に体力づくりの時間だ。一時間休まず走り続けるなんてざらである。

 低階層を走破することで、スキル回しや状況判断が洗練されることが目的ではないだろうか。


「自分を追い込んで達成した満足感はなによりの財産だからな」

「…………」


 この人はだいぶ感覚で生きてるなーと思う。

 肌で感じることがなによりも大事という現場主義の考えは嫌いではないが。

 ともあれ純恋さんとパーティを組み、最低限のダガーをひとつ手に持つと、一階層へと潜るのだった。

[陰キャメモ]参考文献

『あんたにグラッツェ!』高田純次、大竹まこと、渡辺正行の「オヤジ三人組」が関東地方各地でロケを敢行していた番組。この3人がかつてアンダーグラウンド劇場、略してアングラの出身者もしくは経験者であることにも掛けている。(wiki抜粋)

本編と何の関係もない。校内にあるアングラは、どちらかというと『HUNTER×HUNTER』のヨークシンシティ、マフィアの地下競売に当たる。クラピカ大活躍回。

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